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追悼:黒澤明
AK News -黒澤監督:追悼版-<その3>

●黒澤監督に 国民栄誉賞。
政府は7日、『羅生門』『七人の侍』『影武者』など映画史に残る数多くの名作や話題作を発表し、6日死去した映画監督の故黒澤明氏に国民栄誉賞を贈る方向で検討するよう事務当局に指示した。野中広務官房長官が同日午前の記者会見で明らかにした。
故黒澤氏への国民栄誉賞は、小渕恵三首相が同日午前、野中長官に対し事務方への検討を指示。政府は故黒澤監督の遺族に意向を聞いた上で正式決定する方針。受賞が決まれば、今年7月に作曲家の故吉田正氏に贈って以来14人目で、映画監督、また文化勲章受賞者では初めて。
会見の中で、野中長官は「黒澤作品は世界で非常に高い評価を受け、日本映画の評価を高めた。敗戦後の日本に自信を与え、日本映画界の巨匠。広く国民に敬愛され、明るい希望を与えることに顕著な実績があった」などと故黒澤監督の業績をたたえた。
国民栄誉賞は「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった人の栄誉をたたえる」のが目的。1977年8月、福田内閣の時に創設された。受賞第一号はホームランの新記録を達成した巨人軍の王貞治選手(当時)。スポーツ界や歌謡界などを中心に授与されており、映画監督の故黒澤明氏の受賞が正式に決まれば14人目となる。映画界では俳優の長谷川 一夫、渥美清両氏(ともに故人) に贈られているが、映画監督の受賞は初めて。

●黒澤監督の国民栄誉賞受賞決定。
政府は9日、映画監督の故黒澤明氏に国民栄誉賞を授与することを正式に決めた。 野中広務官房長官が同日午前の会見で、「ご遺族からの了承があり、小渕首相に報告し、直ちに事務手続きを始めるよう指示した」と述べ、政府として近く同賞を贈ることを明らかにした。授与式には3週間ほど準備が必要だという。

●多くの映画関係者から悲しみの声。
『七人の侍』に通行人役で出演後『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』に出演。『影武者』『乱』では主役を演じた俳優、仲代達矢さんは「訃報を聞いて、愕然としています。精神的にも肉体的にもすごく強い人だったから、黒澤さんだけは不死身だという気持ちがあったんですよ。最近はぼくの身の回りにもいろんなことがあって、3年前の黒澤さんの誕生会でお会いしたのが最後になってしまいました。『また、おもしろい仕事をやろうね』と言っておられたのに…。ある意味でシャイな人だから、自分にすら妥協しない仕事の仕方や生きる姿から、計り知れない影響を受けました。本当の意味で映画作家であり、芸術家だった。人生の生きる教科書だったんだなあと思いますね。世界のクロサワのすごさは、外国の映画祭に行ったときに痛感しました。監督の顔を一目見るために、世界中の映画人が集まって来るんですよ。日本人の誇るべき世界の宝だった。作りたい映画を自由にいっぱい作らせてあげたかった。本当に残念です」と語った。
また「僕が27歳のときの『用心棒』から、51歳の『乱』まで、先生とは長いお付き合いでした。一緒に仕事をしていて感じたのは、芸術家としての自分のイメージに対して決して妥協をしない、精神的にも肉体的にも強い人だったということですね。それほど強い人がやっぱり死ぬんだということを知った今、人生のむなしさを感じます。ロケでは出演者、スタッフ全員を集めて大宴会をやるのですが、皆にいいものを食べさせる。『影武者』では何100人もの馬の乗り手全員に握手をして「ありがとう」と一人ひとりに言っていました。厳格なイメージとは別に、そんな人間的にやさしい面も持った人でした」とも語った。

●『七人の侍』に出演した女優、津島恵子さんは、「背が高くて、いつも穏やかに話されるやさしい監督さんでした。怒鳴られたことは全然ありませんでした。お酒がお好きで、ロケの後にはよくスタッフと飲んでいたことを覚えています。急なことでびっくりしています」と語った。

●『羅生門』と『用心棒』で撮影を担当、また黒澤監督が出演したサントリーのCMの撮影も務めたこちらも世界的な映画キャメラマン宮川一夫氏、「黒澤監督の訃報を聞き、大変驚いております。もう一度お会いして、映画のことなどお話ししたかったのに、残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします」

