魂を貪るもの外伝
疾 風 迅 雷
第四伝 ≪消滅者(バニッシャー)



「ルビー……ルビィィィィィィィ!」
 おれは冷たく動かなくなったルビーを抱き、夢中で泣き叫んだ
「ルビー……ルビー……」
 ルビーを右腕だけで抱きかかえ、ふらつく足で立ち上がって部屋まで戻った。
 左腕を失い、脇腹を撃たれたのだから、出血がひどかったのは言うまでもないが、なぜか意識ははっきりとしていた。
「こ、これは……!」
 部屋にはきれいな飾り付けがしてあり、テーブルの上にはあたたかな料理が並んでいた。
 きっと、ルビーが作った料理だろう。
 悲しみが心の奥底から湧き上がってきた。
 ルビーを椅子に座らせる。
 彼女は命を失っても尚、美しかったが、あたたかく輝いていたやわらかさは失せてしまっていた。
 ふと。
 それが、目に入った。
 料理の前に置いてある手紙に――。

 ――親愛なる迅雷くんへ。

 美しい日本語で、そう書かれているのが見えた。

 おれは震えながら、手紙を手に取った――。

 ――誕生日プレゼントありがとう。
 とても嬉しかったよ。
 この料理は、私からくんへのお返しです。
 ちょっと失敗しちゃったのもあるけど、許してね。
 迅雷くん。
 大好きだよ。
 ずっと。
 ずっと一緒に暮らそうね――。

 ――その手紙を読み終わった時、手紙はすでに涙で濡れきっていた。

 ルビーの想いを考えると、いてもたってもいられなくなった。
 椅子に座らせたルビーの髪をかきあげ、彼女の額に口づけをした。
 ルビー、一緒に生きられなくて、ごめんな。

 その時だった。
 ルビーの遺体が、淡い光を帯び出したのは。
「ルビー?」
 淡い光は、おれを包み込んだ。
 あたたかい。
 とても、あたたかい光だった。
 脇腹の出血が止まった。
 そして、失った左腕の切り口に光が集まっていく。
「左腕が……」
 光の粒子が集まり、みるみるうちに腕の形を成していった。
 二の腕ができあがり、手首が生まれ、五本の指も形作られた。
 光が消えた時には、信じられないことに、おれの左腕は完全に再生していた。
 いや、新生したというべきか。
 なぜなら、左腕に、ルビーの気配を感じることができたからだ。
「ルビー、ありがとう。一緒に、一緒に、生きよう」
 おれは新生した左腕に話しかけながら、手首に真紅の宝石のネックレスを巻きつけた。
 そして、生きる決意と、もう一つ別の決意を固め、ゆっくりと歩き出すと、組織の幹部連合室に向かった。

「ん? 迅雷、どうした……?」
「首領に呼び出されたんじゃなかったのか?」
 幹部どもは、おれがゲラルを殺したことをまだ知らない様子だった。
 ……呑気なヤツラだ。
「じ、迅雷どうした?」「おまえ、少しおかしくないか?」
「な、何があったんだ……?」
 反応の薄いおれの態度から、幹部たちはようやく不審に思いだしたようだった。
 だが、もう遅い。
「滅」
 一言呟く。
 左腕から奇妙な力が解放されるのを感じた。
 一瞬。
 そう、一瞬だった。
 一瞬で、そこにいた幹部たちが姿残さず消滅した。
 音すらもなく、だ。
 それが、ゲラルが恐れたルビーの力――消滅者(バニッシャー)の能力――だった。
 確かに恐ろしい力だった
 だが、おれは、そんな力の持ち主になったことを喜ぶことはできなかった。
 ルビー本人に生きていて欲しかった。
 自分が殺したも同然なのだから、言い訳も何もできない。
 だけど――。
「なかなかの力だ」
 おれの思考を中断したのは、良く通る低い声だった。
 奥の部屋からダークスーツの上に漆黒のロングコートを羽織った男が一人現れた。
「消滅者の能力者となったか、迅雷」
「……ガイ」
 男の名は、ガイ。
 この組織の、いや、この時点では、おれが知る限りで最強の男だった。

