This is a Japanese translation of "The Unnamable" by H. P. Lovecraft.

以下は "The Unnamable" by H. P. Lovecraft の全訳です。精神障害、疾病、身体障害に関係する放送できない用語が含まれます。何ぶん古い作品ですのでご了承ください。


名状し難いもの

著: H. P. ラヴクラフト
訳: The Creative CAT

A short story written in Sept 1923. Published July 1925 in Weird Tales, Vol. 6, No. 1, p. 78-82.

秋の午後遅く、私たちはアーカムの古い埋葬地にある崩れかかった十七世紀の墓に座って、名状し難いものについての考察を重ねていた。共同墓地には柳の大木があり、その幹は碑銘が読み取れないほど古びた墓石を飲み込みそうな勢いだった。それを見やりながら、納骨堂の白々とした土地から膨大な木の根が言葉にできないような幽鬼じみた栄養分を吸い上げているに違いない、と幻想的な言辞を弄したところ、友人は馬鹿なことを言うなと私を叱りつけて、この埋葬地では一世紀以上にわたって埋葬が行われていないのだから、木の栄養となる特別なものなど何一つ残っているものかと宣った。そればかりか、何かというと「名付けようのない」とか「言いようのない」とかいう幼稚極まる言葉を使うからお前はいつまでたっても物書きとして底辺を這いつくばっているのだ、とも加えた。小説の中で、主人公が最後の場面で出会った光景や音響のせいで茫然自失してしまい、自分の経験を伝える気力も、言葉も、相手もないまま取り残されるという展開を愛用しすぎる。彼は言った、自分の五感と直感を通してでしか我々は事物を知り得ない。故に、確固とした定義に基づく事実ないし神学的に正しい教理なしには、いかなる対象にも情景にも言及し得ないのだ――教理は会衆派教会のもので、伝統とサー・アーサー・コナン・ドイルによる修正をすべて加えることが望ましい。

私は屢々この友人、ジョエル・マントンと物憂い論争を交わしてきた。ボストンっ子の彼はイースト・ハイスクールの校長をしており、生命が奏でる精妙な倍音に対して耳を閉ざす、ニューイングランドの自己満足的精神を受け継いでいた。彼の見方に従えば、もっぱら通常の客観的な経験のみが美学的な重要性を持っているのであり、行動や陶酔や驚愕によって強烈な情感をもり立てるのは芸術家の領分ではなく、芸術家たる者はむしろ日常の出来事を、冷静な興味の目で正確かつ克明に記述し続けるべきなのだそうだ。中でも彼は、私が神秘的で未解明のものどもに没頭している点をつついてきた。私よりもずっと超自然のことを信じ込んでいるくせに、それが文芸においてはよくある素材だという事実を頑として認めようとしなかったからだ。人の精神が最大の喜びを見出すのは、日々の煩瑣を離れ、いつもなら習慣と生業の憂いによって陳腐なパターンに堕してしまう本物の存在に関するイメージを劇的に再構成する際だったりするのだ、などという言い草は、彼のクリアで、プラクティカルで、ロジカルな知性には全く信じられなかったのである。彼にとってあらゆる事物と感覚は決まった大きさと、属性と、原因と、結果とを伴っているのだ。私たちの精神はもっと幾何学に従わず、分類しがたく、扱いづらい性質のヴィジョンや感覚を抱くのだということを薄々知っていながら、それでも自分勝手な線引によって、平均的市民が経験したり理解したりすることができないものを一切合切切り捨てても構わないと自惚れていた。おまけに、彼は真に「名状し難い」ものなどあるわけがないと思い込んでいた。彼にとってはそれは無意味に聞こえたのだ。

