イソップの宙返り・79
        
オオカミと羊
オオカミが羊の群れを狙ったが、犬が邪魔でした。
そこで、策略を考えました。
使者を送って「犬こそが敵対の原因だから、犬を渡してくれると平和が訪れる」と申し入れました。
羊たちは喜んで、犬を引き渡しました。
オオカミどもは、見張りがいなくなった羊の群れを、やすやすと食べてしまいましたとサ。
寓意・國を思う指導者を安易に売り渡すと、いつの間にか國そのものが敵の手に落ちる。
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極東の凡俗といたしましては・・・
こんなところで、憲法9条を論じても始まりませんので、武装放棄の歴史話をはじめます。
        
武装放棄って建前を作ったのは、今度の新憲法が2度目。
794年平安京に都を移した時に、名前を平安としただけではなく、本当に平安、軍備を放棄しました。勿論死刑も廃止。
でも、警察までなくするわけにはいきませんので、皇居の防衛をする近衛府を作りました。
まあ、以前からあった兵部省を改変して。
例によって、日本好みの律令の基本法を改正しないで、律令の外の制度・令外官(りようげのかん)として。
        
律令の外の法制は、奈良時代から始まっていましたが、平安時代初期の807年に本格的になりました。
ですが、この平安時代初期では、1000人ぐらい。それに、その後に作られた上皇の北面の武士の1000人を合わせても2000人ですか。
とても、軍隊ではありませんでして、1950年に作られた警察予備隊よりはるかに小規模。
しかも、平安初期にはまだ、政治的事件の鎮圧をやったこともありますが、しばらくすると、大将は栄誉職になり、隊員も馬芸や楽舞専門家、牛車係の随身(ずいじん)になっていましたから、とても軍隊ではありませんでした。
        
では、軍備はどうなっていたかと言うと、征夷大将軍がしました。
まあ、ボクらが知っているのは、源頼朝からですが、征夷大将軍制度は歴史が古いんですねぇ。
もとは、蝦夷(えぞ)征討のためが始まりらしいですね。
          
8世紀初めの多治比県守(たじひのあがたもり)は歴史で習ったけど、8世紀末の大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)なんてのは知らなかった。
9世紀になっての坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)も知っていますが、あのあと813年の文屋綿麻呂(ぶんやのわたまろ)で蝦夷鎮圧が完了ってことになって征夷大将軍制度は一応廃絶。
300年の間を置いて、木曽義仲が1184年に征夷大将軍に任命されました。
まあ、そのあとは頼朝。
これが伝統となって鎌倉幕府の首長がこれになりましたね。
足利の室町幕府も、江戸幕府もね。
             
それでも、朝廷の律令の正式制度としては武装放棄でしたが、その都度豪族の私兵を軍隊として使ってきたし、征夷大将軍制度も、鎌倉以後は、律令の外の制度として常置の軍隊。
         
ここら辺が、警察予備隊から、いつの間にか自衛隊って名前の常置の軍隊になり、それも世界有数の軍備力のある軍隊になっているのは「歴史は繰り返す」ってやり方。
       
やすやすと、オオカミに食べられてしまうのも困るから、建前は武力放棄にしておいて、征夷大将軍ならぬ自衛隊って名前の軍隊を持つのも賢明な方法なんでしょうが、何やらスッキリしないやり方で、なし崩しに「令外の官」で再軍備するのは、国民性なのかなぁ。
まあ、世の中にはスッキリさせないで、曖昧模糊も有用なこともありますがね。
これ日本人の智恵かもしれない。