魂を貪るもの
其の結 あなたに幸あれ

 ――翌日。
 太陽は昇った。
 暗雲に包まれていたのが嘘のような青い空から、陽光が万物を照らしている。
 神代ちとせと八神悠樹は、猫ヶ崎高校に登校した。
 ラーンとシルビアに襲撃された日以来の登校だったが、『魔界』浮上の影響で猫ヶ崎を襲っていた地殻変動の騒動の影に隠れた形となり、二人が姿を見せなかった理由を深く追求されることはなかった。
 二人は、クラスメイトや部活の仲間の無事を確認し、手を取り合って、あるいは抱き合って、あるいは笑顔を向け合った。
 以前の猫ヶ崎市全体に『ユグドラシル』が蔓延った『猫ヶ崎隔離事件』で、猫ヶ崎高校も非常事態に慣れてしまったのか、この日だけが半休で、以後は休校になることはないという発表がされた時だけは、ちとせと悠樹も含めて生徒たちは不満そうな顔をしていた。
 真冬は学校を休んだ。
 愛弟子であるシルビア・スカジィルとラーン・エギルセルの二人と、ゆっくりと過ごすためだ。
 今朝、シルビアとラーンが、ちとせたちに言ったのだ。
 旅に出る、と。
 もちろん、『魔界』浮上阻止を祝しての慰安旅行というわけではない。
 彼女たちは、『ヴィーグリーズ』の元幹部として、総帥や上級幹部たちの多くを失って混乱の渦中にあるだろう組織の動揺を収めるつもりなのだと語った。
 ちとせは初め、二人を止めようとした。
 シルビアもラーンも元幹部とはいえ、今は裏切り者だ。
 『ヴィーグリーズ』と接触すれば、どのような困難が待ち受けているかもわからない。
 だが、「元幹部としての責任からも、『ヴィーグリーズ』の混乱を放っておくことはできない」と、真摯な瞳でいう二人を前にしては、ちとせも引き下がらざるを得なかった。
 真冬は愛弟子に同行せずに、この猫ヶ崎に残ることになった。
 再会した師弟が再び離れ離れになるわけだが、シルビアとラーンと、そして、真冬が、一晩中話し合って決めた結論であるらしかった。
 シルビアたちがちとせたちに決意を告げている間、真冬は寂しそうな、それでいて、少し嬉しそうな顔をしていた。
 ちとせたちは真冬が無事であるということだけを学校の関係者に伝えた。
 真冬の同僚の教師たちも、教え子である生徒たちも、彼女が無事だということを聞いて表情を明るくさせた。
 ちとせたちは当然のように質問責めにあったが、真冬も地殻変動の騒動に巻き込まれて不都合が生じたために学校に来られないらしいということで押し通した。
 実際に地殻変動の原因である『魔界』の浮上を阻止するために『レーヴァテイン』を破壊しようと行動していたのだから、嘘は吐いていない。
 そして、ちとせと悠樹は学校が終わると、今回の事件をものともしないタフな友人たちの遊びの誘いを断り、急いで帰宅した。