●『どですかでん』に出演後『乱』から『まあだだよ』まで晩年の黒澤作品に連続出演した俳優、井川比佐志氏は、「根っからの映画人で、話の99%は映画についてでした。最後の撮影のとき、『明日から、この人物たちとも会えなくなるんだな』って寂しそうな顔でポツリと話していた姿が思いだされます。俳優たちは会おうと思えばいつでもまた会えますが、作品中の主人公たちには撮影が終わればもう会えませんからね。そのくらい映画が好きな方でしたよ。世の中のあらゆる悪を憎む正義感の強い、少年のようなピュアな心をいつも持っていました。『親切過ぎてか、ついあれこれ言ってしまうよ』と言いながら、俳優さんたちに懇切ていねいに説明していました」と話した。

●映画監督の熊井啓氏、「日本で数少ない世界に通用する文化人を失い残念だ。戦意高揚の作品ばかりだった昭和18年、当時中学生だった私は、黒澤監督の最初の作品『姿三四郎』を見た。戦争中、唯一、痛快で内容に深みのある作品で、まさに映画なんだという強烈な印象を受けた。その後も作品は封切りのたびにすべて見た。監督になるきっかけも新鮮でエネルギッシュな黒澤監督の作品だった。最後にお会いしたのは『まあだだよ』のパーティー。話題は映画に始まり映画に終わり、映画と同じように非常に描写が細かく、具体的に話をされたのが昨日のことのようだ」

●『どん底』をはじめ『赤ひげ』など黒澤作品に多数出演し、最後の作品『まあだだよ』にも出演した女優の香川京子さんは、「昨年12月に亡くなった三船敏郎さんの葬儀で、黒澤さんのお嬢さんから、相変わらずお元気でお酒も召し上がっているとうかがっていたので、びっくりしました。最初に出演させていただいた『どん底』の役が非常に好きでした。最後の『まあだだよ』に出られたのが、何と言っていいのか…、良かったと思う半面、残念です。とにかく私は黒澤さんの映画に参加させていただき、自分の役を一生懸命演じてきただけ。あれだけの作品をつくられてきた偉大さをいつも感じていました。笑顔のすてきな方でしたが、いったん現場に入ると厳しい方で、リハーサルをとても大事にされていました」と語った。

●都内の大手書店では黒澤明監督の死去を受け、早くも追悼コーナーを設置。
紀伊国屋書店新宿本店(東京・新宿)では7日午前、自伝『蝦蟇の油』など黒澤監督の著書、監督に関する書物計50点余りを出版社に発注した。通常は黒澤監督に関する書物は1、2冊程度しか置いていないが、6日午後に客が殺到、あっという間に売れたという。「6日のお客さまの動きが予想以上だったため、黒澤監督関連の本を急遽大量に発注した」と女性社員。入荷次第、5階の芸術書コーナーに特設コーナーを設けるという。
三省堂書店神田本店(東京・神田)では7日午前、1階に追悼コーナーを設けた。ただ、黒澤監督の著作は6日のうちに売り切れたため、『生きる』や『七人の侍』など映画作品のビデオを流すとともに、ビデオテープを販売している。
八重洲ブックセンター(東京・中央区)では「巨星逝く 黒澤明」と書かれた小さな丸い看板を掲示し、黒澤コーナーを作った。同店ではたまたま先月下旬から今月19日まで、4階売場にて「シネマの世紀」と題した映画フェアを開催中。もともと人気が高い黒澤映画関連書籍をフェアのメインにしていた。
またレンタルビデオ店での動きも活発化。「TSUTAYA」の名称で全国に約950店舗を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(本社・大阪市)では、都内にフランチャイズを含め約60ある各店舗に、6日夜から「黒澤作品は借りられますか」などの問い合わせが増えている。黒澤作品の在庫が100本以上そろっている新宿店では「まだ混雑するほどではないが、死去のニュースが広がった夜になって、ふだんより貸し出しが増えてきた」としている。同社広報部では「黒澤作品は普段から人気が高く、(死去で)さらに拍車をかけることになるだろう。お客さまの動きは今日から本格化するのでは。既にほとんど貸し出し中の店も出ている」と話している。また近日中に、全国950店舗で追悼コーナーを設ける予定だが、すでに独自にコーナーを特設した店もあるという。


 
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