陽の当たる世界のオーソドックスな住人の抱く自己満足に逆らって、想像力と形而上学にまつわる論争を試みても無益だとは重々承知の上だった。だが、この午後の対話の何かのせいで、私はいつも以上に議論に踏み込んでもいい気分になっていた。崩れた墓石、長老めいた古木、周囲は世紀を閲したギャンブレル屋根が立ち並ぶ魔女に憑かれた古い都市、こういったもの全てが一体になって、私に自分の仕事を防衛せねばならぬという忠誠心を奮い立たせた。時を移さず私は敵本国を目指し吶喊の狼煙を上げた。反撃の手がかりを攫むのは大して難しくなかった。というのも、実際にはジョエル・マントンが洗練された人々ならとっくの昔に卒業してしまった老婦人たちの迷信に半ば絡め取られているのを私は知っていたからだ。息を引き取りそうな人物の姿が遠く離れた場所に出現するとか、その昔、生涯窓から外をじっと見続けていた人の顔貌が、その窓の中に残存するとかいった話だ。そこで私は、田舎の婆さんが囁くこんな話を信じることは、取りも直さずこの地球には物質的な存在だけではなく、幽霊じみた対応物があり、それらは物質的存在を離れて、あるいは物質的存在がなくなった後もひき続いて存在するという信念を持つことに他ならないと言ってやった。それはあらゆる常識を超えた現象の存在を信じ得るということを意味するのだ。そうではないか。死人が自分のイメージを見たり触れたりすることのできる形で地球の裏側に、あるいは何世紀もの時代を下って投影できるというなら、廃屋が意識を持つ奇妙な存在で満杯になっていたり、古い墓地が何世代にもわたって生まれた肉体を持たぬ慄然たる知性体だらけだったりすると考えても、一体どれだけ馬鹿げていることになるのか? 心霊はいかなる物質の法則にも制限され得ない。そうでなければ心霊のものとされる現象を起こし得ないから。では、霊的には生きている死者がある形をなし――あるいは形をなさず――それを見た人間をしてゾッとする程「名付けようのない」と言わしめるとして、何故それが突拍子もないことだという話になるのか? こういった主題に関しては「常識」なぞ単なる愚劣な想像力の欠如と精神的な硬直を意味するに過ぎないのだ、私は友人に向かって生ぬるい声でこう言い切った。

夕暮が迫ってきたが、二人とも話をやめようとはしなかった。マントンは私の主張に心を動かされた様子がなく、それらをひっくり返してやろうと思っていた。自らを教師としての成功に導いた己の意見に信をおいていたのだ。一方私は自分の拠って立つ基盤の確かさを以てすれば敗北を恐れる必要などないと思っていた。日は落ち、遠くの窓にぼんやりとした明かりが点っても私たちは動かなかった。椅子代わりの墓石は実に心地よく、散文的な我が友は、すぐ背後にある木の根に侵食された古いレンガ細工に多孔質の裂け目ができていても、蹌踉めく十七世紀の廃屋が近所の街灯の光を遮るため闇に覆われていても気にしそうになかった。暗がりの中、廃屋の脇にある裂けた墓の上で私たちは「名状し難いもの」について語り、友人が嘲り尽くしたその後に、まさにその嘲りの頂点となった物語の背後に潜む恐怖の証跡のことを語ったのだ。

その物語というのはウィスパーズ誌の1922年7月号に発表した「屋根裏の窓」という名の作品だ。南部や西海岸ではつまらぬ腰抜け共が泣き言をいったため店先から引き上げられてしまったが、私がやりたい放題にしてもニューイングランドの連中はスリルを感じず、ちょっと肩を竦めただけだった。そんなものは生物学的に発生し得ず、コットン・メイザーがものの見事に騙されて破茶目茶なアメリカにおけるキリスト者の偉業の中にグダグダと押し込んだ田舎の馬鹿げたひそひそ話の新種でしかないと一刀両断だった。そのメイザーですら怪異の舞台となる土地の名前を公にしようとしなかったほど当てにならない話に過ぎないというわけだ。そうなると、私は単なる昔の巫山戯た怪談話を膨らませたに過ぎないのであって――そんなの絶対にあり得ないし、現実を見ないイカれ三流文士ならではだ! メイザーはその種のものが誕生せんとしていると語ってはいる。しかしそれが成長し、夜な夜な人家の窓を伺い、肉体・精神とも屋根裏に秘匿され、何世紀も経ってから誰かがその姿を窓に見て、その人は自分の髪を灰色にせしめた化け物のことを表現する言葉を持たぬ、この手の与太話を考えつくのは安っぽい煽情作家を措いて他にない。そんなの一纏めにしてゴミ箱行きのカスだ、我が友マントンは速攻でそう主張した。そこで私は彼に1706年から1723年の間に記された古い日記の中に書いてあったことを伝えた。この日記は、今私たちが座る場所から一キロ半程も離れていない場所にある我が一族の書類と共に発掘されたもので、そこに記載された我が先祖の胸と背中の瘢痕は確かに実在していた。またこの地域に住む他の人々が抱いた恐怖、それを代々囁き継いできたこと、1793年になって一人の少年がそこに残ると言われていた何らかの痕跡を探して一軒の廃屋に入り込んだ結果、正真正銘の狂人になってしまったことも話してやったのだ。

