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〔巻1=原・万葉集/天武・ 持統朝〕
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トップページ/Hot Spot/Menu/最新のアップロード 女流歌人: 里中 響子 |
No.1 | 〔1〕 白鳳文化とは | 2011.12.17 |
No.2 | 【巻1-(27)】 天武天皇 よき人の よしとよく見て・・・ | 2011.12.17 |
No.3 | 〔2〕 天武朝・・・大王から天皇へ | 2012. 1.14 |
No.4 |
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2012. 1.14 |
No.5 | 【巻19-(4260)2首】 〔雑歌/大君賛歌〕 皇は 神にしませば 赤駒の | 2012. 1.14 |
No.6 | 【巻3-(235)】 〔雑歌/大君賛歌〕 皇は 神にしませば 天雲の | 2012. 1.14 |
No.7 | 【巻2-(103/104)】 天武天皇 〔相聞歌〕 我が里に 大雪降れり | 2012. 1.14 |
No.8 | 〔3〕 天武朝・・・国家建設の線引き・・・ | 2012. 1.22 |
No.9 | < 富本銭 ・・・日本初の鋳造貨幣の発行> | 2012. 1.22 |
No.10 | 〔4〕 天武天皇・・・御在位の風景 | 2012. 2.12 |
No.11 | 【巻1-(23/24)】 ・・・ 麻続王が聞きて感傷して和(こた)へたる歌 | 2012. 2.12 |
No.12 | 〔5〕 天武天皇の崩御 | 2012. 2.26 |
No.13 | <天武朝・・・外交/軍事の考察> | 2012. 2.26 |
No.14 | <天武朝・・・文化/宗教の考察> 神道 仏教 道教 | 2012. 2.26 |
No.15 | 【日本書紀 古事記】 | 2012. 2.26 |
No.16 | 【八色の姓 (やくさのかばね)】 | 2012. 2.26 |
推 敲完了 | 推敲完了 | 2012. 3.10 |
No.17 | <天武天皇・・・突然の崩御> | 2012. 3.17 |
参考文献 Wikipedia
・・・ 万葉集 (・・・インターネット・サイト・・・) その他
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〔1〕
白鳳文化・・・ 天武朝・持統朝
響子が...<シンクタンク・赤い彗星ビル・3F>の窓から、冬枯れしていく師走の草原を眺 めていた。空はうっすらと曇り、寒風が吹き渡っていく。まさに、刻々と冬が近づいている様相だ った。 「1300年ほど昔の...」響子が窓辺に肘をかけ、振り返って言った。「あの...〔天平時代〕に も...こうした風景、はあったのですね...」 「ええ...」支折が、作業テーブルから窓を眺めて、うなづいた。 「考えてみれば...」響子が言った。「わずか、1300年とも言えます... その間に、濃密な日本民族の歴史が刻まれ...“今/ここ”に、到達しているわけですね... でも、この“今/ここ”とは、何処なのでしょうか...その時空構造/1人称的世界(/この世、この世 界は・・・“私”という1人称の窓からのみの視界・・・)の投影とは何なのでしょうか...?」 「...うーん...」支折が、椅子を回転させた。「...わずかか、1300年ですが... 私たちは、何処からやってきた、何者なのかしら...?...うーん...確かに、1人称的世界 ではあるわけですが...これは、基本的に、重要な鍵になる問題ですよね...」 「そうですね...」響子が、窓辺で口に手を当てうなづいた。「そういうものだ...と言ってしまえ ばそれまでなのですが... この世/この世界/この宇宙が、どうなっているのかという疑問を持つ者には...1人称的世 界/相互主体性世界の...認識の構造解は、奥深く、興味の尽きないものですわ。この合わせ 鏡のような認識空間で...“ニュートリノ振動”が観測され、“ヒッグス粒子(『標準理論』で、質量を与 えると考えられている素粒子)”の発見が...いよいよ間近に迫ってきているわけです。 私たちは...人間的・バーチャル空間/歴史的・仮想空間の集積/主体的・夢座標に棲む、 ホモサピエンス/日本民族です。その日本民族が、昨今、その基盤が大きく動揺し始めている わけですね...」 「私たちは...」支折が、髪を揺らし、頭を傾げた。「本当に...何処から来て、何処へ流れて行 くのでしょうか...それが、1人称的世界の認識・構造解と...関係があるのでしょうか...?」 「うーん...」響子が、頬に手を当てた。「それよりも...日本の現在が心配です... 人類は今...“未知の領域/文明の第3ステージ”へ、踏み込んでいると推測されるわけです が...その未知なる道に...月の光を当てていくのは...やはり、過去/歴史の教訓というこ となのでしょうか。和泉式部(いずみしきぶ: 平安時代・中期の女性歌人)の歌に、こんなのがありますわ...
