H. P. ラヴクラフト 時間からの影

This is a Japanese translation of "The Shadow Out of Time" by H.P.Lovecraft.

以下は、"The Shadow Out of Time" by H. P. Lovecraft の全訳です。精神障害、疾病、身体障害、人種/民族差別に関係する放送できない用語が含まれます。何ぶん古い作品ですのでご了承ください。


時間からの影

H. P. ラヴクラフト

first published in the June 1936 issue of Astounding Stories

Translated in Japanese by The Creative CAT

第一章

特定の印象を裏付ける神話的な源を闇雲に信じることでのみ救われてきた悪夢と恐怖の二十二年の後、私は、1935年七月十七日から十八日にかけての夜に自分が西オーストラリアで発見したと考えるものが真正だと自ら進んで断言しようとは思わない。私の体験が全面的ないし部分的に幻覚であると希望するだけの理由があるからだ —— 実際、幻覚の原因が有り余る程存在した。だが尚、それは悍ましい程現実的だったのであり、ために私は時として希望を失いそうになる。⁋ あれが実際に起きたことだとすると、人類は大宇宙からの声(*1-1)を、僅かに言及するだけで茫然自失するような渦巻く時の奔流の中における彼自身の立場を、受け容れる準備をせねばならない。彼はまた、種族全員を巻き込むことにはならないにせよ、その中の冒険的な構成員の上に醜怪にして思考を超えた恐怖を落ちかからせるであろう、特異かつ潜在的な危険に対して警戒せねばならぬのだ。⁋ 我が遠征隊が精査せんとした知られざる原始巨大建築の断片を発掘するいかなる企ても金輪際放棄するよう私が自らの全力を挙げて主張するのは、まさに後者の理由による。

正気でありかつ目覚めていたと仮定すれば、あの夜の私の体験はこれまでいかなる人間にも降り掛かったことのないものだった。そればかりではない、神話や夢として捨て去る方策を探してきた全ての事柄に対する慄然たる確認になるのだ。ありがたいことに確証はなかった。動かぬ証拠となる —— 真正でありかつ、かの有害な深淵より運び出したなら —— 畏怖すべき物体を戦慄の裡に失ってしまったからである。⁋ 恐怖に遭遇した時私は一人だった —— そして現在に至るまで誰にもそのことを伝えていない。当該方面での発掘作業を止めさせることはできなかったが、それらは偶然、及び移動する砂のおかげでこれまでのところ発見されずにすんでいる。今や私は系統立てて明確な意見を述べねばならない —— 私自身の心のバランスのためだけではなく、真剣に読んでくれるかも知れない他の方に警告を与えるためにも。

私はこれらのページ —— 前の方の大半は総合誌や科学誌を具に読まれている方には馴染みの内容となろうが —— を故郷に向かう船室内で執筆している。息子であるミスカトニック大学のウィンゲイト・ピーズリー教授に渡すことになろう —— 遠い昔、私が奇妙な健忘症を発症した後も家族の中でただ一人私についてきてくれた人物であり、私の事例の内部的な事実に最も通暁している者である。私が語ろうとしている宿命的な夜のことを皆が嘲笑しようと、彼だけはそうしないだろう。⁋ 書かれた文章として事実を明らかにされたほうが彼にとって都合が良かろうと思ったため、出帆前に口頭でそれを伝えることはしなかった。手間を掛けて再読してもらえば、私の混乱した舌が伝え得る以上に納得してもらえるのではないか。⁋ この報告については、彼が最良だと判断することをなんなりとしてくれればいい —— 適切な注釈付で、どこか目的を達するに向いた部屋(*1-2)ででも公開してくれれば。私の事例の初期段階をよくご存じない読者諸氏のために、新事実を明らかにする前の序論として、十分なスペースを割いて背景を要約することとしよう。

私の名はナサニエル・ウィンゲイト・ピーズリー、一世代前の新聞記事 —— あるいは六・七年前の心理学誌のレターや論文を覚えている方なら、私が何者か判るだろう。報道記事には1908年から1913年にかけての私の奇妙な健忘症についての詳細が溢れており、多くは昔ながらに、恐怖だの、狂気だの、私が当時から現在に至るまで居を構えているマサチューセッツの古い町に潜む魔女崇拝だのを盛り込んでいた。それでも私は、自分の家系と前半生に狂気や邪悪の要素が皆無だったことを知っておいて欲しいのだ。これは私の上に突然降り掛かった影が外部の源からきたものだと考える際に極めて重要な事実である。⁋ 薄気味悪い暗黒の数世紀が、囁きに憑かれた崩れゆくアーカムに、この種の影に対する目立った脆弱性を与えているのかもしれない —— だが私が後に研究することとなった他の事例に照らして考えると、これすらも怪しく思えてくる。しかしここで肝要なのは、私の先祖と背景はいずれも悉く正常だという点にある。何かが来た、どこか別の所から来た —— それがどんな所か平易な言葉で明言するのを私は今なお躊躇っている(*1-3)。

私はジョナサンおよびハンナ・(ウィンゲイト)・ピーズリーの息子であり、両親とも健康なヘーヴァリルの古い家系の出身だった。私が生まれ育ったのもヘーヴァリルで —— ゴールデン・ヒルそばのボードマン街(*1-4)にある古屋敷だった —— 1895年に政治経済学の講師としてミスカトニック大学に赴任するまでアーカムには来たことがなかった。⁋ 十三年以上の間、私の人生は順調かつ幸福に過ぎた。1896年にヘーヴァリルのアリス・キーザーと結婚、三人の子供、ロバート、ウィンゲイト、及びハンナがそれぞれ1898年、1900年、および1903年に誕生した。1898年に助教授、1902年に教授に昇進した。オカルティズムや異常心理学にはいささかなりと興味を持ったことがなかった。

1908年五月十四日木曜日だった。私が奇妙な健忘発作に見舞われたのは。発症は急性だったが、後から振り返ってみると、数時間前から朧げな幻が見えており —— 混沌とした幻で、前例がなかったため大いに当惑した —— これが前駆症状だったに違いない。頭痛があり、特異な感じを受けた —— 全く経験したことのない感覚だった —— 誰か他人が自分の思考を奪おうと試みているかのような。

卒倒したのは午前十時二十分頃、三年生および若干の二年生向けに政治経済学VI —— 経済学の歴史と現在の動向 —— のクラスを指導している最中だった。目の前に奇怪な姿が現れるようになり、教室でなく、あるグロテスクな部屋の中にいるような気がし始めた。⁋ 私の思考と講義は主題から逸れて行き、学生たちには何か重大な事態が起きていることが判った。私は意識を失い、椅子に倒れ込み、誰がどうやっても覚醒させることができなかった。以降、私の精神機能が正常に戻り、再び普通の世界の陽光を見るまでに五年四ヶ月と十三日という期間を要したのだ。

それ以降のことは当然ながら他の人からききづてに知ったものである。私はクレイン街二十七番地の自宅に移され、最良の治療を受けたにも拘らず、十六時間半の間意識を取り戻さなかった。⁋ 五月十五日午前三時、私は目を開き、話し始めた。だが、医師と家族が私の表情と言語の傾向に関して心底戦慄を抱くのに、それほど長い時間はかからなかった。私は明らかに過去と自我同一性とを失っていたのだが、何らかの理由でその知識の欠落を隠蔽しようと努めていたらしい。周囲の人々を奇妙な目つきで見つめ、顔面筋の収縮様式は完全に見馴れぬものだった。

私の話し振りがまた無様で異質だった。自分の発声器官をぎこちなく手探りで用い、用語法も妙に堅苦しく、まるで書物から苦労して英語を学んだかのようだった。発音は外国人めいていて、そのくせ慣用句には妙に古風なものや皆目理解しかねる語の配列が大量に含まれていた。⁋ 後者の中には大いに —— ぞっとする程に —— 説得力を持つものが一つあった。というのも、一番若手の医師が二十年後に思い出したのだが、その頃になって問題の語句が実際に用いられるようになったのだ —— 初めは英国で、次いで米国で —— 疑いもなく新しい、かつ大変に複雑な語句であるのに、1908年のアーカムにおける奇怪な患者の謎の言葉を、細部に至るまで正確に再現していたのである。

体力はすぐに回復したが、両手、両脚および身体の各部位が使えるようになるには不思議なくらいの再訓練を要した。このため、また、記憶の欠落により本来的に発生する他の支障のため、私はしばらくの間厳重な医学的管理下におかれた。記憶の欠落を隠蔽しようという目論見が失敗したとみるや、私はそれを大っぴらに認め、あらゆる情報を貪るようになった。そう、医師によると、健忘症が自然なものとして受け容れられていることを見いだすと直ぐに、私は本来の自己への関心を失ったらしいのだ。⁋ 彼らが気づいたのはこんなことだ。私の主な努力は歴史、科学、芸術、言語、及び民話における幾つかの点をマスターすることに向けられていた —— 恐ろしく深遠なものも、幼稚な程単純なものもあった —— なんとも奇妙なことに、多くの場合それらは私の意識の中にはなかったのだ。

同時に彼らは、私が不可解にもほとんど人に知られぬ多くの知識を握っていることにも気づいていた —— 私はそれらの知識を表に出さず隠そうとしていたらしい。一般に受容されている歴史の範囲を越えた暗い時代に属する特定の出来事について、ついうっかりと気軽な感じで口にすることがあり、そんな時私は冗談だと言って、周りが驚くのを笑ってごまかした。また私は未来について話すことがあり、その話し振りが二・三度は現実の戦慄を引き起こした。⁋ こういった不可思議なひらめきはすぐに鳴りを潜めたが、一部の観察者はそれらが消えたのは、露見しないように注意しているためであり、背景をなす異常な知識が薄れたからではないと見て取っていた。そう、確かに私は異様な程貪欲に、自分がいるこの時代の会話や習慣や展望を吸収しようとしていたらしい; ちょうど遠い異国からの旅人のように。

許可が下りるとすぐ、私は四六時中大学図書館をうろつくようになった; やがて奇妙な旅行を企画するようになり、米国及び欧州のいくつかの大学で、特別なコースを受講しようとした。このコースがその後数年間大いに論評の的になった。⁋ 私の事例は心理学者の間でそれなりに有名になっていたので、学術上の人脈が失われたことは一向に問題にならなかった。私は第二人格の典型例の講義を受けた —— そこでも時折、何か奇怪な症候や、ひた隠しにしてもなんとなく透けて見える嘲笑によって講師を困惑させたらしいのだが。

しかしながら、真の友人関係を結ぶことはほとんどできなかった。あたかも私から正常かつ健全な部分が根こそぎ除去されつつあったかのように、私の表情と会話の何かが、会う人全てにはっきりしない恐怖と忌避感をもたらした。その暗く隠された恐怖は広範囲かつ永続的であって、ある種遠くにある計り知れない深淵と結びついていた。⁋ 実の家族もまた例外ではなかった。異様な覚醒の瞬間から、妻は私を酷く恐れ、嫌い抜いた。私のことを夫の身体を強奪した全くのエイリアンだと決めつけたのだ。1910年、彼女は合法的な離婚を手にし、それ以降、1913年に私が本復した後も一切会ってくれなかった。長男と末娘にもその気分が感染り、以降再び見ることが全くなかった。

次男のウィンゲイトだけが私の変化が引き起こした恐怖と反感を克服することができたようだ。彼も確かに私のことを見知らぬ人だと感じていたのだが、ほんの八歳の少年だったのに、私の本当の自己が帰ってくる日があると固く信じ続けたのだ。実際に私が元に戻った時、彼は私を捜し出し、法廷は私に彼の親権を与えた。彼はその後何年もの間、私を駆り立てていた研究のことで手助けしてくれ、三十五歳になった今日、ミスカトニック大学の心理学教授である。⁋ だが、私は皆が恐怖を感じたのは無理からぬことだと思っている —— 1908年五月十五日に目覚めた存在の精神、声、顔の表情は、間違いなくナサニエル・ウィンゲイト・ピーズリーのものではなかったからだ。

