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プロフィール2:『七人の侍』まで |
1943年 | 昭18 | 33歳 | 3月25日、初監督作品「姿三四郎」公開。 6月、脚本「敵中横断三百里」が「映画評論」に掲載。 |
1944年 | 昭19 | 34歳 | 脚本「土俵祭」丸根賛太郎監督(大映)封切。 脚本「じゃじゃ馬物語」を執筆。 4月13日、「一番美しく」公開。 |
1945年 | 昭20 | 35歳 | 1月、脚本「天晴れ一心太助」佐伯清監督(東宝)封切。 5月3日、「続姿三四郎」公開。 5月21日、加藤喜代(矢口陽子)と結婚。 世田谷区砧へ転居。 脚本「どっこいこの槍」が馬不足のために製作中止となる。 8月、原爆投下、終戦。 終戦前後に撮影していた「虎の尾を踏む男達」がG・H・Qにより公開禁止となる。 12月、戯曲「喋る」(新世新派)が上演。 12月20日、長男・久雄誕生。 |
1946年 | 昭21 | 36歳 | 3月、第一次東宝争議。 5月2日、「明日を創る人々」公開。山本嘉次郎、関川秀雄との共同監督で、後に自作リストより外す。 10月29日、「わが青春に悔なし」公開。 |
1947年 | 昭22 | 37歳 | 3月、脚本「四つの恋の物語・初恋」豊田四郎監督(東宝)封切。 7月1日、「素晴らしき日曜日」公開。 8月、脚本「銀嶺の果て」谷口千吉監督(東宝)封切。黒澤が編集を行う。三船敏郎のデビュー作。 |
1948年 | 昭23 | 38歳 | 2月8日、父・勇死去。享年83歳。 3月、映画芸術協会が山本嘉次郎等により結成されて参加する。 4月27日、「酔いどれ天使」公開。 8月、脚本「肖像」木下恵介監督(松竹)封切。 |
1949年 | 昭24 | 39歳 | 3月、脚本「地獄の貴婦人」小田基義監督(東宝)封切。 3月13日、「静かなる決闘」公開。 7月、脚本「ジャコ万と鉄」谷口千吉監督(東宝)公開。 10月17日、「野良犬」公開。 |
1950年 | 昭25 | 40歳 | 1月、脚本「暁の脱走」谷口千吉監督(映画芸術協会/新東宝)封切。 4月30日、「醜聞」公開。 8月、脚本「ジルバの鉄」小杉勇監督(東映)封切。脚本「殺陣師段平」マキノ雅弘監督(東映)封切。 8月26日、「羅生門」公開。 |
1951年 | 昭26 | 41歳 | 1月、脚本「愛と憎しみの彼方へ」谷口千吉監督(映画芸術協会/東宝)封切。 5月23日、「白痴」公開。 脚本「棺桶丸の船長」を執筆。 6月、脚本「獣の宿」大曽根辰夫監督(松竹)封切。 9月10日、「羅生門」がヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。 12月26日、「羅生門」がRKO配給により、ニューヨークで公開される。 |
1952年 | 昭27 | 42歳 | 1月、北多摩郡狛江村和泉2088番地(現在の東京都狛江市)へ転居。 脚本「決闘鍵屋の辻」森一生監督(東宝)封切。 3月21日、「羅生門」が第24回アカデミー賞特別賞(最優秀外国語映画)を受賞。 4月24日、「虎の尾を踏む男達」公開。 5月、脚本「戦国無頼」稲垣浩監督(東宝)封切。 10月9日、「生きる」公開。 11月4日、母・シマ死去。享年82歳。 |
1953年 | 昭28 | 43歳 | 1月、脚本「吹けよ春風」谷口千吉監督(東宝)封切。 |
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