暗きより 暗き道にぞ入りぬべき (和泉式部 = 平安時代・中期の女性歌人)
「うーん...」支折が、声を漏らした。「...“暗きより 暗き道にぞ入りぬべき・・・”...ですか、」 響子が唇を結び、小さくうなづいた。 「“山の端の月”とは...」響子が言った。「仏の照らす光/仏の導きを、詠んでいるようですわ。 “人生の暗く細い道を・・・月の光のように・・・遥かな遠くまで照らしていって欲しい”...と詠ん でいるわけですね、」 「ふーん...」 「響子、」マチコが声をかけた。インターネット・正面カメラを指差した。 「あ、はい...」響子がうなづき、窓辺を離れた。
「ええ...と...」響子が椅子の背に手をかけ、チラリとインターネット正面カメラを見た。ランプ が青く点灯していた。 「ええ...<壬申の乱>が終息し... この後...翌673年/天武天皇2年/2月...勝利した大海人は、“飛鳥浄御原宮”(あすか のきよみはらのみや/・・・“天武天皇”と“持統天皇”の2代が営んだ宮)を造って、即位した、ということですね。近江 朝が滅び、都は久しぶりに飛鳥(奈良県/高市郡/明日香村)に帰って来ました...ここまで、支折さん が、話してくださったわけですね?」 「はい...」支折が、ユキちゃんの注いだお茶を受け取りながら、うなづいた。 冬休みに入ったので、またユキちゃんがアルバイトに来ていた。ユキちゃんが来ると、いつもと は違うにぎやかさになった。ユキちゃんは、響子とマチコの脇にもお茶を配った。
「まず...」響子が、モニターを見ながら言った。「【白鳳文化(はくほうぶんか)】について...簡単に 説明しておきましょうか、」 「はい...」マチコが、茶碗を口に運びながら、うなづいた。 ユキちゃんも、自分の茶碗を前において、椅子にかけた。 「【白鳳文化】というのは... 大化の改新/645年(大化元年)から ~ 平城京・遷都/710年(和銅3年)までの、〔飛鳥時代〕 に開花した、おおらかな文化です。平城京・遷都以降は、〔奈良時代〕になります。 この頃に...本格的に、“国家が始動しはじめた”と言われています。【白鳳文化】は、“天武 天皇”・“持統天皇”の時代が中心ですが、一部で、“弘文天皇”/“天智天皇”の時代の文化も 重なるようです」 「外国軍との戦争が...」マチコが言った。「“国家”というものを、強く意識させたわけかしら?」 「そうですね...」響子が言い、ユキちゃんにうなづいた。「ええ、いいですか... 法隆寺や聖徳太子(/推古朝)によって代表される【飛鳥文化】(仏教伝来 ~ 大化の改新まで。538年~645 年)と...東大寺や唐招提寺によって代表される【天平文化】(7世紀の終わり頃から8世紀の中頃まで。奈良 の都/平城京を中心に開花した貴族・仏教文化)との...中間に位置するのがこの【白鳳文化】で、ここも1つ の文化の爛熟期(らんじゅくき)に大別されます。 あの富本銭(ふほんせん)などが鋳造された時代ですね。この銭貨(せんか)は、683年頃(/『日本書 紀』の683年/天武天皇12年の記事の記述に沿っている・・・)につくられたと推定されています。708年に発行さ れた和同開珎(わどうかいちん)よりも年代は古く、日本の、最初の貨幣とされているものですね。 ええと...“白鳳”というのは、『日本書紀』に現れない元号の1つですが...『続日本紀』(しょく にほんぎ: 平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第2に当たる・・・)には、“白鳳”が記されて いるそうです。 “白鳳”は、“天武天皇”の時代に使用されたと考えられていますが、“天智天皇”の時に使用さ れたとする説もあるそうです。ともかく【白鳳文化】は、この“白鳳”の時期に、最盛期を迎えてい るということでしょう。 「ユキちゃん...」マチコが言った。「【飛鳥文化】...【白鳳文化】...【天平文化】...と続く わけよ、」 「うん!」ユキちゃんがうなづき、お茶を飲んだ。
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天武天皇/ よき人の よしとよく見て 天武天皇の吉野の宮に幸(いでま)しし時の御製歌(おほみうた) *************************************************************
【現代語訳/大意・・・巻1(27)】
立派な人である君たちも この吉野をよく見るがいい 昔の立派な人もよく見たことだから... *************************************************************
現在の...奈良県/吉野町/宮滝のあたりに存在した、吉野宮で詠まれたのでしょうか...私は 訪れたことがないので、状況がよくわかりませんが...古(いにしえ)のその頃が、深く偲ばれます。機会 があったら、是非、訪れてみたいと思います。 この時/679年5月...吉野山の山桜も散り...蕨(わらび)の見える頃でしょうか。“天武天皇”は、 皇后/鸕野讚良(うののさらら)/“後の持統天皇”と...草壁皇子・大津皇子・高市皇子・川島皇子・忍 壁皇子・志貴皇子の6皇子を従えて...吉野に来ています。そして、皇位継承での、争いを起こさぬこ とを、6皇子にしっかりと誓わせています...いわゆる、“吉野の6皇子の会盟”です... “天武天皇”は、<壬申の乱>の後、着々と支配体制を固めて行きます。その様子は、後で述べます が...後継者/譲位のことも、しっかりと固めておかなければなりません。とりあえず、東宮/皇太子 は、皇后/鸕野讚良との間の皇子/草壁皇子で、ほぼ決まっていたようです。 でも...もともと自分自身も...“天智天皇”の皇子/大友皇子から、クーデターで皇位を奪取して いるわけです。また、大化の改新のスタートとなった、<乙巳の変>(いっしのへん/クーデター)や、その後 の有間皇子(ありまのみこ: 中大兄皇子にとっては、母/斉明天皇の弟、従兄弟(いとこ)。罪を着せられて処刑)のことな ど、血塗られた身内同士の権力闘争がくり返されてきたわけですね。 ともかく...血縁内部での抗争に...ここをもって、終止符を打ちたかったわけです...また、それ は天皇家のみならず、すべての人々の願いでした...」 「あ...」マチコが、指を立てた。「ええと...有間皇子の短歌があります...」 「はい...」響子が、うなづいた。「どうぞ...お願いします、」 「ええと...」マチコが、モニターを見た。「これは...
