wpe2C.jpg (8221 バイト)人 間 原 理 空 wpe2C.jpg (8221 バイト)

                  leaf4.6.jpg (2825 バイト)       第 一 部 leaf4.6.jpg (2825 バイト)

                

 第一章              

  

 SOL−50宇宙コロニー・・・

 総人口、1億3000万人・・・

 

 宇宙コロニーとしては、火星圏、地球圏につぐ、第三の規

模のものである。太陽系における位置は、地球の公転軌道上

(惑星軌道上)であり、太陽と地球との安定した重力バラン

ス領域に広がっている。コロニーのタイプは分散型で、大型

宇宙人工島ミオ、キリー、ラー、トア、ノヴァの五つが中心

となり、約八十の大小の人工惑星の島々が点在する。

 

 いま、このSOL−50宇宙コロニーの島々は、機動警察

軍艦隊の帰還セレモニーで沸き返っていた。汎太陽系的な、

定期査察巡航作戦からの帰還である。

 そして、そのセレモニーの中で、一人の若い科学者が、緊

急連絡を受け取っていた。科学者の名前は、高杉光一といっ

た。彼は、あわただしく旗艦オリオンを離れた。この科学者

を乗せた高速連絡艇は、矢のように島々の間を突き抜け、北

極星の方向へ流れた。コロニーのはずれにポツンとある、超

大型実験人工島フロイへ向かったのである。

 その実験人工島は、全長およそ150キロメートルにも及

ぶものだった。そして、その中心部の100キロメートル、

直径20キロメートルに、円筒形の回転内殻をもっている。

これは、単一に建造されたものとしては、宇宙開発史上類例

のない巨大構造物である。が、その容れ物の巨大さ以上に、

その全システムの複雑さ、膨大さにおいて、文字どおり人類

史上未曾有のものだった。

 この、実験人工島フロイの最大の特徴は、中央部の回転内

殻の内部にあった。長さ100キロメートル、直径20キロ

メートルの広大な内殻の中に、地球環境が精密にコピーされ

ているのだ。R−10000のプラスの極率をもつ大地に

は、1000メートル級の山々が連なり、中心部まで上空

10000メートルに及ぶ空が広がっている。そして、膨大

な気象コントロール・システムにより、地球上のある座標の

気象が、一週間遅れで精密に再構成されている。したがっ

て、実験人工島フロイは、宇宙空間にシフトした、ミニ・地

球ガイア・システムであった。

 地球ガイア・システムとは、地球を独立した、一つの有機

生命体とみなす概念である。一般生命システム理論では、生

命システムとは、物質、エネルギー、情報、あるいはこれら

の複合物を取入れ、処理し排出する、19の下位システムか

らなっている。

  そして、地球全体を“1つの生命体”として見た場合、こ

のほとんどが満たされている。つまり、19の下位システム

のうち唯一、地球はいまだ、その子孫を作っていないだけだ

という。

 この、子孫を作るという増殖システムには、DNA型生命

体の、他の惑星系への拡散等があげられる。事実、これは緩

やかに進行している。が、ミニ・地球ガイア・システムを目

指すフロイは、よりハイ・レベルで、強制的にこれを具現化

するものである。

 

 

 

 第二章             

 

 ザザザーッ、と森林に積もった落葉が、水のように切り裂

かれていく。吹き上げられた落葉が波のように揺れ、再び深

閑とした立冬の大地の上に沈んでいく。その小型エア・クラ

フターの描く軌跡だけが、森林の奥へ奥へと伸びていく。

 小型エア・クラフターの上には、二人の男が風にあおられ

て立っていた。二人とも、水色を基調とした、ジャンパー・

スーツ姿だった。フロイ統合管理機構のユニホームである。

腰のベルトの左右に、白いポケット・ケースを付け、左胸と

左肩の下に、フロイの全景をデザインした、フロイ統合管理

機構の徽章がついている。

 小型エア・クラフターを操縦している青年は、ビル・フォ

ードといった。フロイ統合管理機構第八管区所属の、総合科

学要員である。そしてもう一人は、高杉光一だった。ビル・

フォードよりは、ひとまわり年配である。高杉は、フロイ統

合管理機構第八管区総合科学主任の肩書きをもつ。この総合

科学とは、ここでは文字どおり総合的な科学をさし、新しい

科学文明基盤へ向けての、ニュー・パラダイムの建設に当た

っていた。

「すっかり寒くなったな」高杉は、片手をポケットに突っ込

み、きちんと刈込んだ黒い髪をなびかせながら言った。

「ええ、」ビル・フォードも、豊な褐色の髪をなびかせ、高

杉に微笑してうなずいた。首に、防寒用の白いマフラーを差

込んでいる。

 高杉の方は、艦隊の帰還セレモニーのままで、コバルト・

ブルーのネクタイをきちんと結んでいる。襟と胸のポケット

の上にも、まだ艦隊勤務での臨時階級章が付いたままだ。高

杉の査察巡航作戦での身分は、小佐だった。

 高杉は、ひどく疲れていた。また、ひどく緊張もしてい

た。が、エア・クラフター上で、額に風を受けながら、今は

ただボンヤリとしていた。極度の疲労と、大きく期待のふく

らむ緊張の中で、彼はこうした“時”の移りゆくのを静かに

楽しんでいた。

 査察巡航作戦における高杉の任務は、旗艦オリオンを離れ

た時点で終了している。が、今や彼の本来の職務の方に、一

大事件が勃発していたのだ。三年近くもの間、息をのむよう

に待っていた異変が、ついに起こったのである。そして、こ

の地球ガイア・システムに関連すると思われる異変こそは、

人類の科学文明史上、まさに最大の出来事となる可能性が大

きかった。

 しかし、コトの重大さとは裏腹に、艦隊帰還のような大セ

レモニーもなく、寒々とした立冬の森林の奥への急行だっ

た。もっとも高杉自身、いまさら気にもしなかった。総合科

学者として、そうしたことはすでに身にしみて知っていたか

らである。彼等にとっては、真理の探求こそが全てだった。

 ビル・フォードは、チラリと高杉の方を見た。そして、軽

く足を踏ん張った。アクセルをしぼり、小型エア・クラフタ

ーを傾け、大きくカーブを切っていく。高杉も、ポケットか

ら手を出し、両手で安全フレームをつかんだ。そして、無言

でビル・フォードに合せ、重心を傾けた。エア・クラフター

は、時速60キロメートルで軽快にカーブを切り、ユラリと

大きく揺れ戻した。落葉が、ザーッ、とひときわ大きく片側

へ吹き上げられていく。

「もうすぐです、主任」

「ああ、」

「これで、いよいよ、ポイント・ゼロ・プログラムが発動に

なりますね」ビル・フォードは、若者らしく、屈託なく笑っ

た。

「しかし、ビル、それは大変なものだぞ」

「ええ、分ってます・・・ああ、それから、聞きましたか、

主任。やはり、7.5ヘルツの電磁波のレベルが、急激に高

まっていました。これは、帰還セレモニーの騒ぎが関与して

いるんでしょうか?」

「たぶん、そうだろう。意識ホログラムのコヒーレンスな流

れが、急激に高まったためだ」

 エア・クラフターは、直線コースで数秒間加速した。そし

て、ゆるいカーブに入ると、ゆっくりと減速に入った。高杉

は、安全フレームを握りしめ、油断なく上空や周囲の森林を

観察した。もっとも、具体的な目標物を捜しているわけでは

なかった。空中や森林に拡散した、残留エネルギーや残留思

念、残留サイ波動を感知しようとしたのだ。

 むろん、すでに十分な初動捜索がされているはずである。

が、ただ、こうした感応には、個人差、生物学的な意味での

“個体差”というものが常にあった。したがって、単に意識

感覚やESP(超感覚・・・テレパシー、透視、予知など)

能力が強力なら、それでいいというものではなかった。その

人間の全体である“人格”が、強く影響するからである。ま

た、場合によっては、選ばれた者、エリートというものが濃

厚に反映することもある。しかも、探査の対象が未知の領域

となれば、なおさらこうした人間原理ストーリイの、不確定

性要素が強く出てくるのである。

「どうですか?」ビル・フォードが聞いた。

「ふむ、何もないようだ、」

 それから、高杉は最後に、チラリと後の方を振り返った。

が、その瞬間、ほんの一瞬だったが、彼の意識が、何かとほ

うもない巨大なものに触れた。計測もできないような、巨大

なサイ情報系の塊だった。しかし、これほどのサイ・エネル

ギーの蓄積は、むろんフロイには存在しないはずだった。当

然、考えられるのは、地球生態系で蓄積したサイ・エネルギ

ーである。

 

<ここで言うサイ・エネルギーとは、サイ現象のエネルギー

をさす。サイ現 象とは、簡単に言えば、ESPや念力、バ

スター効果、霊的現象など、これまで地球上で超常現象とさ

れてきた全般である。超微粒子によるサイ粒子群、サイ波動

も、このエネルギー系の形態とする。また、このエネルギー

系により、サイ情報系が形成されるものとする。むろん、こ

れは我々の世界の現象の一つの側面であり、最終的には一般

エネルギー系と統一されるものとする。>

 

「前と同じでしょう、主任・・・ESPアナライザーにも、

目新しいものはかかっていませんから・・・これは、本当に

“形態形成場”のパワーなんでしょうか?」

 高杉は、ビル・フォードを片手で制した。そしてもう一

度、さきほどと同じように、チラリと後方を振り返ってみ

た。が、すでに、感知できるものは何も存在しなかった。一

帯の森林にも、フロイの空にも・・・

「ビル、念写テープを持っているか?」

「いえ。しかし、ESPアナライザーは、予備が何台もあり

ます。何かキャッチしたんですか?」

「ああ・・・すごいものをな、」

「どんなものです?」

「ビル、まさに、驚くべきものだ。しかし、口で言うより

は、念写を見てくれ。そのほうが正確だ」

「はあ、」

「本当だ。ま、見れば分る。まるで計測不能なサイ情報系の

塊だった。巨大な超意識体だ」

「本当ですか!」

 エア・クラフターが、グラリと揺れた。

「ああ、」

「しかし、主任!」

「とにかく、念写を見れば分る。やはり、何かが動き出して

いる」

「はい・・・そうですね・・・」

 高杉は、葉のすっかり落ちた白樺が、ゆっくりと目の前を

過ぎていくのを眺めた。その白樺の木立の中に、エバート時

間研究グループのエバート女史が立っているのが見えた。若

い女と老技師と一緒に、何かを測定しているようだった。

 彼等は資材小屋の前で、小型エア・クラフターを降りた。

高杉は、問題の小高い笹山の方に目を投げた。その、まだ緑

を残している笹山一帯を、腰のポケット・ケースのESP増

幅装置を使い、捜索した。変ったものは何もなかった。それ

で、今度は鋭く思念をしぼり、虫メガネで覗くように、あた

り一帯を細密に点検していった。

 まだ、水パイプ破裂の残留物である、パラダイス・スノー

(天国の雪)の降った痕跡が残っている。笹薮や落葉が、か

すかに濡れている。しかし、前の二回までは、笹山まで及ん

だことはなかったのだ。

 このパラダイス・スノーというのは、問題の未確認エネル

ギーの噴出によって、水パイプ中の水が変質したものと考え

られている。が、これは、実際にはスノーというよりは、灰

の感触に近いものだった。ただ、二時間前後で解けて水にな

ってしまうので、パラダイス・スノーと名付けられたのであ

る。が、パラダイスが、パラダイム(特定の科学の基礎とな

っている、支配的な理論的枠組み)と発音がよく似ているこ

とから、科学者たちの中にさえ、パラダイム・スノーと呼ん

でいる者が多い。しかも、超大型実験人工島フロイの最大課

題は、まさに文明のパラダイム・シフトにあったのである。

フロイを建造した“ビッグ・フロイ計画”も、このパラダイ

ム・シフトの推進にあり、そうした意味でも、しっくりとし

ていたわけである。

 このパラダイス・スノーという奇妙な新物質では、特に水

素原子が強い影響を受けていることが分っている。が、この

水素原子への影響一つを取ってみても、これまでの素粒子論

では説明のつかないものだった。むろん、サイ・エネルギー

理論体系からのアプローチも、試みられてはいる。が、こっ

ちの方も、まだ手の届きそうもない状況である。サイ・エネ

ルギーやサイ情報系は、理論体系そのものが、まだ未成熟な

段階なのである。が、このサイ・エネルギーが、近々地球を

一つの有機生命体として覚醒させることは、十分な予測がで

きていた。また、その全サイ情報系によって再構成されるグ

ローバル・ブレインは、地球ガイア・システムの、超人類的

な頭脳にあたるものと考えられている。これは、人間でいえ

ば守護霊に相当するようなものだが、その威力は、人間には

測り知ることもできないほど偉大なものだと推定されてい

る。これは、ちょうど一つの白血球や、一つの脳細胞が、人

間全体を知ることができないようなものである。そうした、

人類の集合体をはるかに超越した上位ホロンが、そこに全く

新しく顕在化してくるのである。

 

(ホロンとは、亜全体である。これは、下位に対しては全体

として君臨し、上位に対しては部分として振る舞う概念。た

とえば、人間の各器官は、下位 の細胞に対しては全体とし

ての顔を持ち、上位の人間全体から見れば、部分 として振

る舞う。また、細胞は、下位のミトコンドリアや核に対して

は全体としての顔を持ち、上位の器官に対しては、部分とし

て振る舞う。)

 

 高杉は、笹山の下に広がる雑木林を透かし、水パイプ分岐

点にいる二人の男を眺めた。それにしても、そこにたった二

人しかいないというのは意外だった。おそらく、最初に押し

寄せた連中は、サンプルやデータをかき集め、そそくさと引

き上げていったものらしい。

 道の終点の方は広場だった。そこに、木造の資材小屋が二

軒並んでいた。小屋の前に、輸送用大型エア・クラフターが

二台あり、数人の技術要員が資材を下ろしていた。他に研修

生が何人かいて、万能工作ロボットを使って何かを組み立て

ていた。

 研修生は、高等専門教育課程を終了した、科学者の卵たち

である。彼等は研究基地の中で、雑用と研究補助に従事して

いる。これは高杉自身も経験していたが、最先端科学の現場

から、クラブのウェイターまで含まれていた。が、そうした

中で、むしろ大科学者に接するチャンスも多かったし、話を

聞いたり、親しく声をかけてもらうこともできた。しかし、

そんなことよりも何よりも、この研修生の二年間は、科学者

としての将来を決定する重要な時期と言われている。つま

り、頭脳がもっとも柔軟であり、大発見や大理論なども、こ

の時期に芽生えることが多いからである。

 高杉は、作業に当たっている連中に手を上げた。それか

ら、小屋の前に放置されていたESPアナライザーを使い、

例の巨大なサイ情報系の塊を念写した。作業をしていた技術

要員や研修生たちも集まってきた。ザワザワと騒ぐ中で、高

杉は何度も念写をくり返した。そうしていると、研修生の一

人が、そっと高杉の背中に手をかけた。振り返ると、ナンシ

ー・カーマイケルだった。彼女はそっと笑って見せ、高杉の

背中に当てている手に力を入れた。

 その後、高杉は一人抜けだし、水パイプ分岐点の方へ歩い

た。雑木林の山道を少し行くと、後ろの方で、ザッ、ザッ、

と落葉を踏む音がした。ナンシー・カーマイケルが、彼に追

いついてきていた。ほっそりとしたソバカス娘で、長い栗毛

の髪が美しかった。ナンシーは、高杉の腕を取り、スキップ

を踏むように、落葉をかき分けた。

「どうした?」高杉は、ナンシーの後に腕を回した。「素敵

な恋人は、まだできんのか?」

「恋人はいるわよ。ここに、」ナンシーは、まだ少女っぽさ

の抜けない顔を紅潮させ、髪をサラリと振って見せた。

「安っぽい恋人だ」

「勉強の方が大変なのよ」

 高杉は、彼女の棒の様な腰を抱き寄せ、ブラリ、ブラリ、と

歩いた。そして、ナンシーの髪をなで下ろした。まだ、こん

な頼りない体をしている娘だが、今期第二階生の中では、上

位にいた。が、それ以上に若杉は、彼女の着想の良さに舌を

まくことがしばしばあった。

「もう、行かなくちゃ。後で会えるかしら?」

「いや、この騒ぎでは無理だ。それに、ひどく疲れてる」

「それじゃ、明日は?」

「考えとこう」

「きっとよ、」ナンシーは、立ち止まった。高杉に、グイと

腰を押し付けた。それから、髪をフワリとなびかせ、資材小

屋の方へ走ってもどった。

 高杉が、査察巡航作戦に駆り出されたのは、一ヶ月前であ

る。が、今はこのあたりも様相が一変していた。出かけた時

は、雑木がまだ鬱蒼と茂っていたものだ。それが今は、全て

がガラリと透けて見渡せる。200を越えるセンサー類も、

そのほとんどが見えている。それらのセンサーの一つ一つ

が、高杉にはなつかしかった。それぞれの機能、干渉、ク

セ、理論的信頼性の幅など、全て知りつくしていた。これま

で、それらのデータの流れに、一喜一憂の日々を送っていた

のである。

 それにしても、このフロイの内殻は、完成してからすでに

十六年がたつ。最初の三年間は、樹林の成長は地球の自然環

境の四倍で促進された。そしてそれ以降は、完全に地球の自

然環境に合わされてきている。十六年間、樹林や原野は順調

に成長し、年々落葉を降り積もらせてきたのである。その腐

葉土からできた本物の土の感触が、疲労している高杉には心

地よく、ひどくなつかしい感じがした。が、十六年間程度で

は、とても本物の土壌とは言えないのかもしれない。将来、

数十年もたてば、ようやく本物らしい森林や、本物らしい土

が出来るだろう。が、現在は、こうした土壌そのものが、宇

宙文明にはほとんど存在していないのである。

 水パイプ分岐点の破裂した所に、前回と同じように、沼の

ような水溜まりが出来上がっていた。その水溜まりの上に、

数体の観測機材が、岩のように頭を出している。その観測機

材の一つを使い、一心に作業をしているのは、周永峰だっ

た。そして、その水溜まりのほとりの監視小屋の前で、ボン

ヤリと突っ立っているのは、東タクだった。両名とも、フロ

イ統合管理機構の要員である。

「おい、東!東じゃないか!」高杉は、木立の中から手を振

りかざした。

 東も、ボンヤリと高杉の方を見ていたが、ようやく手を振

り上げて笑った。

「おう、高杉か!いつ帰った?」

「たった今だ!ここへ直行だ!」高杉は、ザワザワと、大股

で落葉をかき分けた。

「ハッ、ハッ、ハッ!」

「全部見たのか?」高杉は聞いた。

「ああ、見たとも!すごいものだった!」

 東と高杉は、同期性だった。中等教育課程最後の地球研修

旅行でも、ずっと一緒に行動をとった仲である。

 東は、高杉が査察巡航作戦に駆り出されている間、この第

八管区に臨時移動になっていたのである。しかし、本業は社

会科学者であり、フロイ統合管理機構の総局に勤務してい

た。そこで、古武道の教官も務めている変り種だった。子供

時代以来の趣味が高じ、とうとうその教官にまでなった男

である。

 高杉は、半径50メートルの、集中センサー・ブロックに

入った。そこは、雑木林がきれいに刈り払われていた。そし

て、一帯の濡れた落葉が、ひどく踏み荒らされていた。が、

これはいつものことだった。高杉には、一刻前までの混乱し

た状況が、手に取るように分った。

「だいぶ、パラダイス・スノーで濡れているな」高杉は、落

葉を足でかき回して言った。

「ああ。今度は大量に降った」東は、低い声で言った。古武

道の教官らしく、ボンヤリと突っ立っている姿にも、スキが

感じられなかった。

「うむ。これだけ濡れてりゃ、相当なものだ」

 問題の水パイプ分岐点は、水溜まりのほぼ中央だった。そ

の真上あたりで作業をしている周永峰は、第八管区技術部長

である。痩せていて、ひどく長身で、野外活動が多いため

に、浅黒く日焼けしていた。高杉が、最も敬愛している上司

の一人だ。

 それにしても、東と周永峰がここに残っていたのは、高杉

にとっては奇遇だった。この程度のものが“共時性”(意味

のある偶然の一致)と呼べるかどうかは別だが、フロイでは

確かにこうした偶然性が増加してきている。これは、純粋統

計的にそうなのである。もっとも、“共時性”ばかりでな

く、ESP(超常的感覚)の純化と拡大も起こっていた。こ

れは、理論的予測では、すでに臨界量に到達した地球のサ

イ・エネルギーの海が、形態形成場(生命現象において、過

去や現在に存在した、あるいは存在する“同種”の間には、

時空を越えたつながりがあるとする概念。それが“種”の共

通現象として、繰り返し現れてくる)の超サイクルを通っ

て、フロイの回転内殻の中に影響しているからだとされてい

る。むろん、この水パイプ分岐点の破裂も、ついさっき出合

った巨大なサイ情報系の塊も、そうした理論上で考えられて

いることである。

 それにしても、ESPの純化拡大や“共時性”(意味

のある偶然の一致)の増加は、人間にとってはきわめて都合

のいいものだった。これは冗談ではなく、きわめて高度な

“人間原理”の問題なのである。

 また、フロイでは、こうした目に見えないものに対し、か

なりの期待を寄せてもいた。さらに、“ビッグ・フロイ計

画”全体としても、相当な確率の、未知なる必然性が流れて

いるはずだった。そして、こうした不可解であり未知な要素

は、フロイの社会全般を陽気にしていた。が、別の一面で

は、陰口をたたかれ、けなされたりもしていた。しかし、い

ずれにせよ、ESP拡大の文明的影響もさることながら、

“共時性”といわれる意味のある偶然性の増加は、さまざま

な方面に、文明基盤を再構成するような波紋を押し広げてい

たのである。

「周!」高杉は、周永峰に声をかけ、挙手の格好をして見せ

た。

「ああ、高杉、帰ったか・・・」周永峰は、観察メカから顔

を上げ、腰を伸ばした。

「ええ、ただ今帰りました」

「大変な騒ぎになった。とにかく、高杉、こっちへ来て、こ

れを見てくれ」

「ええ・・・ま、一息つかせて下さい。セレモニーから、す

っとんできたもので、」

「ふむ、」周永峰は、笑って優しげにうなずいた。非常に長

身なせいか、薄い肩がややネコ背になっている。「それから

でいい」

 周永峰は、また観察メカの方に顔をもどした。

「ところで、東、パラダイス・スノーだけでなく、パラダイ

ス・フラワーも降ったそうだな」

「ああ、そう・・・雪の結晶のようだが、掌ほどの大きさの

やつが降ってきた。豪快な眺めだった。薄っぺらで、半透明

で・・・うーむ・・・ちょうど雲母のような感じだった」

「硬いのか?」

「いや・・・まあ、柔らかくはない。しかし、とにかく薄い

んだ」

「で、それも全部解けてしまったのか?」

「ああ。ここではもうみんな解けてしまったよ」

「成分は?」

「パラダイス・スノーと同じらしい。ただ、全部ではない

が、いくらかは、明らかに変ったものがあった」

「ほう、」

「金属的な色というか、ピカピカに磨き上げた銅板のような

色といったらいいかな。とにかく、この我々の世界では、説

明できないような色彩だった」

「ふーむ、金属的な色彩か・・・で、そいつも解けたの

か?」

「ああ、ここでは解けた。解けた水の分析は、現在進行中だ

ろう」

「サンプルの方は、何とかなりそうか?」

「分らんな」東は、首を振って見せた。「周永峰の話では、

どうもダメらしい。あらゆる手を尽くしているんだろうが、

みんな解けて水になってしまう」

「そうか・・・パラダイス・スノーと同じか。サイ・エネル

ギーによる封じ込めは?」

 東は首を振った。

「じゃあ、超低温の方は?」

「さあ、」東は、同じように首を振った。

「金属水素や、スピンをそろえた水素原子の中へ封じ込めた

はずだが、」

「ああ、ロザリンのグループのやつか」

「うむ、」

「成功したとは聞いてないな。もっとも、どれも今頃が正念

場だろう。しかし、ゼロ点波動や、振動波を合せただけでは

な、」

「いや、これも物質には違いない。振動波を合せるというこ

とは、大事なことなんだ。振動は、ともかく、この世界の基

本だからな」

 ところで、これまでも、パラダイス・スノーの解けた水

は、分析しても純粋な水としか理解できない。収束した未確

認エネルギーが、水パイプの中の水に強い影響を与え、それ

がパラダイス・スノーに変質したと推定されている。そして

、再び水にもどったということは、おそらく未確認エネルギ

ーが消失したことを意味しているだろう。が、それでは、消

失して、そのエネルギーは何処へ去ったというのだろうか。

何処からやって来、何処へ去ったのか。しかも、今回は、ス

ノーだけではなく、フラワーまで降ったわけである。これ

は、未確認エネルギーのレベルが、一段と高まったためだと

考えられる。

 しかし、いずれにせよ、この水パイプの分岐点は、今回で

三度目の破裂である。高杉たちも、ポイント・ゼロ・プログ

ラムの発動を当て込んで、万全な観測体制を敷いてあった。

したがって、マイクロ・セコンド単位での水の消失質量、パ

ラダイス・スノーの出現速度とその総量をはじめ、200基

以上の精密センサー類が、この特異場の現象を補足している

はずである。

 これまでに、同僚のアレクセイエフ・ロマノフが、偶然に

パラダイス・スノーの解けた水から、安定化した水素原子の

単体を見つけている。こんなものは、自然界には存在しない

ものだった。むしろ、安定した水素原子ガスを作り出すため

に、大変な努力を重ねた時代もあったのだ。これは、水素原

子がきわめて活性で、水素分子を形成したり、他の原子や分

子と結合してしまうからである。ところが、この問題の水の

中には、フラチにも、いたってのんびりとコトを構えている

やつが、相当数あった。もっとも、相当数といっても、水1

リットルを分子数に換算すれば、莫大な数量である。そうし

た水の中に、極微量含まれているということである。それ

も、不活性のために、本来の水素原子の働きをしない。アレ

クセイエフが見つけたのは、微妙なスペクトル(光を分光機

を使って分解し、波長の順に並べたもの)の解析からの推理

だった。

 この安定化した水素原子の存在は、物理学的な側面推移だ

けを見ても、かなり根源的な現象にまで遡っていく。なぜ、

この安定化した原子状の水素が問題になるのかと言えば、こ

れが唯一“ボーズ/アインシュタイン凝縮”を起こす“量子

気体”だからである。唯一の“量子液体”である液体ヘリウ

ムの方は、超流動などの奇妙な現象を起こすことは、古くか

ら知られている。が、“量子気体”であるこの水素原子ガス

も、さらに奇妙な性質を示す。これらは、高温に特有な無秩

序運動とは異なり、絶対零度近くでの量子的コヒーレンスな

運動が、マクロ的レベルにまで拡大されるからである。光が

コヒーレンス(波の振幅、周波数、位相が、時間的にも空間

的にも一定であること)に収束した場合、レーザー光線とい

う脅威的な威力を示す現象に、よく似ていると言える。

 ところで、この常温での何気ない安定化した水素原子の何

処かに、超空間共鳴現象、形態形成場の超サイクルにシンク

ロできる、何等かのカギがあるのではないかと考えられてい

る。むろん、形態形成場の効果は、物質レベルにもある。そ

して、有機生命体レベル、さらに意識精神レベルでも顕著と

考えられる。こうした超サイクルの実質的解明は、これから

本格化していくと考えられる。

 いづれにしても、この水パイプ分岐点が、ポイント・ゼロ

となることは確実となった・・・そうなれば、全人類を巻き

込んだ、ポイント・ゼロ・プログラムが発動することにな

る。それにはまず、フロイの全能力が、この座標の解明に動

き出す。そして、地球、火星、アステロイド、その他の宇宙

コロニー群も、続々とこれに参加してくるだろう。もとも

と、“ビッグ・フロイ計画”そのものが、こうした汎太陽系

的なプログラムなのである。これは、すでに地球ガイア・シ

ステムが、新しい進化の段階に突入していると考えられてい

るからである。そして、これまでに数々の理論が予測してい

るように、そうなればグローバル・ブレインや、その影響座

標であるガイア・フィールドが動き出すと考えられている。

そして、この地球ガイア・システムの覚醒及び成長と共に、

モ・サピエンスの文明にも、ニュー・パラダイムの一大変革

期が押し寄せてくるものと推定されている。

「それで、」と、考え込んでいる高杉に、東が言った。「そ

っちの査察巡航作戦の方はどうだった?」

「ああ・・・相変わらずさ。雑魚を相手に、大機動艦隊を動

かして遊んでいるだけだ。しかもその雑魚も、どうもダミー

じゃないかって話まで出てくる始末だ」

「ふむ、」東は、彼の癖で、下唇を舐め回し、ほくそ笑ん

だ。「ま、必要なのさ。アウト・ロー共の、頭を押さえ付け

ておくためにはな。それに、軍内部の引き締めと、移動もあ

るんだ。将軍連中には、武勇伝と勲章で、花道を作らなきゃ

なるまい」

「そりゃ、そうかも知れんが、引回されるこっちはたまった

ものではない。すっかり睡眠不足だ。そうやってシゴくの

を、訓練だと思ってる」

 東は、笑って頷いた。

「で、今回は、フロイからは何人だった?」

「306人だ。民間から235人、統合管理機構から71

人。しかし、おれは一人で抜け出してきた」

「よく出られたもんだ」

「この管区の、総合科学主任ということでな。が、実際に

は、ソレンセンの野郎に、強引にネジこんだんだ。あいつも

今度、中佐に昇進した」

「ほう。あいつが中佐かねえ・・・たぶん、威張ってるんだ

ろうな」

「いや、ソレンセンも変ったさ。威張っているというより

は、キレ者だな。エリートだが、幕僚タイプだ」

「ほう・・・」

「信頼もされてるし、評判もいい。軍が、水に合ってたんだ

ろう。結局、そういうことだ」

「うむ。ま、何もなけりゃ、きわめて閉鎖的な社会だから

な。軍事機構や警察機構なんてものは、無くても在っても厄

介な代物だ」

「文明の保険だからな」

「いや、高杉、それほど消極的なものでもない。存在するこ

とそのものが、社会秩序保持の威力なんだ。人間とはそうし

たものだし、基本的なことだ」

「なるほど。社会科学的な、人間の側面か、」

 後ろの観察小屋の前に、手作りのベンチが二つあった。杭

を打ち込み、雑木を何本かわたしてあるものだ。これまでは

一つだったのが、新しいのがもう一つ出来ていた。

 高杉は、そっちの方へ歩いて行き、ベンチに腰を下ろし

た。雑なものだが、座り心地は上々だった。必要な時に、必

要なものがあれば、それは最高のものだった。そこから高杉

は、水溜まりの中で膝まで水に浸かっている、周永峰を眺め

た。

 周永峰は、また水の上に出ている観察メカを操作してい

る。真剣で、一つ一つ小気味よい手さばきだった。水中をフ

ァイバー・スコープで覗き、マニュピレーターの感触を確か

めているようだ。フロイの科学者たちは、よく、こうした感

触や意識感覚や直観力という、人間的側面を大事にすると言

われる。しかしこれは、“人間原理”という、ナマの対象と

取り組んでいるからである。そして一方、洪水のようなデー

タの収集処理評価等の煩雑な仕事は、全面的にマザー・コン

ピューターと、管区管制コンピューターにまかせてしまうこ

とが可能だからだった。

 高杉は、周永峰と一緒に仕事をするのが好きだった。それ

に、周永峰の仕事ぶりを見ているのも好きである。陽気で、

真剣で、一つ一つの動作に自信と確信を込め、的確に仕事を

処理していく。そうした周永峰を見ていると、問題に行き詰

ることや、解決不可能な問題など、およそ在り得ないように

さえ思えてくる。そうした行動や動作の中に、一つの方法論

的な哲学が確立されているようにも見えた。

 周永峰は、第八管区技術部長だが、専門は宇宙人工島工学

である。そして、その分野では、全太陽系の中でも、現役の

第一人者だった。特に、宇宙人工島や、核融合炉、大型宇宙

実験施設など、巨大システムの危機に際し、数々の武勇伝を

記録している。その彼の危機管理能力は、宇宙コロニーのマ

ザー・ブレインの解析能力などとは、別種のものだと言われ

ている。いわば、それは、天性の直観力から来るものらし

い。が、いずれにしても、この周永峰こそは、“ビッグ・フ

ロイ計画”にとっても、またSOL50宇宙コロニーにとっ

ても、最も貴重な人材の一人なのである。

 これまで、周永峰のなしとげてきた危機管理の足跡は、詳

細に記録されている。また、分析も、研究もされ、太陽系コ

ンピューター・ネットワークに情報提供もされている。した

がって、システム的には、同じ危機は二度と起こらないはず

だった。しかし、危機や破局の可能性は、エントロピー増大

宇宙の中では、それこそ無限大の組合わせが用意されてい

た。そしてそれは、大宇宙の人間ストーリイの運河化(カナ

リーゼーション)により、きわめて人間的にくり返されてき

たわけである。

 それにしても、如何に自動システムが完備しても、結局そ

れは人間の補助でしかない。文明は絶えず変化し、前進して

いるのである。そして、それを統制支配しているのは、我々

人間なのである。が、さらに、有機生命体としての広い視野

から眺めれば、そうした人間的なミスというものは、必要な

のかもしれない。そうしたミスを侵す柔軟さが、よりフレキ

シブルに未来へ対応していく、適応の縦深構造なのかも知れ

ない。もし人間にとって、何かが完成し、それで完璧という

ようなものが出来上がってきたらどうだろうか。文明も生命

も、つぎつぎにその完璧性を押し広げ、やがては全ての大完

成、全ての大停止に突き当たってしまうだろう。我々の宇宙

に、カオスや不確定性原理が導入されているのは、まさに幸

いというべきである。そこに、進化や発展や無限のストーリ

イが描かれていくからである。また、“人間原理”の視野か

ら見れば、その完璧性が無いがゆえに、この世界は完璧とも

言えるわけである。

 それにしても、連綿と続く無限のストーリイ、それを集め

て流れる歴史の大河とは一体何なのだろうか。文明的レベ

ル、あるいは社会的規模の愚行は、戦争の歴史の中に最も顕

著に見ることが出来る。戦争は、実に、人間的な誤謬のショ

ウ・ウインドウのようである。そもそも戦争とは、相互の誤

謬から始まると言われるが、それ以降、各レベルの珍妙な誤

算が、くり返しくり返し、命がけの真剣さで演じられてい

く。そして、宿命的な人間的誤謬のくり返しは、現在もな

お、この宇宙コロニー文明の中で演じられているのである。

怠慢、過信、偏見、単純ミス、そうしたものの相乗効果が、

しばしば巨大な破局やニア・ミスを生み出している。

 しかし、それにしても、こうして営々として流れ続けてき

た人間性の本質というものを、今後どう評価していくべきな

のだろうか。これが、いわゆるホモ・サピエンスの文明であ

り、我々の歴史そのものだからである。もともと豊な感情の

波は、二律背反的な感性の波動から生まれる。そしてそれ

は、生きていくための、快不快の原初的な分裂から始まって

いるのである。また、そうした誤謬や愚かさにも、それぞれ

に真実の光はあるのであり、それゆえに、我々はそれを愛し

てきた。しかし、グローバル・ブレイン覚醒後のホモ・サピ

エンスの進化は、高シナジー(共に動く)社会への移行と言

われる。文明のパラダイムが、二律背反や因果律の色彩か

ら、統一的無境界へシフトすると言う。これは、仏の言われ

た“涅槃”の世界であり、キリストの説いた“神の王国”で

あろう。そこは、いわゆる苦しみの無い、欲望のみの満たさ

れた世界というわけではない。苦しみも欲望も共に超越し

た、そうした分裂や波動の無い、統一的無境界なステージな

のである。しかし、そうした時、人間的誤謬の楽しさや、激

しい感情のうねり、愛すべき“個体差”や孤独感は、どの様

に彩られていくのだろうか。

 あるいは、こうした豊な感情は、旧パラダイムにおける、

単なる感傷にすぎないように思えてくるのだろうか。生命に

は、本質的に目的性や進化の段階があり、こうした豊な感情

の時代も、青春のように、容赦なく通り過ぎていく、一通過

点なのだろうか。原核細胞の段階から、真核細胞の段階へ。

そして、単にエサや光を求める段階から、雌雄の段階へ。さ

らに、雌雄でも、群生からより高度で緊密なペアへ。そして

最後に、羞恥心と抽象概念をもつ、ホモ・サピエンスに至

る。しかし、そのさらに上位のステージとなると、一体何が

待っているのだろうか。唯一、我々ホモ・サピエンスにも透

かしてかいま見えるのは、ESP(超常的感覚)の拡大や、

トランス・パーソナル(超個的)な世界、そしてニルバーナ

(涅槃)の統一的無境界世界等である。そして、その先を知

ることができるのは、上位ホロンのグローバル・ブレインと

いうことになるのかも知れない。

 

