プロローグ <ミミちゃん>
「ええ、白石夏美です...
生態系監視衛星“ガイア・21”の新春対談ミッション、“海洋表層・海の森”が終
了したら、次もまた私達の仕事になりました。“資源・環境”関連の話なので、堀内さ
んと私の担当になります。ただし、今回は学生時代からの親友/折原マチコにも手
伝ってもらいます。
それから、宇宙ミッション・スペシャリストのポンちゃんの代わりに、今回はミミちゃ
んとタマ、それにブラッキーとヘリコ君に参加してもらいました。あと、設計技師の竹
内建造さんにも、特別参加を要請してあります。一言コメントをいただけると思いま
す。
ええ、マチコ...よろしくお願いします!」
「うーん、こちらこそ!原子炉の解体かあ...」マチコが、膝の上で、ミミちゃんを抱
きながら言った。
「タマとミミちゃんもよろしくね」
「うん!」ミミちゃんが、強くうなづいた。
ブラツキー/福井県敦賀市/近海上空
「それから、ブラッキーは、福井県敦賀市の近海上空にいます。ここには、つい先月
(2003年3月)に運転停止したばかりの、“ふげん発電所”があります。それから、
2010年に運転停止が決まっている、“敦賀発電所1号機”もあります...
ブラッキー!そちらの様子はどうでしょうか?」
「おう!こっちは雨だぜ!」ブラッキーの声が、ヘリの爆音とともに答えた。「海も、海
岸線も、雨に霞んでるぜ!」
「あら、そう...」
夏美は、壁面の大型スクリーンの画像を切り替えた。すると、全面が灰色になっ
た。空は白く明るかったが、サーサーと激しく雨が降っていた。海岸線は、はるか遠
く、かすかに黒っぽく見えるだけだった。
「ええ、ブラッキー...気をつけて操縦してください!」
「おう!心配はいらねえぜ!」
「はい!よろしくお願いします!」
ヘリコ君/茨城県東海村/近海上空
「ええ、ヘリコ君の方は、太平洋側です...」夏美は、画像をヘリコ君のカメラに切り
替えた。「ヘリコ君は、茨城県の東海村...“東海発電所”の近海上空にいます。こ
ちらの方は、カラリと晴れ上がっていますね...
ヘリコ君!ヘリコ君!状況はどうでしょうか?」
「はい!万事順調です!
近くの日立港から出たコンテナー船が、那珂湊方面へ、南下しているのが見える
でしょうか?」
「はい、よく見えます!水平線は、ボンヤリとしているわね。解体中の“東海発電所”
は、見えるでしょうか?」
「ええ...許可がないので、これ以上は接近できませんね。望遠レンズでズームア
ップし、海岸線の映像を送ろうと思います」
「はい、おねがいします!」
タマは、夏美の横の椅子で、大きなあくびをした。それから、手首を曲げ、顔を撫で
まわした。
開け放った窓の外は、桜が深い緑色の葉を茂らせていた。その右手の方では、カ
ラリと晴れ上がった5月の空が広がり、鯉のぼりが大きく風を呑んでいる。その強い
風が、時折部屋の中にも吹き荒れ、カーテンをバタバタとあおった...
〔1〕
老朽原子炉の解体
/
日本の現状
...
「ええと、堀内さん...」夏美が言った。「今回のテーマとなる、老朽原子炉の解体と
は、どのようなことなのでしょうか?」
「そうですねえ...あ、マチコさん、今回は、よろしくお願いします」堀内は、目を細め
て笑い、マチコの方に体を折った。
「あ、こちらこそ!」マチコは、風で髪が乱れるのを押さえ、ペコリと頭を下げた。「よろ
しくお願いします、堀内さん!」
堀内は、笑ってうなづいた。
「ええ...そうですねえ...
これまで、日本国内で運転されてきた商業発電用原子炉は、54基あります。この
うち、2基がすでに運転を停止しています。そして、2010年に停止が決まっているも
のが、1基あります。
これらを、廃止措置の手続きを取り、解体していくわけですが、これが建設当初に
予想していたよりも、相当の難事業になりそうなのです...」
「うーん...放射能があるからかしら?」マチコが聞いた。
「そうです。時間がかかり、費用も莫大なものになります」
「現在、3基が決まっているわけですね」夏美が言った。
「そうです。現在まだ運転中のものもありますが、これらはいずれも初期に建設され
た、規模の小さなものです。100万kW級の大型原子炉の停止・解体は、2010年以
降になると思います」
「そんな話はさあ、ニュースで聞いたことがあるわよね、」マチコが、夏美に言った。
「うん!」
「そろそろ日本でも、そんなニュースが流れるようになったということですね...
それじゃ、まず、すでに停止している2基の原子炉と、2010年に停止予定の原
子炉について、簡単に説明しておきましょう」
「はい」夏美が、うなづいた。「それらは、もう、解体が進んでいるのでしょうか?」
「はい。原子炉本体はまだですが、予備的な付帯施設の解体工事は進んでいます。
しかし、こうした原子炉の解体工事というのは、20年〜30年という長い時間をかけ
て、慎重に進められます。費用も、数百億円という膨大なものになります。特に、初期
の解体では、技術開発ということもあり、費用が相当にかさみます」
「うーん、新技術が必要なのでしょうか?」マチコが聞いた。
「いや。特に、新技術でないと、超えられないという壁はないでしょう。本質的には、
解体工事ですから。ただ、全体的な、解体システムの構築が必要になります。
それから、もう1つ重要な問題は、放射能を帯びた膨大な廃棄物が発生するとい
うことです。高レベル放射性廃棄物、低レベル放射性廃棄物、そしてその廃棄物の
処分場も、決定しなければなりません。狭い日本では、その処分場が大問題です。
青森県の六ヶ所村に、全部を押し付けるわけには行かないでしょう。地元の反発も、
強くなってきていますからねえ、」
「はい、」夏美が、うなづいた。「日本は、そうした問題は、全て先送りにしてきたわけ
ですね、」
「あの、運搬手段も、問題じゃないかしら?」マチコが言った。「大変な量の、放射性
廃棄物が出るわけですよね。その運搬も、大変じゃないかしら?」
「まあ、日本の場合、原子力発電所は海に面しています。陸上輸送の面倒を考えれ
ば、海上輸送はコスト的にも安くあがります。それよりも、問題は処分場でしょ。1000
キロ南方の硫黄島あたりに施設が作れるなら、船はさらに有利ですね...
ただ、小笠原諸島というのは、火山活動がどうでしょうか...」
「うーん...火山活動があるわよね、」マチコが、首を傾げた。
「ま...ともかく、2基がすでに停止。2010年にもう1基が停止します。これら3基の
原子炉について、簡単に説明しておきましょう...夏美さん、スクリーンの方を、」
「はい、」
夏美が、ノートパソコンのキーボードを叩き、スクリーンにデータを呼び出した。
*************************************** *****
【1】日本原子力発電/東海発電所/ (茨城県東海村)
<1966年に運転開始。16.6万kW。ガス冷却炉>
日本初の商業用原子炉。この“ガス冷却炉”は“軽水炉”と比
べて発電効率が劣る。1998年3月に運転停止。2001年に廃
炉を決定。現在、付帯施設の撤去等、予備工事が進行中。
原子炉本体の解体は、2011年頃に開始し、2018年3月頃
に完了予定。
【2】核燃料サイクル開発機構/ふげん発電所/ (福井県敦賀市)
<初臨界は1978年。16.5万kW。重水炉>
“重水炉”は、減速材に重水(普通の水よりも比重の大きい水)を使う新
型転換炉。重水は普通の水よりも、中性子を吸収しにくいので、
燃料がよく燃える。ウランを濃縮しなくても、天然ウランのまま燃
料に使える。不純物の多いプルトニウム燃料も燃やせる。ただ
し、原子炉そのものが、大型になってしまう。
“重水炉”方式の実用化が見送られたために、2003年3月
に運転停止。今後10年間は準備期間とし、正式な廃止措置を
取り、約30年かけて解体する。
【3】日本原子力発電/敦賀発電所1号機/ (福井県敦賀市)
<1970年に運転開始。35.7万kW。沸騰水型/軽水炉>
“軽水炉”は、もとはアメリカで原子力潜水艦用に開発され
たもの。現在、世界の原子力発電所の大半は、この“軽水炉”。
“軽水炉”には、“沸騰水型”と“加圧水型”の2つがある。“軽
水”とは、普通の水のこと。つまり、普通の水を、冷却・減速材に
使う。“軽水炉”は“重水炉”に比べて小型だが、3〜4%の濃縮
ウランが必要になる。
この、敦賀発電所1号機は、日本初の商業用“軽水炉”。出
力が小さく、保守コストがかさむことから、運転開始40年目の
2010年に停止を決定。具体的な廃止措置は、その後になる。
【例外/商業炉以外】
日本原子力研究所/動力実験炉・JPDR
<1965年〜1976年まで運転。沸騰水型/軽水炉>
1986年に解体作業を開始、1996年に完了。
********************************************************
「...日本における、具体的な原子炉の解体は、このような風景ですね、」堀内は、
画像を眺めながら言った。「まあ、日本原研が、1986年から1996年へかけて、動
力実験炉を廃炉していますが、これはあまり参考にならないかも知れません。
実際に、本格的にノウハウを積み上げていくのは、現在予備工事を進めている、
東海発電所でしょう。この解体工事が先行事例になって、全国の原子炉解体が進ん
でいくものと思います」
「うーん...大変よね」マチコが、膝の上のミミちゃんを撫でた。「長い時間がかかり
そうね」
「予算も、相当にかかるわね」夏美が言った。
「まあ、最初の東海発電所の場合、予想費用は930億円。それから、ふげん発電所
の場合は、700億円ですね。ただし、これは、あくまでも予想です。技術が定着すれ
ば、安くなって行くと思います。それから、放射性廃棄物の一時貯蔵施設や最終処
分場の問題、その貯蔵形態によっては、相当な変動があるかも知れません」
「最終処分は、どのような形が理想なのかしら?」夏美が聞いた。
「うーむ...この種の放射性廃棄物は、世界中で大量に発生します。ともかく、国際
機関が、こうしたものをしっかり監視していくことが、非常に重要になってきます」
「はい」夏美がうなづいた。
「まあ...たとえ、低レベル放射性物質であっても、故意に建築物やインテリアに組
み込まれれば、恐ろしい凶器にもなりうるのです。したがって、低レベル放射性物質
といえども、しっかりとした管理が必要です」
「怖いわねえ、」マチコが言った。「放射能カウンターを、持っていた方がいいかしら、」
「まあ、放射能だけが、危険なわけではないですがね。身の回りには、危険な薬物や
化学物質は、いくらでもあります。それに、銃やナイフのような凶器も。ただ、放射能
というのは、そうした危険とは別の種類の危険でしょう」
「普通は、政府がしっかりと管理するわけですよね」夏美が言った。
「もちろんです。しかし、それには、相当な管理費用がかかります。国家財政が破綻し
たような国では、当然その管理も甘くなりますね。
あの、ソ連が解体した後、ロシアがその時代の戦略核兵器を引き継いだわけです
が、原子力潜水艦などは、長い間放置されていたと聞きます。まあ、潜水艦搭載の
戦略核弾頭などは撤去したのでしょうが、“原子炉の解体”までは手が回らないよう
です...」
「あの、今も、でしょうか?」マチコが聞いた。
「“今も、”残っていると思います。日本も、資金を提供して解体を進めていますが、問
題もあるようです。それに、日本も現在、財政が大混乱ですからねえ、」
「もし、」と、夏美が言った。「大量の放射性廃棄物が、テロや戦争で使われたら、どう
なるかしら?」
「うーん...大変よね、」
「まあ、こういう厄介物は、ロケットで太陽へ打ち込んでしまえという話も、聞いたこと
があります。しかし、これは恐ろしく費用がかかる。それなら、むしろ、日本海溝あたり
から、プレートの沈み込み帯へいれ、マントルの底へ沈めてしまう方が現実的でしょ
う。しかし、そんな簡単な話かどうか...」
「技術や研究が進めば、可能なのでしょうか?」夏美が聞いた。
「うーむ...しっかりとカプセルに入れ、プレートの沈み込み帯に入れれば、噴き出
すことはないと思いますが...何かが狂って、海が汚染されても困ります。それに、
人の目が届かなくなるというのも不安ですね...
やはり、当面、一番いいのは、人の目でしっかりと見張っていることでしょう。経済
などに左右されないように、国際機関がそうしたものを集め、しっかりと管理するの
が一番いいでしょう。地震や火山のない、安定した地盤の地下深くに埋め、そのエリ
アをしっかりと管理するのがいいでしょう...」
「はい...国連には、そういう仕事も求められるわけですね」
「まあ、理想はそうですが、ともかく莫大な費用のかかる話です...」
「人類全体が、知恵を出し合う時代になったわけですね」夏美が言った。
「そういうことですね...
食糧問題、人口問題、環境問題...文明の衝突や、宗教の衝突...いずれも、
人類全体で、乗り切って行かなければならない時代になりました...」
「はい」夏美が、うなづいた。
「それが、21世紀なのですね」マチコが言った。
「まさに、そういうことです...」
〔2〕 原子力発電所...
原子炉燃料と、2種類の放射性生成物 (2003.05.11)
《
ミミちゃんガイド...No.1 》
≪
軽水炉/ “沸騰水型”と“加圧水型” ≫
「世界の原子力発電所の大半が、この“軽水炉”型なの...
アメリカで、潜水艦用の動力炉として開発されたんだけど、発電用にいい
というので、世界中に広がりました。“軽水炉”には、“沸騰水型”と“加圧水
型”の、2つのタイプがあります。
“沸騰水型”は、原子炉内で水を沸騰させ、その蒸気で発電機のタービン
を回します。ただし、この原子炉で作られた蒸気は、わずかに放射能を帯び
ています。
“加圧水型”は、原子炉内で水を加熱し、これを“蒸気発生器”と呼ぶ熱交
換器に送ります。“沸騰水型”との違いは、この“蒸気発生器”が付加された
点にあります。
原子炉から、この“蒸気発生器”へ行く水を、“1次冷却水”といいます。こ
れは完全に密封されていて、放射能を帯びた水は、原子炉建屋から外部へ
出ることはありません。この閉鎖系回路を、“1次冷却系”といいます。
一方、この“蒸気発生器”から2次的に取ったきれいな蒸気が、原子炉建
屋からタービン建屋に送り出され、発電機のタービンを回します。タービンを
回した蒸気は、冷やされて、再び原子炉建屋の“蒸気発生器”へ還流してい
きます。これを“2次冷却水”といい、このシステムを“2次冷却系”といいま
す。
つまり、この“加圧水型”は、放射能を帯びた“1次冷却水”は原子炉建屋
(たてや)内に留まり、タービン建屋に入るのは、きれいな“2次冷却水”だけで
す...
