イソップの宙返り・56
       
胃袋と足
胃袋と足が、どちらが役にたつかで、言い争いをしました。
足は「自分の方がずっと強い。腹なんかそっくり運べる」って自慢しました。
胃袋は「わたしが栄養を補給してあげなかったら、一歩も歩けないよ」って答えましたとサ。
寓意・軍隊でも、将軍に良策がなければ、大軍勢も無に等しい。
           ☆     ☆   
この話は昔の伊曾保物語もあるそうで、ボクも童話で読んだような気がします。
      
そこで、極東の凡俗が考えまするに・・・
補給なしの軍事作戦は、先の太平洋戦争での日本軍の得意戦略でした。
インパール作戦なんて、その最たるものですよね。
ただただ飢え死にする作戦。
       
まあ、先の戦争論は時間は経ったのに、分析が十分にはできていないから、あまり論じたくないし、それにボクは論じるほど、研究もしていませんので、万葉の防人の話に逃げますが、あの防人徴発はひどいんですねぇ。
何しろ、食料は自給。
自給って、言葉は簡単だけど、補給作戦は無し、ってこと。
          
ボクの親しい先輩に、楽しい人がありましてね。
南海の孤島で守備隊になりました。
(島の名前を、挙げると、親しい中では「アア、彼か!」ってわかるので、伏せさせていただきます。)
            
彼は、学徒動員の少尉になりまして、玉砕した島にいましたが、彼の小隊はほぼ全員生きて帰ってきたんです。
どうしたのかと言いますと、彼は今でも愉快で、エエカゲンな人でしてね。
「作戦基地を造れ」って命令を無視して、カボチャ畠を作りました。
畠を作るには、密林を開くわけ。
上空から目立ちますから、作戦命令違反。
        
上官視察用に、それらしい塹壕を作ったけど、主力は少し離れたところにある、畠に集中。その島では、他の兵隊さんは、ほとんどが飢えで戦死。
彼の小隊だけは、カボチャ腹で生き延びた。
で、敵が上陸して来ると、すぐ降伏。
これで、彼の小隊は全員生きて帰ってきたと言う。
         
この話は、親しい者たちでは有名な話でしてね。
生きて帰ってこられた、当時の部下たちから話を聞いて、本人にただすと、
「そんなもん、弾無し、喰うもん無しで、何で戦えるねん?」
って平然としている。
まあ、「足より胃袋」って、当たり前の話ですけどね。
            
でも、当時の精神至上論の世の中では、エエカゲンな人だったんでしょうねぇ。
バレると銃殺モンだった、そうだけど、玉砕寸前のドサクサだったから、どーってことなかったらしい。
ね? 楽しく、素敵な人でしょう?
        
でもねぇ、「そんなもん、ゼニ無し、アタマ無しで、いつまで戦えるねん?」
なんて、星野監督 言わないでね!
「今年こそ優勝」って、冥土の土産を期待しているんだから。