「明治天皇は、短歌の達人だから...」高杉は、微笑し、唇を引き結んだ。「こんな
俳句をお聞きになったら、何と言うかな...」
「...」
「まあ...それよりも、今のこの国の状況を、どう思われるかな...バブルが崩壊
し...武士道は失われ...政治は大混乱の極みにある...」
「うーん...塾長...もし、本当に、この句をお聞きになったら...明治天皇は何と
言われるかしら?」支折は、いたずらっぽく笑って、高杉を見た。
「うーむ...首を、ひとひねりかな、」
「...」支折は腕組みをし、首を傾げた。
「明治天皇は、ずいぶん歌を詠んでおられる...御製の数は、9万3000余首とあ
る...」
「9万ですかあ...すごい数ですね!」
「うむ...明治天皇は、豪胆と言われているが、豪胆かつ繊細でなければ、これほど
の歌は詠まれないのではないかな...
私が知っている歌は...昭和天皇が開戦の折の御前会議の時に、自らのお気持
ちとして引用されたという、この1首だ...
四方(よも)の海
みな同胞(はらから)と思う世に
など波風(なみかぜ)の
立ち騒(さわ)ぐらむ
昭和天皇は、まだあまりにもお近くて、とても言葉には表せないが...その歴史
的瞬間において、この句を引用されたという...まあ、お気持ちは、素直に伝わって
くると思う...」
「はい...」支折は、コクリとうなづいた。
「それで、夏空や 大和の民は いまもなお
... は、どう思うかね?」
「うーん...」支折は、笑みをこぼし、ハンカチを持った手を握り締めた。「私には、禅
の心境というのは、よくは分かりません...分かろうとは、思うんですけど...」
「うむ...」高杉は、メモ帳のこの1句に、線を引いた。「しかしなあ...これが俳句と
して、いいものかどうかは分からん。俳句は、君も知ってるとおり、私も素人だから
な」
「はい...私も俳句を作ったのは、黒部アルペンルートを旅行した時以来かしら?」
「うーむ...私も、何とかもう少し俳句を勉強したいんだが...」
【
文化館・宝物展示室 】 
さて、休憩所のある文化館で、軽い昼食をとりました。その後、少し迷ったあげく、
同じ建物の宝物展示室に入ってみました。入場料500円。少し迷ったのは、最近東
京国立博物館で、“皇室の秘宝展”を見ていたからです。まあ、しかし、時間も少し早
かったので、入ってみることにしました。
券を買って2階へ上がると、まず明治天皇と昭憲皇后の大きなお写真がありまし
た。“皇室の秘宝展”では、これの数倍もある同じポーズの油絵を見ました。しかし、
写真には写真の良さがあります。私達は、しばらく、その2枚の写真に見入っていま
した。
その時代を思い、国を背負っておられたその重荷を思い、その豪胆な風貌を見つ
めました。当時の宮中は、維新革命が色濃く反映していて、豪胆な気風であったとい
われます。
この気風が、国全体の気風にもなっていたのでしょうか...豪胆かつ繊細...そ
して、無数の伝説を生み出した時代...まさに、現代日本人のアイデンティティ(同一
性、主体性)が形成された時代です...
それから、高杉は、陛下の両のお膝のあたりに、ようやく人間らしい身近なものを
感じ、ホッとため息をついた...そのあたりから、さかんにお歌を作られていたとい
う、宮中での明治天皇を偲ぶことが出来た...
「この間...」と、高杉は言った。
「はい、」
「津田・編集長が、“辛口時評”で、日露戦争の事を書いていたな、」
「はい」支折は、大きくうなづいて、高杉の顔を見た。
「東郷平八郎(連合艦隊司令長官)が、対馬海峡から日本海に入って来たバルチック艦隊を
撃破した海戦は、まさに痛快だった」
「はい、」
「この“日本海海戦”というのは、もう少し正確に言うと、明治38年5月27日から翌
28日にわたり、日本の連合艦隊が、世界最強といわれたバルチック艦隊を全滅させ
た海戦だった...日露戦争は、すでに前年から始まっていて、ヨーロッパに拠点を置
いていたバルチック艦隊は、総動員で地球を半周してやって来たわけだ。途中で燃
料や食料を補給しながら、大挙して極東アジアに乗り込んできたわけだ。まあ、大国
ロシアの巨大機動戦力が、いよいよ極東アジアに振り向けられたわけだ...
