イソップの宙返り・4
       
井戸の中のキツネと山羊
キツネが井戸にはまり、上れなくなっていました。
そこへ、喉の渇いた山羊がやってきました。
キツネは「ここの水は旨いよ」って山羊を誘いました。
喉の渇いて死にそうになっていた山羊は飛び降りて、水を飲みましたが、登り方がわかりません。
キツネが言うには「山羊くん、その前足と角を壁にもたせかけてくれば、君の背中を駆け上がって、君を引っ張りあげよう」
ところが、
上に跳び上がったキツネは、山羊を放っていきがけに、こう言いました。
「おまえに顎の鬚ほどの思慮があれば、登り方を考えられるまでは、下りてこなかっただろうに」
寓意・思慮ある人は結果を考えずに行動することはない。
       
極東の凡俗が考えまするに・・・
「銀行よ、おまえに山羊の鬚ほどの思慮があれば、回収の方法を考えられるまでは、貸さなかっただろうに」
だれでも、バブル時のことを連想しますね。
これ以上付け加えることもなさそう・・・
        
「石橋を叩いて渡る」って諺があります。
でも、人生には「清水の舞台から飛び降りる」決断が必要な時がありますよね。
結果ばかりを思い患っては、何にもできない。
「寝ていて転んだためしなし」とも言います。
これほど変転常ならぬ時代では、思慮ある賢人でも、結果の予測は困難ですね。
「これはイケル」なんて、勤務中の研究を持って脱サラしても、事業を立ち上げた時には、もう時代遅れになっていた、なんて悲劇がありますしね。
なにしろ、コンビニの商品は6ヶ月で半数が入れ替わる時代ですからね。
脱サラもむつかしい。
          
ライオンを見た狐
ライオンを見たことがなかった狐が、ばったり出会いました。
腰が抜けるほど驚きましたが、次に出会った時には、怖かったものの、初めての時ほどではありませんでした。
3回目に見たときには近寄って話しかけるほど慣れていました。
寓意・慣れは恐怖をも和らげる。
        
極東の凡俗が考えまするに・・・
アンネの日記を読みますと、「なんて、気強い女の子だろう!」って思いましたが、あの恐怖の中で、彼女は短い思春期をすごしていたんですね。
初恋の想いもね。
パキスタンに逃げてくる難民をテレビで見ると、たくさんのアンネ嬢がいます。
あの恐怖の中で、けなげに思春期を過ごすのかと思うと、「慣れは恐怖をも和らげる」と言いますが暗澹たる思いがしますね。
何にしろ、内戦は悲劇。
日本の政治は3流だと言うけれど、歴史のどんな時点でも、政治に1流なんてなかった。
内戦をやっていないだけで、日本の政治は2流ぐらいには評価できるのでは?
甘いかな?