悍ましいものだった――清教徒時代のマサチューセッツの感じやすい学生たちが震え上がったのは当然だ。水面下に潜む部分はほんの――ほんの僅かしか知られていないのだが、腐朽し屍食鬼めいた横目をくれながら折に触れてブクブクと浮き上がってくる部分も化膿して物凄かった。魔女の恐怖は恐るべき熱線であり、その上で人間の脳みそをグツグツと煮崩しているのだが、それすらも瑣末なのだ。そこには美もなければ自由もない――残された建物や住人や縛り付けられた神性に関する有毒な説教からそれと知ることができる。錆びた鉄の拘束衣の内部では醜悪で歪んだ魔性が喚き散らしながら彷徨っていたのだ。これこそが名状し難きものの権化である。

コットン・メイザーは、何人も夜半に読むべからざるその悪魔的な第六の書にて呪詛を撒き散らした時も、仄めかしの一語たりとも残さなかった。ユダヤの預言者の如く厳格に、当時から現代にいたる誰よりも言葉少なくして動ぜず、彼は畜生以上人間以下になっていった獣――穢れた片目を持つ奴――のことを語り、そんな目をしていた咎で絞首台に掛けられた泥酔者の叫びのことを語った。そこまではあからさまに語った彼がその後のことについてはヒントも与えていない。多分知らなかったのだろう。あるいは多分知りながらあえて語らなかったのかもしれない――どんなおおっぴらな仄めかしも、子供を失い、破滅し、惨めな姿となった一人の老人が住む家の屋根裏を閉ざす鍵のことを語ってはいないのだ。忌避された墓の脇にその老人が建てた粘板岩の墓石には碑文が記されていなかったのだが、十分に嫌らしい伝説を辿ることはでき、それを知ればどんなに淡白な人でも血の凍る思いをするに違いない。

私が発見した先祖の日記には、こういったことがたっぷりと書いてある。夜窓の中に、あるいは森に近い人気のない牧草地に爛れた片目をした奴を見かけたという話が皮肉っぽくまたこっそりと。何者かが暗い谷の道で私の先祖を捕らえ、胸に角の徴を、背中に類人猿のような鉤爪の痕を残した。蹂躙された埃の上には割れた蹄と、どことなく人間のものに似た足の跡が混じりあっていた。かつて郵便騎士が、自分は夜明け前の微かな月明かりの下、一人の老人が大股で走る名状すべからざる恐怖のものを呼び止めようとメドウ・ヒルを追いかける姿を見たと言った時、多くの者がそれを信じた。まさしく、1710年のある夜に、子供のいない失意の老人が空白の粘板岩の墓石が見える自宅裏の墓窖に埋められた時も、おかしな話が持ち上がったのだ。屋根裏部屋のドアを開けようとする者はおらず、家屋ごとそのまま放置した。恐れられ、荒廃するがままに。そこから物音が聞こえると彼らは囁き怖気を振るい、屋根裏部屋の扉の鍵が頑丈であって欲しいと願った。牧師館で恐怖の事件が起きた時、そこには生き残った者も、全身が繋がった状態の者もおらず、彼らは願いを捨てた。年月を経る内に伝説は怪談めいた様相を示すようになった――おそらくそいつは、仮に生物だったとして、死んでいたに違いない。記憶は悍ましくも遷延し――隠されているだけに一層悍ましかった。