 高杉は、監視小屋からブーツを出してきてはいた。防水カ

バーを膝の上まで引き上げ、ザブザブと水溜まりの中へ入っ

た。手で水をすくうと、ひんやりと冷たかった。もう、十二

月なのだ。高杉は、水に浮いている落葉を二、三枚すくい上

げ、注意ぶかく観察した。それから、落葉を握りつぶしてみ

た。特に、変質している様子は見られなかった。

「周、どんな状態ですか?」

「うむ、」

 周永峰は、おもむろに、観察メカのファイバー・スコープ

の接眼部から顔を上げた。日焼けしている顔をゆるめた。ひ

どく長身の上、日焼けした額が、ずっと上の方まで禿げ上が

っている。

「とにかく、見てくれ、」

「ええ、」

 高杉も、観察メカから、もう一本の接眼部を引き上げた。

そして、電子回路を切換え、水底の様子を覗き込んだ。

「ほう・・・こいつは、すごいですね、」

「ああ。前の二回とは比較にならん。破裂ではなく、爆発だ

った」

 周永峰は、精巧なマニュピレーターで、破裂した水パイプ

の端を、小さく弾いて見せた。内径50ミリの、特殊加工さ

れた鉄パイプである。その特殊鋼が、ポキッ、と欠け落ち

た。

 高杉は、息を詰めた。まばたきもせず、水中のマニュピレ

ーターの動きを追った。マニュピレーターは、水パイプや、

まわりの近接観測機材を、つぎつぎに突ついていった。特殊

鋼も、ニッケルも、セラミックスも、プラスチックも、全て

同様に変質していた。むろん、薬品に侵されたものではな

い。酸化したのでもない。強いて言えば、物質がその結合力

を失っているような状態である。このことは、パラダイス・

スノーの、安定化した水素原子にも共通していた。つまり、

分子間結合力を失っているのだ。金属にいたっては、結晶化

をやめてしまっているように見える。が、水素原子の場合、

時間と共に、徐々に分子が形成されていった経緯がある。こ

れはおそらく、今回もそうだろうが、未確認エネルギーの有

力な手掛かりである。今回は、この方面でのアプローチは、

相当に進みそうだった。状況によっては、ポイント・ゼロ・

プログラムの突破口になる可能性もある。

「見たまえ、高杉・・・ほら、落葉や枯れ枝は、何ともな

い」

「ええ。プラスチックは崩れましたね。バクテリアやウイル

スは?」

「そっちの方は、現在分析中だ」

「それにしても・・・」高杉は、つぶやくように言った。そ

して、ファイバー・スコープの倍率を高め、同軸のマニュピ

レーターを操作した。

「このあたりの鉄やニッケルだが、金属疲労のようなものに

近い。高杉、こっちの鉄パイプのマルティンサイトの相を見

てもらいたい。破裂の中心点から、2メートル離れた所から

採取したものだ」

 周永峰は、観察メカを操作し、その鉄パイプをディスプレ

イ上に映し出した。

「どうだね?現段階ではまだ詳しいことは言えんが、念力な

どのサイ・エネルギーを加えた破断相とは、明らかに異なる

だろう。金属疲労に近いと言うのは・・・ほら、このあたり

のマルティンサイトの相だ」

「ええ・・・この群粒は?」

「今のところ、分らん。全く初めて見るものだ」

「そうですね・・・」高杉は、マーカーを使い、丹念に画像

チェックを進めた。「しかし、この状態で、ポキッと折れる

んですか?」

「いや、このあたりは折れない。分岐点から、もう2メート

ル以上離れてる」

 ひと通り見終わると、高杉は腰を伸ばした。おおきく息を

吐き、空を見上げた。ブルッ、と肩を縮めた。さすがにフロ

イの中は、もう立冬の季節だった。高杉は、疲労と寒さを感

じながら、ようやく一段落ついた気持ちになった。この三度

目の破裂は、確かに大きな前進になるだろうと思った。が、

この全体を、どう判断すべきだろうか・・・形態形成場に

は、サイ・エネルギーが関与しているが、ここでは明らかに

未確認のエネルギー形態が介在している。それが、破裂や、

パラダイス・スノーや、奇妙な水素原子を作り出しているの

だ。それに、周囲の物質の、原子レベルでの変質がある。

が、分岐点から2メートル離れた所では、超振動的な金属疲

労が観測されているわけである。

 三度にわたる、未確認エネルギーの噴出。さきほど遭遇し

た、巨大なサイ情報系の塊。その他50ヵ所以上に及ぶ、同

様なフロイ内特異点。また、ESPの純化拡大と、共時性

(意味のある偶然の一致)の増加。さらに、地球や火星、及

び宇宙コロニー各所で起こっている、さまざまな異変の波。

人類文明の、ストーリイ形成の変調。太陽系では、地球生命

圏を中心に、明らかに巨大な何かが動き出しているようであ

る。

 しかし、こうしたゲシュタルト(全体に、統一ある構造を

もった形態)を、どう把握し、どういう方向へ持って行くべ

きなのだろうか。それとも、グローバル・ブレインにより、

すでにサイ現象や共時性によって導かれているのだろうか。

すでに、演繹法や帰納法、構成法という科学的手法も、そう

した巨大な流れの中に呑み込まれ、組込まれてしまっている

のだろうか。

「我々は、」高杉は、周永峰に話しかけるともなく、ボンヤ

リとつぶやいた。「いったい、何処へ流れて行ってしまうん

ですかね、」

「何と言った、高杉?」

「いえ、独り言です」高杉は、静かに口もとを崩した。

 周永峰は、腰を伸ばし、濡れた手をタオルで拭いた。それ

から、タオルを観察メカの白いセラミック・カバーの上に掛

けた。

「このポイント・ゼロは、」周永峰は、すでにポイント・ゼ

ロという称号を使って言った。「きわめて難解なものになり

そうだな」

「ええ・・・」高杉は、パン、と観察メカのカバーを叩い

た。「しかし、それだけかかってくる獲物も大きいというこ

とですから、」

「確かにそうだ」

「仮に、イザイラ・シムノンの言うように、次元的な波動が

重なっているにしても、何故フロイの中に起こったかです」

「うむ、大問題だ・・・地球生命圏そのものの、形態形成場

が動き出したのかどうか・・・」

 高杉は、腰に手を当て、また空を見上げた。何度目かのた

め息をつき、目を閉じた。たまっていた疲労が、どっと全身

をおおってきた。

 周永峰は、胸のポケットから、葉巻を二本つまみ出した。

一本を高杉に渡した。地球産の高級葉巻だった。

 高杉は、周永峰からライターの火をもらい、小さく煙りを

吐き出した。煙りの通りがあまり良くなかった。それとも彼

自信が、ひどく疲れているせいかも知れなかった。今はた

だ、疲労が全身をおし包み、体が小刻みに震え出した。

「高杉・・・えらく疲れているようだな」

「ええ、睡眠不足です」

「うむ。覚えがある。艦隊勤務では、シゴキが訓練だと思っ

ているようだ」

「彼等は、伝統と言ってますがね」

「ふーむ。伝統だったら、軍だけでやってもらいたいものだ

な」

「同感ですね」高杉は、葉巻を大きくふかした。「しかし、

これには、戦略的な理由があるそうです。軍は、こうするこ

とで、フロイに対して支配権を確立しようとしているとか、

「ふむ。バカな話だ。フロイは、そういうものではない」

「しかし、ガキ大将的な発想ですが、彼等の考えていること

は、そういうことです。今後、“ビッグ・フロイ計画”が及

ぼす影響力は、絶大なものになりますから、」

「そういう側面もあったな。それに、確かに軍は、社会コン

トロールのプロフェッショナル集団だ」

「非常時における、です。現在は、十分にシビリアン・コン

トロールが確立されていますから。それに、太陽系開発機構

も、“ビッグ・フロイ計画”も、予算面では軍をはるかに凌

いでいます。ヘタに手を出すわけにはいかんでしょう」

「が、腐っても、サムライというわけか。高杉、君は連中の

やり方をどう思うかね?」

「ま、彼等はガキ大将なんですよ。それに、主導権の争奪

は、官僚機構のゲームです。いつの時代でもそうでした。我

々科学者が、真理を探求するように、彼等は権力や名声や英

雄を求めます」

「そういうものかね、」

「たぶん、」

「はっ、はっ、はっ、」

「芸術家が、美を求めるように。商人が、利潤を求めるよう

に」

「うむ」

「何もそこになきゃ、でっちあげるわけです。査察巡航作戦

そのものがそうですし、帰還セレモニーだってそうです。し

かも、巨大な機構です。それを社会に定着させてしまいまし

たね」

「だいぶ、軍について勉強してきたようだな」周永峰は、白

い歯を見せた。「なるほど、君は総合科学者だった」

「しかし、連中はいいヤツ等ですよ。それに、いざという時

には、あの大機動力は役に立ちますね。そういう時代に、突

入したようですから」

「そう見るかね?」

「ええ。今回の三度目の破裂で・・・“サイ・ストーリイ仮

説”の世界軸と、人間の“自己創出性風景”とは、相補的な

関係にあります。人間のリアリティー(真実)の一面が、こ

こにあるということは、我々の想像しているものは、もうそ

こまで来ているということです」

「しかし、必ず実現するという保証はあるのか?別のものが

来るということは?」

「確かに、“サイ場”にはズレがあります」

「その関数は聞いている」

「ええ。しかし、マクロのスケールになると、理論体系の完

成を待つしかないですが、基礎的直観の範囲なら、人間の

“確信”で十分でしょう。そして、この“確信”こそが、今

のこの我々の“自己創出性世界”の推進力ですから。世界

は、我々の外にあるのでも、内にあるのでもなく、我々の全

体が世界ですから」

「なるほど。そういうことだろうな・・・分ってはいるんだ

が、わしは君等のように、もう一歩が踏込めんのだ。その勇

気がないのだな、」

「いえ、周には、指令部に居てもらわなくては困りますね。

ぼく等が居るのは最前線です。総崩れになる危険性もありま

す。ですから、全般的状況を、冷静に判断する指令部が必要

になります。足腰の重い委員会ではなく、機敏に的確な反応

のできる、小数のカリスマ的人間です。特に、“ビッグ・フ

ロイ計画”のような、軍事作戦にも似た複雑で未知なものに

なれば、なおさらでしょう」

「ま、わしには、やれと言われても、君等のような真似はで

きんがね。できることは、そう・・・」

「・・・」高杉は、どんよりとしたフロイの空を見上げた。

「ポイント・ゼロ・プログラムが動き出すとなれば、もう軍

も介入はできんだろう」

「そうですね。しかし、これからが難しくなります」

「わしは正直なところ、半信半疑なのだ。この今のパラダイ

ムに固執している、人類の残滓なのかも知れん」

「ぼくは、周永峰を頼りにしています。先が見えないのは、

ぼく等も同じです。そして頼れるのは、唯一過去の歴史で

す」

 周永峰は、葉巻の灰を落とし、空を見上げた。

 高杉も、また寒々としたフロイの空を眺めた。よく晴れ渡

っていれば、上空5、6000メートルに、ホログラフィー

の青空が見える。が、今日は、その下に本物の雲が薄くかか

り、どんよりとしていた。しかし、西の方の空に、淡い太陽

が見えている。風もないせいか、その日射しがかすかに温か

かった。むろん、その太陽も、太陽ホログラフィーと呼ばれ

ているものであり、精巧な熱源になっている。

 ここでは、フロイの内空間を越えるようなものは、ホログ

ラフィーや人間的錯覚が作り出している。もっとも、ホログ

ラフィーや人間的錯覚が、全て偽物かといえば、必ずしもそ

うではない。地球上においても、宇宙空間においても、世界

とはもともとそうしたものによって構成されている、人間的

風景の器なのである。また、一方、人間の記憶や思考や夢

も、もともとがホログラフィー的なものなのである。

 二人は、葉巻をふかしながら、太陽を眺めていた。する

と、どこかでエア・クラフターが、ひときわ甲高く唸りを上

げた。やがて、ビル・フォードの乗った小型エア・クラフタ

ーが、雑木林の上に浮び上がってきた。フル・アクセルで浮

上し、ゆっくりと笹山の方へ動いていく。笹山には、五、六

人が集まっていた。ジャンパー・スーツの管区要員の他に、

私服も二人加わっいてる。どうやら、笹山の上で、何かを始

めるようだった。

 周永峰は、何も言わなかった。葉巻を口にくわえ、右手を

開き、また固く握りしめた。それから、超ベテランの技術者

らしく、再び観察メカのファイバー・スコープの方に顔をも

っていった。

 高杉の方は、水の中に立ちつくし、ボンヤリと笹山の頂上

を眺めていた。そして、この現在の状況を、彼の本分とする

総合科学者の立場から検討を始めた。

 高杉は、この三回にわたる水パイプ破裂のイベントに、超

意識レベルの何者かが関与していると、あらためて確信し

た。むろんこれは、いわゆるグローバル・ブレイン仮説に立

つわけである。また、地球人類ホモ・サピエンスの、内か外

かということでは、ホモ・サピエンスそのものという中間に

立つ。また、そうした立場でも、“人間原理ストーリイ”

の、チェック・ポイントとして見る視野に重心を置く。が、

この重心は、楕円軌道を描くように、他の仮説をも捜索し

た。そして、楕円軌道は歳差運動(太陽を周回する水星軌道

のように、少しずつ楕円の角度をずらしていく。アインシュ

タインは、一般相対性理論の正しさを、この水星軌道の歳差

運動で証明した。)をとり、的を絞るようにした。もっと

も、これは、高杉のアプローチにおける図式の好みの問題だ

った。が、この視野を俯瞰したのは、総合科学が推進してい

る、“人間原理空間”建設の経過と関係していた。つまり、

数学的に建設される“人間原理空間”内に置ける、意識の座

標系、意味体系の限界、自己創出性風景のベクトルという、

ホログラフィー解の建設推進過程である。

 しかし、このイベントに、超意識体がからんでいるとすれ

ば、むしろアートマン(真我。釈迦牟尼やキリストのような

特異な人間)がいた方が自然だった。が、そのアートマンが

存在していないし、影すら見えない。もっとも、地球規模

の、いわゆる物理的なイベントの流れもあるわけである。地

球磁場の変動や、氷河期の周期、巨大隕石の落下等である。

しかし、こうした惑星レベル、あるいはホモ・サピエンスの

文明史レベルのストーリイの運河化(カナリーゼイション)

の検証は、ようやく“サイ・ストーリイ仮説”によって開始

されたばかりである。有機生命体の遺伝子情報発現の光景

を、後成学的風景(エピジェネティック・ランドスケープ)

というが、それを宇宙における文明発現のレベル、地球生命

圏発現のレベルにまで押し広げたものである。が、こうした

分野も、依然として漠然とした段階であり、とうてい物理科

学、生命科学、意識科学の融合点までは到達していなかっ

た。

 風がいくらか出ていた。水溜まりの水面全体が、かすかに

揺れ動き始めた。高杉は、ザブザブと水をこぎ、岸の方へ向

かって歩いた。極度の疲労で、頭の中がボンヤリとしてきて

いる。すでに、一歩一歩を踏出すのもやっとだった。

「東、」

「何だ、」

「ここには、ビル・フォード以外に、総合科学要員はいない

のか?」

「アレクセイエフと、ムラビヨフがいる。笹山の上だ」

「アレックスがいるのか、」高杉は、笹山の方を見上げた。

が、そのとたん、思わず体がぐらついた。水の上にひっくり

返りそうになった。ザブッ、ザブッ、と横に踏込み、ようや

くこらえた。

「オイ、大丈夫か、高杉?」

「ああ・・・腰から力が抜けちまってる・・・」

 高杉は、腰に両手を当て、頭を振った。大きく息をつき、

水面に広がる波紋を見つめた。

「とにかく、少し休んだ方がいい」周永峰が言った。

「ええ・・・」高杉は、西の空に目を投げ、今度はゆっくり

と、慎重に岸の方へ歩いた。

「そうだ、ついさっきまで、サラ女史がここに居たんだ」東

が、水溜まりの縁で言った。「イプシロン空間研究機関の連

中も一緒だった。連中は、超波動サイクルを探索する、イン

フィールド・センサーを設置していったよ。あそこに、青い

頭の見えるやつがそうだ。超高感度リアクションで、アクテ

ィブ・タイプのやつだ」

「アクティブ・タイプだと?」

「ああ、そう言ってた。重力波干渉計と、歪を起こすんじゃ

ないかと議論になった。しかし、許可は出ているんだ。歪

は、コンピューターで消去できるということらしい」

「で、そこに、サラ女史が居たんだな?」

「ああ、そう言うことだ」

「うむ。だったら、大丈夫だろう」

 サラ女史は、第八管区の長老の一人だった。もっとも高杉

は、長老だから信用したわけではない。科学的真理の探求

は、そんな人間関係的なものではなかった。高杉は、サラ女

史の人格と判断能力を、これまでずっと高く評価してきたか

らである。

 高杉は、最後の四、五歩を、またザブザブと歩いた。それ

から、水から掻き上げられた落葉を踏み越えた。ドッカリ

と、ベンチに腰を下ろした。

「オイ、何か食べるものはないか?」

「何がいい?」東は、傍らに突っ立って聞いた。

「あったかいものがいいな」

「じゃあ、インスタント・スープを作ってやろう」

 高杉は、ベンチの上で、ゆっくりと左腕を捲り上げた。そ

して、腰のポケット・ケースから、栄養剤の圧搾カプセルを

一本取り出した。セロファンのカバーをはぎ取り、消毒布の

方で腕を少し拭いた。それから、それをクルリと逆さに立

て、プシュ、と皮膚に射ち込んだ。

 風にのって、笹山の上の話し声が流れてきた。しばらく眺

めていると、ピッ、と稲妻のようなものが光った。それで、

どうやら、超深度ポリグラフ探査を開始するらしいのが分っ

た。

 これは、植物相から微生物相が形成する、微弱なサイ情報

系を対象としたアナライザー・システムである。培養や育成

によるバイオ・センサー類とは違い、自然の植物相や土壌中

の微生物相を探査するものだ。

 眺めていると、アンテナのトップから、ピッ、ピッ、ピ

ッ、ピッ、と薄紫色の光パルスが、軽快に出始めた。一帯の

DNA遺伝子情報系を、直接刺激しているのだ。そうやっ

て、まず、DNAの陰にあるサイ情報系ホログラムを遊離す

る。そして、超深度ポリグラフのフィールドを形成し、希薄

なサイ情報を読み取り、増幅処理していく。したがって、手

のかかるひどく根気のいる仕事になる。が、これはウイルス

にまで及ぶ、膨大な微生物領域まで探ることになる。特に、

微生物領域において、解明されていないサイ情報系ホログラ

ムが多くあり、しばしば突拍子もない情報を提供してくれ

る。それに、何度となく回数をかさねていくうちに、しだい

にそうした情報フィールドとのコミュニケーションも成立し

てくると言われる。シャーレの中の微生物や培養細胞でも、

人がちょくちょく見てやると、生き生きとしてくるというの

は、こうしたコミュニケーションが成立してくるからであ

る。

 しかし、こうした情報フィールドの記憶も、時間がたてば

急速に薄れていく。総合科学要員がすぐに手を付けたのも、

そのためである。また、このアブストラクト的記憶を刺激し

ておくことにより、それは強く残るようになり、増幅され、

つぎの段階では学習していくようになる。

「おい、できたぞ」東が声をかけた。

「ああ・・・」高杉は、大きく息をつき、監視小屋の方を振

り返った。

「ひと眠りすりゃ、元気になるさ」

「うむ、」高杉は、紙コップのスープを受け取った。

 

 

 

 第三章            

 

 高杉は、再びビル・フォードのエア・クラフターに乗っ

た。そして、第八管区管制本部へ向かった。日も、だいぶ西

に傾いている。その西の空に、半径26メートルの、白いコ

ンピューター・ドームのてっぺんが見える。それが、第八管

区研究都市空間の中心点であり、管区管制本部の中枢でもあ

る。

 その管制本部のコンピューター・ドームは、通称、管制ド

ームと呼ばれている。フロイの内殻には、こうした管制ドー

ムが十二基ある。つまり、フロイの内殻というミニ地球ガイ

ア・システムは、十二の管制区に分れているのである。そし

て、それぞれの管制ドームは、膨大な情報量を交換する各種

のセンサーと、気象関連情報を統括している。また、担当官

区における、全太陽系に開かれた、情報サービス・ステーシ

ョンにもなっている。

 管制ドームの本体は、特殊高張力合金の多重構造で、外皮

を白い強化セラミックス合反がおおっている。また、このド

ームは、地下に埋まっている下半分もあり、全体で完全な球

形である。したがって、仮にフロイが崩壊するような大事態

に至っても、これらの球体だけは、完全に生き残る設計にな

っている。

 フロイ内における情報システムは、こうした十二基の各管

制ドームの、緊密な連係によっている。そしてそれを、フロ

イのマザー・コンピューター“弥勒”が、上位システムとし

て統括する。これらは全て、同系列のバイオ・コンピュータ

ーなのである。が、各管制ドームの連係と、“弥勒”の上位

ホロンとしての統括だけでは、フロイの全情報システムを説

明しつくしたとは言えない。これらで最も特徴的なのは、こ

の情報ネットワークの本質が、高度にホログラム的なものだ

と言うことである。このことの意味は、“ビッグ・フロイ計

画”と重ね合わせると、さらに上位のホロンが見えてくる。

これは、つまり、超サイクル・レベルでの、地球ガイア・シ

ステムとの相互作用である。

 また、情報がホログラム的であるということは、その特質

を一つピックアップして言えば、こういうことが言える。上

位システムの“弥勒”も含めた、ほとんどの管制ドームが機

能を停止しても、残りのドームで全フロイの情報を映し出す

ことが可能だと。ただ、その情報ホログラムは、薄くなり、

精度が格段に落ちてしまうという形になる。また、機能する

管制ドームは、一つよりは二つ、二つよりは三つの方が精度

が上がる。さらに、六つなら、短期的には、回転内殻内の地

球環境維持も可能になる。

 このホログラムの概念は、あらゆるところにあるが、一卵

生双生児の出生にも顕著に見ることができる。ふつう、一つ

の受精卵が完全に二つに分断された場合、そのDNA遺伝子

情報系も、二つに分断されたように見える。が、現実には、

その半分づつの受精卵が成長し、それぞれに完全な胎児とし

て育ってくる。つまり、上下、あるいは左右半分づつのよう

な胎児は、決して生まれては来ないわけである。これは、遺

伝子という情報系が、ホログラム的な構成の側面をもつから

である。また、これは、自然界の情報系、我々の時空座標に

おける情報というもののリアリティー(真実)を、端的に表

していると言えるだろう。

 ところで、マザー・コンピューター“弥勒”は、太陽系に

おける最大のバイオ・コンピューターである。その、“弥

勒”の全能力の約六割が、フロイ内殻の地球環境再現に振り

向けられている。もっとも、気象コントロール・システム

も、初期の頃に比べれば飛躍的に学習が進み、パターン化も

進化している。しかし、そうした今でも、“弥勒”の六割と

いう情報処理能力を必要とするのである。これは、千変万化

する、巨大な地球気象そのものの再現だからである。

 一方、フロイ内殻空間に展開する、ニュー・パラダイム・

センサーに分類される機材にしても、益々データの気象情報

的解析が不可欠な要素になってきている。地球環境再現は、

漠然とした抽象的構成であっても、ニュー・パラダイム・セ

ンサー基地としてのフロイは、可能な限りの精度が要求され

てくるからである。むろん、こうした精密な全体量的解析

は、地球では不可能なものである。100パーセント精密に

コントロールされている、フロイの地球環境においてのみ可

能なのである。

 これは、今日破裂した、水パイプ分岐点にしてもそうであ

る。地球上では、その座標の、ほんの現象的な表面しかとら

えることができない。膨大な地球生態系のホメオスタシス

(恒常性)の中では、全体量的な解析など、まったく不可能

だからである。しかも、46億年に及ぶ時空間量の堆積と、

すでに臨界量に達しているサイ・エネルギーの海がある。完

成後わずか十六年のフロイと比べれば、まさに魑魅魍魎(ちみ

もうりょう)と、未確認情報の嵐のような世界である。

 しかし、皮肉なことに、それこそが、彼等が確認を急いで

いる、地球ガイア・システムそのものだった。そして、それ

がまさに今、ホモ・サピエンスと共に、グローバル・ブレイ

ンの覚醒を待つ惑星なのである。それにしても、ホモ・サピ

エンスは、こうした自分自身についても、まだほとんど知っ

ていないわけである。ふと、それと気付いた時、彼等は他の

多くの生物種と共に、マザー・プラネットの上に存在してい

たのである。

 

 小型エア・クラフターが、白い管制ドームに接近していく

と、木立はしだいにまばらになった。そして、枯れた芝生が

広がってきた。その芝生の中に、木造の建物がいくつも散在

している。が、そうした所にも、また一望に見渡せる野外ス

ポーツ施設にも、大量の枯れ落葉が押し寄せてきていた。も

うすぐ、この辺りも、雪に埋まってしまう季節なのだ。

 地上の木造建造物は、管区要員の詰所や、地上研究施設、

保養施設などである。そして、管制ドームを中心とした地下

一帯には、管区研究都市空間が広がっていた。したがって、

ささやかな地上施設は、この季節になれば、ほとんど休眠状

態に入る。地下第二層の、研究都市空間の方に引き上げてし

まうからである。

 ビル・フォードは、三階建ての木造建物の前で、エア・ク

ラフターを止めた。ここが管区要員の、地上詰所である。通

称、“アラート・ハウス”と呼ばれている。

「ありがとう、ビル、」高杉は、フラリとよろけながら、エ

ア・クラフターを降りた。ザッ、と落葉を踏み、ビルに片手

を上げた。

「ゆっくり休んで下さい、主任」

「ああ・・・まさに、そうしたいところだ、」

 高杉は、三段ある板張の階段に片足を掛けた。そして、体

を引きずるように、ゆっくりとテラスに上がった。

 ビル・フォードはそれを見とどけ、微笑しながらエア・ク

ラフターを発進させた。 高杉は、板張のテラスを歩いた。

そして、その中央にある両開きのドアを押した。二重ドアの

中は、広いホールだった。いつもは、暇な連中の溜まり場の

一つである。壁に大型スクリーンがあり、中二階にも、何面

ものスクリーンと、コンソール・デスクが並んでいる。ここ

はホールといっても、科学基地の最前線のホールなのであ

る。しかし、今日はさすがにガランとしていた。下のフロア

に数人、中二階のフロアに数人、中二階の下のカウンター・

ボックスに、二人いるだけだった。カウンターの中にいるの

は、研修生だった。壁面の大型スクリーンも、誰も見ている

者がいない。が、映っているのは、破裂した水パイプ分岐点

の一帯である。水溜まりに入っている、周永峰の姿が見え

る。

「やあ、高杉!」下のフロアーにいた、エド・トンプソンが

手を上げた。「無事、御帰還だね」

「ああ・・・」高杉は、大きく息をついた。ドアに寄り掛か

り、首をゆっくりと回した。

 エド・トンプソンは、陽気で、多少不真面目で、地声の大

きな男だった。イプシロン空間研究機関の、中堅クラスのス

タッフである。

 それから、何人かが高杉に声をかけ、からかい、軍をのの

しり、中二階から降りてきた。

「おいおい、高杉・・・」エド・トンプソンが立ち上がり、

ドスドスと駆け寄ってきた。「諸君!小佐殿は、少々お疲れ

の様子だぞ!」

「それじゃ、」中二階で誰かが言った。「二階級特進もので

すね」

「ハァッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」

「じゃあ、次のお務めは、大佐ですな。その次は、将軍」

「ハァッ、ハッ、ハッ、ハッ!」

「高杉主任、パラダイス・フラワーは見たかね?」

「いや、もう溶けていた」

「とにかく、大騒ぎでした」

「うむ。そうらしいな」

 高杉は、エドとディノに両側を支えられ、ソファーのある

ところまで歩いた。エドは、洒落たブレザー・コートに派手

な水玉模様のマフラーをし、プンと強い香水の匂いを発散さ

せていた。全てにアクの強い男だったが、高杉とはいい仲だ

った。気が合っているというよりは、意見が一致することが

多いのだ。

「エド、」高杉は、ソファーに落ち着くと言った。「君のイ

プシロン機関がうらやましいよ。艦隊勤務なんかに、引っ張

られなくてすむからな」

「フッ、フッ、」エドは、腹を揺らして笑った。そして、太

い指で、テーブルの上の葉巻の箱を取り上げた。高杉が一本

取ると、ハサミとライターを渡した。

「あの、高杉さん、紅茶になさいます?」

「ああ。たのむ、ルーシー」

「同情しますわ、高杉さん」ルシールは、眉を詰め、首を振

って見せた。「ブランデーを入れましょうか?」

「ああ、」高杉は、笑ってまばたきした。

 ルシール・フーパーは、分子生物学者だった。が、今は、

ここの生命システム理論研究室にいた。何人かの、グループ

研究に参加しているらしかった。もうだいぶ昔の話になる

が、高杉とはいい仲だったことがあったのである。別れたの

は、仕事で離れ離れになったからだった。こうした科学の現

場では、こうしたことが多かった。

 ピーン、と澄んだ音が響いた。壁のインフォメーション・

スクリーンの一つが回復した。そこから、西村総合科学部長

が呼びかけた。

「高杉、見てきたかね?」

「はい、部長。今回はすごいですね」

「うむ。すさまじい・・・」西村部長は、疲れた様子で頷い

た。「ま、いよいよだ。さあ、じゃあ、まず、ゆっくり休ん

でくれ。どのみち、ブラフマン・モデルの解析が続くことに

なるだろう」

「はい」

 高杉は、ネクタイをゆるめた。それから、シャツのボタン

を一つ外した。そんなことをしても、何の変りもなかった。

が、何かしないではいられないほど疲れていた。

「高杉、」エドが言った。「実は、君にちょっと話があって

待ってたんだ。しかし、この次にしよう。話のできる状態で

はないからな」

「すまん。ひと眠りすりゃ、いつでもいい」

「そうしよう。後で連絡する」

「うむ、」高杉は、葉巻をふかした。

「でも、軍もひどいものね」マチルダ・モロウが、ぽつりと

口を開いた。

 今まで気付かなかったが、彼女は高杉の斜むかいに座って

いたのだ。彼女の専門はシステム心理学だったが、何かとい

うと高杉と衝突することの多い女だった。が、今日は、さす

がに敵対する様子は示さなかった。ただ、冷静で公平なまな

ざしを、高杉に差し向けていた。

「軍は、相変わらずさ」高杉は、いつもの調子でマチルダに

言った。「水パイプ分岐点を見に行ったのは、こっちのオマ

ケだからな」

「そう・・・」

「そういうことだ」

「でも、」ルシールが、高杉の紅茶にブランデーを注ぎなが

ら言った。「こんなに疲れきった人、見たことがないわ」

「肉体的疲労に、精神的疲労が重なったんだ」クレオール・

ヌビアが言った。クレオールは、ルシールと一緒に仕事をし

ている、生命システム理論の仲間だった。

 高杉は、ひと休みすると、ガラス・チューブ・リフター

で、地下第二層へ降りた。ここは、2キロ四方にわたる研究

都市空間の中枢である。研究所、研究機関の支部、あるいは

20名前後からなるグループと呼ばれる組織が、およそ

100近くも活動している所だ。むろんその中心に、フロイ

統合管理機構の、第八管区基幹研究機関がある。

 ところで、フロイの地下第一層は、高さ30メートルの層

である。ここに気象コントロール・システムや、エネルギ

ー・チューブ、輸送交通チューブ、輸送回廊等が集中してい

た。そして地下第二層は、高さ20メートルの層で、ここは

全体が居住空間である。こうした地下空間は、高さ20メー

トルといっても、実に莫大な容積がある。地球で言えば、高

さ20メートルのビルディングを、東西100キロメート

ル、南北に約62キロメートルに渡って敷き詰めたものに相

当する。これは、らくに2000万人都市の容積を越える。

しかもここでは、輸送交通やエネルギー・チューブは、地下

第一層の方に集中している。その上、地表の広大な森林原野

の緑地空間と隣接しているわけである。したがって、現在全

く使用されていない地下第三層も加え、この高機能空間に、

かなりの人口規模の、ユートピアを建設することも可能であ

る。ただし、もしそれが実行されるとすれば、“ビッグ・フ

ロイ計画”が全て終了してからのことである。

 ちなみに、現在フロイの回転内殻内の定住人口は、383

万人である。また、常時出入りしている流動人口は、年間

150万人から210万人であり、この九割までは観光客で

ある。

 

 第八管区研究都市空間のはずれに、高杉のプライベート研

究室があった。そこの簡易ベッドで、まずひと眠りするつも

りだった。

 ところで、そこからさらに南東へ約6キロメートルの所

に、ニュー・クラリオンの町がある。むろん、地下第二層だ

が、町としては中ぐらいの大きさである。そこに、高杉のス

イート・ホームがあった。しかし今は、そこへ帰る気にはな

れなかった。帰ったところで、誰も居ないからである。二人

の子供たちは、学校の寮に入っていたし、妻のアンナは、仕

事でフロイを離れていた。

 アンナは、優秀な理論物理学者だった。ずっと、フロイの

光量子ジェントル・イベント研究所に勤務している。そこ

は、光子(フォトン)という、質量0、スピン1、電気的中

性、秒速30万キロメートルの粒子の、“人間原理”への浸

透を研究している機関である。彼女が言うには、人間の認識

は空間的なもので、あらゆる知覚作用の基盤は、視覚的であ

ると言う。そして、人間にとっては、地球上の自然風景をは

じめ、惑星としての青い地球を見るのも、光子を媒介とする

光量子的風景なのだと言う。つまり、あらゆる粒子の中で、

光子こそが我々に人間的世界を形成し、人間的宇宙を現出せ

しめていると言う。むろん、この粒子の真空中での速度、光

速度が、一般相対性理論において、時間と空間を統一してい

ることは言うまでもない。そして、この時間と空間の概念こ

そが、人間のあらゆる基本的な認識形式なのである。

 

 こうした我々の視覚形式が、仮に光子の媒介ではなく、質

量をもつ陽子や電子だったらどうだろうか。そうした世界で

は、自然は常に、粒子の嵐を受けて爆発しているように見え

るだろう。また、100億光年彼方の天体の姿はおろか、大

気圏外のあらゆる視覚的情報も、単なる空気シャワーとして

しか認識できなくなる。むろん、色彩感覚などは、論外とい

うことになる。もし、そうなったとしたら、人間は大宇宙に

開かれた存在ではなくなってしまう。ちょうど、土壌の中に

深く潜っている、バクテリアの様な感覚の生命体になってし

まうだろう。まったく星空を見ることもなく、山や海を認識

することすらないという存在である。

 人間の光量子的風景は、むろん光子の質量0という特徴だ

けにあるのではない。光圧や、電気的中性のコミュニケーシ

ョン、秒速30万キロメートルの、“今の座標系”のコミュ

ニケーションも重なってくる。“今の座標系”とは、相互主

体的な“今”の感覚構成が、人間一人一人が感じている、

“現在”という虚構世界を作り出しているということであ

る。“今”は、人間個人の所有であり、集団や社会の所有で

も、数学的な絶対座標の表現でもない。きわめて可変的な、

ソフトなものなのである。そうした意味では、人間の認識や

感覚の総合からなるこの世界もまた、きわめてホログラム的

だということになる。むろん、この世界はホログラムではな

いが、人間的情報系の側面では、そうなのである。が、しか

し、さまざまな議論はあるにせよ、光量子ジェントル・イベ

ント研究が、今後の科学文明全体に与える影響は、測り知れ

ない。そして一方、光量子ジェントル・イベント研究は、素

粒子物理学的立場からの、“人間原理”解明への最大の橋頭

堡にもなっている。

 その、橋頭堡で奮闘進撃しているアンナだったが、彼女は

今、マザー・プラネットの地球へ行っていた。地球で、光量

子ジェントル・イベントと、グローバル・ブレインとの関係

性の研究に参加している。おまけに彼女には、地球で恋仲の

男までできているらしかった。ちょうど1ヶ月ほど前のこと

だ。高杉が、査察巡航作戦に駆り出される直前だったが、相

手の男が子供が欲しいと言っているが、どうしたものかと相

談してきた。むろん、彼女としては、かなり深刻だった。

が、高杉は、そんなアホらしいことには何も答えなかった。

ただ、古都のパリでは、ルーブル美術館はぜひ見てくるべき

だとか、落日の景観では、リオ・デ・ジャネイロが思い出深

かったとか、そんなことをレーザー・チップに作って送って

おいた。それで、アンナも納得したはずだった。

 