『万葉集』に編纂されている歌です。【巻-2】の方ですが、ついでにここで取り上げておきます...
有間皇子/ 家にあれば 笥に盛る飯を・・・
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕(くさまくら)旅にしあれば 椎(しい)の葉に盛る
県・三重県の1部)に護送されていく途中で詠んだ歌とされています。出家して、歌を詠み生涯を送るという 希望も、かなわなかったわけですが...この時はまだ、少しの希望はあったのでしょうか...? 朝鮮半島/“白村江の戦い”で...唐・新羅の連合軍に大敗した皇太子/中大兄皇子は...連合 軍が日本に押し寄せてくるのを、非常に恐れていたわけですよね。そのために海岸線や島々に、防塁 や防人を配備したわけです。 そうした一環で...都も海に近い大阪/難波宮(大阪市/中央区法円坂)から、内陸の奈良盆地/倭京 に遷都することを、“第36代/孝徳天皇”に進言しました。ところがこれは、天皇によって退けられてし まいます。 そこで...大化の改新を遂行し、天皇以上の権力を持っていた中大兄皇子は...天皇を難波宮に 残したまま、大方の人々を引き連れて、倭京に還ってしまいます。この時...有力な皇位継承者である 有間皇子の存在は、皇太子/中大兄皇子にとって、放置できないものとなったようです。 いつ何時、どのような形で...勢力が結集され、反旗を翻さないとも限らないわけです。自分自身が が、クーデターをやっているだけに、心配です。そこで、罪を着せ有間皇子を処刑したようです。この歌 は、その護送の旅の途上に詠まれたそうです...かわいそうですよね...」 「はい...」響子が、うなづいた。「そして... 大海人皇子/“天武天皇”もまた...同じようにクーデタ ーで、皇位を奪取しているだけに、それが 常態化してしまうことを、非常に危惧したわけですね...」 「そうかあ...大海人皇子も、クーデターをしているわけよね...」 「うーん...」支折が、うなづいた。「王族の、身内での権力闘争は...歴史的にも、世界中で見られる ものですわ...権力者の身内だからこそ、そんな残虐なことができるのかしら...?」 「でも、さあ...」マチコが、首をひねった。「“天智天皇”が... 長年一緒に仕事をしてきた...実弟/大海人皇子...の首を落とすというのは、どうしても信じら れないわよねえ...人間として、そんなことができるのかしら...?」 支折が、唇に微笑を作り、ゆっくりとうなづいた。
「ともかく...」響子が言った。「“天武天皇”は... 自分の死後、皇子たちが再び争いを起すことを、非常に危惧したわけですね。そこで、自分自身も近 江朝を追われ...吉野に脱出してきた、この地で...皇子たちに、誓いを立てさせることが必要だっ たわけです。この吉野こそが、格好の地だったわけです...」 「うーん...」マチコが、コクリとなづいた。 「当時の吉野は... 霊力の満ちた、特殊な場所と考えられていたようです。後に、“持統天皇”が何度も吉野へ行幸(ぎょう こう/天皇が外出すること・・・目的地が2か所以上の時は、巡幸・・・)しているのは、こうした霊力の恩恵に浴したか ったということが、あるのかも知れません。 まさに...“天武天皇”が歌に詠んでいるように...“よし(の)” と名づけられた吉野の景観の中で、 その霊力の強い場で...また何よりも天武朝の出発の地で...皇子たちのより強い結束を、確かな ものとしたかったのだと思います。再び、身内で争うことのないように、盟約させたわけですね...」 「でも...」支折が、肩をかしげた。「大津皇子の騒動が...起こってしまうわけですね、」 「そうですね...それは、後で触れたいと思います...」
<・・・歌碑・・・>
下市の中央公園のものだそうです」
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〔2〕 天武朝・・・大王から天皇へ
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