それから、原子力発電所を理解するために、一言つけ加えておきます。
タービン建屋の発電システムは、原子炉が停止しても、化石燃料等で蒸気
を発生させれば、タービンを回して発電できます。つまり、蒸気でタービンを
回し、発電する仕組みは、火力発電と同じなのです。
実際、アメリカでは、原子炉の運転を停止し、天然ガス・ボイラーに切り替
えて発電している所が、2ヶ所ほどあります。こうしたケースでは、運転を停
止した原子炉関連の構造物だけが、撤去されています...
「はい、ミミちゃん!どうもありがとうございました!」マチコが言って、ミミちゃんを手
招きした。
「うん!」ミミちゃんは、マチコの横の椅子に、ピョン、と飛び乗った。
「ええ、それでは...」夏美が言った。「アメリカの北東部...ニューヨーク州の北の
方に、メーン州があります...そのメーン州のポートランド北東約60kmの海岸に、
“メーンヤンキー原子力発電所”がありました。ここでは、参考文献によって、この“メ
ーンヤンキー原子力発電所”の解体風景について、考察します...
しかし、その前に、原子力発電所の解体は、何故危険で難しいのかを検討してみ
ます。また、解体によって出る放射性廃棄物とは、どのようなものであり、放射能はど
れくらいの時間で半減していくのかなど、簡単な基礎知識についても、堀内さんに解
説していただきます」
「そうですね、」堀内が言った。「原発の解体よりも、まず原子力関係の基礎的なこと
を説明しておきますか、」
「うーん...」マチコが、ミミちゃんの頭を撫でながら言った。「放射能といってもさあ、
色々あるわよね、」
「うーん、そうなのよね、」夏美が言った。
「まあ...」堀内は、窓から入ってくる風に目を細めた。「そうですねえ...医療用の
X線や放射線...宇宙から降り注いでくる宇宙線もあります...そして、ラドンガス
などもありますねえ...」
「はい、」夏美が言った。
「まあ、しかし、ここでは原発の話に絞りましょう」
「はい」
【
原子力発電所の燃料 】
「ええ、堀内さん...」夏美が、そっとコーヒーを横へやつた。そして、ノートパソコン
を見ながら言った。「原子力発電所では、“燃料の濃縮ウラン”の他に、原発を運転す
ることによってできる、放射性の生成物が、2種類あるということですね?」
「そうです...」堀内は、湯飲み茶碗を、ゆっくりと口へ運んだ。「1つは、もちろん燃
料の核分裂に伴って生じる、“使用済み核燃料”です。そして、もう1つは、近くの通
常の物質が、放射線を受けて、“放射化”してしまったものです」
「うーん...周囲の、放射化してしまった物質ですか、」
「そうです。まず、“使用済み核燃料”から説明しましょう」
「はい」
「まず、“燃料の濃縮ウラン”は、原子炉の中で、3年〜4年燃やされます。そして、
その後、取り出されるわけですね。まあ、使用前の核燃料というのは、“ウラン235”
が3〜4%にまで濃縮されたものです。しかし、燃えカスでも、これが1%程度は残っ
ていると言われます。さらに、燃えカスには、1トンあたりにして、6〜7kgの“プルトニ
ウム239”も含まれています」
「燃えカスに、あの有名なプルトニウムができるわけね」マチコが言った。
「そうです...いわゆる、“使用済み核燃料”の“再処理”というのは、この燃え残り
の“ウラン235”と、副生した“プルトニウム239”を抽出することです。ちなみに、戦
車砲弾や機関砲弾に使われて問題となった“劣化ウラン”というのは、こうした燃え
カスなのです。それと、天然ウランから濃縮ウランを作る時にも、副生します」
「うーん...」マチコが、コーヒーカップを置いて、首を傾げた。「どうして、砲弾に“劣
化ウラン”を使うのでしょうか?」
「それは、“比重が19”と重いからです。したがって、弾丸としての弾道安定性や、
貫通力が増すということです」
「ふーん、」マチコが、うなづいた。「あの、堀内さん...どうして“ウラン235”なのか
しら?“ウラン238”というのも、聞いたことがあるけど、」
「うむ、」堀内は、顎に手を当てた。「それも、話しておこうかね、」
「お願いします」夏美が言った。
「うーむ...
そもそも、“ウラン”というのは、天王星/Uranus/ウラヌス/から命名されたと
いわれます。もちろん、放射性元素の1つです。“原子番号92”、“原子量238.0”
です。
天然ウランは、“質量数238”の同位体を99.3%...“質量数235”の同位体を
0.7%...“質量数234”の同位体を極少量...含んでいます。
このうち、質量数235の“ウラン235”は、“中性子”を衝突させると“核分裂”を引
き起こします。そして、莫大な核エネルギーを放出します。また、同時に、平均2.5
個の中性子を出すので、“ウラン235”を“臨界量”以上集めれば、連鎖反応を可能
とします。つまり、“臨界量”の“ウラン235”があれば、“核爆発”を引き起こせるとい
うわけです。
まあ、そういうわけで、“ウラン235”が、非常に重要な役割をしているわけです」
「うーん...はい、」マチコは、首をやや横にした。「そうかあ...」
「“ウラン235”は、」と、夏美が言った。「天然ウランの中に、0.7%あるわけですね。
それを、3%〜4%に濃縮して、軽水炉で使う“核燃料”にするわけですね?」
「そういうことです。そして、濃縮する過程で、“劣化ウラン”が副生されます」
「はい」夏美が、うなづいた。「あの、堀内さん、天然ウランというのは、危険ではない
のでしょうか?」
「ああ、天然ウランは、心配する必要はありません。それから、燃料ウランそのもの
も、放射性が低く、作業員は木綿の手袋だけで扱っています。しかし、原子炉の中で
核分裂が進んでいくと、10数種類もの物質ができ、これがさらに崩壊していくわけで
す。
危険なのは、この時に出る放射線なのです。もちろん、高速で飛ぶ中性子も、生物
体には非常に危険です。原子爆弾の一種に“中性子爆弾”というのがありますが、こ
れは核爆発の際に中性子の割合を多くし、対人殺傷用に開発したものです」
「怖いわねえ、」夏美が言った。
「まあ、すでに、そうした核戦略の時代は終ったわけですが、これからは核爆弾が
“テロ”に使われる可能性が高くなってきました」
「どうしたら、防げるのかしら?」マチコが聞いた。
「おとなしい、平和な人類文明を築き上げることだろうね。これは、グローバル化と
は、逆の方向になると思います...」
「ふーん...」マチコが言った。
「さて、話を戻しましょう」
「あ、はい」夏美が言った。
「原子炉の中で核分裂が進んでいくと、10数種類もの物質ができ、これがさらに崩
壊していくということですね...
こうした核分裂や、その後の崩壊でできた生成物の多くは、非常に不安定です。そ
して、ガンマ線やアルファ粒子、ベータ粒子などの形でエネルギーを放出し、“安定
状態へ遷移(せんい)”していくわけです。中には、ガンマ線と粒子の両方を放出するも
のもあります。このガンマ線や粒子が、生物体には非常に危険なわけです」
「ガンマ線やアルファ粒子、ベータ粒子が、要するに放射能なわけよね、」マチコが言
った。「アルファ粒子というのは、アルファ線のことでいいのかしら?」
「そうです。アルファ線というのは、“アルファ粒子の流れ”ということです。ラジウムな
どの放射性物質から出る放射線は、ガンマ線とベータ線とアルファ線があります。
一番“透過力”が大きいのが、ガンマ線...透過力は小さいが、“電離作用”の強
いのが、アルファ線...ベータ線はその中間です...
それから、電磁波には、“波”の性質と“粒子”の性質の二重性があるのは、知っ
ているでしょう。色々な使い分けがあるのでしょうが、基本的には同じものです。原子
力関係の文献では、“ガンマ線”、“アルファ粒子”、“ベータ粒子”というような使い方
をしています。まあ、私はその分野の専門家ではありませんが...こうした使い方
が、分りやすいという事なのでしょうか...」
「うーん...はい、」マチコがうなづいた。
「あの、堀内さん、」夏美が、ノートパソコンに目を落しながら言った。「他にも、幾つ
か、基本的なことを聞いていいでしょうか?」
「はい、何でも、」
「...何故、原発というのは、危険だと言われているのでしょうか?それから、先ほ
どのミミちゃんの説明でも、“沸騰水型”の方が構造が簡単なのに、何故、1次冷却
水と2次冷却水を使う、より複雑な“加圧水型”が開発されたのでしょうか?そのあた
りが、分らないのですが、」
「うーむ...いい質問です。確かにその通りです...」
夏美は、小さくうなづいた。
「ええ...いいですか...
私たちの見る原発の概念図や簡単な図面は、本物の原子力発電所とは、同じも
のではないのです。こうした本物の巨大システムでは、種々様々な“不具合”が生じ
るのです。また、その複雑さゆえ、アクシデントも多発します。そういう意味では、いま
夏美さんが言ったように、“構造は単純な方がいい”のです。また、原発のような、高
度な危機管理を伴う巨大システムでは、“監視も単純な方がいい”のです。
しかし、いずれにしても、事故は必ず起こるものです。したがって、そうした“リスク
を如何にコントロールしていくか”が、こうした巨大システムを運用していく重要なテー
マになるわけです...つまり、“危機の管理”ということですね。それも、“巨大な核爆
弾”を、非常にゆっくりと、安全に燃やすということですから...まあ、自衛隊のデフ
コンで言えば、さしあたり、出動待機態勢といったレベルでしょうか...
場合によっては、あのアメリカの“スリーマイル島(ペンシルベニア州ハリスバーグの近く。ここの原
発2号機が、1979年3月に、炉心溶融事故を起こした)の事故”のように、“メルトダウン/炉心溶融”
のような危機も有り得るわけです...」
「うーん、大変よね、」マチコが言った。
「あの、具体的には、どういうことが起こるのでしょうか?」夏美が聞いた。「その、“炉
心溶融”のような大事故でなくても、」
「ま、その前に、もう1つ、“チェルノブイリ事故”についても触れておきましょう。旧ソ連
に属していたウクライナ共和国の首都、キエフの北方にあった原発です。これは、
1986年4月、4号炉で、“炉心の爆発”、“溶融破壊”、“建屋破壊”の大事故がおき
ています。
この事故では、“推定/数億キュリーの放射能”が放出されたと言われます。ま
た、多数の死傷者が出、欧州などかなり広い範囲に、放射能汚染をもたらしたとも
言われます...」
「それは、学生の頃、よくニュースで聞いたわよね、」マチコが、夏美に言った。
「うん、」夏美が二度うなづいた。
「さて、夏美さんの言う、具体的な事故ですか...そうですねえ...
例えば...“軽水炉”の核燃料というのは、“セラミックペレット”の形で、金属製被
覆管に封入され、軽水(普通の水)の中に置かれています。しかし、運転につれて、この
“セラミック”は割れて行きます。しかも、これまでに、幾つかの原発(参考文献の、メーンヤン
キー原発も含む)では、金属製被覆管が破損し、核分裂生成物が冷却水に漏れ出してい
ます。そして、これらの放射性粒子は、原子炉容器や配管に付着しました...つま
り、こうした事故が、たまに起こるわけです。如何に、気をつけていても、です...」
夏美が、黙ってうなづいた。
「それから、軽水炉は、単純な構造の“沸騰水型”でいいではないかということです
が、これはもっともな話です。しかし、実際には、汚染された蒸気でタービンを回すと
いうことは、やはりそこから、汚染物質の“漏れ”が生じてしまうのです。
これは、機械構造的な問題なのですが、ここでの“放射能漏れ”の克服は、容易
ではないようです。そこで、それを技術的に完璧に克服するために、熱交換器/蒸
気発生器というものを、原子炉に付加したわけです。これがいわゆる、“加圧水型”
と呼ばれる、1次冷却系と2次冷却系をもつ、“より複雑になったシステム”です。
したがって、今度は、余分な“蒸気発生器”の管理もしなければならないという、複
雑さも付加されたわけです。まあ、痛(いた)し痒(かゆ)しの所もあるわけです。しかも、
参考文献のメーンヤンキー原発でも、実際に、この蒸気発生器からの“漏洩事故”も
起こっているのです...」
「ふーん...」マチコが言った。「まさに危機管理の問題よね。何でも起こっているわ
けよね、」
「そう...」堀内は、思慮深い顔でうなづいた。「新たに付加した“蒸気発生器”もま
た、新たなトラブルを呼び込んでいるということです...」
「うーん、大変よね」マチコが言った。
【
放射化による汚染物質の生成 】
「あの、堀内さん、」マチコが言った。「“使用済み核燃料”の他に、“放射化” による、
汚染物質の生成があるわけですよね。これは、どういう物質なのでしょうか?」
「はい。では、そっちの方の話に移りましょう...これはですね...
核分裂で生じた中性子を、周囲の原子が吸収すると、“核種”が不安定なものに
なって、“放射性”を持つ物質になる...
ということです。まあ、“原子核”の中性子の量が増えて、放射性の物質に変るわ
けです...」
「...あの、もう少し、詳しく説明していただけるでしょうか、」夏美が言った。
「そうですねえ...
そもそも、人類がエネルギーとして扱える原子核反応には、2種類あります...
軽い核子同士がくっつく“核融合”と、逆に重い核子が分裂する“核分裂”です。これ
は、いいですね?」
「はい」マチコがうなづいた。
「“核融合”というのは...水爆(水素爆弾)がそうです。また、太陽が燃えているのも、
核融合なのです。したがって、私たちは、日々、核融合を見ながら暮らしているわけ
です。そして、その核融合から来る放射熱を、“太陽からの恵み”としているわけで
す。
したがって、地球生命圏の“主要な熱源”は、36億年前のシアノバクテリアの時
代から、まさに太陽の核融合の放射熱なのです。つまり、核融合は、私たちにとって
は“核分裂”よりもはるかに馴染みの深い、命と不可分のエネルギー源なのです」
「あの...地球にはもう1つ、地球内部から来る、“地熱”があるわけですよね、」夏
美が言った。「これは、この間、生態系監視衛星“ガイア・21”で話しました」
「そうですね...
さて、もう1つの“核分裂”の方ですが、これはウランやプルトニウムなどの、重い
核子が分裂する時の、核エネルギーの放出です。これを“臨界量”まで集め、連鎖反
応させているのが、原子爆弾や、原子力発電所です」
「そうかあ、」マチコが言った。「原子力発電所は、原子爆弾を、ゆっくりと爆発させて
いるわけよね」
「そうです...
