大阪-名古屋その3
(京都まで)

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 加茂でもコーヒーを求めて外に出る。。。何だか肩が軽いなあ。あっ!カバンを忘れた。この日の私はリュックサックの他に大きなショルダーバッグを持っていた。網棚にのせたまま下車してしまったのだ。慌てて列車に引き返すも、すでになく、回収された模様。改札に行くと、奥の方にあった。中身を改めようとしている。「それは僕のです」と主張し、帰ってきた。すぐに気付いて良かった。カバンが2つあると忘れやすい。加茂駅前にもコーヒーを飲めそうな店はなく、電車に乗り先を急ぐ。関西本線の続き、大和路快速・大阪行きである。関西本線の終点は、路線図を見ると大阪環状線の内側に少し食い込んだJR難波である。しかし、大和路快速は殆ど全て大阪行きとなっている。JR難波には入らずに大阪環状線をぐるっと半周し、大阪まで行く。普通はほとんどがJR難波行きであった。
 転換式クロスシートに座る。しかし、加茂を出た後はすぐに混み始め、立ち客で一杯になった。久宝寺以西は大阪時代に乗車済み。なんとなく見覚えのある光景だった。大阪で下車すると、「この電車は各駅停車天王寺行きです」とのこと。このまま大阪環状線を更に半周するのだった。初めから「天王寺行き」とすると天王寺止まりと紛らわしいのでこうしているのだろう。なお、JR難波-今宮間は大阪時代に乗車済みなので、これにて関西本線完乗となった。
 まだ11時。本日宿泊するのはここ梅田であるが、まだホテルにチェックインはできない。荷物をコインロッカーに預ける。阪神百貨店でぶらぶらし、御堂筋線で本町へ。最初のアポ、昔の先輩と会った。昔H社時代に一緒に客先回りをした際に行ったのと同じ中華屋で昼食。先月H社を訪問した事を告げると「お前、よう行ったな〜」と感心(呆れ?)られた。確かにそれが普通の感覚だ。自分でさえ、よく言った物だと思っている。
 話は主に昔の仲間の消息、お互いの近況、私の仕事内容、業界の最近の情勢。そして、先輩の勤め先(H社の同業者、外資系)の事情を色々教えていただいた。同業とはいえ、大阪コテコテの会社と、アメリカのビジネスライクな会社とでは全くの別世界の様だ。H社とは違う意味で大変厳しい世界の様だ。実はこの時期、自分の仕事に関して色々迷い(大阪時代みたいに「辞めたい」と思うような深刻な物ではない。ちょっとしたモヤモヤの様な物)があったのだが、何というか、自分の職業観を少し明確にする事ができた。非常に貴重な体験であった。勇気を出して(?)連絡をして良かった。
 先輩と別れ、次の目的地は京都である。大阪駅で14:30の電車に乗れば良いが、まだ14時前。大阪駅まで歩くことにした。公務員予備校のEYE!(なぜかビックリマークが付く)を通り過ぎる。忘れもしない99年10月1日、最終合格していたが「内定は出せない」という通知が来た。「採用は辞退者がどの位出るかによるため、確約できない、そのつもりで就職活動をするように」というもの。合格順位が低かったから。順位が上の方だった人には同じこの日に内定通知が届いていたのである。ビリギリギリで受かるとこういうことになる。諦めきれず、再チャレンジの為にこのEYE!に申し込んだのである。再チャレンジのためのリベンジクラスというのがあっのが、選んだ理由。今では珍しくないが、当時は私が調べた限り再受験向けのコースがあるのはアイ(変換が面倒になった)だけだった。土日の生講義というのが良かった。他の予備校では生講義は平日の夜ばかりだった(公務員試験講座は受講生が殆ど大学生だから)ので、ビデオばかり見ていて生講義に憧れていた私にはちょうど良かった。ちなみに、土日講義というのは社会人受講生のためという事もあるが、教室の有効利用という側面もある。どうせ教室を自習室として開放するくらいなら、授業をして儲けてしまえ、ということだと想像する。