1908年から1913年にかけての生活について多くを語るつもりはない。外面的な要点については、読者も —— 私自身が大いに行ったように —— 古い新聞記事や科学雑誌の綴じ込みで拾い集めることができるからだ。⁋ 私は自分の基金から支払いを受け、旅行と様々な教育機関での研究のために、それらを少しずつ、おおむね賢明なやり方で使った。しかしながら、私の旅行は並外れて独特であり、遠い辺境の地への長期に亘る訪問を含んでいた。⁋ 1909年、私はヒマラヤでひと月を過ごし、1911年、駱駝を引き連れアラビアの未知の沙漠に向かって注目を集めた。これらの長期旅行で何が起きたのかは未だに判らないままである。⁋ 1912年、船を一艘借り切って、スピッツベルゲン島北部の北極圏を航海したが、後に失望の様子を示した。⁋ この年の終わり頃、何週間もヴァージニア州西部の大規模な大理石の洞窟網で過ごした —— たった一人で、空前絶後の深部まで —— 暗黒の迷宮はあまりに複雑で、私の足跡を再度辿るなど到底思いも寄らない。

諸大学における私の逗留は異常な程の吸収能力で注目されていた。第二人格が私自身よりも遥かに高度な知性を持ってでもいたかのように。読書と独学の速さもまた並々ならぬものだったことが判った。本のページをめくるや否や一目で細部までマスターしてしまい; 複雑な図表を瞬時に解釈する技能は紛れも無く畏怖すべき領域に達していた。⁋ 私には他人の思考や行動に影響を与える力があり、できるだけ表沙汰にしないよう注意していたらしいが、それでもその能力に関する不愉快といってもいい報告が散見された。

他にも、私がオカルト者のグループや、嫌悪すべき古代世界の秘教を束ねる名状し難い集団との関係が取り沙汰されている学者たちと昵懇であるという不愉快な報告があった。これらの噂は当時証明されることはなかったのだが、疑いもなく、周知されていた私の読書傾向によって刺激されたものだった —— 稀覯書の閲覧を秘密裡に図書館に請求することはできないからだ。⁋ 動かし難い証拠 —— 傍注という形の —— があり、それによると、私はダレット伯爵の屍食教典儀、ルードヴィッヒ・プリンの妖蛆の秘密、フォン・ユンツトの無名祭祀書、当惑すべきエイボンの書の今に残る断片、狂えるアラブ人、アブドゥル・アルハズレッドの恐るべきネクロノミコンといった書物を精読していた。更に、私の奇妙な変容と時を同じくして、地下カルト活動の新たな、邪悪な波が始まったこともまた議論の余地がない。

1913年の夏に、私はアンニュイな様子を見せ始め、それまでの興味を失っていき、自分の中で変化が起こりそうだと様々な同僚に仄めかすようになった。以前の記憶が戻りつつあると言ったのだが、それを聞いた人たちは私が本当のことを話していないと判断した。私が思い出したといっているものはおざなりであり、全て昔の個人的な書類を見れば知ることができるものばかりだったからだ。⁋ 私は八月半ばにアーカムに戻り、長期間閉鎖していたクレイン街の家に再び落ち着いた。ここに私はこの上なく奇妙な外観の装置を設置した。欧州と米国の多くの科学機器メーカからばらばらに取り寄せた部品を組み合わせたもので、それを解析できるだけの知力を持った人物の目に一切触れないよう注意深く監視した。⁋ 見た者 —— 職人が一人、使用人が一人、新しい家政婦 —— が言うには、それは僅かに高さ六十センチメートル、幅三十センチメートル、奥行き三十センチメートル(*1-5)程に過ぎなかったが、複数の棒、円環、及び鏡の奇妙な混合物だった。鏡の中で中央のものは円形の凸面鏡だった。当れる限りのメーカを当った結果、その全てに裏付けがとれた。

九月二十六日金曜日の夕方、私は家政婦とメイドに翌昼まで暇をとらせた。家には夜遅くまで灯火がともり、痩せた色黒の妙に異国風の男が自動車で訪ねてきた。⁋ 灯火が最後に見られたのは午前一時ごろだった。午前二時十五分、警官が灯火が消えていることを見ているが、余所者の車はなお歩道の縁にあった。この車は四時には確かに立ち去っていた。⁋ 口ごもった感じの外国人の声でウィルソン医師に我が家への往診を依頼する電話が有ったのは午前六時のことだった。私が奇妙な失神を起こしたのでなんとかしてくれというのだ。この電話 —— 長距離電話だった —— は後の追跡によってボストンのノース・ステーションの公衆電話から発呼されたことが判明したが、痩せた異国人の行方は杳として知れなかった。

我が家に到着した医師は、私が居間で意識を失っているのを発見した —— 安楽椅子の中で、その前にはテーブルが引き寄せてあった。磨かれた天板には複数の擦り傷があり、何か重量のある物体が置かれていたことを示していた。奇妙な装置は失せており、それについて後に耳にすることもなかった。疑いなく、色黒の痩せた異国人が持ち去ったのだ。⁋ 図書室の暖炉には大量の灰があり、健忘症が降臨して以来書いてきたものを反古にし、それを一枚残らず焼き捨てようとした痕跡なのが明らかだった。ウィルソン医師は私の呼吸が奇妙にも乱れていることに気づいたが、皮下注射をしたところ、より規則正しくなった。

九月二十七日午前十一時十五分、私は生き生きとした動きを示し、これまでの仮面様の顔に表情の色を浮かべた。ウィルソン医師の所見では、その表情は第二人格のものではなく、私の正常な人格のものに似ていた。十一時三十分、私はいくつかの非常に風変わりな音節を呟いた —— いかなる人間の会話とも関連のない音節だ。私はまた、何かに対して争っているようだった。そして、丁度午後になった時 —— その間に家政婦とメイドが戻ってきていたのだが —— 私は英語を呟き始めた。

「—— 当時の正統派の経済学者の中で、ジェヴォンズ(*1-6)は科学的相関性に向かう広汎な潮流を代表する人物であった。景気循環という経済のサイクルと、太陽黒点の増減という物理学のサイクルを結びつけようとする彼の企ては、その頂点をなすものにして ——」

ナサニエル・ウィンゲイト・ピーズリーが帰ってきた —— 彼自身の心の時を1908年の木曜日の朝にとどめ、経済学のクラスで教壇の上の使い込まれた机を凝視しながら。

第二章

正常な生活を取り戻すのは、苦痛に満ちた困難な過程だった。五年間以上の時を失うことは想像できない程の面倒を引き起こすのであり、私の場合、調整を要する物事が数限りなくあった。⁋ 1908年以降の私の活動について耳にすることは、私を驚かせ当惑させたが、私は努めてそれを冷静に受け止めようとした。漸く次男ウィンゲイトの親権を回復したので、二人でクレイン街の家に腰を据え、教職への復帰を目指して努力した —— 大学は親切にも以前の教授職を提供してくれたのだ。

私は1914年二月の学期から仕事を始め、一年間職を保った。その間、あの体験がいかに自分を動揺させたかを思い知った。完全に正気—— 望むらくは —— であり、本来の自己には何らの傷も負わなかったのにも関わらず、昔日のような神経のエネルギーを揮うことができなかった。常にぼんやりした夢や奇妙な思いつきに悩まされ、世界大戦が勃発すると私の心は歴史に向いたのだが、その際、時代や出来事に関する自分の考え方が、最大限奇妙なものになっていることに気づいた。⁋ 私の時間に関する観念、継続性と同時性とを区別する能力 —— これらは微妙に損なわれているようで、ある時代に生きながら、悠久の時間を超えて精神を投影し、過去乃至未来の時代の知識を得る、などといった荒唐無稽な考えを抱いていた。

戦争は私に、それによる悠遠な結果のいくつかを想起しているかのような、不思議な印象を与えた —— あたかもそれがどういう結末を迎えるかを知っていて、未来の情報の光の下で振り返ることができるとでもいうかのように。こういった擬制記憶は常に大きな苦痛を伴い、それらに対する何らかの人工的な心理的障壁があるような感じがした。⁋ 自分が受けた印象をおずおずと他人に仄めかしてみたところ、反応はさまざまだった。不愉快そうな目つきで見返す人もいたが、数学科の人々は相対論における新たな進展のことを話してくれた —— 当時は学者の間でのみ議論されていた —— 後に大変に有名になったものだ。彼らによると、アルベルト・アインシュタイン博士の手で、時間の地位が、一気に単なる次元の一つにまで縮小されたという。

だが夢と不安感が私を浸食し、そのため1915年に常勤の職を退かねばならなくなった。ある印象が確実に煩わしい形を取るようになってきて —— 私は自分の健忘症が何らかの不浄な交換によるものだという考えをいつまでも抱くようになっていた; かの第二人格は確かに未知の領域からの侵略者で、私自身の人格は置換作用を受けたのだ、という考えだ。⁋ かくして私は、他者が私の身体を把持していた何年もの間、自分の真の自己はどの辺に行っていたのだろうかという、朧げで慄然たる推測に駆り立てられた。他の人や書類(*2-1)や雑誌からより詳細を知れば知る程、ますます私はこのところ自分の身体を借用していた者の奇妙な知識と奇矯な行状について困惑を深めていった。⁋ 他人を当惑させた奇妙さは、その背景をなす、我が心の無意識の間隙の中で腐敗する黒い知識と恐ろしくも調和しているようだった。私は熱病に罹ったように、暗黒の幾年かの間にかの他者が行った旅行と研究についての情報を含んでいるものならどんな断片でも漁った。

問題の全てがこのような半ば抽象的なものだったわけではない。夢があった —— そしてそれはより生き生きと、具体的になってくるようだったのだ。殆どの人がどう見るかはいうまでもなく判っていたので、息子及び何人かの信頼できる心理学者以外には滅多にそれらの話をせず、むしろ他の症例に関する科学的な研究を始め、健忘症の被害者の間でこの種の幻覚がどの程度典型的か、あるいは非典型的かを知ろうとした。⁋ 心理学者、歴史学者、人類学者、および経験豊富な精神病専門家の手を借り、また悪霊憑きの伝説から現代医学上の実例まで多重人格に関わる全ての記録を渉猟した結果は、初め私を慰めるというよりうんざりさせた。

間もなく、私が見ているような夢は圧倒的多数の真正な健忘症例には見受けられないことが判明した。しかしながら、私の体験と軌を一にする僅かな記述が残り、何年もの間私は戸惑い、ショックをうけた。一部は古い民話; 一部は医学年鑑の症例、一・二例は通常の歴史の中に隠れた史実として埋没していた。⁋ かくして、私が被ったような特殊な災難は極めて稀ながら、人類史の開闢以来、長い間隔をおいて見受けられるようだったのだ。一世紀の間に一・二・ないし三例起こることもあれば、一例も見られない —— あるいは少なくとも記録が残っていない —— 世紀もあった。

本質的な部分は常に同一だった —— 怜悧な思索家が奇妙な第二人格の形で人を強奪し、期間の長短はあれ、全く異質な存在となり、典型的には初め声や身体のぎこちなさでそれと知られ、後には膨大な量の科学、歴史、芸術、人類学の各知識を習得した; その習得過程は熱狂的で、全く以て異常な吸収力を見せた。ついで突然正常な意識が戻り、その後は間歇的に、念入りに拭い去られた悍ましい記憶の断片を暗示する漠然とした分類し難い夢に魘される。⁋ 私自身の悪夢と極めて —— 細大漏らさず —— 類似していることからして、それがどんな特徴を持っているかは疑う余地がなかった。それらの一・二例では、微かな、冒瀆的な親近感を覚える付加的な環があり、あたかも私が、考えもできぬ程恐ろしく身の毛のよだつ何らかの宇宙的な経路を通じて、予めそれらの事例のことを聞き知っていたかのようだった。三つの事例では、第二の変容の前に我が家に設置されていたような未知の装置に関する、特別な言及があった。

探求の過程でなんとなく私の気を揉ませたもう一つの事柄は、明確な健忘症を示さなかった人々にふと典型的な悪夢が現れる(*2-2)事例が幾分高い頻度で見られたことだ。⁋ これらはおおむね月並みかそれ未満の精神の持ち主で —— 異様に高度な学識や並外れた精神的吸収力のための容れ物とは考え難い人々だった。ほんの一瞬異邦人の攻撃を受け —— その後短い逆行性健忘と(*2-3) —— 人間のものならぬ恐怖についての泡沫的な記憶がくるのだ。