 ようやくプライベート研究室にたどり着くと、コンピュー

ター秘書の“マチコ”が、待ちかねていた。“マチコ”が、

スッ、と研究室のシャッターを開けてくれた。

「‘お帰りなさい、光一’」“マチコ”が、落ち着いた、美

しい響きの女性の金属音声で言った。

「うむ・・・」高杉は、ゆっくりと首をまわし、息をつい

た。「やっと着いたな、」

「‘ごくろうさま、光一、’」

「ああ・・・」

 研究室の中は、ガランとしていた。換気されていたが、人

の気が全くなく、空気が沈んでいた。電子機器や、バイオ光

量子機器、管理された大量のサンプル、独自に製作中の“人

間原理空間”モデルのホログラフィーなどがあったが、それ

らもシンと静まり返っていた。しかし、そうした殺風景な中

にも、長年の言い尽くせない愛着がしみわたっていた。ここ

は、アンナと結婚する以前からの、彼の居城なのである。

 “マチコ”が気をきかせ、コーナーのテーブルに、新しい

ブランデーのボトルを用意してあった。磨き上げられたグラ

スも、一つ添えてある。それから、彼女の指令で動く、小型

の可愛いハウス・キーパー・ロボットも、壁の中の専用通路

から出てきて控えていた。

 高杉が何も言わず、ボンヤリしているので、“マチコ”が

つぎつぎと、電子機器やコンピューター・ターミナルを回復

していった。スクリーンには、彼がいない間に入ってきたメ

ッセージや、データの項目が、緊急事項から順次に表示され

た。むろん、ポイント・ゼロ・プログラムの発動と重なり、

緊急事項がズラリと並んでいる。

「分った、」高杉は、チラリと見ただけで、目をそらした。

「‘他に、何か御用は?’」

「とにかく、ひと眠りする・・・3時間したら起こしてく

れ。それから、軽い食事だ、」

「‘はい’」

 高杉は、突っ立ったまま、目を閉じた。そうやっている

と、そのまま眠りの中に引きづり込まれていきそうだった。

それから、首を振り、ふらりとテーブルの方へ歩み寄った。

ブランデーのボトルを取り上げた。彼の好きな、いつものブ

ランデーだ。それを片手にぶら下げ、奥の小部屋の方へ歩い

た。仏陀の座像の描かれたシャッターが、スッ、と開き、奥

に明りが灯った。全て、“マチコ”がコントロールしている

のだ。そこに、ベッドとバス・ルームがあった。

 高杉は、開いているシャッターの間口にもたれかかり、ブ

ランデーのボトルの栓を抜いた。ボトルを口に当て、ゴクリ

とあおった。それから、片手でネクタイを引き抜いた。そし

て、もう一度、ゴクリ、ゴクリ、と飲み下した。

 簡易ベッドの頭の方に、妻のアンナの写真が飾ってある。

それともう一枚、二人の子供たちの写真が並んでいた。アン

ナの写真は、彼女が最も気に入っている写真だった。写真の

中から、彼に優しく微笑みかけていた。研究室に一枚欲しい

と言ったら、さんざん考えたあげく、この写真を選んでよこ

したのだ。

 高杉は、片手を伸ばし、その写真を取り上げた。手に持っ

て、アンナを見つめ返した。それから苦笑し、首を振った。

写真を斜にひねくり返してみた。が、それでも彼女は、優し

く、永遠の忠誠を誓って微笑みかけていた。

 高杉は、ブランデーのボトルを口に当てながら、写真をも

との所へもどした。そして、もう一口ブランデーをあおり、

キュッ、とキャップをしめた。それから、ベッドの上に転が

り込み、仰向けになった。その数秒後には、彼はもう軽い寝

息をたて、深い眠りへと落込んでいった。

 

 

 

 第四章            

 

 翌日、午前0時。

 第八管区の水パイプ分岐点が、正式に地球連邦政府によっ

て、ポイント・ゼロと承認された。“ビッグ・フロイ計画”

において、初めて、ポイント・ゼロ・プログラムが発動する

運びとなった。

 その第一段階として、フロイにおける全機関の、組織改変

プログラムが動き出した。また、地球からの全面支援を仰ぐ

ための、サイ波動回線が始動しはじめた。これは、大規模に

動き出すのは、これが史上初めてである。しかし、研究都市

空間での生活そのものには、それほどの変化はなかった。フ

ロイでは、もともと“ビッグ・フロイ計画”が進行中であ

り、これまでも下位プログラムは常に変動していたからであ

る。ただ、ポイント・ゼロの出現そのものが、太陽系におけ

る生命進化の一大イベントなのである。そして、そうしたと

ころから、ピリピリとした緊張感が、全フロイに瀰漫(びま

ん)しつつあった。

 “ビッグ・フロイ計画”では、当初から、何がどの様な形

で出現するか、予測ができなかった。むろん、三十年前の、

レスター/ダニガン論文に遡るまでもなく、何等かのイベン

ト、いくつかのイベントが、急速に生起してくることは、十

分に予測された。が、いつ、どの様な形で出現するか、現在

の科学力では予測することが困難だった。しかし、これで、

いよいよフロイという土壌に、ガイアが芽を吹いてきたわけ

である。

 これは、サイ・ストーリイ仮説が正鵠を射たものであれ

ば、地球生命圏の形態形成場が、この小さなフロイの生態系

に共鳴したということになる。しかし、ポイント・ゼロが単

純なものでないことは、これまでの未確認エネルギーの研究

成果からも明らかだった。

 ところで、第八管区の管区要員に限っては、仕事の内容に

別段の変化はなかった。ただ、仕事量が、当面おそろしく増

えることになる。むろん、総局や他の管区から、様々な人間

がどんどん増員されてくるはずである。また、1週間以降

は、SOL−50宇宙コロニーの島々から、1ヶ月以降は、

このコロニー以外からの増員も加わる。これは、ポイント・

ゼロの今後の動向にもよるが、新たに数千人から数万人に及

ぶ科学者が、いっきにフロイに押し寄せてくることになる。

また、情報ネットワークによるこのプログラムへの参加者

は、その数十倍に及ぶと考えられる。それに加え、さまざま

な技術レベルの人間、行政機構や軍事機構の人間、コマーシ

ャル・ベースのあらゆるサービス部門の人間が、この一大プ

ログラムに連動して動き出すことになる。そして、この風景

そのものが、グローバル・ブレインのシステムとして吸収さ

れていくことになる。

 

 早朝、高杉がアラート・ハウス前で、エア・クラフターに

荷物を積み上げていると、サラ女史がテラスに出てきた。す

でに80歳を越えていたが、まだ自他ともに認める現役であ

る。プラチナ・ブロンドのような白髪に、灰色のベレー帽を

斜にかぶっている。オーバー・コートもベレー帽と同じ色

で、それを肩に羽織っている姿には、風格と威厳さえ感じら

れた。

「光一、久しぶりね」サラ女史は、階段の上に立ち、まっ白

い息を吐いて言った。

「やあ、サラ、久しぶりです。どうやら、ポイント・ゼロに

は間に合いました」

「そうね。乗せて行ってもらえるかしら?」サラ女史は、階

段を降りてきた。

「どうぞ。これでよかったら」

 高杉は、防寒手袋をはめた手で、最後の荷物を積み上げ

た。今朝は、芝生や落葉に、うっすらと霜が降りている。山

々には、初雪が降っていた。それで高杉も、手袋をはめ、ジ

ャンパー・スーツの首に、白いマフラーを差込んできてい

た。

 サラ女史は、オーバーに腕を通し、前ボタンを止めた。そ

して、エア・クラフターの安全フレームをつかみ、上にあが

った。

「あまり、スピードを出してはイヤですよ」

「しかし、出したかったんですがね」高杉は、荷物にゴム・

ネットをかけ、ビン、とそれを弾いてみた。

「しょうのない人ね」サラは、オーバーの襟を立てた。「い

けませんよ」

 高杉は、エア・クラフターの電動スイッチを入れた。そし

て、静かに浮上させた。「そうそう、その調子。静かにね。

ところで、この荷物は何なの?」

「セキュリティー・システムの強化ユニットです。臨時のも

のですが、何が起こるか分りませんから」

「そうね」

 高杉は、スタビライザー(自動安定装置)をチラリと見

て、静かにハンドルを起こした。エア・クフターは、ザー

ッ、と周囲の落葉を吹き飛ばし、発進した。広い芝生地帯を

抜けた。それから、樹林の中にできた回廊を、ゆっくりと進

んだ。

「ところで、ぼくのいない間に、何か変ったことはありませ

んでしたか?」

「そうね、」サラは、手袋をはめた片手で、ポン、とベレー

帽を押さえた。「データに入っていない事件としては、レビ

ンスキー教授とスージーのことがあるわね。一緒に、階段か

らおっこちたのよ」

「やれやれ、」

 サラは、クスクスと笑った。

「口論しながら歩いてたそうなんだけど」

「あの御両所なら、口論というよりは、ケンカじゃないです

か」

「そんなところでしょう」サラは、手袋を口に当て、さらに

笑いを押さえた。

「まあ、あれで、仲がいいということですか」

「それと、そう、火星から、ニュー・オデッサ・グループが

来たことかしら」

「ニュー・オデッサ・アストロドームの連中ですか。いつで

す?」

「十日ほど前になるかしら」

「いいタイミングですね」

「それなの。しかも、光一、彼等はトップ・クラスを含め

た、五十二人の大編成ですよ。何のためかしら?」

「ふーむ、五十二人ですか・・・ニュー・オデッサ・シティ

ーの単独チームですか?」

「ええ、」サラは、うなずいた。「おそらく、あの人達、ポ

イント・ゼロの出現を予測したのでしょうね。それも、確信

をもてるほど正確に」

「ESP予知解析ですか・・・ま、ニュー・オデッサといえ

ば、そういうことになりますね。しかし、こいつは驚いた」

「そう思うでしょう、光一。座標的にも、深度的にも、よほ

どの確信があったのでしょう。あるいは、新しい解析法を発

見したのかも知れません」

「そして、それに乗ったということですか・・・まあ、ニュ

ー・オデッサ・グループなら、ありそうな話ですが、」

 サラは、早朝の寒気に目を細めながら、黙ってうなずい

た。

「それにしても、あの連中、相変わらず変った動き方をしま

すね。それも、大胆に、」

「そうね。それだけ、バイタリティーがあるのでしょう。若

い、独立気運の強い都市ですから」

「年をとると、慎重になる、ですか、」高杉は、かってサラ

の言った言葉を引用して言った。

「そういうことね。階段を登り降りするのでもそうですよ。

若い人のように、乱暴に降りないけれど、それでも同じよう

に下に着きますからね」

「スージーたちのようにさえしなければ、ですか」

「そうね」サラは笑った。

 早朝の空気は、予想以上に寒かった。高杉は、片手で太腿

をこすった。それから、首のマフラーの上を押さえた。空は

晴れていたが、何処となくどんよりとし、風がひどく冷たか

った。この辺りも、もう雪が来てもいい季節なのだ。

「ところで、サラ」高杉は、片手でハンドルを押さえながら

言った。「このポイント・ゼロですが、どう動いて行くと思

いますか?」

「そうね・・・」サラは、小首を振った。口の上に、手袋を

当てた。「とにかく、生命時空間ギャップ問題は、今後どう

いう方向へいくか、予測がつきません。もし仮にですよ、光

一、仮にこのポイント・ゼロが、パラダイム・シフトを内包

していたら、形態形成場の超サイクルで、その影響は全宇宙

コロニーに波及するでしょう。あるいは、全太陽系社会にか

も知れません」

「それほどにですか?」

「あれは覚えているかしら、光一。20世紀に起こった、グ

リセリン結晶化事件。一昨年、私が総合研修のおりの、議題

の一つに取り上げたものです」

「ええ、覚えています」

「あの事件は、輸送中に起きたものでしたわね。温度や振動

などの偶然が、いくつも重なり合って、結晶化不可能とあき

らめていたグリセリンが、偶然に結晶化しました。それか

ら、その一つのきっかけによって、つぎつぎにグリセリンの

結晶化に成功しました。ところが、それ以降は、全世界のグ

リセリンが、どういうわけか、すべて自然に結晶化してしま

ったのでしたわね」

「それが、生命レベルだけでなく、物質レベルでの形態形成

場という概念を広めた、」

「そうです。その状況と、現在の状況が、大局的に似てきて

います。もちろん、ランクもレベルも違いますよ。太古の海

における、DNA形成も別にしましょう」

「すると、サラは、全太陽系レベルで考えているわけです

か?」

「必ずしも、そうと言うわけではありません。まだ、何も分

ってはいませんからね」

「じつは、サラ、ぼくは昨日、巨大なサイ情報系の塊に遭遇

しました」

「ほんとう?」

「ええ。斜め後頭部の方角に現れたんですが、計測不能でし

た」

「そう、」

「ポイント・ゼロへ駆け付ける途中でした。あれは、明らか

に超意識体でした。ひょっとしたら、形成過程のグローバ

ル・ブレインの一部か、そのメッセンジャーかも知れませ

ん」

「それ、冗談ではないのでしょうね!」

「もちろんです」高杉は、サラに真顔でうなずいた。「念写

して、ESPアナライザーから、管制ドームのデータ・バン

クに送ってあります。今朝、調べたんですが、どうやら記録

したのはぼくだけだったようです」

「そう、」サラは、安全フレームに体を押し付け、まっすぐ

に高杉を見つめた。「光一がそう言うのなら、本当でしょ

う。とにかく、すぐに見てみましょう」

「びっくりしましたよ」高杉は笑った。「ドンと、後頭部を

押し潰すようでした」

 サラは高杉を見つめ、口をすぼめて笑った。

「それから、サラ、話の続きですが、このポイント・ゼロに

は、もう一つ重要な要素があります。これは、人類が、目的

性をもって創り出したと言うことです。レーザー光線のよう

なコヒーレンス(波の振幅、周波数、位相が、時間的にも空

間的にも一定であること)な意志の流れが、“場”に強力に

働きかけているということです」

「そうね。光一らしい視点ね。もちろん、見落してはいけな

い要素でしょう。とにかく、ホモ・サピエンスは、すでに地

球生態系の中で臨界量を越えています。その人間のコンティ

ンジェンツ(形態形成場のように、まったくプログラム化さ

れていない、それそのものの本質)の臨界値によって、この

ポイント・ゼロが出現したということも、十分あり得るわけ

です。あるいは、それが全てではなく、一つの要素として

も、」

「“100匹目のサル”(一匹のサルの新たな目覚めが、

100匹目まで伝わると、海を隔てた全種族にまで波及した

という例。100匹という数は、例えで、一定の臨界頭数を

さす。これは種が、種の保存のために戦略的にもつ共同意識

体で発動し、上位ホロンにあたる)のようにですか?」

「その、共鳴の、まったくプログラム化されていない、エネ

ルギーということです」

「ですが、サラ、小数のニュー・タイプの出現が、全人類に

異変を引き起こすというようなことが、ありますかね?」

「ですから、それが、“100匹目のサル”ということでし

ょう。自分が言い出したのですよ」

 高杉は、白い息を吐きながら笑った。

「しかし、この種の研究では、どうも統一的見解が出にくい

ですね」

「とにかく、それは変動レベルの問題でしょう。それに、時

間という要素も考えなくてはいけません」

 サラは、自分の白い息に目を細めながら、オーバー・コー

トの腹をたたき、高杉に微笑した。年をとってはいても、目

は若かった。彼女の目は、天使の目のように澄み、かすかな

風が吹いていた。

「それに、光一、人類にはさまざまな人種がいますよ。同じ

ホモ・サピエンスといっても。そして、例によって、“個体

差”という横軸があります。一人として同じ人間が存在しな

いし、過去においても存在しなかったということの意味を、

本当に深く考えたことはおありかしら?深く、根源的に深く

ですよ」

「ええ。ありますよ、サラ」高杉は、かすかに白い歯を見せ

た。「ま、どういう結論だったかは、一つも覚えていません

が、」

「ほっ、ほっ、ほっ、」サラは、手袋の間から、白い息をこ

ぼした。「そりゃ、そうでしょうとも。ですけれど、光一、

これはグローバル・ブレインとも関連しますが、ホモ・サピ

エンスの宇宙文明史の世界軸に、本質的に関与してくる問題

になるでしょう。DNAによってコピー増殖され、しかも一

つとして同じものがないという生命の“個体差”は、それは

一つの驚異的な流れです。信じられないほどのシステムで

す。カオスというものを含みながら、それそのもののエリア

からはずれることなく、確実に進化の方向を保持しているわ

けです。特に、人間において肥大化した意識レベルでは、

“個体差”は超無限大にまで拡大細分化されていきます。細

分化という表現は、適当ではないでしょうけれどもね。そし

て、グローバル・ブレインは、そうしたものの集積が、超サ

イクルで組込まれるわけでしょう。もっとも、これは、サー

シャ・モデルですけれどもね」

「血液型でも、兆の単位まで、組合わせがありますからね。

どうしてこんなことが必要なのか、」

「とにかく、このことは、注意ぶかく考えておかなければい

けません。細かい技術的なことはともかく、全体像を見失わ

ないようにしなければ、」

「心しておきますよ、サラ」

 高杉は、スタビライザー・ディスプレイを見下ろし、やや

アクセルをふかした。荒涼とした立冬の森林が、どこまでも

続いていく。高杉は、ふと理由のない寂しさを感じた。宇宙

に対峙する、無言の孤独感のようなものだった。これほどの

人工空間を建設し、その上で、今自分たちがやっている“人

間原理”の研究も、どこかむなしいものに感じられた。が、

そうした気持ちも、ほんの数秒間で、たちまちタバコの煙り

のように消え去った。そして、あとは何も考えなかった。

 フロイの円筒型内壁の大地は、南北方向にプラスの曲率を

もっている。しかし、東西方向は、基本的には水平である。

そして、その突き当たりの半径10キロメートルの壁や空

は、自在に変化するホログラフィーになっている。したがっ

て、初めて地球からフロイを訪れる人々にも、あまり奇異な

感じはいだかせないという。もっとも、彼等はそれ以上に、

宇宙空間に創設された、広大な地球環境に感動するわけであ

る。が、一方、そうした彼等に対し、フロイの住民は、たい

がいこう説明するのだという。“人間原理”の一つのスペク

トルとして、錯覚や自己創出性風景の研究においても、フロ

イがもっとも進んでいるのだと。そう解説すると、訪問者た

ちは、そろって首をひねるという。これが、フロイにおい

て、幾度となくくり返されてきているパターンである。つま

り、双方に認識のズレがあった。フロイの住民たちには、地

球こそは素晴らしいマザー・プラネットだった。が、訪問者

たちの方は、益々ゴミゴミとして汚らしくなる地球よりは、

第二の地球環境であるフロイの方に、すっかり感動してい

た。この、未来に開かれた人工的ユートピアの方に、はるか

に大きな期待を寄せていたわけである。

 サラが、ぽつりと口を開いた。

「・・・地球には、生命数十億年の、霊的な営みがありま

す。そして、濃密なサイ・エネルギー、サイ情報の海があり

ます」

 高杉は、黙ってうなずいた。

「その中に、最終的にホモ・サピエンスが生まれてきたわけ

ですが・・・光一、フロイのように、急激にハイ・レベルの

生態系が形成されたことに、地球ガイアは、本当にどのよう

に反応するものかしら、」

 高杉は、小さくうなづき、切り開かれた森林の回廊を眺め

た。樹林を透かし、東の空に、淡い朝焼けが見えた。

「サラ、みんな、いまに分りますよ」

 サラは、小さく咳き込んだ。そして、オーバー・コートの

襟を口に当てた。

「いずれにせよ、サラ、宇宙移住計画は、すでに停止も後退

もできないところまできています。地球生態系が沈没しか

け、そこにフロイという小舟が用意されたわけです。溺れる

者がワラを掴むのか、あるいはそれが道標なのか、」

「フロイは、ワラなのかしら?」

「ぼくは、どちらかというと、道標の方を取りますがね」

「ほっ、ほっ、ほっ、楽観主義者ですね、ほんとうに」

「ぼくは、サラ、この現実こそが、“真実の結晶世界”とい

う立場ですから。地球生態系は、まさにサイ・エネルギーで

溢れています。それが、宇宙へ流れ出すのは当然ですし、ポ

イント・ゼロへシフトしてきても、不思議とは思いません

ね。もちろん、結果的に、目標よりはだいぶ外れた所に定着

するんでしょうが、」

「おそらく、そうでしょう。そして、“ビッグ・フロイ計

画”も、いよいよ加速するでしょう。けど、それで、最終的

にホモ・サピエンスは、宇宙文明を成功させることができる

のかしら?つまり、この困難な大移住計画を、わたしたち

は、本当に乗切れるものなのかしら?それに、クローバル・

ブレインや、ガイア・フィールドは、本当にあるのかし

ら?」

「サラ、これは、産みの苦しみというやつですよ。ま、ぼく

は、経験したことがないですがね」

「おやおや、ひどい人ね。ほっ、ほっ、ほっ、このわたし

に、ずいぶんと古いことを思い出させる人もいたものです

ね」

「とにかく、ぼくは楽観しています」

 高杉は、エア・クラフターのハンドルをゆっくりと回し

た。エア・クラフターは、回廊から細い道の方へ入った。

「サラ、確かに、対応が失敗すれば、相当な犠牲が出るでし

ょう。しかし、それでも最終的に、宇宙文明が壊滅してしま

うことはないですね。宇宙空間に対する適応型人間は、年々

増加しています。それに、適応型人間の、“個体差”の変動

値も高まっています。つまり、全体的に、適応の方向へ流れ

ている証拠です。これが、生命潮流の本質であり、真の力だ

と思いますね。しかも一部では、これまでのホモ・サピエン

スには見られない、全く新しい能力を身につけはじめていま

す」

「コスモ能力のことね」

「ええ。それと、ESP能力の純化拡大、共時性の増加。宇

宙空間で生きていくためには、必要な生命力です。コウモリ

が暗闇で飛行できる能力と、基本的には同じです。ホモ・サ

ピエンスの場合は、他の生命体と著しく異なる点は、大脳新

皮質であり、ずばぬけた頭脳ですから」

「それは、もちろん認めます。確かにそうした人達は、力強

く生き残れるでしょう。そして、そうした人達は、さらに優

生学的に、宇宙文明に対応していくことになるのでしょう。

ですけれども、光一、それはわたしに言わせれば、敗北なの

です。わたしたちは、一握りのエリートを、宇宙空間に送り

出したのではないのです。強者も弱者も、あらゆる人達の対

応できる宇宙文明を建設しているのです。エスパーやコスモ

能力者は、当分の間は、“個体差”の問題でしかありませ

ん」

「しかし、サラ、何もかもが、人間の思いどうりに行くとは

限らんですよ。いかに、人間的な自己創出性世界とはいえ、

生命や進化の潮流は、常に人類の手の届かない所で流れてい

ます」

 サラは、かすかに青空の見えてきた上空を見上げた。

「光一、わたしは、弱者をとり残して行くのがイヤなので

す」

「分りますが、それはあらゆる生物について言えることでし

ょう。たとえば、渡鳥にしても、常に脱落していく鳥はあり

ます。病気、怪我、老衰、あるいは他の猛禽類の餌食になる

鳥もあるわけです。ですが、それでも、群れは崩さないでし

ょう。そのことが、種を存続する道だからです。新陳代謝は

するが、システムは崩さない」

「ええ。ですけれど、わたしたちは人間です。ホモ・サピエ

ンスです。可能な限りの努力をしなくては」

「むろんです。しかし、文明の流れは、否応なしに、進化の

方向、適応の方向へ変動して行くわけでしょう」

「時の流れということね・・・」

「妻のアンナに言わせれば、いずれ人類は、本格的な光量子

文明の時代に突入すると言います。現在、そうした社会に即

応していけるのは、一部のエスパーと、コスモ能力者だけで

す。そして、フロイの子供たちのESP能力の拡大は、めざ

ましいものです」

「アンナは、光量子GEにいるのでしたわね、」

「ええ」

「これは、ひとつ言っておきますけど、光一、わたしたち科

学者は、弱者の味方ですよ。エスパーやコスモ能力者に必要

なくとも、科学力は120億人類の基盤なのです。そのため

に、医療が発達し、病原菌や癌を制圧してきたのです。文明

というものは、そういうものでしょう」

「ええ、」高杉は、何か言おうとしたが、口を引き結んだ。

「それにしても、生物など、弱いものですね。常に死の縁に

立って、」

「生命を、この世界全体のゲシュタルト(全体に統一ある構

造をもった形態)として見なくては、サラ。死も生も宇宙

も、一枚の絵の全体として見なくては、」

「ほっ、ほっ、ほっ、そうね。確かに、その通りね」

「まあ、うまくいきますよ、サラ。いよいよポイント・ゼロ

も出現したし、見通しは明るいと思いますね」

「ええ」サラは、優しいまなざしで微笑した。「そうね。と

にかく、若い人達が、希望的に物事を考えるのは、とてもい

いことです。ただ、気を抜いた楽観は、いけませんよ」

「ええ、サラ。十分に心しておきますよ」

 

 高杉たちのエア・クラフターに、林の中の何人かが手を上

げた。さらに進んで行くと、すでに資材小屋付近には、五、

六十人も集まっていた。オーバー・コート姿や、防寒ジャン

パー姿が多い。各研究機関の長老格の連中である。サラもそ

うだったが、緊急総合対策委員会の下部小委員会が、活発に

動き出しているのだ。

「集中監視モニターができてますね」高杉は、エア・クラフ

ターを微速前進させながら言った。

「そうね。これで対応がしやすくなるでしょう。全フロイ

に、同時放映されますから」

 高杉は、エア・クラフターを、その近くへもっていって止

めた。そして、サラを降ろすと、エア・クラフターを水パイ

プ分岐点の方へ向けた。

 そのあたりの風景は、一夜にして、すっかり変ってしまっ

ていた。まず、一帯の雑木がほとんど刈り払われ、広々とし

ていた。そこに、資材や機材の梱包の山が、幾つもできてい

る。また、数人の管区要員にまじり、各種の万能工作ロボッ

トが20基以上も動き、フィールドで整備やデータの操作を

している。

 中心のポイント・ゼロの水溜まりは、水が引き、だいぶ小

さくなっていた。そして、ポイント・ゼロから半径にして

50メートルの所に、ロープがピンと張り巡らされてある。

人々も、今日はそのロープの内側には入っていなかった。ロ

ープの内側で専門に作業をしているのは、ロボットと、純白

のセラミック装甲スーツを着用した管区要員だけである。そ

のセラミック装甲スーツは、軍用個人装甲スーツを改良した

もので、短時間なら宇宙空間にも対応できるものである。装

甲スーツ着用の管区要員は、ロープの内と外に、二十人前後

はいた。ポイント・ゼロのあたりでは、精密工作ロボットや

各種アナライザーも入り乱れ、新たに何かを組み立ててい

る。

 しかし、大型工作ロボットを使った本格的作業は、これか

らだった。まずは、いつ起こるか分らない、つぎの破裂に備

えての緊急対応措置である。いずれにしても、ポイント・ゼ

ロ・プログラムが発動になったわけであり、今後の観測体制

はケタ外れのスケールになる。

 ところで、第四回目の破裂は、連続的に来ると予測されて

いた。しかも、どの理論予測でも、新展開になる可能性を示

唆していた。ボルテージが、指数関数的に高まってきている

からである。もう、水パイプなどとは関係なく、無制限の未

確認エネルギーの奔流になることも考えられる。仮にそうな

った場合、今からそのコントロールも考えておかなければな

らない。昔、フランクリン・ベンシャミンが、凧を使って雷

が電気であることを証明した。が、雷は危険きわまる、何十

万ボルトもの電撃そのものだった。それと同様な危険が、今

このフロイで試されているのかもしれないのだ。いかに、地

球生命圏からのメッセンジャーであろうと、それが個々の人

間を傷つけないという保障はなかった。

 高杉は、エア・クラフターを降りた。うっすらと霜の降り

た落葉をガサガサと踏み、笹山の方へ歩いた。斜面の笹薮の

中に、気になっているバイオ・センサーが一体あったから

だ。歩いている間に、朝日が顔をのぞかせた。高杉は、白い

息を吐き、ゆるい斜面を登りながら、ポイント・ゼロを中心

とした一帯の全景を眺めた。

 ロープを巡らしてある内側にも外側にも、各種の無数のセ

ンサーがある。すっかり雑木を刈り払ってみると、あらため

て乱雑であり、千差万別だった。が、ここがポイント、ゼロ

となった以上、今後は最高度のものを構築していかなければ

ならないだろう。

 いずれにせよ、未確認エネルギーの補捉は、文明史的な緊

急課題である。同時に、地球、月、火星、宇宙コロニー群で

起こったさまざまなイベントも、その関係性をくわしく解析

していかなければならない。さらに、天文学や宇宙論、統計

的占星術的関係性さえも、丹念に探っていく必要があった。

むろん、光量子ジェントル・イベント的な世界の背景にあ

る、人間ストーリイ発現の本質も、たゆまず見極めていかな

ければならない。こうした膨大な作業の全てが、ニュー・パ

ラダイム社会へ移行していく、抽象化の過程だからである。

 高杉は、学生時代に友人に進められ、セザンヌの絵を模写

したことがあった。その友人が言うには、セザンヌは、本当

の自然とは、表面にあるのではなく、その背後のもっと深い

所にあるのだと言っていたという。現在、高杉たちもまた、

まそにそうした本質を追及しているわけだった。直観力や美

的感性からだけでなく、ニュー・パラダイムの視野からであ

る。これは絵で言えば、“描く人間”、“描くという行為”

、“描かれる対象”といった幻想を越えたところにある。つ

まり、その三つが一体となった、ニュー・パラダイムの領域

へ向かっての歩みである。それは、科学という概念すらも越

えた、広い意味での、“人間原理”の領域なのである。

 

「高杉ーッ!」下の方で、誰かが呼んだ。

 高杉は、笹薮の中で足を止めた。声のした方を見下ろし

た。セラミック装甲スーツの一人が、水溜まりの中で手を振

りかざしていた。そして、その手を下ろし、ヘルメットのヘ

ッド・アップ・ディスプレイを押し上げた。長身の体格から

して、周永峰のようだった。ザブザブと水溜まりの中から出

てくる。朝日がちょうど水面に反射し、白いセラミック装甲

スーツが赤く光った。

 高杉も手を上げながら、大股でロープの方へ下った。笹山

の斜面の雑木に、チラチラと朝日が透けた。高杉は、歩きな

がら、二回体がよろけた。昨夜も、結局睡眠不足だったので

ある。

「どうかな、高杉、」周永峰が、パワー・アップされたセラ

ミック装甲スーツで歩み寄りながら言った。「水パイプを全

部取り替えたいんだが。分析班からも催促が来てる」

「ええ、いいでしょう。十二時間を経過してますから」

「うむ。一応、総合科学部に断っておきたくてな」周永峰

は、ポイント・ゼロの方を振り返り、手を上げた。「オーケ

イだ!」

 高杉も、一緒に手を上げた。それから、周永峰に言った。

「R232の強化ユニットを運んできてありますよ」

「うむ。じゃ、すぐに誰かにセットさせよう」

「新しい水パイプは、何か指示はあったんですか?」

「いや」周永峰は、カチ、カチ、とセラミック装甲スーツの

バックルを操作した。それで機密ロックを解除し、ヘルメッ

トを脱いだ。

 高杉は、真っ白い息を吐き、空を見上げた。

「また、アイソトープ・ガスを使った、被破壊センサーを用

意した。しかし、今度はVQ701型というやつだ」

「VQというと、」

「そう。クーガのマイケルソン精工所で製作されたものだ。

チェレンコフ光の計測もできる、一体化したかなり大きいや

つだ。その検出器の中に、水パイプを通した。ピクセル検出

器はおまけだ」

「しかし、これからは、そんなものではどうにもならんでし

ょう」

「分ってる...」周永峰は、タン、とヘルメットをたたい

た。「どうしようもあるまい。現場は動いているんだから

な」

「チェレンコフ光はいいとして、全サイ粒子のエネルギー・

スペクトル、波動してくるサイ情報ホログラムの補捉、その

ボルマンの世界軸上を流れてくる全過程の解析、形態形成場

超サイクルの、カオスの投写まで把握できるやつが欲しいで

すね」

「ふむ・・・すると、高杉、今建設中の、COOMのキュー

リイ7000ということになるぞ」

「ええ、ズバリです。まさに、それが欲しいですね。ポイン

ト・ゼロ・プログラムが発動しているわけですから」

「COOM・キューリイ7000が、どのぐらいの大きさ

か、知らんわけじゃあるまい。火星都市のアストロドームな

みだぞ」

「同じでなくてもいいわけでしょう」

「ふむ・・・確かにな。ここはフロイの内殻だ。予算を湯水

のように使えば、できんことはない。しかし、時間がかか

る。急いでも、1年。しかも、あれほどの精度は出せんだろ

う。あれは、奇跡的と言えるものだ」

「可能な範囲内で、ということでは?“ビッグ・フロイ計

画”全体の、ガイド・ラインの上で。マザー・コンピュータ

ー“弥勒”と、管制ドームのネットワークの威力で、ソフト

からアプローチすれば、」

「それは今までもやってる」

「しかし、キューリイ7000とは比較にならんでしょう。

必要なら、予備の第十三ドームを動かせばいい」

「ふむ・・・よかろう。COOMのアランに検討させてみる

か。あとは、緊急総合対策委員会の判断だ」

 高杉は、かすかに口もとをゆるめ、うなずいた。

「こっちの方からも、大いに働きかけますよ」

「うむ。で、その緊急総合対策委員会の方だが、何か動き出

したようかね?」

「西村総合科学部長の話では、」高杉は、首を振り、ため息

をついた。「あれはまさに、烏合の衆らしいですね。下部小

委員会はいいらしいんですが、」

「ふーむ・・・」周永峰も、皮肉を込めて白い歯をこぼし

た。「人類を代表する頭脳集団が、困ったものだ」

「部長は、むしろ喜んでましたがね。かってにやれますか

ら、」

「なるほど。科学的真理は、民主主義的多数決とは、一致せ

んということか」

「ええ。しかし、長いことじゃないでしょう」

「そう願いたいものだ」

 

 かって、アイソレーション・タンク(感覚遮断室。人間の

あらゆる感覚を遮断するため、体温と同じ水の中に浮かび、

頭の部分に大きな酸素マスクをかぶった。後に、幻覚薬物も

使用)は、人間の意識の神秘性や、人間の意識のさまざまな

階層性を証明した。それから、人類は宇宙へ進出し、スカ

イ・ラブ時代、衛星軌道プラント時代、太陽系大航海時代へ

と突入してきた。そして現在は、宇宙空間への大移住時代の

真っ只中にある。

 こうして、個人からグループ、多くの社会機構、さらにさ

まざまな生態系の単位が、大宇宙という底なしのアイソレー

ション・タンクへ、続々と送り出されてきた。まさに未知の

領域に、急速に、大量にである。そして、その宇宙コロニー

社会において、さまざまな難問が噴出しはじめたのは、およ

そ25年から30年前といわれる。もっとも、それ以前に

も、あるにはあった。ただ、それにかかわっている余裕がな

かったと言った方が正確だろう。つまり、宇宙移住計画が軌

道にのり、将来への展望が開けた時、ようやく対処しなけれ

ばならないさまざまな課題に直面したのだ。また、それに加

え、ちょうどその時期から、宇宙空間における難病や怪事件

が、急激に増えだしてきたわけである。

 が、いずれにせよ、その21世紀も半ばを越えた頃、宇宙

空間に進出した人類は、これまで体験しなかった神秘現象

に、続々と遭遇しはじめた。物理的現象のレベルで、有機生

命体のレベルで、そして意識精神的な各レベルにおいてであ

る。それらの中には、かって地球上において、宗教性やシャ

ーマニズムの中に封じ込められていたようなものもあった。

特に、霊的現象に基盤を置くものがそうである。が、その理

論的解明はともかく、地球上ですでに定着していたような現

象では、あまり問題はなかった。大問題だったのは、宇宙空

間において新たに起こりはじめた現象と、その傾向だった。

中でも社会的影響が最も大きかったのは、宇宙空間に対する

適応型人間と、非適応型人間の分化傾向だった。これは、直

接彼等自身の個人レベルの問題にまで浸透したからである。

 こうした中で、非適応型人間の実態は、これまでも、あま

り大々的には公表されていなかった。社会的混乱が、あまり

にも大きかったからである。それと、徐々に順応していく人

間も、かなりあったからである。が、そうした社会的側面に

加え、科学的にも、きわめて重要な難問題だった。これはま

さに、生命の“個体差”、“生命潮流の力場”の命題に、深

く係わっていたからである。

 むろんこれは、新しい環境における自然淘汰である。そし

てこれが、人間以外のバイオ・テクノロジー問題だったら、

あっさりと切り捨てるだけのことだった。が、人間の場合、

放置しておける問題ではなかった。この問題を放置しておく

ことは、サラの言うように、人類の宇宙移住計画の失敗を意

味することになるからである。しかも、将来的には、人類の

大分裂をも招きかねない問題だった。

 が、一方、逆に純粋な科学の立場から見た時、そこに大き

な難問が転がっていれば、そこは科学のフロンティアにな

る。そして、しだいに科学者が集まり、組織され、彼等の仕

事場になっていく。そしてそこから、新たな何かが始まって

いくわけである。それが難解であればあるほど、その獲物は

大きいわけである。科学者は、決して諦めることはないから

だ。仮に、その時代で解決されない場合でも、その知的好奇

心の遺産は、延々未来へと引き継がれて行くことになるので

ある。

 ところで、この非適応型人間も、20世紀における癌問題

のように、まさに千差万別の状況から来ていた。こうした生

命の“個体差”、あるいは、一人として同じ人間がいないと

いうことの意味は、我々人間には推し測れないほどの、深遠

な意味を含んでいると考えるべきである。

 が、そうした非適応型人間も、大きくは二つに分類されて

きた。つまり、肉体的な非適応と、意識精神的な非適応であ

る。そして近年、それに加え、第三の型とも呼ぶべきものが

クローズ・アップしてきた。

 この第三の型には、“人間原理”的に見ても、実に面白い

症例が多い。そうした中でも、笑い話にもならないほど、

“運”の悪さが集中する患者などは、その典型的なものだっ

た。人間の行動や生活は、一見個人の意志で、かって気まま

に動いているように見える。が、それは、実は決してバラバ

ラなものではない。それぞれが全体として、超偶然的な、自

己創出性風景の関係性の中で動いているのである。また、そ

うでなければ、とても人間生活などできるものではない。そ

して、その背後にあるものが、個人の所有である“今”とい

う、奇妙な複合コミュニケーションである。

 この“今”は、実は秒速30万キロメートルの、光量子ジ

ェントル・イベント的な側面ばかりにあるのではない。人間

の五感や、ESP、記憶、意識精神領域が、ホログラム的に

重なってくるのである。そして、何よりも、この“今”は、

“永遠の今”だということである。人間は生まれた瞬間か

ら、この“永遠の今”というリアリティーの上を生きていく

存在である。したがって、過去や未来などというものは実在

しないし、死などというものも、決してやってくることはな

い。人間は、死ぬまで、“今”の上に存在するのであり、

“死”の瞬間でさえも、“生”であり、“今”なのである。

つまり、“死”は決してやってこないし、明日がやってくる

ことも決してない。あるのは“今”、“永遠の今”だけなの

である。これが、この世界のリアリティーであり、“死”