「アレだけの、魔王さえも倒した戦いの後で、日常のリズムに簡単に戻れる図太さには、驚きだぜ」
 神代神社の境内で、シルビアが呆れたような表情を浮かべながら、ちとせと悠樹に言った。
 シルビアの隣にはラーン、ちとせの周りには、真冬、悠樹、そして、鈴音とロックの姿もあった。
「ノンノン、ボクは女子高生を満喫してるからね。インターハイもあるし」
 ――まったく、この神代ちとせは、どういう精神構造をしているのか。
 シルビアは理解できないと思いながらも、羨ましくも思った。
 ちとせが猫のような大きな瞳を向けてくる。
「シルビアも、うちの高校に編入してみたら?」
「お断りさ。アタシはキョウカショのベンキョーは大嫌いでね」
 シルビアは、ちとせのようには生きられない自分を知っている。
 真冬ことシンマラという師に出会って、彼女から多くのことを学んだが、それでも、『ヴィーグリーズ』という組織の戦闘幹部として、闇の中で生きてきたのだ。
 今さら、日本の社会に馴染むことなどできない。
「ソレに」
 ちとせの目を正面から見返して、シルビアは続けた。
「言ったハズだろ。他にヤることがアルってな」
「……やっぱり、どうしても行っちゃうんだね、二人とも」
「ええ」
 残念そうな顔を隠そうともしないちとせへ、長い青い髪を風に揺らしつつ、ラーンが静かに頷き、今朝語ったことを繰り返すように話し始めた。
「今朝も言いましたが、今回の件で、総帥のランディさまをはじめとして、筆頭幹部だったシギュンさまも、総帥秘書として権力を持っていたミリア・レインバックも、組織の思想にもっとも忠実だったファーブニル老も亡くなってしまいました。今、『ヴィーグリーズ』は混乱状態にあるでしょう」
 この短期間で、『ヴィーグリーズ』は、組織の行動方針そのものであった総帥ランディ・ウェルザーズという支柱と多くの幹部級の人材を失ってしまった。
 戦闘幹部の一人であるジークも『ナグルファル』での鈴音との戦いの後で生死不明となっており、同じく戦闘幹部であったシルビアとラーンは事実上組織を裏切ってしまっている。
 先の『ユグドラシル』を廻る戦いでも、幹部の一人であったヘルセフィアス・ニーブルヘイムは反逆した末に粛清され、知恵ある世界蛇ヨルムンガンドもちとせたちによって倒されている。
 これほど人材を失った巨大な組織が、機能不全に陥らないはずがないのだ。
「『ヴィーグリーズ』は全世界に拠点を持ち、闇の部分から社会へ大きな影響力を行使してきました。『ヴィーグリーズ』の混乱が続けば、表社会にも深刻な歪みが出てしまうでしょう。私とお嬢は、『ヴィーグリーズ』を裏切りました。しかし、生き残った元幹部として混乱を収める責任があるように思えるのです。それに……」
 そこまで真剣な表情で話をしていたラーンが、目の上で一直線に切り揃えた厚い前髪の下から、チラッと上目遣いでちとせの顔を見て、目を伏せる。
「私たちは、あなたたちとともに守ったこの世界を混迷に向かわせたくないのです」
 そう言ったラーンの頬には微かに朱が差していた。
 その隣のシルビアも気恥ずかしそうに、そっぽを向いている。
「神代ちとせ、オマエたちが、平和に、お気楽に、いつもの調子で、日常生活を満喫してくれることが、アタシたちの原動力になるんだ。だから、この旅はアタシたちだけで行くのさ」
 元幹部としての『ヴィーグリーズ』の混乱を収める責任があると、彼女たちは言った。
 もちろん、それも真実だろう。
 だが、シルビアとラーンの決意の根本には、ちとせたちと力を合わせて守った世界を大切にしたいという想いがあった。
 世界の覇権を握ろうとする、あるいは握った人間の中には、彼女たちの想いを青く幼いと笑うものがいるかもしれない。
 それでも、彼女たちにはとても大事な想いだった。
 そして、だからこそ、ちとせたちには、『ヴィーグリーズ』の混乱を収拾する旅への協力を求めなかった。
 ちとせたちを巻き込まないことこそが、シルビアとラーンの望みであり、大きな力の源となるのだから。
「シルビア、ラーン」
 真冬が逡巡するような素振りを見せた後、愛弟子二人に向かい合うように進み出る。
「キミたちにすべての後始末を押し付けてしまうようで、心苦しいな。やはり、私も一緒に……」
「シンマラ、気持ちは嬉しいけど、それはダメだ」
「今、あなたが受け持っている生徒たちを置いていくことは、許しませんよ」
 真冬の同行の申し出に、シルビアとラーンは一瞬のためらいもなく首を横へ振った。
 二人が真冬の同行を拒否した理由。
 それは、真冬が猫ヶ崎高校で現在担当している生徒たちに、かつて自分たちが味わった恩師に置いていかれるという辛い経験をしてもらいたくないという強い想いからだった。
 そして、『レーヴァテイン』を封印するという止むに止まれぬ事情があったにせよ、自分たちを裏切ったという罪の意識に苛まれている真冬が、自分たちを気づかうあまりに同じ過ちを繰り返してしまうという負のスパイラルに陥って欲しくないという気づかいもあった。
「……そうだな。その通りだ。私は、もう生徒たちを置いていくことは、しない。約束するよ」
 愛弟子の心遣いに万感の想いを込めて、真冬は固く約束した。