過去半世紀の間に、この種の事例が少なくとも三例あった —— 一例はほんの十五年前だ。想像し難い自然の深淵から、何者かが時を超えて盲撃ちでもしているのだろうか? このような微妙な事例は、まともな信条を遥かに超越した実行者による醜怪かつ邪悪な一種の実験なのだろうか? ⁋ 心弱い時に私の中にあったのは、この手の混沌とした推測 —— 自らの研究が明らかにした神話によって唆された幻想だった。ある種の伝説が有史以前の太古から連綿と引き継がれ、明らかに近年の健忘症例における犠牲者や医師はそれらを知らなかったのだが、私の場合のような衝撃的かつ畏怖を催す精緻な記憶の喪失を描写していることに疑いがなかったからである。

かくも騒々しくなっていった夢と印象の性格については、未だに語るを恐れる。それらには狂気の風味が感じられ、時として私は自分が発狂しつつあるに違いないと信じた。記憶喪失の憂き目にあった者を苛む特徴的な妄想があったのだろうか? おそらくは、当惑するような記憶の空白を擬制記憶で埋めるべく意識下の精神機能が努め、その結果異様に空想的な斑気が起こるのであろう。⁋ 確かにこれこそ —— 最終的には伝承に基づく異説の方があり得ると思えたのだが —— 私が自分に類似した症例を探す上で援助を与えてくれ、また時折酷似した症例が見つかると一緒に驚いてくれた多くの精神科医の信条だった。⁋ 彼らは私の状態を真の狂気とは呼ばず、むしろ神経症による障害に分類していた。それを無理矢理否定したり忘れたりしようとする代わりに、追求し分析しようと試みる私の方針について、彼らは心理学の原理に則った最良の方法であるとして心から支持してくれた。私は彼ら医師の助言をことさら評価していた。何といっても彼らは、他の人格に憑依されている間の私を診察してきたのだから。

私が受けた最初の動揺にはなんら視覚的な要素がなく、前述の如くより抽象的な事柄に関係していた。同時に、自分自身に関する根強く不可解な恐怖感があった。自分の姿を見るのが妙に怖かったのだ。まるで我が目が、全く異質な、信じ難い程虫酸が走るような何かを見いだすのではないかという風に。⁋ ちらっと下に目を走らせ、地味な灰色ないし青色の服を着た見馴れた人間の姿が見えると、私は妙にほっとしたのだが、その安心感を得るためには先んじて限りない恐怖を克服する必要があった。私は可能な限り鏡を避け、髭剃りはもっぱら床屋ですませた。

これら落胆するような感覚と出現し始めた視覚的印象とを、とにかくも関連づけるようになったのは、大分後になってからだった。このような関連づけは、自分の記憶が外部から人工的に制限されているという奇妙な感覚を我慢することから始まった。⁋ 私が瞥見した光景は深遠かつ恐るべき意味を持ち、私自身との間に身も凍るような繋がりがあるような感じがした。だがその意味や繋がりを把握しようとすると、ある意図的な影響力によって阻止されたのだ。ついで、時間という要素についての奇妙な感覚が現れ、それと共に夢で瞥見した断片をなんとか時間的及び空間的に整列させようという絶望的な努力が行われた。

その瞥見自体は初め恐ろしいというより単に異様だった。私はどうやら石造りの穹窿をもつ巨大な広間の中にいるようで、そそり立つ穹窿の交差線は頭上の陰にほとんど隠れてしまっていた。これがいかなる時代いかなる場所での光景であるにせよ、アーチの原理は古代ローマ人の間に於けると同様に良く知られ広範に応用されていた。⁋ 巨大な丸窓、高いアーチ型の扉、一つ一つが並の部屋の高さをもつ基台ないしテーブルがあった。途方もなく広がる黒い木の書棚が壁を埋め尽くし、計り知れぬ大きさの書物らしきものが収められ、その背表紙には異様な象形文字があった。⁋ 剥き出しの石細工には奇妙な彫刻があって、共通して数学的な曲線を意匠としており、また巨大な書物にあるものと同じ文字が刻まれていた。醜悪な巨石時代様式に則った暗い花崗岩の石組が、凸型に湾曲した頂面の上に凹型の底面がぴったり嵌る形で上に延びていた。⁋ 椅子はなく、基台の上には本や書類や筆記用具らしきものが散乱していた —— 紫っぽい金属でできた奇異な形の壺や先端に色がついた棒だ。基台の背が高いのにも拘らず、時折私はそれを上から見下ろすことができるようだった。いくつかの基台の上には照明として働く輝く結晶でできた巨大な球が乗っており、ガラス管と金属棒からなる不可解な装置があった。⁋ ガラス張りの窓には頑丈そうな棒でできた格子がついていた。それに近づいて外を覗き込む勇気はなかったものの、いまいる場所からも奇妙な羊歯様の茂みが波うつ姿を見ることができた。床は重厚な八角形の板敷きで、絨毯や壁掛けは一切なかった。

後になると私は、キュクロプス式の石の通廊を浮遊し、同じ醜悪な巨石建築の中の巨大な斜面を登り降りしているような幻覚を覚えた。どこにも階段がなく、幅が十メートル(*2-4)を下回る通路も一切なかった。私が漂い回っている構造物の中には空に向かって千メートル(*2-5)も聳える塔が含まれていたに違いない。⁋ 下方には何層もの黒い穹窿があり、決して開けられないように金属帯で封印された落し戸があり、ある特殊な苦痛を暗く仄めかしていた。⁋ 私は囚人であるらしく、目にするもの全てに恐怖が薄気味悪く付きまとっていた。思うに、無知という恩寵によって守られているのでなければ、私の魂は、壁にある嘲笑するが如き曲線状の象形文字が伝えるメッセージによって爆砕しまったのではないか。

さらに後の夢には、大きな丸窓や、巨大な平屋根からの眺望が含まれるようになり、奇妙な庭園や、広がる荒れ野や、波状の石の胸壁が見えた。斜路を登りつめるとその胸壁に行き当たるようになっていたのだ。⁋ 巨大建築群の連なりはほとんど果てしなく、それぞれの建物に庭があって、七十メートル(*2-6)もの幅を持つ舗道に沿って並んでいた。建物の外観はさまざまだったが、面積百七十メートル四方ないし高さ三百メートルを下回るものはほとんどなかった。多くの場合千メートル近い高さの正面をもち、それどころか、一部は湿った灰色の天空に向かい山岳のごとき標高にまで聳えていた。⁋ それらは主に石材ないしコンクリート製で、そのほとんどが、私が収監されているこの建物に見られるものと同一の様式の、奇妙に曲線的な石組によって構築されていた。屋根は平らで庭に覆われ、波状の胸壁を持つことが多かった。時折テラスや上階があり(*2-7)、また庭に混じって広大な空き地があった。広い道路には何かが動いている気配がしていたが、この初期段階の幻影では詳細な点まで見分けることができなかった。

いくつかの場所では、桁外れに高い円筒状の塔が他の構造物を圧して聳えていた。これらは極めて独自な性質を持っており、途方もない時代と崩壊の徴を留めていた。その建築様式は方形に切り出した玄武岩を用いた怪奇なものであり、丸められた頂部に向かって僅かに細まっていった。大きな扉を除いては、それらには何らの窓も開口部も一切見受けられなかった。玄武岩造りのより小柄な建物 —— 皆、悠久の年月がもたらす風化によって崩壊しつつあった —— が他にもあり、基本的に黒い円筒状の塔に類似した建築様式によっていた。こういった常軌を逸した方形の石組みの山には説明しようのない脅威と凝縮された恐怖のオーラが漂っていた。丁度封印された落し戸がまとわりつかせるのと同様に。

遍在する庭は恐ろしい程異様で、不思議な彫刻をもつモノリスに縁取られた広い小径に沿って奇怪で見慣れぬ種類の植生が頭を垂れていた。異常な巨大さの羊歯類が優勢で —— 緑のもあれば、ぞっとするような菌類の青白さを持つものもあった。⁋ その中に蘆木に類似した幽霊のような巨体が突っ立ち、とてつもなく背が高い竹に似た胴体をそそり立たせていた。また、巨大な蘇鉄のように房を付けた植物やグロテスクな暗緑色の灌木や球果植物に似た木があった。⁋ 花卉は小さく色あせ、地面にあるいは緑に埋もれてそれとわからぬように咲いていた。⁋ 若干のテラスや屋上庭園にはより大きな、嫌らしい形態を持った別種の花が咲き、人工的な改良を暗示していた。信じがたい大きさ、輪郭、色の菌類が、知られざる、しかし高度に確立した造園術の伝統に則って庭に色を添えていた。地表にあるより大規模な庭園には自然の持つ不規則性を残そうとする意図が認められたが、屋上のそれはより選択的で、装飾のために刈り込まれた証拠が歴然としていた。

空はほぼ常に靄り曇っており、時折私は豪雨を見たらしい。だが、たまに太陽 —— 異様に大きく見えた —— や月を瞥見することもあり、その模様はどうも正常から逸脱しているようでなんとも腑に落ちなかった。夜空が —— 極々希に —— 多少なりとも晴れた際には、およそ認識しがたい程変形した星座が見えた。時として既知の形との類似性が認められたものの、一致することはほとんどなかった; そして判読できた僅かな星座の位置からみて、自分の居場所は地球の南半球、南回帰線付近に違いないと思った。⁋ 彼方の水平線は常に蒸気が湧き不明瞭だったが、未知の木性羊歯、蘇鉄、鱗木、封印木からなる大ジャングルが都市の外に広がり、移ろう蒸気の中、悪ふざけのように群葉が波打つファンタスティックな様を見ることができた。折々空に何らかの動きの感じがあったが、この初期段階の幻影からは分析できなかった。

1914年秋までに、そう頻繁ではないものの、奇妙な具合に都市の上に浮かんでその周囲の地域を動き回る夢をみるようになった。斑や襞を持つ束ねられた幹が悍ましい森を成し、それを通ってどこまでも延びる道路は、私に常時取り憑いているこの都市と同程度に異様な他の諸都市を横切っていった。⁋ 森や林に囲まれた林間地や空き地は永遠の黄昏の国となり、その中に黒や虹色のぞっとするような構造物があった。また長大な橋が湿地の上を渡っていたが、あまりに暗いため湿った塔状の植物が僅かに見えただけだった。⁋ 私は一度、風化した玄武岩の廃墟が何キロにも亘って果てしなく(*2-8)散乱する地域を見、その廃墟の建築様式は、私につきまとう都市に僅かにある丸い頂点の無窓塔と類似性を持っていた。⁋ 更に一度、海を見たことがあった —— 無辺の蒸気の広がりが、ドームとアーチからなる巨大都市の、巨石像の如き桟橋の彼方に見えたのだ。無形の巨大な影のようなものがその上を動き、海面はそこかしこで異様な噴出に沸き返っていた。

第三章

前にも書いたが、これらの放縦な幻覚はいきなりその恐るべき性質を保持するようになったのではなかった。異様な夢というのは間違いなく多くの人々が本来的に見てきたものである —— 互いに関係のない日常生活や映画や(*3-1)読書の断片が混ざり合い、妨げられることのない眠りの気まぐれによって、空想的で新奇な形をとるのだ。⁋ 私は決して度を超した夢想家ではなかったのだが、それでも時には幻覚を自然なものとして受け止めた。私はこう主張した、即ち、これら漠然とした異常性は、その多くがあまりに数が多いため追跡し得ない些末な源に因ってきたるものに相違なく; それ以外は一億五千年前の原始時代 —— 二畳紀ないし三畳紀 —— における植物等に関する教科書的な一般知識を反映したのであろう。⁋ しかしながら数ヶ月が経過するうちに、恐怖の要素は力を弥増していった。この時、夢が紛れもない記憶の様相を呈し始め、私の精神の中で、募り行く抽象的な不安 —— 記憶が制限されている感じ、時間に対する奇妙な印象、そして1908年から1913年における第二人格との間の人格交換という胸の悪くなるような感じ、さらに遅くには、自分自身の容姿への説明し難い嫌悪感 —— とそれらとが結びつき始めたのだ。