 アイに通って数カ月経ち、先生に質問が出来たり、休憩時間に受験仲間と話をできたり、「やっぱり生講義は良いなあ」と思った次第。現在私が生講義受講に強く拘るのはこの時の経験があるからだ。年が明け、00年の1月、会社から帰ると人事から折り返し連絡下さいと留守電があった。折り返すと「内定を出せることになったが、今からでも来る意思はありますか?」と聞かれ、「はっはい!」と答えた次第。実は、この数日前にH社の上司に「勉強に専念したいので退社したい」旨を伝えたばかりだった。アイに行って仲間に挨拶しようかと迷ったが、それは還って失礼であると判断し、それ以来結局行かなかった。
 当時の受験仲間がいるはずもないが、受付の事務員や、先生とは会えるかも知れない・・・と少し思ったが、もう私の事など覚えていないだろうし、やめにした。吉野屋があった。アイで受講後ここで夕食を食べたが、私は当時松屋(食券制)にすごい頻度で通っていたため、考え事をしていたので無意識に(前払い制の)松屋と勘違いし、料金を払わずに出てきてしまった。考え事をしながら歩いていると、後ろから店員が追いかけてくる。「すいませーん、代金を・・・」無茶苦茶恥ずかしかった。店外で払うことは出来ないようで、店に戻って払った。ちゃんと謝ったし、向こうも怒ることもなく「こちらこそすみません」と言ってはくれたが、それ以来その吉野屋には行けなくなってしまった。
 ・・・と、歩いていると色々な事を思い出す。時間旅行というと大げさだが、当時の映像が蘇る。大阪旅行の楽しみの1つである。
先輩の結婚式の二次会をした店なんかもあった。交通事故で入院していた別の先輩がタクシーで駆けつけたのだった・・・などど回想しながら、ひたすら歩いて大阪駅に着いた。
 14:30大阪発、長浜行き東海道本線の新快速。混んでいたが、なんとか座れた。私は大阪時代、訳あって私鉄にばかり乗り、JRにはあまり乗らなかった。だから、JR西日本自慢の新快速もほぼ初体験。おお、さすが。速い速い。複々線のため、走行中の普通を抜くので気分が良い。これじゃ、確かに複線の私鉄各社がいくら頑張っても敵わないわけだ。。。14:57京都着。山陰本線に乗り換え。快速園部行き。15:16嵯峨嵐山で下車。ここへ来たのは、嵯峨野観光線に乗るためである。
 15:28トロッコ嵐山駅。両駅はすぐそば。嵯峨野観光線は全車指定なので、東京で指定券を押さえておいた。でも、平日のせいか、当日券でも十分乗れた。ここトロッコ嵐山駅で、待望のコーヒーを飲むことができた。とはいえ、ゆっくり飲む時間はなく、テイクアウトにして車内で飲むことにした。
 車内は、知的障害の方のグループがいた。引率の人もいて、多分施設の行事だろう。発車と同時に空席に移動。初めは山陰本線を走るが、すぐに嵯峨野観光線に入る。有名な話だが、この嵯峨野観光線が元々山陰本線だった。トンネルを掘って新しい線路ができ、旧線は廃止されるべきところ、観光路線として生き残った。だから、嵯峨野観光線を「旧線」、山陰本線を「新線」と呼んだりする。当然トンネルばかりの新線より、旧線の方が景色はよい。
 車内は「名物車掌」みたいな人が関西弁で笑わせながらアナウンスして歩く。これもサービスなのだが、独り身には少々五月蠅い。こういう「いかにも」な観光地は仲間と来たい物だ、と思った。客車列車なので、発車停車時にガタンと大きく揺れる。しまった!なんと、車体の揺れでコーヒーがひっくり返り、こぼしてしまった。あーあ、折角買ったのに・・・。ティッシュペーパーで必死に床を拭く。景色を見たいのに・・・。
 保津峡のあたりは景色が特に良い。保津峡下りをしている人々がいた。行きはトロッコ列車、帰りは船(保津峡下り)で来るのがお勧めだそうで。しかし、その船が最終便とのことで、この列車からは乗り継げない。15:51終点トロッコ亀岡着。ここから山陰本線馬堀駅まで10分ほどかけて歩く。京都経由で大阪に戻るだけだが、ここ馬堀は快速が通過する。次の京都行き普通は後からの快速に抜かれる。そのため、一度亀岡まで行き、京都行きの快速に乗り換えてきた。私は今回の旅行では時刻表を持っていなかった。鉄道旅行には時刻表はつきものだが、今回はちょうど旅行の途中にダイヤ改正があり、2冊持ち歩くのもナンなので、持たない事にした。だから、これは駅の時刻表から類推した上での行動であった。

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