(1998. 8. 3)
“思念”というエネルギーから見た、この世界の解釈
(1)ある体験
これは、ある年の夏の終わり...おそらく、すでに秋の入り口に入った頃の出来
事でした。
私は、夜中に、蚊の羽音で目を覚ましました。もちろん、普通は蚊の羽音などで
目を覚ますことはありません。しかし、ここ数日、何度も蚊にたっぷりと血を吸われ
ていたので、だいぶ神経質になっていたのです。そこで私は、ベッドの枕元に、殺虫
スプレーを用意して眠っていたのでした。まあ、いってみれば、M−60機関銃を脇
に置いて、敵を待ち伏せながら仮眠していたようなものです。
さて、そこで、蚊の羽音を機敏に聞きつけたわけです。私は明りもつけずに、サッ
と殺虫スプレーを掴み取り、シューと一発くれてやりました。すると、その時でした。
蚊のびっくりとした意識が、はっきりと私に伝わってきました。一方、私も、その巨大
で強烈な蚊の意識にびっくりしました。それはまさに、はっきりとした人間なみの意
識でした。
蚊は、さらに、こう叫んだのでした。
「おい、よせ!バカ、やめろ!」
一方、私は戦闘態勢でした。普段は、仏教思想の影響から、無益な殺生は出来
るだけ避けています。しかし、ここ数日、蚊には堪忍袋の緒が切れ、“許さん”という
ことになっていたのです。そこで私は、躊躇なく蚊の羽音を追いつめ、
「ダメだ、許さん!」
と、心の中で言いました。そして間髪を入れず、羽音のする壁の方へ、シューと長く
吹きつけました。すると、そこで蚊の意識は何もなくなりました。それから、いくらそ
の周囲の暗闇に意識を集中してみても、もはや思念の痕跡すらも残っていませんで
した。
(2)
これは一体何だったのでしょうか...
実は、私は以前にも、何度かこうしたことを経験していました。それでこの時も、
躊躇はしませんでした。しかし、これほどはっきりとした巨大な意識とぶつかったの
は、この時が初めてでした。
さて、これは私にとっては紛れもない事実です...
そこで...あの小さな蚊に、このような巨大な意識が宿るものなのでしょうか。し
かも、その意識は、私の心と激しく対話したのです。確かに、彼らもDNA生物体で
あり、生きているという意味においては対等です。
( 生態系や生命圏、“36億年の彼”という立場から見れば、私もその蚊も、他の全有機物や全無
機物も、不可分のものです。さらに言えば、それは宇宙とも不可分であり、“この世”とも不可分な、
唯一絶対的な心なのです。つまり、リアリティーは、不可分な連続体だということです。)
それにしても、この事実をどう解釈したらいいのでしょうか。この真夜中の小さな
出来事から、改めて“この世”の時空構造解というというものを探ってみます。これ
は、このホームページの基本テーマのひとつです。
そこでまず、あの蚊に、人間のような巨大な意識が存在したという事実はどう説
明したらいいでしょうか。霊魂のような、未知の現象が顕在化していたのでしょう
か...しかし、その時、まず私の頭にピンと来たのは、“輪廻転生”(りんねてんせい)でし
た。
( “輪廻” とは仏教でいう、衆生が三界六道に迷いの生死を重ね、留まることのないことです。そ
の生きているときの行いによっては、動物や虫に生まれ変ることもあるとされているようです。)
あの蚊が、輪廻している人間の姿だとしたら、何となく納得できる気がします。し
かもあの会話からして、私に極めて近い人だったのかもしれません。
その昔、こうした体験の積み重ねから、輪廻の思想が生まれてきたのでしょうか。
無論、こうして蓄積されてきた直観力の領域には、雑然とした真理がぎっしりと詰ま
っています。あるいは、間違ったり、ストーリイが捻じ曲がったりしている部分もある
かもしれませんが、貴重な文明の結晶体です。
しかし、私は輪廻については詳しくはありません。それについては、その方の専
門書をお読みください。ここでは、既成の科学や宗教を離れて、私独自の考察を試
みます。
(3) 考察
あの蚊に宿っていたのは、一体なんだったのでしょうか...
精霊は、道祖神に宿り、祠や大きな樹木にも宿ると聞きます。また、霊廟があり、
霊山があります。
さて、この世界は、私たち人間の五感を超えたところで、相当に複雑な背景が展
開しているようです。それを、私の“思念エネルギーの蓄積”という概念から、ほんの
少し垣間見てみようと思います。
(かなり長くなってしまいました。8月3日分はここまでとし、すぐに続きを書きます。)
(1999.3.31.)
私は上記に、“思念エネルギーの蓄積”という言葉を書きました。しかし、ご存知
のように、思念や精神、あるいは認識や情報というものは、エネルギーの形態とし
ては観測されてはいません。我々人類文明は、現在の膨大な情報文化社会を創出
していますが、その本質の創造的部分は、科学的には説明されていないのです。
“思念エネルギーの蓄積”という概念は、こうした風景に対する一つの仮説を試み
るものです。
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