も、この一枚の絵の一点と認識すべきである。それは消える

ものでもないし、全ての終わりというわけでもない。

 が、それはともかく、そうした人間生活の自己創出性風景

のシステムは、ちょうど一枚の布模様にたとえることができ

る。布の一点を棒の先でつつけば、布全体が引っ張られる。

布模様の関係性も、そこを中心に多少づつ歪んでいく。ある

いは、その布がさらに広大なもので、社会や国家といった大

きさのものになれば、一人の人間では、それほど大きな歪み

は起こらない。が、そうした意味世界全体の関係性が、全生

態系、全宇宙で、ダイナミックに変動していくのが、この我

々の人間性世界の特質なのである。

 ところが、第三の型の非適応型人間では、そうした“人間

原理空間”における関係性の絆が、まるでプッツリと切れて

いるような感じなのだ。人間の自己創出性社会の関係性の布

模様から、まるでドロップ・アウトしたような人間たちが出

現したのである。こうした人間は、サイ波動レベルにおい

て、きわめて特異な断層群を示していた。が、これは、物理

科学的にはむろん、生命科学的にも、意識科学的にも、きわ

めて難解な大問題に発展した。そしてこの難問が、しだいに

地球ガイア・システム問題や、グローバル・ブレイン問題、

ガイア・フィールド解問題に結び付いてきたのである。

 また、こうした時代背景の中で、運命的なレスター/ダニ

ガン論文が提出された。そして、宇宙空間における“人間原

理”の再検討、グローバル・ブレインの動向把握、人工的ガ

イア・システムの建設育成促進という、“ビッグ・フロイ計

画”が急浮上してきたのである。

 が、それにしても、数十億もの人類を、急速に宇宙空間に

移住させるという計画は、大きな冒険をともなっていた。戦

争などとは本質的に異なるレベルで、一瞬にして、数千万人

の犠牲者を生み出しうる世界である。地球生態系のように、

人知を越えたホメオスタシス(恒常性)維持能力のある場で

はなく、単に人類の科学技術の集積による、卵の殻のように

もろい人工環境なのである。しかも、いずれも大容量コンピ

ューターを駆使しているとはいえ、今やその科学の基盤であ

るパラダイムが、大きくシフトしようとしている時代であ

る。いわば、今まさに捨て去られようとしている、過去の技

術文明の上に成り立っている世界だった。が、それでも、こ

の宇宙移住計画を完成させなければ、地球の生態系そのもの

が、沈没してしまうのも明白だったのである。

 まさに、宇宙コロニー時代に到達しても、人類の進むべき

航路は、暗く細かったわけである。そして、今やその水先案

内は、彼等科学技術者集団に、全面的にゆだねられていた。

科学技術者集団は、この今の与えられた時代を全力で乗切

り、次の世代へと無事に引継いで行かなければならないので

ある。

 

 ところで、高杉個人にしても、子供時代を、新時代の混乱

の中で過ごしてきていた。また、問題が統合整理されてくる

過程も、つぶさに眺めてきた。そして、彼が中等教育課程に

進級する前後には、ホモ・サピエンス文明そのものの、パラ

ダイム・シフトが渇望されるようになった。文明のパラダイ

ム・シフトが、宇宙文明を成功に導く必須条件になってきて

いたのである。

 むろん、科学世界では、量子論以後、確実な足取りで、ニ

ュー・パラダイムへ向かって歩み始めていた。しかしそれ

は、文明そのものの転移を必要とするほどではなかった。そ

して当然、太陽系開発も、宇宙移住計画も、機械論的な旧パ

ラダイムの延長線上で推進されてきた。19世紀、20世紀

において発揮された、機械文明、客観的分析的還元主義の威

力としてである。しかし、人類史上未曾有の、大宇宙移住計

画の真っ只中で、その定着という段階において、ようやく現

実的な見直しが迫られてきたわけである。もちろんこれは、

文明史的な大問題である。しかし、そのニュー・パラダイム

の全貌は、まだ見えてきてはいない。が、それは、これまで

の宇宙観である物質レベル、生命レベル、意識レベルといっ

た階層性さえも、互いに浸透し合い、それそのものが溶け合

ってしまうような概念なのである。したがって現在は、パラ

パラと断片的に現れてきたものを、つなぎ合せ、重ね合わ

せ、部分的な構造化を進めている段階であ。もっとも、こう

した構造化以前に、意識科学や前衛理論的には、それよりも

もう少し先の方まで分っている。また、こうした時代の中

で、宇宙観や宇宙論も大きく揺れ動いてきた。我々の眺めて

いる人間や宇宙が、旧パラダイムでは、見当もつかない所へ

シフトし始めていたのである。

 一方、こうした大変動の時代を背負いつつ、“ビッグ・フ

ロイ計画”は、着実な成果を上げてきていた。新理論、新モ

デル、トポロジー解析仮説等が、多数提唱された。そしてま

た、そうした大多数が否定され、消え去り、忘れ去られてい

った。しかし、厳しい真理の探求と、激しい時代の荒波に洗

われ続け、今もなおその中心に位置し続けているのが、26

年前に提唱された“サイ・ストーリイ仮説”である。仮説の

呼称が、今なお残っているのは、これは究極ではなく、あく

までも一里塚に過ぎないという意味からである。

 この理論は、DNAの二重螺旋構造の遺伝子情報系モデル

を、この現在ある意味の世界の発現に、当てはめたものと言

っていい。むろん、DNAの遺伝子情報が問題なのではな

く、発現のモデルの階層性が問題なのである。したがって、

この“サイ・ストーリイ仮説”では、理論的飛躍は少なかっ

た。が、その分、現時点における分りやすさと堅実性があ

り、不動の本質と環境的対話という、後成学的風景(エピジ

ェネティック・ランドスケープ)の観念を含んでいる。現在

もなお、“サイ・ストーリイ仮説”の、基本的世界軸の建設

が進められているが、これは総合科学における“人間原理空

間”の建設と、同時平行的に進められている。かって、量子

力学を記述するのに、ユークリッド空間やリーマン空間では

不可能だった。そして、彼等は、全く新しい数学的なヒルベ

ルト空間を考案した。同様に現在、数学的に“人間原理”を

記述するために、“人間原理空間”が考案されているわけで

ある。

 この、“人間原理空間”とはどんなものかといえば、現在

“我”の人格が形成している、この認識空間そのものであ

る。つまり、今自分が住んでいる、このナマの空間である。

が、この世界のリアリティーは、統一的無境界であるがゆえ

に、記述するとなるときわめて難しかった。単に、地球表面

を、平面的な地図に写しかえるために、どれほどの苦労を重

ねてきたかを考えれば分るだろう。しかも、たかだか地図レ

ベルでさえ、ひとつの完全な図法というものはできなかっ

た。したがって、それが“人間原理”となると、その困難は

測り知れなかった。が、それでも、統一的リアリティーは、

ここに、厳然と存在しているわけだった。地図においては、

地球表面そのものがリアリティーである。ヒルベルト空間に

おいては、ミクロ世界の素粒子の運動そのものがリアリティ

ーである。そして、“人間原理空間”においては、人間の全

人格の発現そのものが、リアリティーなのである。

 ところで、何故“人間原理空間”のようなものが必要かと

言えば、人間にとって、地図や設計図が必要なのと同じ理由

である。地図や、海図や、太陽系航路図は、困難な航海を一

般化し、その安全性と経済成を飛躍的に高めた。また、設計

図などは、膨大で複雑なものを積み上げることが可能であ

り、それを誰が見ても分るように一般化する。つまり、それ

によって、巨大な宇宙人工島のようなものの建造も可能にな

るわけである。くりかえして言えば、この世界は、確かにリ

アリティーの結晶世界ではあるが、リアリティーには人間的

解釈と言うものが必要なわけである。これがいわゆる、文化

であり、文明ということである。

 こうした“人間原理空間”における、人間のための、人間

記述は、我々に、ニュー・パラダイム世界を切り開いてくれ

ると考えられる。では、その“人間原理空間”を、どの様に

構造化していくかと言えば、まず意味体系発現の波動場でな

ければならない。そして、それが、人格によって自己創出的

に関係化していく、存在感の世界でなければならない。が、

こうしたものを、N次元で構造化するということは、きわめ

て難しかった。したがって、当初から、空理空論と酷評され

るほど困難をきわめた。そうした中で、小石を一つ一つ積み

重ねるような試行錯誤が、延々とくり返されてきた。しか

も、基盤をもたない砂上の楼閣は、何百例となく崩壊してい

った。しかし、現実に、まさに今ここに、120億の人類が

存在している、一大世界があるわけである。どこからか現

れ、誕生し、この宇宙の超媒体として認識を構造化し、死に

至って再びいずこへか去っていく超空間があるのである。一

つとして同じ人格はなく、価値観のスペクトル(複雑な組成

をもつものを、共通の要素で分析し、配列したもの。光を分

光機を使って分解し、波長の順に並べたもの)が絢爛として

現れ、そのベクトルがストーリイ的に表示される超空間があ

るわけである。同じように、美意識が爆発し、人間性が流

れ、超人間的生命潮流が予感される、超世界があるわけであ

る。これが、数学的に記述しきれないわけだったが、しかし

視点を変えて見れば、我々の文化文明の歴史全体が、その巨

大な投影なのである。

 ところで、総合科学において、これまでのさまざまな失敗

や誤謬も、真実の1スペクトルとして認識すべきだという動

きが出てきていた。それら、数々の失敗地図を重ね合わせ、

関係性を編み上げ、その根源である真実を、不動のものとし

て見いだしていこうという運動である。これは、確かに、正

鵠を射たものだろう。この世界には、本来、真実以外の何者

も存在していないからである。誤りや失敗と見えるのは、そ

の目的性と重なり合わないがゆえの誤謬である。したがっ

て、失敗や誤りも、その座標における、より深い真実の1ス

ペクトルなのである。また、それらは表裏の関係にあり、そ

して、表と裏は相反するものではなく、互いに統一的に浸透

しあったものだからである。

 このように建設されてきた“人間原理空間”は、とうてい

人間が視覚的に認識できるようなものではなかった。きわめ

て複雑な、特異なものにならざるを得なかった。つまり、い

ずれも、バイオ・コンピューター内の、ホログラフィー・モ

デルである。また、その操作には、場合によっては二次プロ

グラム、三次プログラム、あるいは強力なESP能力の再媒

介が必要である。しかし、こうしたモデルが進展して行け

ば、“人間原理”の数学的解明の、足掛になって行くことは

確かだった。むろん、応用は、測り知れないほどある。が、

とりあえずは、宇宙空間における非適応型人間に対する、最

深度医療の開発や、死後のコントロールが可能になってくる

だろう。

 しかし、こうした“人間原理空間”の建設も、いずれ壁に

突き当たるのは明白である。こうした体系は、必然的に、観

測者としての矛盾を内包しているからだった。また人間は、

どのようにしても、人間自身を越えることができないのも確

かである。量子的波動関数も、ホロンの概念も、コスモ的な

ゆらぎも、全て人間が自己創出的に形成する風景の、人間的

な原則でしかないからである。個人、集団、社会、さらにグ

ローバル・ブレイン覚醒への階層も、また人間的超偶然の織

なすストーリイの布模様も、さらにまた、彼我一体の全包括

的リアリティーの輝きも、すべて“人間原理”自らが放つ、

人間性スペクトルそのものだからである。

 もっとも、こうした“人間原理”のスペクトルという表現

も、あくまでも的確な表現とはいえない。本質的に矛盾を内

包した概念を、また矛盾を内包した概念によって証明しよう

としているからである。

 “人間原理空間”における表現形式もその一つだが、こう

したニュー・パラダイムを記述するのに、バイオ・コンピュ

ーター内に、ホログラム的な新しい表現形式が求められてき

た。むろん、これまでも、幾多の表現体系が考案されてきた

わけである。しかし、地図の図法に始まり、コンピューター

言語の長い歴史を語るまでもなく、こうした課題では、常に

完全無二というものは生まれてこなかった。必ずそこに、

“誤差”、“幅”、“遊び”、“ズレ”といった、相互矛盾

や抽象部分が浮上してくるからである。これは、“世界”そ

のものであるリアリティーと、宿命的な境界的言語表現の、

本質的な矛盾である。

 しかし一方、こうした曖昧な不確定性部分の存在こそが、

この世界のきわめて重要な特徴の一つとして認識する必要性

も出てきていた。つまり、そこに、人間性というホログラム

が重なっているという見解である。そして、素粒子論の不確

定性原理に代表される、この曖昧さの壁は、生命科学、意識

科学といったより高度なレベルの体系では、益々顕著になる

からである。

 

 

 

 第五章             

 

 フロイに帰還して三日目の日は、温かい小春日和だった。

ポイント・ゼロの現場も、人員が大幅に強化され、益々にぎ

やかになってきた。半径50メートルのロープの内側も外側

も、急速に整備が進んでいる。また、かっての資材置場のあ

たりも、すっかり雑木が刈り払われた。そしてそこに、常設

の集中監視ハウスの建設が始まっていた。積雪期への対応で

ある。しかし、そうした一見のどかな作業風景も、全体とし

て、ピリピリとした緊張感が漂っていた。

 正午少し前、高杉は、コンピューター秘書の“マチコ”に

呼びかけられた。

「‘光一、’」

「何だ?」高杉は、セラミック装甲スーツのヘルメットの中

で言った。

「‘その前に、回線を、切換えて下さい’」

「ああ、うむ・・・どうした?」

「‘研修性の、ナンシー・カーマイケルさんからコンタクト

です’」

「うむ。つないでくれ」

「‘はい’」

「こんにちは、高杉さん。とてもいいお天気ね」

「ああ。今日は、ずいぶんあたたかい」

「これから、サンドイッチとお茶を持って、そっちへ行って

いいかしら?」

「うむ、」高杉は、ヘッド・アップ・ディスプレイの時刻表

示を見た。正午に、10分前だった。

「ああ。たのむよ、ナンシー」

「他に、何か御用はないかしら?」

「特にないな」

「ブドウはどうかしら?ニュー・クラリオン・タウンの農場

でとれたものよ」

「うむ、いいな」

「それじゃ、高杉さん、これから行きます」

「ああ」

 それから、高杉は、工作ロボットのコンピューター・ター

ミナルで、二、三の問題を処理した。ヘッド・アップ・ディ

スプレイに、小型エア・クラフターが一台やってくるのが表

示された。ビュウアーを五倍に拡大して眺めると、建設中の

監視ハウスの横を抜けた。そして、まっすぐに、ポイント・

ゼロの方に向かってきた。長い栗毛の髪をなびかせているの

で、すぐにナンシーだと分った。

 高杉は、大股でロープの方へ歩いた。ロープをまたいで外

に出ると、カチ、カチ、とセラミック装甲スーツのロックを

解除した。まず、両手の装甲手袋をとり、それからヘルメッ

トを脱いだ。両手にそれらをぶら下げ、エア・クラフターの

方へ歩いた。けっこうな重さだった。セラミック装甲スーツ

は、いかにセラミックスや硬質軽合金が使われているとはい

え、それほど軽くはなかった。これは、軍用の装甲戦闘スー

ツを原型に製作されたものであり、短時間なら、2000度

の高温から、超真空超低温の宇宙空間にまで対応する。むろ

ん、戦闘服である以上、衝撃や圧力には、きわめて強い設計

になっている。こうした、技術集約型の装備を身につけ、普

通の数十倍も身軽に行動できるのは、含水高分子ゲルの人工

筋肉や、バイオ・コンピューターでパワー・アップされてい

るからである。また、これらの総合システムによって、衝撃

波にも対処している。

「やあ、ナンシー」高杉は、カラン、カラン、とヘルメット

を、装甲スーツの脚にぶつけながら歩いた。

「お疲れの御様子ね」ナンシーは、少女のような顔で、明る

く笑った。

「君は元気だな。相変わらず、」

「ええ。元気があまってるわ。少し分けてあげようかし

ら?」

「たのむ、」高杉は、ナンシーの顔を優しく見下ろし、口も

とを崩した。

「それじゃ、タッチ、」ナンシーは、セラミック装甲スーツ

の胸を、コン、と叩いた。それから、高杉の右手からヘルメ

ットを取った。

 高杉は、彼女の背中に手をかけた。小型エア・クラフター

のステップに、装甲手袋をおいた。そして、大きく息をつ

き、ステップの端に腰を下ろした。セラミック装甲スーツ

が、金属に当たり、硬い乾いた音を立てた。

「どう、様子は?」ナンシーも、安全フレームの片方をはず

し、並んで腰を下ろした。「ああ・・・今の所、別に異常は

ない」

「そう。うちの先生方も大変よ」

「だろうな・・・」

 ナンシーは、後ろから、麦わら編みのバスケットを引き寄

せた。それを二人の間に置き、蓋を折り返した。バスケット

は、彼女の苦心の芸術作品だった。若い娘たちの間では、身

近なものを、手作りでまとめるのが流行っているらしい。ナ

ンシーの話では、衣類や装飾品、食器、小型メカに至るまで

そうだと言う。もっとも、研修性のユニホームや、基準装備

品は別だろう。

 ナンシーは、膝をそろえ、サンドイッチの包みを開いた。

それから、まだニスの臭いのするような、木製の湯飲み茶碗

を二つ並べた。そこに、ポットから緑茶を注いだ。ナンシー

は、この緑茶をひどく好んでいた。仲間内では、グリーン・

ティーといえば、彼女の代名詞らしい。

 高杉は、無造作にサンドイッチをつまみ、茶をすすった。

ぼんやりと、ポイント・ゼロ一帯の風景を眺めた。ロープの

張られた内側は、さながら建設工事現場のようだった。何よ

りも、未確認エネルギーの補捉と、そのコントロールを考え

なければならないからである。

「ミルシュタイン教授は、何と言ってる?」

「そうね・・・」ナンシーは、サンドイッチを食べながら言

った。「もし、宇宙空間での形態形成場が解明されてくれ

ば、太陽系以外の生態系が探索できるとおっしゃってるわ。

当面、地球生態系ほどに発達したものに限るでしょうけど。

そうなれば、銀河系で生命反応のある惑星が、どんどん分っ

てくるでしょうって。そして、この形態形成場やカオスの潮

流が、天文学に新しい窓を切り開くだろうともおっしゃって

るわ。もちろん、新しい宇宙論を展開していくきっかけにも

なると思うわ」

「うむ・・・まあ、そうだとしたら、それは君等の時代の仕

事だな」

 高杉は、茶碗の中の緑茶を揺らした。そして、フッ、とひ

と吹きし、また茶をすすった。

「新しい天文学の窓か・・・ミルシュタイン教授の持論だ

な。みんな、それぞれに、このポイント・ゼロに夢をたくし

ているわけだ、」

「ええ・・・」

 高杉は、茶碗を両手で握りしめ、静かに茶を飲み干した。

ナンシーが、茶碗にまたポットから茶を注いだ。ナンシーが

入れる茶は、周永峰の入れるコーヒーと同様で、いつもうま

かった。どうも彼女にも、その才能があるらしかった。

「それから、これはフランシス先生の見解なんですけど、あ

る特殊なエスパー(超能力者)なら、この共鳴サイクルにシ

ンクロできるんですって。そして最終的には、その別の恒星

の生態系まで、到達できる可能性もあるんですって。グロー

バル・ブレインが覚醒し、ガイア・フィールドが成長拡大し

ていけば。フランシス先生は、意識レベルばかりでなく、有

機生命体レベルでもとおっしゃってるのよ」

「高杉主任!」後ろに置いてある、装甲ヘルメットから声が

した。アレクセイエフの声だった。

「どうした、アレックス?」高杉は、ヘルメットの、通話接

続端子を押して言った。

「混合現象が出ています。VA33、SY101、ミューラ

ー曲線0034です」

「ふむ・・・混合か・・・位相共役修正はできないか?」

「やってみました。時間反転は無理でした。散逸構造パター

ンが入り込んでいます」

「分った。もう少ししたら行く」

「はい。ああ、それから、主任、サイ・エネルギー・シール

ドが、たった今完成しました」

「うむ、分った」高杉は、装甲ヘルメットから手を離した。

それから、ナンシーに言った。「で、宇宙船を使わずにか

い?」

「ええ、」ナンシーは、茶碗を両手ではさんで言った。「エ

スパーは増加しているし、そうした超サイクルに近い数値を

示すエスパーも、少しづつ出てきているんですって。ほんの

ごく小数ですけど、そういう傾向を示すエスパーが、」

「なるほど・・・そうなれば、我々の天の川銀河系も、小さ

くなる、か、」

「ええ、」ナンシーは、唇を結んでうなずいた。「それが、

つまり、この人間性世界なのですって、」

「ふーむ・・・そして、まずはグローバル・ブレインの覚醒

を待つ、か」

「けど、フランシス先生は、グローバル・ブレインの劇的な

覚醒は、否定していらっしゃるわ。地球生態系の霊的統一意

志は、すでにサイ情報ホログラムとして観測されているわけ

でしょう。だから、ミューテーション(突然変異)のような

劇的な覚醒ではなく、熟成だとおっしゃってるわ。高杉さん

は、どう思います?」

「レスター/ダニガン論文を支持しているよ。つまり、これ

は超人類的な生命潮流の問題だし、完全な解放系システムの

問題になる」

「つまり、混沌(カオス)は、より高いレベルでの秩序形成

に必要な、下部システムのゆらぎだということ?散逸構造論

で言う、」

「まあ、そういうことだ」

「高杉さん、」

「なんだ」

「今夜も、お忙しいの?」

「ああ。多分な」

「三十分も、時間がとれないかしら?」

「それぐらいはとれる」

「じゃ、行ってもいいかしら?」

「うむ」高杉は、唇を結んでうなずいた。

「そう。いいのね。何か、食べ物は?」

「そうだな、君に任せるさ」

「じゃ、お食事もいいのね。分ったわ。それじゃ、手製のデ

ィナーを用意していっていいかしら?」

「ああ。いいとも。そいつは、豪勢だ」

「ええ。けど、あたしもあまり時間がないの。簡単なもの

よ」

「それでいい。手料理なんて、何ヵ月ぶりかな」

 高杉は、バスケットの中に残っていたサンドイッチを、口

に放り込んだ。それから、茶を飲み干し、立ち上がった。装

甲手袋と、ヘルメットを取り上げた。

「じゃあ、ナンシー」

「ええ、高杉さん、後でね。時間はミス“マチコ”と相談す

るわ。そう言っておいて」

「ああ。サンドイッチをありがとう、ナンシー」

「どういたしまして」

 ナンシーも立ち上がった。両手を後で組み、胸を突出し

た。美しい髪を、サラリと振って見せた。

 高杉は、ナンシーに微笑み返し、ヘルメットをかぶった。

それから装甲手袋をはめ、カチ、カチ、とバックルで全体を

ロックした。これで非常時には、100分の1秒以下で、自

動的に機密化する。同時に、酸素供給やサーモスタットが働

き、一時間以内なら、宇宙空間にも対応する。

 高杉は、ポイント・ゼロの作業フィールドへ戻りながら、

フランシス・ルーブレイの見解について考えた。新傾向を示

すエスパーによる、形態形成場超サイクルへのシンクロとい

うことである。この問題では、高杉はいつだったか、彼女と

直接話し合ったことがあった。むろん、他の恒星系の生態系

へ旅行するということについては、べつに肉体を持って行く

必要はない。認識の座標系をそこへシフトさせるだけで十分

である。つまり、サイコ・トラベル(精神旅行)ということ

になる。これは光学的レベルにおいて、自動カメラが到達す

るよりも、はるかに高い意味を持つ。物質レベル、生体レベ

ル、意識レベルと、その対応レベルが格段に違うからであ

る。したがって、物質レベルや生体レベルをそこへ運ぶとい

うことは、冒険的な意味合いはあるが、一方ではさまざまな

トラブルの元凶になってしまう。

 そうした問題に対するフランシスの理論体系は、高杉はそ

の後、さらにくわしいデータを取り寄せて読んでいた。が、

それは、きわめて難解な理論だった。意識レベルにおける虚

数領域問題や、トンネル効果問題が入り込み、インプリケー

ト・オーダー(次元に織り込まれた秩序)と、エクスプリケ

ート・オーダー(開示された秩序)の関係性理論が多数導入

され、きわめて“人間原理”的解釈が展開されていた。もっ

とも高杉も、その“人間原理”的解釈に引き付けられて読ん

だわけである。が、雄大なロマンとしてはともかく、現実に

応用すべき理論としては、いかにも射程が遠過ぎた観があっ

た。

 彼女はもともと、ホロムーブメント(動的ホログラ

ム。・・・このホロムーブメントの投影上に、時空間も、生

命も、意識も、全て含まれているとして展開する)派の中心

的人物の一人である。その自信からかどうか、故意にサイ・

ストーリイ仮説を用いずに論じていた。が、少なくとも、エ

スパーを加えて論じている以上、サイ・ストーリイ仮説をさ

けたのは、どこか無駄な努力のような感じがした。宇宙空間

におけるESP現象や、サイ現象全般の新展開では、少なく

とも現在までは、サイ・ストーリイ仮説はその時代的役割を

十分に果たしているからである。が、それはそれとして、フ

ランシスの理論は、それなりに高く評価できるものだった。

とにかく、大きく夢のふくらむ見解であることは確かだ。こ

うした大きな夢は、未知への足掛となり、ひとつの活力とな

る。サラ女史の言うように、弱者救済的な展開だけでは、現

実問題として行き詰ってしまうのだ。もっとも、サラにして

も、そんなことは百も承知して言っているわけだった

が・・・

 

 午後まもなく、高杉は管区総合科学研究所へ引き上げた。

そこで、VA33、SY101、ミューラー曲線0034

の、混合現象問題の解析処理に当った。そして、それが終わ

ると、“マチコ”に休憩サインを出させた。青の大ホール

で、とりあえず、疲労回復をはかってくることにした。もと

もと、艦隊勤務のような仕事の後では、数日の休息がとれる

のだ。しかし、ポイント・ゼロ・プログラムの発動とあって

は、どうしようもなかった。

 高杉は、ブレスレットの通信機で、もう一言“マチコ”に

付け加えて言った。

「これから、青の領域へ行く。青の大ホールで、二時間休息

する」

「‘はい、光一’」

「メッセージは入っているか?」

「‘ランクAはありません。それから、これは緊急ではあり

ませんが、妹の海さんから、メッセージが入っています’」

「ほう、海からか。久しぶりだな。アレは今どこにいる?」

「‘今日午後2時、フロイのセム宇宙港に入港したのを確認

しました。お友達5名と一緒です。海さんは、ウインター・

スポーツに来られた御様子です’」

「ふむ。すると、しばらくはフロイに居るわけだな。ま、無

事でいてくれればいい。メッセージは後で見る」

「‘はい’」

「ああ、それから・・・グローバル・ブレインJSナンバー

88・・・そのAE20モデル・・・それをマンデルブロー

集合から解析してみてくれないか。もちろん、地球ガイア・

システムとフロイとの、全関係性ホログラムの中でだ。その

形態形成場効果の、幾何学的解釈が欲しい」

「‘加重ホログラムは、光一の“写楽308人間原理空間”

でよろしいのかしら?’」

「うむ。そういうことだ。どのくらい時間がかかる?」

「‘・・・わたしの能力ですと、5時間から7時間です’」

「幅があるな・・・どうだ、3時間でできないか?」

「‘現在の、わたしの振り向けられる能力では、不可能で

す。でも、光一、これは推測ですが・・・’」

「うむ、言ってみろ」

「‘はい。キリー(SOL50の大型宇宙植民島のひとつ)

のフラクタル幾何学研究所に、データが揃っていると思われ

ます。そこのガリーナ・ソコロフスキーが、写楽308のデ

ータを引出しています。目的は、マンデルブロー集合からの

解析です’」

「ガリーナ・ソコロフスキー?知らん名だな、」

「‘若い女性数学者です。データを出しましょうか?’」

「いや、いい。とにかく、できているものがあるなら、取り

寄せておいてくれ。なかったら、コマーシャル・ベースでも

いい。何処かに依頼し、3時間で揃えておけ」

「‘はい。それから、光一、例のカタストロフィー・ポイン

トですが、バタフライ・モデルですと、未確認エネルギーの

流れは、’」

「後だ、“マチコ”。とにかく、青の大ホールへ行く。“気

泡”の手配をたのむ」

「‘はい、光一’」

 高杉は、廊下へ出た。無人サービス・スタンドで、温かい

豆乳を一杯飲んだ。それから、チューブ・リフターで、地下

第二層Aフロアーから、地下第一層輸送交通フロアーへ昇っ

た。ガラス・チューブは三本並んでいたが、その一本で、ビ

ル・フォードが降りてくるのとすれちがった。高杉は、かる

く挙手を返した。彼等はむろん軍人ではなかったが、この挙

手というのは、使ってみればなかなか便利なものだった。

が、それにしても、研究都市空間の人口がどんどん増えてき

ていた。どこも、かなりの人出があり、しかも活気に満ちて

いた。

 地下第一層の輸送交通フロアーへ出ると、高杉は、一番近

い“気泡”ステーションへ向かって歩いた。回転内殻の外に

ある青の領域へ行くには、高速輸送交通チューブの“気泡”

で行くのが、一番めんどうがなかった。“気泡”だと、速

く、しかも乗り換えなしで行くことが出来るからである。

 高杉は、重い足どりで、ゆっくりと歩いた。疲れきっては

いたが、気分は良かった。漠然としてはいたが、未来に対す

る明るい展望が開けてきているからである。広い廊下の中央

に、大きな太陽系航路図の立体ホログラフィーがあった。き

わめて精密で、スペース・ブルーの美しいホログラムだっ

た。現在航行中の主要宇宙船が、リアル・タイムで表示され

ている。それから左手の方の壁には、絵画や、レリーフ、彫

刻、ホログラフィー芸術などが、それぞれ思い思いに飾られ

てあった。すべて、この一帯で働いている人々の作品であ

る。

 そこから、ゆるい曲線の角を左の方へ曲がると、前方に透

明な輸送交通チューブが光っているのが見えた。双方向の二

本である。時々そのガラス・チューブの中を、“気泡”が流

れていく。チューブは、このあたりでは直径6メートルであ

る。一方、“気泡”の方は、その呼び名の通り、シャボン玉

のような透明球体だった。そして、球体の下5分の2が不透

明で、明るい色彩や模様が入っている。その境目に、床と椅

子があり、下はメカが詰っている。

“気泡”ステーションに入ると、そこは意外に閑散としてい

た。さすがに、暇をもてあましている者は少ないようだっ

た。“マチコ”に、“気泡”を手配させておくまでもなかっ

た。“気泡”は、ピンポン玉のように、いくらでもあ

る。

 10本あるステーションのラインのひとつに入って行く

と、フワリ、と“気泡”が1つ浮き上がってきた。下がブ

ルーの“気泡”だった。

“気泡”は、忠実なペットの小犬のように、ラインのわきの

溝を、スーッ、と高杉のいる位置まで近づいてきた。ガラス

球体の一部が、プーン、という軽い音とともに開いた。高杉

は、“気泡”に乗り込んだ。行先を告げ、ドッカリと椅子に

腰を沈めると、クッションよく揺れた。“気泡”は、ピッ、

と了解を告げた。

“気泡”は、再びゲートに沈み、すぐに輸送交通チューブに

入った。ステーションが閑散としていたように、チューブの

中もガラ空きだった。前を行く“気泡”は、はるか先の方

に、ポツンと二つ見えるだけだった。

 彼の乗り込んだ研究都市空間からの輸送交通チューブは、

2、3分で第八管区幹線チューブに合流した。幹線に入る

と、“気泡”の数もぐんと増えた。それに、“気泡”の色数

も多くなり、花が咲いたように賑やかになった。“気泡”速

度も、時速70キロメートルに達している。町の賑やかなス

テーションを、つぎつぎと通過していく。出入りする“気

泡”と、フワッ、フワッ、とすれ違って行く。しかし、スピ

ードは全く落ちなかった。“気泡”どうしが、互いに電磁的

な反発力を持ち、決して接触することが無いからである。

 現在、フロイにおける町は、地下第二層だけに点在してい

る。が、町の上は、地下第一層の輸送交通フロアーも賑やか

だった。また、その上の地表にも、数軒から数十軒の木造建

造物があるのが普通である。スポーツ施設、レジャー施設、

観光客用の簡易ホテル等である。また、湖沼や山岳寄りで

は、レジャー用の山小屋やキャンプ場があった。

 ところで、フロイでは、流動人口の九割を占める観光客に

ついては、厳しく総量規制をしていた。これは、実験人工島

としての、総合管理機能に支障をきたすからである。その

上、フロイの観光施設といえば、ごく粗雑なものである。し

かし、それでも、観光人気は高まる一方だった。また観光収

益も、人々の市民生活を十分に潤していた。したがって、今

後、この気象コントロール・システムが低コスト化されれ

ば、フロイ型人工観光惑星として、独立採算がとれると言わ

れている。宇宙空間だと、大気圏降下の必要も無く、費用も

安く、物価も安いため、フロイ型観光惑星の要求は高まる一

方だとも言う。むろん、その背景には、8億に到達した宇宙

人口の、地球環境への渇望があった。

 これまでも、各コロニーや宇宙人工島の単位で、気候変動

プログラムは最大限に実施されてきている。しかしそれは、

風雨や、多少の降雪や、箱庭のような森林原野での嵐でしか

なかった。一方、観光資源としてのフロイは、中心軸までの

一万メートルに達する空があり、一千メートル級の山々が連

なっていた。そして、湖沼や川があり、四季があり、数メー

トルの降雪があった。大地は見渡す限りの森林原野であり、

そこに地球の気象が精密にコピーされていた。しかし、これ

ほど大規模に地球環境が再現されたのも、経済性という側面

が全く度外視されてきたからである。しかし今や、このケタ

外れの巨大システムも、フロイ型観光惑星として、経済ベー

スにのろうとしているのである。

 フロイのこうした側面も、“ビッグ・フロイ計画”の波及

効果のひとつである。しかも、この種の波及効果は、経済面

ばかりではなく、宇宙文明的にも、地球人類の未来を大きく

変えていくものになる。将来、こうしたひとつの生態系単位

が、宇宙船として、太陽系の外に出ていくことも十分に可能

だからである。仮に、再び、核戦略時代のような危機が生起

した場合、こうした生態系単位が幾つか集まり、太陽系を離

脱していくことも十分に考えられる。つまり、DNA型生命

や、ホモ・サピエンスのサバイバル性が、飛躍的に高まるわ

けである。そして、もうひとつ明るい展望がある。それは、

宇宙空間における非適応型人間の、フロイでの治療効果であ

る。今の所めざましい効果はないが、グローバル・ブレイン

が覚醒すれば、フロイは単なる人工惑星のステージを越え

る。フロイは、ひとつの有機的生命圏として動き出すからで

ある。まだ未知の領域は多いが、フロイへの収容と、治癒効

果は十分に期待できる。

 やがて高杉は、“気泡”の椅子を倒し、深々と体を横たえ

た。そうやって、極度の疲労の中で、刻々と時が経歴してい

くのを見つめていた。が、それもしばらくの間で、そのうち

に心地好い眠りに落ちていった。その間、“気泡”は特別走

路に入り、最高の時速百キロメートルに達していた。そし

て、やがて回転内殻の突き当たりに到達した。そこで、幾つ

かのカラー・ゲートを通過し、上昇に移った。中心軸の外に

ある、外殻のカラー・ゲートへ流れ込むためである。その外

殻のカラー・ゲートを通過すれば、一気圧下の無重力環境に

入る。

 “気泡”は、九千メートルを上昇していき、やがてその外

殻のカラー・ゲートをも通過した。その後、セム宇宙港、無

重力総合レジャー・センター、無重力農場群と抜け、その先

の青の領域へと流れた。

 

