この通信が届く頃には、日本は、ロシアはどんな新年を迎えているでしょうか。
モスクワから日本へのエアメールは現在2週間くらいかかるため(それでも'89年頃の「1ヶ月余り」よりはずっと速くなりましたが)、モスクワ旅行なだり、帰国される方に託して日本で投函してもらったり、EMS(国際エクスプレス郵便…ロシアからは高くて、5千円程かかるけど4日後には東京の印刷所に着く)でこの原稿を送っていますが、それでもかなりの時差を見込んでごあいさつするので、いつもなんだか妙な具合です。
12月のロシアはひどいマロース(мороз…氷点下の厳寒)に見舞われ、モスクワでは15-16日の両日、夜間気温は-33℃(昼間は-25℃)にまで下がりました。12月の気温としては115年振りだそうです。こうなると寒いなんてものではなく、外気にふれている頬は氷を押しあてられているようでズキズキ痛みます。でも家の中は暖かく、毛布2枚で寝られるのだから有難い限りです。集中暖房のおかげですが、モスクワはともかく、ロシア国内には、昨年末、財政危機やエネルギー部門のストライキで煖房ナシのところもあるのですから、どんなにつらいことでしょう。
2月18日の帰国までに、アト2ヶ月を残すだけとなりました。お陰様でゆったりとした時間の中で、いろいろなものを見つめなおすことがきました。寒い北国で過ごせた長ーい夏休みがもうすぐ終るのを惜しむ、小学生のような気分です。
-10℃(酷寒のアトでは春みたい!) 日の出8:45 日の入16:10 '97年12/18モスクワにて
耳をかくすプラトーク(ショールのこと)が必要、手袋も欲しい。
それでも5分も歩くと肩や足先が冷たくなり隠せない頬が痛いのなんの!
いつ来るかわからないバスを待つのは10分が限度。それでも私は15日(月)は芝居、16日(火)はバス停から10分位の子供たちのコンサート会場まで歩き悲鳴をあげた。
ロシア正教のクリスマスは現代の暦では1月7日になるので、町にはジングルベルも鳴らず、クリスマス商戦もありませんが、広場や店のウィンドーや各家庭にはそろそろ「新年のモミの木」が美しく飾られはじめ、テレビCMにも「新年プレゼント」物が目立つようになってきました。
職場内の売店にも、「新年プレゼント」を見つくろう人々で、いつもより人垣ができています。音楽カセットテープやエプロン、香水、人形など、こまごまとした品物ですが、「新年(を迎える)プレゼント」を贈り合う習慣はウキウキした伝統的なものです。
また、1月1日から実施のデノミ(千分の一)に備えて、店の商品には現価格とデノミ後の価格を並記するように12/1から義務付けられているので、正札には、黒字の現価格と赤文字のデノミ価格が並んでいます。これは新しい単位に慣れさせるためだそうですが、桁数が変わるだけで、端数切り上げなどの便乗値上げを防ぐのにも効果がありそうです。
現在私が国営ラジオ局からもらっている月給は「百万ルーブル」以上で、数字だけ聞くとずい分お金持ちみたいですが、今のモスクワではせいぜい中の下の部類に入るらしいのです。
買物するにも桁数が多過ぎて不便ですし、日常生活では、皆、数年前から千の単位は省いて喋るようになっているので、便乗値上げさえなければ、デノミは実情に合っているでしょう。
ロシアでは新年ツリー11/20に一時帰国からモスクワへ戻ってきたら、追いかけるように日本からは山一証券倒産、続く円激安の不安なニュース。ロシアでは12/2西シベリアの炭鉱爆発事故に続いて、ロシアとCISで立てつづけに3件の飛行機墜落事故。マガダンのハイジャック、オムスクのバス乗っとり。国境警備隊兵士の同僚3人射殺事件。ロシアでは、12月は昔から事件の多い月なのです。
前前号から封筒の差出人住所表記が変わっていることにお気づきかと思います。実は、マスコミ関係の仕事の窓口になってもらっていた(有)○○○○○○○○○○○○が、知らぬまに、なくなっていたのです。97年正月までは連絡がとれていたのですが、4月には、電話もFAXも使われておらず、移転先も消息もわからなくなっていました。この不況で、小さな芸能プロダクションはひとたまりもなかったのでしょう。関係者がどこかで元気に生きていてくれることを祈っていますが、これで山之内も、日本へ帰ってますます寄る辺なき身となりました。ハ・ハ。封筒表記の「○○○○○○」は、私の留守中「ヤーマチカ通信」の発送を買って出てくれた女ともだちのご主人の仕事先住所を、郵便物が行方不明にならぬよう便宜的に使わせていただいているだけで、プロダクションというわけではありませんので、こみ入ったお問合せなどは、申し訳ありませんが、直接モスクワへか、しばしお待ち下さいませ。
