イソップの宙返り・64
         
ウサギと蛙
ウサギ達が、我が身の臆病なのに愛想をつかして、身投げすることにしました。
池の側の崖に集まったところ、足音を聞いた蛙が池の底へ一目散に逃げました。
これを見た、ウサギ達は、
「もう、身投げはやめよう。わたし達より臆病なヤツがいたんだから」
といいましたとサ。
寓意・他人の災いが、自分の不幸せの慰めになる。
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極東の凡俗といたしましては・・・
日露戦争での話に、戦艦三笠の艦上で、砲弾が炸裂して、隣りに立っていた親友が被弾したときに、咄嗟に「ああ、オレでなくてよかった」なんて思った、とかの想い出を読んだ記憶があります。
話し手は、自分が特に下劣な人間だと、卑下した告白でもあったんでしょうが、人間って、そんなものかも知れない、って寓話でした。
         
「ひとの不幸は鴨の味」って、エゲツナイ諺がありますねぇ。
鴨の味ってのは、オイシイの別表現。
こんな人間感情を考えてのことでしょうが、昔から自慢話は不徳ってことになってきました。
不幸は鴨の味だけど、幸運は反対に、ひとに不快な感情を呼び起こすからかもしれない。
        
高校野球で、ガッツポーズをするのは品がないと、たしなめた記事を読んだことがありますが、あれには「昔はそんなことはしなかった」って言っていた。
でも、サッカーでゴールした選手が、喜びを全身で表現しますよね。
あれ、見ているほうも、嬉しくなってしまう。
でも、贔屓チームの敵の場合は、どうなんだろうなぁ。
          
あれからすると、自慢話は不徳ってのも、変わったんではないかなぁ。
ボクは、ひとの自慢話を聞くのは、昔から好き。
よく「あんな自慢シイの話を、よくきくなぁ?」なんて、あきれられることが多かったけど、聞くのが好きなんですよ。
まあ、話半分としても、聞くだに心愉しくなってくる。
         
これと反対に、メチャクチャに謙遜な人って苦手。
ある人に、娘さんの結婚相手の婿さんが、ほんとうに良い男なので、「ええ、男やなぁ」って誉めたら、陰気な顔を、さらに無理に造って、メチャクチャに謙遜するんですねぇ。
でも、謙遜もほどほどにしないと、はたで聞いていた人が「よそから見ると、ええ婿のように見えるけど、いろいろ不満もあるんやなぁ」ってよそで言っていたもんねぇ。
          
あれ、よそから耳に入ったら、本人は傷つくだろうなぁ。
せっかく婿さんを誉めているんだから、率直にガッツポーズして「そーやねん!」なんて、言ってほしいよ。
満塁サヨナラ・ホームランを打って、嬉しそうなポーズもしないで、陰気な顔して「これが、オレには普通なんや」なんて姿で、走るヤツって、イヤミじゃあない?
      
でも、率直な感情表現もいいけど、ひとの不幸を聞いて、鴨食ったような嬉しそうな顔するヤツがいるけど、あれはイヤだねぇ。