イソップの宙返り・116
       
馬とキツネ
野原を馬とキツネが走っていました。
ところが、二匹共に、使われていない古い井戸に落ちてしまいました。
登ろうとしましたが、方法がわかりません。
その時、キツネが馬に言いました。
「災難にあってしまったが、二匹共に、この井戸の中で死んでしまうのは残念だよね。だから、まず私があなたの背中に乗って、井戸から出て、上から馬さんをひきあげましょう」と。
          
馬は、キツネの話が、ウソだと知らないで、「じゃあ、キツネさんが先にあがって下さい」と言いました。
キツネは、うまくだませたと喜んで、馬の背中に乗って井戸の外に逃れて言いました。
「さてさて、お前はバカだなあ。オレが先に上がっても、どうしてキツネの力で馬が引き上げられるか。何時までも井戸の底でいるしかないよ」と。
とうとう、馬は井戸の中で死んでしまいました。
      
寓意・こんな風に、何の思案もしないで、ことをなす者は馬のように、ひとに騙されるものである。
☆     ☆
思考の貧しい、極東の凡俗の考えまするに・・・
まあ、キツネは、だましたのは卑怯だけど、馬だってキツネの背中に乗ったからといって井戸の外へ出られたはずはないですよね?
この話、うかつに孫にすると、「ヂイヂイ。二匹とも井戸の中で死ぬよりも、キツネだけでも、外へ出られたんだから良かったんじゃあない?」なんて反撃されそう。
          
これ、仏教説話になると、馬は「キツネよ、お前だけでも助かってくれ」なんて美談になるんでしょうねぇ。
馬にしたら「キツネだけが助かるよりも、二匹とも井戸の中で死ぬ方がましだ」と考える方が自然な感情なのかもしれない。
        
キツネをうらやましく思う感情って、嫉妬っていいますねぇ。
ええ、ジェラシー(jealousy)とも言いますね。
         
これとは少し別のものとして精神分析では区別されるのかも知れませんが、日常よく聞く話に、人と比べて「勝った、負けた」って言うことば。
人間の生き方っていいますか、価値観にはさまざまあるのに、自分独自の価値観から「勝った、負けた」ってね。
これは、組織のなかだけで生活しているサラリーマンから、よく聞こえてきますねぇ。
           
ボクらみたいな自由業からすると、同期が会社のなかで1年早く課長になったからといって、「勝った、負けた」って有頂天になったり、落ち込んだりするのは、怪訝に感じるけど、そんなものかもしれない。
社宅に住んでいて、女房に「隣のご主人は、あなたと同期なのに課長になりはった」なんて、言われると落ち込むだろうなぁ。
        
アメリカでは、鬱病になったり、なりかけて精神分析医にかかる人がむやみに多いようだけど、激しい競争社会では、「負けた」って、落ち込みやすいのかも知れない。
そう言えば、幼児期には兄弟の間で、親の愛情をひとり占めしようとしますねぇ。
こんな嫉妬の感情は幼児のエディプス期にみられるものでしょうが、兄弟は仲よくしなければならないと教え込まれて、露骨な嫉妬感情は抑えこまれていくのでしょうね。
だから、この自制力が乏しい性格の人ほど、成人しても嫉妬感情に苛まれるように思える。
まあ、自制によって、やっと抑圧される感情だから、宗教とかの社会的要請が有用なのかもしれない。
        
世の中の人々が、「キツネがだました」と非難するより、「馬は背中をかしてキツネだけを助けました」を美談として受け入れる社会のほうが、住みよいように思いますがねぇ。
あなた、どう?