判然たる詳細が夢の中に入り込み始めると、それらの恐怖は千倍にもなった —— 1915年十月には、私は何かをせずにはいられなくなっていた。健忘症と幻覚の他症例に関する徹底的な研究を開始したのはこの時であり、こうすることで自らの困難を対象化し、情動的な支配を振り払えるのではないかと感じていた。⁋ しかしながら、前述のように当初得られたのは正反対の結果だった。自分の夢が極めて正確に再現されていると気づいたとき、私は大いに当惑した; 殊に、記述の中にはあまりに時代が古過ぎ、私の責に帰するいかなる地質学上の知識とも —— 従って原始の景観に関するいかなる認識とも —— 相容れないものがあったからだ。⁋ 尚悪いことには、これら記述の多くが、巨大建造物およびジャングルの庭 —— その他と関連した実に悍ましい細部の説明に及んでいるのだ。実際の景色やぼんやりした印象だけでも十分たちが悪いのに、他の夢想家が仄めかしたり断言したりするもの中には、狂気や冒瀆の味付けがあったのだ。中でも最悪だったのは、私自身の擬制記憶がより破天荒な夢となり、更なる暴露を予告していることだった。それなのに殆どの医師が、尚も私のやり方は総じて推奨されるものだとしていた。

私は心理学を系統的に学び、それが効果的な刺激となって息子のウィンゲイトも同じことをするようになった —— その学習によって息子は現在の教授職にまで導かれたのだ。1917年および1918年、私はミスカトニック大学で特別な課程を受講した。そのかん、私の医学、歴史学、人類学における記録探査は不撓不屈の域に達し、遠方の図書館を旅するだけでは飽き足らず、仕舞いには第二人格が不穏にも興味を寄せていた古き禁断の知識に関わる悍ましき書物を読みさえした。⁋ 後者のいくつかは、変容時の私自身が参照していた当の書物そのものであり、私を大いに当惑させたことには、それらの書物には欄外に注釈を書き込んだり、悍ましい本文をもっともらしく訂正したりした箇所があり、その書体や慣用句がどうも人間のものならぬ風にみえたのだ。

様々な書物へのこれらの注記は、ほとんどが本文の言語そのものでなされ、明らかに学術的な性質のものなのに、書き手はそれらの言語全てに等しく通暁しているらしかった。しかしながら、フォン・ユンツトの無名祭祀書に書き込まれた一つのメモだけは驚くべき例外だった。ドイツ語による訂正と同じ墨蹟で曲線的な象形文字が書かれているのだが、人間の理解できるパターンにまるで従っていなかった。またこれらの象形文字は私の夢にいつも出てくる文字と明らかに酷似していた —— そしてその文字の意味を理解できるような、今にもそれを思い出せそうな瞬間がよくあったのだ。⁋ 私の暗黒の混迷を完成させたのは司書たちで、貸出前の検査と当該書籍の貸出簿からみて、これらの注記はすべて第二状態の私自身が行ったものに相違ないと請け合ってくれた。当時も今も関係する言語の内三つを私は全く知らない、という事実があるにも拘らず。

時代の新旧も人類学・医学の分野も問わず、散在する記録を一つにつなぎ合わせていくと、相当程度一貫性のある神話と妄想の混成物になり、そのスコープと放縦さに私は茫然とするばかりだった。唯一私を元気づけてくれたのは、その神話が随分古い時代から存在していたことだった。いかなる失われた知識によって古生代ないし中生代の風景を原始時代の伝説の中に描画し得たのかは推測すら能わないが; しかしその描画はあったのだ。かくして、決まりきった一定のタイプの幻影が出現するための基盤が存在したことになる。⁋ 疑いなく、健忘症の諸症例が一般的な神話のパターンを作り上げたのだが —— 後には幻想的に成長した神話が健忘症患者に作用して、彼らの擬制記憶に色を添えることになったに違いない。私自身、記憶喪失の間にあらゆる古い話を読み聞きした —— 私の探求が十分すぎる程明らかにしたように。だとすれば、第二状態だった私から微妙に引き継がれた記憶が、その後の夢と情動的な印象を色付け型にはめることになったとしても、それは道理というものではないのか? ⁋ 少数の神話は、人類以前の世界に関する他の朦朧たる伝説群、殊に、茫然とするような時間の深淵にまつわり現代の神智論者の教えの一部を成しているヒンドゥーの物語との間に重要な関連を持っていた。

原始神話と現代の妄想は一致して、人類は、この惑星の長くほとんどが未知の履歴における高度に進化した複数の支配種族 —— その中で恐らくは最小の —— の一員に過ぎないのだ、と推測していた。彼らが仄めかすには、三億年前、人類の元となる最初の両生類が熱い海から這い出しもしないうちから、信じ難い姿のものが天に届く塔を建て、自然のあらゆる秘密を掘り下げたというのだ。⁋ 星から下ってきたものがある; 少数のものは宇宙そのものと同じくらい古く、また我々の生態系に遥か先んじて、地球の胚芽より急速に生まれきたものがあった。その胚芽が我々のものより先行していたからだ。数十億年というスパン、他の銀河や宇宙とのリンクが自由に語られた。そう、そこには人間が受容する意味での時間などというものはなかったのだ。

だが、伝説および漠然とした記憶(*3-2)のほとんどが、とある比較的後期の種族に関係していた。それは奇妙に込み入った姿をしており、科学に知られたいかなる生命形態とも類似性がなく、人類出現に対し僅か五千五百万年先行して生存していた。伝説や記憶が示すには、これこそが全種族のうちで最も偉大なものであり、それは独りこの種族のみが時間の秘密を征服したからである。⁋ それは地球上でこれまでに知られ、またこれから知られるであろうあらゆる事物を学んでいた。そのより鋭敏な精神が持つ、何百万年という時の深淵をすら超えて自分自身を過去と未来に投影する能力を通し、各時代の知識を研究するのだ。全ての予言者伝説はこの種族の業績から生まれたものであって、それには人類の神話学にみられるものも含まれる。

その広大な図書館には、地球の全年代史を留める文章と画像が —— 世界に存在したことのある、あるいはこれから存在するはずの全種の歴史と記述が、彼らの芸術、業績、言語、心理学の完全な記録とともに —— 書籍として所蔵されていた。⁋ 大いなる種族(*3-3)はこの永劫の刻に亘る知識によって、全時代の全生命形態から、自らの性質や状況に適合しそうな思想や芸術、行動様式(*3-4)を選び出した。認識可能な感覚を外れた精神投射を通して確保される過去の知識は、未来の知識よりも収集し難かった。

後者においては、過程はより容易かつ物質的だった。適切な機械による補助を用いて、時間の中を前方に向けて精神を投射することができ、それが望む時代に到達するまで、暗い超感覚的なやり方で手探りしていけるのだ。ついで何回かの予備的な試行の後、その時代における最高度の生命形態の持ち主を代表する生体の中で、発見しえた最良の個体に憑依することになる。有機体の脳に入り込むと、その中で自分自身の振動を立ち上げる。一方置換された精神は投射者の時代に引き戻されることになり、復元過程が起動されるまでの後者の肉体の中に留まる。⁋ 投射された精神は、未来の有機体の身体の中で、まとった体と同じ姿をもつ種族の一員として振る舞いつつ、選ばれたその時代および集積された情報と技術に関するあらゆる事物を可及的速やかに学ぶことになる。

その間、逆投射により投射者の時代と身体の中に置換された精神は慎重に保護される。それが占拠している身体を傷つけぬようにされ、また、熟練の質問者の手で、全知識を搾り取られることになるのだ。質問は屢々置換された精神自身の言語によるのだが、これはそれまでの未来探査によって当該言語の記録が得られている場合である。⁋ 大いなる種族が肉体的に再現できない言語をもつ身体から精神がやってきた場合は、楽器を演奏するように異国の言語を話すことのできる精巧な装置が製作されるのだった。⁋ 大いなる種族の構成員は高さ三メートルの大きな皺の寄った円錐形で、頭部その他の器官は、頂部から複数伸びる太さ三十センチメートルの伸縮性の肢の先端に付着していた。四本の肢の内二本には大きな前足ないし鉤爪があり、彼らはこれを打ち鳴らしたり引っ掻いたりして会話するのだ。歩行は巨大な三メートルの基部にある粘状層の伸縮によっていた。

囚人の精神が驚愕と憤慨の時期を脱し、また(元の身体が大いなる種族と著しく構造を異にすると仮定して)(*3-5)不慣れな一時的身体への恐怖心を捨てれば、新たな環境を研究し、投射者に近いレベルの驚異と智慧とを体験することが許可される。⁋ 適切な予防措置および適切な役務との交換を条件に、大型飛行船ないし、大道を行くボートに似た形の原子力駆動の大型車に搭乗して、居住地区全部を彷徨することが認められ、この惑星の過去と未来の記録を収めた図書館で思うがままに没頭することができた。⁋ このおかげで、多くの囚われの精神たちは諦めがついたのだ; いずれ鋭敏ならざる者はなく、かような精神にあっては、隠れたる地球の謎 —— 既に閉じられた信じられぬ程の過去の章と、彼ら本来のものより後の時代を含む、未来の目も眩むような渦動 —— を明らかにすることは、屢々恐怖の深淵を覗くことになろうとも、人生における至高の経験なのだから。

一部の囚人は時折、未来から囚われてきた他の精神との会合を許されることがあった —— 何百、何千、何百万年の時を隔てて生きる意識の間で思考が交換されるのだ。そして全てを書き残すよう駆り立てられた。彼ら自身の、それぞれの時代の言葉で詳細に; こういった文書は巨大な中央文書館(*3-6)にファイルされることになっていた。

普通以上の名誉を与えられた特殊な種類の囚人がいたことを加えてもいいだろう。これらは死なんとする永遠の虜囚だった。大いなる種族の構成員の中で鋭い精神を持った者が、死を目前にして、我と我が精神を消滅から救うため未来の身体を強奪したのだ。⁋ このような憂鬱なる捕囚は思いのほか少なかった。大いなる種族は生命への執着を滅却していたからだ —— 精神投影ができる上級の精神ならなおさら。後世に見られた人格の長期変容は —— 人類のものも含んで —— その多くが過去からの永続的な投射に因ってきたるものである。

通常の探査の場合では —— 未来において探査者の精神が望むだけのものを学んでしまったら、探査行開始時と同様の装置を製作し投射過程を逆転させる。投射者の精神は自身の時代の自身の身体に戻り、一方、先ほどまで囚われていた精神も本来属していた未来の身体に戻ることになる。⁋ この復元過程が不可能になるのは、どちらかの身体が精神交換中に死亡した場合のみだった。このような場合は、無論のこと、探査者の精神は —— 死からの逃亡者と同様 —— 未来の時代を異種族の身体のまま生きることになる; あるいは、囚われの精神が最期の日を —— 死なんとする永遠の捕囚同様に —— 大いなる種族の姿で過去の時代において迎えねばならぬことになる。

この運命が最も恐ろしくなかったのは、囚われの精神もまた大いなる種族のものである —— この種族は存在した全時代を通して自分の未来をひどく気に掛けていたため、このような事態は稀ではなかった —— 場合だった。死なんとする永遠の捕囚となった大いなる種族の数は極めて少なかった —— 未来の大いなる種族の精神を瀕死のものと交換する行為には恐るべき処罰が伴ったことが大きい。⁋ 未来の新しい身体の中にいる破戒を犯した精神に対して、精神投影を用いた懲罰が用意され —— 時として再交換が強行された。⁋ 投射先がまた探査者であった、ないしは様々な領域から来た過去の精神によって既に囚われていた、といったような複雑な事態も知られており、注意深い修正が施された。精神投影法の発見以来、各年代の人口の中の小さな、しかしはっきりそれと判る一部が、滞留期間の長短はあるにせよ、過去からやってきた大いなる種族の精神から成っていたのだ。

囚われの精神が異種族由来である場合は未来にいる本人の身体に戻されるが、その際手の込んだ機械式催眠術により、大いなる種族の時代に学んだことの全てが取り除かれる —— 大量の知識を未来に持ち帰られると、総じて厄介な結果が齎されるからだ。⁋ はっきりとした情報が伝わったことで発生した、あるいは既知の未来において発生するはずの大災害の例が少数ながら実在していた。人類が大いなる種族に関わる事情を学んだのは、(古神話曰く)この種の事例のうち二件によって齎された結果によるところが大きかった(*3-7)。⁋ かの永劫の時を隔てた世界から物理的かつ直接的に残存しているものといえば、遥か遠隔の地と海底にあるいくつかの巨石遺跡と戦慄すべきナコト写本の断片のみである。

