イソップの宙返り・101
        
旅人と薪
旅人達が見晴台にいると、大きな船がやってくるように見えました。
風に運ばれて、近くまでやって来ると大きな船ではなく、ただの薪でした。
旅人達は「俺たちは何でもないものを待ち受けていたのだ」と言いました。
寓意・姿が見えないと恐ろしいと思うが、目の前にみると何でもないことがあるものだ。
☆      ☆
姿が見えないと巨大だと思ってしまうのは人間の通弊ですねぇ。
アメリカの大統領選挙では大統領を直接選ばないで州ごとに選挙人が選ばれ、これが大統領を選ぶ、間接的な回りくどい方法をとっています。
情報が不足していた昔のアメリカでは、候補者の姿が見えませんでしたから、アジテーター(煽動者)を巨大だと思ってしまう人間の通弊を避ける工夫だったようですねぇ。
州ごとの選挙人の人柄、姿は、日頃から選挙民は知っていますから、「あの人が、推薦して選挙人になっているから、大丈夫」って投票したらしい。
          
大統領は巨大な独裁的権力を持ちますから、アジテーター(煽動者)が選ばれてしまうと大変なことになってしまいますからね。
           
例えば、戦争をするとかの危急の場合は、強硬な政策を主張する煽動者が出てくると、それに引きずられてしまいます。
今でも外交政策では、勇ましい強硬意見が調子がいいですから、引きずられてしまう。
            
ここの「イソップの宙返り」で、あんまり深刻な話をするのも何ですから、漂い寄ってきた薪の話をします。
沖から寄せてくる恵みは、一に海藻、二に漂着物。
二の漂着物には、木材があります。
海岸で朝一番に発見した人に所有権があったそうで、今でも地方によっては、この慣習法が残っています。
見つけた木材の上に小石を乗せると、これが所有権主張の表示。
だから、海岸を早朝散歩をしても、流木に乗っている石に触るものではないらしい。
              
ところで、昔は、流木が多かったそうですね。
これは山から木を切りだすのに、川から筏を組んでいたせいらしい。
今は、野猿(やえん)って名前のケーブルに乗せて里へ運びますが、昔は細流に流して大きな川に集め、これを筏に組んで河口まで運びました。
           
大水が出ると、細流に溜まっていた木材とか、筏にするのに溜めていた木材が、大量に海に流されて漂ったそうです。
ですから、良材がとれない海岸地方では、この流木だけで家ができていたそう。
まさに「早起きは三文の得」どころか「家一軒の得」。
          
漂着物と言うと、値打ちのあるのは難破船の積み荷。
これは海の難所に近い浜辺では、海からの恵み。
海の恵みは、海神の恵み。
          
そこで、恵みの積み荷とともに漂着した水死人は、海神にかかわるホトケ。
漂着した水死人は手厚く葬りました。
       
浜辺の神社で、海から漂い寄った仏像が祀られています。
祀られているのは金属製の仏像ですが、重い青銅の仏像が「海から漂い寄った」のはオカシイですが、これは水死人のかわりらしい。
まあ、積み荷に木製の仏像があった場合もなきにしもあらず、でしょうが。
         
民俗学では、水死人が祀られるのは、志半ばで死んだひとの霊魂を鎮める祠だとしますが、恵みの海神の使いと考えられるケースの方が多いらしい。
ええ、民俗学マニアは何でもこじつける傾向がありますが。