一方、極東のロシア艦隊というのは、遼東半島の先端にある旅順を母港としてい
た。そして、ここに、世界最強のバルチック艦隊を受け入れる体制を整えていた。ちな
みに、ここにバルチック艦隊が無事におさまってしまうと、これで日露戦争の勝敗は
決してしまう。つまり、世界最強のバルチック艦隊を持ってすれば、極東アジアの制
海権は、ほぼ完全に彼等のものになってしまうからだ。そうなると、極東アジア全体
に、ロシアの覇権が及ぶことになってしまう」
「そうかあ...そんなに大変なことだったんですか、」
「まあ、それが、大国ロシアの野望だった。そして、そのためには、極東アジア地域で
力をつけ始めている、新興国・日本を叩かなければならなかった。日本はこの前に、
日清戦争(明治27〜28年)で勝利をおさめているからね」
「うーん...」
「まあ、日本としては、バルチック艦隊が旅順に入り、強大な極東基地を固めてしまう
前に、海上で叩いてしまうのが最善の策だった。それも、航路が狭くなる、海峡で叩く
のが良かった。広い日本海に散らしてしまう前に、まとめて叩きたかった。
ちなみに、バルチック艦隊が日本海に入るには、3つの海峡があったわけだ。対馬
海峡と、津軽海峡、そして宗谷海峡だ...まあ、もう1つ、樺太と大陸の間に間宮海
峡というのがあるが、これは今回は可能性はきわめて低かった」
「はい!」
「また...世界最強・最大を自負する大艦隊が、北の海まで北上し、津軽海峡や宗
谷海峡を使う可能性も少なかった...しかし、戦史を紐解けば、どのような奇策もあ
りうるわけだ。したがって、作戦上では、あらゆる可能性に備えなければならなかっ
た。また、もし、そうした北からの進入となった場合、日本の限られた艦船での対応
は、非常に難しかったわけだ。
が、まあ...一方、バルチック艦隊の側に立って考えてみれば、負けるはずのな
い海戦だった。したがって、正面から最短距離で旅順港を目指し、力押しで進む作戦
をとった。これがもし、2箇所から同時に日本海に入る作戦を取られたら、大変なこと
になった。
あるいは、対馬の西水道と東水道に分かれ、分散して日本海に入られても困っ
た。このあたりは、バルチック艦隊に戦略上のミスがあった。また、日本の連合艦隊
側にヨミの的中があった。まあ、バルチック艦隊は、大艦隊ゆえに、非常に素直な戦
略を描いてきたわけだ」
「面白いですね、」
「まあ、勝ってこそだがね...
さて、そこで...乃木希助(のぎまれすけ)の率いた陸軍第三軍が、バルチック艦隊の
到着前に、陸路から遼東半島の先端にある旅順港の攻略にかかった。膨大な犠牲
を払いながらの前進だった。特に、203高地という小山があり、ここがいっこうに落と
せないわけだ。まあ、新式の機関銃を並べ、弾(たま)を雨霰(あめあられ)と打ってくるわけ
だな」
「はい!」
「詳しい経緯は省くが、結局、陸軍参謀が、日本から巨大な要塞砲を取り寄せ、事態
を打開したようだ。そして、なんとかバルチック艦隊が到着する直前に、ようやく旅順
を陥落した。それから、旅順港の入り口にボロ船を沈めて航路を封鎖した。それがギ
リギリで、とても、しっかりと機雷で封鎖する余裕はなかったという...
一方、連合艦隊の方も、対馬の沖で、訓練に継ぐ訓練に明け暮れていた。そし
て、いよいよ日本海海戦が始まる。バルチック艦隊の刻一刻の動きは、世界中に打
電され、ホットニュースとして毎日世界中を駆け巡っていた。見物する方としては、こ
れほど息詰まる面白い大事件は、めったにないからねえ...