原子力発電所というのは、巨大な原子爆弾を、非常にゆっくりと、かつ非常に安全
に爆発させている状態です。
その核爆発の熱で、蒸気を発生させ、発電機のタービンを回しているわけです」
「原理としては、そういうことですね、」夏美が言った。
「そう...原子爆弾には、広島に落されたウラン型(/リトルボーイ)と、長崎に落された
プルトニウム型(/ファットマン)の二種類があります。したがって、原子炉にも、プルトニウ
ムを燃やす型があるわけです」
「あの、堀内さん...」マチコが、ミミちゃんを膝の上に抱き上げながら言った。「どうし
てさあ...核分裂が起こると、原子爆弾になるのかしら?昔から、そのあたりが分
らないのよね、」
「うーん、」夏美もうなづいた。
「うーむ...その基本を理解するには、少々“原子核”についての知識が必要です
ねえ...まあ、それも、この機会に、簡単に説明しておきますか、」
「あ、お願いします」夏美が言った。
「ひとに聞けないのよね、」
「うん、」
「...中性子(ニュートロン)というのは、これまで何度も話しにのぼっているので、分ると
思いますます。まあ、もう少し詳しく言うと、陽子よりもわずかに大きい質量をもって
いますね。そして、電荷をもたず、物質の透過性の強い粒子です。
まあ、中性子も陽子も、実は“クォーク(6種類が知られている。スピン2分の1、電荷は3分の1の整数
倍)”が3個で構成される複合粒子です。しかし、ここは、“量子色力学”なしで説明で
きるので、“クォーク”については省きます」
「はい、」夏美がうなづいた。
「さて...“原子核”というのは、この中性子と、陽子で構成されています。また、原
子の質量のほとんどは、この“原子核”に集中しています。
ちなみに、この“原子核”の陽子の数が“原子番号”で、中性子と陽子の和が“質
量数”になります。覚えて置いてください」
「はい」 マチコが、うなづいた。「陽子の数が、“原子番号”。中性子と陽子の合計が、
“質量数”ね。OKです!」
「さて...それじゃ、いいですか...
陽子の方は、プラスの電気を持っているのに対し、中性子は電気的には中性で
す。それから、マイナスの電気は、原子核のはるか外側を回っている、電子が持って
るわけですね...
さて、ここで重要なのは、中性子は電気的に中性なので、小さなエネルギーで、
“原子核”に近づけるということです。つまり、核反応を起こしやすく、特に核分裂は、
中性子によって起こるということです...
したがって、中性子は原子炉内で、“核反応を起こす主役”なのです...」
「ふーん、中性子かあ...」マチコが、ミミちゃんを抱いたまま、椅子の背の方に体を
引いた。「中性子が、核分裂の主役なんだ...」
夏美が、マチコの方を見て、コクリとうなづいた。
「さて...次は、なんと説明したらいいか...」堀内は、大きくバタバタと揺れるカー
テンを眺めた。
マチコは、ミミちゃんを抱きながら、冷めたコーヒーを口に運んだ。
「...まあ、中性子には...“高速中性子”と“熱中性子”という言葉があります。こ
こから説明しましょう...」
「はい、」夏美がうなづいた。「お願いします」
「うむ...
“高速中性子”というのは、エネルギーの大きな中性子です。核分裂で生まれたば
かりの中性子で、数百万電子ボルトのエネルギーをもち、透過力が強いですね。ま
た、エネルギーが大きいので、速度も秒速300kmに達します。
この、“高速中性子”を利用するのが、“高速増殖炉”です...この“高速中性子”
を使って、燃やした以上のプルトニウムを生産することのできる、新型原子炉ですね。
日本では、実験炉として“常陽”、原型炉として“もんじゅ”を建設しました。しかし、事
故によって、開発が中断しました。その後、開発自体が、中止になっているようです」
「うーん、“もんじゅ”というのは、聞いたことがあるわよね、」マチコが夏美に言った。
夏美が、うなづいた。
「さて、この“高速中性子”に対し、“熱中性子”というのは、遅い中性子です。速度は
秒速2.2km...この遅い中性子は、核につかまりやすいので、核分裂や核反応を
起こす確率が非常に大きいのです。
まあ、“高速中性子”が、“減速材”の中で衝突を繰り返し、しだいに速度を減じた
のが、この“熱中性子”なのです。“減速材”というのは、中性子を吸収しないもの
で、重水、黒鉛、軽水などが使われます...
“軽水炉”では、この“熱中性子”が、まさに主役になります...」
「うーん、」夏美が言った。
「それから、現在、“核融合炉”の研究も、相当に進んでいます。これは、水素の核
融合ですから、“放射性物質とは無縁のクリーンなエネルギー”です。まあ、これは、
次世代のエネルギーとして、研究開発しているものです。エネルギーとしては、理想
的なものですね」
「次は、“核融合炉”の時代になるわけね」マチコが言った。
「まず、そういうことになるでしょう...
“核融合”の定義は、水素、ヘリウム、リチウムなどの軽い原子核が融合し、重い
原子核になる原子核反応です。その際、“中性子”などと共に、大量のエネルギーを
放出します。
くり返しますが...太陽のような恒星は、自らの質量で重力収縮し、その中心部
は膨大な圧力になっています。その超高圧・超高温が、水素の核融合反応に火を付
けているわけです。これは、言ってみれば、恒星の構造そのものが、無重力の宇宙
空間に浮かぶ、巨大な“核融合炉”になっているわけです。
人類はまだ、発電用の“核融合炉”の建設には成功していません。しかし、水素
爆弾で、人工的に“核融合”を作り出すことには成功しています。つまり、太陽中心部
の超高圧・超高温を人工的に作り出し、水素の核融合エネルギーを引き出すことに
は成功しているのです。今度は、それを原子炉のように、ゆっくりと燃やすことが求
められているわけです。それが、“核融合炉”による発電になるわけです...」
「ふーん、」マチコがつぶやいた。「微妙な所よね、」
「でも、難しそうね」夏美が言った。「太陽を作るなんて、」
「そうですねえ...
人類は、太陽中心部の超高圧・超高温の環境を、瞬間的に創出するために、原
子爆弾を利用したのです。まあ、“核分裂エネルギー”の原子爆弾以外のものでは、
とても核融合を起こせるような超高圧・超高温は、実現できなかったと思います。した
がって、“水素爆弾の引き金”に、その“核融合炉”を作るために、原子爆弾を利用し
たのです...」
「はい!」夏美が、強くうなづいた。
「私たちが、原子爆弾も水素爆弾も同じようなものだと思っているのは、水素爆弾
の“引き金”として、原子爆弾が組み込まれているからです」
「はい」夏美が言った。「本来、水爆は、全く違うものなんですね」
「原理的に、“核融合”と“核分裂”は、全く違うものだということです...
したがって、現在開発中の“核融合炉”になると、それが明確になります。原子炉
と違って、核融合炉の建設は、非常に難しくなります。原子爆弾を使わずに、太陽中
心部を再現する核融合炉を、どう組み立てるかということです。
まあ、様々なタイプが考えられているようです。しかし、この話は、別の機会にゆず
りましょう。非常に大きなテーマですから、」
「はい、」夏美がうなづいた。
「さて、夏美さん、話を戻しましょうか」堀内が言った。
「はい、」夏美が言った。「ええと...原子炉の運転によって生成されるのは、“使用
済み核燃料”と“放射化” による汚染物質の生成ということでした...
この、“放射化”による“汚染物質”とは、どのようなものなのでしょうか?」
「そうそう、そのあたりから、話が脱線しました...
つまり、中性子の話です。くり返しますが、原子炉の主役は、中性子だということ
ですね、」
「それで、“放射化”による“汚染物質”とは?」
「そう...
核分裂によって生じた中性子を、原子炉やその周辺の原子が吸収することによっ
て、その原子核が不安定になり、“放射性”を持つようになるということです。これが、
“放射化”による“汚染物質”です...
コンクリートの場合、表面から約60cmの深さまで、放射化されるといいます。ま
た、原子炉内構造物は、長年中性子の照射を受けて核種(核の種類)が変り、“高レベ
ル放射性廃棄物”として、処理しなければならなくなるというわけです...」
「うーん、それが、処理に困る、“高レベル放射性廃棄物”ね」マチコが言った。
「そういうことです...
この放射化によってできるのは、主に“コバルト60”です。これは、核燃料本体に
次ぐ、強い放射線源です。まあ、原子炉内で使われている多くの合金には、“コバル
ト59”や“ニッケル59”が含まれているわけです。これらが、核分裂で生じた中性子
と反応して、“コバルト60”に変り、放射性を持つようになってしまうわけです」
「あ、59が、60になるわけね」マチコが言った。
「簡単に言えば、そうです」堀内は、苦笑してうなづいた。
「でも、“ニッケル59”というのは、名前が違うわねえ、」夏美が言った。
「まあ、とりあえず、そういうことです...“コバルト59”も“ニッケル59”も放射性物
質ではないので、放射化して、“コバルト60”になったと考えて下さい。私たちとして
は、それ以上深く考えなくてもいいと思いますがね、」
「はい」マチコが言った。
「ただ、この厄介物の“コバルト60”にも、1つだけ、いい所があります。それは、放射
性が強い反面、“半減期”が比較的短いということです。“半減期”というのは、放射
性元素の原子数が、崩壊により半分に減るまでの時間をいいます。
ちなみに、“ウラン238”の半減期は45億年。“プルトニウム239”は、2万4000
年です。
それに比べ、“コバルト60”は、わずか5.27年です。これが、比較的短い
と言ったのは、恐ろしく寿命の短い元素もあるからです...」
「うーん、5.27年か...」マチコが言った。「これなら、私たちの感覚の時間よね、」
「うん、」夏美が、コクリとうなづいた。「それで、放射線が半分になるわけね。あの、こ
のあたりのことを、もう少し詳しく説明してもらえるかしら、」
「そうですね...原子力発電所の解体では、このあたりが重要ですね...」
「はい、」
「...いま言った、放射性を持つ“コバルト60”は、ガンマ線や粒子を放出して行き、
それは非放射性の“ニッケル60”に変ります。つまり、5.27年たてば、全体の半分
が“ニッケル60”に変わってしまうということです」
「ふーん...“ニッケル60”というのがあるわけね、」マチコが言った。
「そうです。そして、さらに5.27年たてば、残った“コバルト60”が、さらに半分にな
っているわけです。したがって、21年間も放置しておけば、“コバルト60”は16分の
15が、“ニッケル60”に変わっていることになります」
「うーん...」マチコが、腕を組んだ。「だから、東海村の原子炉も、運転を停止して
から、10年以上も放置しておくわけね...本格的な解体まで、」
「そういうことです...まあ、私は現場の人間ではないので、そうした詳細は分りま
せんが、おそらくそういうことだと思います...
ちなみに、原子炉を閉鎖した時点では、“コバルト60”が最も多いわけです。それ
から、次に問題になるのが、“セシウム137”です。この半減期は30.2年です。そし
て最終的には、数千年単位の半減期をもつ同位体が、ごくわずかに残るといいます
ね...」
「“コバルト60”というのは、聞いたことがあるけど、」マチコが言った。「“セシウム
137”というのは、どんな元素かしら?」
「はい。“コバルト60”というのは、“ガンマ線源”として医療などに使われているの
で、よく知られています。ちなみに、普通の“コバルト”は、“コバルト59”のことで、射
性物質ではありません。これは、“原子番号27”、“原子量58.93”、鉄に似た灰白
色の金属です。この酸化物は、ガラスや陶磁器の青色着色顔料として使います」
「“原子量58.93”というと、59ではないわけでしょうか?」夏美が聞いた。
「はい。原子量は、58.93と細かな数字になっていますが、実際には大雑把に“コ
バルト59”というわけです。他の元素でもそうです」
「あ、はい」夏美が言った。
「ええと、どこまで話したかな...
ともかく...“コバルト60”は、この“コバルト59”の放射性同位体です。“同位体”
というのは、原子番号が同じで、質量数が異なる元素です。原子番号というのは、何
度も言うように、原子核の“陽子の数”です。したがって、同位体というのは、“中性
子の数が異なる”ということです。また、“放射化”は、別の言い方をすれば、原子炉
の中性子を浴びて、中性子の数が多くなっているというわけです...」
「はい、」夏美が言った。「それで、“セシウム137”というのは?」
「はい。“セシウム137”は、“セシウム133”の放射性同位体です。
この、いわゆる天然の“セシウム133”は“原子番号55”、“原子量132.9”の、
銀白色の金属元素です。融点が28.5℃なので、夏になると溶けて、水銀のような
外観になります。もちろん、放射性はありません。
ちなみに、放射性の“セシウム137”は、“ヨウ素131”と共に、原発事故の際に、
飛散しやすいと言われています...」
「うーん...」夏美が、静かにうなづいた。
「あの、堀内さん、」マチコが言った。「それなら、原子炉は、そのまま放置しておけ
ば、数十年もたてば、それ相応に、無害になるのでしょうか?」
「まあ、そうも言えます。放射性物質というのは、放射線を出しながら、自然に崩壊し
ていきますからね...
しかし、原子炉の解体では、それほど単純でもないようです。日本でも、一基数百
億円という莫大な費用をかけて、解体を進めていくわけですから...」
「うーん...」
「アメリカでは、時間がたてはたつほど、解体費用が膨らんでいくというような試算も
あるようです。まあ、これには、経済問題や、環境問題という要素が入ってくるからで
しょう」
「はい、」
「いずれにしても、世界中に相当数の原発が、現実に存在しています。全体で、どの
ような処理がいいかということも含めて、今後様々な試行錯誤が進められて行くこと
になるでしょう。
そして、その一方で、“脱・化石燃料”の時代から、“脱・原発”の時代へ移行して
いくものと思います。まあ、その時には、“自然エネルギー”と、“核融合”の時代にな
っていることになるのでしょう...」
「うーん...はい!」夏美が、首を振った。「私たちも、今後の推移を、しっかりと見
守って行くということですね!」
「そういうことです!」
【
SLOW(スロー)
時代】
“航空機”から、“原子力船”の時代へ
「さて、何度も言うことですが、」堀内が言った。「この地球は、人類だけのものではあ
りません。人類も、文明全体を“巨大地下都市”にシフトするなりして、余分なエネル
ギーは、極力セーブしなければなりません」
「はい!」マチコがうなづいた。
「ともかく、グローバル化ということで、やたらに車や飛行機を乗り回すのは、止める
べきです。人間が、あまり意味もなく、世界中を移動をする事自体、地球生態系に計
り知れない負担をかけています。このことを、もっと深く認識すべきですね」
「でも、さあ、」マチコが言った。「個人では、どうしようもないのじゃないかしら、」
「個人でも、セーブできます。基本は、個人なのです。しかし、マチコさんの言うよう
に、システムとしてセーブしていくことが、まず第一でしょうね...
例えば、“飛行機”の輸送を極力減らし、新型の“小型・原子炉”を搭載した“原子
力船”に切り替えていくことも、人類文明の戦略として、改めて検討してみるべき課
題ではないでしょうか。新型の小型原子炉は、非常に安全になっていますから...
