イソップの宙返り・77
            
ライオンとロバ
ライオンとロバが仲間になって山羊狩に出かけました。
ロバが穴の中に入って追い出し係りをしました。
ロバは山羊を追い出そうと、大声で嘶きました。
ライオンが狩りとってしまうと、ロバが穴から出てきて、
「みごとに山羊どもを追い出したでしょう?」
と尋ねました。
ライオンが
「本当だ、ロバだと知らなかったら、オレでもおマエを恐れただろう」といいましたとサ。
寓意・実体を知る人の前で、ホラを吹く者は、笑いものにされてしまう。
            ☆     ☆
この話は伊曾保物語にあるそうですから、童話で知っている人もあるとは思いますが。
國の方針についての国論でも、ロバのような大声で嘶く、強硬論ってウケますねぇ。
それで、思い出したのですが、鈴木宗男タタキの時に、鈴木が、4島返還の国論を無視して、2島返還を勝手に唱えていた、って売国奴あつかいしましたね。
         
鈴木宗男が利権魔だって云う以上に、あの2島返還の売国奴には、みんなの憎悪が集中しましたねぇ。
でも、2島返還か、4島返還かは国論で統一的な結論がついていたのかなぁ、って不審になって、少し調べてみました。
            
二島返還論って、北方領土の四島のうち歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)の二島返還を優先させる方式のことですねぇ。
ボクのパソコンに組み込んであるスーパー・ジャポニカ事典で引くとこんな風に書いてある。
             
二島返還優先方式は、1950年代から日本が国が唱えてきた基本的方針だと言うんですよ。
             
二島返還優先方式の考えは、1956年の「日ソ共同宣言」で明記されているとか。
60年になると、当時のソ連は、これに返事をしてきましたが、無条件にではなく、日本領土からの全外国軍隊の撤退と平和条約の締結を二島返還の条件とするとの対日覚書を示したんだそうです。
これは米軍が駐留する日本としては、不可能な条件。
           
1973年の田中・ブレジネフ会談で日ソ間の未解決の問題に四島の問題を含めることが認められたが、その後ソ連は、「領土問題は解決済み」と高飛車な態度をとり続けて来たことはボクらも知っている状況。
            
ゴルバチョフ政権誕生により、ふたたび二島返還論が主張されるようになり、日本でも活発な議論がおこりました。
ソ連はこの二島返還論問題自体が存在しないと言うし、日本は1956年の日ソ共同宣言にもとづいて二島返還を優先し、国後・択捉は継続協議にしようと主張して、対立して来たんだそうですねぇ。
            
1992年のソ連崩壊後は、ロシアが交渉相手となっても、ロシアの態度は変わりませんでした。
まあ、「領土棚上げ論」とか、「五段階案」など、いろいろな見解が出てきて、1998年には、橋本龍太郎首相がエリツィン・ロシア大統領との会談のなかで、二島返還にかわる「国境線画定方式」を提案したりしました。
まあ、ロシア国内はあんな情勢ですから、その後は話し合いは進展していませんが。
              
そうなると、もし二島返還の考えが国賊だとすると、1956年の「日ソ共同宣言」が国論を無視した売国奴ってことになりますよね。
二島返還は何も、鈴木宗男だけが言い出したものでもないらしい。
宗男タタキをしたマスコミって、なんぼなんでも、日ソ共同宣言も知らないで、二島返還方式が、かっての国論だと知らなかったはずはないはずでしょう。
            
利権魔の鈴木を擁護するつもりはないけれど、水に落ちた負け犬に、石を投げるに事欠いて、かっての二島返還の国論に頬被りして、安全な高みから、礫を投げつけるのは「いかがなものかと」思うんですがね。
         
まあ、ロバのように大声で嘶くのは、正義ヅラとしては面白いけどね。