イソップの宙返り・146
       
冬と春
冬が春にこんなことを言いました。
「春が来たとたん、もう誰もじっとしていない。百合などの花を摘んだり、薔薇を額の飾りにしたり挿頭(かざし)にするのが好きな人は、野原や森へと繰り出すし、また別の人は、船に乗り海を渡って、どこでもよい、よそへ行こうとする。それに誰も、風のこと、豪雨のもたらす大水のことなど気にもかけなくなる。それに対して冬は有無を言わせぬ王のようだ。空を仰ぐことなく、地面に目を伏せ、恐れ震えていさせてやる。時には、終日家に蟄居するも止むなし、と思わせてやる」
と自慢しました。
これに対して春はこう言いましたとサ。
「だからこそ、人は君が去れば喜ぶのだ。私はといえば、その名だけでも美しいと人々に思われている。まったくのところ、世界一美しい名だ。それ故、春が去っても人々は覚えているし、戻って来ると歓喜するのだ」
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この寓話をまともに話題にするほどの学識もありませんので、はぐらかすような話を持ち出しますが・・・
日本で人気のあるのは、冬より春としても、歴史上の人物では、義経は人気があるけど、頼朝は不人気。秀吉は人気があるけど、家康の人気はもう一つ。西郷隆盛は人気があるけど、大久保利通は不人気。
     
頼朝の開いた鎌倉幕府は、律令制度を打ち破った意味では社会革命ですが、その革命後にどんな社会にするかの構想は義経にはなかったような気がするんですがね。
義経は革命戦争の英雄でしたし、戦争の天才でしたが。
義経は後白河法皇から旧社会の判官の位をもらって、欣喜雀躍しました。
       
一方、頼朝には革命後の社会の構想がありました。
ええ、頼朝個人が思想家として、どの程度の社会構想を持っていたかは知りませんし、多分に鎌倉幕府を構成する関東の武士たちの要求に従っただけかもしれませんが。
頼朝は旧社会制度の荘園領主から権力を奪い、守護地頭による社会制度を作ろうとしました。
まあ、成功したのは関東地方にかぎられましたし、それも完全とは言えませんが。
しかし、思想といいますか、革命後の社会制度の構想は持っていたようですねぇ。
政策をもって、社会を変革しようとする時には、冷酷非情にならざるをえないのでしょうねぇ。
まあ、義経は美しく陽気。頼朝は沈着冷静で陰気ってことも対照的でしたね。
ええ、後世の物語作家が作ったイメージでもあるんでしょうが。
大衆の人気はだんぜん義経。
         
秀吉は陽気、家康は権謀術策に優れた陰気。
でも、これも後世の物語作家が作りあげたイメージでしょう?
甥の秀次の一家を、謀反をでっち上げて、六条川原で惨殺しましたね。
ええ、側室として召し出されて、京に着いたばかりのあどけない14歳の少女までもね。
それに、朝鮮出兵でしょう?
でも、桃山文化の絢爛豪華から、陽気なイメージをうけてしまいますねぇ。
     
一方の家康は陰気な気分がします。
よく言われるのに、「信長は、鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」、秀吉は「鳴かぬなら、鳴かしてみせようホトトギス」、家康は「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス」なんてね。
でも、鳴きたくないホトトギスを「鳴かしてみせよう」なんてのも、どんな風に鳴かせるのかを考えると、優しくはないような気がするんですがね。
秀吉は戦国の戦乱を収めた革命家ですが、その後にも戦国武将の荒々しさをそのまま持続していたように思えるンですがね。
         
家康は、ただただ戦乱がふたたびおこらないことのみを考えたように思えます。
関ヶ原で勝ったんですから、一気に大阪の秀頼を攻めれば、滅ぼすのはわけがなかったように思えるんですがね。
淀君、秀頼を許しましたね。
でも、あのことまで、陰湿な権謀術数に思えてきますもんねぇ。
それに、家康は質素だったでしょう?
あれも、秀吉の絢爛豪華と対照的で、人気がでない理由かもしれない。
家康は、まあ、言えば平和主義者。派手な戦争好きに比べると、平和主義者って地味ですねぇ。まあ、陰気。大衆の人気は、いまだに秀吉。
        
明治維新、まあ革命だと思いますが、西郷隆盛は、じゃあ、この革命後の社会制度の具体的な設計図を持っていたんでしょうかね。
維新の元勲たちが、旧大名より華奢な暮らしをしはじめたのをみて、何のための維新だったかとばかりに鹿児島へ隠棲してしまいますね。
ええ、征韓論に敗れたこともあってね。
後は大久保利通が「何とかするだろう」なんて言っていたようですねぇ。
大久保利通は、列強に侵略されていように、富国強兵策を進めましたね。
       
ええ、これで国民国家にはなりましたが、いつの間にか国家主義になり、肥大した国粋主義で昭和20年の破滅を迎えてしまいましたがね。
西郷隆盛が大久保利通とかの社会設計をチェックし、操縦しておいてくれれば、維新の元勲と呼ばれる人達がもうすこし、ましな社会を作ってくれたんではないかとの思いが、みんなにあったような気もしますがね。それをしなかった。それでも、大衆的な人気は、だんぜん隆盛ですね。
日本の大衆的な人気は、どうも、こんなところにあるみたいですねぇ。
      
論語でしたかに、「君子は器にあらず」ってありましたね。
ええ、エライ人は、こまかしい事務的なことをしない、ってことでしょうかね。
ええ、何もしない英雄に人気があるのは、こんなことなのかも知れない。