それから、船は飛行機よりも速度が遅く、それだけ世界も広くなります。また、船
は大量の物資を輸送でき、“SLOW(スロー)”が叫ばれている21世紀には、まさに
ぴったりな輸送手段だと思います。しかも、“原子力船”による物資の移動や旅行な
ら、地球生態系にかける負荷も、非常に小さくなると思います...
人類文明の“巨大地下都市”へのシフト
世界輸送網の、飛行機から“原子力船”へのシフト
<これらは、人類文明の、“ターニングポイント”の1つです>
...ともかく、21世紀の人類文明は、大自然と対立するのではなく、大自然と協
調・共存して行く方向へ舵を切ることが、強く求められているわけです...」
「はい!」夏美がうなづいた。「飛行機が世界を結ぶのではなく、“原子力船”の定期
航路が世界の海を結ぶわけですね。スローで、楽しそうだと思います。旅が、もっと、
もっと、楽しくなるのじゃないかしら、」
「そうよね。大型船なら、船酔いも無いわよね。また、“のんびりの時代”へ戻れるかも
知れないわね、」
「うん!」
〔3〕
一足先に進む
アメリカの解体風景
「夏美です...
ええ...アメリカの北東部、ニューヨーク州の北に、メーン州があります...その
メーン 州のポートラン ド北東約60kmの海岸に、“メーンヤンキー原子力発電所”
がありま した。
ここでは、参考文献により、この“メーンヤンキー原子力発電所”の解体風景を 中
心に、堀内さんと、マチコ、そして私、の3人で考察して行きます。どうぞ、よろしく!」
「ええ...堀内さん、」夏美が言った。「原子力発電所の“廃止措置”というのは、アメ
リカが最も先行しているわけでしょうか?」
「はい。そうですね。原子力発電に対する依存度は、フランスなどがはるかに高いの
です。しかし、アメリカは、原子力発電の歴史そのものが古いのです。それで、“廃止
措置”においても、先行しているというわけです。
また、このメーンヤンキー原発は、そのアメリカにおいても、“先行事例”となるも
のです...」
「すると、メーンヤンキー原発の解体は、きわめて重要な意味を持つわけですね」
「そういうことになります。特にアメリカの場合は、原子力産業が再生できるかどうか
が、廃炉の行方にかかっている部分が大きいと言われます。
どのぐらいの“作業量”か、どこまで放射能を取り除けば“クリーン”といえるのか、
科学的合理性に対し、行政や市民は、どのあたりにその“クリーン”の“落し所”を求
めるのか、などです...」
「うーん...」夏美が、首を傾げた。「感情的なものがあるでしょうから...難しい判
断になりそうですね、」
「はい。それに、日本としても、先行事例として、注目すべきものがあります...」
「うーん...」マチコも、首を傾げた。「アメリカでは、放射能を、どこまで取り除くので
しょうか?」
「まさに、そこが問題なわけです...
ともかく、非常に厳しい基準を設定しているようです。それも、連邦政府の基準や、
メーン州議会の設定した基準、それから、環境保護団体等の厳しい要望もあるよう
です。かなり、ゴチャゴチャしているようですね」
「うーん...分るわよね...」マチコが言った。「日本でも、最近は、感情的な対立に
なってきたし、信頼関係を築き上げることが大事よね」
「まさに、マチコさんの言う通りです。
ちなみに、アメリカ国内で運用されてきた“商用大型原子炉”は、123基ありまし
た。そのうち、現在稼動しているのは、103基です...こうした企業の中には、最近
注目の、“新型原子炉”の建設を計画している所もあるわけです。
しかし、ともかく、アメリカでは、老朽原子炉の廃炉を成功させることが、業界の大
きなハードルになっているようです。アメリカでは、原発の“新規発注”は、事実上スト
ップしたままなのです(1973年以降の発注分は、後に解約されいいます)。」
「あの、何故でしょうか?」夏美が聞いた。
「私も、正直な所、詳しい事情は分りません...
しかし、あの、スリーマイル島の大事故(1979年3月に起こした、炉心溶融事故)が、アメリカ
ではいまだに尾を引いているのでしょうか...
ともかく、参考文献では、このことについては、こう言っているのみです...原発
建設地が、電力業界による“永遠の犠牲者”ではなく、汚染とは無縁の“緑野”に戻
し、“再開発が可能”であることを示す必要がある...ということです」
「うーん...」夏美がうなった。「つまり、メーンヤンキー原発で、それを示せということ
でしょうか?」
「まあ、そういうことになりますね...」
「じゃあ、さあ、」マチコが言った。「残留放射能は、完全にクリーンにするのかしら?」
「“合理的に、実施可能な限り低くする”...ということです。平均的な被曝量を、環
境放射線を差し引いた上で、年間0.25ミリシーベルトを超えないように求めている
ようです」
「年間0.25ミリシーベルトですか?」マチコが言った。「よく分らないわねえ、」
堀内は、黙って片手を上げた。
「こうした、放射線を計る数値については、後で詳しく説明します。だいぶややこしい
ですから、」
「はい」夏美が、うなづいた。「それじゃ、次は、メーンヤンキー原発の解体の話です
ね、」
「はい。まず、解体から話しましょう。残留放射能については、その後で話します」
「はい!」マチコがうなづいた。
【
メーンヤンキー原発の解体 】
「この、メーンヤンキー原発では...」堀内は、壁面の大型スクリーンを眺めながら
言った。「総重量で、約10万6000トンの廃棄物が出ると言われます。このうち、半分
強の5万9000トンが放射性です。ちなみに、新型の原子炉だと、出力も1.5倍以
上になるので...ええ、放射性廃棄物の量も、多少多くなるようですね...
まあ、直感的には把握しにくい重量ですが...10万トンといえば、中型クラスの
タンカーなら、このぐらいの総トン数でしょうか...それから、アメリカの原子力空母
なども、満載時だと、これに近くなりますかね...それぐらいの廃棄物の量だという
ことです」
「うーん...はい、」マチコが言った。「こうした廃棄物は、コンクリートがほとんどなの
かしら?」
「いえ、そうでもありません...総量約10万6000トンのうち、コンクリートは...え
えと、約6万8000トンですね...まあ、コンクリートは、約60%といったところでしょ
うかね...金属も、相当量あるわけです...」
「はい...」
「さて...このメーンヤンキー原発では、当初の計画では、廃棄物はこれよりもずっ
と少ないはずだったと言われています。というのは、“タービン建屋/発電所建屋”に
使われていたコンクリートは、砕いて建屋の基礎部に埋め、その上に新たなコンクリ
ートを流し込み、礎石にする予定だったからです。
しかし、“州法”によって、“州全域での住民投票”を経なければ、このような放射
性廃棄物の埋設処理はできなくなったのです。したがって、“全て撤去”しなくてはな
らなくなったのです。
米国・原子力規制委員会(NRC)は、“敷地内埋設処分”が有効な選択
肢だと、現在も考えているようです。しかし、これまでの所、民間施設でこ
れが実施された例はないといいます...
一方、日本の場合は、こうした跡地も、“原子力発電所用地として有効
利用する”というのが、原子力委員会はじめ、国の基本的な方針となって
いるようです。したがって、日本では、ほとんど汚染されていないコンクリ
ートなどは、“敷地内埋設処分”という方向になるのでしょうか...
ともかく、日本では、米国の事例とは大分異なり、“特別な基準はない”ということ
になるようです...」
「うーん...そんなことでいいのでしょうか?」マチコが言った。
「でも、」夏美が、マチコの方を見て言った。「アメリカの原子力規制委員会も、“敷地
内埋設処分”がいいと言っているわけよね。それに、日本の原子力委員会が言って
いる、“原子力発電所用地として有効利用する”というのも、いいんじゃないかしら。
“コバルト60”は、半減期が5.27年なんだし、むやみに原発の外に運び出すの
も、どうかしら...」
「うーん...」マチコは首を傾げ、それから堀内の方を見た。「どうなのでしょうか?」
「まあ...アメリカでも日本でも、責任ある立場の原子力委員会がそう言っているわ
けです。有力な選択肢だと、信じていいと思いますね。
ただ、そうしたことも含めて、これから試行錯誤の時代が始まって行くということで
しょう。時代は、確実に原子力の時代から、核融合の時代へとシフトしていきます。ま
た、人類文明全体が地下都市へシフトすれば、人類全体が消費する総エネルギー
も、激減して行くと思います」
「うーん、はい...」マチコがうなづいた。
「さらに...いかに、クリーンな核融合エネルギーとはいえ、熱量そのものを抑制す
ることは必要です。また、放射性物質、危険な化学物質、毒物、人工的な薬物など
も、しっかりと管理していくことが求められます...」
「はい!」夏美が言った。「それで、今、私たちは、どうしたらいいのでしょうか?」
「ただ1つ、望むのは...
“原子力委員会”、“環境団体”、“国民全体”が、深い信頼関係を築き上げ、最良
の道を選択して行って欲しいということですね...
そのための手段として、“情報公開”、“外部監査”、“NPO(民間の非営利組織)”の立
ち上げなどがある、ということでしょうか...」
「はい!」夏美がうなづいた。
「まあ、そういうわけですが...
ともかく、メーン州のメーンヤンキー原発では、州法等によって、敷地内埋設処理
はできないのです。そこで、毎週、貨物列車1編成分の廃棄物が搬出されてたとい
います」
「放射性廃棄物を、貨車で運んで行くのでしょうか?」マチコが聞いた。
「いえ、これらは、ほとんど放射性を帯びていない、コンクリート塊や、切断された金
属です。しかし、こうしたものも、サウスカロライナ州バーンウェルやユタ州クライブ、
あるいはワシントン州ハンフォードにある、放射性廃棄物処分場に運ばれるわけで
す。それから、ニューヨーク州ナイアガラ郡の、建設廃棄物埋立地に向かうこともあり
ます...」
「あの、全く放射性はないのでしょうか?」マチコが聞いた。
「うーむ...まあ、これらは、おおむね“低レベル放射性廃棄物”でしょう。それも、程
度によるのだと思います。もちろん、建設廃棄物埋立地に運び込めるのは、実質的
にも、クリーンなものだけだと思います...」
「タービン建屋なんかは、普通に人が出入りしていますものね」夏美が言った。「だか
ら日本では、“敷地内埋設処分”でいいのではないかと、」
「うん、」マチコがうなづいた。
「さて、一方、“高レベル放射性廃棄物”の貯蔵施設ですが、これは、ネバダ州ユッカ
マウンティンに建設する計画が進んでいます。しかし、これは、仮に予定通りに進ん
でも、完成するのは2010年以降のようです...
まあ、ここでは、推定や予測の話が多くなりがちですが、本来が核物質や放射性
物質の話です。テロへの警戒もありますし、公開されない情報も、多々あるのだと思
います。このあたりは、かなり曖昧になりますが、了承して欲しいと思います...」
「はい、」夏美が、スクリーンを見ながらうなづいた。
「うーん...」マチコが、腕組みをした。「原子力発電所の敷地内に、埋設処分できな
いと、輸送にもお金がかかるわよね...アメリカでは、鉄道を使うんだ...」
「うん...」夏美が言った。
「さあ、話を進めましょうか...」堀内が、コーヒーを受け皿に戻した。
「はい、」マチコも、コーヒーを受け皿に置いた。
「ええ...メーンヤンキー原発は、“加圧水型”軽水炉です。したがって、原子炉建屋
内には、蒸気発生器と1次冷却系があるわけですね。そして、中心部に“原子炉容
器”があります。それから、“原子炉建屋”に隣接して、“使用済み核燃料のプール”
があります。まあ、こうしたものは、水の中に沈めて保管しておくわけですね...
ええと、それから...“原子炉建屋”と2次冷却系で接続された、もう1つの大きな
建物が、“タービン建屋”です。まあ、私は現場の人間ではないのですが、この“ター
ビン建屋”の解体は、問題はないと思います。2次冷却水も、全く汚染されていない
わけではありませんが、汚染レベルは相当に低いわけですから...」
夏美は、壁面スクリーンの、灰色ドームをジッと見つめていた...
「やっぱり...結局、この“原子炉建屋”が問題なわけね、」夏美が言った。
「もちろん、そうです...
この原発の代名詞のような、少しノッポのドームが、ここでは主役です。しかし、写
真やテレビなどではよく目にしていても、実際に直接見る機会というのは、一般人に
はほとんど無いのではないでしょうか...バスに乗って、わざわざ見学にでも行け
ば別でしょうが...」
「私たちも、直接は、見たことがないわよね」マチコが言った。
「うん」夏美がうなづいた。
「この“原子炉建屋”自体は、高校の体育館が収まってしまうほどの、かなり大きな
構造物です。しかも、全く窓の無いコンクリート・ドームの厚さは、低部で1m余り、上
に行くほど薄くなります。天井付近では、半分ほどの肉厚になるようですが、鉄筋が
同心円状に何層にも入っているそうです。
いずれにしても、通常の鉄筋コンクリートとは、強度がまるで違うはずです。このド
ームをカットするのに、ダイヤモンドソーが使われたそうですが、その切り口はまる
で、塗装ずみのテーブルのようにす滑々(すべすべ)だったと言っています。まあ、実際
に現場にいた人の感触でしょう。それだけを聞いても、相当なものだと思います」
「ふーん、硬い石のような感じですね、」夏美が言った。「御影石のような...」
「そうですねえ...」堀内は、大型スクリーンの“原子炉建屋”を見つめた。「ちなみ
に、重さは、約2万8000トンとありますね...」
「うーん...」マチコがうなづいた。「ひっくり返せばさあ、茶碗のように、水に浮くかし
ら?」
「さあ...浮かないんじゃないかしら、」夏美が、笑って首を傾げた。
「うん、」マチコがうなづいた。「そのまま沈むかもね...」
「ええ...いいですか」堀内が、笑いながら言った。「この“原子炉建屋”は、内外の
気圧差が、3.4気圧でも、気密性が保たれる設計だったといいます...まあ、内部
の気圧が低ければ、汚染物質が外部に漏れることはないわけです。バイオハザード
対応の減圧室と同じですね...」
「はい!」夏美が、うなづいた。
【
心臓部/原子炉構造物の解体・撤去 】
「さて、参考文献によれば、一連の作業で最も容易だったのは、この原子炉構造物
の撤去だったと言っています。これは、つまり、“原子炉容器”の本体や、3基の“蒸
気発生器”など、原発の心臓部に当る部分です」
「そうなんですか?」夏美が、額の髪を撫で上げた。「この原子炉本体の解体が?」
「うーむ...そう言ってますねえ...まあ、もともと強い放射能で汚染されている所
ですから、それを承知でやれば、仕事は比較的単純だったということでしょうか、」
「はい」マチコが、うなづいた。「分る気もするわよね、」
「ともかく...」堀内は、壁面の大型スクリーンの方に目を投げた。「それは、どのよう
なものだったのか、具体的に見て行きますか、」
「はい」夏美が答えた。
「まず、中心部の“原子炉容器”は、“炭素鋼”でできていて...壁面にステンレスが
張り付けてあります。そして、その内部に炉心があり、様々な配管や金属フレームが
あるわけです。これらは“ジェット水流”や、切断機で解体されたようです」
「あの、放射能は危険ではないのでしょうか?」マチコが聞いた。
「そりゃ、もちろん危険です!」堀内は、口元を崩して、マチコにうなづいた。「人間は、
絶対に、中には入れません!」
「はい!」
「だから、遠隔操作でやったわけです。まあ...“遠隔操作による水中での作業”に
なりますね...つまり、それそのものは、そうした単純な作業だったということです」
「あの、水の中で切断したんですか?」マチコが聞いた。
「そうです。長い時間をかけて、水の中で解体していくわけです。もちろん、私も見た
ことがあるわけではありません。また、これらは先行事例であって、一般化したような
データも、まだ無いわけです...」
「うーん...はい」マチコがうなづいた。
「一連の作業で、これが最も容易だったというのは、分る気がするわね」夏美が、マ
チコに言った。「難しい作業だけど、長い時間をかけて切断するんでしょう?」
「うん、」
「まあ、確かに、そうかもしれません。細かな作業ではないですね...