 青の領域は、その必要性から、8年前に付加された研究施

設である。中心に、直径5200メートルのバナール球をも

ち、フロイとの切り離しも可能である。現在、このフロイの

青の領域といえば、広範多岐にわたる科学研究世界の中で

も、“人間原理”の意識領域を扱う一大中心となっている。

フロイの外の世界から眺めれば、“ビッグ・フロイ計画”の

成果は、まさにこの青の領域に吸収されている観さえあるほ

どである。

 高杉の“気泡”は、やがてスピードを落とした。そして、

青の大ホールのゲートを抜けると、自動的に停止した。ピ

ッ、ピッ、というアラーム音で、高杉は目を覚ました。椅子

のマグネット・ベルトが切れ、フワリと体が浮き上がった。

高杉は、ゆっくりと“気泡”から抜け、無重力空間へ泳ぎ出

した。それから、直径300メートルにわたる、上下左右の

無い球状空間の中で、静かに真ん中の方へ漂っていった。彼

の他にも、人々が点のように漂っているのが見える。

 高杉は、大きく深呼吸をくり返し、全身の力を抜いていっ

た。そうやって、いったん腕、脚、腰を伸ばし、それから筋

肉を適度に弛緩した無重力禅の形をつくり、両手で印を結ん

だ。そうやっていると、まず何とも言えず、静かな澄みきっ

た気持ちにかえった。この青の大ホールには、何よりもプラ

ーナ(生命微子)が濃縮している。このプラーナも、サイ粒

子系列の超微粒子と考えられ、この青の領域で理論的解明を

進めている段階である。が、体験的には、古くから、生命に

対する滋養として知られている。いずれにせよ、“人間原

理”や、宇宙における生命現象に、深く関与しているサイ微

粒子と考えられている。この他、この青の大ホールには、快

い微弱なサイキック・ウェーブ等も流されていた。この、直

径300メートルの球状空間には、人間の生理現象を休息さ

せる、可能なあらゆるシステムが動員されているのである。

 一般に、この青の領域を訪れる人々は、人間の意識や精神

領域の、広大できわまりのない可能性に感動するといわれ

る。これまで、科学のメスの入りにくかった、この謎の広大

な荒野に、“人間原理”最大のフロンティアを認識するから

だという。また、ここにこそ、いっそう深い、物質、生命、

意識の、また宇宙の存在の謎が、確かに織り込まれているか

らでもあった。

 この、青の領域で建設されている“人間原理空間”モデル

では、ニルバーナ(涅槃。仏の無上の悟り)も、“人間原

理”の1スペクトルとして記述されている。時空間感覚の風

景も、1スペクトルとして描かれる。また、快・不快や、人

間精神の糧となる美の意識、価値、探求心の抽象等も、それ

ぞれに独特の“個体差”や“人格差”を示すわけだが、それ

らはこの“人間原理空間”に、バイアスをかけられたベクト

ルの形でホログラム投影される。

 ここでもまた、独自の“人間原理空間”を創設し、こうし

た基本的に矛盾をはらんだ解析的努力が積み重ねられている

わけである。これは、我々人間の理解というものが、きわめ

て空間的なものだという理由による。この世界の実体、この

世界の全ての真実は、統一的無境界である。つまり、切れ目

がなく、二律背反の波動もなく、因果律の時の流れもない。

時の流れのない世界、すなわち永遠であり、波動やゆらぎの

ない世界、すなわち無であり空である。

 高杉の好んで読む仏典に、こういう言葉が記されている。

 

 

人間を描くには、四大元素を用い、万物を用いる。

仏を描くには、金泥、泥絵の具を用いるばかりでなく、仏の

三十二相、一茎 の草、永遠の修業を用いる。

 

 

 そして、その仏典には、さらにこう記されてある。このよ

うに学ぶ時、生と死の移り変わりは、ことごとく“絵”であ

る。仏の無上の悟りも“絵”であり、存在世界も虚空も、す

べて“絵”であり、一動一静として、“絵”でないものはな

い、と。

 これは、人間の至上の理解が、“絵”という空間的なもの

であることを、端的に物語っている。ここで言われている

“絵”とは、科学的表現に置き換えて言えば、ホロムーブメ

ント(動的ホログラム)の全体系を、おそるべき直観力で、

結晶化させたものだということが出来るだろう。

 無重力禅を組んだ高杉は、青の大ホールを、ひとり静かに

漂っていた。そして、はっきりとした意識の中で、しだいに

煩悩が離れていくのを感じていた。ポイント・ゼロに関する

さまざまな想い、地球で羽を伸ばしている妻のアンナのこ

と、二人の子供たちや友人たちのこと、それら一つ一つの事

物事象が、一つ一つの形態としてのみ心の中に浮かんでい

た。そして、やがて、それらの形態すらも、白くなり、無色

になって消え去っていった。高杉の意識は、その無色界、ニ

ルバーナの中へ漂い出した。そして疲労も、肉体・精神と

も、急速に回復していった。むろん、こうなるまでには、多

少の修業が必要である。が、その大半は、無重力空間と、こ

の青の領域の研究成果と言っていい。

 現在では、ニルバーナを得るのに、釈迦牟尼やその弟子た

ちほどの苦行は必要としない。が、そうした苦行を重ねない

がゆえに、彼等のニルバーナとは、異なっているように見え

るのも確かである。一般に、軽いといわれている。そのため

に、高僧やグルと呼ばれている人達の中には、こうした青の

領域の行き方に、批判的な者も多い。しかし、ここに至るま

でには、より以上の理解者、協力者があったわけである。そ

して、ここにもまた、時代や環境、社会的パラダイムの、変

転の相があった。

 仏教の開祖釈迦牟尼は、中道を歩めといわれた。そして、

その意味では、青の領域は、確かに中道を歩んできたと言え

るだろう。極端な苦業主義に走ることなく、時代の“知者の

道”を究めてきた。もともと諸仏祖(悟りに到達した人々)

たちが、口をそろえて言ってきたように、“仏性”は本来人

間に普遍的に備っているものである。人間のスペクトル、一

側面というよりは、人間と不可分の全体である。したがっ

て、これは自分のものでも誰のものでもなく、普遍的真実そ

のものなのである。また、確かに適切な指導書、指導方法と

いうものはあるが、それは固定されるべきものではない。時

の流れとともに、文明全体が千変万化して流れているからで

ある。重要なのは、指導書、指導方法よりは、真実の体験的

伝承の流れそのものなのである。ましてや、この真実の流れ

は、一部の人々が、独占的に扱えるようなものではない。

 高杉が今、何よりも、批判的な高僧やグルに思い起しても

らいたいのは、仏教は成長進化する宗教体系だということで

ある。基軸は、過去のある特異な時代への回帰ではない。そ

うした、過去への“信仰の道”ではなく、未来へ旅立つ“知

恵の道”だということである。これは、さらにくり返して言

えば、仏教は、たった一冊の絶対的な聖典に帰属するもので

はないということである。釈迦牟尼の正覚に端を発し、その

弟子たちによって、さまざまな別の新たな正覚が生まれた。

そして、そのまた弟子たちによって、さらにまた新たな正覚

のスペクトルが語り継がれてきた。そして、それが、数限り

ない“人格差”に輝きを与え、形態形成場のように拡大して

きたわけである。しかし、その正覚のスペクトルが、何百

万、何千万あろうとも、正覚はただ一つの流れなのである。

こうして、それこそ無数の教典聖典が、毛細血管のように離

合集散し、“人間原理”の“個体差”“人格差”の上に投影

されてきたわけである。仏教は、そうして、時代や人の流れ

とともに、成長進化してきた宗教体系なのである。また、何

故、こうした成長進化が可能だったかといえば、仏教は、

“知恵の道”だったからである。生体システムと同じよう

に、新しいエネルギーをどんどん取入れてきたからである。

そして、ここがかんじんなのだが、時代的役割を終えた老廃

物は、どんどん排泄していかなければならない。この排泄な

くしては、成長進化の体系は、開放系システムとして完結し

ないからである。

 高杉の、左手首のブレスレットが、皮膚に弱電シグナルを

与えた。それで高杉は、静かにニルバーナから現実に意識を

戻した。それから、ゆるゆると両手の印を解き、腕を伸ばし

た。正確に、2時間経過していた。高杉は、この2時間で、

8時間の睡眠に相当する疲労回復をしたはずだった。高杉

は、四肢を伸ばし、首を回し、ゆっくりと反転した。そし

て、青の大ホールの中で、自分のいる位置を眺めわたした。

 ところで高杉は、青のサービス・ブロックに、個室を一つ

確保していた。彼はここで、ある“意識パワー・フィール

ド”の研究をしていたのだ。人間の“意識の力場”だが、こ

れはかなり底の深い課題だった。あらゆるものが、ブラッ

ク・ホールに吸い込まれるように、ここに落ち込んでくるか

らである。しかも、この“意識の力場”は、地球ガイア・シ

ステムのレベルに進化すると、はるか太陽系の外にまで広が

るガイア・フィールドになるわけである。したがってこれ

は、骨のおれる、将来的にきわめて重要な基礎研究の一つだ

った。

 しかし、高杉は、今日は個室には立ち寄らなかった。すぐ

にまた、“気泡”に乗り込み、巨大なフロイの回転内殻の中

へ帰っていった。

 

 高杉は、ポイント・ゼロに一番近いステーションで、“気

泡”を降りた。チューブ・リフターで地上へ出ると、すでに

日没が近かった。

 チューブ・リフターの出口は、粗末な東屋だった。それ

が、広いススキの原野の中に、ポツンと一軒あった。高杉

は、東屋の中でタバコに火をつけた。煙りが、冷えびえとし

た風に、スー、と流れていく。夕暮れ時の、静かな一時だっ

た。こうした中に身を置いていると、“人間原理”の風景

が、風のように透けて見渡せるようだ。今、何故、自分がこ

こにいるのか、何故、ススキの原野が眼前しているのか、そ

の真実の意味が分るような気がした。

 古風なカヤぶきの東屋は、すでに柱が白くひび割れてい

た。が、物静かなさびれた感じが、立冬の原野の風景によく

とけ込んでいた。こうした“調和”というものは、どうして

生まれるのだろうか、と高杉は思った。むろん、“調和”

は、時の熟成の姿そのものなのだが・・・

 柱が削られた所に、江戸時代の俳人、松尾芭蕉の俳句が一

句彫り込まれてある。その日本語の古典文字を読み下すと、

何故かいっそう荒涼とした感じが広がった。高杉は、タバコ

を吹かしながら、その下の方に打ち込まれているネーム・プ

レートを読んだ。

 

“ニュー・クラリオン・タウン、第三ジュニア・ハイスクー

ル、第六期生Fクラス〜十六名”

 

 その下に、十六名全員のフル・ネームが記されてある。第

六期生といえば、ちょうど十年前だ。それも、ジュニア・ハ

イスクールという名称で書かれてある。フロイで、新教育課

程が施行される以前の生徒たちである。あまり人の寄り付か

ない所なので、建て変えられることもなかったのだろう。

 フロイでは、こうしたものはすべて芸術作品であり、奉仕

活動によって製作されている。申請すれば、誰でも製作する

ことができる。著名な理論物理学者が、フロイを訪れた記念

に建てたレスト・ハウスなどもあるが、そうしたものは屈指

の名所になっていた。が、出費と、汗と、苦心と、多大なユ

ーモアの報酬は、たった一枚か二枚の、ネーム・プレートだ

けである。

 高杉は、タバコを、大きな鉄火鉢の砂の中に突っ込んだ。

そして、ブラリと、東屋の外へ歩き出した。南西方向の草原

の向こうに、コブのような小さな山が一つ見える。それが、

ポイント・ゼロの目印になる、例の笹山だった。ここからだ

と、徒歩で十五分ほどの距離である。高杉は、久しぶりに、

この山道を歩くことにしていたのだ。疲労がだいぶ抜けたせ

いか、足も軽やかだった。夕暮れ時の冷たい微風が、頬を切

るようにかすめていく。高杉は、その冷えびえとした大気

に、冬の臭いを感じ取った。

 高杉は、小道を歩きながら、殺伐とした、冬枯れの原野の

大地を楽しんだ。かたい冷えびえとした冬の大気を、思いき

り呼吸した。晩秋や立冬は、高杉の好きな季節の一つであ

る。が、それにしても、SOL−50宇宙コロニーで生まれ

育った高杉は、実際の地球の自然については、ほとんど知ら

なかった。彼等はまさに、こうした宇宙コロニーの時代に生

まれてきたわけである。しかし、こうした宇宙コロニーは、

人類の全技術文明の精華として存在していた。そして今も、

地球という巨大な生態系を周回軌道する、衛星のような存在

なのである。あるいは、地球という巨大な生命圏の、ハロー

の中の存在とも言える。

 一方、これは微妙であり、重要な問題なのだが、フロイも

一つのガイア・システムとして、独自のホメオスタシス(恒

常性)が高められていかない限り、いつまでも地球の一座標

のコピーに甘んじていなければならない。そして、まさにこ

こに、形態形成場相互作用の、プレッシャーがかかってくる

わけである。むろん、ミューテーション(突然変異)がどの

様に起こるかは、人類には予測がつかない。が、ただ一つ言

えることは、生命進化潮流の最先端、ホモ・サピエンスを越

える意識レベルがあり、そのグローバルESP、グローバ

ル・サイ情報系の散逸構造の変動の中から、何かが始まるだ

ろうということである。また、ここでは、まさに人類は観察

者ではなく、下位ホロンの安定した参与者だということであ

る。そしてここから、予測もつかないような、産みの苦しみ

と、奇跡が起こると考えられる。

 しかしそれは、開放系システムにおける、散逸構造的な、

大変動にまで還元されるのだろうか・・・あるいは、フラン

シス・ルーブレイの言うように、適応レベルの静的な流れに

留るのだろうか・・・しかし、高杉には、グローバル・ブレ

インやガイア・フィールドという巨大な発現が、それほど静

的にシステム化されて行くとは、とても思えなかった。何故

なら、生命現象とは、本来きわめてダイナミックな構造化へ

のプロセスだからである。

 そして、ここで問題にされるのが、シナジェティックス

(レーザー理論。レーザー光線を、アナロジーとして使って

いる理論。シナジェティックスは、ギリシア語で、共同現象

の学問の意味)である。その、シナジェティックス体系から

の、理論的アプローチである。宇宙文明は、“人間原理”

に、幾つかのコヒーレンス(波の振幅、周波数、位相が、時

間的にも空間的にも一定であること)な潮流を形成してき

た。そして、“人間原理”が、ランダムからコヒーレンスに

なったことは、サイ情報系グローバル・ブレインの統一へ

の、強いインパクトになったと考えられる。もっとも、シナ

ジェティックスからのポイント・ゼロへのアプローチは、ま

だ未知数である。もともと、ポイント・ゼロの出現は、レス

ター/ダニガン理論系列で予測されてきたことだからであ

る。が、それだけに、シナジェティックス理論系列からのア

プローチには、“ビッグ・フロイ計画”全体が注目してい

た。

 その、シナジェティックスだが・・・それにしても、ホ

モ・サピエンスの歴史を検証して行くと、まさに戦争の歴史

という観がある。つまり、“人間原理”の流れが、きわめて

活性であり、ランダムなのである。そうした争いや紛争は、

戦争という形態だけに留らない。経済や学問や宗教の分野に

さえ、常にあった。もっとも、これは過去形ではなく、現在

もあらゆる所で、かまびすしく繰り広げられている事であ

る。そして、こうした競争原理の中でこそ、最も“人間原

理”や“生命原理”が安定していたのが、これまでのDNA

型有機生命体の歴史だった。人類史上で、初期の共産主義戦

略が、ひとつの行き詰りを見せたのも、このことによると言

われる。高シナジー(共に動く)社会到来のカギは、社会シ

ステムにあったのではなく、“人間原理”自身のうちにあっ

たようである。したがって、幾度革命をくり返しても、やが

て社会的エントロピーが増大するという結果に終わってきた

わけである。

 しかし、“闘争原理”は、生命力そのものだった。そし

て、その“闘争原理”の源流は、生命潮流現象の階層性や、

“個体差”にあった。が、今、ホモ・サピエンスは、そうし

た地球生命数十億年の歴史から、別の新たな第一歩を踏出そ

うとしているのかも知れなかった。総人口120億人に達し

たホモ・サピエンスは、宇宙開発計画において、また、特に

“ビック・フロイ計画”において、初めて質のいいコヒーレ

ンスな“人間原理”潮流を得たといえる。これは、秩序の自

己形成を提唱するシナジェティックスの現象が、確かに地球

生態系レベルで起こり始めているということである。

 光のようなものでも、コヒーレンスに収束すれば、レーザ

ー光線という驚異的な威力をもつ。そして、“人間原理”が

コヒーレンスな潮流となった時、“超人間原理”的な何かが

現れてくる。フロイに見られる、著しいESPの拡大、コス

モ能力者の出現、共時性(意味のある偶然の一致。意識パワ

ー・フィールド、及び、自己創出性風景に関連)の増加等で

ある。また、同じような意味で、階層性や、臨界値や、マジ

ック・ナンバーの問題がある。これは、全体は常に、個の集

合ではあり得ないということである。確かに、全体は、個に

分解する事は出来る。また、そうした個は、それぞれに個と

しての特質を備えている。しかし、個の特質の総合が、ある

いはそうした集合的関係性が、常に全体であるとは限らない

ということである。物理的レベルでも、有機生命体レベルで

も、ある臨界量を越えると、個の総合としての特質を超越す

るからである。また、ここに、コンティンジェンツや形態形

成場という、自己形成システムの謎の発端がある。還元主義

的機械論的パラダイムが、どこかで見落してきた魔法であ

る。

 高杉は、立ち止まって、フロイの夕空を仰いだ。空がだい

ぶ暮れ、西の空に淡い夕焼けがかかっていた。夕焼けの下

に、1046メートルのコロラド山が光っている。山頂が、

冠雪しているのだ。今、このさっぱりとした風景の中で、今

日一日が静かに暮れようとしていた。夕暮れの風が、サワサ

ワと枯れたススキの草原にわたり、風と共に命の全体が流れ

ていく。こうした命が、命の全体を吹き渡っていくのが、人

の一生である。それが、“今”という、始まりも終わりもな

い命であり、この世界の真実の流れである。

 高杉は、心を込め、そうした命を確かな足取りで歩いた。

目を上げれば、命がこの冬空に行きわたり、冷々とさえわた

っていくのが見える。高杉は、そうした“今”の空の心、

“今”の大地の心、“今”の風の心を、静かに深く見つめな

がら歩いた。そして、そうした統一的無境界世界そのもので

ある、“真実”という限りない優しさと、限りないぬくり

と、限りない静けさの中を歩いていった。

 眼前する、枯れたススキの一本一本にも、一つ一つの石コ

ロにも、心はあるものである。また、ススキの穂の、かすか

なひと揺れにも、“仏性”の輝きはあるものである。そうし

た一つ一つの事象のうちに、彼我の仮面(ペルソナ)もある

のであり、我の広大な意識の座標も、そこに広がっているの

である。この宇宙の、どこに在るとも知れない“我”の座標

は、この宇宙の中とも言えず、外とも言えず、この宇宙その

ままの広がりなのである。

 が、21世紀末の現在も、この自我というものの謎は、益

々深化していくばかりである。一方、素朴に自らの存在を受

入れ、その素朴さの中に生を謳歌していた時代は、益々歴史

の彼方、生命進化の源流に遠のいていく。

 もっとも、あの青の領域にも、原初の素朴な人間生活に回

帰しようという、グリーン・アース・グループの支部があ

る。しかし、現在人類が抱えている問題は、それほど単純に

解決の出来るものではなかった。120億人類の、大洪水の

先頭に立つ彼等科学者集団は、いかにして未知の領域に水路

を切り開き、それをより安定した方向に拡散させていくか

に、日夜苦心を重ねているわけである。排他的なグリーン・

アース・グループや、一部の新興宗教団体のように、帰依し

た一部の人間だけが救済されればいいというわけにはいかな

かった。

 ところで、目下、グリーン・アース・グループの目標とい

うのは、将来彼等自身が、フロイ型人工島をもつ事にあると

いわれている。青の領域にある彼等の支部は、そのためのデ

ータ収集機関でもあるという。地球環境再現の観光惑星とし

て、多少の観光収益を上げ、その一方で彼等は、オーナーと

して牧歌的な生活を謳歌しようというわけである。

 が、こうしたフロイ型観光惑星建造計画は、彼等のような

社会思想グループばかりにあるのではない。むしろ、ネオ宇

宙財団と呼ばれる、幾つかの強大な経済活動機関の方が、よ

り具体的な建造計画に着手している。そして、まさにこうし

た状況の中で、いよいよポイント・ゼロ・プログラムが動き

出したわけである。したがって、“ビッグ・フロイ計画”と

しては、“軒下を貸して、母屋を取られる”という事態は、

どうやらギリギリで回避できたわけである。一方、グリー

ン・アース・グループやネオ宇宙財団にとっては、ポイン

ト・ゼロ、グローバル・ブレイン、ガイア・フィールドとい

った、巨大な超文明的不確定要素が動き出したことになる。

まさに、現在のパラダイムを謳歌している彼等には、無用の

長物と言えた。おそらく、今後当分の間は、ポイント・ゼロ

の推移を、息をのんで見守っていくことになるだろう。今

や、“ビッグ・フロイ計画”は、ネオ宇宙財団、軌道警察

軍、太陽系開発機構を大きく引き離し、22世紀の宇宙コロ

ニー文明の、トップに踊り出ようとしているのである。これ

はすなわち、文明そのものの大転換であり、旧パラダイムか

らニュー・パラダイムへのステージ・アップである。このよ

うな時、どのような既成勢力も、立ち向かえるものではなか

った。

 ブレスレットに、コンピューター秘書の“マチコ”の反応

があった。

「何だ?」高杉は、ブレスレットを口もとに寄せて言った。

「‘ナンシー・カーマイケルさんが、何時に帰れるかと聞い

てきています’」

「ふむ・・・あと一時間もしたら帰れるだろう」

「‘はい。では、そのようにお伝えします’」

「そっちへ行ったら、中に入れてやれ。好きなようにやらせ

ていい」

「‘はい’」

「海は、何か言ってきたか?」

「‘いえ。あれからは、何も’」

「うむ。だったらいい。楽しくやってるんだろう。そういう

ことにかけては、たいしたヤツだ」

「‘あの、光一、’」

「何だ?」

「‘かなり体温が下がっています。風邪をひきますわ’」

「うむ、」

「‘詳しく診断しましょうか?’」

「いや、いい。これから帰る」

「‘はい’」

 

 

 

 第六章              

 

 翌朝、高杉は五時に目を覚ました。五時半から、ブラフマ

ン・モデルの最深度トポロジー(位相数学、位相幾何学)解

析があったからである。ナンシーは、一度帰り、真夜中過ぎ

にもう一度やってきていた。が、朝になると、また姿がなか

った。

「“マチコ”、」高杉は、ベッドの上で、どこへともなく言

った。「変った動きはないか?」

「‘ありません。ただ、木星のガニメデ基地で、事故があっ

たようです。そこに居合せた、B級テレパスの研究員が、大

きなサイ情報系の塊を確認しています’」

「大きさは?」

「‘サイ・エネルギー・レベルで、30ギガです。タイプ

PN/S−42、スペクトルはレスター/ダニガン・ライン

付近でトラビス極大値、’」

「ふむ・・・それほど大きくもないな。ポイント・ゼロとの

関係性は出ているか?」

「‘現段階では、不明です。ただ、イオ(ガニメデと同様、

木星の衛星のひとつ)の付近で、UFO(未確認飛行物体)

の一群が確認されています。こちらの方も、現在解析が進め

られています’」

「分った。ガニメデには、アンソニーとレアが居たはずだ。

無事を確認してくれ」

「‘はい’」

 高杉は、ベッドから脚を下ろした。そしてまず、タバコを

一本吹かした。それから、バス・ルームに入り、熱いシャワ

ーを浴びた。そのあと、ボウン、ボウン、と二発の温風衝撃

で、体を乾かした。目を覚ましてから、七分が経過してい

た。身支度をし、ちょうど十分だった。

「さて、行ってくる」

「‘行ってらっしゃい’」

 高杉は、両手で髪をなであげた。そして、パリッ、と洗濯

の効いたユニホームに腕を通しながら、プライベート研究室

を出た。このブロックの八角ホールにある、リード・ステッ

プ・ラインへ急いだ。

 八角ホールの一角にある食堂で、サラ女史が朝食を食べて

いた。赤毛の太った女と一緒だった。高杉は、その八角ホー

ルを斜めに横切り、大股でリード・ステップ・ラインの方へ

歩いた。この時間でも、ホールにはかなり人が出ていた。こ

の研究都市空間の人口は、すでに倍増する勢いなのである。

しかも、長期的には、全フロイの研究員が、五倍、八倍とい

うペースでふくれ上がって行くと言われている。

 これはむろん、全て今後のポイント・ゼロの動向にかかっ

てくるわけである。が、現在の予測では、二、三ヶ月で、

10万人前後の科学者と技術者が動員されてくるようであ

る。そして、同時に、コマーシャル・ベースのサービス要員

も、10万人をはるか越えると予想される。特に、コマーシ

ャル・ベースの増員では、フロイに足場を固めようとする企

業間競争が、これまで以上に熾烈なものになりつつあった。

まさに、利潤は二の次三の次という様相だと言う。とにか

く、“ビッグ・フロイ計画”に参加しているという事が、企

業イメージを超一流にまで高めるのだと言う。そのために、

とりあえず、SOL−50宇宙コロニーにベースを置き、フ

ロイからの新規発注を待つ企業が、8000社は下らないと

も言われる。むろん、詳細な最深度データと共に、全社がフ

ロイのデータ・バンクに登録されている。しかし、新素材一

本、新技術一本、あるいは強力なテクニシャン・グループと

いうような会社が多かった。むろん、大きいところでは、す

でにネオ宇宙財団が幾つも入っているわけである。したがっ

て、彼等によって、吸収再編成されているようなケースも多

い。いわゆる、巨大財団の強みである。

 ともかく、これらの有用な人材が2、30万人加わるわけ

だが、人口増加はこれだけでは収らない。彼等と一緒に、そ

の家族もやって来るからである。しかも、これまでの例から

して、フロイへの移住では、最大限度まで引き連れて来るこ

とが多い。おそらく、三倍から四倍になるだろう。それに、

これからウインター・スポーツ・シーズンになるわけであ

り、予約してある観光客も、ドッと入ってくる。当分は、賑

やかな事になりそうだった。いや、この騒ぎは、もう後戻り

する事はないのかもしれなかった。

 そんな雑然とした事を考えながら、高杉は、リード・ステ

ップに乗った。発進しようとした時、誰かに鋭く呼び止めら

れた。振り返ると、食堂のコーナーで、伍修権が手を振り回

していた。

「高杉さん!待って下さいよ!」

 伍修権は、コブシで口を拭いながら、ホールの中央へ走り

出してきた。なかなか面白い男だったが、走ってくる格好

も、どことなくユーモラスな若者だった。

「おう・・・」高杉は、ニヤリと笑いながら言った。「どう

したい、伍?」

 この、騒々しく、冗談好きな若者を見ていると、高杉もつ

いからかい調子になった。

「ブラフマン・モデルで、最深度トポロジー解析をやるんで

しょう?」

「ああ。それがどうした?」

「じゃ、一緒に行きますよ。いいでしょう?」

「べつに、頼みはせん」

「役に立ちますよ。一度、ブラフマンの最深部に入ってみた

いんです」

 伍修権は、リード・ステップの上にあがった。べつに、し

つこい男ではなかったが、どうでもブラフマンの最深部に入

ってみたいらしい。

「ずっと、高杉さんが来るのを待ってたんですよ」

「朝飯を食ってたんだろうが、」

「ええ。飯を食いながら待ってたんです」

「ふむ、」高杉は、ほくそ笑んだ。「しかし、今はエバート

の方も大変だろう」

 伍修権は、軽く振り払うように手を振った。

「だいぶヒステリックになってますが、少し放っときゃいい

んです。エバート女史は、ヒステリックな方が頭が冴えるん

ですよ」

「まさかな・・・」高杉は、ため息をつき、伍修権を眺め

た。

 それにしても、エバート時間研究グループのエバートと、

伍修権のノンビリ無軌道ぶりとは、まさに好対称だった。な

ぜ伍修権のような男を、エバートが抱え込んでいるのか、不

思議な感じさえする。もっとも、あのしたたかなエバートだ

からこそ、伍修権の価値と意味を見抜いているのかも知れな

かった。人間は誰でも、その全力を出しきっていくと、おの

ずと得手不得手というものが見えてくる。エバートは、学者

としては確かに優秀で、人望もあった。おそらく、グループ

の中でも、彼女と本気で対立するような者はひとりもいない

だろう。が、いかに一人の学者として優秀であっても、組織

を運営し、より大きな成果を上げていくということは、また

別の才能なのである。それは科学指導力であり、科学行政力

であり、それにプラスされる総合的な人間的魅力である。確

かにそういう点では、伍修権はまだ若いが、エバートよりは

数段優れているだろう。伍修権は、まさに長所も短所も含

め、エバートとは正反対のものを、全部かねそなえている男

だった。エバートが鋭敏なら、伍修権は鈍重であり、エバー

トが陰なら、伍修権は陽だ。また、エバートが理論理詰めな

ら、伍修権は共時性(意味のある偶然の一致)といった感じ

である。いずれにせよ、伍修権は、不確定性で、そうしたも

のの厚く蓄積した、未知数の魅力をもっている。しかし、エ

バートは、将来的なことはともかく、今現在この男が必要な

のだろう。伍修権がいるだけで、エバート時間研究グループ

全体が、カリカリせず、陽気に伸び伸びとやっていけること

は確かなはずである。

 高杉は、さて、どうしたものかと思案した。すると、伍修

権が、サッ、とシガレット・ケースを差し出した。角のボタ

ンを押し、ポン、と一本タバコを立てた。高杉は、タバコに

手を伸ばし、

「うむ、」と、うなずいた。

 むろん、高杉は、タバコ一本で釣り上げられたわけではな

い。若者たちに、出来る限りのチャンスを与えてやるのが、

先輩としての努めだと考えたからだ。それに伍修権は、いず

れ科学行政面で、大きく伸びる人材である。見たいというも

のは、多少無理をしてでも、見せておくべきだった。

「いいだろう」高杉は、タバコを口にくわえ、伍修権の差し

出したライターの火を移した。

「ありがとうございます、先輩」

「うむ。しかし、ブラフマン・モデルの最深度探査は、きつ

いぞ」

「覚悟はしてます」

「うむ、」

 伍修権は、自分の方のタバコにも火を付けた。そして、く

わえタバコで、リード・ステップを発進させた。ステップ

は、スッ、とラインに吸込まれ、スムーズに加速し始めた。

 フロイの地下フロアーでは、一番機動性があるのは軽量自

転車である。これは、地下第一層はどこまでも平坦なこと

と、動力を付加したものは、許可されていないことによる。

そして、これと“気泡”以外の機動力は、リード・ステップ

と、カートだけである。しかし、カートと総称されているも

のは、相応な数が走っていた。これは、どの人工島にもある

もので、知能型の電動式メッセンジャーである。カラフル

で、町や研究都市空間によって、統一的な色調があり、また

実に色々な型式のものがある。フレーム付ボードの上に、ベ

ンチを並べたバス。箱型、あるいは密封型の貨物車。無人、

有人の移動交番。はては、子供たちがよく上に乗って遊ぶ、

フロアー清掃ロボットまでカートの範疇に入る。この、地下

第二層にもいる風来坊の清掃ロボットは、うまく使えば、買

物の運搬まで手伝わせる事が出来る。こうしたカートは、何

か命令されて動いているものは、オレンジ色のランプを点灯

して走っている。そして、もう一つ、ブルーのランプのもの

は、声をかければすぐに寄ってくる。もっとも、元気のいい

若い連中は、しばしば走っているカートに飛び乗っていた。

「で、高杉さん、」伍修権は、タバコの火の粉を飛ばしなが

ら言った。「その後で、ポイント・ゼロへ行くんですか?」

「ああ・・・まずは、何をおいても、ポイント・ゼロを管理

しなければならん」

「上は、雪ですよ」

「なに!雪だと?」

「ええ。雪が降ってます」伍修権は、にっこりと笑った。

「ウソは言いませんよ。アラレまじりで、粉雪が吹雪いてい

ます」

「ふーむ、」高杉は、安全フレームに掴まりながら、片手で

タバコを吹かした。「そうか、とうとう雪か・・・」

 高杉は、ブレスレットの時刻表示を見た。5時20分を少

し回っていた。ブラフマン・モデルの最深度探査は、5時

30分開始である。これには、おそらく2時間はかかる。朝

食は、その後で、地上のアラート・ハウスでとることにな

る。その頃には、外も明るくなっているだろう。すると、初

雪を眺めながらの朝食になりそうだった。

 高杉と伍修権は、管制ドーム近くの総合科学研究所、第七

研究室に入った。フロイ統合管理機構の直属研究機関には、

大型実験施設や、管制ドームに直結した基幹情報処理施設が

幾つもある。むろん簡単な申請で、誰でも利用する事が出来

る。しかし、非常時においては、統合管理機構の仕事が最優

先となる。

 第七研究室の大部屋では、十人前後が忙しく働いていた。

そして、その他に、西村総合科学部長、総局のトム・ベーカ

ー、アルフレッド・ヤング、第三管区総合科学部長のチェ・

ボンバ、フロイ大学未来学部長のカール・ニッカネン等の姿

もあった。

「高杉主任!」ビル・フォードが、高杉を見つけ、駆け寄っ

てきた。「位相がRXの方へブレ始めています。R32の

173から、174です。そこに、“青”のフィラメント

が、2回現れ、消失しました。ごらんになりますか?」

「“青”?」

「ええ・・・」

「レスター/ダニガン・ラインのポケットに近いな」

 ビル・フォードは、強くうなづいた。

「空間の歪ではないのか?」

「確認を急いでいます。それから、ターミナルで消去しよう

とやってみたんですが、不可能です。それで、Bランクに上

げ、マザー・コンピューター“弥勒”の解答を待っていると

ころです」

「まだ、解答は無しか、」

「はい。20分ほどたちますが、」

「こいつは、深そうだな。部長は何といってる?」

「保留、です」

「よし、そうしておこう。とにかく、最深度探査を開始する

ぞ」

「はい。彼も一緒なんですか?」ビル・フォードは、親指を

立て、伍修権を指した。

「ああ」高杉は、かるく笑った。「大丈夫だろう。勉強した

いと言うんだ」

 伍修権は、ビル・フォードに片目をつむって見せた。

 高杉は、西村部長たちにかるく挙手を切り、まっすぐに

NO.105のシャッターへ歩いた。純白の、公式ナンバ

ー・シャッターで、V字形のブルーのラインがはいり、Vの

中にフロイのデザイン・マークが描かれている。

 伍修権も、西村部長たちの方に挙手を切り、そそくさと高

杉の後についてきた。

「“マチコ”、」高杉は、左手首のブレスレットを口に寄せ

て言った。「本人確認をたのむ。第七研究室、ブルー・ナン

バー105だ」

「‘はい’」

「それから、もう一人。エバート時間研究グループの、伍修

権」

「‘はい。申請します’」

 コンソールのパットに片手を置くと、シャッター横のスク

リーンに、オレンジ色のランプが一つ灯った。そして、その

隣に、高杉光一と名前が表示された。“マチコ”が、高杉光

一本人である事を、コンピューター・ラインで開示し、“弥

勒”が保証したのだ。これは、ブレスレットに検知される生

体的特徴をも含めた、動的な全人格的証明だった。

 それから、伍修権も、自分のコンピューター秘書に、本人

である事を証明させた。スクリーン上に、もう一つランプが

灯り、伍修権の名前が表示された。

 ルーン、という柔らかい金属音と共に、シャッターが左右

に開いた。まず、エア・ロックのような小部屋になってい

た。彼等は、そこで衣服を脱ぎ、リラックスのできる専用の

レオタードに着替えた。二人の準備が整うと、天井から床下

へ、滝のような風が吹き下ろしてきた。可能な限り、ゴミや

ホコリを除去するためである。ゴミやホコリが、最深度領域

にまで投影されると、大きな不確定要素に成長するからであ

る。乱流も含め、風は三十秒間持続した。それが終了する

と、つぎに曲率をもった厚さ43センチメートルの重い扉

が、少しづつ割れるように開いてきた。

 中は、まるで卵の殻の内側のようだった。しかも、重くの

しかかるような低さで、狭く、床も平ではない。この、楕円

体の部屋の背後にある相当に大きな容積が、精神生体マシン

なのである。部屋の中央に、精神生体マシンのバイオ・コン

ピューター・ターミナルが、三基並んでいる。これも、ツル

リとしたバイオ素子の曲面で構成されたもので、その真ん中

が空洞になっている。トレーサーが入り込む場所である。三

基のうち、中央が1号機、手前が2号機、奥が3号機であ

る。この精神生体マシンは、管制ドームとも、またマザー・

コンピューター“弥勒”とも直結している。つまり、太陽系

の全情報と、フル・パワーで対峙できるわけである。が、今

回は、そうしたものは必要なく、ブラフマン・モデルが使用

される。

 高杉は、伍修権に、2号機に入るように、手を振って示し

た。そして彼自身は、スルリと、中央の1号機の中に入っ

た。そこを一歩入った所に、発光したゲル状のバイオ素子体

の椅子がある。高杉は、そこにゆったりと腰を沈めた。この

ゲル状のバイオ素子体の椅子は、トレーサーを絶対的にガー

ドするための、濃密な機構が組込まれている。

 高杉は、すぐに頭上にある巨大なバイオ・ヘルメットを降

下させ、ターミナルの前面シャッターを閉じた。それから、

慣れた手つきで、リード操作テーブルを降ろし、すぐに操作

を開始した。まず、部屋の証明が消え、ターミナルの中の明

りも消えた。手元のリード操作テーブルの、小さな発光ダイ

オード以外は、全て真っ暗闇になった。高杉は、幾つかの基

本操作をしながら、伍修権を待った。

「いいか、伍修権?」高杉は、巨大なヘルメットの中に、完

全に頭を固定して言った。

「はい。こっちも準備完了です」

「うむ。いくぞ。いいか、いっさい手は出すな。こっちでリ

ードする」

「はい」

 暗闇の中で、ブーン、とかすかな音がしてきた。すると、

グーン、と暗黒の虚無の宇宙空間にでも放り出されたような

感覚になった。生体の意識世界が作り出している、原初の暗

黒である。これは、精神生体マシンによって強制的に作られ

ている以外は、青の大ホールにおける、ニルバーナ(涅槃)

