イソップの宙返り・241
  
目と口
目は自分が一番偉いと思っているのに、口がいろんなものを貰い、とりわけ甘さ抜群の蜜を味わうのを見て腹を立てて人間に苦情をいいました。
そして、目の中に蜜を注ぎ込んでもらいましたが、刺すような痛みばかりでした。
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イソップ寓話ばかりをエッセイにしてきましたが、最近はとうとう行き詰まりまして、同じような話になってしまいますので、今回は寓意と関係の乏しいジャガイモの話。
ジャガイモは新大陸からもたらされたことは確からしいですね。
ヨーロッパに伝わった初めの17世紀ではジャガイモは冷遇されたそうで、「聖書にない不浄の作物」として嫌われたばかりか、らい病をもたらすとまでの流言があったらしい。
ところで、ジャガイモといえばドイツですねぇ。
むかし、高地(南部)ドイツを旅行したときにはジャガイモばかりを食べる羽目になりました。
ドイツは北に位置しますから小麦の生産にかならずしも適していないらしいですね。
ええ、今は品種改良で北の気候にも適応する小麦もできているようですが。
でも、いまだにジャガイモとライ麦が主食。
       
17、8世紀、ヨーロッパは天候不順だったそうで、プロイセン(ドイツ)ではフリードリヒ1世(18世紀初頭)がジャガイモの栽培を奨励しましたが、奨励ていどでは普及しなかったらしい。
次のフリードリヒ・ウィルヘルム2世は農民に法律で栽培を強制して、反対者を武力で押さえた結果、やっと栽培面積が増えたそうですね。
ジャガイモの栽培のおかげて小麦の食糧生産ができなかった地が飢えから解放され、国力が増し、19世紀でのドイツ発展につながったといいます。
フランスでも、なかなか普及しなかったようですが、広める方法は、さすがにフランス的で、王妃マリ・アントアネットはジャガイモの花をコサージュにして夜会服を飾ったそうです。
こんなことをしても普及しなかったのは、プロイセン(ドイツ)と同じだったそうですが、フランスでは法律で強制するのではなく、知恵をしぼったらしい。
成功した普及作戦として今に語り伝えられるのは、ジャガイモ畑に国王の親衛隊を派遣、昼間は見張りをさせ、夜には親衛隊を引き上げさせて監視を解いたとか。
庶民にすれば「国王の作物」ですから、どんなに素敵な食い物かと思って、夜陰にまぎれて盗み出したらしい。盗んだ連中は「どんなもんや? 親衛隊が見張っている国王の作物を盗んできたゼ」っててんで、瞬く間に普及したといいますね。
これ、イソップ寓話的でしょう?
これに悪乗りして、マリ・アントアネットはフランス革命前夜、「パンがなければ、ケーキを食べたら?」と放言したとするのは誤りで、「パンがなければ、ジャガイモを食べたら?」と言ったのが真説であるなんて言うと嗤われるかなぁ。
    
ところで、蛇足。
ジャガイモの語源はジャガタライモですが、別名は馬鈴薯(ばれいしょ)ですね。
日本へは江戸初期に渡来したそうですが、各地で呼び名がまちまちだったそうで、これの統一のために18世紀末、小野蘭山(らんざん)が、その著・耋莚小牘(てつえんしょうとく)(1808年)で、中国の松渓懸志に出ている蔓植物の「馬鈴薯」を当て嵌めたらしい。
これは全くの誤用。植物学者の牧野富太郎も馬鈴薯(ばれいしょ)と呼ぶことに強く反対しています。ですが、農林水産省の試験場では、旧態依然として、いまだにバレイショで通用しているらしい。ですが、さすがに教科書でもジャガイモに統一されていますね。
    
イソップ寓話にジャガイモの話を持ち出したのは、コジツケかもしれませんが、「ジャガイモ畑から盗ませた」とか「農水省の試験場では、いまだにバレイショと呼んでいる」はイソップ寓話的でしょう? 無理?