いずれにしても、“炉心にはセメントを注入”しました。そして、数百年間にわたって
分解散逸しないように、頑丈に固化されました。これは、“グラウト工法”という処理
だそうです。
それから、この“原子炉容器”は、建屋から撤去され、“はしけ”でサウスカロライ
ナ州バーンウェルの“放射性廃棄物処分場”へ運ぶ手筈になっているようです。ま
あ、これも、時間をかけて、放射能の半減期を食い潰し、ゆっくりと処理していくとい
う事でしょうか...」
「サウスカロライナ州のバーンウェルは、“低レベル放射性廃棄物”の処分場ですよ
ね?」夏美が聞いた。
「うーむ...詳しいことは、私には分かりません。参考文献では、そこへ運ぶと言っ
ていますね...ともかく、そこで処理するわけでしょう」
「あ、はい...」夏美が言った。「あの、原子炉容器というのは、“シュラウド”にヒビが
あったとか、日本でも話題になったアレのことかしら?」
「うーむ...多分、そうだと思います。この原子炉容器の外側のステンレスに、ヒビ
が入ったということではないでしょうか...」
「それで、今年の夏は、東京電力の原子炉が、8基も停止したままになるわけでしょ
うか?」
「そんな話があるわよね!」マチコが言った。「8基も停止して、これからどうするつも
りかしら?」
<実際には、17基中、16期が停止している模様...流動的...>
「電力需要のピークは夏ですから、あと1ヶ月ほどで、非常事態に突入しますね。
ともかく、ヒビが入っている事実を隠し、虚偽報告していたということが、原発の地元
住民や国民全体の反発を買っているわけです。
何とか、この夏を乗り切る、打開策を見つけて欲しいですね。アメリカなど、外国の
原発では、“危険性のないヒビ”なら、運転を継続しているそうですから、」
「あ、そうなんですか?」マチコが言った。
「はい...“基準以下のヒビなら大丈夫”、ということだそうです」
「でも、」夏美が言った。「“日本の一連の原子力関係の事故”を見ていると、大事故
につながる様な危険な兆候もあるのではないでしょうか?」
「それは、確かに感じますね...
1国民として、“公平かつ良識の立場”から眺めていても、日本の原子力関係の不
祥事は、“非常に大きな危惧”を感じます。ともかく、このままでは危険ですね。全体
の“管理がズサン”です。いずれにしても、ここは民間から、新しい空気を入れる必要
があると思います。
まあ、日本の宇宙開発でも、こうした傾向がありました。しかし、最近ようやく宇宙
開発事業団の、新型の“H・ロケット”が、名誉を挽回してきたようです。そろそろ安定
軌道に入るのだと思いますが、ここでは“トップの入れ替え”をしていますね...
それから、小惑星帯(火星軌道の外側のアステロイドベルト)の探査体を搭載した、宇宙科学
研究所の“Mu・ロケット”も、今回は打ち上げに成功しています。探査体の活躍はこ
れからになるわけですが、日本としても、人類全体としても、大きな夢の持てるプロ
ジェクトだと思います。これらの組織は近々統合されるわけですが、大いに期待でき
のではないでしょうか。
ええ...NASAの“スペースシャトル・コロンビアの事故”は、現在まだ調査が続
いているのでしょうが、これはいずれ立ち直ると思います...」
「はい、」夏美がうなづいた。「ともかく、問題は日本の原子力関係の事故ですよね」
「まあ、原子力関係の事故というのは、世界中にあるわけです。特に、日本だけとい
うわけではないですがね...」
「でも、益々、信頼性が下がってきているんじゃないかしら、」マチコが言った。
「確かに...
まあ、私は原子力関係の専門家ではないのですが...やはり、今言われている
“情報公開”と“外部監査”の導入が、ここでも必要なのでしょうか。これは、日本の国
を形成している屋台骨、骨格全体に対して言えることだと思います...」
夏美が、コクリとうなづいた。
「“既得権”や“利権構造”を排除し、“風通しのよい組織”にしていくことが、一番の
近道だと思います...」
「はい」マチコが言った。「JCOが、“バケツ”でウランの濃縮液を扱っていた、“臨界
事故”なんか、最低よね。何であんなことになったのかしら?」
「あれも、あきれた話でした...」堀内は、目を閉じ、首を縦に振った。「せめて、あん
なことは、止めてもらいたいですね」
「あの、堀内さん...」夏美が、言った。「あれは、そもそも、何をやっていて、あんな
ことになったのでしょうか?」
「ああ...あれは、“常陽”の燃料を作っていたのです。“常陽”というのは、高速増
殖炉の実験炉です。しかし、そんなようですから、原型炉の“もんじゅ”でも失敗しまし
た。結局、高速増殖炉のプロジェクト全体が中止になってしまったわけです」
「うーん...外国ではどうなのでしょうか?」マチコが聞いた。
「フランスでは、同型の発電用実験炉・“スーパー・フェニックス”が、冷却材のナトリ
ウムに不純物が発生する事故で、止まっています。まあ、この原子炉も、事実上ほ
とんど運転されていません...すでに、廃棄も決まっているようです。
したがって、増殖炉の分野では、最も進んでいたフランスが頓挫し、続いて日本も
中止ということになったわけです。アメリカ、イギリス、ドイツは、それ以前に中止して
います。ロシアは実用化したようですが、コストは不明です。現在どのような状況にあ
るのか、ちょっと分りません。増殖炉に関しては、これが世界的趨勢です...」
「難しいわけですね、」夏美が言った。「それで、“もんじゅ”はまだ動いているのでしょ
うか?実験は続けているような話も聞きますけど、」
「そうですねえ...“もんじゅ”の方は、現在も基礎的な研究は続いていているようで
す。しかし、“高速増殖炉”の“原型炉”としては、もう完全に終ったのだと思います」
夏美が、黙ってうなづいた。
ヘリコ君/茨城県東海村/近海上空
「さて...
“原子炉容器”は、先ほど話したような処理になったわけですが、切断された炉内
構造物は、“高レベル放射性廃棄物”として処理されました。これは、取り出した“使
用済み核燃料”と、同じ処理になるわけです...」
「はい、」夏美が、うなづいた。「それらが全て、“高レベル放射性廃棄物”になるわけ
ですね?」
「そうです...
これらは、当面は原発の敷地内で、厳重に保管されることになります。先ほども少
し話しましたが、アメリカではネバダ州のユッカマウンティンに、“高レベル放射性廃
棄物”の貯蔵施設を計画中です。しかし、今の所は、原発の敷地内で保管しなけれ
ばならないわけです...」
「あの...」マチコが言った。「日本でも、そうなのでしょうか?」
「日本では、これから、“日本原電/東海発電所(茨城県東海村)”の解体が先行事例と
なって進んでいくわけです。むろん、当然、こうした問題も起こってくるわけですね。た
だ、こうしたアメリカの先進技術というものは、参考するにしろ、技術導入するにし
ろ、先行事例として、日本でも大いに注目しているはずです。
ちなみに、メーンヤンキー原発の心臓部を解体したのは、アメリカの原発メーカー
ではありません。フランス企業のフラマトム社だと聞いています...
これは、アメリカで最初ともいえる大型原発の解体でしたが、大型金属部品の切
断技術については、フランスの企業が提供したわけです...」
「そうかあ、」マチコがうなづいた。「フランスは、原発への依存度が、非常に高い国で
したよね、」
「そうです...」堀内は、冷めたコーヒーに手を伸ばし、ゆっくりと取り上げた。
桜の木の下で眠っていたミケが、のっそりと立ち上がった。そして尺取虫のように
体を縮め、ブルブルと背中を震わせた。それから顔をひと撫でし、みんなのいる部屋
の方へブラリと歩いてきた。そして、ヒョイと窓に跳び乗り、ストン、と部屋の中に降り
た。
「...ニャー...」と、ミケは、誰へともなく言った。
それから、作業テーブルの下に入り、ゴロリとマチコの脚に寄りかかり、毛づくろい
を始めた。
≪ キャニスター ≫
キャニスターを収める≪縦型キャスク
/横型貯蔵庫
≫
「さて、」堀内が言った。「この、“高レベル放射性廃棄物”の“原発敷地内での保管方
法”について、少し詳しく説明しておきましょう」
「あ、はい、」マチコが、壁面スクリーンから目を戻した。「...“高レベル放射性廃棄
物”は、原発敷地内で管理するのが...当面は、一般的になるのでしょうか?」
「まあ...事実上、そうなるでしょう...
今説明したように、“高レベル放射性廃棄物”の“最終処分場”というのは、まだあ
りません。承認と建設が予定どうりに行けば、2010年以降になりますが、ネバダ州
のユッカマウンティンに、それが完成します...」
「はい、」マチコがうなづいた。
「そこで、商業用原発では、敷地内に“使用済み核燃料一時貯蔵施設(ISFSI)”を
作り、そこで“使用済み核燃料”と“高レベル放射性廃棄物”を、一時的に貯蔵するこ
とになります...したがって、事実上、原発敷地内で管理するということになります」
「廃炉になった、原発の敷地内に、貯蔵しておくわけですね、」マチコが、足先でミケ
の頭を撫でながら言った。
「そうです...もともとかなり広い敷地があるわけですし、それが一番いいだろうと
いうことです」
「日本でも、そうなのでしょうか?」夏美が、キーボードを叩く手を止め、顔を上げた。
「日本の場合、処分場問題は、さらに深刻でしょう。したがって、原子炉を解体すると
しても、当面はあの“原子炉建屋”の中で保管しておくのが、一番いいのではないで
しょうか。あの“原子炉建屋”は、本来がそういうことのための容器ですから...」
「そうよね、」マチコが言った。
「まあ、これから色々な国々で原発の解体が進むでしょうが、そうした基本ルールの
ようなものも、出来て来るのではないでしょうか。国土の狭い国では、とても最終処分
場のような施設は作れないでしょう。どこかの民間会社が請負って解体し、金を出し
て、最終処分するような形になるでしょう...
そこで、当面保管しておく場所として、“原子炉建屋”というのは、最良の保管容器
だということです...」
「あの、」夏美が言った。「アメリカは、どうして“原子炉建屋”までこわしてしまったの
でしょうか?」
「うーむ...ま、それ相応の事情や、深い考えがあって、“原子炉建屋”も解体した
のだと思います...これは、最終処分が、どのような形式になるかにもよるわけで
す...アメリカは、ネバダ州に、最終処分場を計画しているわけですからねえ...」
「はい、」夏美が、うなづいた。「最終的には、そこに運び込むということでしょうか?」
「もちろん、そうだと思います...計画どおりに完成すればですが...
ちなみに、“キャニスター”というのは、英語で“フタ付の缶”のことです。私たちも、
頑丈な“キャニスター”に核燃料を密封して輸送する風景は、しばしばニュースなどで
も見たことがあると思います。
それから、最近のアメリカ軍のミサイルなども、“キャニスター”に密封されていて、
中身の微妙な部分には、手を触れないようになっていますね。トマホーク巡航ミサイ
ルなども、艦船のキャニスターから垂直に発射されています」
「うん、」マチコがうなづいた。「イラク戦争の映像を見ていると、最近のパトリオット・ミ
サイルはさあ、“キャニスター”に入ったまま空を向いてるわよね、」
「そうだったかしら、」夏美が言った。
「そうよ!」
「マチコさんの言う通りです...最新型のヤツです」
「パトリオット・3かしら?」
「ほう、マチコさんは、軍事に詳しいのですか?」
「いえ、」マチコは、口に手を当てた。「たまたま、軍事衛星1号から帰還した、大川慶
三郎さんが話していたんです」
「ああ、なるほど...さて、話を進めましょう...」
「はい!」マチコが言った。
「ええ...まずですね...核燃料運搬用の頑丈な“キャニスター”に、“使用済み核
燃料”と“高レベル放射性廃棄物”を詰め込みます。そして、それをさらに“キャスク”
という縦型円筒容器に入れます。まあ、これを、原発敷地内の“台座”の上で、野ざ
らしで保管しておくわけですね。これが、“使用済み核燃料一時貯蔵施設(ISFSI)”
と呼ばれるものです」
「野ざらしで置いておくのでしょうか?」マチコが聞いた。
「そのようです。キャニスターそのものが非常に頑丈なものです。そのキャニスターを
入れるキャスクは、さらに鉄とコンクリートでできた、茶筒形の、途方もなく頑丈な容
器です。ちなみに、メーンヤンキー原発では、高さ5.5mのキャスクです。まあ、形と
しては、ドラム缶のお化けのようなものです」
「うーん、はい」マチコがうなづいた。
「“原子炉容器”の解体で出た“高レベル放射性廃棄物”は、4本のキャスクに、全
てが収まったようです。それから、“使用済み核燃料”は、60本のキャスクに収めら
れたようです...合計で64本のキャスクに、全てが収納されたわけですね...」
「ふーん、」夏美が、うなづいた。「それが、メーンヤンキー原発から出た、“高レベル
放射性廃棄物”の、全てですね、」
「まあ...あと、“炉心”にコンクリートを注入し、“グラウト工法”で処理した、“原子
炉容器”があります。これは、“はしけ”でサウスカロライナ州バーンウェルの“放射性
廃棄物処分場”へ運ぶ手筈になっているようですね」
「あ、はい...」
「ちなみに、キャニスターを入れて、ドラム缶のように縦に置くのが“キャスク”です。
それから、キャニスターを横に寝かせて置くタイプがあって、こっちの方は“コンクリー
ト製貯蔵庫”と呼ばれています。いずれも、頑丈なコンクリートの台座の上に並べて
置かれ、長い永眠につくわけです...」
「永眠かあ、」マチコが言った。「ロマンチックな感じがするわね」
「しかし、これらはガンマ線などの放射能を出しつつ、眠りながら崩壊しているわけで
す。つまり、死んでしまったわけではないのです。“キャスク1つで、約17kWの発熱
量”があるといいます」
「うーん、」マチコが、膝の上に上がってきたミケの頭をなでた。「だから、眠っている
のか。死んだら、冷たくなるわけよね、」
「この、発熱しているキャスクの上には、雪が降り積もることはないと言われていま
す。この約17kWの発熱量というのは、1000Wの家庭用ドライヤーなら17台分に
相当します。17台のドライヤーで、一斉に放熱している状態です...」
「うーん...」マチコが首をひねった。「ドライヤー17台なら、1部屋ぐらい、軽く暖房
できるわよね...それ以上かしら?」
「まあ...そんなものが、64基も並んでいるわけです。確かに、もったいない熱量で
すね。何かに利用できるなら、利用したいものです」
「はい、」夏美がうなづいた。
「このメーンヤンキー原発では、“使用済み核燃料一時貯蔵施設(
ISFSI )”に、2
万4000uの敷地を確保しています。周囲が盛り土され、電気柵や監視カメラなども
設置され、厳重に監視されているようです。したがって、一般の人が利用するのは、
少々無理かも知れません...