ヨーロッパ、インド洋、南シナ海と、大部隊が豪快に移動し、各港はてんやわんや
の大騒ぎだったと思う。そうした中で、燃料の石炭を補給し、食料や水を補給し、メデ
ィアの取材に応じ、また事件を引き起こし...そして訓練も積みながら、一路日本海
を目指して進んでくる。あと1ヶ月で日本海に入るとか、あと1週間だろうとか、ついに
台湾を通過したとか...その一方、日本中が、そのバルチック艦隊の動きで凍り付
いていた。
それから、世界ニュースとしては、この明治38年3月に、“奉天大会戦”において、
日本が大勝利をおさめている。奉天(ほうてん)というのは、最近北朝鮮の難民が日本
領事館に駆け込んだ、あの瀋陽(しんよう)のことだ...津田・編集長は、“奉天大会
戦”は“日本海海戦”の後のように言っていたと思うが、実際にはこっちの方が2ヶ月
ほど先に決着していたわけだ。しかし、いかに奉天で大勝利をおさめていても、バル
チック艦隊が日本海で制海権を確立してしまうと、海に囲まれている日本はどうしよう
もなくなる。しかも、ロシア艦隊の軍港は旅順1つではなく、もっと北の沿海州の方に
もあったわけだからねえ、」
「あら、そうなんですか?」
「まあ、漁村程度のものでも、ロシアの領土だからね」
「はい」
「しかし、ともかく...バルチック艦隊としては、“奉天”での巻き返しと、“旅順港”奪
還に燃えて、日本海に決戦場を求めてきたわけだ...」
「はい...」
二人は、宝物展示室の中に入って行った。
「ところで、この“日本海海戦”のあった、明治38年という年は、西暦でいうと1905
年だ...」高杉は、最初の展示物の前で、足を止めた。「つまり、20世紀の初頭で
あり、この年にアインシュタインが特殊相対性理論(1905年)を提出している。ニュートン
力学から、相対性理論への、パラダイムシフトが始まっていく最初の発火点だ。この
後、一般相対性理論(1916年)、量子論(1920年代)と展開し、時代が加速していく。
日露戦争というのは、こうした時代背景の中で進行していたわけだ...つまり、そ
れほど古い話でもないが...あと3年足らずで2005年だから、もうじき100年にな
るわけか...」
支折は、黙ってうなづいた。
「いずれにせよ...日本海海戦では、バルチック艦隊は、“全滅”と表現されるほど
の大敗北だったようだ。この予想外の大ニュースは、世界を震撼させた。そして、こ
の軍事的な大事件は、極東アジアよりは、むしろヨーロッパに大きな衝撃を与えたの
ではないかと思う。
世界最強と言われたバルチック艦隊が、北欧やヨーロッパの海域から忽然と抜け
落ちてしまったわけだ。自ら何も手を下さずに、その脅威が消えてしまったのだ。周
辺諸国は、まさに拍手喝采で喜んだことだろう」
「はい。スウェーデンでは、東郷平八郎・提督の名前は、今でも有名だと聞きます。彼
の名前のついたビールが、今でも製造されているとも、」
「そうらしいな。日本人が行くと、必ず買って帰るとか...はっはっ、」
「うーん...昔は、良かったのよね...」
「ま、私も日露戦争の話は好きだが、実際には大変な戦争だったと思う...
明治天皇は、この日露戦争の後、めっきりお年を召されたと伝えられている...
それほど、精力を使い果たされたのだ...
あの明治維新から、わずか三十数年...新国家建設途上での、国をかけての全
面戦争...どれほどの重圧であったか...まさに、想像を絶するものがある...」
「戦争は、避けられなかったのでしょうか?」
「さけては通れなかったろう。ロシアは、日本を叩こうとしていたわけだからな。ともか
く、現在のように“憲法9条”があるとか、“平和憲法”があるとか言って、それを錦の
御旗に掲げていられる時代ではなかった。まあ、今でも、これだけでは国家は守れな
いがね...」
「はい、」
「時代は、まさに、“富国強兵”。そして、いわゆる“帝国主義”の時代だった。支配す
るか、支配されるか、それとも強大な力で均衡するかしかなかった。日本は、“富国
強兵”で、力を蓄えようとしていた」
帝国主義
軍事上・経済上、他国または後進民族を征服して、大国家を建設しようと
する傾向...
