初秋の候、お元気でいらっしゃいますか? 8月には、かつで、NHK合唱コンクールの全国制覇も果した洛東高校コーラス部の林浅子先生の七回忌追悼コンサートに向け、日曜毎に練習2回、本番は京都コンサートホール(急きょ、大ホールに変更)で、90余名のO.B.と共に、「流浪の民」「ハレルヤ」「森の歌」「秋の女」など13曲を30余年ぶりに合唱しました。
話題の仙台の創作オペラ「遠い帆」の東京公演を観たり、また、敬愛する村崎芙蓉子さんに誘われチョッと加わることになった神楽坂女声合唱団(ディナーショー12/19のご案内は後日、改めて)の月2回の練習も7月から始まっていて、なんだか久し振りにコーラスの魅力に引き戻された夏でした。
今号では、「悲劇喜劇」誌に掲載したロシア演劇についてのエッセー第二弾をお伝えする予定でしたが、大事件つづきのロシア(知り合いのロシア人は「暗黒の8月」と嘆息してた)について報道が錯綜していますので、予定を変え、裏面で少し整理してみました。
新春恒例の日比谷シャンテ・サロン・コンサートが、皆様のお蔭で、来年も1月19日(金)に決定しました。嬉しい! どうぞ予定に入れておいて下さいますよう、お願い申し上げます。
少し乱暴に今日(こんにち)のロシアと言えば----「財政難でメンテナンスのなってないオンボロ・ハード。粗末ともいえる物資と大多数の低額所得。チミモウリョウの政・財界。伸びやかな個人生活と感情。豊かな芸術性…」
特に、芸術分野の揺るぎなさが、徐々にではあっても変わり得るロシアを押し上げる良心の役割を果たしています。
今秋日本公演する「ユーゴ・ザーパド劇場」のチケット売行きが、8月の事件連続の悪影響で鈍っているそうです。同級生の堀江新二さん(現・大阪外大助教授)と永らく親交のある同劇場。若者に受けのいい「やんちゃ坊主的」なイキのいい芝居の招へいはソ連時代には望み得なかったこと。多様な可能性を断たないよう、どうぞ、お運び下さいますよう!。
東京公演はAプロ「どん底」Bプロ「ロミオとジュリエット」(私のオススメ)Cプロ「検察官」
(HTML作者註:昨年の10月に予定されていて、既に終わってしまいましたm(..)m)
ここには地下鉄3線が乗り入れていて、いつも相当な人通り。マクドナルド1号店はここを地上に出たところ。人気劇場も近くに4つあり、音楽院のコンサートホールへも徒歩10分。7時の開演を目指してここを通る事はよくあり、私もモスクワにいたら、ヒトゴトではなかったかも知れない。時間帯は違うけど、メイエルホリド博物館への行き帰りには、マリヤさんも私も、この駅を使っています。
< Look! > モスクワ市長や対チェチェン戦の参謀本部次長はすぐさま、「チェチェンのテロ集団との関連は明白」と語ったが、同夜、黒いジャンパー姿で現場に花を供えたプーチン大統領は、「特定の民族と結び付ける予断を持たずに捜査するように」と、意外なほどまっとうな声明を出した。1年前の9月にはアパート連続爆破事件が起こった時、即座に「チェチェンの仕業」だとして空爆を開始したのとは大違い。一方、KGB(現・FSB)の爆発物専門家は、今回と昨年9月の爆発物は同種の物だと推測。では、犯人は何者なのか? 大統領の姿勢の変化は何故か?
< 可能性 > チェチェン戦争では今も毎日ロシア兵が20〜30人づつ死んでいて、世間に厭戦気分が広がっている。また、昨秋のアパート爆破についても、人々は「違うんじゃないか」と気づき始め、そうした世論の変化を大統領が敏感に察知したのではないか。「'96年初夏の地下鉄・バス爆破事件→チェチェン攻撃強化→エリツィン、大統領に当選」の時と、判で押したように同じパターンだったことを人々が思い出し始めている。これはチェチェン主流派の手口ではないことも。
考えられるのは----1.チェチェン非主流分派 2.政権 3.結果的に有利になる政権に恩を売りたい闇の機関(財閥系マフィア)。3.の場合は、その機関と政権の間に生じた溝が今回の事件を起こしたとも考えられそう。
政府が発表したのは14日。ノルウェーのダイバーがハッチを開け、ビデオ放映されたのは21日。118名死亡と発表された。対応の遅さ、閉鎖性、誤報、外国への救援要請の遅れ、大統領がすぐ現地入りしなかったことに批判が渦巻いた。
< Look! > 私は黒海艦隊のセヴァストーポリを'93年と'97年の夏に訪れ、音楽祭のゲストだったお蔭で、湾内をモーターボートで走り回り、軍艦の中も歩き回って、将校や水兵たちと話もした。素人目には、どれもサビついたポンコツのようでした。ここ数年は給料も遅延で、軍の食料さえ乏しかった。どんな自己が起こっても不思議じゃない、と思うけれど、今回の事件については、ラジオ局で同僚だったヤスオさんが新聞の情報をたくさん送ってくれた。それらを読んでビックリ。
プーチンさんの判断ミスなどではなく、真の原因の証拠隠滅のための時間稼ぎであり、「対応が遅い」という非難を重々覚悟・予想した上での、筋書き通りの処理だったという説が有力。真相が判るのは20年先? 30年先?
< 久々のマスコミの活気 > 「独立テレビ(НТВ、エヌテーヴェー)」、ラジオ「モスクワのこだま」のオーナー、グシンスキーが6月に逮捕され、保釈後国外に逃れたあと、彼と対立していた「公共テレビ(ОРТ、オーエルテー)」実質オーナーのベレゾフスキーまでが大統領に反発して下院議員を辞職したため、原潜事故が起こった時には、あからさまな政権ベッタリの局がなくなった状態になっていた。それでなくても5月の「メディアモスト」強制捜索以来、ジャーナリズム全体の問題として危機感を募らせていた他のジャーナリストたちも、原潜事故で、ここを先途と、'91年夏のクーデター阻止時を思い出させるようなジャーナリスト魂を発揮した。しかし、遺族の罵声を浴びる「カッコ悪い」自分をテレビ取材させたのも、プーチン流の人心掌握術と見るべきで、彼の人気はすぐに回復するでしょう。人命優先の世論が巻き起こったのはソ連崩壊後の変化の現れ。でも遺族の悲しみ、同情も、チェチェンへの想像力とはならない不思議。
「焼け落ちたエレベーターに乗っていて死んだ4人の人は本当に可哀想だって、どこでもその話ばかり。でも火事そのものは、ものすごくたくさんの人が集まってきて、お酒を飲んだり、歌をうたいながら、のどかに見物していましたよ」と、近くに住んでいる友人が言っていました。
この国の人たちは、もう、何が起きても慣れっこであまり驚かないのネ。モスクワ州全域でテレビが見られなくなった3日後から、「公共テレビ」と国営「ロシアテレビ(РТР、エルテーエル)は1つのチャネルに相乗りして、ニュースなどを交互に流し、放映を開始しました。でも低い所のアンテナを使っているので、画像は不鮮明。1日遅れて「独立テレビ」は特注のアンテナをベテルブルクから取り寄せ、別の所(オクチャーブリスカエ・ポーリェ)に立てて放送。こちらの方が画像は鮮明だそうです。
(HTML作者註:他に、新潟日報2000年7月8日号の記事「この人に聞く」が紹介されています。プーチン大統領時代のロシアがどうなるのか、スターリン回帰などありうるのか、といった内容です)
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