“ISFSI”を管理するぐらいの電力なら、まかなえるか
も知れませんが...」
「はい、」マチコが言った。
「アメリカの各原子力発電所では、こうした
“ISFSI”が、続々とできつつあると言わ
れます...メーンヤンキー原発の“先行事例”にしたがって、続々と解体が進んでい
くということでしょう...」
「日本では、“原子炉建屋”の中で保管するのでしょうか?」マチコが聞いた。
「さあ、実際の所はどうでしょうか...私には何とも言えません...
日本では、まだ解体は始まっていませんし、そこまでは分りません。ただ、“原子
炉建屋”の中で保管した方が、色々な意味で、安全に管理できるのではないでしょう
か。
もともと、“原子炉建屋”は、地震、津波、台風などの最大級の自然災害からも、し
っかりと保護される設計になっています。また、戦争やテロなどの人為的な脅威から
も、守りやすいと思います。それから、散逸させないということが、最大の任務になり
ますから、その意味でも、“原子炉建屋”での保管がいいと思います」
「そうですね、」夏美が、言った。「まさに、廃炉になっても、そのための“原子炉建屋”
というわけですね...それじゃ、その茶筒型のキャスクというのは、大丈夫なのかし
ら?」
「そうですね...これは、100年間はもつと言われます。もちろん、100年たった
ら、壊れてしまうというものでもありません」
「そんなに頑丈なんですか?」
「もちろんです!」堀内は、強くうなづいた。「それに、再びフタを開けて使うというもの
ではないですから、石やガラスのように、固めてしまうことも出来るわけです」
「うーん...」マチコが腕組みし、首を傾げた。「それは、どんな構造になっているので
しょうか?」
「それじゃ、“キャニスター”や“キャスク”について、もう少し具体的に説明しておきま
しょうか。原子炉の解体では、“高レベル放射性廃棄物”の管理が、最大の関心事
でしょうから、」
「お願いします」夏美が言った。
「いいですか...何度も言うことですが、私も実際には見たことがないのです。ま
た、実際に見ることのできる人間というのは、ごく限られた、原子炉関係者のみだと
思います...まあ、それは承知して置いてください」
「はい、」夏美が言った。
「さて、そこで、この“キャニスター”ですが...
これは、内部は格子状の構造になっていています。格子状の、24の小部屋に仕
切られているようです。この中に、それぞれ、“長さ3.7mほどの、使用済み燃料集
合体”を収納するわけです。その後、“真空乾燥”し、“厚さ約6cmの鋼鉄で溶接密
封”します。
ええと...それから、厚さ約72cm、高さ約5.5mのコンクリート容器の“キャス
ク”に収め、“使用済み核燃料一時貯蔵施設(
ISFSI )”の台座の上に、野ざらしで
並べるられるわけです...」
「それは、そういう形式か、キッチリと決まっているのでしょうか?」夏美が聞いた。
「さあ...私には、それ以上詳しいことは分りません...
ただ、想像できることは、そうした標準的な容器を使うにしても、使い方は色々バ
リエーションがあるのだと思います。こうした“高レベル放射性廃棄物は”、“キャニス
ター”に詰め込み、“ガラスで固化”してしまうというような話も聞いたことがあります。
参考文献では、こうしたことには触れていませんが...」
「“ガラスで固化”すると、いいわけでしょうか?」夏美が聞いた。
「そうですねえ...ガラスの中に封じ込めてしまえば、水の中に沈んでも大丈夫で
しょう。化学的な変化には、非常に強いでしょうね。衝撃に対しては、金属容器の
“キャニスター”やコンクリートと鉄の容器の“キャスク”が守っています。しかし、それ
以前に、これらの容器が破壊されることはないと思いますがね」
「ふーん、」マチコがうなづいた。「そんなに頑丈なんだ、」
「当然のことですが、それを保証するのは、これらの容器が設計どうりに、キッチリと
作られていての話です」
「はい」マチコが、うなづいた。
「まあ、今後、日本ではどのようにするかは、それはまた別の問題です。むろん、こう
した先行事例は、大いに参考になるわけです...」
「はい...」夏美が言った。「ええ、次は少々厄介な、“残留放射能”と“環境問題”で
す。でも、これが、私達にとっては一番身近な問題になります。どうぞ、ご期待くださ
い!」
〔4〕
残留放射能と環境問題
< ブラツキー/ ... 福井県敦賀市...近海上空/ ...雨
... >
********************************************************************************************
【 放射能とは... 】
竹内建造が、作業服姿で部屋に入ってきた。
「おはようございます!」マチコは椅子から立ち上がり、頭を下げた。
ミミちゃんも、ペコリ、と頭を下げた。
「おう...」竹内は、片手を上げた。それから、両手でヘルメットを脱いだ。そのヘル
メットを、丸めた図面と一緒にドアの脇に置いた。
「作業靴でいいかね?」竹内が、マチコに聞いた。
「あ...はい!」
「ええと...何について、話すのだったかな?」竹内は、部屋の真中の方へ歩いて
きた。
「原発の、放射能について、簡単に説明していただけないでしょうか。廃炉における
残留放射能や、環境への影響などです...」
「うーむ...放射能ねえ...ああ、いいですよ...」
竹内は、髪を両手で撫で付け、大股で作業テーブルの方へ歩いた。そして、椅子
の1つを引き、大きな壁面スクリーンを眺めた。それから、一呼吸し、ゆっくりと天井を
見上げた。
「うーむ...」竹内は、腰のベルトの小道具を片手で押さえ、ドン、と椅子に腰を落し
た。
「...夏美が、今、コーヒーの用意しています」
「ああ、どうも...いつも、現場にいるもので、どうもこういう場所は苦手ですねえ。え
えと...放射能についてですね?」
「はい、」マチコは、ミミちゃんの頭に手を載せた。「堀内さんは、インターネットで会議
中ですが、じきに来ると思います」
「うーむ...それじゃあ、知っていることを話しますので、何でも聞いてください、」竹
内は、パン、とテーブルの上で両手を組み合わせた。
「はい...」マチコは、小さくうなづいた。「ええと...まず、放射能とは、簡単に言う
と、どういうものなのでしょうか...一応...」
「うむ...そうですねえ...“放射線を出す性質”を、放射能といいます。あるいは、
“放射性核種”のことを、放射能と言うこともあります...」竹内は、両腕を胸の上で
組み合わせた。
「はい...では、放射線というのは、」
「放射線というのは、つまり“粒子線”のことです...まあ、粒子線などというと、かえ
ってややこしいかな...
つまり、不安定な原子核というのは、アルファ粒子(ヘリウム原子核)やベータ粒子(電子)
などの粒子線や、ガンマ線(X線よりも波長の短い電磁波)などを絶えず放出して、安定な元素
になろうとしています...」
「はい...それが、いわゆる、ウラン235などですね?」
「そうです...不安定な原子核から、安定した原子核になるために、こいつらは放射
線を放出しているわけですよ...」
「はい。でも...よく、こんなものを発見しましたね、」
「うーむ...そうですねえ...フランス人のベクレルが、ウランから出る不思議な放
射を発見したのが始まりです...あれは、1896年ですね...そして、キュリー夫
人が、これを放射能と名づけました。この放射能の研究から、原子核物理学が始ま
ったわけです」
「この間、クレソンという女の人が、フランスの閣僚にいましたよね、」
「クレソン...そんな人がいましたかね...ミズガラシのことかな、」
「ええ...クレソンとか、キュウリとか、そういう人が、フランス人には多いのかし
ら?」
「ハッハッハッ...キュウリではなく、キュリー夫人ですよ、」
「でも、似てるわよね、」マチコは、ミミちゃんの頭を、トントン、とたたいた。
ミミちゃんが、マチコを見上げた。
「いや、ピエール・キュリーの夫人、マリー・キュリーです...」
「うーん...」マチコは、両手を頭の後ろで組んだ。「私は、“キュウリー夫人”って覚
えてたのよね、」
「いいですか...ナスでもキュウリでもない。キュリー夫人です...
この2人は、“ラジウム”と“ポロニウム”を発見しました...磁性に関する“キュリ
ーの法則”も発見しています。キュリー夫人が特に有名なのは、夫のピエールの死
後、“ラジウムの分離”に成功したからです。
もっとも、1903年に、夫婦そろってノーベル物理学賞をもらっています。それか
ら、1911年には、ノーベル化学賞の方も受賞していますが、こっちの方は、夫人の
方だけですね。その数年前に、ピエールの方は亡くなっていますから...ええと、確
か...1906年だったと思います」
「ふーん...1905年にさあ、アインシュタインが、特殊相対性理論を発表している
のよね。そして、その同じ年に、日露戦争があったのよ...その頃は、大変だった
んだあ...」
「ほう、よく知ってますねえ、」
「うーん、」マチコは、ミミちゃんのほうに体を揺らした。「最近、そんな話を聞いたのよ
ね...あの、ナイチンゲールがいたのは、それより少し前ですよね。クリミヤ戦争の
時に、看護婦部隊を引きていて、大勢の兵士を救ったんですよね。敵も味方も。だか
ら、“クリミヤの天使”と呼ばれていたのよ。ここから、赤十字が出来たって聞きまし
た。
あの、竹内さん...クリミヤって、どこにあるのかしら?」
「それはですね...クリミヤ半島でしょう。地中海のさらに奥の方に、黒海というのが
あるでしょう。その黒海に、北から南に突き出しているのが、クリミヤ半島です。
クリミヤ戦争というのは...私の知っている限りでは、1853年に、ロシアとトルコ
が始めた戦争です。そして、翌年、イギリスとフランスがトルコに加担して、クリミヤ半
島に出兵したんだと思います...
だから、マチコさんの話と合わせると、このイギリス軍に、ナイチンゲールの看護
婦部隊が同行したんでしょう...」
「うーん...そうかあ...すごいわよねえ...戦場で、看護婦さんたちが、大勢の
兵隊さんの命を救ったんだあ...」
「当時、大英帝国がトルコに加担したのは、北の大国ロシアを地中海に進出させな
いためだったのです。いわゆる、帝政ロシアの大戦略である、“南下政策”を阻止する
ことでした」
「うん...」マチコが、体を乗り出して、うなづいた。
「このクリミア戦争に負けて、ロシアの“南下政策”は挫折します。しかし、ロシアは次
に、アフガニスタンを通って、インド洋に進出しようとしました。しかし、この南下も大
英帝国に阻止されます。
そこで、ロシアは、クリミヤ戦争から半世紀後に、極東の“旅順”に世界最強のバ
ルチック艦隊を回し、太平洋側に不凍港を確保しようとしたわけです。これが、つま
り、日露戦争だったわけです...バルチック艦隊は結局、司令長官・統合平八郎の
率いる連合艦隊によって壊滅させられたわけです...まあ、ここから、日本が西欧
の列強と、肩を並べていくようになったわけです...」
「うーん...ナイチンゲールってさあ...そんな時代の人だったんですね...」
「まあ、ピエール・キュリーは、1906年に亡くなっていますから、特殊相対性理論が
発表された翌年ですね...ラジウムは二人によって発見されたのですが、分離はピ
エールの死後、夫人の手によって成功したということです...
1911年のノーベル化学賞は、この“ラジウムの分離”でもらったわけですね...
まず、伝記物語としては、感動的ですし、理想的にうまく完結している話です」
「はい!」
「フランスでは、原子力発電に対する依存度が、70%を超えているわけですが、こう
した歴史的経緯もあるわけでしょう...最初に発見したのが、フランス人なのですか
ら、」
「うーん...フランスではさあ、原子力に対する愛着があるわけですね?」
「愛着ですか...そうかも知れません...そうした誇りはあると思います...
そうそう、放射能の強さの単位を、“ベクレル”または“キュリー”と言います...
キュウリーではなく、“キュリー”です」
「“キュリー”ね、」
「そうです」
「あ、そうだ、竹内さん...放射能の単位というのを教えていただけるでしょうか。レ
ントゲンとか、シーベルトとかも使いますよね」
「はい。まず、放射能そのものの強さを、“ベクレル”とか“キュリー”で表現します。そ
れを、まとめると、こうなります...