具体的には、19世紀末頃から始まった、資本主義列強国による植民地
化の流れ。日露戦争は、日本帝国と帝政ロシアが、満州及び朝鮮半島の制
覇を争った戦争。そのために、満州や朝鮮半島の人々には、多大な迷惑を
かけてしまった。
「そうかあ...帝国主義の時代だったのね...支配するか、されるか...」
「うむ...ま、いずれにしても、ナポレオンもヒトラーもロシアに敗北したが、明治天皇
は勝ちを収めていたわけだ」
「あ、そうか。そうよね、」
二人は、ひととおり展示物を見て回ると、またもとの階段を下りて、外に出た。
《ボスの思い出》
「それから、これはボスのことになるが...ボスの名付け親は、明治天皇のお血筋
の人だということは聞いているだろう?」
「あ、はい!その話は、響子さんから聞いています。姫野公明と言われる、高貴な尼
さんだと...」
詳しくは、こちらへどうぞ...超越的目撃/予知の時空構造解/予知
「うむ...私は、ボスから、今日出かける前に、ある話を聞いた。ボスはこう言ってい
たよ...」高杉は、神宮の森のまぶしい青空を仰ぎ、目を細めた。
「何て言ったんですの?」
「うむ...ボスは、こう言うんだ。
...おれは、この年になるまで、人に誉められたということは殆ど無い。覚えてい
るのは、小学校1年生の時に、暗算で賞状をもらったことかな...それから、中学2
年生の時に、理科の中間テストで100点をとったことがあった。その時は、“真空”と
書く所を、“トリチェリーの真空”と書いてバツになっていたが、マルに訂正され、100
点に直されていたそうだ。
...それから、やはり、中学2年生の時、英単語の全校テストがあり、それで小さ
な賞状を1枚もらったことがあったそうだ。まあ、誉められた経験というのは、それぐら
いだったそうだ。ボスが、今でも覚えているのは...ま、お粗末な話だ」高杉は、クッ
クッ、と笑った。
「ふうん...」支折も、小さく苦笑した。
「ところがだ...多分、その中学2年生頃だったとボスは言うんだが...よりによっ
て、その名付け親の高貴な尼さんが、ボスのことをひどく誉めたと言うんだなあ...
その、誉め方が、また変わっていた。
“頭のいい子ですねえ...”
“本当に、頭のいい子ですねえ...”
と、何度も重ねて誉めたというのだ。
しかしだ...ボス自身は、とても自分がそんなに誉められるほど、頭がいいとは
思っていなかった。まあ、事実そうだった。山育ちではあったが、その頃は多少勉強
もしてみた。そして、それ以前よりは急に成績は上がったが、ビリから中ほど程度に
上がっただけだ。いずれにしても、たいしたことはない。したがって、頭がいいか悪い
かは、クラスの中で比較して、自分が一番よく知っていたわけだ。
まあ...その頃は、村から山道を5キロも歩いて、下の町の中学校まで通ったん
だそうだ。そして、中学校には、“ガリ勉”がいるのでびっくりしたそうだ。まあ、ともか
く、桁違いに勉強が出来たそうだ...ボスは、そんな中学生が存在していることを知
らなかったし、ともかく宇宙人のようだったと言ってた...」
「うーん...山育ちよねえ...」支折は、首を振り、頭の後ろで両手を組んだ。
「まあ...ボスの、そんな頃の話だ。ともかく、その高貴な尼さんは、真面目に、真
剣に、ボスを誉めてくれたと言うんだ。しかし、まさにボスには、手に余ってしまった
のだろう...」
支折は、シャネルのバッグを肩から落とし、ツルを手に持った。
「その高貴な尼さんは、何か別のものを見ていたのかしら?」
「さあ...私は、ボスの真実を見ていたのだと思うが、」
「うん...」
「しかし、まあ...理科の中間テストで100点をとったくらいでは、学校の先生はそ
んな誉め方はしてくれないなあ...ましてや、1回100点をとったぐらいでは、」
「そうね、」
「殆ど誉められたことの無い少年が、そんな誉め方をされれば、悪い気分のはずはな
いんだが、ボスには実感はなかったという...まあ、これは、それだけの話だ。
しかし、ボスは言うんだ。それが、最近になって、尼さんの言ったことが、少しづつ
分かってきたと...ま、自分で考えても、自分の頭は、それほどデキの悪い方でもな
いのが分かってきたのかな...
はっはっはっ...そりゃ、そうかも知れん。なにしろ、我々のボスだからなあ、」
「でも、そんなものかしら?」
「さあ、知らんね。ま、ボス自身が言っていたことさ」
「他に何か話していた?」
「いや、それだけだ。今朝聞いたのは、」
「それで、その尼さんも、もうお亡くなりになられたのかしら?」
「そう聞いている。ボスは、その意味もこめて、明治神宮へ参拝するように言ったの
だ」
「そうねえ...ここは日本一参拝客の多い明治神宮だし...私たちだって、いつで
も来れるわよね」
「うむ。まあ、この次は、絵馬で、短歌を奉納したいものだな」
「俳句ではなくて?」
「ま、俳句の方がいいかな、」