かくして、囚われの精神は、捕囚となって以来のことについて、極めて幽かで断片化された幻影のみを携えて本来の時代に帰還した。抹消できる記憶は全て抹消され、ほとんどの場合は最初の精神交換まで遡る仄暗い夢のような空白があるだけだった。中にはより多くを思い出す精神もいて、極稀には、記憶を繋ぎ合わせる機会を持ち、これによって禁断の過去についての仄めかしを未来に持ち込むことのできる者もいた。⁋ この種の仄めかしを内密に擁護しようとする集団やカルトが存在しない時はなかった。ネクロノミコンには、人類の中におけるこの種の一団の存在が暗示されている —— 大いなる種族の日々から永劫の時を超え流れ着いた精神を、折りに触れて援助してきたカルトである。

そうこうするうち、全知に近い存在となった大いなる種族の矛先は、他の惑星の精神との交換を確立しその過去と未来の探査に赴くことへと転じた。同様に、過去の年月を探り、自分らの精神が因ってきたったところの、遥か遠い宇宙の、暗く永劫の死が支配する球体へと達しようとした —— 大いなる種族の精神は、その身体よりも古かったからだ。⁋ 滅びなんとする旧世界を前に、究極の謎を解き得たその存在は、長く生きることが可能だと思われる新世界と種とを探した; そして最も住み心地の良さそうな未来種族の中へと彼らの精神を一挙に送り込んだのだ —— 十億年前、我々の地球に満ちていた円錐生物である。⁋ かくして大いなる種族は生きることとなり、一方過去に逆投射された無数の魂は、異形の姿の中で戦きつつ死ぬに任された。後にはこの種族も再び死に直面する。だがもう一度、特に優れた精神を、彼らの後まで物理的存在を長らえるはずの未来の身体に移民させることで生き延びるであろう。

こういったものが、絡み合う伝説と幻想が織りなす背景であった。1920年頃、自分の研究が首尾一貫した形をとってくると、私は研究開始当初には強まっていった緊張が幾分和らぐのを感じた。結局の所、盲目的な情動によって刺激された幻想なのにも拘らず、私に生じた現象の多くは容易に説明できはしないか? 健忘症の期間に暗黒の研究に心を向ける機会があったのだろう —— そして私は禁断の伝説を読み、古く評判の悪いカルトの構成員と会ったのだ。明らかにこれが、記憶回復後の夢と当惑感に原材料を供給することとなった。⁋ 夢に出てきた象形文字と私の知らない言語を用いて欄外に記入された注釈についていえば —— 第二状態にあった間に聞きかじった言語から容易く拾い起こせただろうし、象形文字は古伝説から私の幻想がでっち上げたものであって、後から夢の中に織り込まれたのだ。カルト指導者として知られた人々と会話を交わして幾つかの点を確認しようとしたのだが、まともに話をつけることはできなかった。

長い年月を隔てた事例の間にあまりに多くの類似性が認められることが、引き続いて初めの頃と同様に時折私を苦しめたが、一方では疑いなく現在より過去の方が伝説が広く行われていたことを思い起こしもした。⁋ 私が第二状態でのみ学んだ物語は、私と類似した症例を示した他の犠牲者にとっては長年慣れ親しんだ知識だったのだ。これらの犠牲者が記憶を喪失したとき、彼らは馴染みの神話にでてくる怪物と彼ら自身とを関連づけた —— 人間の精神を置き換えるとされる法外な侵略者であり —— 人間ならざる幻想の過去に持ち帰りうると彼らが考える知識の探求に向け船出したというものどもと。⁋ そして記憶が回復すると、関連過程を逆転させ自分自身を投射者ではなく以前の囚われの精神に擬して考えるようになった。故に夢と擬制記憶が紋切り型の神話のパターンの跡を辿ることになる。

かような説明は迂遠に感じられるものの、最終的にはこれが他の考えを押しのけて私の精神を支配した —— 他の対立仮説が遥かに弱い、というのが主たる理由だったのだが。かなりの数に上る著名な心理学者及び人類学者も次第に私のこの考えに賛同してくれた。⁋ 深く考えれば考える程、この立論は信じられるようになった; とどのつまりは、私は自分を尚も苛み続ける幻影と印象に対して、全く以て効果的な堡塁を築き上げたのだ。夜に変なものを見た? そんなのはこれまでに聞くか読んだかしたことがあるだけだ。おかしな嫌悪感や景観や擬制記憶があると? 同じことだ。第二状態の私が吸収した神話の谺に過ぎない。何を夢見ようが、何を感じようが、現実的な重要性などあるものか。

この哲学の砦に護られて、私の神経の平衡はずいぶん改善された。(抽象的な印象よりも)幻影が一貫して頻度を増し、当惑する程詳細になっていったのにも拘らず(*3-8)。1922年、常勤の仕事に戻ってもやっていけそうだと感じるようになり、新たに獲得した知識を実用に活かすため、大学の心理学の講師を拝命することにした。⁋ 私の古い政治経済学教授の座は疾うの昔に後任者によって適切にも占められていた —— 経済学の教授法は我が佳日から大いに変わっていたが。息子はこの時まだ大学院生で、現在の教授職に至る研究のとば口についたばかりだったのであり、私たちは随分共同して研究したものだった。

第四章

しかしながら私はかくも濃厚かつ生き生きと押し寄せるoutré常軌を逸したな夢の数々を注意深く記録し続けた。かような夢は、と私は論じた、心理学の資料として真正な価値を持つのだ。これらの瞥見は尚も忌々しい程記憶に似ていたが、これぞ成功を示す良い指標だとしてそんな印象を退けた。⁋ 私は記述に際して幻影を見たものとして扱った; だがそれ以外の場合は常に、それらを蜘蛛の糸の如く儚い夜の幻として払いのけていた。この件を日常会話の話題に載せたりはしなかったのだが; いかにもこの手の事柄にはありがちなように、それらに関する報告がどこからか漏れ、私の精神状態に関するなにがしかの噂を引き起こした。そういった噂を真に受けたのは専ら素人に限られ、医師や心理学者といった専門家には一顧だにされなかったのを思い起こすと愉快である。

1914年以降の幻影について、ここでは多くを述べないことにする。より完全な記述と記録が真摯な学究の裁量に任されているからである。時とともに奇妙な抑制が幾分弱まっていったのは間違いなく、私の幻影のスコープは大いに拡大した。しかし尚、それらははっきりとした自発性を欠く断片の寄せ集め以上のものにはならなかったのだ。⁋ 夢の中で、私は日増しに自由に歩き回れるようになっていった。多くの巨石建造物の間を次から次へと、公共の通路となっているらしい巨大な地下道を通って浮遊した。時折、最下層に密封された巨大な落し戸が存在する場合があり、その周囲には恐怖と禁断のオーラがまとわりついていた。⁋ 途方もなく大きな市松模様のプールを、あらゆる種類の奇妙で説明し難い台所用品がある部屋を見た。また、複雑な装置を収めた壮大な洞窟があり、その装置たるやアウトラインといい目的といい私には一向に馴染みがなく、何年夢に見てきても、はっきり判るのはそれが出すだけだった。ここで、幻影の世界で経験できたのは視覚と聴覚だけだったことを一言述べておくべきだろう。

真の恐怖は1915年五月に始まった。初めて生物を見た時だ。それはまだ私の研究が、神話及び症例研究の観点から何が期待されるかを教えるに至る以前だった。精神障壁が綻びていくにつれ、建物や眼下の街路の様々な箇所に薄い蒸気の大きな塊を見るようになった。⁋ これらはじわじわとしっかりした形をとるようになり、ついには、不愉快な程容易くその醜怪なる輪郭を追うことができるようになったのだ。彼らは玉虫色の大柄な円錐に見え、おおむね高さ三メートル、基部の幅三メートル、うねうねとし鱗のある半弾力性の物質からなっていた。彼らの頂部からは四本のしなやかで円筒状のメンバが生え、各々三十センチメートル厚であり、円錐自体と類似した皺のある物質でできていた。⁋ これらのメンバはほとんど見えなくなるまで収縮している場合も約三メートルの長さまで伸張している場合もあった。それらの内二本の終端部には鉤爪ないし鋏があり、第三のものの終端部には赤色をしたラッパ状付属肢が四つあった。第四のものは黄色みを帯びた直径六十センチメートル程の歪な球体で終わっており、その球体には赤道部を取り巻いて三つの大きな黒い目があった。⁋ この頭部は花弁状付属肢を持つ灰色をした四本の細い茎の上に乗っており、下部には八本の緑色を帯びた触覚乃至触手がぶら下がっていた。中央部の円錐の大きな基部は灰色をしたゴム状の物質に縁取られ、この部分の伸縮によって身体全体が移動するのだ。

無害だったにも拘らず、彼らの行動は外見以上に私を怖がらせた —— 人類のみに限られると知られている行為を怪物めいた物体が行うのを見守るのは健全なことではないからだ。これらの物体は大部屋の中を知的に動き回り、書棚から書物を取り出して大テーブルに置き、あるいはこれらの逆を行い、時には頭部の緑っぽい触手の中に奇妙な棒を握って著述に勤しんでいた。大きな鋏が書物の運搬や会話に用いられた —— 鋏を鳴らしたり擦ったりして話すのだ。⁋ 物体は衣服を纏っていなかったが、肩掛け鞄ないしナップザックを円錐状体幹部から下げていた。通常彼らは頭部とその支持メンバを円錐頂部と同じ高さに持っていったが、上下させることも屢々だった。⁋ 他の三本の大きなメンバは円錐側面に垂らしたままになりがちで、使用されていない時はそれぞれ約一・五メートル(*4-1)の長さに収縮させられていた。彼らが読み書きし、機械を操作する(テーブルの上のそれらは思考となんらかの関係がありそうだった)速さから、私は、彼らの知能は人類を遥かに凌ぐと結論づけた(*4-2)。

それ以降、あらゆる所で彼らを見かけるようになった; 大広間に回廊に群がり、穹窿のある地下室で怪物のような機器類の世話を焼き、巨大なボート型自動車に乗って広い道路を飛ばしていた。彼らは彼らの環境において何より自然な存在であるため、私は彼らを恐れるのをやめた。⁋ 彼らの間に個体差が現れ始め、少数は同様の束縛の下にいるらしいことも判明した。後者には身体的な相違があったわけではないが、身振りや習慣が多数派との間のみならず、個々の間でも大いに異なっていた。⁋ 彼らは、ぼんやりした幻影の中で膨大な種類の文字に見えるものを大量に書いていた —— 多数派が書く曲線的な象形文字では決してなかった。我々自身のアルファベットを用いているものも僅かにいたように思う。そのほとんどは他の大多数の存在に比べずっとのろのろと作業していた。

この時点において、私自身が夢の中でどうだったかというと、幽体離脱した意識のような感じで、通常より視野が広く、あちこち浮遊して回るものの、その経路は普通の通りに限られ、速さも通常どおりだった。1915年八月になるまで、身体の存在らしきものが私を悩まし始めることは一切なかった。私は悩ますという。というのも、最初の段階では、それは前述の如き醜形恐怖と自分の幻影に現れる光景との間にある、限りなく恐ろしくも一方では純粋に抽象的な関連性だったからだ。⁋ 暫くの間、私の夢の間の主な関心事は自分を見下ろさないように注意することであって、異様な部屋に大きな鏡がないことをどれほどありがたいと感じていたか覚えている。私は大テーブルを —— その高さは三メートル(*4-3)を下らないはずなのだが —— 常にその表面より低くない点から見下ろしている事実に、激しく当惑していた。