“ベクレル”/
“キュリー” =
放射能の強さの単位
1キュリー
= ラジウム1g
( ほぼ、1キュリーに相当します )
1秒間に
3.70×10の10乗個の原子崩壊を起こす放射性物質の量。
“レントゲン” =
X線またはガンマ線の照射線量の単位
1レントゲン
=
標準的空気1立法cm内において、1CGS静電単位の正負イオン
対を生ずるような照射線量。
“レム”(人体レントゲン当量) =
(rem/roentgen
equivalent man )
1レム = 1ラッド (
X線の1ラッドと同等の効果をもつ吸収線量
)
主な3種類の放射線(アルファ線、ベータ線、ガンマ線)では、生物に及ぼす影響が
それぞれ異なる。そこで、これらの影響を一括して、X線の場合に換算して評価でき
るようにした単位。
(
放射線の種類の如何に関わらず、被照射体の1gあたり100エルグのエネルギ
ーを受け取る場合を、1ラッド
という
)
“シーベルト” =
“レム”に対応する国際単位系
1シーベルト = 100レム
...ええ...マチコさん、ミミちゃん...こんな説明でいいですかね。これらは単
位ですから、あとは説明するよりも、見たり使ったりして、慣れることです」
「うん!」ミミちゃんが、ポンと小さく跳ねた。
「はい!」マチコも言った。「ええと、竹内さん...“レントゲン”というのは、レントゲン
撮影のレントゲンでいいのでしょうか?」
「そうです。いずれも、ドイツの物理学者、W.レントゲンにちなむものです。この人
は、X線を発見して、第1回ノーベル賞を受賞しています」
堀内は、ミミちゃんを見下ろし、白い歯を見せた。
「いいかね、ミミちゃん?」
「うん!」
【
米・原子力規制委員会の新基準と、実効的な意味 】
「それでは竹内さん、次に、参考文献のメーンヤンキー原発についてお願いします。
あの残留放射能の基準の話は、よく理解できないのですが、」
「そうですねえ...まあ、これは“先行事例”になる話ですし、最初は専門家でない
と、なかなか理解するのは難しいかも知れません...」
「はい、」
「ま、ともかく、ざっと説明しましょう...」
「お願いします」
「ええ...アメリカの原子力規制委員会が定めた、土地の非限定解放に関する基準
というものがあります。これは、原発を廃止した後の、用地の非限定の解放ということ
ですから、一般的な工業用地として解放するということでしょう...そうした場合の
ルールということです...」
「はい、」
「うーむ...しかし、そのためには、残留放射能を除去し、クリーンな状態にしなけ
ればなりません。その基準というのを、米・原子力規制委員会がしっかりと定めてい
ます。したがって、廃炉では、その基準をキッチリと満たさなければならないというこ
とです。
特に、この“先行事例”となるメーンヤンキー原発では、アメリカのみならず、広く世
界の注目が集まっているわけです...」
「はい...それで、その基準というのは、どんなものなのでしょうか?」
「先ほど、堀内さんが話していたのを、チラリと耳にしました...あれでいいのだと
思います、」
「うーん、なんだったかしら?」
「原発跡地の残留放射能に関しては、いろいろな関係機関が数値を公表していま
す。まあ、こういうことです...
〔米・原子力規制委員会(NRC)〕
合理的に、実施可能な限り低くする。
放射線の影響を、最も受けやすい人たちについて、平均的な被曝量
が年間0.25ミリシーベルトを超えてはならない。
(
自然界にある環境放射線を差し引いた上で、)
〔米・環境保護局(EPA)〕
自然状態と比較した、発ガン確率の増加が、100万分の1にとどま
る
ことを目安としている。
これを基準とすると、被曝量の増加は年間0.15ミリシーベルト以
下。地下水からは、0.04ミリシーベルト以下でなければならない。
〔メーン州議会(/2000年)〕
総線量は、0.1ミリシーベルト以下 (上記の被曝量の増加とは、表現が異なる)
地下水は、0.04ミリシーベルト以下でなければならない。
...まあ、ざっとこんなわけです...しかし、こうした数字は、実効的な意味
は失われつつあるといわれます...」
「どうしてでしょうか?」
「健康と安全に関して、最終的な決定権を持っているのは、“州”だからです。その州
政府や州議会が、規制に乗り出してきているのです」
「うーん...」
「まあ、メーン州議会は、2000年に、連邦政府よりも厳しい基準を設定しています。
上にも示しましたが、総線量は、0.1ミリシーベルト以下。地下水は、0.04ミリシー
ベルト以下、というものです。
“総線量”という表現が、米・環境保護局(EPA)のいう被曝量の増加とどのような関
係にあるのか明確ではありませんが、いずれにしても、相当に厳しい数字だというこ
とですね」
「あの、竹内さん...この数字は、厳しい方がいいわけですよね?」マチコが、念を
押すように言った。
「さあ...どうなのでしょうかねえ...まさに、そこが問題だと思います...
基準値が厳しくなれば、放射能の除染処理はそれだけ難しくなり、費用もかかり
ます。しかし、“こと放射線に関する限り、どんな基準にも、十分な根拠があるとはい
えない”といいます。
したがって、メーン州の厳しすぎる基準は、“悪しき前例”を残すものであり、“社会
的資源の浪費”だ、と主張する人々もいるわけです...」
「そうかあ...そこよね...ただ原発に圧力をかけて、基準を厳しくすればいいとい
うものでもないわけよね、」
「その通りです...
しかし、そうかと言って、基準を甘くしたり、勝手にやらせておくと、必ず大事故に
結びつくと思います...日本の一連の、“原子力関係の不祥事”は、それを明確に
示しているのではないでしょうか...」
「はい...つまり、本当の意見というのを、しっかりとまとめることが、大事なのです
ね」
「まさに、その通りです。“本当の意見”を出し、“本当の決断”をしていくことが大事で
す。特にこれからの時代は、」
「はい!」マチコは、コクリとうなづいた。
≪観念論に陥っている、放射能除染処理≫
「さて、アメリカでも...」竹内は、夏美がワゴンを押し入って来るのを眺めた。
マチコは、夏美がワゴンを押してきたので、椅子を少しずらした。ワゴンには、4人
分のコーヒーカップと、サンドイッチが二皿乗っていた。夏美は、ワゴンの上で、コーヒ
ーの準備を始めた。
「ええ、アメリカでも、」竹内は、もう一度言った。「...“放射能レベルがゼロでない限
り、受け入れは不可能だ”...という意見がありす。世界中、どこでも、こうした“原
子力に対するアレルギー”のような市民感情は、あるのだと思います...」
「はい、」マチコが言った。「原子力や放射能は、“悪のイメージ”がありますよね...
でも、これは問題なのじゃないかしら。私たちが、どのように核エネルギーをコントロ
ールするかが、大事なことだと思います...
もちろん、放射能汚染があるから、原子力発電はいらないということなら、それも
一理あります。でも、一方で、豊な電力供給を求め、しかも原発問題の本質を真剣に
考えないで、目のカタキにするというのは、どうなのかしら?」
「うーむ!いいことを言いますねえ!」竹内が、脚を組みなおした。「マチコさん!あな
たは、見所があります!まあ、そうじゃないかとは思っていましたがね!」
「うん!」夏美も、目を細め、口元を緩めた。それから、またコーヒーカップにコーヒー
を注いだ。
「そうかしら...」マチコは、ミミちゃんの頭を、なでなでした。
「私たちは、」と、大竹が、コブシを握りしめた。「20世紀の、世界を二分したイデオロ
ギーと、戦略核兵器の時代を乗り越えてきました。核兵器や放射能というものを、多
少でも理解する者なら、ほとんど迷わず核エネルギーに対しては反発します。しか
し、それは、核エネルギーが悪かったわけではないのです。それを、最初に人殺し
の手段として使ったことが、悪かったのです。それで、悪のイメージに染まってしまっ
たのです」
「うーん、はい!」マチコがうなづいた。
「いづれにせよ、人類文明は、その歴史的な一時代を、“原子力発電”に頼ってきま
した。つまり、その道を選択したのです。そして、あと数十年で、それも“核融合発電”
の時代へと、シフトして行くと思います。
核融合という、無限のクリーン・エネルギーを獲得するまでです。その時まで、私
たちは何とか環境汚染の少ないクリーンなエネルギーを、人類社会に供給していか
なければならないのです。
原子力発電の核分裂エネルギーは、放射能さえ慎重にコントロールすれば、環境
への負担の非常に少ない、クリーンなエネルギーなのです」
「はい...それで、“核融合発電”は、21世紀のなかば頃には実現できるのでしょう
か?」
「そうですねえ...もう少し、早いと思います。現在の人類文明には、加速度があり
ます。50年後の文明の姿を予測するのは、非常に難しいものがあります。例えば、
50年前には、パソコンがここまで発達し、インターネットが人類文明全体を席巻する
ことは、まるで予想されていなかったでしょう...
1つの発明や発見、あるいはネットワークのようなアイデアが、文明全体の姿を大
きく変えることが、間々あるわけです。だから、未来を予測するのは非常に難しいの
です」
「はい、」
「それから、堀内さんが、“原子力船”の話をしていましたねえ...これはいいアイデ
アだと、私も思っていますし、大勢の科学者も、そう思って研究開発をしてきたので
す。
ところが、今日まで、あまり発達しなかった。それは、多分、スピード性と、航空機
産業の発達に押しまくられていたからだと思います。しかし、環境問題やエネルギー
問題、脱グローバル化の問題等を考えたら、いよいよこれからは“原子力船”に登場
してもらう時代になるのではないでしょうか。
それから、海上輸送では、“風力を利用する帆船”もいいですね。昔のように船乗り
が帆を張るのではなく、電子制御された新型帆船がいいですね...航空機輸送を
ぎりぎりまで減らし、船舶輸送が主役の時代だったら、“新型肺炎/SARS”も、これ
ほど全世界的な危機にはならなかったはずです。
むろん、“エイズ”もそうですし、“エボラ出血熱”などもそうです。人類文明全体にと
って脅威となるようなこうしたウイルスも、グローバル世界でなければ、単なる一地方
の不思議な風土病として、記録されていただけだと思います...」
「うーん...高杉・塾長も言ってました。“人類文明全体のデザイン”が、必要な時代
になったって...」
「そうです。国際連盟や国際連合のようなものではなく、人類文明全体をおさめる、
具体的な器ですね...まあ、その方面の話は、堀内さんに任せましょう。私は、技
術者ですから、」
「でも、竹内さんの話も、聞きたいわよね」
「それじゃあ、また、呼んでもらえますかね。そういう話は、私も嫌いじゃあないですか
ら、」
「あ、はい!」
「ええと、話はどこだったかな...」
「うーん、核融合の話でした」
「そうそう...
つまりですね、いづれにしても...そう遠くない将来、核融合発電が動き出してい
るでしょう。未来を予測するのは難しいのですが、これは確かだと思います。何故、そ
うなのかと言えば、そのようにレールが敷かれ、そこに技術が蓄積されているからで
す...
つまり、未来というものでも、予測できる核融合のような技術と、インターネットのよ
うな予測できないような技術があるのです...核融合発電の時代は、技術開発がさ
らに進み、必ず実現できると考えられているわけです」
「うーん...はい!」
「私たち技術者は、この原子力発電の時代を、いかにクリーンに乗り切っていくか、
その“重い歴史的責任”を遂行して行かなければならないのです。そのためには、
“地球市民”に、ただ闇雲に“原発反対”と騒ぎ回られても困るわけです。これが、現
場・技術者としての、私の率直な意見です...」
「うーん...はい、」
「どうぞ、」夏美が言って、それぞれの前にコーヒーを進めた。「ミミちゃん、熱いわよ」
「うん!」ミミちゃんが、長い耳を揺らした。
「細かな定義はともかく、」竹内は、コーヒーカップに手をかけながら言った。「米・原子
力規制委員会の言っている0.25ミリシーベルトも、メーン州議会の言っている0.1
ミリシーベルトも、数字としては倍以上であっても...実質的には大差はなく、ほと
んど同じなのです...」
「うーん...」
「いいですか、マチコさん...この、放射線量で、健康に影響を与えるというのは、む
ろん重要な要素ではあるのです。しかし、ある意味では、非常に不確定な仮定にた
よっているのです。
つまり、それ以下なら無害だと言えるような“閾値(いきち/限界値)”が、放射線につい
ては存在しないという仮定...によっているのです」
「うーん...」マチコは、首を傾げた。「どういうことかしら?」
「例えば、人体には皮膚がありますし、体温を調節する機能もあります。しかし、ある
一定以上の寒さや条件になると、命が危険になります...つまり、ミリ単位の温度
変化で、命の危険度が平均的に増すわけではないということです...しかし、残留
放射能の話では、まさにそうしたミリ単位の線引きに終始しているのです」
「そうですよね」夏美が、うなづいた。
「うーん、放射線で、もう少し詳しく説明してもらえるかしら、」マチコが言った。
「説明は、少し専門的になりますね...
ともかく、放射線の影響を調べている専門家は、100ミリシーベルト以下の被曝で
は、何の影響もないと考えています。ちなみに、“吐き気”や“脱毛”などの急性症状
は、数百ミリシーベルトの被曝がなければ現れないといいます...」
「そうかあ...」マチコが言った。「その意味では、0.25ミリシーベルトも、0.1ミリシ
ーベルトも、実質的には同じというわけね...」
「そうです。皮膚に注射針を当てても、ある一定以上の力が加わらないと、針は皮膚
を通らないでしょう」
「うーん...」
「もちろん、だから許されると言っているわけではありません...
断定できないからこそ、合理的に、科学的に考えて欲しいと言っているのです。
0.25と0.1の間に、どんな意味があるかということです。注射針にしても、皮膚を通
らなければ、何の意味がないのです。私が、“閾値(いきち/限界値)”と言ったのは、例え
れば、注射針が皮膚を通り、そこから先は薬が注入されれば、効くという境界です」
「はい、」マチコがうなづいた。「それなら、分ります」
「こういうデータもあります...
平均的なアメリカ人が、“宇宙線”や“ラドンガス”や“医療用X線”などから受ける
全放射線量は、年間約3.6ミリシーベルトと推定されています。すると、原子炉解体
後の年間0.25ミリシーベルトという残留放射能は、いかに小さな値かが分ると思い
ます。さらに、メーン州議会は、0.1ミリシーベルトという値を出してきているわけで
す。こうなると、こうした数字は、実質的には余り意味のない数値なのではないでしょ
うか...」
「うーん...」マチコは、腕組みをした。「でも、竹内さん...メーン州議会にも、それ
なりの根拠があるのではないでしょうか?さらに厳しい数値を出してきたということ
は、」
「もちろん、それも一理あると思います...
メーン州議会も、良識の府です。ただ闇雲に、無視するわけにはいかないでしょう。
しかし、冷静になって、もう一度、全体を見渡して議論して欲しいということですね。
海岸線に住んでいる人と、空気の薄い標高1600メートルの高地に住んでいる人
とでは、それだけで宇宙線による被曝線量で大きな差が出ます。メーン州議会の数
値を使えば、高地に住んでいる人は、それだけで違法なほどの宇宙線による被曝を
受けていることになるのです。だとしたら、そんな基準そのものが、おかしいのではな
いかということです」
マチコは、黙って、静かにうなづいた。
「米・国立ロスアラモス研究所は、宇宙線の線量を、海面レベルで年間0.25〜
0.30ミリシーベルト。海抜9000フィート(2700m)で、約0.90ミリシーベルトと推
定しています。つまり、米・原子力規制委員会の言っている0.25ミリシーベルという
値は、居住地域の差や、生活習慣の差異の範囲に入ってしまう値だということです」
「はい...」
「しかも、もし仮に、原発跡地で、この年間0.25ミリシーベルトの被曝を受ける可能
性があるとしたら、それはよほどのことがない限り、ありえないといわれます。
例えば、最も汚染度の高い所で、井戸を掘り、そこで農作物でも作れば、そのぐら
いの被曝はあるかも知れないと言います。
しかし、そうだとしても、0.25ミリシーベルトという値は、非常に小さな値なのだで
す...」
「そうよね...」マチコは、コーヒーを飲んだ。「どう思う、夏美?」
「うん...」夏美が、コーヒーカップを下ろした。「環境団体や、メーン州議会の意見
も、しっかりと聞く必要があるわね。でも、それが、竹内さんの言うように、“観念論”
や“感情的対立”が根拠になっているのなら、“社会的資源の浪費”だという意見も、
妥当性があるわね...」
「そうでしょう」竹内が、微笑を浮かべた。「君達は、話が分る...」
「あの、あまり期待しないで下さい」夏美が言った。
「いやいや...ともかく、私も、残留放射能の基準を、甘くしろと言っているのではな
いのです。普通に生活している平均的なアメリカ人が、年間平均3.6ミリシーベルト
の放射線を受けているのに、原発跡地は0.1ミリシーベルトにしろという、メーン州
議会の基準となる根拠は、いったいどこにあるのかということです。こうなると、キリ
がなくなってしまいます」
「でも、もともとは、きれいな環境だったのよね」マチコが言った。
「もちろん、もともとは、放射線の全くない、のどかな海岸線だったということは確か
です。しかし、元のゼロの状態に戻せと言うのは、“社会的資源の浪費”と言えるの
ではないでしょうか。港や灯台を作っても、その役目が終ったら、全く元の状態に戻
せなどとは、普通は言わないでしょう...」
「うん、」マチコがうなづいた。「でもさあ、メーン州議会の意見も、聞く必要があるわよ
ね...」
「何度も言いますが、私が言いたいのは...結局、日本はどうするのかということで
す。ともかく、“観念論”や“感情的対立”に流されずに、しっかりと議論を重ね、“本当
の決断”を下して欲しいということです」
「はい!」夏美が、二度うなづいた。
〔5〕
莫大な廃炉費用を、誰が負担するのか?