こういった話をしている内に、我が友マントンは私の話に感化されたと見え実に寡黙になっていった。私が一息入れた時にも笑わず、1793年に発狂した少年のこと、私の小説の主人公らしき人物のことを真顔で聞いてきた。その少年がなぜ忌まれた廃屋に向かったのかを語り、君はきっと興味を持つだろうと言ってやった。というのも、窓がその前に座った者の姿を留めるということを彼は信じていたからだ。かの少年は、その恐怖の屋根裏の窓の向こうに現れると聞いたものどもの姿を見に行ったのであり、気違いじみた叫びを上げながら戻ってきたのだ。

マントンは物思いの体で話を聞いていたが、次第に分析的な様子を取り戻してきた。議論のために何らかの超自然的な怪物の存在は認めるとしても、いかに悍ましく自然を歪曲しようが、それが必ずしも名付けようがなかったり、科学的に記述できなかったりするわけではないことを想起せよという。私は彼の明晰さと耐久力を讃えて、古老の間で集めたちょっとしたネタを暴露してあげた。明らかに、それら後から出てきた怪談はいかなる有機体も張り合えないほど怖い化け物に関連している。化け物の獣めいた巨体は時には目に見え、時にはただ触ることのみでき、月のない夜に古家の周りで、その裏手の納骨堂で、一本の若木が生え初める判読しがたい粘板岩の傍らでふらふらと彷徨くのだ。あやふやな伝説によるとこの種の化け物が人々を切り裂き窒息させて死に至らしめたというが、その真偽は措くとして強烈な印象を与え続け、今なおとりわけ高齢な住民の間に暗黒の恐怖を齎していた。それでも最近の二世代を経るうちに多くは忘れられてしまった――恐怖の対象が無くなったため、伝説が死滅しつつあるのだろう。そればかりか、美学理論的には、人間の霊的放散物がグロテスクに歪んだ場合、悪性でぐちゃぐちゃに歪曲しきった幻影並に傴僂めいた恥ずべき星雲状の霞が、自然に逆らう悍ましい冒瀆ぶりをいかなる姿でそれと表現し、あるいは描出するというのだろうか? 斯様な霞状の恐怖は、混ざり合った悪夢の持つ死せる脳髄によって絶妙にも鋳型にはめられ、金切り声をあげる迄に忌まわしき名状すべからざるものに結実するのではないか?

もうだいぶ遅い時刻になっていた。一匹の蝙蝠が異様に静かに私をはたいて飛び過ぎ、たぶんそいつはマントンにも触れたのだろうと思った。姿は見えなかったが、腕を挙げる気配がしたからだ。彼は話しだした。

「しかし、その屋根裏の窓のある家は荒廃したまま現存しているのか?」

「ああ、」私は答えた「見たことがある。」

「それで、お前は何かを見たか、そこ――屋根裏とかその辺で?」

「軒の下に骨が若干。例の少年が見たそのままだったかもしれない――その子が感じやすければ、窓ガラスの中に何も見なくてもそれだけでイカれただろうな。仮にそれらが全て同一の身体から出てきた骨だとすれば、それはヒステリックでめまいでも起こしそうな怪物だったことになる。こんな骨を世の中に残しておいては瀆神行為になろうから、私は袋を取ってきて家の裏手の墓に捨てたよ。投げ込めるような口が開いていたんだな。馬鹿だと思ってもらっては困る――君もその髑髏を見たことがあるはずだぜ。十センチの角が生えていて、でも顔と顎はちょっとばかり君や僕のに似ていたね。」

こちらに擦り寄ってきていたマントンがついに震え上がるのが感じられた。それでも彼の好奇心は折れなかった。

「窓ガラスはどうだった?」

「一つ残らず無くなっていた。窓の一つなど窓枠ごと消えていたし、他のも小さなダイヤモンド型の枠に嵌ってるガラスは影も形もなかったな。そんな種類の窓枠だったんだよ――1700年より前に使われなくなっていた古いタイプだね。この百年以上の間、あの窓にガラスが嵌っていたことなんて一度でもあったとは思えない――例の少年が割ったんだろうな、もしその子がそこまで近づけたなら、だが。言い伝えからは不明だね。」