次には、自分自身を見下ろしたいという身の毛のよだつ誘惑がいや増しに高まっていき、ある夜、私はその衝動に抗しきれなくなった。まず、ちらりと下をみたが、何もなかった。一瞬の後私はその理由を認識した。私の頭部が大変に長くしなやかな頚部の先についているからだと。頚を引っ込め、ぐっと下を睨むと、そこに見えたのは鱗で覆われ、皺だらけの、玉虫色をした物体、三メートルの高さで基部が三メートル幅の円錐だったのだ。眠りの底から狂ったように跳ね起き、叫びを上げ、以てアーカムの半分を目覚めさせたのは正にこの時であった。

恐るべき数週間の反復を経た後、やっとのことで私は、怪物になってしまった自分の姿という幻影を半ば甘受するようになった。今や夢の中で、私は自分の身体を以て他の未知の存在と共に移動し、果てしなく延びる書棚から取り出した戦慄的な書物を読み、大テーブルに向かって何時間も著述し、その際スタイラスを扱うのは、自分の頭からぶら下がっている緑の触手だった。⁋ 読み書きしたものの断片は末永く記憶に残ることだろう。他の諸世界、他の諸宇宙、全宇宙の外側にある形なき生命の蠢動、これらのものの恐怖の年鑑があった。忘れられた過去の世界に住まいしていた諸存在の異様な序列に関する記録が、人類の最後の一人が死んでから何百万年か経った後そこに住まうグロテスクな身体を持つ知性の慄然たる年代記があった。⁋ そんなものが存在したなどと今日こんにちの学者が疑ってもみない人類史の数章を学んだ。ほとんどはかの象形文字の言語で書かれていた; 私はそれをブンブンと音を立てる機械の助けを借りる不思議な方法で学習した。明らかにその言語は、人類の言語に見られるものとは完全に異なるシステムを根本とした膠着言語の一つだった。⁋ 他の書物には他の未知の言語が用いられており、やはり同様の方法で学んだ。私の知っている言語のものも極僅かにあった。実に気の利いた写真が記録に挿入され、あるいは資料集として別冊になっていて、大いに助けられた。いつも私は自分自身の時代の歴史を英語で書いているようだった。歴史のフレーズは完全に私の内に留まっていたのに、夢の自分が習熟した未知の言語のことは、ほんの僅かな、無意味な反故しか思い出せなかった。

私は学んだ —— 私の覚醒状態の自我による、類似症例ないし、明らかに夢の起源たる古神話の研究にすら先んじて —— 身の回りにいる存在は世界で最も偉大な種族、時を征服し、なべての時代に向けて探求する精神を送り込んだものたちだということを。私はまた知っていた、私が自分の時代からかすめ取られた一方で別のものが私の時代の私の身体を利用していることを、また異形の他者のうち少数が、同様の囚われの精神を宿していることを。私は鉤爪を鳴らすなにやら異様な言語を用いて、太陽系のあらゆる隅から島流しにされてきた知性(*4-4)と言葉を交わしたようだった。

これから先数えきれぬ程の世紀に渉って生きるだろう、我々が金星として知っている惑星から来た精神が一人いた。六百万年前における木星の外側の衛星から来たものも一人いた。地球からの精神としては、古第三紀の南極大陸にいた星状頭部をもつ有翼半植物種族が何人か; 伝説のヴァルーシアからの爬虫類人間が一人; 人類に先立つ毛むくじゃらなハイパーボリア人のツァトッガ信者が三人; 全く以て忌まわしいチョ-チョ人が一人; 地球終末期の蜘蛛状居住者が二人; 人類の直後に現れる頑丈な鞘翅目人間が二人。ある日大いなる種族は恐るべき苦難に当面し、最も優れた精神たちをこの種の中に大挙転移させたのだ; 人類も互いに異なる人種のものが若干いた。

私は、紀元5000年に興るツァン-チャンの冷酷な帝国からの哲学者、ヤン-リの精神と対話した; 紀元前50000年の南アフリカを統べていた大頭の褐色人種の大将の精神とも; バルトロメオ・コルジという名を持つ十二世紀のフローレンス人僧侶の精神とも; ずんぐりした黄色いイヌートが西から襲いかかってくるより十万年前、恐るべき極地に君臨していたロマールの王の精神とも; ⁋ 私は、紀元16000年の暗い征服者たちの魔術師であったヌグ-ソトの精神と語り; ティトゥス・センプロニウス・ブレススという名のローマ人の精神とも語り、これはスッラ時代の財務官だった; ケフネスという第十七王朝時代のエジプト人の精神とも語り、これは私にニャルラトホテップの悍ましい秘密を告げた; アトランティス中期王国(*4-5)の神官の一人の精神とも; クロムウェル時代のサフォークの紳士、ジェイムズ・ウッドヴィルの精神とも; インカ帝国以前のペルーの宮廷天文学者の精神とも; 紀元2158年に没するはずのオーストラリア人物理学者ネヴィル・キングストン-ブラウンの精神とも; 太平洋に消えたイェの大魔術師の一人の精神とも; 紀元前200年のグレコ・バクトリア王国の官僚テオドティデスの精神とも; ピエール-ルイ・モンタニィという名のルイ十三世時代の老フランス人の精神とも; 紀元前15000年のキムメリオス人族長クロム-ヤの精神とも; そして私の脳が彼らから学んだ衝撃的な秘密や眩惑的な驚異を保持しきれなかった他の多くの者の精神と。

毎朝私は酷く興奮しながら目覚め、時にはかような情報が果たして現代の人類の知識の範疇に属しているか確認しあるいは否定すべく狂ったように試みた。伝統的な事実は新たな疑惑の相を呈するようになり、私は歴史と科学にかくも驚くべき追記を創作しうる夢幻想に驚嘆した。⁋ 私は過去が秘匿するらしい謎に震え、未来が提出するらしい脅威に戦いた。人類以後の存在が人類の運命についての会話の中で仄めかした事柄、それは私に、ここにはとても書き記す気になれないような影響を与えた。⁋ 人類の後には強壮な甲虫の文明がくるはずで、旧世界が醜悪なる破滅を迎えるとき、大いなる種族の中の選良が(*4-6)その構成員の身体を乗っ取るのだ。後に、地球の寿命が尽きる時がくると、転移した精神は再度時空を超えて移民する —— 水星の球根状植物型生物の身体を次の拠り所として。が、彼ら(*4-7)の後にも複数の別の種族が現れるはずだ。冷たくなった惑星に痛ましくもしがみつきつつ、その恐怖に満ちた核に向かって掘り進み、そして全てが終わる。

その間、夢の中で、私は大いなる種族の中央文書館に収められるべき資料として —— 半ば自発的に、半ば図書館利用と旅行の便宜を図ってくれるという約束と引き換えに —— 自分自身の時代の歴史を絶え間なく書き続けた。この文書館は市の中心近くにある大規模な地下建築で、私も役務と文献調査を通して良く知るようになったものだ。種族が存在する間は持ちこたえることを目指して、地球最大の痙攣にも耐えるべく、この大いなる宝庫はその構造の山の如き堅固さと重厚さにおいて他のあらゆる建造物を圧倒していた。

記録は、奇妙に粘りのあるセルロースの織物の上に筆記ないし印刷され、上開きの(*4-8)本の形に装幀されていた。それらの書物は個々に、不思議な、灰色っぽい色合いの極めて軽量な錆びない金属でできた箱に入れられ、それらの箱には数学的な意匠による装飾と、大いなる種族の曲線的な象形文字による題名がついていた。⁋ 箱は列をなす長方形の地下保管庫に —— 施錠された閉架書庫のように —— 納められたが、その保管庫も同種の錆びない金属でできており、込み入った回し方をするノブによって閉められていた。私の書いた歴史は、最下層ないしは脊椎動物段階用の保管庫の中で特定の箇所に割り当てられていた —— そこは人類と、人類にすぐ先立って地球を支配していた有毛種族及び爬虫類種族専用のセクションだった。

しかし、日常生活を完全に活写するような夢はまるでなかった。全ては単なる霧に覆われた不連続な断片にすぎず、これは確言できるのだが、その断片の順序は不正確だったのだ。例えば、私は夢の世界における自分の生活環境についてはなはだ不完全な考えしか有していない; 大きな石造りの個室をあてがわれてはいたようだが。虜囚としての制約は徐々になくなっていったようで、幻影の中には、ジャングルを通る大道を行く旅行を生き生きと描くものがあり、また変わった諸都市での逗留や、大いなる種族が奇妙にも恐れをなす途方もなく大きな、黒く、窓のない廃墟の幾つかへの探検行もあった。多層甲板を持ち信じ難い速度で航行する巨船での長い海旅や、電気的反撥力で浮上し推進する砲弾型密閉式飛行船での未開地旅行もあった。⁋ 広く暖かい海洋の向こうにも大いなる種族の都市があり、ある遠い大陸で、黒い吻部を持つ有翼の生物が作る粗野な村々を見た。大いなる種族が這いよる恐怖から逃れるために種族の選良の精神を未来に送出した後、この生物が支配種族として進化することになる。平坦さと生命力溢れる緑が風景の基調をなしていた。丘は低くまばらで、常に火山性の力の徴候があった。

私が目にした動物については、万巻の書物を執筆することができる。全て野生だった; 大いなる種族の機械化文明は疾うの昔に家畜を不要としており、全ての食物が植物由来か合成物だったからだ。不器用な爬虫類の大きな群れが、湯気を立てる沼沢地にのたうち回り、重苦しい空に羽ばたき、海に湖に吹き上げていた; これらに混じって、多くの生存形態のより小型で原始的なプロトタイプがなんとなく識別できるように思えた —— 恐竜、翼竜、魚竜、迷歯亜綱、蛇頚竜といった類いの —— 古生物学でお馴染みになったものだ。鳥類や哺乳類については見分ける(*4-9)ことができたものはなかった。

陸地や湿地はどこも蛇、蜥蜴、鰐で活気があり、青々とした植物の間を昆虫がブンブン飛び回っていた。海原遠く、知られざる怪獣が山の如き泡の柱を霞んだ空に吹き上げていた。一度、探照灯付の巨大潜水艦に乗って海中に連れて行かれたこともあり、恐ろしく巨大な生きる恐怖を目にした。沈める都市の信じ難い廃墟を、遍在する豊かな海百合、腕足動物、珊瑚、魚族を見た。

大いなる種族の生理学、心理学、習俗、詳細な歴史については、私の幻影は僅かな情報しか把持していなかった。ここに散漫に記載する多くの点は、私自身の夢というより、古伝説や他症例の研究から拾い集めてきたものだ。⁋ 当然ながら、そのうち私の読書と調査は多くの面で夢に追いつき追い越したので、夢の断片が私の学習によって予め説明されたり、あるいは学んだことが夢の断片によって確認されたりするような状態になった。このことから、私の第二人格が達成した同様の読書と調査とが、恐ろしい擬制記憶を構築するための全き源となったのだという信念が確立し、私は元気づけられたのである。

私が夢に見ているのは、明らかに150,000,000年弱以前のもので、古生代が中生代に座を明け渡しつつある時代だった。大いなる種族に占領された身体は、現存の —— あるいは科学的に知られた —— いかなる地球上での進化の系統にも属さず、奇妙な、厳密に均質の、高度に分化した有機体構造をもち、動物というより植物的な性質が強かった。⁋ 独特な細胞機能のおかげで殆ど疲れを知らず、睡眠の必要性もなくなっていた。しなやかな大肢の一つにある赤いラッパ状附属肢を通して消化吸収される栄養分はもっぱら半流動体であり、現存の動物の食餌とは多くの点で類似性がなかった。⁋ この生物は我々に理解できる感覚を二つ —— 視覚と聴覚 —— しか持たず、後者は、頭上に生える灰色の茎についた花状附属肢を通して達成されていた。他の理解し難い感覚 —— 彼らの身体に宿っている異なる種からの囚われの精神には、しかしながら上手く扱えなかったが —— についていえば、彼らはそういったものを数多く持っていた。三個の眼は通常より広い視野が得られるように配置されていた。血液は大変濃厚な深緑色の一種の霊液だった。⁋ 性はなく、基部に房をなす種子ないし胞子によって繁殖したが、彼らは水中でのみ発育した。浅い大型水槽が若い個体の成長のために用いられた —— が、その数はほんのわずかだった。一人一人が長寿だったからだ —— 四、五千年くらい生きるのが普通だった。

