イソップの宙返り・144
        
クジャクになりたかった烏
身の程を知らない烏がいて、「クジャクに及ばないのは、衣裳である。美しい衣裳を着れば、孔雀の仲間に入られる」と考えて、孔雀の羽根を集めて身を飾りました。
そして、孔雀達のところへ行きました。
仮着の衣裳は美しいけれど、もともとは賎しい烏なので、うわべを飾っても、いつわりが露見して、孔雀たちは怒って、羽根をはぎ取り、もとの黒い烏にして追い出しました。
もとの黒い鳥のところへ帰ったけれど、みんなにバカにされて、おれなくなりましたとサ。
☆     ☆
ヨーロッパのほとんどの国は、階級社会でしょう。
ええ、いまだに貴族制度をとっている国までありますね。
ベルギー人に親しい知人がありましてね。この人がバロン(男爵)なんです。
いちいち、名前にバロンなんて敬称をつけないと、機嫌がわるくなってくるんですよ。
貴族制度のない国に暮らしているボクは、こんな敬称には鈍感でして、ついムッシュとかミスターとか言ってしまう。
          
それに、ベルギーのバロン(男爵)は、ソシエテとかの王立会社では退職金のかわりにくれるものなんですがね。
こんなことが頭にあるから、よけいに敬称を忘れるんでしょうね。
こういう事大主義のバロンを驚かせるには、家紋を持ち出すのも一つの方法。
ヨーロッパでは、家系の章紋のあるのは王侯貴族であることの象徴なんだそうですよ。
        
ええ、日本では、どんな家でも家紋があるでしょう?
節句の飾りに、人形屋はサービスに紋章を高張り提灯に描いてくれますでしょう?
家紋のないうちは珍しいのですが、「しらん」なんて言うと、良さそうなのを選んで描いてくれます。
適当に選んでつけるのは間違いではないんだそうですね。
庶民の場合は、明治以後につけられた苗字とついでに家紋をつけたんだそうですよ。
ええ、明治のころには、家紋屋がご用聞きにまわっていたそうで、今の命名屋みたいなもんだったんでしょうかね。
          
でまあ、家紋の講釈。
日本人は、縄文の昔から家ジルシを持っていたそうです。
日本は照葉樹林帯ですが、ここでは中型獣の狩猟を村落共同でしていました。
ええ、害獣駆除とタンパク質獲得のためにね。
中型獣の狩猟には鉄の鏃(ヤジリ)が使われましたが、鉄はムカシは超貴重品。
鉄の鏃は高価なものですから、持ち主をハッキリさせるために、鏃にシルシをつけたと言われています。まあ、そうでしょうねぇ。
村落が共同で大量生産した登り窯とかでは、持ち込んだ製品が紛らわしくならないように、窯ジルシをつけてきましたもんねぇ。
エエッ? 幼稚園の上履きにもシルシをつけています?
鏃とか壺では、名前まで記せなかったでしょうから、二とか△程度でしたでしょうがね。
        
この鏃シルシが家紋のはじまりだと言うことになっていますが、中世に出来た公家(くげ)や武家の家紋はデザインの美しさのレベルがちがうようですねぇ。
まあ、この程度のことで、「古代の鏃シルシと家紋には断絶がある」なんて新説を唱えるつもりはありませんが・・・
家紋のはじまりは、平安時代、公家が車で宮中に出入りする際に、牛車を識別するために考案されたといわれています。
武家では、12世紀の源頼朝に始まると。
西洋の紋章学に似たものに「見聞諸家紋」なんて書籍まであったようですよ。
ですが、関ヶ原の戦い後は武具が変わり、旗、幟、馬印がなくなり参勤交代とか江戸城への登城行列だけ使われるようになったとか。
「大名御紋盡(だいみょうごもんづくし)」とか、後世の「武鑑(ぶかん)」であげられている家紋はデザインとしても洗練されてきていますね。
          
元禄以後は威儀を正すというよりも、家紋は装飾として使われるようになったらしい。
持ち物の装飾となると、優美な女性専門の女紋ができ、嫁入りしても実母の女紋をそのまま使い、そのうちにオシャレさんは、自家の紋よりも歌舞伎役者の紋を、髪飾りや装身具につけて楽しむことが流行していました。
ええ、つい最近の江戸時代末期まで。
だから、家紋は威儀を正すというよりも、装飾として、好きなデザインを家の紋にごだわらないで楽しめばいいみたい。それも、複数の紋章をTPOでね。
         
話を元のバロンに対抗する話に戻しますが、この場合は剣の模様が入っている方がいいみたい。
優しいカタバミだけのより、剣カタバミの方が、ヨーロッパ貴族には威力があるみたい。