 今でも、おれが戦ってきた中で五本の指には入るほどの力を持っていただろう。

「ボスを殺したか」
「……ああ」
「どうやったか知らんが、あの女の能力を吸収したようだな」
「……」
「そこまでして、力を手に入れたかったのか?」
「違うっ!」
 おれは叫んだ。
 ガイは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに双眸におれを見下す色を浮かべた。
「失恋した殺戮鬼械(さつりくきかい)か。面白い。かかって来い」
「言われなくても!」
 おれはガイに向かって、走った。
 そして、闘気を凝縮させ、剣を形作る。
 ガイはおれが消滅者の能力を得たことを知っている。
 むやみに放っても避けられてしまう可能性が高い。
 接近戦で追い詰め、消滅者を使うのはとどめを刺す時に絞るしかない。
 全力で打撃と剣撃を連続で打ち込む。
 しかし、ガイはそれをすべて受け止めていた。
 まるで通じない。
「くそっ!」
「やるな!」
 ガイにはまだ余裕がある。
 おれが焦燥とともに放った斬撃を紙一重で避け、逆に腹に強烈な蹴りを見舞ってきた。
 鍛えてあるとはいえ、おれはガキにしか過ぎない。
 腹筋を突き破られ、内臓を痛めつけられる。
 血の混じった胃液が逆流してくる。
「ぐっ……がはっ!」
 形勢不利なおれに対しても、ガイは奢らなかった。
 やつは絶好の機を手に入れながらも真正面から斬りかかって来なかった。
 視界からガイの姿が消える。
 どこ、だ?
 どこに……いった?
 右にも、左にも、いない。
 後ろか……!
 汗腺の穴が開く音が聞こえた気がした。
 殺気は背後に現れた。
 霊気で形成した剣を握る手に力を込め、振り向く、しかし――。
「いない!?」
 おれは両眼を見開いた。
 周囲四方すべてで殺気が膨れ上がる。
 ガイの放つとどめの一撃を避けることさえできないのか。
 これがボスの片腕として働いてきたガイという男とおれの力量の差、か。
 コロサレル。
 素直に、そう思った。
 瞬間。
 おれの左手首に巻きつけていたネックレスのルビーが微かに輝いた。
 真紅の宝石に、剣を振り上げたガイの姿が映っていた。
 ――上か!
「ぐおおおおっ!?」
 身体を咄嗟に捻る。
 熱い痛みが走った。
 ガイの剣がおれの左胸を貫いていた。
「ほぅ、心臓を貫いたと思ったのだがな。瞬間で避けたか、だが、死の瞬間が訪れるのをほんの少し先延ばしにしたに過ぎん。オレがこの刃をわずかに横に動かせば、おまえは死ぬのだ」
 おれはガイの腕を掴んだ。
「……!」
 今度は、ガイが目を見開く番だった。
 胸を貫かれて瀕死のはずのおれの握力の強さに驚いたのだろう。
 やつは腕を一ミリとて動かせないでいた。
「バカ、な。致命傷を避けたとはいえ、重傷には変わらぬはず……何だ、この力は……!」
「ガイ」
 左胸から血を流しながら、おれは口を開いた。
 喉の奥からも熱い液体が逆流してくる。
 だが、意識は、はっきりとしていた。
 剣が突き刺さったままでさえ、傷口が癒え始めているのを感じる。
「おれには、おれのものとは別に、一緒に生きて行こうという約束をした命がもう一つあるんだ。この程度では死ねなくなったのさ」
 そして、――消滅者の能力を発動した。

「これで幹部連は全滅した」
 ガイの亡骸を完全に消滅させ、おれは組織本部から出た。

 ――数日後。
 組織が解散したという噂を聞いた。

 そして、それから約半年後――おれは香澄と出会ったんだ。

「……こんなトコかな」
 話し終わると、おれはベッドに横になった。
「では、その左腕は、ルビーさんの……?」
「ああ、そうだ」
 おれは左腕の袖を捲くった。
「ルビーは今も、おれと一緒に生きている」
「それと、そのいつも付けているネックレスは……」
「ああ、これは……おれがルビーにプレゼントしたネックレスだ」
 首から下がっているルビーのネックレスを外した。
 ルビー……。
「すみません、迅雷さん。余計な事を聞いてしまって」
「なぁに、良いってことよ。今でも後悔の念は消えない。しかし、ある程度は振り切っているからな」
「迅雷さん」
「それに、新しく好きな女もできたしな」
 そう言って、香澄の髪を掬い上げる。
「じ、迅雷さん、やめてください」
 香澄は頬を赤らめて呟いた。

 なぁ、ルビー?
 ――迅雷くん?
 おれ、おまえ以外の女を好きになっても良いよな?
 ――うん。
 ……ルビー。
 ――だって、いつまでもわたしに捕われていたら迅雷くんは幸せになれないもの。
 ありがとうよ、ルビー。

「もう、夜明けだぜ?」
「……そうですね」
「親父さん、心配しているんじゃねぇか?」
「そうですね。でも、……それでも、いいです」
「そう、か」

 夜明けの太陽が、ネックレスの真紅(ルビー)の宝石を輝かせる。
 まるで、おれの新しい人生の旅立ちを祝福してくれるかのようだった。


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