顕著に欠陥のある個体はその欠陥に気付かれ次第速やかに処理された。疾患および死の接近は触覚や身体的痛覚なしに視覚的な症候によってのみ認識された。⁋ 遺体は厳粛なる儀式の裡に火葬に付された。前にも述べた通り、時として鋭い精神の持ち主が未来への投影によって死から逃れようとすることがあったが; 多くはなかった。そのような事例が起きた場合、未来からの流刑にあった精神は見知らぬ宿が最期を迎えるまでの間この上なく親切にされたのだ。

大いなる種族は緩やかな紐帯を持つ単一国家ないしは同盟を形成していたようで、主たる制度は共通していたが、それでも明確な四つの区分があった。各集団の政治経済体制は一種の国家社会主義(*4-10)であり、主要な資源は合理的に配分され、権力は教育および心理に関する特定の検査に合格し得た全構成員によって公選された小さな統治委員会に委譲されていた。家族という組織が過大に強調されることはなかったが、出自を共にする者の間の結びつきは認められ、一般に若年者は両親の許で養育された。

人類の習慣・態度との類似性は、無論のこと、高度に抽象的な要素が関係する領域に於いて最も顕著だったが、他方では有機生命体全てに共通する基礎的で非特異的な諸衝動が関わる場面に於いても優勢だった。少数の類似点は、大いなる種族が意識的に未来の様相を取り入れた結果齎された。⁋ 産業は高度に機械化され、各市民の僅かな時間を必要とするだけだった; そして、彼らは有り余る余暇を種々の知的かつ美学的な活動に注ぎ込んだのだ。⁋ 科学の発展は信じ難い高みに達し、芸術は生活の欠くべからざる一部だった。ただし、私が夢見た時期には既にその絶頂期を過ぎてはいたのだが。生き残りを賭けた絶え間ない闘争によってテクノロジーは大いに刺激されており、この原始時代における桁外れの地殻変動から巨大都市の物理的構造を守り抜き、存在させ続けるべく足掻いていた(*4-11)。

犯罪は驚く程僅かで、大変効率的な警察活動により対処された。刑罰は特権剥奪から終身刑乃至主要な情動の摘出まで幅広く、注意深く犯意を検討して初めて執行された。⁋ 戦争についていうと、最後の数千年紀の間はほとんどが内戦だったが、時として爬虫類状乃至鮹状の侵略者に対して、あるいは南極を拠点としていた有翼で星状頭部を持つ旧支配者に対して行われ、稀ではあるがどこまでも壊滅的だった。背筋が凍るような電気的効果を発揮する写真機様兵器で武装した大規模な常備軍があり、その目的はほとんど語られることがなかったものの、黒く窓のない古い廃墟及び地下最下層の封鎖された大きな落し戸へのとどまることのない恐怖と明らかに結びついていた。

玄武岩の廃墟と落し戸に対する恐怖はほぼ無言の仄めかし —— 精々が人目を忍ぶ囁きまがい —— の対象に終始していた。それにまつわる固有で具体的な事柄一切は、普通の書棚にある本から顕著に欠落していた。この件は大いなる種族の間で完全な禁忌事項となっており、恐るべき過日の抗争や、鋭敏な精神たちをごっそり未来に向かって投影することを強いるかの来るべき災厄と結びついているらしかった。⁋ 夢や伝説が提供する他の物事も不完全で断片的だったのだが、この件については一層当惑するような隠蔽がなされていた。曖昧な古神話はこの件に触れていなかった —— あるいは恐らく何らかの理由で全ての暗示が削除されてしまったのだ。私自身および他人の夢の中でも、ヒントになるようなものは不思議な程なかった。大いなる種族の構成員が意図的にこの件に言及することは皆無で、拾い集め得たものといえば、専ら、より鋭敏な観察眼を持つ一部の囚われの精神からもたらされたものに限られていた。

それらの情報の寄せ集めに従うと、恐怖の素は半ポリプ状の古代種族で、計り知れぬ程遠方の諸宇宙より空間を渡ってやってきた完全に異質な存在であり、およそ六億年前に地球及び太陽系の他の三惑星を支配していた。それらは部分的にのみ物質 —— 我々が理解している物質のことだ —— からなり、意識の形式及び知覚の媒体は地球の有機体のものからかけ離れていた。例を挙げると、それらには視覚がなく; それらの精神世界は様々な印象からなる一つの異様な非視覚的パターンになっていた。⁋ それらは、しかしながら、通常の物質を含む宙域ではそれを道具として用いることができる程度には物質的であり; また、宿を必要としていた —— 奇妙な種類ながら。それらの感覚はあらゆる物質的障壁を貫通することが可能だったが、それらの素材には不可能であり; ある種の形態の電気エネルギはそれらを完全に破壊することができた。翼その他の目に見える空中浮揚法を一切持っていないのにも拘らずそれらには飛行能力があった。それらの精神は大いなる種族も精神交換ができないような構造をしていた。

それらものどもは地球に到来すると、窓のない塔からなる巨大な玄武岩の諸都市を建設し、目に入ったものを恐ろしくも捕食した。まさにこの時、不穏不審なエルトダウン・シャーズがイースの名で呼んでいるかぐろき銀河系外世界から、大いなる種族の精神が虚空を渡り疾駆し来ったのだ。⁋ 新参者は、自分たちが開発した装置を以てすれば、捕食者たちを屈服させ、それらが既に営巣し居住し始めていた地球内部の例の洞窟の中へと追い込むのは容易であることを見いだした。⁋ 次いで大都市のほとんどを占領し、特定の重要な建築群を保護すると、彼らは入り口を密封し捕食者たちをそれらの運命に任せたが、その理由は無関心、図太さあるいは科学ないし歴史学の情熱というよりももっと迷信的なものだったのだ。

しかし、悠久の時が流れ、内部世界で古代の存在が強さを増し、夥しく数を殖しているという漠然とした邪悪な徴候が現れた。遠隔地にある大いなる種族の小都市や大いなる種族が居住していない荒廃した太古の都市 —— 地下の深淵への経路が適切に封鎖ないし警備されていない場所だった —— において、なんとも悍ましい侵入が散発するようになった。⁋ それ以降、予防措置が厳重化され、経路の多くが永遠に閉ざされた —— が、少数は戦略上の目的のため落し戸を密封するだけにとどめてあった。古きものどもが予想外の地点に現れた際反攻に打って出られるようにである。

大いなる種族の心理を絶え間なく彩っているところからみて、古きものどもの侵入は筆舌に尽くし難い程ショッキングだったに違いない。固定化された恐怖心のあまり、そのものどもの姿は言及されざるものとなっており —— それらがどう見えるか、私にははっきりしたヒントを得ることがどうしてもできなかった(*4-12)。⁋ 悍ましい可塑性及び一時的な不可視化に関するベールで隠された仄めかしがあり、他方では、颶風を制御し武器として用いることに関する断片的な囁きがあった。笛を吹くような独特な騒音と五個の円形の趾型からなる途轍もなく大きな足跡がそれらと関連づけられているようだった。

大いなる種族が絶望的な程恐れている来るべき破滅 —— その審判の日、何百万という鋭い精神をより安全な未来に住む異様な身体の中へと遥かなる時を隔てて送り出さなければならなくなるのだ —— が古きものどもに勝利を齎す最後の侵攻と関連があるのは歴然としていた。⁋ 幾時代もの時を下る精神投影がその恐怖を明白に予言し、ここに大いなる種族は、脱出可能な者は誰一人としてかような破滅に直面すべきではないと決意したのだ。略奪行為は外の世界を再度支配せんとする意図というより、報復の問題であろうことを、彼らは諸惑星の後の歴史から知っていた —— 引き続く諸種族はこの悍ましい存在に患わされることなく去来することが精神投影によって示されたのだ。⁋ これらの存在にとって光は何らの意味も持っていなかったので、恐らくそれらは不常にして嵐が吹き荒れる地表よりも地球内部の深淵を好むようになったのだ。恐らくまた、それらは永劫の時とともに緩徐に弱体化していったのだろう。事実、人類の次に現れ大いなる種族の精神の逃避先となる甲虫種族の時代にはそれらは完全に死滅しているらしいことが知られていた。⁋ さしあたり、恐怖のあまり日常会話や目に見える記録からその話題を消し去ってはいても、大いなる種族は慎重な警戒態勢を維持し、威力のある武器を即応状態に保っていた。そして密封された落し戸や黒く窓のない太古の塔の周囲には、いつでも名状し難い恐怖の影が立ちこめていたのである。

第五章

夜毎の夢が私に運びくる暗く散り散りの谺の元となった世界というのがこれだ。かような谺が含む恐怖と畏怖をいさかなりとも正しく伝え得るとは思っていない。そういった感情は主として、全く触知できない性質 —— 擬制記憶という痛切な感じ —— によっていたからだ。⁋ これまで述べたように、私の研究はこのような感情に対して、合理的な心理学的説明という形の防壁を与えてくれた; またこの救済効果は時とともに朧げに現れた習慣性によって強化された。いろいろあったけれども、尚も時折曖昧な恐怖が這いよる瞬間があったものだ。しかしながら、それは以前程私を巻き込むことはなくなり; 1922年以降、私は極めて正常な勤労と休養の生活を送ったのだった。

何年かする内に、私は自分の経験を —— 類似症例及び関連する民間伝承と共に —— 明確に総括して出版し、以て真摯な学究の便を図るべきではないかと思うようになった; 故に私は全領域を簡潔にカバーする一連の論文を用意し、夢から想起した姿、光景、装飾のモチーフ、及び象形文字のいくたりかをラフなスケッチの形で図示した。⁋ これらは1928年から1929年にかけての米国心理学会雑誌のさまざまな号に掲載されたが、大して注目されなかった。その間、嵩を増し続ける記録の山が厄介な量に到達しているのにも拘らず、私は細心の注意を払いつつ夢を記録し続けた(*5-1)。

1934年七月十日、心理学会から私に一通の手紙が転送されてきたが、これこそが狂気の試練全体の中でその絶頂となる最も恐ろしい局面を開いたのだった。西オーストラリアのピルバラ(*5-2)の消印があり、問い合わせた所、署名している人物は実に傑出した鉱山技術者だと判った。いくつかの極めて奇妙なスナップショットが同封されていた。以下に全文を丸ごと掲載するので、その文面と写真が私に及ぼした影響がいかに恐るべきものだったか理解し得ない読者はおられないことと思う。

私はしばらくの間ほとんど茫然自失し訝しんだ; 自分の夢を彩ってきたこの伝説については、幾つかの面に於いて事実による何らかの裏打ちがあるに違いないと常々考えてはきたものの、いかなる想像も及ばぬ遥かな失われた世界から生き延びてきた、触知可能な残存物などといったものに対しては、ほとんど何の心構えもなかったのだ。何よりも破壊的だったのは、写真だった —— そこには、砂を背景に、冷徹な、議論の余地のないリアリズムで以て、摩滅し、水流に刻まれ、砂嵐に風化した石の塊が立っており、その上面の僅かな隆起と下面の僅かな陥没が来歴を物語っていた。⁋ 拡大鏡で精査してみると、それらには、傷や窪みのただ中にあまりにもはっきりと例の巨大な曲線的意匠の跡と、時折は私にとってかくも悍ましい重要性を持つようになった象形文字が見て取れたのだ。だが、ここでは手紙自身に自己紹介させよう。

西オーストラリア、ピルバラ
ダンピア街四十九番地
1934年五月十八日

アメリカ合衆国、ニューヨーク市
東四十一番街三十番地
米国心理学会気付
N・W・ピーズリー教授

拝啓:-

先日パースのE・M・ボイル博士と話をし、また彼から送られてきたばかりの貴方の論文を読んで、私たちの金採掘場の東にあるグレートサンディ沙漠で私が見たあるもののことを貴方に伝えた方がいいのではないかと思いたちました。貴方の描写になる大きな石組み及び不思議なデザインや象形文字をもつ古い都市に関する奇妙な伝説からみて、私は極めて重要な何かに出くわしたと思われるのです。