への過程と共通する。が、次の段階からは、決定的に違って

くる。この精神生体マシンでは、巨大銀河をもおし包むよう

な、膨大な認識の海が広がってくるからである。

 この感覚は、慣れて作業が出来るようになるまでには、相

当な訓練が必要である。認識の海の座標系を操り、記憶し、

そこを自由自在に泳ぎ、ジャンプし、反転し、目標座標にた

どり着くだけでも、経験の浅い者にはひと苦労である。しか

も、こうした仕事に対する能力では、個人差がきわめて大き

かった。その体系が複雑になればなるほど、特殊能力に頼る

部分が大きくなるからである。

 この精神生体マシンの第一級テクニシャンは、フロイ統合

管理機構でも五人しかいない。高杉もその一人だったが、第

八管区では彼一人である。もっとも、早急に、フロイ以外か

ら増強されてくるはずである。そして、十二の管制ドームの

ネットワークを使い、十人、二十人の第一級テクニシャン

で、同時に全精力を傾けるような事態に到達するかもしれな

かった。こうしたことは、これまで一度も試された事はなか

ったが、フロイではそれが可能なのである。事態が進展し、

こうしたシステムがフルに使えるようになれば、ニュー・パ

ラダイムも、いよいよ接近してくるはずである。

「大丈夫か?」高杉は、伍修権にかるく聞いた。

「ええ。このあたりは、何度も入ってますから、」緊張した

伍修権の声が、認識の海の中で、すぐ近い所から伝わってき

た。

「まず、ブラフマン・モデルG−70を出す」

「はい」

 高杉が、発光ダイオードのリード操作テーブルを操作する

と、一瞬、彼等の広大な認識の海が、ビッグ・バン(宇宙開

闢の火の玉の爆発)のような白熱した世界に変った。それ

が、やがて輝きを脈動させながら、徐々に、徐々に、収縮し

てきた。そして、淡い黄金色の、巨大な球体におさまってき

た。それが、心臓のように、ドクン、ドクン、と脈動してい

る姿は、まさに生きている巨大な生命体のようだった。が、

その脈動も、胚の分割のようにしだいに整然と整理され、人

類の作り出した無量代数の領域まで割られ、しだいに静かに

なってきた。ブラフマン・モデルG−70は、これからあら

ゆる可能性を秘めて、人間の感覚系を越える超複雑系で動き

出していくわけである。

 もともとブラフマン・モデルは、“人間原理空間”の一つ

の型である。そして、ブラフマン(梵天)とは、万有の原

理、全ての存在の根源と言う意味である。つまり、“人間原

理”の発現も、宇宙の誕生も、意味の全体系の発現も、全て

含まれている。したがって、ブラフマン・モデルG−70

は、これまでの“人間原理”解析で、可能な限りの深度と幅

が組み上げられているということである。こうした、ブラフ

マン・モデルのような複雑な体系では、ブラフマン・モデル

は、ブラフマン・モデルによってしか建設していくことが出

来ないのである。

 ところで、高杉と伍修権の自我の座標系は、観測者とし

て、その外側に設定されてある。が、観測者の座標系も、全

認識背景と共に、複雑に動き出していくわけである。その意

味では、観測者の座標系というよりは、参与者に近いだろ

う。しかし、この種の“人間原理空間”では、彼等は不可分

の統一的リアリティーとして入っているわけではなく、結

局、こうした分析的解釈的な形にならざるを得なかったわけ

である。

 このブラフマン・モデル・タイプでは、ホモ・サピエンス

文明の全知識、全方向、全感性が、精致に理論体系的に建設

されている。最初のホログラフィー・ブレイン・モデルの作

成から、三十数年の歳月をかけ、ようやく現在までに仕上げ

てきたものである。むろん、こうしたモデルに、究極的な完

成というものはない。これからも、文明や科学の進展と共に

どんどん修正拡大され、可能な限り成長させていかなければ

ならないものである。また、現在最大クラスのブラフマン・

モデルG−70にも、いわゆるスペクトルがあった。類似し

ているが、多少異なっているといった、まさにパラレル・ワ

ールド(平行世界)のような体系が構成されているのであ

る。

 もっとも高杉は、ブラフマン・モデルを建設するホログラ

フィー・ブレイン工学の専門家ではなかった。それを最大限

に活用し、シミュレーションしていく、精神生体マシンの第

一級テクニシャンである。その限りでは、現在提供されてい

るG−70モデルを、絶対的に信頼し、最大限まで動かして

いかなければならない。

 高杉は、淡い観測者の座標系で緊張している伍修権のシン

ボルを、チラリと眺めた。それから、今回のサイコ・トラベ

ル最深度トポロジー解析を開始した。すでに、ビル・フォー

ドたちによって、準備段階は完了している。したがって、い

くつかの新要素を携え、G−70モデルの中に入っていくだ

けになっている。

 まず、バルド(中陰)空間の夕焼けの中に浮かぶ、淡い黄

金色に輝く楕円球体に、虹色の二重ラセン構造体が、弓形に

伸びて加速し始めた。サイ・ストーリイ仮説による、新たな

ポイント・ゼロの解析データである。それから、認識空間の

片隅の方に、薄紫色のメビウス環が表示された。グローバ

ル・ブレインの自己創出性の側面である。そしてもう一つ、

これが今回のトポロジー解析で最も重要なものだったが、モ

ス・グリーンの球体が一つ表示された。この、メビウス環近

くに位置するマリモのような球体に、ポイント・ゼロの膨大

な全解析情報が、渦を巻いて流入していく。今回、彼等は、

これらと一緒に、G−70モデルに入っていくわけである。

が、いずれにせよ、まず第一段階としては、確実な客観情報

だけで動かしてみなければならない。

「西村部長、」高杉は、リード操作テーブルの、外部通話ボ

タンを押して言った。

「うむ。いつでもいいぞ」西村部長の声が、かすかに、バル

ドの夕焼けの彼方から返ってきた。

「じゃ、行きます」

 最初に動き出したのは、高杉と伍修権のいる、観測者の座

標系だった。彼等は、グーン、と奈落の底のような世界へ落

下し始めた。しばらくすると、G−70モデルが拡大し、虹

色の世界軸が、メビウス環と地球のホログラフィーが、そし

て、モス・グリーンのマリモとフロイのホログラフィーが、

静かに、しかし急速に流れ始めた。観測者の座標系も、さら

に加速度を加え、無限とも思える落下を続けた。そして、つ

いに、G−70モデルも、虹色の世界軸も、メビウス環も消

えていった。彼等は、ただ漆黒の闇の中を落下していた。

が、やがて、その落下しているという感覚すらも消えた。そ

して、膨大な漆黒世界の中で、グン、とはずむような感覚が

あり、こんどはグングン上昇した。停止したのである。高杉

が、座標を読み取り、ジャンプし、地図の間隙を抜けてコン

トロールし、絶妙なタイミングでストップをかけたのだ。簡

単なように見えるが、これは第一級テクニシャンの落下であ

る。

 その座標世界に、明るさと認識感覚が戻ってくるのに、数

秒かかった。そしてそこは、まさにブラフマン・モデルG−

70の、最深部領域だった。人間の通常の表現世界をはるか

に超越した、超次元的認識世界である。ここは、普通では、

到達する事さえ困難な領域である。

 ここは、永遠の世界であり、時そのものが無く、彼等の作

業も、体験の連続体としてのみ存在していた。むろん、統一

的無境界である現実の我々の世界のリアリティーも、本来が

こうしたものなのである。世界は永遠の“今”そのものであ

って、時間は幻想なのである。が、そうした永遠性はいいと

して、ここでもただ一つ、ブラフマン・モデル・タイプの欠

点が表面化していた。それは、統一的リアリティーと観測者

の座標系との、原初的な境界が残されているということであ

る。

 高杉は、最深部領域における超関係性的世界で、ポイン

ト・ゼロに関する膨大な解析を進めていった。が、これは、

時空間感覚的に表現できる作業ではなかった。まるで、感情

的なサイケデリックな世界が、クシャミひとつで吹き飛んで

しまうような中での作業だった。そして、ここで得た解析情

報を、再び時空間感覚世界へ還元していかなければならない

のである。むろん、この超媒体作業は、人間の頭脳によって

のみ可能なのである。また、広域的作業、希薄な関係性の補

捉、トンネル現象の把握などには、ESPやサイ情報フィル

ターに頼るところが大きかった。フロイにおけるESPの純

化拡大が、こうした所にも即応用されてきているわけであ

る。

 彼等は、そこでの二時間を越えるトポロジー解析作業を終

了し、精神生体マシンのターミナルから外に出た。予想通

り、伍修権の方は、ぐったりとなっていた。極度の精神疲労

で、声も出せない状態だった。彼等は、小部屋でひと休み

し、タバコを一本吹かした。それから、ゆっくりと衣服を着

替えた。それでも伍修権は、シャッターを出る時にもチドリ

足だった。

 研修性のルウが、テーブルに飲物を用意してくれていた。

 伍修権は、そこへ行って、ドサリ、とソファーに倒れ込ん

だ。が、それから、クッ、クッ、と笑いながら、ゴロリと体

を回した。そして、片手を伸ばし、彼女が用意してくれた、

乳酸飲料のグラスを取り上げた。

「どうでしたかあ、」プラチナ・ブロンドの髪をショート・

カットにしたルウが、伍修権の顔をのぞき込んで尋ねた。

「なに・・・フウー・・・この通りさ・・・はっ、は

っ・・・」

「ね、あたしにも出来るかしら?」ルウは、高杉の方を振り

返って聞いた。

「まだ無理だよ」高杉も、ソファーにかけ、グラスを取っ

た。「心臓に毛の生えたような伍修権で、この有様だ。もっ

とも、今回のは、最深度のトポロジー解析だ。こいつでなき

ゃ、気を失ってた」

「ふうん、」ルウは、後ろで両手を組み、伍修権の顔をのぞ

き込んだ。

「ルウ、」と、伍修権が、乳酸飲料を飲むのをやめ、グラス

越しに言った。「そんなに首を伸ばしていると、食べちまう

ぜ、」

「あ、そうそう。思い出したわ。エバート女史が、再三にわ

たって呼出していたわよ」

「ああ・・・さあて・・・それじゃあ、行くとするか・・・

ごちそうさま、ルウ」

「どういたしまして、」

「それじゃあ、高杉さん、」

「ああ」

 高杉も、空になったグラスを置き、一緒に立ち上がった。

そして、西村部長やロフノフスキー教授をはじめ、そうそう

たるメンバーが取り囲んでいる、メイン解析テーブルの方へ

足を運んだ。

 

 高杉が、地上のアラート・ハウスに昇ったのは、八時もだ

いぶ回った頃だった。ホールはひどく薄暗かった。窓のサン

に雪がたまっていた。外は、猛烈に吹雪いている。木立も落

葉も、粉雪にまぶされ、波がさざめくように揺れ動いてい

た。

「こいつは、寒そうだ」高杉は、人の集まっている窓の方へ

歩み寄った。

「一緒に行こうぜ、高杉」技術主任のステビンスが言った。

「いや、」高杉は、ズボンのポケットに片手を突っ込み、窓

の外の天空を見上げた。「朝食をとってからだ」

「よかろう。それから行こう」

「ああ」

「こりゃあ、ここから装甲スーツを着ていった方がよさそう

ですよ」数学者のアラヤが言った。

「そうですね」高杉は言った。「外の気温は何度です?」

「零下5度」

「やれやれ、寒波が来ているのかな、」

「今年は、北極の寒気団が、だいぶ南下していますね」

「その影響か、」ステビンスが言った。

「今年の冬は、生態系にかなりの影響が出そうです」生態系

監視要員の星川が口を開いた。

「ふむ・・・ポイント・ゼロの方に、どう影響するかな」高

杉は言った。

 高杉は、地下の食堂から朝食を取り寄せた。パンと、人造

肉の入ったボルシチと、キムチ、それに大ぶりの湯飲み茶碗

に、緑茶を一杯のメニューだ。緑茶を飲むクセがついたの

は、ナンシーの影響だった。

 宇宙コロニー社会では、当初から肉食の風習はなかった。

肉は、人造肉が出回っているだけである。畜産も細々とはあ

ったが、それらは観光農園として、厳しく管理されてい

た。19世紀的な農場から、牛乳や鶏卵、あるいは羊毛を回

収する程度で、屠殺は行われていない。

 高杉は、ホールの片隅のテーブルで、吹雪を眺めながら朝

食を食べた。その後、技術主任のステビンスと一緒に、ホー

ルからエア・クラフター格納庫へ出た。そこで、ガラス・ド

ーム付のエア・クラフターを用意し、セラミック装甲スーツ

に着替えた。高杉もステビンスもそうだったが、頻繁に出か

けるので、現場とここの両方に、自分専用の装甲スーツを用

意してあった。彼等は、ジャンパー・スーツを脱ぎ、専用の

ボディー・スーツをつけ、それからセラミック装甲スーツを

装着した。

 高杉が、先にエア・クラフターに乗り込み、椅子に掛け、

ハンドルを握った。それから、ステビンスが乗り込むと、強

化ガラスのドームを閉じた。このタイプは荒天用で、重心が

相当に低くなっている。

「四輪駆動車の方が良かったかな?」ステビンスが、インフ

ォメーション・スクリーンをのぞきながら言った。

「かまわんさ。さあ、行くぞ」

「ああ」

 高杉は、エア・クラフターを浮上させ、微速前進した。そ

れに感応し、格納庫のシャッターが開いた。ゴウゴウと風の

音が響いてきた。彼等は、粉雪と落葉の吹き荒れる野外へ出

た。エア・クラフターは、風にあおられ、まるで荒海に乗り

出した小舟のようだった。が、どうなろうと、ケガをする心

配はなかった。この程度のエネルギーで、セラミック装甲ス

ーツが破壊される事はないからだった。が、それでも可能性

の高い衝撃にそなえ、含水高分子ゲルの筋肉を、多少パワ

ー・アップしておいた。

「こりゃあ、まるで、アラスカ・レースのようだな」高杉

は、白く荒れ狂う森林に、エア・クラフターを進めながら言

った。

「ところで、高杉、位相がRXの方へブレ始めたってのは、

どういうことだ?」

「分らんのだ。実際のところ、」

「ふむ。空間的な歪でないとすると、何だろうな、」

「これは、可能性の話だが、量子ガスのコヒーレントな運動

がからんでいるのかもしれん」

「例の、安定化した水素原子ガスか・・・しかし、何であん

なものが出来たんだろうか?」

「うむ・・・いずれにせよ、できた」

「ああ、」

「ブラフマン・モデルの最深度トポロジー解析だと、ポイン

ト・ゼロの付近に、ピン・ホールのような閉鎖空間が確認さ

れている」

「ほう・・・何だ、それは?ミニ・ブラック・ホールか?」

「いや、ミニ・ブラック・ホールでも、未確認粒子でもな

い。閉鎖空間だった、奇妙な、」

「ふーむ・・・我々には作れんな。穴ではないのか?」

「うむ、穴ではない」

「すると、グローバル・ブレインが作ったのか、」

「その可能性はあるな」

「危険性は?」

「分らん」

「ふーむ・・・」

 ポイント・ゼロ一帯も、すっかり粉雪にまぶされ、ゴウゴ

ウと白い落葉が流れていた。その吹雪と落葉の荒れ狂う中

に、二、三十体のセラミック装甲スーツが見える。装甲スー

ツそのものが白いので、それがぼうぼうとかすんでいた。

 

 高杉は、正午前に、ひとりでアラート・ハウスにもどっ

た。装甲スーツを脱ぎ、ジャンパー・スーツに着替えている

と、“マチコ”が呼びかけた。

「何だ?」

「‘プライベート研究室に、海さんが訪ねてこられました’」

「ふむ、海か。分った。五分で行く」

「‘はい’」

 高杉は、一服する間もなく、そのまま地下第二層に降り

た。そして、リード・ステップで、プライベート研究室まで

走った。アポイントもとらずに来るというのは、困ったもの

だった。が、それが、いかにも奔放な海らしくもあった。

 海は、廊下で待っていた。派手な木の葉模様のスラックス

に、花柄のジャケットを羽織っていた。全体で、一束の花を

表現しているらしい。ジャケットの下には、ブルーのセータ

ーを着ていた。その胸に、大小の星の模様が二つあった。さ

しずめ、それは空を表現しているのだろう。まるで、研究都

市空間では場違いなファッションだったが、可愛いには違い

なかった。

「ヤア、海!」高杉は、手を振り上げた。

「久しぶり、兄さん!」

「ハッ、ハッ、何だその格好は。まだ、ガキの気分が抜けん

らしいな」

「ガキじゃないわよ」海は、手の込んだショート・カットの

髪に、ポン、ポン、と包むように両手を当てた。「これでも

ね、けっこう苦労はしてるのよ」

「ま、ナッツの中身を取り出すのだって、苦労はするさ」

「バカにしないでよ。仕事だって、時々はしてるのよ」

「ふむ、」高杉は、海の両肩に手をかけた。それから、グイ

と肩を組んだ。「部屋がいいか、それともホールの方へ行こ

うか?」

「忙しいんでしょう、兄さん?」

「ああ。しかし、メシだって食うし、フロにだって入る」

「そりゃ、そうでしょうとも。ポイント・ゼロ・プログラム

が動き出したんですってね」

「ああ。中に入って、何か取り寄せようか?」

「ええ、」

「昼メシを食べよう」

「いいわね。そんなこと、ずいぶんと久しぶりね」

 彼等は、プライベート研究室の中に入った。そして、隅の

方にあるソファーに腰を下ろした。

「ここは、あまり変ってないわね」

「“マチコ”」

「‘はい、光一’」

「そうだな、とりあえず、飲物をたのむ」

「‘はい、’」

「おい、コーヒーでいいか?」

「ええ。まかせるわ。ねえ、兄さん、年中こんな所にいて、

退屈はしないの?」

「退屈なんかしないさ。そんな暇はない」高杉は笑った。

「それより、海の方こそだ。よくもまあ、年がら年中遊び回

っていられるな」

 海は、唇をかんで笑い、天井を見上げた。

「何でもいいから、何か一つの事をやってみることだ。絵で

もいい。ホログラフィー・デザインでもいい。海だったら、

飛回るのが好きだから、ルポライターだって、写真撮影だっ

ていいじゃないか」

「レーザー・ホログラフィーの仕事は、やっていたことがあ

るの。でも、心配しないで。わたしだって、もう子供じゃな

いわ」

「ふむ、」高杉は、タバコを取って、口にくわえた。

「‘光一、’」

「うむ、」

「‘西村部長から、コンタクトです’」

「つないでくれ」

「‘はい’」

「ああ、高杉、今どこかね?」

「プライベート研究室です。妹が訪ねてきたもので」

「うむ。ところで、興味深いヒントが紹介された。熱力学の

方からだ。管制ドームの、あらゆるデータとも合致する方向

にある」

「ふーむ、熱力学ですか、」

「そうだ。熱力学だ」

 高杉は、何も言わず、その方面の理論体系地図を眺めわた

した。

「そこで、」西村部長は、重ねて言った。「今日、もう一

度、ブラフマン・モデルを使ってもらいたい。どこまで発展

するか、調べてみたいのだ。いいかな?」

「はい、部長」

「君の方の準備は、どれくらいかかるかね?」

「2時間もあれば。それから、熱力学のエキスパートを1名

ほしいですね。一緒に、ブラフマンに入れる者です」

「うむ。了解した。では、こっちも準備に入ろう。こっち

は、おそらく2時間ではセッティングできまい。3時間後に

開始でいいかな?」

「はい」

「うむ。では、妹さんによろしく言ってくれ」

「ええ」

 高杉は、大きくタバコを吹かした。熱力学とは意外だっ

た。

 壁のポケット・シャッターから、テーブルにコーヒーの盆

が押出されてきた。

「味気のないものね、こんなのって、」海は、首を斜めに

し、オート・サービスの盆を眺めた。

「給仕のサービスを受けたけりゃ、店へ行けばいいさ。この

部屋では、コーヒーがあればそれでいい。ここは、研究室

だ」

「そ、」海は、コーヒー・カップを取り上げた。

 味の方は、“マチコ”がすべて加減してあった。何年か前

の、海の好みに合せてあるはずである。

「ね、お邪魔じゃないの?」

「かまわんさ」高杉は、タバコをスモーク・クリーナーの中

に放り込み、コーヒー・カップを取り上げた。

「“マチコ”、」

「‘はい、’」

「熱力学理論の、散逸構造のガイド・ラインを見せてくれ。

特に、最新のものだ」

「‘はい。最新の基礎理論のチャートは、アポロ・アート社

から引出します。生命およびフロイの気象関係のものは、ニ

ュー・エコ・システム社から引出します’」

「ああ」高杉は、コーヒー・カップを口に当てた。

 ピン、と音がし、壁面の大型コンピューター・ターミナル

が回復した。

「海、ここでの仕事がどういうものか、見ていくといい」高

杉は、妹に微笑みかけた。

「ええ。いいわよ」

 高杉は、大型スクリーンに映し出されるままに、古典的な

カルマン渦列、ベナール渦、リーゼガンク環、ベルーソフ・

ジャボチンスキー反応等を、じっくりと眺めていった。下の

方に、グラフ、数式、関係論文の項目等が表示されていく。

説明は、高杉には不要だった。が、“マチコ”は、最新の研

究成果については、簡単なコメントを入れた。

 高杉は、詩的な意味でも、この散逸構造論を見ていくのが

好きだった。そして、こうしたガイド・ラインの延長線上

で、生命とは一体何かと考えるのも楽しかった。そこに、壮

大なのロマンの香りがあったからである。

「これは、何を意味しているの?ベルーソフ・ジャボチンス

キー反応と書いてあるけど、」

「ああ・・・そうだな・・・この反応は、物理科学と生命科

学との、境界と考えられてきた。この我々の宇宙そのもの

は、全体として、エントロピー増大の方向へ流れているだろ

う。つまり、これは時間認識の流れだが、物質はできる限り

バラバラになり、原子や素粒子になり、宇宙全体で平衡化す

る方向へ向かっている。ところが、“進化”や“生命”とい

う、逆の流れもある。これは、エントロピー減少の方向、つ

まり、秩序形成の方向へ向かっている。それは、何によって

可能なのかといえば、つまり、“生命”の場合、その原形が

この反応の中にある。海、秩序形成というのは分るだろう。

たとえば、精子と卵子が結合し、受精卵になることだ。ま

た、それが赤ん坊になり、やがて子供になっていく。つま

り、より複雑な秩序構造を形成していくということだ」

「そのぐらい分るわよ。女ですからね。それに、ハイスクー

ルの生徒だって知っていると思うわ」

「うむ、」高杉は、苦笑した。「つまりだな、そうした有機

生命体を見ても分るように、エントロピー増大の時間の流れ

の中で、秩序というものを維持あるいは成長させていくに

は、一つの方法しかない。つまり、一般化して言えば、外部

からエネルギーや秩序を取り入れ、それによって自己の中で

エントロピーを生産し、そのエントロピーを外部に排出す

る。別な言い方をすれば、食べ物を食べ、それをエネルギー

として活用し、残りカスを大小便や汗として排出する。宇宙

誕生の原初的な問題はともかく、科学的に観測されているの

は、こういうことだ。分るか?」

「ええ、」

「うむ・・・この宇宙の中で、秩序というものを維持成長さ

せていくには、こうした原理しかないのかもしれん。これ

は、有機生命体だろうと、企業や社会だろうと、星や銀河だ

ろうと同じことだと思う。新しいものを取入れ、それを消化

し、エネルギーとして活用し、老廃物を排出していく。この

ことによってのみ、エントロピー増大の流れに拮抗し、秩序

構造の維持、あるいは進化ができるのだろう。もちろん、こ

れは、熱力学のレベルでの話だがな、」

「エレナ先生は、慣習や慣例こそ、秩序を生み出すものだと

おっしゃってたわよ」

「慣習?慣例だと?何者だね、彼女は?」高杉は、コーヒー

をひとくち口に含んだ。

「法律の先生よ。一緒にフロイにやってきた仲間なの」

「ふむ、・・・まあ、そういう世界では、慣習や慣例という

ものは大事だろうさ。しかし、長い目で見れば、それはどう

かな。そんなものを大事にしているようでは、社会は停滞す

るだろうな。そして、停滞は、腐敗と無気力を生む。つま

り、社会的エントロピーの増大につながっていく。もっと

も、“慣習法”というものがある。これは、大事にしていか

なければいかん。質のいい“慣習法”は、“人間原理”から

発現した、生活の知恵だ。文明のエキスでもある」

「それ、原始的な“慣習法”のことかしら?」

「まあ、そうだ。長い間に、無言のうちに形成される、法的

秩序と言っていい。道徳や礼節、人間としての誇り、自分自

身に対する恥と責任の概念などが含まれる。いいか、海、人

間の作成した法律などという文章は、絶対的なものではな

い。あくまでも、対処的な決め事に過ぎない。その証拠に、

時代や社会の形態とともに、どんどん変っていくだろう。し

かし、“慣習法”というものは、その文明全体のパラダイム

だ。したがって、本質的にはほとんど変らないはずだ」

「でも・・・あれは、誰だったかしら?昔の偉い哲学者よ。

その人、“悪法もまた法なり”と言って、毒杯をあおって死

んだというわ」

「それはソクラテスだ。しかし、おれが言ったのは、法律を

軽んじろと言ったのじゃない。そのソクラテスが、悪法だと

判断した、その背後にある文明的なパラダイムだ。つまり、

法秩序による社会は、常にハイ・レベルの“慣習法”によっ

て精査されている必要があるということだ。そして、そうし

た“慣習法”を高めていくことが、いわゆる人間生活の真実

ではないかということだ。仏教しかり、キリスト教しかり、

イスラム教しかり、ユダヤ教しかりだ。ただし、狂信的にな

らん限りでだ」

「それは分るわ」海は、ジャケットのポケットに手を突っ込

み、ソファーにもたれかかった。「けど、まさか、兄さんか

ら法律論を聞くとは思わなかったわ」

 高杉は、コーヒーを飲み干した。

「科学者は、そこにある真実というものを、常に対象として

いる。理論を現実と照らし合せてみて、合わなければ、理論

の方を破棄する。これは、科学という方法論的学問では、絶

対的だ。まあ、この現実というヤツは、必ずズレてるがね」

「ふうん、」

「ところが、法律というのは、逆になる。まず、法律が作成

され、それによって、人間や社会や環境を縛っていく方向へ

働く。コトに当たっては、法律の修正や破棄は、ほとんど考

えられない。まず、服従させる方向に働く。これは、したが

って、大変なおごりを含んでいるということだ」

「それは、確かにそうね」海は、はじめて感心したようにう

なずいた。「でも、それは、法律というものの宿命じゃない

かしら。それに、それを守っていこうとする、人間自身が作

るものだし、」

「確かにそうだ。だからこそ、法的秩序体系が、健全に保た

れていくためには、新しいエネルギーを取入れ、それを消化

し、エントロピーを排出していく必要がある。つまり、社会

や文明が流れていく中で、法的秩序体系も、常に新陳代謝し

ている必要があるということだ。そして、それが、何によっ

て為されるべきかと言えば、新しい世代のフレキシブルな人

間であり、文明の遺産である、“慣習法”というパラダイム

だということだ」

「つまり、こういうことね。社会的エントロピー増大に対す

る自浄能力は、“慣習法”の中にあるという、」

「そういうことだ。なかなかキレるじゃないか、海」

 海は、ニッコリと笑って見せた。

「これが、熱力学的な法律論というわけね。エレナ先生に話

してみるわ」

「ふむ。そのエレナ先生の御意見も、聞きたいものだな。

今、科学の全領域の前に横たわっているのは、広い意味での

“人間原理”だ。こうしたテーマでは、社会科学も、生命科

学も、宗教や伝説でさえも、みんな検討を加えていかなけれ

ばならんのだ。人類の歩んできた全歴史の中で、関係性や意

味を持たないものは、何一つないわけだからな。そうしたす

べてが、真実の結晶として、わざわざこの世界に出現してき

たということは、そういうことなんだ」

「ふうん・・・総合科学というのも、大変なお仕事なの

ね・・・タバコ、一本もらうわね」

「うむ。ま、人間が解明され、説明されない以上は、宇宙

も、時空間感覚も、物質も、何も完全には解明しきれない。

もっとも、これは解明ではなく、実際には統一なんだ

が・・・エントロピー増大による宇宙の平衡化も、実はくわ

せものだ。この宇宙は、そうした因果律によって推し量るべ

きものではないんだ。それは、確かに、時空間感覚による、

人間的な側面ではあるが、」

「ふうん・・・」

「それに、確かに、“確信”や“自己完結性”も、人間にと

ってのリアリティーではある。が、それも一つの側面でしか

ないんだ」

 海は、無邪気に、けげんそうに首をひねってみせた。

「‘光一、ロフノフスキー教授からコンタクトです’」

「つないでくれ」

「‘はい’」

 海は、ジャケットの前をはね、大型コンピューター・ター

ミナルの方を眺めた。スクリーンは、ベルーソフ・ジャボチ

ンスキー反応を映したままで、停止していた。海は、タバコ

に火をつけ、ボンヤリとそれを眺めている。

「高杉君、つぎのブラフマン解析だが、ルル・ブライアンを

加えてもらいたい。どうかね?」

「ルルですか・・・」高杉は、唇にコブシを当てた。「彼

女、もちますかね、」

「わしも、そこを考えた。だが、どうしても入りたいという

んだ。ま、みんな頑張っとるわけだ」

「ええ、」高杉は、うなずいた。「いいでしょう。気をつけ

てエスコートしますから」

「うむ、高杉君、ひとつたのむよ。君なら安心だ」

「とにかく、気絶させないように、十分気をつけましょう」

「うむ、熱力学のレベルなら、なんとかなるだろう」

「頑張りますね、彼女も、」

「ルルは、PN−633の領域に、何か閃いたものがあるら

しい」

「PN−633ですか、」

「うむ・・・」

「ああ、教授・・・ルルに、精神安定剤なんか、飲まないよ

うに言っておいて下さい」

「分った。そう伝えよう」

 高杉は、PN−633領域を思い浮べた。そのあたりは、

ごく表層部だった。そんな浅い所に、ルルは一体何を閃いた

のだろうか・・・こうした浅い所は、それが本物だった場

合、かなり大きい。新理論の展開や、既成理論の見直しが必

要になるほどにだ。

「‘光一、’」“マチコ”が呼んだ。

「何だ、」

「‘散逸構造論のチャートを続けますか?」

「そうだな、もういい。海、外へでようか?このあたりにだ

って、しゃれた店はいくつかあるんだ」

「賛成ね、」海は、サッと立ち上がり、タバコをスモーク・

クリーナーに放り込んだ。「そばで聞いているだけで疲れる

わ。どうしてこんなことが好きなのかしら。このぶんじゃ、

みんなで一緒にスキーなんて、無理な相談ね」

「いや、大丈夫だろう。そのうちに、手もすいてくるさ」

「そうだといいんだけど。アンナは、地球なんですって?」

「ああ。しかし、早々に切り上げてくるだろう。フロイが、

この騒ぎだからな」

「すぐに会いたかったのに、残念だわ。で、陽一とミルバ

は、学校の寮にいるわけ?」

「ああ」

「ねえ、兄さん、二人をスキーに連れ出していいかしら?も

うすぐ冬休みでしょう」

「ああ、そうだったな。そうしてやってくれ。おれもアンナ

も、なかなか二人をかまってやる暇がない」

「それじゃ、産みっぱなしね」

「できる限りのことはしてるさ。ここにもちょくちょく来る

し、元気にやってる」

「ミルバは、女の子なのよ」

「分ってる。たまたま、アンナが地球へ行ってるだけだ。そ

れに、海が、めんどうをみてくれる」

「ええ。それに、」海は、力こぶを作るように、片腕を持ち

上げて見せた。「二人とも、わたしが大好きなのよ」

「けっこうなことだ。しかし、海のように、風来坊になって

もらっても困るんだ」

「フン、どっちが人間的な生き方かしらね」

「まあ、いいさ。とにかく、昼飯を食べに行こう」

「ええ」

「“マチコ”、ブラフマンの準備の方をたのむぞ」

「‘はい、光一’」

 

 

  wpe2C.jpg (8221 バイト)  leaf4.6.jpg (2825 バイト)    第 二 部 leaf4.6.jpg (2825 バイト)wpe2C.jpg (8221 バイト)

  

 第七章             

 

 高杉が、フロイへ帰還したのは、十二月五日の午後だっ

た。そして、その帰還セレモニー以後、フロイは騒然とした

事態に突入した。それは、さらに科学研究世界全般に衝撃を

与え、座標的にも、SOL−50宇宙コロニー、地球、全太

陽系人類社会へと、波紋は急速に広がり始めた。マスコミは

じめ、一般社会には、まだこのことの真の深い意味は理解さ

れていなかった。が、それでも、ニュー・パラダイムへの予

感は、確実に流れ始めていた。

 

 フロイに帰還してからの高杉は、艦隊勤務以上の激務にな

った。睡眠不足も、相変わらず続いた。それで高杉は、しば

しば青の大ホールへいって休息した。時には、そこで本当に

眠り込むこともあった。

 また、初雪の日以来、雪は何度か降った。そして、その都

度、雪はあっけなく融けた。妹の海は、スキーを整え、本格

的な積雪を待ち望んでいた。毎年恒例になっている、スノ

ー・モービルによる山越レース、“コロンビア山レース”に

も参加する計画らしかった。それで、何度もコース選定のた

めの下見に行き、写真撮影を重ね、仲間と共に体力作りにも

励んでいた。海は、陽一とミルバとで、三人のチームを作る

ようだった。そして、一緒にフロイにやってきた、二名づつ

の二つのチームと共同作戦を立て、女性一般クラスでの上位

入賞を狙っていた。

 一方、ポイント・ゼロを管理する高杉たちにとって、雪は

やっかいな代物だった。一切合財が、雪の下になってしまう

からである。それで、彼等の方は、根雪が一日でも遅れるこ

とを願っていた。また、この非常事態下で、フロイの気象コ

ントロールを、変更すべきだという意見も出てきていた。そ

してそれが、ポイント・ゼロの維持に是か非かという論争も

あった。が、やがて、気象コントロールの変更は無しという

ことで、緊急総合対策委員会の結論が出された。これは、む

ろん当然の事だった。これまで、十六年間も待ったのであ

る。ここにきて、周辺の問題に惑わされるなどは論外だっ

た。が、そうした発表を必要とするほど、事態は混乱し、逼

迫していたのである。つまり、一帯が水の結晶化した雪で覆

われるということは、ポイント・ゼロ・プログラムの遂行

に、不確定要素をはらんだ、重大な異変が予想されたからで

ある。

 その発表から、二、三日したある夜、ついに本格的な猛吹

雪が始まった。それで、その問題は、ようやくケリがつい

た。地球からの別回線情報や、個人情報の流布で、誰もがこ

れが根雪になることを知っていたからである。

 この吹雪は、翌朝にはおさまっていた。が、雪は、それか

ら本格的に降り積もり始めた。そして、二日目の夕方には、

90センチの積雪を記録した。フロイでは、気象コントロー

ル・システム始動以来のドカ雪である。この遅い根雪の到来

で、フロイの広大な内殻世界は、いっきに真冬に突入した。

 