「シルビアさん、ラーンさん」
 声をかける機を覗っていた葵とロックが進み出てきた。
「オレたちには、キミたちのためにできることがこれくらいしか思いつかなくてね」
 葵は、勾玉をネックレスにしたものを、ロックは洋菓子の入った箱を、シルビアたちに手渡した。
「治癒術を込めた勾玉です。いざという時には役に立つはずです」
「オレのは、うちの店でも女の子に人気のあるケーキです。生菓子ですから、早めに食べてください」
「世話になったな」
「ありがとうございます」
 礼を言うシルビアとラーンに、葵とロックは声を合わせて言った。
「困難な状況や過酷な戦いが続いたとしても」
「女の子であることは忘れずに」
 思いもかけない不意打ちに、シルビアとラーンが同時に目を丸くした。
 そして、一瞬泣きそうな顔になり、それから表情を微笑みに変えて頭を下げ、もう一度礼を述べた。
「シルビア」
「ラーン」
 鈴音がシルビアに、悠樹がラーンにそれぞれ声をかける。
「シルビア、あまりツンツンすんなよ。それから、しっかり、ラーンを守ってやれよ。たまには、やさしさに甘えてもイイけどよ」
「ラーン、くれぐれも一人で無理はしないこと。シルビアは強いから頼ることも忘れずに、ね」
 シルビアもラーンもお互いに相手を想い過ぎて、お互いに相手の負担になることを恐れてしまうけれど、何もかもを一人で抱え込まず、二人でお互いの弱いところを補完し合えば苦しみは半分になる。
 鈴音と悠樹が言いたいことは、そういうことなのだろう。
 自分たちの性格を見抜いたような手向けの言葉に、シルビアとラーンは苦笑しながら、感謝した。
「……そろそろ立ちます。あまり別れの時間が長いと名残惜しくなってしまいますから」
 二人は、ちとせと真冬に向き直った。
「神代ちとせ、師を頼みます」
「シンマラはロマンチストだからな。しっかり、面倒見てやってくれ」
「まるで、キミたちの方が私の師のような言い様だな」
 目頭が熱くなるのをぎりぎりで押しとどめ、真冬は笑った。
 シルビアも笑う。
 ラーンも笑った。
「シルビア、ラーン」
 真冬が二人を抱き締めた。
「シンマラ、元気でな」
「師よ、お元気で」
 抱擁から離れたシルビアとラーンは目を潤ませていた。
 真冬が耐えきれずに目尻に溢れ出てきた雫を拭う。
「二人も元気でな。そして、元気な姿のまま戻ってきなさい。キミたちならやり遂げることができる」
 シルビアとラーンが、恩師に頭を下げる。
 顔を上げた二人に、ちとせが右腕の親指を立てていた。
あなたたちに幸あれ(グッド・ラック)
 ちとせだけではなく、真冬も、悠樹も、鈴音も、葵も、ロックも、笑顔を浮かべていた。
 二人ももう一度笑顔を浮かべ、びしっと右手の親指を立てた。
 そして、赤と青の髪を翻した。
 颯爽とした足取りで、神代神社の境内を去っていく。
 振り返らずに、神社の鳥居を潜り抜ける。
 やがて、石段を下っていく背が見えなくなった。
 ちとせはシルビアとラーンの姿が消えても、しばらく鳥居の向こうを見つめていた。
 シルビアとラーンの戦いに手を貸すことはできない。
 それが、彼女たちの望んだ道だから。
 ただ、ちとせは、いや、この場の全員は、彼女たちが戦い続けていることは決して忘れることはない。
 ちとせは視線を晴れ渡っている青い空へと向けた。
 燦々と太陽が輝いている。
 シルビアとラーンの上にも、この暖かな陽光は降り注いでいるだろう。
 そう、いくら遠くに離れようとも、同じ空の下。
 陽光とともに想いは届くはずだ。
 絆は繋がっている。