マントンはまた考えに沈んだ。

「その家を見たいんだが、カーター。どこにある? ガラスがあるのかないのか、調べてみないと。それとお前が骨を投げ込んだ墓、そして碑銘のない墓――全体ぞっとしない話だな。」

「君は見ているよ――暗くなる前に。」

我が友の取り乱しぶりは予想以上だった。これしきの害のない演出のせいで私から神経質に飛びのいて、これまで抑制していた緊張を解き放つかのように大きく息を呑み、実際に叫び声を上げたのだ。異様な叫び声だった。そして何よりも恐ろしかったのは、応答があったことだ。叫びの谺が静まる前に、タールのような闇の中から軋む音が聞こえ、背後の呪われた家の窓枠が開いていくのが判ったのだ。他の窓枠はとっくに崩れてしまっているのだから、悪魔のような屋根裏部屋の窓枠に違いない。

恐れていた当の方角から不気味で冷え冷えとした一陣の気流が襲い、その後すぐ脇から叫び声が上がった。それは人と怪物のための不気味に崩れた墓石の上だった。次の瞬間、私は巨大な不可視かつ不明な存在によって激しく打ち倒され、嫌ったらしいベンチから叩き落とされて胸の悪くなるような埋葬地の木の根が畝る地面の上に伸びてしまった。かの墓からは窒息しそうな騒音が咆哮となって渦巻き、そのせいで奇形の亡者が住まう暗鬱なミルトン流の領土のことが頭に浮かんだ。風が吹いていた、木を枯れさせる凍りついた旋風が、そして緩んだ煉瓦と漆喰の音がし、だがその意味するところを知る前に、失神という恩寵が与えられたのだ。

体格は私より小柄でも、回復力はマントンの方が上だった。私より重傷だったのにも拘らず二人はほぼ同時に目を覚ましたからだ。私たちは隣同士に寝かされ、数秒後には自分らがセント・メアリ病院にいることを知った。周りを取り巻く付添人たちは好奇心丸出しで、入院時の様子を説明して私たちの記憶が甦るのを助けようとした。まもなく、私たちは一人の農夫にメドウ・ヒルの先の寂しい野原で昼ごろに発見されたと聞いた。そこは埋葬地から一キロ半程の場所で、かつて屠殺場があったと噂されている所だ。マントンは胸部に二箇所の酷い傷を負い、背中に幾分軽い切り傷ないし鏨の痕を受けていた。私はそんなに怪我をしたわけではなく、しかし何とも当惑する種類のミミズ腫れと打ち身だらけだった。その中には割れた蹄の痕もあったのだ。当然マントンの方が私よりも事情を知っているはずだったが、彼は興味を持ち首を傾げる医師たちに何も語らなかった。自分たちがどんな傷を負ったのかを聞いて初めて、獰猛な雄牛にやられたのだと言った――こんな場所にいそうもなく、説明にもなりそうにない動物ではあるが。

医者と看護婦がいなくなってから、私は一つの恐ろしい質問を囁いた:

「一体全体、マントン、あれは何だった? そんな傷跡をつけた――あれはどんな風だった?

彼が囁き返した答は半ば期待していたものだったが、余りにクラクラ来ていて喜ぶどころではなかった――

いや――雄牛なんかであるものか。あいつはどこにでもいた――ゼラチン――スライム――だが形はあった。覚えきれない何千もの恐怖の形状。眼があった――爛れた片目。あいつは窖だった――メールシュトレーム――究極の憎悪。カーター、例の名状し難いものだったんだ!


翻訳について

「ランドルフ・カーターの陳述」に続いて怪奇漫談というか怪奇落語というかです。今回は結構雰囲気で訳していますので、怖いもの見たさで結構ですから是非原文をお読みください。まさに「ラヴクラフトの文体」として頭に浮かぶような文章が並んでいます。

底本はWikisource版で、適宜The H.P. Lovecraft Archive版を参照しました。この翻訳は独自に行ったもので、先行する訳と類似する部分があっても偶然によるものです。この訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPPに伴う著作権保護期間の延長が事実上決定した現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。

固有名詞等:Joel Manton、Whispers、The Attic Window、Cotton Mather、Meadow Hill、Carter 。「一キロ半程」は a mile、「十センチ」は four-inch です。


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