イソップの宙返り・24
   
農夫と運の女神
農夫が土地を耕していて、金をみつけました。
これは大地の神の恵みだと思い、大地の神に毎日花を供えました。
そうしていると、運の女神が枕元にたって言いました。
「私が授けたのに、どうして大地の女神の御利益にするのだ。そんなことをすると、お金を遣ってしまった時には、運の女神がとがめるであろう」
寓意・本当の恩人を見極めて、恩返しをしなければならない。
         
極東の凡俗が考えまするに・・・
人間、一生のうちには色んな人の恩をうけますね。
とりわけ、若いうちに出会った友人って、恩を感じないできて、「ああ、あの時のアイツの率直な苦言とかが、今の自分をつくっているのかなぁ」なんて感じることがあります。
        
陶芸家の楠部弥弌さんが晩年になって、思い出話を書いておられまして。
20才過ぎに6人の仲間と赤土社っていう結社をつくり、新しい陶芸を志したそうです。
作品のことを、仲間内では「おまえのはなっとらん」なんて言うものだから、つかみ合いになって庭に転げ落ちたことまであったそう。
そのあと、民芸運動の柳宗悦にであい、共鳴したこともあったようです。
でも、民芸は「巧まざる美しさ」ですから、これを巧んで作ったのでは、おかしいとなって民芸運動とは別れることになったようですが、それでも、貴重な出会いだったよう。
        
教えられた人、反面教師になった人、色んな人との出会いで、進歩するものですよね。
もちろん、直接出会わないでも本を読んで、私淑して影響をうけるとかもありますね。
      
ボクは「昨日までの自分がバカに見える」タイプの性格でしてね。
ですから、高校までの同窓会に出かけるのは苦手なんです。
高校の同窓生って、自分がぜんぜん進歩しないから、ひとまで50年前のままだと思いこんでいるヤツとか、人を社会的地位とか、評価でしか見ないのとかが多いんですね。
       
さすが、大学の同窓会に行くと、人は「三日見ぬ間の桜かな」を知っていて、ありの侭にみてくれますがね。
大使まで勤めたのとかは、人を社会的地位とか、評価でしか見ないってこともありませんしねぇ。
         
ボクは色んな人の恩になりましたが、まあ、とりわけ運の良かった人生だったと思っていますが、今の生きかたに直接影響の大きかった友人を挙げるとすると、こんな友人がいます。
一人は、5年前に弁護士を引退して、ネパール語の字引を作ったのがいるんです。
私費出版で500部だけつくりましてね。
どう思ったのか、ボクにまでくれました。
ボクは無学でして、ネパール語ってどっちから読むのかもわからないですもんね。
ネコに小判。
       
息子の友人が、ネパール語をやっている、って聞いたので、あげたんです。
そしたら、同じ字引を持っているの。
聞くと、海賊版なんですね。
くれた著者に訊くと、「そうなのよ、1万部ぐらい海賊版がでているんだよ」
って言うから、「けしからん」とでも言うのかと思っていると、「あんなのでは、恥ずかしいから」って。
いま、もっといい字引を作るって、ネパールの大学に行っているけどね。
(先日紀伊国屋で第5版を作りました。見違えるほど立派なのになっています。)
        
ああ、あんな風な生き方もあるんだなぁ、って今思っています。
他にも沢山のいい友人を持てたことは運の女神の恩ですねぇ。