 その夜、8時を回ると、ぱらぱら降っていた小雪もすっか

りやんだ。高杉は、アレクセイエフと一緒に、晴れわたった

夜の新雪の中へ、エア・クラフターで乗り出した。雪をかぶ

った森林の中は、シーン、と割れるような静けさだった。そ

の、雪明りの別世界が、メルヘンの世界のように美しかっ

た。

「なるほど、メルヘンですか、」アレクセイエフが、エア・

クラフターで新雪を切り進みながら言った。「これは、確か

にメルヘンの世界ですね」

「ま、この世界は、すべてメルヘンだが・・・」高杉は、雪

明りの風景を見渡しながら言った。

 ポイント・ゼロ一帯は、夜間照明が灯っていた。点々と組

み上げられた観測ヤグラも、それぞれこんもりと雪をかぶ

り、静かな自然風景にとけこんでいた。監視小屋の数も、ず

っと遠まきだったが、今は十三に増えている。しかし、管区

要員の詰所は、二階建ての中央監視ハウスだけだった。詰所

は他にも幾つかあったが、各研究機関や研究グループの、共

同使用のものである。

 それから、もう一つ、ポイント・ゼロの真上に、大きな建

物ができていた。これは木造ではなく、新たに付加された、

精密な総合監視システムである。高さ15メートル、屋根は

一辺22メートルの正方形で、壁の厚さは3メートルあっ

た。この厚い壁の中に、これまでのセンサー類の80パーセ

ントが収納されている。また、さらに強力なシステムが、組

み込み途上にあった。しかし、その異様な建屋も、すっかり

綿のような雪をかぶり、真冬の自然の風景の中にとけこんで

いた。

 監視ハウスから、ポイント・ゼロの建屋までは、およそ

100メートルほどある。その一面の平な雪原を切り開い

て、エア・クラフターの道が一本できていた。が、まわりの

監視小屋や詰所からはなんの痕跡もなく、広々とした一帯

が、侵しがたいほどの静けさを作り出していた。

 アレクセイエフは、監視ハウスの横でエア・クラフターを

止めた。ドドドドッ、と吹き上がる雪煙が、吹雪のように逆

流してきた。二人は、新型のコバルト・ブルーのセラミック

装甲スーツの偏光グラスを下ろし、その雪の中に飛び降り

た。装甲スーツが、白からコバルト・ブルーに変更になった

のは、雪との保護色を避けたためである。が、同時に、新機

能を付加し、科学実験フィールドを想定した、最新のフロ

イ・タイプになっている。彼等は、その装甲スーツVX−9

をパワー・アップし、軽々と雪をかいて、監視ハウスの階段

にとりついた。階段は屋根掛けがしてあり、装甲スーツ用

に、広く頑丈に作られてあった。

 二階の大部屋は、監視用パネルやスクリーンがぎっしりと

詰っていた。七、八人が詰めている。周永峰の姿もあった。

長身なのですぐに分る。全員、装甲スーツを脱ぎ、灰色のボ

デイ・スーツになっていた。今は、全てがここで集中管理で

き、状況は以前とは比べものにならないほど改善強化されて

いる。また、フィールドに幾重にも張り巡らされた各種バリ

ヤーの状況も、ここで一目で分るようになっている。

 高杉は、装甲手袋とヘルメットをはずした。それを、自分

のロッカーに入れた。それから、フロアーを歩き、大きな監

視窓の方へ行ってみた。二重の強化ガラスの窓からは、ポイ

ント・ゼロ一帯の風景が、全て見渡せた。

「さて、」と言いながら、周永峰が高杉の方に歩いてきた。

頭に、毛糸のスキー帽子をのせている。「この雪は、どうい

うことになるかな」

「ええ・・・」高杉は、監視窓から夜空を見上げた。

「まあ、確かに、このポイント・ゼロを作り出すために、フ

ロイが建設されたわけだが、」

 高杉は、黙って深くうなずいた。

「その意味では、この雪も相補的と言えますね」アレクセイ

エフが、分ったような分らないようなことを言った。

「相補的か・・・」周永峰が言った。「ま、理屈はいい。そ

れは君等の仕事だ。コーヒーはどうだね?」

「ええ、いただきます」アレクセイエフが答えた。

「おい、みんなも飲むか?」

「ええ」

「もちろんです」

「部長の特性コーヒーなら、いつでも」

 周永峰は、長身を折るようにし、笑って手を振った。

「しかし、なんか、こう、」アーメド・ラルスが、高杉の傍

らへ来て、白い歯をこぼした。「妙に、ロマンチックな風景

になっちまいましたね」

「うむ、」高杉も、口もとをゆるめた。それから、パチッ、

と装甲スーツのポケットを開き、シガレット・ケースを取り

出した。

 周永峰は、奥の方で特性コーヒーの準備を始めた。彼自身

が考案した、かなり手の込んだコーヒー・メーカーがあるの

だ。これは、特許を取り、数百台ほどを限定製造していた。

そして、周永峰の名声と共に、その筋では名器として知れわ

たっている代物である。しかし、周永峰に言わせれば、道具

が問題なのではないという。微妙な手さばきであり、作法で

あり、間であり、心だという。つまり、“コーヒー道”があ

るというわけである。周永峰は、マスコミに登場したりし

て、それを真面目に話していた。が、高杉もそうだったが、

たいがいは冗談として受け止めていた。結局、それは、半分

は冗談だったからである。

 その、ありがたくも尊いコーヒーを一杯飲むと、高杉とア

レクセイエフは、ポイント・ゼロまで出かけた。技術要員研

修生のボリスが、一緒についてきた。そのボリスが、エア・

クラフターのハンドルを握った。まず、フィールドの重積バ

リヤーのリアクションを一部解除し、そこから雪原に入っ

た。

 新しくポイント・ゼロに被せられた建屋は、総合力で

COOMキューリイ7000検出器の役割を担うものであ

る。もっとも、この建屋だけでは、それに相当する総合シス

テムの、ほんの中心部のみということになる。が、周辺シス

テムが完成し、フロイの全量的解析能力がカバーすれば、

COOMキューリイ7000検出器以上の幅が出せると言わ

れる。ただ、あまりにも巨大であり、開放観測システム的な

混合現象や、カオスの揺らぎが大きく、精度面での大幅な低

下は避けられなかった。が、これが予測通りに動き出せば、

別の意味で、COOMキューリイ7000以上の働きをする

のも明らかだった。

 この建屋には、すでに“カイザー01”のニックネームが

付いている。ボリスは、エア・クラフターを、その“カイザ

ー01”に横づけにした。ブワーッ、と新雪が“カイザー

01”に吹き付け、高々と舞上がった。

「中には入ります」ボリスが、通話回線で監視ハウスに伝え

た。

「了解」アーメド・ラルスの声が答えた。「3名確認。“カ

イザー01”の防御システムを、第三段階に切換える」

 雪は、“カイザー01”の中にも大量に吹込んでいた。壁

には、銃眼のような穴が幾つも開いているからだった。ポイ

ント・ゼロを、壁ですっぽり包みこんでしまわないのは、で

きるだけフロイの生態系に対し、開放しておくためである。

高杉は、入口の粉雪をかきわけ、ドッ、と“カイザー01”

の中に滑り込んだ。高杉に続いて、アレクセイエフとボリス

も入ってきた。“カイザー”の中の積雪は、20センチメー

トルほどだった。が、中央のズングリとした検出機の周囲

は、きれいに雪が取り除かれてあった。見上げると、天井に

張り巡らされている各種の機材にも、かなりの雪がかかって

いた。

 ボリスが、壁面にある“カイザー01”のコンソール・パ

ネルを開いた。そしてまず、照明を灯した。

 高杉は、装甲スーツの腰に両手を当て、ジッとポイント・

ゼロを見つめた。今も、地球ガイアとここが、超サイクルで

結ばれているのだろうかと思った。上位ホロン・・・グロー

バル・ブレイン・・・我々に測り知ることのできない構造

が、今ここに、この瞬間も、脈々と成長しているのだろう

か。むろん、我々は、己自身の人体や人格についても、十分

に知っているとは言い難いわけだが・・・

 高杉は、超然とそこに立ちつくし、ハイ・レベルでESP

ホログラム・センサーを形成した。そして、いどむように、

その空間の静けさを見つめた。ESPホログラム・センサー

には、確かに、何かの構造が見える。希薄で深淵な、相当に

複雑な系が存在していた。が、彼には、ほとんど理解のしよ

うのないものだった。できることと言えば、これまでのブラ

フマン解析等の記憶を、総動員するだけである。が、高杉

は、本能的に、解析的手法は押し殺していた。

 いずれにせよ、ここは今、全太陽系空間の中で最も注目さ

れている、奇妙な“場”なのである。しかし、系は静寂その

ものであり、なんの揺らぎも波動もなかった。アレクセイエ

フとボリスも、ESPアナライザーを使い、そのかすかな系

を観察している。

 第八管区総合科学要員では、高杉とアレクセイエフの2人

が、このイベントに奇妙に同調しているようなのである。具

体的には、高杉は巨大なサイ情報系の塊に遭遇していたし、

アレクセイエフは、量子ガスである安定化した水素原子の単

体を見つけている。いずれも偶発的であり、共時性の効果と

も考えられる。もっとも、これは成り行きで、誰かが遭遇

し、誰かが見つけたとも考えられる。したがって、それほど

の意味がないのかも知れなかった。

「現在、“カイザー”内のサイ波動レベルは?」高杉は、ヘ

ルメットの通信回線で、ボリスに聞いた。

「RX−33の172を上昇しています。まもなく、レスタ

ー/ダニガン・ラインに入ります」

「転送してくれ」高杉は、ヘッド・アップ・ディスプレイを

下ろした。

「“カイザー01”の中では無理です」

「ほう、そうか?」

「午後、周部長がやりました。原因は、調査中です」

「ふむ。アレックス、レスター/ダニガン・ラインに入った

ら、雪を採集し、分析にまわしてくれ」

「はい、主任。他には?」

「それだけだ。ESPアナライザーは保持しておけ。ボリ

ス、バイオ・センサー段列の変動に注意していてくれ。揺れ

があったら教えてくれ」

「はい」

 それから高杉は、いつものように思念を集中し、固有感応

レベルで、ESPホログラム・センサーをつぎつぎとシフト

させた。科学の最先端領域において、これほどまでにESP

や意識というものが先鋭化しているのは、“人間原理”を越

えるいかなるものも、他には存在しないからである。結局、

“人間原理”は、磨き抜かれた“人間原理”によって探索し

ていくほかはないわけである。ホログラフィー・ブレイン工

学において、1つのブラフマン・モデルが、次世代のブラフ

マン・モデルを生み出していくようにだ。

 3人は、30分間“カイザー01”の中にとどまった。そ

して、サイ波動エネルギーが、独特のレスター/ダニガン・

ラインに収束した時、雪の分析と採集をした。

「どうだ?」コンソール・パネルから、周永峰の声がした。

「異常なしです」アレクセイエフが答えた。「静かですね」

「うむ。静かな夜だ」

 

 

 

 第八章             

 

 あの根雪の日から、ちょうど1週間後に、第4回目の破裂

があった。まだ暗い、早朝の5時3分だった。その時、定時

観測で、ビル・フォード、アーメド・ラルス、イプシロン空

間研究機関の鮮宋元が、“カイザー01”の中に入ってい

た。いずれも、最新型セラミック装甲スーツVX−9を着用

した、若い科学者たちである。が、3人とも、その前後で、

完全に意識を喪失していた。

 高杉が駆けつけた時、3人は監視ハウスから、管区メディ

カル・センターへ搬送される途中だった。その、雪煙を吹き

上げてくるエア・クラフターとすれ違った時、高杉は再び、

得体の知れない超意識体を感知した。巨大な、計測不能の、

サイ情報系だった。しかし、今度のは、塊というよりも、途

方もないサイ情報系の広がりだった。そうした、実態の知れ

ない霧のような中に、突然、フワッ、と入った感じだった。

 また、今日この超意識体を感知したのは、高杉だけではな

かった。研究機関が配置していた5人のA級エスパーのう

ち、3人が感知していた。また、他にC級エスパー2人、高

杉を含めたD級エスパー2人が感知していた。

 高杉は、A級エスパー要員1人と、C級エスパー要員1人

を、管区メディカル・センターへ急行するよう指示した。そ

して、残った5人で、ESPによる“カイザー01”一帯の

初動調査を開始した。監視ハウスでは、周永峰が、全システ

ムのデータ回収に全力を傾注し始めた。また、各管区管制本

部では、フロイ、SOL−50、地球、全太陽系のリアル・

タイムの情報把握のため、全精神生体マシンを緊急回線に反

転し、フル稼働に入った。

 厚さ3メートルの“カイザー01”と半径82メートルの

バリヤーは、外部にまで達する被害はほとんど出していない

ようだった。二重のエネルギー・バリヤーが、有効に働いた

ようである。しかし、内部は、凄じい惨状だった。ピクセル

検出器は吹き飛び、“カイザー”の天井と壁面は、スクラッ

プのように破壊され、下は異常なほどの大量の水で溢れてい

た。しかも、地面の方も、相当に深く抉られている様子だっ

た。しかし、そのかんじんのエネルギーが、どこからどの様

にシフトしてきたのか、未だにはっきりとは掴めなかった。

 

 昼近くなると、ポイント・ゼロの周囲は、また人々でごっ

た返した。周永峰も、装甲スーツで“カイザー”に入ってき

た。

「やはり、中性タキオンが喰われているのかもしれんな、」

周永峰は、胸まで水に浸かりながら言った。

「それが、濃厚ですね」高杉は、ヘッド・アップ・ディスプ

レイで、スペクトルのデータを見つめながら言った。「周、

“ペレスの虚数回線理論−337”を読みましたか?」

「ペレス?いや、知らん名だ」

「まだ、研修を終えたばかりの青年ですが、理論は正式登録

されています。“ファー”という、全く新しい概念を発展さ

せようしてますが、これが該当しているかも知れません」

「ふむ。ま、何にしても、だいぶズレてきている。一般的な

サイ場のズレでは、説明のできん変動幅だ」

「ええ・・・」高杉は、水の中から天井を見上げた。

 問題の超意識体の感覚は、今も続いている。この超意識

は、全く快・不快もなく、ただ茫洋と広がっていた。対称性

的な境界の感覚ではなく、ホログラム的な希薄さの感覚であ

る。

 

 高杉たちが、超意識体の把握に全精力を傾けている間、周

永峰は百人前後の技術要員を指揮し、現象面の把握に総力を

あげていた。そのために、“カイザー01”を中心とした一

帯の雪原は、まさに戦場のようだった。が、そのかいもあっ

て、今回はきわめて短時間の間に、あらゆる面で相当な情報

量が得られていた。一方、全く新しい特異な現象も、続々と

観測され始めている。さすがに三回の経験を積み重ね、現状

では万全に近い観測体制下での破裂だった。しかも、破裂の

規模も、影響の幅も、そのまま指数関数的に大きくなってき

ている。そうした意味では、これはまさにポイント・ゼロの

座標にふさわしいものだった。

「‘光一’」“マチコ”が呼びかけた。

「何だ?」高杉は、通話回線をプライベートに切換えた。

「‘西村部長から、コンタクトです’」

「うむ。つないでくれ」

「‘はい。その前に、“カイザー”の中では、ノイズ

が・・・’」

「うむ。何処からだ?」

「3人の運ばれた、管区メディカル・センターからです」

「うむ」

 高杉は、胸まである水をかき、“カイザー01”の外へ出

た。よく晴れ渡った日で、すでに日がかなり高かった。異常

に溢れた水が、“カイザー01”の外の雪をも大量に解か

し、一帯全てをグチャグチャにしていた。

 高杉は、装甲スーツに新装備された磁力線装置を使い、フ

ワリ、と空中に浮き上がった。これは、輸送交通チューブの

“気泡”が、空中に浮いているのと同じ原理である。高杉

は、ゆっくりとさらに高い所へ上昇していき、西村部長から

のコンタクトを待った。冬の青空が美しく、キラキラする雪

景色がまぶしかった。高杉は、そうして冬の空に浮かびなが

ら、きわめてソフトに、超意識体に、核らしきものが隠され

ていないかを捜索してみた。

「高杉、」不意に、西村部長の声が、何故かひどく遠くの方

から聞こえてきた。

「はい、部長」

「お手上げだ。全くお手上げだ・・・」

「意識がもどらないんですか?」高杉は、上昇を停止した。

そして、200メートルほどの高度を保った。

「うむ。完全な昏睡状態が続いている。いや、昏睡以下のレ

ベルといった方が正確だろう。まるで、彼等の意識が、何か

霧のようなものに包まれている状態だ。それで今、青の領域

へ搬送する準備を進めている」

「青の領域へですか、」

「うむ・・・何といったらいいか・・・とにかく現在、採取

した体組織と血液の分析を進めているが・・・どうやら、遺

伝子レベルにまで変動が来ている」

「遺伝子レベルですか・・・すると、彼等はもう元には、」

「分らん・・・」

 高杉は、200メートルほどの上空から、装甲スーツをゆ

っくりと降下させた。グローバル・ブレイン・・・その顕在

化だろうか・・・ミューテーション(突然変異)が起こって

いるのだろうか・・・高杉は、R−10000の曲率を持つ

内空間の彼方に、コロンビア山の白い山脈の輝きを眺めた。

「例の、水素原子の単体の影響でしょうか?」高杉は、10

メートルほどの所まで降下して言った。

「うむ。しかし、明らかに、そうした単一的なものとは違

う。これも、一つの状況に過ぎんが、遺伝子機能の逆流のよ

うな現象が見られるそうだ。肉体的損傷は全く無いんだが、

「しかし、部長、これまでのバイオ・センサーでは、そうし

た異常は全く見られなかったわけですが、」

「しかし、現実なのだ、高杉。とにかく、逆流と呼ぶにふさ

わしいような現象があるらしい」

「それは、自由遺伝子のレベルですか?」

「いや、自由遺伝子のレベルではないらしい」

「それじゃ、RNAの逆転写酵素遺伝子あたりで?」

「いや、高杉、はっきりとはせんが、どうも全く違うらし

い。我々の確認した、ほんの一例だが、DNAのエハンサー

配列がおかしい。かって、発ガン性で問題になった所だ。こ

のエハンサーの機能は、知っての通り、距離や方向には依存

しないわけだ。3000ヌクレオチド以上離れた所でも、確

実に作用する装置だ。このことは、きわめて重要だ」

「しかし、部長、そのエハンサー配列が、逆流とはどういう

ことですか?」

「いや、エハンサー配列そのものが、変動しているわけでは

ない。ある目的性をもって、かってに動き出したといった方

がいいだろう。つまり、ガンのように、細胞レベルでの突然

変異ではないが、もっと大きなレベルでの突然変異が始まっ

ているのかもしれんということだ。より深い基本的な領域

で、何かが起こっている。とうてい、我々にはうかがい知る

ことができないようだ」

 高杉は、唖然とした。それでは、3人は一体どうなってし

まうのだろうか・・・

「もとに戻る見込はあるんですか?」

「祈るだけだ。が、死んでしまうことはあるまい」

「“弥勒”の予測は出ているんですか?」

「いや・・・マザー・コンピューターでは、越えることがで

きまい。知識の集積ではあるが、人間の頭脳は越えられま

い。目の前に、巨大な未知の領域が拡大してきた・・・ま、

少しづつ、二元的科学に変換し、道を切り開いていくしかあ

るまい。我々の知っているやり方で、」

「パラダイム・シフトですね。思いきった、」

「それは分っている。しかし、確かなものがない」

「この、現実があります。時間が熟成します」

「うむ、」

 高杉は、フロイの青空を見上げた。このフロイが、ひとつ

の生命体として覚醒しつつあった。地球ガイアと同じよう

に。いや、地球ガイアも、一つの生命体として覚醒しつつあ

るのだ。フロイと同時に。ひとつの開放系システムとして。

いや、そうではない。フロイだけではない。さらに、太陽系

の各所へシフトしていく可能性がある。その全体像は、どう

なっていくのだろうか。その構造化と進化のベクトルは、こ

のエントロピー増大宇宙の中にあって、ひとつの基本的な力

ではあるまいか。この宇宙を構成する初期条件のひとつ。そ

うだとしたら、この構造化と進化は、一体どこまで進むのだ

ろうか。

「ま、これは最悪の場合だが、」西村部長が言った。「彼等

は、ホモ・サピエンスではなくなるかもしれん・・・」

「つまり、ミュータント(突然変異体)ですか、」

「うむ。それも、これまで我々の生命圏では観測されなかっ

たレベルの可能性がある。レスター/ダニガン理論では、ア

ートマンということになる。しかし、高杉、釈迦もアートマ

ンには違いない。生命進化の潮流は、我々には測り知れない

所で動いている」

「彼等の脳の方はどうなっていますか?」

「問題は、そこだ。エスパー要員の話では、超意識体が硬く

ガードしているという」

「やはり・・・」

「とにかく、これは対処的な医学の領域を越えた問題になっ

た。むろん、彼等の運命もだがね」

 高杉は、黙ってうなずいた。大勢が作業している、水の溢

れた雪原を見渡した。何故か、妙に白々とした、気の抜けた

感じだった。全ては夢、全ては幻想なのか。幻想と現実は、

どこが違うのか。現実もまた幻想であり、幻想もまた真実。

真実とは何か、真実は夢、大いなる夢の世界・・・

 西村部長が、何か言っていた。

「・・・は、言える。彼等は、ホモ・サピエンスだったとい

うことだ。彼等の全ての異変も、ここから出発している」

「ええ、」

「それから、3人は一体どこへ落ち着くのかは知らんが、と

にかくDNAレベルの変化は、何者かの影に過ぎないのだと

わしは思う。問題は、彼等の頭脳レベル、意識レベルにこそ

あるのだと思う」

「そうですね。ぼくもそうだと思います」

「ま、それで、青の領域に移すことになったわけだ」

「エスパー要員は、どうしてますか?」

「うむ。ここにおる。彼等にも、一緒に青の領域へ行っても

らう。ま、今度は、同調するESP解析も進むだろう。そう

なれば、これからは楽になる」

「そうですね」

「さて、出発だ。高杉、後の処置をたのむ」

「はい」

 高杉は、この青の領域へ送られる3人の情報を、ヘルメッ

トのヘッド・アップ・ディスプレイで詳しく見た。マザー・

コンピューター“弥勒”がまとめたものだ。DNAの変動

は、エハンサーばかりではなかった。一部では、壊れそうな

ほどの振動がある。また、カリウム・チャンネルの変調、

eag遺伝子フィールドの縮小、CaMK−U遺伝子の奇妙

な動き等、巨大な流れであり、とても判断の下せるような状

況ではなかった。

 この情報に対し、周永峰の決断は早かった。即、全員に、

“カイザー01”周辺からの退去を命じた。そして、精密万

能型S−60ロボットを、12体投入した。また、6体の各

種工作ロボット、7体の各種アナライザー型ロボットは再投

入した。それから、管区管制本部及び総局に対し、動員可能

な各種ロボットの急派を要請した。

「エネルギー・バリヤーを強化しますか?」技術要員の誰か

が聞いた。

「大丈夫だろう」周永峰が答えた。「バリヤーは破れなかっ

た。高杉、つぎの破裂の予測は出ているか?」

「いえ。しかし、バリヤーは、強化したほうがいいでしょ

う」

「検討しよう」

「次のステップでは、バリヤーなど、何の役にもたたないか

も知れませんが」

 その頃、緊急対策委員会でも、今後の安全性に関し、討議

が始っていた。これまでは、現象面の解明に全力を傾けてき

たが、にわかに安全性が緊急課題として浮上したのだ。これ

は、今後も、エネルギーが指数関数的に高まっていくと予想

されるからである。したがって、フロイ全体が、厳戒体制に

入る可能性もあった。しかし、これが形態形成場の相互作用

である以上、フロイの生態系まで破壊される事態は、まず理

論上も考えられないことだった。

 

 ポイント・ゼロの未確認エネルギーが、人間にまで及んだ

ことで、フロイは一段と混迷の度を深めた。そして、この新

展開は、地球においても、深刻な問題提起になっていた。今

回の3人と同様な症状を示す患者は、すでに地球において

も、20例以上も確認されているからである。しかも、ここ

1年以内にしぼられた患者で、彼等も氷山の一角という。地

球では、すでに大きな何かが動き出していたわけである。た

だ、巨大な地球のホメオスタシス(恒常性)の中で、一見消

化されていたかに見えていたのだ。また、そういった次第で

あり、遺伝子レベルまでの調査も、ごく数例にとどまってい

たらしい。しかし、きわめて特殊な症状であり、臨床医学界

レベルでは、かなり注目されていたという。現在、そうした

患者たちは、なお植物人間の状態にあり、早急な最深度チェ

ックを開始するという。

 フロイにおける、ビル・フォード、アーメド・ラルス、鮮

宋元の3人も、青の領域の威信をかけた解明作業が進行中で

ある。これは、具体的には、サイ領域での記憶ホログラム、

意識ホログラムへの、ジェントル・アプローチという方法で

進められていた。一見、ブラフマン・モデルの最深度探査と

似たものである。が、対象が生であり、またその未知の深

さ、広さ、曖昧さにおいては、比較にならない。ブラフマ

ン・モデルは、途方もなく巨大だが、人間が作り出したもの

であり、整然としているのだ。しかし、生が対象となると、

これは造物主たる神が創り出したものである。もっとも、探

査システムとしては、ESP積層法が主力になるはずで、装

置としては複雑なものではなかった。ただ、3人とも、ある

未開発の意識領域が、生理的にもきわめて活性化していた。

そして、この領域は、何者かに硬くガードされているとい

う。ここは、ESP積層法では、浸透不可能な状態らしい。

したがって、現在、青の領域の総合的見解は、そのあたりで

3人の意識は、これまでのホモ・サピエンスの限界を越え、

青の領域の対処レベルを越えているとしている。これはもう

少し具体的に言えば、1人のホモ・サピエンスとしての単

位、社会集団としてのホモ・サピエンスの構造単位を、すで

に超越してしまっているらしいということである。また、こ

れは推測だが、すでにグローバル・ブレインの霊的な場、ガ

イア・フィールドによってコントロールされているらしいと

いう。

 こうした全般的状況の中で、ポイント・ゼロにおけるバイ

オ・センサーや、土壌中の微生物調査が、大車輪で進められ

ていった。が、小動物や植物や微生物のレベルでは、これま

でのところ、遺伝子の逆流現象などは全く観測されていな

い。つまり、意識領域において突出した、またDNAレベル

で最高モードの、ホモ・サピエンスにおいてのみ、限定的

に起こっているようである。

 しかし、いずれにせよ、“ビッグ・フロイ計画”におい

て、来るべき何者かが、ついにやって来たという観があっ

た。総人口120億を越える、最高度に進化したホモ・サピ

エンスが、今なお太陽系空間で増殖の一途をたどっているわ

けである。これは客観的に見ても、生命進化潮流のレベル

で、新たな何かが始まったとしても、ごく当然な成り行きで

はあった。生命圏や生態系、そして生物体の実態とは、実は

想像を絶するほどのダイナミックなプロセスそのものであ

る。また、その複雑さも、想像を絶する。“我々”あるいは

“我”は、そのダイナミズムと複雑さとカオスの中から、そ

の複雑さゆえに生み出されてきているのではあるまいか。何

故かは知らず、今、まさにここに現出している“我”と

は・・・

 

 

 年の暮れもおしせまったある日、プライベート研究室に戻

ると、地球のアンナからレーザー・チップが届いていた。そ

れともう一つ、火星からも小包のパックが届いていた。小包

の方は、昔の研究仲間からの贈り物だった。火星のアストロ

ドーム農場の柿と、肉筆の寄せ書きの手紙が入っていた。

 高杉は、バス・ルームで疲れた体を休めながら、その一同

からの寄せ書きを読んだ。発送されたのは、1ヶ月以上も前

である。すると、高杉がまだ、査察巡航作戦に参加していた

頃だった。高杉は、湯に浸かりながら、ひとり苦笑した。と

もかく、今のフロイは、パンク寸前の騒ぎなのだ。彼等の方

も、あるいは大挙してフロイへやって来るのかも知れなかっ

た。どのみち、ガイア・フィールドが動き出せば、火星とて

も無関係ではいられないはずである。

 バス・ルームから出ると、高杉は、送られてきた柿をかじ

った。火星のアストロドーム農場の柿といえば、宇宙では特

産品である。改良土壌と、水がいいらしいのだ。太陽光は地

球軌道よりは弱くなるが、それは集光ミラーや光フアイバ

ー・ケーブルでいくらでも供給できる。

「“マチコ”、アンナのレーザー・チップを映してくれ」

「‘はい’」

 ピン、と壁の大型スクリーンが回復した。柿をかじりなが

ら数秒間待つと、まず音楽が流れ出した。それから、雄大な

アルプスのモルゲンコートが映し出されてきた。神々しい雪

山の峰々が、朝陽に薄赤く染っていた。プロのものではな

い、素人の撮影だった。おそらく、アンナが自分で撮影した

ものだろう。その朝陽の風景を眺めていると、つぎに、アル

プスの山腹に散在する、雪をかぶった集落が映し出されてき

た。

「お久しぶり、光一!」不意に、アンナの大声が聞こえてき

た。

「ごきげんはいかが?」

「そちらは、ポイント・ゼロ・プログラムが発動になったそ

うね。さぞ、お忙しいのでしょう。わたしたちも、2ヶ月早

く切り上げて帰ることになりました」

 ここで、ようやく、スキーをやっているアンナらしい姿が

映ってきた。スキーのストックを、高々と振り上げていた。

ニッコリと笑っているのが、遠景からもはっきりと分った。

長い褐色の髪をなびかせ、ゲレンデをどんどん下って接近し

てくると、高杉もつい片手を上げ、ニッコリと笑った。

 風景は、つぎに、古い街並みに移った。パリのモンマルト

ルのようだ。よほどあわてて編集したらしく、アンナにして

は粗雑な構成だった。

「どう、子供たちは?二人とも元気でやっているかしら?陽

一にもミルバにも、それぞれレーザー・チップを送ってあり

ます。それに、お土産も、どっさり。光一には、モンブラン

の氷でしたわね。それももう、30リットルの冷凍タンクに

詰め、衛星軌道に発送してあります。それと、他にも色々と

あるんですけど、お楽しみにね。それから、光量子ジェント

ル・イベント学会での新理論も、そちらへ行ってから詳しく

話します。ポイント・ゼロにも、たぶん何等かの関係が出て

くるでしょう」

「そうね、とにかく、基礎理論の方で、採択されたテーマだ

けを言っておきましょうか。3つありました。まず、“光量

子ジェントル・イベントと、人間原理発現の初期条件”。そ

れから、“光量子と意識スペクトルの、ミッシング・ホログ

ラム”。そして、“光量子ジェントル・イベントと、色空間

における美的認識へのベクトル”。この3つです」

「それでは、光一、1週間後に地球を発ちます。地球からの

レーザー・チップは、これが最後です。それじゃ、ごきげん

よう、光一。会える日を楽しみにしています」

「ふむ、」高杉は、柿の種を3つ、スモーク・クリーナーに

放り込んだ。

 休憩は、2時間とってあった。まだ1時間半はあり、仮眠

することもできた。が、いよいよポイント・ゼロの激しい変

動が始まり、理論的にも新事態に続々と遭遇し始めていた。

そのために、周囲も益々騒々しくなってきている。ニュー・

パラダイム世界への興奮やら、未来の高シナジー社会への展

望やらで、高杉自身もとても眠る気にはなれなかった。まる

で、祭のシーズン到来のような熱狂である。

 高杉は、プライベート研究室を出た。ぶらりと、八角ホー

ルの方へ歩いた。八角ホールの喫茶コーナーや食堂コーナー

でも、ザワザワと議論が花盛りだった。この一帯の人口が急

増しているせいもあったが、ベンチやテーブルで眠り込んで

いる姿も目についた。ともかく、一時的にせよ、研究都市空

間全体が興奮の渦になっていた。

 人類が、もし神を必要とするなら、これからは、グローバ

ル・ブレインこそが神とも呼べるものになるだろう。しかも

それは、地球ガイア・システム自身が作り出す、人類にとっ

ての明確な超越の座標である。彼等一人一人の清浄な意識潮

流が作り出す、グローバル・ブレインの威力、ガイア・フィ

ールドの奇跡の場である。これが、あらゆる意味で臨界値に

到達したホモ・サピエンスにとっての、また地球生命圏にと

っての、つぎの進化ステップと考えられるわけである。

「オーイ、どうだね、高杉・・・こっちへ来んかあ、」サ

イ・エネルギー研究機関の名物男、バウアーが、太い腕を振

り上げた。赤ら顔で、格好のいいカストロ髭を生やしてい

る。

 高杉は、ああ、とうなずいた。

 その同じテーブルに、雪原月江もいた。彼女も、細い手を

高杉にさし上げた。彼女は、キリー(SOL−50宇宙コロ

ニーの、大型人口島の1つ)から派遣されてきた、脳生理学

者である。4日前から、高杉の補佐役になっている。高杉と

は幼なじみであり、また一緒に学んできた仲でもあった。そ

の彼女が、どうでもポイント・ゼロ・プログラムの中枢に入

りたいというので、補佐役にしてやったのだ。このプログラ

ムの発動で、人材動員の面から、高杉にも三名のワクが与え

られていたのである。彼女は、脳生理学者として名前が知ら

れていたし、その点では全く問題はなかった。が、問題なの

は、たとえ一時でも、高杉の補佐役に収っているような女で

はないことだった。

「光一!」今度は、彼女が呼んだ。

 高杉は、黙って片手を上げ、そっちの方へ足を向けた。喫

茶コーナーに分け入っていくと、雪原月江が場所をあけた。

高杉は、そこに、ドサリと腰を沈めた。

「そっちの方はどうかね?」バウアーが、大きな身をのりだ

し、興奮ぎみに聞いた。

「満腹だよ」高杉は、腹を叩いた。「消化しきれん状態だ」

「光一、例の3人だけど、ブラフマン解析はどの程度進んで

いるの?」

「ああ、あれか・・・あの解析はダメだな」高杉は、ズルリ

と腰を滑らせ、椅子の背に頭をのせた。「あれは、ブラフマ

ン・モデルには馴染まん」

「でも、やったんでしょう?青の領域のデータを、全部入れ

て、」

「ああ。やったさ。何度もやった。しかし、あの3人は、生

きた人間だ。ESP積層法の方が合ってる」

「つまり、ブラフマン・モデルの地図にはない、未知の領域

だから?」

「ま、そうだ・・・」

「でも、それが、科学というものじゃなくて?」

「しかし、歯がたたんのだ」

「すると、処置なしか、」バウアーは、掌でジャリジャリと

カストロ髭を撫で回した。

「光一、何か飲むんでしょう?」

「ああ、」高杉は、給仕の女子研修生を見上げた。「そうだ

な、レモン・ティーをもらおうか。ブランデーをたっぷり入

れて」

「たっぷりですか?」女子研修生が聞いた。

「ああ。君にまかす」

「はい」

 高杉は、笑って彼女に片手を上げた。

 月江は、何も言わず、ただ首を横に振った。

「ESPアナライザーや、バイオ・ポリグラフの方は、よう

やく第八管区については終わったよ」バウアーが言った。

「問題は、第八管区以外にあるんだ」

「第十一管区か、」

「ああ。それと、第五管区」

「ふむ、」

「それに、第三管区もね」横の方から、林明蘭が口をはさん

だ。「今情報が入ったの。湖底のポイントが動き出したらし

いわ」

「あそこもか、」高杉は、ため息をついた。

「もともと、変動値の高いところよ」

「アレックスが、そこへ向かったわ」月江が言った。「装甲

スーツで、湖底に降りるつもりよ。大丈夫かしら?」

「うむ、」

「グリーン・アース・グループも、かなり混乱してるわよ」

林明蘭が、皮肉を込めて微笑した。彼女は、連中とは、絶え

ず揉め事を起こしていた。

「だろうぜ」バウアーが、うなずいた。

「今、一発射ち込めば、総崩れよ」

「ま、ひとアワふかしてやるべき連中ではあるな」バウアー

は、林明蘭に笑ってうなずいた。

「当然よ。少しは、“ビッグ・フロイ計画”に、協力的なら

まだしもね」

「じゃ、どうしてやらんのだ?」バウアーは、彼女をけしか

けた。

「あら、やってるわよ。もちろん、今度もやるわよ」

「作戦はあるのか?」

「月江、」高杉は、彼女の方を向いて言った。「海が、フロ

イへ来ているのは知ってるか?」

「ええ。スキーに誘われたわ。けど、それどころじゃないで

しょう。で、さっきの話の続きなんですけど、バウアー、」

「うむ、」

「“生”と“死”という前後の問題は、本来考えるべきでは

ないということなの。人間学と、その背景座標を考える哲学

とでは、おのずとその座標系が異なるのじゃないかしら?」

「哲学だと?」バウアーが、ボンヤリと聞き返した。

「ええ、哲学と言ったのよ」

「脳生理学者がねえ、」眠っていたミューラーが、むっくり

と顔を起こして言った。ボサボサのブロンドの髪を、片手で

かき回した。ミューラーは、無精髭もだいぶ伸びていた。

 高杉は、レモン・ティーを受け取り、黙ってそれを口に運

んだ。研修生が横で、高杉が何か言うのを待っていた。飲ん

でみると、まるで3分の1がブランデーだった。「うむ」高

杉は、彼女にうなづいた。

 彼女は、にっこりと笑い、去っていった。喫茶コーナーで

テーブルを囲んでいる連中は、大半がぐったりとしていた。

あるいは、ボンヤリとタバコを吹かしたり、誰かの意見に耳

を傾けたりしている。

「‘光一、’」“マチコ”が呼びかけた。

「何だ?」

「‘場所を、’」

「うむ。ちょっと待て、」

 高杉は立ち上がり、ブラリと八角ホールの中央の方へ縫っ

て出た。

「どうした?」

「‘ナンシー・カーマイケルさんから、コンタクトです’」

「ああ。つないでくれ」

「‘はい’」

「お元気、高杉さん?」

「ああ」

「お久しぶりね」

「久しぶりでもあるまい。君は元気そうだな。昼頃、アク

ア・ホールに居るのを見かけたよ」

「あら、」ナンシーは笑った。「バイオ・センサーの、補充

サンプルを届けるところだったの」

「で、何かあったのかい?」

「ええ。新しい研究テーマの選定で、ご相談したいことがあ

るの」

「ほう、いつでもいいぞ」

「そう。じゃ、ミス“マチコ”に相談して、時間を作っても

らっていいかしら」

「ああ、そうしてくれ」

 高杉は、喫茶コーナーへもどり、雪原月江の横に腰を沈め

た。こんなことなら、眠っておいた方が良かったかな、と思

った。が、これも1つの風景だった。人間原理の描く、2度

とない、2つとない経歴の姿だった。

「人間は、宇宙空間へ出てきて・・・ねえ、光一、」

「ああ、」高杉は、月江の細い肩に手を掛けた。

「・・・自らについて、あまりにも知らなさ過ぎたことを痛

感させられたわ。霊科学、ESP、個体差、適応能力、それ

から、個人及び集団が作り出す、人間ストーリイのラク書

き。脳生理学では、その、どれ1つとして、」

 高杉は、目を閉じた。そうやっていると、いい気持ちだっ

た。そのまま、ずっと眠り込んでしまいたかった。まだ、た

っぷり1時間は休憩時間が残っている。適当な時間に、“マ

チコ”が起こしてくれるだろう。

「でね、光一・・・光一ったら、眠ったの?」

「ああ、」

「ウソおっしゃい」

「・・・」

「もう・・・ねえ、バウアー、」

「何だい?」

「この人、眠ったわ」

「そうらしいな」

 

