H. P. ラヴクラフト 時間からの影(快訳版)

時間からの影

H. P. ラヴクラフト

第一章

この二十二年というもの、私は恐ろしい悪夢に苦しめられてきた。「恐怖神話がこの悪夢の原因なんだ」とひたすら信じ込んでなんとか救われていたというのに、今更自分から、「1935年7月17日から18日にかけての夜、西オーストラリアで、私はある物を本当に発見した」などと言いたくはない。ある理由があって、自分が体験したと思うものの全部なり一部なりが幻覚だったと考えたいのだ。実際のところ、そういった幻覚を見るような原因ならいくらでもあったのだから。だが、それでも、その体験らしいものはおぞましい位現実的だったので、時々私は希望をなくしそうになる。あの体験が現実だったのだとすれば、人類は大宇宙の声を聞かなければならないし、言葉にできないほど激しく渦を巻く時の流れの中で自分たちがどんな立場にいるのかを受け容れるだけの覚悟をしておかなければならない。またある種の潜み棲む脅威があることになる。そのせいで人類が全滅したりはしないものの、冒険家たちが考えられないほど恐ろしい目にあうことなるだろう。だから、私の南極遠征隊が調べようとした原始時代の巨大な建築物のことは、もう発掘しようなどと思わないで欲しい。

もし私がその時正気で、しかも目が覚めていたとするならば、あの夜の私の体験は前代未聞だった。それだけではなくて、私は自分を苦しめてきた記憶めいたもののことを、ずっと、「こんなの神話だ、こんなの夢だ、本当じゃないんだ」として見ない振りをしてきたのだが、なんとも恐ろしいことに、あれが本当の体験なら、それらの記憶もどきも実は本物だったと証明されてしまうことになる。ありがたいことに、そんな確証はなかった。酷く怯えていた私は、ある証拠物件をなくしてしまったからだ。もし私が運び出したと思ったものが本物で、しかも本当にあの酷い深淵から運び出したのなら、動かぬ証拠になったはずの物件だ。怖い目にあったとき、私は一人だったし、これまで誰にもあの体験のことを話してはいない。私はそちら方面ではこれ以上発掘作業を続けないように言ったのだが無駄だった。ありがたいことに、風に吹かれて移動する砂丘や、あるいは偶然のおかげで、問題の遺跡は見つかっていない。今、私はシステマティックに、はっきりと、自分の意見を述べるべきだろう。そうすれば自分の心のバランスをとることができるし、真面目な読者に警告を与えることができるだろう。

(つづく)


青空文庫に登録していただいた「時間からの影」が随分アレだというので、「わかりやすい訳」というのを試みています。気が向いた時に続けます。

この小説の冒頭は、英語でもちょっと判りづらいんです。最初の文は

After twenty-two years of nightmare and terror, saved only by a desperate conviction of the mythical source of certain impressions, I am unwilling to vouch for the truth of that which I think I found in Western Australia on the night of 17-18 July 1935.
で、文法的には特に難しくはないのですが。この小説の第一章から第四章までは、学者が書いた「自分の症例のサマリ」らしく、抽象的な記述から具体的な記述へという論述文の構成を綺麗になぞっています。しかしこの冒頭は抽象度が高過ぎてよく判りません。でも、最後まで読むと、この第一文に全てがこめられていることが判ります。なんと見事な導入だったのかとシャッポを脱ぎたくなりますし、そのものずばりの恐怖を書きたくないから抽象的記載に逃げている感じもしてくると思います。The Festival の冒頭も同様ですね。 もろもろのことどもに戻る