三囲神社
昔、荒れた本神社を建て替える際に、出土した神様の像があって、ある時白い狐さんが三回像の周りをめぐったことが名称のわけらしい。
隅田川七福神の神社で、大國神と恵比寿神が祀られている。
三囲神社正面
三囲神社、銀杏落葉の絨毯
三囲神社、鳥居
三囲神社、右手より
狛犬も居るがきつねも居るのが見える。
三囲神社、由緒
三囲神社 由緒 の 石碑 より 全文引用
(なお、旧漢字は新漢字でほとんど表している)
由緒
一 東京市本所區向島二丁目七番地 鎮座
一 村社 三囲神社
一 御祭神 宇迦能魂命
一 御祭日 例祭 四月九日
三井總元方 三井銀行 三井物産株式会社 三井鉱山株式会社 株式会社三越
右元方始め各株式会社交替に正五九の小祭を受持ち昔の例の儘に祭祀を執り行ふ
当社の草創は実に壹千餘年前には隅田川築堤に際し旧社地より約南二丁の現地に移さる
霊験妙なるが中にも元禄六年六月の大旱魃の時俳聖其角献句雨乞によりて霊験立ちどころに顕れ翌日大雨あり之より御神徳天下に普く特に京都の巨商三井家江戸
に進出するや三囲大神の信仰厚く当家の守護神と仰ぎ享保元年三井高治三井高久三井高房相議りて神祇の司職吉田家に神位を乞請け捧け奉り又享保十二年五月に
は従二位卜部朝臣兼敬に請ひて更に霊璽を当社に遷し鎮め奉り田地を捧げ社地を拡張し神殿瑞垣を改築せり
爾来二百餘年子孫代々祖先の志を継ぎ敬神以て今日に至る迄昔の隋々に当社の維持経営に努め又三囲講を創設して祭祀に力を致す
境内末社多く中にも大国神恵比寿神は隅田川七福神の一として其名高く額殿に奉掲せる額は三井家に関係のもの大部を占め又樹間に?綴せる諸名家の碑石は其の
数多く興趣掬すべし
昭和十七年一月二十五日
三囲神社、きつね像。
本殿に向かって右側のおきつねさんは口が開いている。
三囲神社、きつね像のお
顔。
普通のおきつねさんと違って目が細くて釣り上がっていない。
微笑んでいる。
三囲神社、左側のきつね像
のお顔
口は開いていない。
やはり微笑んでいる。
宝井其角「ゆうたちや」の
句碑(雨乞いの碑)
以下、案内板より。
この碑は安永六年(一七七七)に建立されたものが摩滅したので、明治六年(一八七三)に再建されたものです。
宝井其角「ゆうたちや」句
碑(雨乞いの碑)の案内板
以下、案内板より、全文引用
墨田区登録文化財
宝井其角「ゆうたちや」の句碑(雨乞の碑)
所在 墨田区向島二丁目五番十七号 三囲神社内
元禄六年(一六九三)は大変な干ばつで、秋の収穫を心配して困りきった小梅村の人々は三囲神社に集まり、鉦や太鼓を打ち雨乞いをしていました。ちょうど
三囲神社に詣でた俳人其角が、このありさまをみて、能因法師などの雨乞の故事にならい「遊ふた地や田を見めぐりの神ならば」と詠んだのです。この話は其角
自選句集の『五元集』にも「うたえば翌日雨降る」と記されているように、早速効果があったと伝えられています。
其角は寛文元年(一六六一)江戸に生まれ、姓を榎本、のちに宝井と称し、芭蕉門下第一の高弟として知られ、とくに洒落風の句を得意としました。この碑は
安永六年(一七七七)に建立されたものが摩滅したので、明治六年(一八七三)に再建されたものです。
平成十八年十二月
墨田区教育委員会
池袋三越のライオン像
ほんとうに、池袋三越さんに設置されていたライオン君を移設したらしい。
びっくり!!
三井や三越と関係がある神社だそうです。由緒書きにも記載があります。
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