 

 

 第九章            

 

 この年も、最後の12月31日。

 高杉は、東タクと雪原月江と共に、宇宙港の展望ホールへ

行く約束をしてあった。彼等の先祖の地である日本列島に、

今も年越しの風習が残っている。それで彼等も、一緒に銀河

を眺め、餅を食べようということになったのである。

 

「さて、そろそろ展望ホールへ行く時間だ」高杉は、“マチ

コ”のシグナルを受けて言った。「それじゃ、たのむぞ、ジ

ェフ」

「はい。楽しんできて下さい」

「高杉、」マックが、超高速演算コンピューター・パネル

の、フリー遊動チェアーから声をかけた。

「何だ?」

「どうも、この中性タキオンの虚数質量は、もう一度洗い直

した方がいいように思う」

「うーむ、」高杉は、宙空にいるマックを見上げた。「確か

にそうだ・・・チェレンコフ光の放射角よりも、精度の方を

上げた方がいい」

「それは、実測ですか?」

「いや、まず、シミュレーションでやってみよう」

「了解。じゃあ、そいつをやっておこう」

「じきに帰る」高杉は、バイオ走査解析のワーク・ステーシ

ョンから降りた。

「“マチコ”、」高杉は、手首を上げ、ブレスレットに話し

かけた。「月江はどこにいる?」

「‘はい。第三研究室です’」

「出かけるように伝えてくれ」

「‘はい。東さんは?’」

「大丈夫だ。が、確認をとってくれ。みんな忙しいからな」

「‘はい’」

 高杉は、第五研究室を出た。そして、廊下を第三研究室の

方へ向かって歩いた。が、月江は、もう10分は動けないと

伝えてきた。高杉は、しかたなく第三研究室のシャッターの

前を通り過ぎ、その向こうの実験菜園に入った。菜園の散歩

には、ちょうど手頃な時間だった。

 

 菜園の中に入ると、中は真夏のような明るさと、暑さだっ

た。高杉は、首からマフラーを抜き取り、ジャンパーの前を

開いた。

 この実験菜園は、約2000平方メートルの広さがある。

この中に、100種類以上の野菜、200種類以上の花が、

一面山のように溢れている。それらの緑がまぶしく、若々し

い命が湧きたち、むせかえるようだった。中でも太いカボチ

ャのツルは、まるで竜のように、菜園の緑の上を縦横に這い

回っている。そして、ひとかたまりのホオズキは、逆にひっ

そりと隅で寄りそっていた。が、それでも、誇らしげに赤い

実を付けている。その他の、乱雑に溢れた野菜や花たちも、

それぞれに色とりどりの花を咲かせ、彼等の青春の華麗さを

誇示している。

 こうした風景は、人間社会の姿を凝縮しているように思え

た。カボチャのように生きる野心的な政治家、ホオズキのよ

うに、ひっそりと赤い実を誇る堅実な家族、はかなくも華麗

さを競う花々・・・

 高杉は、土の上を歩きながら、この植物たちの一生、次代

に確実に種を残していく不思議さ、その生命の完璧性に心を

打たれた。ここの菜園は、一見何でもないようだが、きわめ

て個性の強い品種が厳選されている。そして、数千項目に及

ぶ、精密な総合解析が行われているのである。

 ところで、生命というものの不思議さは、その増殖システ

ムだけにあるのではない。たとえば、こうした植物たちの一

生も、はたで眺めているほど静寂で、豊かで、美しいだけと

いうものではない。特に、こうした乱雑な菜園や、野性の大

地では、熾烈なサバイバル戦が展開されている。種の存続

と、繁栄という目的のために、広域的戦略が敷かれ、地域的

な戦術が立てられ、さらに個体としての個別的防御も実施し

ている。それらは、最高度な遺伝子戦であり、深淵な情報戦

であり、複雑をきわめる化学戦であり、巧妙な物理戦なので

ある。が、それでも、動物世界ほど劇的なものではない。動

物世界の激しさに比べれば、それはそれなりに、悟りすまし

たような静的な世界である。このエントロピー増大宇宙の中

で、生命を維持するための、最小限のネゲントロピー(マイ

ナスのエントロピー)の程度なのかも知れない。

 高杉は、土の上にデンと転がっているカボチャを、足でひ

っくり返した。裏側の方は光が当たらないので、黄色に変色

していた。

「“マチコ”」高杉は、ブレスレットに話しかけた。

「‘はい’」

「研修生のルウに、コンタクトをたのむ」

「‘はい’」

 高杉は、カボチャを、コン、コン、と足の先で蹴った。

「はい、ルウです。何でしょうか、高杉主任?」

「うむ。君が一番ヒマそうなんでな」

 彼女は、クッ、クッ、と明るく笑った。

「第三管区の、レスター/ダニガン・ライン上で起こったゴ

ースト現象だが、位相共役修正の答えは出たようか?」

「はい、主任。出ています。やはり、時間反転したビーム

は、ポイント付近ではむしろ劣化しています」

「ほう、どういうことだ?」

「まだ、明確なところは分りません。ただ、これも、アルバ

ート・ミラー博士が提起されている、光速度の変動指数値と

関係しているようです」

「そうか、分った。ありがとう、ルウ」

「宇宙港へ行かれるんですか、主任?」

「ああ」

「それなら、アレックスも出かけると言ってました。ステ

ラ・ハートさんと御一緒に、」

「そうか、じゃあ、どこかで出会うだろう」

「ごゆっくりどうぞ」

「ああ」

 高杉は、またカボチャを足の先でつつき、もとの位置にも

どした。そして、ふーむ、と腰に両手を当てた。

 こうした植物にも、かなりはっきりとした感情というもの

がある。また、草花や森林や山にさえも、恐れや喜びの感情

はあり、時にはウソをつくことさえもある。むろん昔は、精

霊という形で、信仰の対象にもなっていた。おそらく、こう

したものを信じなくなったのは、近代文明において、機械論

的還元主義のパラダイムに入ってからだろう。そしてそれ以

後、再びこれを植物サイ情報系として、人類が広く活用する

ようになったのは、宇宙コロニー時代に入ってからのことで

ある。

 しばらく温室の中にいると、全身から汗が吹き出した。た

ちまち暑苦しくなった。高杉は、腕をまくりあげ、ブレスレ

ットの時刻表示を見た。そして、また歩いた。天井から張り

下ろされているネットには、ヘチマやヒョウタンがにぎやか

にぶら下がっている。その向こうは、キュウリが陣取ってい

た。ぼうぼうとした濃い薮を形成し、ぶら下がっている実を

もぎ取ろうにも、まるで手も入れさせない剣幕だった。

「ふむ、キュウリのヤツめ・・・」高杉は、かるい軽蔑をこ

めて言い、額の汗をぬぐった。

 高杉は、それから菜園の中の道を、突き当たりのシャッタ

ーの方へ歩いた。全身から、玉の汗が吹き出していた。高杉

は、マフラーで首の汗をふき、最後にトマトの薮をいちべつ

した。そして、シャッターを開け、外へ出ようとした時だっ

た。彼の意識に、不意に、ソフトに語りかけてくるものがあ

った。それは、すぐにトマトの薮だと分った。女性のような

優しさで、彼を尊敬し、高く評価していることを伝えてき

た。植物バスターだった。サイ情報系が形成する、バスター

効果である。が、いずれにしても、ほめられて悪い気持ちは

しなかった。

 高杉は、そこに広がっているトマトの薮に向かい、微笑を

返した。そして、トマトの枝を手に取り、葉を掌の上にのせ

た。まさに、このトマトは、キュウリの野郎とは好対称だっ

た。高杉は、近くにある、形のいい赤く熟している実をつか

み、クイとひねってもぎ取った。そして、この小さな事件

を、ESPアナライザーのターミナルに入力した。むろん、

センサーが自動記録しているが、立合った者が、別途に入力

しておくのが規則だった。

 高杉は、ポン、とトマトを手の中でひっくり返し、シャッ

ターから外へ出た。

 

 高杉は、雪原月江と一緒に、地下第一層の輸送交通フロア

ーへ昇った。東タクは、宇宙港に用があり、すでにコア(回

転内殻)の外へ出ているようだった。

「今、何をやってるんだ?」高杉は、“気泡”ステーション

の方へ歩きながら、月江に尋ねた。

「担当課題よ。地球ガイアと、グローバル・ブレインの追跡

確認調査。分子生物学者ののルーシーだけど、昔、光一のい

い人だったのでしょう?」

「ああ、それがどうした?」

「べつに。優秀な、生命システム学者でもあるわね」

「ああ。たいしたものだ。一緒に仕事をしてるのか?」

「ええ、」

 “気泡”ステーションに、アレクセイエフとステラがいる

のが目に入った。飲物を飲みながら、彫刻を眺めている。2

人が近づくと、ステラの方が手を上げた。

「一緒に行っていいかしら?」

「ああ。銀河を眺めながら、餅を食べるんだ」

「主任、そのトマトはどうしたんです?」

「実験菜園で採ってきたんだ。植物バスターがあってな」

「あらあら、あのおしゃべりトマトの木ね」ステラが、笑っ

て口をおさえた。

 彼等は、“気泡”を対面シートにし、西の外殻部クーガへ

向かった。青の領域のあるセムとは、円筒チューブの反対側

の外殻部である。そのクーガには、六基のメイン核融合炉が

あった。また、太陽エネルギー変換施設や、無重力工場群な

ども、そこに集中している。セムがフロイの表玄関とすれ

ば、クーガは裏方の心臓部に当たる。もちろん、スポーツ施

設やレジャー施設なども整っていたが、セムよりははるかに

小さかった。したがって、宇宙港も、工場群関係の貨物が主

力である。

 4人は、“気泡”の中ではずっと眠っていた。それから、

宇宙港で目を覚まし、“気泡”から外へ泳ぎ出した。クーガ

の宇宙港は、貨物が主力なだけに、スペースとしてはセムよ

りははるかに広い。しかし、人の姿は、まさに閑散としてい

た。

 彼等は、それぞれ“ピコ”をつかまえ、“気泡”ステーシ

ョンから展望ホールへと引かれて行った。“ピコ”は、圧搾

空気を噴出して推進する、愉快なメッセンジャー・ロボット

である。ロケットや鳥や動物など、さまざまな縫いぐるみで

包まれていて、クーガの名物になっていた。それほど速くは

動かないが、それでも泳ぐよりは相当に速い。

 展望ホールは、直径180メートルの、アストロドームで

ある。しかし、ちょうど3次元的な角に位置し、3方向に正

面をもっている。中に入ると、そこは思っていたよりもにぎ

やかだった。それに、彼等の前に、子供たちのグループが移

動していて、上へ下への大騒ぎだった。子供用の、集中管理

型の“ピコ”が使われていたが、子供たちは円盤や怪獣にま

たがり、さんざんに女の先生をてこずらせていた。怪獣のシ

ッポをつかみ、投げつけたりしている。

「ここに来たのは、何ヵ月ぶりかしら、」ステラが、大きな

特殊偏光グラスをかけながら言った。

 彼女は目が弱く、展望ドームでは必ず偏光グラスを使って

いた。宇宙線や太陽風の高エネルギー粒子を弱めている、重

積エネルギー・シールドが目によくないのだと言う。

「キリーの向こうに、ミオが見えるわ」月江が言った。「少

し位置が変ったみたい、」

「ふむ、」高杉も、それを確認した。

「今月の初めに、加速があったんです」アレクセイエフが言

った。「もう、12月ですから」

「そうだったな」

 点々とある豆粒の様な人工島の向こうに、ひときわ大きな

人工島が、ポツンと太陽の光にさらされていた。それが、高

杉たちが育ったキリーである。そのはるか向こうに、ミオ

が、かすかにキリーの陰から見えている。ミオは、キリーと

同タイプの大型人口島であり、2つはチューブや連結構造ユ

ニットで結ばれている。これらのコロニーの島々は、フロイ

の南天に集中していた。が、地球は、クーガの展望ドームか

らは死角になっていた。

 しばらく、展望ドームの入口付近にいると、東タクが“ピ

コ”に引かれて昇ってきた。リーザ・ナンセンが一緒だっ

た。彼女は、東の古武道の弟子である。ともかく、よくケラ

ケラと笑う娘だった。

「タク、餅は持ってきたんでしょうね?」月江が言った。

「忘れやせん」東は、紙パックを月江の方に放った。

「やあ、リーザ」高杉は、笑う古武道娘に言った。

「はい、光一!」リーザは、にこやかに手を上げた。

「雪原月江を知っているか?」

「ええ。脳生理学者としてはね。よろしく、雪原博士。あた

し、リーザ・ナンセン。総局の保安部にいます」

 リーザは、ゆっくりと“ピコ”に引かれながら、月江に手

を差し出した。

「よろしく。月江と呼んでちょうだい。光一から聞いたわ。

とってもよく笑うんですってね」

 リーザは握手しながら、それだけで、クッ、クッ、と笑い

出した。彼女は、いつも、腹の底から笑っていた。

「やれやれ、リーザ、口から守護霊が逃げ出しちまうぞ」高

杉は言った。

「アー、」リーザは、大きく口を開けて見せた。そして、ま

たケラケラと笑い出した。

「さあ、上へ行こう」東が言った。「銀河を見る約束だ」

 彼等は“ピコ”に引かれ、ぐるりと銀河の見える側へ回っ

て行った。その、正面方向からやや下に、壮大な天の川銀河

がかかっていた。これから地球文明が拡散していく、大渦状

星雲の星の海である。

 それにしても、もっともらしくはあっても、何故このよう

な銀河が存在するのかは分らない。また、何故このような大

渦状星雲の中へ、地球文明が拡散していくのかも知らない。

いまだ、サイ・ストーリイ仮説でも、そうした領域にまでは

踏込んでいないからである。が、ともかく、こうした宇宙的

ストーリイも、エントロピー増大宇宙に拮抗する、壮大な生

命潮流だった。そしてそれは、今や月世界に昇天した『竹取

り物語』の幻想を越え、『七夕伝説』の幻想に入りつつあっ

た。牽牛星(わし座の1等星アルタイル)と織女星(こと座

の1等星ベガ)が、七夕の夜に、天の川を渡って会ったとい

う伝説である。今や地球文明は、ガイア・フィールドの拡大

と共に、いよいよ『七夕伝説』の空間に入って行きつつある

のである。

「高杉、宇宙港でめずらしい人物を見かけたよ」東が、片手

で“ピコ”に引かれながら言った。「誰だと思う?」

「さあな、」

「アルバート・ミラーだ」

「ほう。すると、自分で光速度の変動問題をやろうってわけ

かい」

「そういうことだ。ところが、誰と一緒だったと思う?」

「誰だ?」

「ジャンヌ・アズナブルときた。シャンソン歌手の、」

「やれやれ・・・」高杉は、グイと首を後ろにそらせた。

「本当なの、それ!」ステラが、偏光グラスの顔を向けた。

「ジャンヌが、本当にフロイに来たの?」

「ああ。あれが、アルバート・ミラーでなきゃ信じなかった

さ」

「アクエリアス(水がめ座)のジャンヌか」アレクセイエフ

が、小さなため息をついて首をふった。「仲がいいって話は

聞いてたが、」

「ああ。赤道レースにも、一緒に行っていたらしい」高杉は

言った。

「くわしいのね」リーザが言った。

「アンナがそう言ってた。アルバートは、おれたちの大学の

先輩で、昔一緒に仕事をしたんだ。しかし、とにかく行動が

派手だった」

「科学者としてはな、」東が、つけ加えた。

「ゴシップはやめてよ」ステラが言った。「とにかく、わた

しは、ジャンヌの親衛隊よ。アルバート・ミラーがここで仕

事をするんなら、彼女も一緒ね」

「今日は、スタンレー・ロックのリーも入港しているわよ」

リーザが言った。「セムの方だけど」

「リーか。スーパー・スターだな」アレクセイエフが言っ

た。

「とにかく、色々な人達が顔を出し始めたわね」月江が言っ

た。「シャンソン歌手から、俳優から、前衛芸術家まで。何

の関係があるのかしら」

「祭になるのさ」東が言った。「連中は、そういうことには

敏感だ」

「でも、とにかく、面白くなりそうね」ステラが言った。

「にぎやかな方がいいわ」 彼等は、フロアーの固定テーブ

ルを一つ選び、電磁マットの上に降り立った。

「さあ、今年も終わりだ」高杉は言った。

「記念すべき年になるわね」月江が言った。

「餅は、二個づつわたるな」東が、紙パックを開けて言っ

た。「こっちはキュウリ漬けだ。古文書にあった。古武道の

書物だが、星を眺めながら餅を食べ、キュウリ漬けを喰ら

う、と」

「ほう、」高杉は、紙パックの中をのぞいた。

「餅には、キュウリ漬けが合う。断っておくが、これはおれ

が漬けた。味わってくれ」

「男の料理ね」月江が、首をかしげた。「なによ、丸ごとじ

ゃないの」

「おいしいわよ、このキュウリ」ステラが言った。

「ステラ、君は立派な女性だ」

「ふん、バカバカしい。このキュウリはなによ」

「この方が食べやすいだろう」

「それは分るけど」

「銀河が、ずいぶんと近くに感じるな」アレクセイエフが、

ドームを見上げながら、感慨を込めて言った。「これは、ガ

イア・フィールドが動き出したせいですかね、」

「あるいはな、」高杉は言った。

 みんなが、ドームにかかる壮大な銀河を見上げた。

「高杉主任、」ステラが言った。

「ん?」

「主任は、地球研修旅行は、第何期生でしたの?」

「キリー第147期生だ。東も、おれもな。月江は、1年遅

れて第166期生だ」

「じゃあ、やっぱり、その147期生なのね。アラスカの大

火災に遭遇したのは、」

「いや、ちがうな。それは、おれたちよりも1ヶ月前に出発

した、第146期生だ」

「おれたちは、ベーリング海から、アラスカへは上陸しなか

った」東が、キュウリ漬けをかじりながら言った。「秋から

冬にかけては、日本列島で学んだんだ。キリー第147期生

は、そこに先祖をもつ者が多かったからな。そこでは、もち

ろん、大歓迎されたよ」

「それじゃ、変則コースだったのね。ラーの第88期生は、

わたしの姉さんの組なの。姉さんたちが到着した時は、大火

災は鎮火していたというわ」

「ステラ、あなたたちも、北アメリカ大陸を北上したコース

だったの?」月江が聞いた。

「ええ。ラーの第103期生よ。姉さんたちと同じコースだ

ったわ」

「おれたちも、アラスカ・レースは見たかったさ」高杉は、

トマトをかじりながら言った。「あの年のブルークス山脈

は、大荒れだったからな」

「ああ・・・」東が言った。「とにかく、遭難が続出した年

だった。日本で移動中継を見ていたんだが、大救助隊の出動

した、大パニック・レースだった」

「それでも、日本列島へは上陸したかったわけね」リーザが

言った。

「そういうコース設定だったからな」高杉は言った。「もち

ろん、日本でも、3000メートル級の山で冬を過ごした

し、シベリアへも出かけた」

「本当に、」月江が、キュウリ漬けを小さなカケラに割っ

た。「光一から、その地球研修旅行の話は、よく聞かされた

ものだわ。何度も何度も・・・それに地球から帰ってきた彼

は、もう本当に大人になっていたわ」

「憧れていたの?」リーザが聞いた。

「そういうのじゃないけど、そういうことには、敏感な年頃

でしょう」

「でも、アラスカ・レースを見れなかったなんて、本当に残

念ね」リーザは、高杉たちに言った。「あたしは見たわよ。

トアの第206期生だけど。ステラも見ているわね?」

「ええ、」

「アレックスは?」

「我々は、ヨーロッパ大陸だった。だから、直接は見なかっ

たが、立体ホログラフィー・ムーヴィーでは見たよ。ブルー

クスの山々にかかる、オーロラの輝き。星も凍りつく、夜の

大山脈越え。キャノン・モービルをつぎつぎに呑み込む、大

クレバス。山が揺れ動くような、大表層雪崩。続々とリタイ

アしていくキャノン・モービル。それから・・・白亜の北極

の大氷原での、命をかけた恋、」

「それは、ホログラフィー・ムーヴィーの話じゃないの」リ

ーザは、ダメと言うように首をふった。「本当のは、そんな

ものじゃないわ。体中が興奮して、恐怖で戦慄が走るのよ。

大型追跡モービルで見物していてもよ」

「リーザ、」東が、笑って言った。「おれたちは、もうガキ

じゃないさ。その後で、何度もアラスカへは行ってる。アレ

ックスだって、高杉だってな」

「しかし、」アレクセイエフが言った。「そうした地球も、

我々には、あくまでもマザー・プラネットでしかないです

ね。結局、我々の故郷は、地球ではなく、このSOL−50

宇宙コロニーですから」

「確かにそうだ」高杉は言った。「地球は、マザー・プラネ

ットだが、我々の故郷ではない。我々の故郷は、この

SOL−50宇宙コロニーだ」

「ステラ、話したことがあったかしら?」月江が言った。

「わたしは、宇宙船の中で生まれたのよ。そして、光一と一

緒にキリーで育って、今はフロイで仕事をしているわ。それ

から、おそらく、このコロニーで死んでいくのでしょうね」

 ステラは、まばたきしてうなづいた。

「こんなこと、これは、メルヘンなのかしら?」

「我々の存在がか?」東が言った。

「ええ、」

「他に説明ができなきゃ、そういうことだろうな」

 

 高杉がキリーに入ったのは、満2歳の時だった。キリー

は、完成直後の大型人口島であり、第1期目標50万人の受

入れ体制が敷かれていた時だ。宇宙港は、連日数千人の新住

民の入港で沸き返っていた。高杉は、その時の記憶だけが、

今も鮮明に残っている。そして、それ以後、高杉の記憶は、

すべてキリーと共にあった。

 そのキリーは、おだやかな亜熱帯気候がベースの宇宙人工

島だった。そして時折、年間プログラムで、大雨や嵐が作り

出されていた。しかしそれは、フロイのように、気象コント

ロールと呼べる様なものではなかった。単純なシャワーふう

なスコールであり、真空を利用した気圧変動の大嵐だった。

が、子供たちは、そうした日を、指折り数えて待ったものだ

った。それは、スケジュールどうりに始まる、一大冒険の世

界だった。

 そうした幼い頃、高杉は、世界とはキリーのことだと思っ

ていた。それから、キリーの様な世界が、他に幾つもあるの

だと理解し、体験したのは、満4歳の時だった。父に連れら

れて、初めて隣の島へ行ったのである。そして、そのつぎ

に、それほどの衝撃的な体験をしたのは、中等教育課程終了

時の、地球研修旅行ということになる。地球でいえば、ハイ

スクール最後の年であり、それは1年間にも及ぶ長いものだ

った。

 その地球研修旅行は、宇宙コロニーで生まれた誰もが、一

生の思い出となるものだった。むろん、高杉にとっても、そ

れは最大の思い出だった。

 旅行はまず、地球へ向かって、月軌道にあるL5ジャンク

ションを目指して始まる。そしてその途上、初めて肉眼で、

宇宙の中に浮かぶ、青い小さな地球を目撃することになる。

その神秘さ、美しさ、そして湧き上がってくる激しい胸の高

鳴りは、青春の思い出と共に、今も鮮明に心に刻まれてい

る。地球は、その日から、日増しに大きくなっていくのであ

る。神秘と憧れは、巨大な迫力に変貌し、1つの天体として

の広がりと、運命的ともいえる膨大な質量を感じさせてき

た。

 高杉たち、キリー第147期生は、そうした目まぐるしい

感動の日々の中で、地球と月という2つの天体運動が作り出

す、1つの重力バランス・ポイントに到着した。そこが、憧

れのL5ジャンクションだった。彼等が初めて見る、多目的

大宇宙港であり、地球生態系への表玄関でもあった。その

L5ジャンクションで、彼等は2日間を過ごした。そしてつ

ぎに、これも幾度となく夢に見てきた、低軌道ステーショ

ン・バイカルに入った。赤道上空600キロメートルの低軌

道を回るバイカルは、まるで地球の大気表層を、漂流してい

るかのようだった。そのバイカルの中で、彼等は天体として

の地球について、最後の講義を受けた。そこで見た地球生態

系の全貌は、まさに彼等の想像を絶していた。それよりも、

はるかに巨大なものだったからである。大宇宙という空間的

な広さ、銀河系や銀河団というイメージとしての質量以外

に、彼等はこれほどまでに巨大なもの、巨大な質量を、今ま

で1度も見たことがなかったからである。

 そしてその翌日、彼等の興奮はさらに高まった。スリルで

肩を震わせ、いよいよ何隻かの大気圏シャトルに分乗したか

らである。それから、初めて体験する地球の本物の重力に引

かれながら、成層圏、電離圏、大気圏へと降下していった。

その地球大気圏の中は、太陽光が作り出す、まばゆいばかり

の光の世界だった。そして、ついに着地したのは、赤道付近

の小さな珊瑚礁の島だった。地球研修学生の、ツアー・ステ

ーションの1つである。

 そのちいさな南洋の島から、キリー第147期生488名

の、地球上での現地学習が始まった。まず、ドームの無いイ

カダの様な大型船に分乗し、大海洋の水平線上を行く航海に

入った。船の上では、キャンプを張り、まず海水の分析から

始めた。そして、巨大な球面上に展開する海の広さ、海の深

さ、海における生命の濃密さを学んだ。また、洋上での、ダ

イナミックな大気圏の変化、太陽光の輝き、スコール、快い

潮風等を知り、そうした地球の大自然が語りかける、やさし

い命のリズムを知った。

 船上での原始的なキャンプ生活は、楽しいものだった。そ

れは、裸の命の営みだった。そこでは、みんなで力を合せる

ことを学び、1人では生きられないことを学び、何日にもわ

たる本物の嵐をも乗り越えた。そうした日々の生活では、克

明な気象観測が続けられ、船底の水中観測室でも、毎日くわ

しい記録がとり続けられた。そして、日がたつにつれ、この

マザー・プラネットの、驚くべき生態系の底の深さ、膨大

な可能性の広大さを感じるようになった。それは、神の領

域にまで達したような、大いなる神秘と、大いなる豊かさ

と、大いなる命の歌だった。その上、彼等は若かったし、そ

の深淵な意味は知らずとも、熱い青春の血をたぎらせていっ

た。純朴で、陽気で、ピカピカに新品な魂を満載した船は、

前途洋々たる人類の未来を見つめながら、一路北半球の大陸

を目指して航海した。

 こうしてマザー・プラネットを訪れた彼等には、わずか1

世紀前まで、人類がこの惑星の外に一歩も出たことがないな

ど、信じられないことだった。しかもそれ以前に、急速な産

業と兵器の発達があり、全惑星規模で、大戦争をくり返して

いたという。方々で、罪もない何百万人もの民衆が虐殺さ

れ、国境、民族、主義主張という境界的幻想に、命をかけて

戦っていたという。しかも、核エネルギーを使った最後の大

戦争の後、勝利した国家群が再び二つに割れ、未曾有の核爆

弾戦略体系を作り上げてしまったという。それは実に、地球

の全生態系を、数十回もくり返し全滅させる量に達したとい

う。そうした、息のつまるような地球壊滅戦略時代が、半世

紀もの間持続したのである。

 キリー第147期生が、最初の大陸、アジア大陸に到着し

たのは、9月の半ば頃だった。そこから彼等は、史跡を巡り

つつ、地球の大地の体臭と、地球文明の香りを学んでいっ

た。また、奔放で、広大で、危険に満ちた地球の大自然を、

自分たちの汗と、空腹と、移動キャンプ生活で体験していっ

た。そうした生活の中で、彼等はしだいに、自らの存在と、

大宇宙に占める、知的生命の座標を考え始めた。数々の史跡

は、彼等に、10世紀の昔、50世紀の昔の文明の姿を伝え

た。そして彼等は、1世紀先の未来、2世紀先の未来を計画

することを求められていたのである。

 それから彼等は、その1年間に及ぶ研修旅行を終了する

と、太陽系社会の未来を背負う若者として、再びSOL−

50宇宙コロニーへと帰っていった。そしてそれ以後、彼等

は、一人前の大人としての扱いを受けるようになった。それ

は具体的には、帰還及び中等教育課程終了セレモニーで、1

人1人に手渡された、SOL−50ブルー・カードで保証さ

れた。むろん、誰もが、いずれは大人になるわけである。

が、その時は、そのブルー・カードが、ひどく嬉しかったも

のだった。

 彼等が、その地球研修旅行で学んできたのは、もちろんマ

ザー・プラネットとしての地球だった。が、その地球を学ぶ

ことにより、現在も急速に太陽系時空間座標に拡大しつつあ

る、ホモ・サピエンス文明の源流を学んできたのである。こ

れは、太陽系をベースとする未来社会への、自覚と責任を負

ったことでもあった。キリーに帰還後、彼等はそれぞれ専門

教育課程に入ったわけだったが、その時から、猛勉強を開始

したものだった。

 

「さあ、」東が言った。「餅が1つ残った。どうだ、月

江?」

「いただくわ」月江はそれを取り、ちょっと眺めて口へ運ん

だ。「なにを考えてるの、光一?」

「地球研修旅行のことだ、」

「あの頃は、熱かったものさ」東が言った。

「しかし、今、まさにそれをやってるんじゃないのかな。宇

宙文明の確立のために、」

「そうだな・・・そういう巡りあわせになった、」

 高杉は、アストロ・ドームにかかる、壮大な天の川銀河を

見上げた。そうやって、ジッと銀河を眺めていると、今にも

その深淵な星の世界に、吸込まれて行きそうだった。『竹取

り物語』や『七夕伝説』は、かっては途方もない幻想だっ

た。しかし、今、現実に大渦状銀河の星の海に対峙している

彼等にとって、それはもはや幻想ではなかった。現実の、冒

険可能な世界であり、ロマンの対象だった。これはちょう

ど、16世紀のヨーロッパの船乗りたちが、大海洋の彼方の

世界に、熱い思いをはせていたのに似ているだろう。巨大な

虚無の支配する大航海と、茫漠たる危険に満ちてはいたが、

まさに胸おどる一大冒険の時代である。そして、そうした過

去の大航海時代と同じように、現在の冒険時代もまた、それ

に続く文明の大移動が控えているわけだった。

「来年は、大変な年になるな」高杉は、銀河の1つ1つの星

々に、心を奪われながら言った。

「しかし、これは長期戦だ」東が言った。「まあ、あまり焦

らずに行こうぜ」

「そうね、」ステラが、こくりとうなずいた。

「ちょっと、“ピコ”で遊んでくるわ」リーザが言った。彼

女は、“ピコ”に引かれながら、電磁マッとを離れた。

「まって、リーザ、わたしも行くわ」月江も、床から“ピ

コ”を取り上げた。

 リーザと月江は、“ピコ”に引かれ、どんどんアストロ・

ドームの頂上の方へ昇って行った。100メートルを越える

と、まるで2人が、銀河の星の海へ吸込まれていくように小

さくなった。

「あれは何だ!」東が言った。

「どうした?」

「2人の向こうに見えるだろう・・・」

 リーザと月江のいる星の海に、不意に巨大な地球が現れて

きた。薄いホログラムのような地球が、グングン接近くる。

すごいスピードだった。

「ガイア・フィールドだ!」高杉は言った。「レスター/ダ

ニガン論文の予測した、ガイア・フィールドのホログラム

だ!」

「こんなふうに見えるのか?」

「ああ。ブラフマン・モデルの解析では、フロイではどの位

置でも正面にくる。つまり、方向がない」

「どうなる?」

「予測不能だ。しかし、こうした状況はしばらく続く」

「主任、彼等を呼び戻しましょうか?」アレクセイエフが言

った。

「いや、大丈夫だろう。こうなれば、どこにいても同じだ」

「はい・・・いよいよ、動き出しますね」

「ああ・・・」

 その、かすかなホログラムは、すぐに消えた。後はまた、

吸込まれるような銀河空間が広がっていた。

「この、エントロピー増大宇宙の中で、生命潮流とは一体何

でしょうか・・・」アレクセイエフが、つぶやくように言っ

た。

 これは、認識をもつ者にとって、永遠の命題だった。

「この、今、太陽系で起こっている現象を、ゲシュタルトと

して眺めれば、太陽も決して無関係ではあるまい・・・」高

杉は、体の芯から湧き立つ戦慄を押さえながら言った。「太

陽は、単なる核融合のガスの塊ではない。地球ガイアのグロ

ーバル・ブレイン覚醒と、表裏一体の不可分のものだ」

「うむ」東が、うなずいた。「太陽の光は植物の命だし、植

物は動物の命だ」

「いや、もちろんそうだが、それ以上に密接に、太陽は生命

潮流の本質なんだ」

「というと、」

「ま、太陽の奥にある生命潮流の本質となると、それは宇宙

そのものの初期条件にまで遡る」

「ふーむ・・・」

「おい!」高杉は、鋭く言った。「今度は、銀河が近づいて

いないか?」

「なに!」

「拡大しています・・・確かに・・・」アレクセイエフが、

声を押し殺すようにして言った。

「ほんとう!」ステラが叫んだ。「動いてるわ、私達!」

 銀河の中央バルジが、揺らぎながら、グングン変形し始め

た。が、やがて、その揺らぎも消えた。そして、再び砂をふ

りまいたような、もとの銀河に静止した。

 アストロドームの頂上の方から、月江とリーザが戻ってき

た。むこうで暴れていた子供たちの一団が、女先生に引かれ

て彼等の方に回ってきた。他の人々も、管区要員の制服を着

ている彼等の所に集まってきた。

「どうしましょうか?」女先生が彼等に聞いた。

「ここに居ていい」高杉は言った。「グローバル・ブレイン

の覚醒を、見ておいたほうがいい。子供たちも、」

「あの、まだ、」

「ああ。しばらく続く」

「どうなりますの?」

「どうもなりはしません。我々のレベルでは、」

「しかし、青の領域へ運ばれた人達がいるでしょう」白髪の

老人が言った。

「彼等は、特殊です。それに、死んではいません」

「ふむ。それにしても、すごいことになりましたな」

「ええ。しかし、考えてみれば、我々の存在そのものが、本

来すごいことですから」

「うむ、」

 “ピコ”に乗った男の子が、高杉の手をつかみ、キュッと

握りしめた。高杉は、少年を腕で抱きかかえた。

 

 

 アストロドームの暗い片隅に、彼等の豆粒のような姿がか

たまっていた。そして、フロイは、淡い緑色の光に包まれて

いった。光ゴケのような、静寂な光である。また、フロイを

中心に、半径700キロメートルほどの所に、目に見えない

球形のハローが形成されつつあった。ハローは、すでに

SOL−50宇宙コロニーの一部を呑み込んでいる。そし

て、そのハローから伸びた細い超波動の糸は、やがて同じ惑

星軌道上の、地球の巨大なハローとつながろうとしていた。

 太陽は、この新たなステージにシフトした巨大生命圏の中

心に位置し、今も静かに輝き続けている。まさに、この生命

圏の心臓のように、ただ、脈々と燃えさかり、我々にエネル

ギーを送り続けている。

  

 

            〔 完 〕

 

 

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