第9話 ー金井菜々という人 その2ー
 文化祭の事について部員達はそれぞれ話し合ってやる事を固めていった。ブラスバンド活動をする組は校内の体育館でコンサートをブラスバンド部と共演し、他のグループはそのコンサートで独自に参加して場を盛り上げようという事になっている。僕らはキャンパスの中心にある公園で野外コンサートという形で演奏する事が決めて、海岸通りのカフェのスタジオで練習を始めた。この調子なら文化祭までには余裕を持って間に合うだろうと誰もが思った。夏のイベントの成功を経て、僕らは自身を持って楽しく練習し思いきって演奏していた。
 その練習から4日後、いつもの通り授業を終え、近くの停留所からバスに乗り紗峨野駅へ。家で料理を作る事が自然と日課になっているので今日も食材を求めて近くのスーパーに。一人だと私生活の自己管理がおろそかになりがちだから、せめて栄養バランスのとれた食材を考えて購入しているだけでも平凡な毎日の繰り返しの学生生活には刺激になると考えている。
「こんなものかな」カゴに必要なものをつめてレジへ向かう。支払いの後、袋に物を詰め込んで家へと帰ろうとした時、一人の女性に声をかけられた。
「あなた、三嶋君?」
「ええ、そうですけど」全く知らない人に声をかけられ戸惑ってしまった。
「見た事ない人だな、なんで俺の名前を?」僕は微笑みを浮かべる彼女の事をみて誰なのか考えてみたがわからなかった。
「金井菜々の姉の佐知子といいます、いつも妹がお世話になって。あなたがいろいろ話をしてくれたのが嬉しいらしくて明るい表情をよく見せてるの」金井佐知子は僕らとは別の大学で、金井菜々と同じ音楽科に在籍していて『声楽』について学んで実践もこなしているそうだ。その事を知った時に僕はこの姉妹が音楽という一つの目的に向かって自分のやりたい事を成し遂げようとしていると思った。
「そうですか、そう思ってくれるのは嬉しいですね」彼女とは少し話しをしたくらいでそこまで彼女が喜んでいるとは夢にも思わなかった、この人はずいぶん大袈裟な事をいっているなとその時は思った。
「これから帰るの? 少し色々と話がしたいんだけど時間はある?」
「ええ、構いませんけど・・・」僕は断る理由がなく彼女と話をする事になった。両手に袋を持って駅の近くのカフェへ、窓際の席に座って持っていた袋を席の隣に置きコーヒーを頼んだ。
「あの、僕に何か・・・」
「あの子、なんだか最近笑顔が多くなって来てね、それで色々話を聞いてみたら大学でバンドの仲間が出来てから話をする事が少し楽しくなってきたって言っていたの」
「笑顔が多くなったって・・・、それじゃあ昔はそういう感じではなかったんですか?」僕は何故彼女が不思議なくらいおとなしかったのか、人生の中で何かがあってそうなったのではと思い、失礼ながら訪ねてみた。
「妹が中学生の頃に私達の両親が交通事故にあって死んでしまった時、その辛さから心を閉じ込めてふさぎ込んでいった。なかなか立ち直れなくて・・・」
「そんなことがあったのか、それで」その悲しくつらい出来事が彼女にとって大きな衝撃である事は確かな事だった。両親の事故が彼女にとってどんなに絶望的であり、親の愛情もまだ受け終わらないうちに永遠に別れなければならない事は言葉では言い表せない程たえきれる物ではない。僕にはまだ両親がいる、でもこの姉妹にはもう・・・。彼女も相当辛い思いをしてきたはずなのにと考えるとこの事を嫌な思いをしながらも話させてしまったのではないかと罪深く感じていた。
「あなたがあの子に声をかけてくれてから、妹は自分に自信を取り戻して心を開ける様なった。バンドをとおして仲間が出来た事で妹に勇気づけてくれた事を感謝してます」彼女は心のそこから感謝して僕にそういった。
「感謝だなんて、僕はそこまでのことはしていないんです。結局最後は彼女が自分自身で辛い事に立ち向かって行かないといけないですし、彼女を助ける事なんて出来ませんよ。今こうしてバンドをみんなとやっていることで自身を取り戻していったんじゃないかって思いますよ、僕は。でも正直言ってここまで人から感謝された事なんてなかったんで少し恥ずかしい・・・」僕はかなり感謝されて照れくさかった。
「私からのお願い。これからも・・・、これからもずっと妹を見守って欲しい」彼女は僕をじっと見つめそう懇願した。
「ええもちろんですよ、僕にとっても大事な仲間ですから。どこまでできるかなんてわからないですけどね」
「そう言ってくれるだけでもうれしい、ありがとう」彼女に笑顔が見えた。常に金井菜々のことを気にかけて、少しでも妹の今の心情を理解していこうとする姉の気持が見えたような気がした。
 こうした話を1時間程して僕らはカフェを後にした。 彼女が過去の出来事から自分を追い詰めていた事をはっきりと理解することで彼女のいろんなことを知ることできたのは自分にとって貴重な出来事となった。
「彼女の過去・・・、もし俺の両親もそうなったらふさぎ込むだろうな。その事実に目を背けて」僕はとても他人事に思えなかった、なぜかそう思えなかった。
 佐知子はその話の後、妹の菜々と同居するマンションへ帰って行った。帰りの坂道から夕暮れの海を見ながら彼女は今日の出来事を心に強く受け止めていた。
「彼、妹の恩人ね」
この姉妹は少しながら両親との悲しい別れからの過酷な時間を通り越えていくまだ始まりにすぎない。今後この3人は長い時間をかけて様々な出来事に出会い、絆を深めて行く。
 「お帰り、ねえさん」 金井菜々が明るく彼女を玄関で迎えた。姉がみた久しぶりの妹の笑顔がそこにあった。