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「魂を貪るもの」
制作:「あなたに幸あれ☆」
作者:ほまれ
第二部完結 2011年08月28日


「魂を貪るもの」本編第二部完結です。
一部完結後、充電期間を経て始めた二部でしたが無事に終了しました。
第一部は、鈴音さんの宿命の対決がメインでしたが、第二部では第一部で片付かなかった『ヴィーグリーズ』との決着がメインとなりました。
「其の序」と「其の結」の構成は第一部とほぼ同じ、「暗い雰囲気」から「ハッピーエンド」という流れですね。ここは基本。
最終話が、サイト名なのは、第一部の時は狙ってませんでしたが、今回は狙いました(笑)

さて、第二部ですが、やはり、ちとせは書くのが面白いキャラ。何でもズバズバ言いますし、ほとんど悩まないキャラですからね。
もう彼女との付き合いも十年以上になりますから、「ああ言えば、こう言う」というのは、さっと思いつきます。合いの手の悠樹も同じですね。

さて、第二部の新キャラ、豊玉真冬(シンマラ)、シルビア、ラーンの三人ですが、この中で一番書いているうちに好きになったのは、ラーン。
初めはシルビアのお守役として考えていたんですけど、「自分自身の影の部分と向き合う」というおいしい展開を経て、すっかり書いていて楽しいキャラになりました。
シルビアはいわゆる極端な性格のヤンデレだったわけですが、だんだん柔らかくなって、ツンデレくらいになりました。この娘はこの娘で、ツッコミ役として活用できるんですけど、少し鈴音さんと被るのが難。
真冬先生は、このパーティーでは「唯一の大人」なのですが、「過去の過ちから逃げた」「逃げた過ちと向き合う」という難しい人でした。最初はただの素直クールだったのに(笑)
師弟関係は書いていて大変でした(拗れていたので)。
ラストで、シルビアとラーンが旅立ちますが、まあ、彼女たちが、日本社会でハッピーに暮らすというのは、ちとせや真冬先生が一緒にいるとしても無理でしょうねという気がしたので。
シルビアもラーンもその手を血に染め、政変や暗殺事件にもかかわっている『ヴィーグリーズ』の戦闘幹部ですし、根がまじめなので。
ファーブニル老人との誓いもありますしね。
彼女たちの今後の話も構想はありますが、まあ、今は一休みしたいので。

シギュン・グラム、ミリア・レインバック、ランディ・ウェルザーズには、彼らなりの最期を迎えさせることができたと思っています。
シギュンは、ちとせに負けていますが、勝ち逃げみたいなもの。ランディとの戦いでフェンリルが参戦というのも、開始当初から考えていたところなので、力が入りましたね。
ここは、「単純に力を貸す」ではないところに、こだわりました。ちとせが、フェンリルのチカラに喰われる可能性もあったと(笑)
それほどのキャラですね、シギュン・グラムは。
ミリアも何気に強かったわけですが、彼女は戦闘タイプではなく、知能派ですので、悠樹が相手に。彼女の最期も気に入ってますよ、某機動戦士の「壺の人」みたいですが。
この悠樹・ミリア戦は、自分で書いた中でも屈指の戦闘場面だと思ってます。たぶん、最終決戦よりも力が入っていたかも。ちとせ・シギュン戦はもっと力入ってたけど(笑)
ランディ・ウェルザーズは、ラスボス。ラスボスなので難しいことは何もなかったんですね。ただ、ちとせが言ったことが、作者の言いたいことだと思っていただければ。

なにはともあれ、第二部も無事完結しました。
すべて、この小説やサイト、ネット等で知り合った皆様のおかげです。
皆様に幸あらんことを。
作者:ほまれ