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両国橋


両国橋の名は、武蔵と下総との二国を結ぶ橋
であるところからこう呼ばれたが、正式の名は、
ただ「大橋」であった。しかし新大橋など
も造られたため、両国橋が正式の名となった。








江戸一の大火である明暦の振袖火事(1657年)
では、橋がなくて逃げられずに、多数の死者が
出た。そのため、大火のあとこの橋が架けられた。
回向院は、その人々を弔うために建てられた。
のちに勧進相撲がもよおされるようになったの
である。






この橋が架かったため、本所・深川が江戸の
新市街として発展することとなった。
橋詰の両側は、賑やかな遊び場所としても開けた。
幕末からは、川開きの花火もあって江戸の
市民には喜ばれた。
現在の橋は、昭和7年(1932年)に完成した。






ガードレールには、両国らしく、花火と相撲の
軍配をモチーフにしている。
ただし、花火大会は、中断の時代があったが、
隅田川の花火大会として場所が上流の吾妻橋、
桜橋周辺に移っている。






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