イソップの宙返り・171
      
ランプの自惚れ
光り輝いているランプが、自分は太陽より明るいと自慢していました。
そこへ、風が吹いてくるとランプは、すぐに消えてしまいました。
「ランプよ、黙って照らしていろ。太陽は自慢しないから消えることなんかないんだぞ」と人々は言いましたとサ。
寓意・人は名声や高名を鼻にかけてはならないのです。ひとが得た物は、自分ひとりで得たものではないのです。
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織田信長が桶狭間の戦いに出かける前に「人間(じんかん)五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」と幸若舞いの敦盛の一節を歌います。
人間を「にんげん」と読まないで「じんかん」と読むと、やや意味がちがってきますね?
キリスト教は神と人との関係ですし、仏教も阿弥陀仏と人との関係でもありますが、儒教は上下とはいえども人と人との関係ですね。
幸若舞いの「敦盛」で言っているのが、上下の人と人との間を指しているのかどうかはわかりませんが、信長が「人間(じんかん)」といっているのは上下ではなく、横の関係の人間(じんかん)といっているような気がしますね。
ええ、近代合理主義の権化のような信長のことですからね。
         
ところで、「ひとが得た物は、自分ひとりで得たものではない」と、ここでいっているのは真理でしょうね。
ボクは若い頃は、自分の実力だけで、世の中をやっていっている気になっていましてね。まあ、自由業でやっていると一匹狼ですから、特にそんな気になりやすいのかも知れませんが、この歳になって振り返ってみると、何とも生意気な思い上がりをしていたものだと、恥ずかしく思っています。
人は独りで生きているんではないんですよね? まさに人間は人と人との間で生きているんですねぇ。
          
いやー、ちょっとした名声や高名を鼻にかけてしまうんですね。ええ、人間の心って弱いものですからねぇ。
ボクの級友には高級官僚になった人が、たくさんいましてね。
「人間は人と人との間で生きている、って歳を重ねて、やっとわかった」って話をしたら、「ああ、ボクも痛感したね。いまの天下り先を用意してくれたのは有力な先輩のお陰」って応じてくるんですねぇ。
いやー、参ったなあ。
天下り先を用意してくれた先輩って儒教的な上下の人間関係だとは思うけれど、官界の浄化って、こんな「美しい」関係を断ち切ることから始めなければならないのでしょうねぇ。
           
まあ、この人なんか、まだいい方で、高位高官になったのは、自分の実力で獲得したものだと思ってしまうと、自分の権限でできるかぎり、お世話になった先輩後輩、それに身内と分かちあうのが、倫理ってことになってしまうんでしょうかね。
儒教の教えが、社会を支配している国では、権力を握った人は、身内を取立て、友人知人を重職につけますね。
ええ、韓国の政治をみているとそんな気がする。
でも、最近の中国は身内政治を脱却したように見えますね。ほんとうのところははわかりませんが。
でも、儒教の本家本元が儒教を脱却したのなら、たいしたものですねぇ。
       
日本は中国の儒教文圏の外にあった希有の社会だと言うけれど、身内を取立て、友人知人への恩義を重くしているのをみると、やっぱり儒教社会だとおもうことがある。
恩義をかえすべき先は公(パブリック)だろうになぁ