イソップの宙返り・136
      
カケスとクジャク
カケスは美しいクジャクになりたくて、クジャクの歩き回っているところへいきました。
カケスはクジャクの羽根を拾って尻尾にくくりつけて、喜んでクジャクたちの方へ寄っていきました。
カケスがやって来ると、クジャクたちはすぐに彼が偽物であることに気づき、カケスのところへ駆け寄ってきて、つついて羽根の飾りを抜き取ってしまいました。
すごすごと、カケスは仲間のところへ帰りました。
でも、さっきの様子を見ていたカケス達は言いました。
「美しい羽根をつけただけで、素晴らしい鳥になるわけではないんだよ」
☆     ☆
仲間になれない話といいますと、年金生活者の田舎暮らし。
定年退職後に田舎暮らしをすることが、ハヤリになっているようですが、ほとんどの人は、村の生活とはまったく関係なく別荘地に閉じこもって暮らしているようですねぇ。
イヤー、引退者の田舎暮らしとしては、これが限度だと、ボクは思います。
これだと、年に数回、別荘地生活者も利用する道の草刈り当番に出かけるだけで、すみましょうからね。
まあ、村の人達にすれば、別荘族はお客さんですから、この程度の付き合いで見逃してくれるでしょうしね。
でも、知ったかぶりをして、「どこそこの田舎暮らし」なんて書いてはいけないようですね。
ええ、「チェンマイ田舎暮らし」なんて書いて、タイ王室への不敬罪に問われた人がありましたね。
        
ですから、村の古い藁屋を買って生活するとなると、「お客さん」のつもりではダメでしょうねぇ。
村を見下ろしての、別荘地生活ではなく、ドップリと田舎に漬かって村の一員になって暮らさないとダメでしょうねぇ。
         
ボクのささやかな経験から、どこの田舎でもそうだと、断言するつもりはありませんが、田舎って、都会人がかんがえるほど牧歌的ではないんですよ。
ボクが暮らしてきた神戸は、車で六甲山を越えて30分も走ると、昔ながらの田園地帯なんです。
こんなことから、身近に経験した田舎暮らしの逸話。
        
ある村落の裏山にゴルフ場が計画されまして、その村落には巨額のオカネが入るワ、働き口まで出来るワ、と結構な話が舞い込みました。
その村落は開発ブームに、ホクホク。
ところが、難題が隣の村落から持ち込まれましてね。
計画されたゴルフ場の一部がかかる山奥の小さなため池が、その難問。
このため池を越えてのショート・ホールが計画されていたんですが、隣の村落が、このため池に水利権をもっていると言うんです。
ずいぶん以前から隣の村落の水田には灌漑されていなかったので、ゴルフ場のできる村落の人達は忘れていたんですが、県庁の水利権図面には、書き込みが残っていました。
池越のショート・ホールができても、水が汚れるわけでもなく、それに隣村は、今では水を利用しているわけではないしね。
        
そんなことから、隣村のクレームは、入ってくる地代の分け前にあずろうとする意図が、ありありと見て取れた。
でまあ、寄り合いで「いくら欲しいんや?」と訊いてしまった。
これが隣村の激昂をかってしまいましてね。
こじれにこじれて、血を見る直前まで行ったんですわ。
結局、この立派なゴルフ場には、ため池を避けての、わずか70メートルの貧相なショート・ホールができてしまいました。
            
ボクら都会人は、田舎はノンビリとしていて仲良く暮らしていて、住人も朴訥なお人好し達だと決めてかかっているけど、田舎には水利問題、それに水田、山林の境界争いがたえないんですよ。
        
田舎に藁屋の一軒家をかって住もうとするなら、村の世話役を一手に引き受ける覚悟がいるんですねぇ。
何しろ、高齢化していますから、世話役が不足しています。
そして、水利権問題、境界小競り合いを解決できるほどの見識と労力を厭わない覚悟が必要。
いえいえ、どんな村落にも、こんな小競り合いが、いつもあるとは限りませんでしょうがね。
       
ほんのちょっとだけ、クジャクになろうとする、カケスの「田舎暮らし」では困るンですがね。