イソップの宙返り・221
       
ザクロとリンゴ     
ザクロとリンゴが実の立派さを競い合いました。言い争いがいよいよ熾烈になるのを近くの垣根から茨が聞きつけて、
「仲間よ、もう争うのはやめようではないか」と仲裁に入りました。
寓意・数にもはいらぬ者までが、優れた人達のもめ事にしゃしゃり出ようとするのである。
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この寓意はよくわかりませんね。自慢するほどの実をつけることのない茨は局外者ですから、仲裁人としては望ましい立場だと思いますがね。
ところで、人間には、だれにでも競争心はありますよね。
例えば、段位のある競技がありますが、あれ、ひとより少しでも先に段位が上がると、むやみに嬉しがる人がいますね。ええ、態度に出さなくても、嬉しがるのがね。
露骨に嬉しがらなくても、まあ、人間は大なり小なり競争心があるんでしょうがね。
囲碁、将棋には段位制度があります。あれは実力の違う当事者が平等に競技を楽しむことの出来る優れた制度だと思うのですが、段位は少しでも上がりたいものですね。これが切磋琢磨の一つの動機にもなっているようです。
   
アマチュアのゴルフにも段位とおなじハンディキャプって制度があります。
ハンディキャプにもいろいろありまして、仲間内のハンディとかクラブ内ハンディ、それにJGA(日本ゴルフ協会)の公式ハンディがあります。
公式ハンディ(オフィシャル)が18だと、クラブ内のハンディは16。会社とかの仲間内ハンディは12ぐらいになっていますね。
何かのはずみに「ハンディ、お幾つですか?」と訊くと、たいていの人は、一番低い仲間内ハンディを答えますね。あれ一種の見栄なんでしょうねぇ。
昔は、ハンディキャプは一旦上がると下げなかったものでして、まあ、一種の名誉的なものでした。これでは歳をとったとか、忙しくて実力が落ちたプレーヤーが優勝できる機会を奪ってしまいますから、本人の希望があればスコアーカードを何枚か出せば、審査して再判定したものでした。
     
ボクが所属するクラブで、本人の希望を訊かないで、ハンディキャプの改正をしたことがありまして。ハンディが下ったことを怒った人が多かったですよ。
まあ、「ハンディが下ったので優勝できる可能性ができた」って喜んでクラブ競技に出てきた人もおれば、「気が悪い」なんて来なくなった人もいたなぁ。
これは、どっちの方が競争心が強いのかは、俄に断定は出来ませんが、ハンディキャプ制度、段位制は人の競争心を煽る制度ではあります。あれのおかげで、ボクも努力していたような気もする。
     
ところで、人間には、だれにでも競争心はありますが、中にはメチャクチャに競争的、闘争的な人がいますね。
こんな男に征服の対象にされる女性っているでしょう?
美人で、子供の頃からちやほやされてきた女性って、おだてに乗りやすいですからね。
あんな素敵な女性が、なんであんなにツマラナイ男に引っ掛かって、なんてことが多々ありますね。
競争的、闘争的で征服欲の強い男にとっては、口説くのは相手の女性に対する、一種の闘争ですから、どんなことをしても、それが破廉恥でも見境なしに口説くことになりますね。
ええ、「押してもダメなら、引いてみな」なんてね。
征服が目的ですから、目的を達すれば「釣った魚に餌はやらない」ってことになるよう。
人に嫉妬深く、人の悪口、妬みの多い男は競争的、闘争的だと言いますね。
まあ、そんな物かも知れない。
フランチェスコ・アルベローニの「借りのある人、貸しのある人」の受け売りでした。