イソップの宙返り・26
       
弁論家デマデス
弁論家デマデスがアテナイで演説をしていたが、聴衆が身を入れてきいてくれないので、イソップの寓話をはじめました。
「デメテル女神とツバメと鰻が道連れになって、川のほとりにやってきた。ツバメは空へ飛び上がり、鰻は水に潜った」
と、いったまま、デマデスが次を言わないで黙り込んだので、
皆が「デメテルはどうなったんだ?」と尋ねました。
答えて言うには「デメテルはおまえ達に腹を立てていなさるのだ。国の問題をほったらかして、イソップの寓話なんぞを聞きたがるからのう」
寓意・このように、しなければならないことを等閑にして快楽を選ぶのは、考えのたりない人のすることである。
            
これ、ボクが勝手に作った話ではないんですよ。イソップのオリジナル。
それにしても、嫌みな寓話。
       
極東の凡俗が考えまするに・・・
グット詰まって、二の句が継げないので、弁論家の悪口でもはじめますか。
         
弁論術って、ボクラには詭弁の一種のように思えますね。
話術って大事な技術だと思います。思いますが、なかなか磨く機会がないですねぇ。
むかし、徳川夢声って漫談師がいまして、ラジオで聞いたのですが、5分間まったく意味のないことを喋ってみせたんですわ。
はじめから、「意味のないことを喋るぞ」って予告してね。
      
ところが、なんと最後まで引き込まれましたね。
引き込まれたのはボクだけではなかったらしく、暫くこの話題で持ちきりましたから。
        
最近、日本人は話が下手になった、って言われますね。
教育テレビに出てくる大学の先生なんて、ウンザリする話し方の人がおおいですよね。
聞かされる、学生に同情するような人がね。
と言うボクも下手なんですよ。
      
こんなエッセイをべたべた書いていることもあり、よくスピーチをさせてもらえる機会があるんですが、我ながら下手だと思う。
昨日も、30分間スピーチをしましてね。
年配の聴衆だとはわかっていたのですが、どの程度の聞き手か、はじめに反応をみるんですね。
これ、話し手の思案のうち。
で、はじめの「ふり(前咄)」に、皆が知っているはずのアホ咄を、ちょこっとしましてね。
「旦那が小僧に、『あそこに立っているのは、何だ?』『へーい(塀)』」ってヤツ。
       
何と、60人いる聞き手は、誰も反応なし。シーン。
あわてましたね。
スピーチするんですから、3種くらいのレベルの話を用意しているんですが、この「シーン」には焦った。
発音か、間の取り方がわるかったのか、咄嗟にはわからなかったんです。
焦って、下世話に、犬が狂牛病に罹らないって、「犬鍋」って言うと一人だけは、笑ってくれましたがね。
焦ったまま、最後まで行っちゃった。
でも、不思議なことに、すぐ次回の予約までくれたんですから、不評でもなかったみたい。
        
それにしても、教育テレビの教授を嘲えない。
       
皆が、話が下手になったのは、本を読むのに声を出さないで、黙読するのが原因ではない?
詩歌を読むのまで、黙読になっているでしょう。
あなた、どうしています?
万葉、古今なんて、黙読すると、陶然とすることはないですねぇ。
そう思って、音読をはじめるんですが、気が付くと黙読にかえってしまっています。
せめて、詩歌だけでも、音読をしたいもの。