イソップの宙返り・94
         
病人と医者
病人が医者から容態を尋ねられ、異常に大汗をかいたと答えると、それはイイ按配だと医者は言いました。
2度目に様子を訊かれて、悪寒がとまらないと答えると、それもイイ按配だと医者は言いました。
3度目やってきて訊くので、下痢になったと答えると、それもまたイイ按配だと医者は言って帰っていきました。
親戚の者が見舞いに来て「カゲンは?」と訊きますので、
「イイ按配のおかげで、もうダメだ」といいましたとサ。
寓意・ひとが苦しんでいるのに、外からしか判断しない隣人によって幸せ者扱いされる。
☆     ☆
極東の凡俗といたしましては・・・
落ち込んでいるときには、道を歩いている人が、みんな幸せで、何の憂いもないように思えますよね。
苦しんでいるのは、自分だけのようにね。
             
昔から言いますよね、「あるようで無いのがカネ、ないようで有るのが悩み」って。
イヤー、これ真実ですよ。
ボクは半生、人の表と裏をみてきましたが、これ真実。
カネがあるように見える人って、ただの浪費家。
これはまず例外はない。
ホント!
         
おカネって不思議なもので、少し貯まると、ひとは質素になるもので、派手な格好とか見せびらかしの浪費はしないものですよ。
これ人情、人間の本能。
         
イエイエ、ここで、質素倹約の美徳を賛美するつもりはありません。
義理欠き、人情欠いてまで、おカネをため込むのが、いつでもイイとも思えませんがね。
楽しい想い出の一つもなく小金を貯めて老後を迎えるのは、どんなものでしょうかね。
どんな人にでも、これがベストと断言できるわけではないでしょうねぇ。
           
でも、老後に小金は持たなければならなくなりましたね。
いえ、葬式代のことではありませんよ。
葬式なんて、子供達がしたければすればいいことであって、本人には何の利害関係もありませんよ。
だって、昔から「あとのマツリ」って言うでしょう?
あれは「死んだあとのマツリ」って言う意味。
葬式なんてなんの役にもたたないって意味。
       
でも、老後に小金の必要性がでてきたのは医療費。
健康保険が3組織ともに大赤字が続いています。
もうこれ以上、老人医療への拠出が出来なくなってきました。
         
このために、今年2002年の10月から老人医療の自己負担金を1割から2割に増額したでしょう。
70歳からの適用が順次75歳に引き上げることにしましたよね。
まあ、老人医療の自己負担金も2割から3割、4割にならざるを得ないでしょうねぇ。
若い人の数は減っていくし、これ以上若者の負担を増すわけにはいかないでしょうね。
で、老後の医療費の半分は自己負担と考えておいたほうがいいらしい。
ええ、一人あたり300万円っていいますね。
            
歳を取ると、外のことには関心がなくなり、くどくどと病気の話ばかりをはじめるでしょう。
年寄りに親切を、と思うけど病気のくどくど話の聞き手を務めるのはシンドイよね。
老人にとっては、病気のくどくど話の聞き合いを見つけられる楽しい(?)社交場は病院の待合室。
まあ、同病相憐れむ、格好の慰安場。
でも、これを目的に病院へ出かけられると、若い人の医療保険の負担が、ますますたいへんなことになっていきますねぇ。
        
こんなことを言うと「ひとが苦しんでいるのに、外からしか判断しないで幸せ者扱いされる」ところもあるけど、こんな格言もあるんですよね。
デカルトの情念論では「幸福でありたいと思うなら、いつでも楽しいことを思っていること」って言っている。
              
これからすると、老後の医療費の心配をあんまりしても、はじまらないか?
それにしても、死んだあとのマツリ代の心配はまったく意味がない。
くどくどと考えるだけでも、デカルトさんの言う幸福の条件に反する。
まあ、気楽にゆこう! 
心配してもはじまらない。