・ナホトカ号沈没事故と重油流出(1/2)。対ロシア感情に冷水を浴びせた年明けでした。
・日ロ首脳クラスノヤルスク非公式会談(11/1 & 2)。2000年までに平和条約締結、で合意。
いずれもロシアで大きく報じられました。特に首脳会談は各TV局ともトップニュース。ノーネクタイ会談ってよい言葉でしたね。橋本首相の黄色や水色のヤッケを見て、ホッとしました。ロシアにいると、欧米の首脳陣とはしょちゅう行き来があって、テレビで報じられるのも、シラク大統領がフランスのロッジ風レストランに招待して家族ぐるみで食事したり、イギリスのブレア首相がモスクワへ来た時には、ショッピングセンターのエスカレーターを談笑しながら上り下りするなど、くだけた雰囲気をロシアの人達は見慣れているので、きまじめにビシッときめてこられたらどうしようか、とハラハラしてました。
政治や外交は伏魔殿でしょうけど、一般の国民の人には好感を持ってもらいたいですから。
・7月の第20回モスクワ映画祭の期間中に「シコふんじゃった」などの10本程度の日本映画が上映され、11月に在ロシア日本大使館が主催する恒例の日本映画祭で「日本で一番短い『母』への手紙」など5本が上映されました。
・モスクワ850年祭の中日にあたる9/6に、東京都からモスクワへのプレゼントとして、篠田正浩監督の講演付きで「写楽」が広い会場で一回だけ上映されました。この映画は、リズム感にも日本情緒にも富み、芸術の国ロシアで理解されやすい内容なので、もっと大勢の人に何度でも見てもらいたいのですが…
・外国映画氾濫のロシアのテレビで、この一年間に放映された日本映画は、新藤兼人監督の「怪談」が二回、黒沢明監督「夢」と東映の「ヤクザ」が一回ずつ、といかにもさびしい。「上映料がクリアできない」と、日本大使館の人がこぼしていました。
・それにひきかえ、1月の週末にアメリカのテレビ映画「将軍」(島田陽子・三船敏郎共演)が4週にわたって放映された時には2ヶ月間位、その話題でもちきりでした。皮肉だねェ。日本株がだいぶ上がった。
・安部公房原作「砂の女」の舞台化(オムスク・アカデミー・ドラマ劇場制作)が全ロシアの演劇賞。「黄金の仮面」で、男優賞・女優賞(荒木かずほさん)・演出家賞を受賞(3/24)。緊密な素晴しい芝居です。'98年3月に東京公演するそうなので是非観て下さい!
NATOの東方拡大を認め(5/27)、G8に参加し(6/20)、パリクラブにもAPECにも加盟が決まり、対人地雷禁止条約にも調印する方向ですが、一方でロシアの兵器輸出額は再びアメリカに次ぐ世界2位となり、いまや追い越しそうな勢いです('96年の売上げは35億ドル、'97年の契約額は70億ドル。最大輸出先はインド、中国。'97年は韓国とも契約成立)。
8月までは、国内各地の給料・年金未払に対する抗議行動が毎日のように報じられました。
7月には、スモレンスク他の原子力発電所職員達が(こんな所まで払ってなかったなんてギョッとします)、2週間賭けてモスクワへ徒歩で抗議行進しました。
年金は7/1までに、軍人への給料は9/1までに、未払分が支払われましたが、教師・医師その他の公務員の給与未払はまだ解決されていません。
秋以降、抗議行動が下火になったのは、政府が、「1/1までに払う」と言明したからなのですが、年末まで10日余りとなった今でも、はっきりしません。
(先週、政府は、「国の負担分である50%は年末までに支払うが、あとは地方行政体の責任だ」と、述べました)。国内金融機関の約90%が集中していて、税収が豊かなモスクワでは、公務員の給料は、遅配はあるものの未払にはなっていません(ただし、小学校教師の月給は約70ドル、医師で100ドル余り)。
7月の発表では、全国の平均月収約170ドル、最低生活費約76ドル、しかし国民の31%はそれ以下の貧困層だそうです。
明らかにモスクワに富が集中しており、二-三年前には「新ロシア人」と呼ばれるほんの一握りの成金だけが大金持ちという印象でしたが、今のモスクワでは、民間企業に勤めれば、20代後半の若者でも、五百〜千ドルくらいの月収はザラになってきました。ちなみに、数字の上では、モスクワのマイカー持ちは4軒に1軒。今年の夏に国内旅行した人は五百万人、30億ドルが使われたそうです。
モスクワの市内交通運賃は、7/13(日)に、予告なく、千五百ルーブル→二千ルーブル(約43円)に値上がりしました。一方、ウラジオストクでは、11/26からトロリーバスと路面電車の運賃が無料になりました。キセル乗車による被害額より、車掌や検札員を雇う人件費の方が高くつくからだそうです。