「竹内さん、どうもありがとうございました」堀内が、作業テーブルに近づいて、丁寧
に頭を下げた。
「いや、」竹内は、日焼けした顔で、堀内を見上げた。「たまに、変ったことをするの
も、いいものですね」
「ほう、そうですか!それじゃ、ひとつ、これからもよろしくお願いしますよ」
「はい。皆さんにも、そう言われていますので、」
「そりゃ、助かりますねえ!」
「現場の人の話も、いいわよね!」マチコが言った。
「さて、どこからかな?」堀内が、夏美の肩越しに聞いた。
「ええと...」夏美が言った。「“廃炉費用を、誰が負担するか”、という所からです、」
「うむ...」堀内は、自分の椅子を引いて、ゆっくりと腰を下ろした。「アメリカと日本で
は、廃炉といっても、色々と事情が異なりますね...
日本における“3基の廃炉計画/(日本原子力発電/東海発電所。核燃料サイクル開発機構/ふげ
ん発電所。日本原子力発電/敦賀発電所1号機)”については、最初に説明しました。したがって、
ここではアメリカの様子について説明しましょう」
「はい、」
「ええと...私の説明で、いいですか、竹内さん?」
「どうぞ。私は、あくまでも、現場の人間ですから、」
「それじゃ、コメントがありましたら、よろしく」
「はい、」竹内が、うなづいた。
「ええ...
アメリカでは、1960年代から70年代における原発の建設費用は、2億3100万
ドルぐらいだったと言われています。それから、一般的な原発の運転耐用年数は、
40年とされています。まあ、ちょうど今、当時建設されたものが、廃炉の時期にさし
かかっているわけですね。
これを、さらに20年延長を認めるというような話もあります。しかし、実際には、経
済的効果などから、それほどの延長は出来ないとも聞きます...まあ、ポンコツの
車を、部品交換をしながら、何時まで乗るかという決断に似ているといいます...」
「うーん...どうしてかしら?」夏美が聞いた。
「部品交換をしても、こんどはこっちの方のコストがかかり過ぎ、発電の方の採算が
取れなくなってしまうのです...やはり、設計寿命という壁があるわけです」
「うーん...はい、」夏美が、うなづいた。
「さて、問題は...これから、続々と解体が始まる原発ですが、その解体費用が当
初の予定よりも、大きく跳ね上がってしまっているということです。
参考文献のメーンヤンキー原発の場合、1972年から、1996年の末まで運転さ
れたわけですが、廃炉にかかる総費用は6億3500万ドルと見込まれています。む
ろん、メーンヤンキー原発の場合、可能な限り低レベル放射性廃棄物も除去すると
いうことですので、その費用も莫大なわけです。
ともかく、細かな数字よりも、廃炉には、莫大な費用がかかるということですね。建
設コストの2倍を超えています。この不要になった原発の、莫大な廃炉費用を、いっ
たい誰が負担するのかということです。むろん、これは、いずれ日本でも、問題になっ
て来る話です」
「うーん!」マチコが腕組みをした。「誰が負担するのかしら?」
「まあ、“電気量金”に加算されて、消費者が負担することになるでしょうね。少しづつ
積み上げていくことになるので、それほどの負担感は無いかも知れませんが...」
「そうですねえ...」竹内が、うなづいた。「まあ、そういう法案が、国会等で審議さ
れ、了承されての話でしょうが、」
「はい。そういうことになりますね。私は、法律的なことは、あまり詳しくは分りません
が、」
≪莫大な解体費用が負担できない場合、どうなるか?≫
「うーん...」マチコが言った。「発電所が古くなって、動かなくなって...それを壊す
のに、またお客さんからお金を取るというのは、おかしな話よね...」
「まあ、確かにそうです...」竹内が言った。「しかし、誰かがその費用を出さなけれ
ばならないわけです...」
「停止した発電所を、放って置いたらどうなるのかしら?」夏美が言った。「原子炉建
屋を密封して...古墳時代のお墓のように、高く盛土をして...そこに、竹を植えた
らどうかしら...高松塚古墳のように...」
「うーむ...」堀内が、首をひねり、竹内の方を見た。「どうなんでしょうか?素晴らし
いアイディアですが...」
「...」竹内も、腕組みをした。「実際に、有り得ない話じゃあないかも知れません。
それだけの経済力のない国が、そうした状況に陥れば、当然、放置するしかないで
しょう...問題は、安全性です」
「はい、」夏美がうなづいた。
「いずれにしても、」竹内が言った。「世界中の原発が、アメリカのメーンヤンキー原発
のように、理想的な形で処理されるということはないでしょう。事実、核戦略時代のロ
シアの原子力潜水艦も、ウラジオストック港に放置されている状況ですから...」
「はい、」堀内がうなづいた。「発電を終えた原子炉に、何百億円という大金をかけら
れる国というのは、そう多くはないでしょうね...しかし、放置しておくわけにも行か
ないでしょうし...どうなりますか...結局、国際機関が、何とかしなければならな
いのでしょうか?あの、大事故を起こしたチェルノブイリの原子炉は、今はどうなって
いるのでしょうか?」
「そうよね」マチコが言った。「多分、あのままになっているわけよね」
「うーん...」夏美が言った。
「21世紀の人類文明の形態が、」竹内が言った。「どのように変するかということも、
大きな要素になって来ると思います。高杉・塾長や堀内さんが主張しておられるよう
に、文明全体が、“地下都市にシフト”するようなら...様相は相当に変わって来る
かも知れません」
「うーん、どういうことかしら?」夏美が聞いた。
「はい...つまり、そういう状況なら、夏美さんの言うように、原子炉建屋を密封して
おけば、十分かも知れません。原発は、もともとがしっかりとした基盤の上に設置し
てあるものですから...」
「そうですねえ...」堀内が言った。「地上は、大自然の原野に返すわけですから、
そのぐらいのゆとりはあるでしょう。しかし、使用済み燃料等は、テロの核爆弾製造
に使われる恐れがあります。これに関しては、国連機関が、しっかりとチェックして行
く必要があるでしょうね...」
「うーん...」マチコがうなった。「人類文明の形態が、どう動いていくかが、問題なわ
けね...」
“地球連邦政府”の創設に向かって
「まあ...」堀内が言った。「どのような流れになるのかは、今後の文明全体の推移
によると思います。21世紀初頭から...恐らく、中ほど頃までは...人類にとって
大きな試練の時代になるのではないでしょうか...
もちろん、その後の状況というのは、その時代の総合的な風景と、その推移によ
るわけです。しかし、大局的な人類文明の流れとしては...うまくこの難関を切り抜
ければの話ですが...環境問題にも何とか対処し、太陽系空間にも進出し、発展
的な文明拡大の安定期が来る...と私は見ています。これは、かなり大きな安定期
になると思います」
「文明が、太陽系空間へ拡大していく中での、加速度的な安定ですか?」
「そうですね。そして、一方では、人類文明が地下都市へシフトしていくようであれ
ば、一部では原始の森が復活してきます。むろん、太陽の恵みを受ける農業は、広
く行われるわけですが、地球生態系も安定していくものと思います...
街や工場は、コンパクトに地下へシフトし、輸送交通路は船とチューブで連結し、
原始の森を復活させるべきです」
「しかし...」竹内が言った。「人口爆発のピークを、どのように乗り切るかです。人類
の人口が激減するような、巨大な危機がなければ、時間軸はもう少し伸びるのでは
ないでしょうか...」
「そこが、難しい所になりますね...
環境問題や、グローバル化の弊害なども含めて、人類の総意が試される時代
が、近々やって来ると、私は思っています。曲がりなりにも、“地球連邦政府”のよう
なものが出来れば、何とか乗り越えられると、私は見ているのすが...」
「“地球連邦政府”かあ...」マチコが、椅子の背に体をもたせかけた。「...そうす
れば、戦争はなくなるのかしら...」
「日本はさ、」夏美が言った。「昔は内戦がいっぱいあったけど...明治政府が出来
たら、そうした内戦は無くなったわけよね。戊辰戦争(
ぼしんせんそう/新政府軍と旧幕府側との戦
いの総称)や西南戦争(せいなんせんそう/明治10年の、西郷隆盛らの反乱)なんかはあったけど、それ
からは無くなったわけよ。1つの政府が出来れば、そうした紛争というのは、無くなる
のかしら?」
「そうです!」竹内が、強くうなづいた。
「アメリカや中国の歴史を見ても、そうです...」堀内も言った。「統一政府が出来れ
ば、内部紛争というものは、話し合いで調整されていくものです...
私は、そうした政治向きの話は、詳しくはないですが...もし、“地球連邦政府”
が出来れば、現在ある多くの問題が解決していくと思っています。世界中の環境問
題や、貧富の格差や、宗教紛争も...それから、飢餓や、バイオハザードや、天体
衝突などの危機管理の面でも...」
「何故かしら...」マチコが言った。「何故、それが、うまく行くと言えるのかしら?」
「何故、それが、うまく行くと言えるか、ですか...」堀内は、指で顎を撫でた。「ま
あ...実際に、日本も、中国も、アメリカも、内戦や宗教戦争、利害対立というもの
は、あまり表面化はしていないでしょう。少なくとも、武力紛争などにはなっていない
でしょう。それが、単一の政府機関の、調整能力なのです。
その昔は、その力の源泉は“軍事力”でした。しかし、国家や社会が安定してくれ
ば、その力は、“経済”や“文化”に移って行きます...日本は今、その経済も文化
も、少しおかしくなってきていますが...」
「民主主義社会においては、」竹内が言った。「その力は、主権者としての、市民の
総意になります」
「それじゃ...」マチコが言った。「どうして今まで、“地球連邦政府”が出来なかった
のかしら?そうすれば、原子力発電所や、核物質の管理なんかも、ずっと簡単だっ
たのに、」
「まあ、今までは、時期尚早だったということでしょう」堀内が言った。「しかし、21世
紀に入った今、まさに最優先で必要なのは、“地球連邦政府”なのかも知れませ
ん...
環境破壊、人口爆発、大飢餓、天体衝突...等々の、地球規模の危機管理が出
来るかどうかは、人類が“地球連邦政府”を持つことができるかどうかに、かかって来
るのではないでしょうか...」
「はい!」マチコが言った。
「まあ、その前段階になるのが、“国連軍の創設”だったわけです。これは、各国の寄
せ集め軍隊としての国連軍ではなく、国連指揮下の正真正銘の“国連軍”です。イス
ラエルやイラクやアフガンには、こうした“国連警察軍の駐留”がいいのです」
「はい...」マチコがうなづいた。「国連が、軍事力を持つわけですね?」
「まあ、そういうことですね...例えば、自衛隊1個師団を、予算、装備もろとも、国
連に預けてしまうということでいいわけです。もちろん、志願兵ということになるでしょ
うが、」
「うーん...」
「まあ、こうした軍事問題は、そっちの方を担当する、大川慶三郎さんに聞いてもらえ
ますかね、」
「あ、はい...」
「まあ、これから、」竹内が言った。「東南アジア、中国、インドなどが、急速に工業化
社会に突入して行きます。大量にエネルギーを消費し、かつ車社会が到来するわけ
です。したがって、こうした地域では、これから本格的な環境破壊が進行していくこと
になるわけです。
これは、原発でもそうなのですが、地球規模で、一元的に調整していくことが急務
になるでしょう。現在、イラク戦争の問題で、“国連の機能低下”が叫ばれています。
ここを、切り抜けていけるでしょうか?」
「逆転の発想になりますが...」堀内が、体を引いて言った。「壊れているのをバネ
にして、国際連合から、“地球連邦政府”の創設に向かって欲しいですね...
今、人類文明にとって、最も必要なのは、世界を1つにまとめる、“地球政府”な
のですから...」
「そうですね、」竹内が言った。「人類文明の英知を信じることにしましょう。先進国は
これまで、先に進んで来たということで、環境破壊などで、やりたい放題の事をやっ
てきたという観があります。そこを、これから工業化してくる国々と、どう折り合ってい
くかが、大きな問題になります。ともかく、環境技術の提供は、惜しまないことです。
戦略的に、開発途上国に引き渡していくことです」
「そうですね。環境破壊は、もう限界にきています。それから、人口も、先進国では
“少子化”で悩んでいますが、地球全体としては、まさに“人口爆発”が進行していま
す。この調整もうまくやらなければ、食糧問題や飢餓とからみ、大きな摩擦の火種に
なりかねません。“地球政府”のような超越的な機関が、的確な方針を示し、早急に
全体が納得するモデルを示すべきですね」
「やはり、“地球連邦政府”のような、人類文明全体を統括する機関が欲しいですね
え...」大竹が、天井を見上げた。
「はい!」堀内が、大きくうなづいた。「早急に、“地球連邦政府”の検討に、着手して
欲しいですね!すでに、“人類全体としての課題”、“地球全体としての課題”が、山
積しています。その“全体調整”を、早急に開始する必要があります!」
「はい!」夏美が言った。「ええ...“地球連邦政府”の創設にむかって、ということ
で、このページを終了したいと思います。
“地球連邦政府”の考察は、“人類文明の地下都市へのシフト”と、“原子力
船の考察”とともに、今後さらに発展させて行きたいと思います。どうぞ、今後の展
開に、ご期待ください!」
「よろしくね!」マチコが言った。「あ...ヘリコ君が帰ってきたようです...」
<ヘリコ君>
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