・'96年8/31に戦火は止んだものの、戦争はまだ続いている、という実感です。
'96年には、ジャーナリストや国際赤十字の医師たちまで殺害されましたが、'97年には、誘拐が頻発しました。その中にはテレビの取材クルーや外国人ジャーナリストまで含まれ、1月〜6月に「公共テレビ」4人、「独立テレビ」3人、「ラジオ・ロシア」(「ロシアテレビ」系)3人、「イタル・タス通信」1人ら、ロシアの大手報道機関のスタッフが軒並みに誘拐・監禁され、1ヶ月〜3ヶ月後に解放されるという状態が続きました。
身代金の支払いも額も明らかにされていませんが、犯人が一人も発見・逮捕されていない、という奇妙な事実からは、勢力ぐるみ、あるいはチェチェンという国ぐるみで、戦法を「身代金」に変えた感があります。
・9月に2件、チェチェンの首都グローズヌィで公開処刑が行われ、ロシア国内でテレビ報道されるというショッキングな事件がありました。処刑されたのは、店の主人を殺した店員と恋人でいずれもチェチェン人。チェチェン政府は、「我々は自分たちのイスラムの掟で暮らしている。放っといてくれ」と、ロシアの非難を一蹴しました。
つまり、「ロシアの法律が及ばない『ロシア国内』であることを内外に見せつけ、欧米社会の仲間入りをするには死刑制廃止すら求められているロシアの立場を脅かし、揺さぶりをかける、という、これも意識的な戦法でしょう。チェチェン政府は、今も公然とロシアからの独立を主張しています。
私の周囲のロシア人のほとんどは「言葉も文化も歴史も違うのだし、いずれ独立させるしかないのだから、早く認めればいいのに。何のためにそんな戦争でロシアの若者が死ななければいけないのか」と言い、「でも石油パイプラインが惜しいから、ロシア政府は手放しゃしないわ」と言っています。
ロシアは今でも徴兵制です。自ら志願したわけでなくチェチェンへ送られ、戦死の確認ができないままの人が2千人近くいると言われます。列車で乗り合わせた軍職員は「アメリカは偉いよな、あんなベトナム戦争の時だって味方の遺体は回収し、必ず家族に戦死公報を届けたんだから。ロシアじゃ放ったらかし。何人野ざらしのままか、数さえわかりゃしない」と言っていました。
・ロシアでは給料未払で死ぬ人の話はあまり聞かないけれど、兵士の自殺や、精神錯乱して兵舎で乱射し同僚たちを射殺する事件はずっと続いています。「チェチェン症候群」と呼ばれていますが、アフガニスタンといい、チェチェンといい、「大義」を見いだせない戦争に駆り立てられる青年達の身も心も病んでいくことに対し、国は何の対策も講じていません。
・一年半前の印象はバザール経済−主に地下鉄駅前や公園にテントを張り並べての商売が大活況で、従来の建物内の店はひっそり閑(かん)と廃虚みたいでしたが、今年秋のモスクワ850周年を機に、それらのテントの半数ほどが、プレハブながらも小ぎれいな長屋風の作りに変貌し、吸収されていきました。テナント料はグンと上がったようですが、町はこうしてととのっていくのでしょう。一方建物内の店には外国資本の店やレストラン、ブティックなどが入りこみ、こちらもすっかりきれいになり、また24時間営業のスーパーもずい分ふえました。とりわけ美しい建物だナ、と思うと、相変わらず銀行と高級家具店です。
・品物は何でもあります。ただ'96年には、ロシア製は黒パンとジャガイモだけかいな、と思うほど外国の物ばかりだったのが、'97年にはロシア文字の商品もグンと増え、外国製しか見つからないのは、紙オムツ、ハミガキチューブ、シャンプー、石けん、フィルム、オーディオ・テープ、ビデオテープ、生理用品など。
テレビは「6チャンネル9局」のままですが、6/6に「2x2」が消えて「TVセンター」局が開局。6月頃エリツィン大統領が「もって我が国の芸術を放送すべきだ」と仰せになったら、11/1に突如、芸術専門局「クリトゥーラ(文化)」が出現し、そのためモスクワからは「ペテルブルグ・テレビ」が消えました。
「クリトゥーラ」局以外は全局コマーシャル入り。大半は外国製品のCM。多いのは生理用品(オールウェイズなど)、シャンプー(ウェラ、ジョンソン…)、ハミガキ(コルゲート)、カゼ薬、チョコレート…など(日本企業はソニーなど大手電器メーカー各社とフジ・フィルム、コニカだけだが大健闘)。番組の主流は報道とクイズ番組。TVドラマはソ連崩壊後ほとんど作られていません。その代り、外国映画の洪水。ウィークデーで10本位、土・日曜は十数本の映画が放映され、その半分が外国映画、そのまた半分がアメリカ映画。ほかに「刑事コロンボ」も「ドクター・クィーン」シリーズも流れてる。だから映画館はガラガラ。劇場、コンサートは満員。