先住民たちの間ではもう「表面に徴のついた大きな石」の話でもちきりで、それらのものを酷く恐れているようです。何らかの形で彼らはそれを腕を枕にして何時代もの間地下に横たわり眠り続けるブッダイという年老いた巨人についてのありふれた民話に結びつけており、この巨人はいつの日か目覚めて世界を食い尽くすのだそうです。⁋ 地下にある途方もなく巨大な石造りの掘建て小屋のことを物語るとても古く、半ば忘れられた説話があり、下へ下へと通路が延びて、恐ろしい事が起こってきた場所だといいます。先住民たちが断言するには、何人かの戦士が戦闘から退却しようとしてその一つを下ったきり帰って来ず、ただ彼らが問題の場所から下って行った直後にぞっとするような風が吹き始めたのです。しかしながら、これら土着民の言うことは大して重要ではないのが通例です。

ですが、私が知らせなければならないのは、それ以上のことです。二年前、この沙漠の中の八百キロほど東の場所を試掘していたとき、表面を均してある沢山の奇妙な石材に出くわしました。多分九十 × 六十 × 六十センチメートルの大きさで、ひどく風化し穴だらけでした。⁋ はじめ私には先住民たちの言うような徴を見つけることが全然できなかったのですが、十分近くから見ると、風化にも拘らず、深く彫られた線が判りました。奇妙な曲線があり、先住民たちが描写しようとしていたものとそっくりだったのです。石材は三十個から四十個あったに違いないはずです。幾つかはほとんど砂に埋もれ、すべて直径約四百メートルの範囲内にありました(*5-3)。

幾つか石を見た私はもっとないかと辺りをよく見回し、器機の力を借りて慎重に現在地点を推定しました。同時に、典型的な石材の写真を十枚か十二枚撮ったので、焼き増して同封します。⁋ 情報と写真をパースの当局に引き渡しましたが、音沙汰無しです。⁋ そこで私はボイル博士と会いました。彼は米国心理学会雑誌に掲載された貴方の論文を読んだところで、しかもそれがたまたま石のことに触れたものだったのです。彼は非常に興味を持ち、スナップショットを見せると大変興奮して、これらの石と徴はまるで貴方が夢に見、伝説の中に読んだ石組みそのものだと言いました。⁋ 彼は貴方に手紙を書こうとしましたが、ひとまず後回しにしました。その間、彼は貴方の論文が載った雑誌の大半を私に送ってよこし、私は一目でその図版と記述から、自分が見た石は正に貴方のおっしゃる種類のものだと見て取りました。同封の写真からよく理解していただけるでしょう。後ほどボイル博士から直接書信があるはずです。

今私には、これら全てが貴方にとっていかほど重要ならんか判ります。疑いなく我々は、これまで夢想だにしなかった程古く貴方の伝説の基盤をなすところの、とある未知の文明の遺物と直面しているのであります。⁋ 鉱山技術者として私は地質学をある程度知っており、これら石材は震え上がる位太古のものだということができます。それらは主に砂岩及び花崗岩ですが、一つはまず間違いなくある種のセメントないしはコンクリート製です。⁋ それらには明瞭な水蝕の痕跡があり、世界のこの部分が一度水没し、長い年月を経て再度隆起したかのようであり —— その全てがこれら石材が製造され利用された後のことなのです。これは何百年、何千年 —— あるいは神のみぞ知るさらに長い年月 —— 単位の事案です。それについては考えたくありません。

伝説とそれに関連する全てのものを追い詰めていくこれまでの丹念な仕事振りを拝見しますと、貴方はきっと、探検隊を率いて沙漠に赴き考古学的な発掘を行いたいだろうと思わずにはいられません。貴方自身 —— あるいは貴方がお知りの機関 —— が基金を用立ててくだされば、そのような仕事に対しボイル博士と私共々協力するに吝かではありません。⁋ 私は大規模な掘削に対応できる一ダースの鉱夫を集められます —— 先住民たち(*5-4)はものの役に立たないものと思われます。問題の地点に対するほとんど偏執狂的な恐怖を抱いていることに気づいたからです。ボイルと私は他言するつもりがなく、それはいかなる発見においても名誉においても、明らかに貴方こそが優先権を持つべきだからであります。

その地点はピルバラからトラクター —— 機器の運搬に必要です —— で約四日です。1873年にウォーバートン(*5-5)が辿った経路の若干南西にあたり、ジョアンナ鉱泉(*5-6)の百六十キロ程南東です。ピルバラから出発するのではなくドゥグレイ川の水運で物資を運搬することもできるでしょう —— が、全てこういったのは後で話せば済むことです。⁋ 大雑把にいって、石は南緯二十二度三分十四秒東経百二十五度零分三十九秒の地点にあります。気候は熱帯性で、沙漠の条件は過酷です。⁋ この件に関する今後の文通を大歓迎しますし、いかなるものでも貴方が立てられる計画に協力させていただきたいと心より熱望しております。貴方の論文を研究して以降、この件全てのもつ大いなる重要性に深く印象づけられました。ボイル博士も後ほど手紙を書かれるでしょう。もし急ぎの連絡が必要なら、パースへの電報を無線中継することも可能です。

早いご返信を切望しつつ、

私を信じてください、
貴方の最も忠実なる、
ロバート・B・F・マッケンジー

この手紙の直接の結果の多くは報道から知ることができる。ミスカトニック大学をバックにつけられたのは大変な幸運で、オーストラリア側の手配については、マッケンジー氏とボイル博士の二人の働きは計り知れないものがあった。我々は公衆に対してはあまり具体的な目的を説明しなかった。この件全体が安新聞にとって、センセーショナルな巫山戯た扱いを不愉快にも助長するような性質を持っていたからだ。その結果として紙面に載った報告は少なくなったが; 我々が行ったオーストラリアにおける問題の遺跡調査について語ったり、様々な準備段階を歴史に留めたりするには十分だった。

同学地質学教室のウィリアム・ダイアー教授(1930-1931年のミスカトニック大学南極調査隊のリーダー)(*5-7)、古代史学教室のフェルディナンド・C・アシュリー、人類学教室のタイラー・M・フリーボーンらが —— 息子のウィンゲイトと共に —— 私と同行した。⁋ 文通相手のマッケンジーが1935年初頭にアーカムに来訪し最終準備を手伝った。彼は五十絡みの恐ろしく有能かつ気が置けない男で、賞賛すべき読書家であり、オーストラリアの旅のあらゆる事情に通暁していることが判った。⁋ 彼のトラクターはピルバラで待機しており、我々は掘削地点近くまで川を遡上できる十分小型な不定期蒸気船をチャーターした。我々は最も慎重な、科学的な方法で発掘作業を進めるよう準備しており、砂の一粒一粒に至るまでよりわけ、本来のあるいはそれに近い状態にあるらしいものについては、一切乱さないつもりだった。

ぜいぜい音を立てるレキシントン号に乗船しボストンを離れたのが1935年三月二十八日、のんびりと大西洋と地中海を渡り、スエズ運河を通って紅海に出、インド洋を横切って目的地に到着した。低く砂だらけの西オーストラリア海岸の光景がいかに私の気分を重くしたかも、またいかに私が粗野な鉱山町やトラクターに最後の荷物を積み込んだ荒涼たる金採掘場を疎んだかも、語る必要がない。⁋ 私たちはボイル博士と会ったが、博士は初老の、快活な、知的な人物だと判り —— 彼の心理学に関する知識は、私の息子及び私を交えた長い討論に導いたものだった。

ついに不毛の砂と岩の集まりの中へとガタガタ乗り込んでいくとき、我々一行十八名の多くの胸では不快感と期待感が奇妙にない交ぜになっていた。五月三十一日金曜日、我々はドゥグレイ川の支流の浅瀬を渡り、ひたすら荒廃した領域に進入した。伝説の背後にある古き世界の現場に向けて進む間、私の中に、ある現実の恐怖が募ってきた —— そう恐怖だ、無論のこと心乱す夢と擬制記憶が今なお私を衰えぬ力を以て苛み続けているという事実に支えられた。

六月三日月曜日のことだった。我々が半ば埋もれた石材を初めて見たのは。どんな情動と共にそのキュクロプス式巨石建造物の断片と —— 客観的現実性を以て —— 直接に接触したかは筆舌に尽くしがたい。夢で見た建物の壁のものとあらゆる面で類似した石材だったのだ。明瞭な彫刻の痕があり —— そこに、悪夢の責め苦と困惑するような研究の幾星霜を通じて地獄のものと化した曲線状装飾意匠の一部を認めた時、私の手は震えた。

一ヶ月の間に様々な風化と崩壊の段階にある石材を合計千二百五十個ばかり発掘した。多くは頂面と底面が湾曲した彫刻のある巨石であり、少数派としてより小型かつ平面的で、平滑な表面を持ち、矩形ないし八角形に切り出されたもの —— 夢に出てきた床と舗道のもののような —— があったが、僅かには、穹稜乃至その交点あるいはアーチ乃至窓の丸枠に用いられたと思しき特に大きく湾曲乃至傾斜したものもあった。⁋ より深く —— またより北東を —— 掘削する程多くの石材が発見されたが、尚以てそれらの配置がどうだったかを見いだすことには失敗していた。ダイアー教授は断片の計り知れない年代に言葉を失い、フリーボーンはパプア及びポリネシアのとある果てしなく古い伝説群と暗黒にも符合する表象の痕跡を見出した。石材の状態と散乱具合は目くるめく時間の循環と残酷なる宇宙の地殻変動とを沈黙のうちに物語っていた。

我々は飛行機を一機所有しており、息子のウィンゲイトはいくつかの異なる高度で飛び、大規模で曖昧なアウトライン —— 土地の高低の変化乃至石材が散乱する軌跡のいずれか —— を求めて砂と岩の荒地を走査したものだった。その結果は実際上否定的だった; ある日意味ありげな傾向を見て取った気がしたとしよう。次回の飛行では、そういった印象は同じく想像上の別の印象に置き換わってしまうのが常だった —— 風に飛ばされる流砂の仕業である。⁋ それでも、そのような儚い暗示の一つ二つは奇妙且つ不愉快にも私に影響を与えた。それらは私が夢見たあるいは読んだ、しかし最早思い出すことができない何かと、曲がりなりにも恐るべき符合を示しているようだったのだ。それらには恐怖の疑似親密感(*5-8)が —— 私をして北から北東に広がる忌まわしい不毛の大地に向かってこっそりおずおずと目配せさせる何かがあった。

七月初旬頃(*5-9)、私の中に、北東に広がる領域一般への様々な情動の混合物が嵩じてきた。恐怖があり、また好奇心が —— いやそれにも増して記憶(*5-10)を思わせる当惑するような持続性の幻があったのだ。⁋ 私はこういった感じを頭の中から追放すべくあらゆる種類の心理学的応急処置を試みたが、ことごとく不首尾に終わった。不眠もまた私を支配しつつあったが、しかし夢を見る時間の短縮を結果したため私はこれをほとんど歓迎しそうだったのだ。深夜に於ける沙漠の中の長い孤独な散歩が習いとなった —— 常に北乃至北東に、新たなる不可思議な衝動の総計によって我知らず引っ張られていくらしい方角へと向けて。

こういった散歩の中で、時折私は古代の石造建築のほとんど埋もれた欠片に足をつまずかせたものだった。発掘を開始した地点よりもこちらの方が目に見える石材は少なかったにも拘らず、私は地下に膨大な量が眠っているはずだと確信していた。ここは我々の野営地よりも起伏があり、全てを支配する強風が時のまにまに幻想的で一時的な砂の小丘を積み上げ —— 低い所にある古き石材の跡を露出させ、他の跡を隠していった。⁋ 奇妙なことに私は発掘作業がこの領域にまで広がって欲しいと願っていた。同時に何が見いだされるのか恐れてもいたのだ。明らかに、私はかなり悪い状態に落ち込んでいきつつあった —— それを説明できなかっただけになお悪かった。

我が哀れなる神経の健康状態については、ある日、夜ごとの散策中に起こした奇妙な発見に対する反応によって示しうる。それは七月十一日の夜のことで、月が神秘的な小丘を不思議な蒼白に染めていた。⁋ 通常の範囲よりいささか遠くに彷徨い出た私は、これまで見かけたことがあるものとは顕著に異なって見える巨石に出くわした。それはほとんど隠れていたが、私は立ち止まり、手で砂を払い、月光で足りない部分は懐中電灯で補いながらその物体を注意深く研究した。⁋ 他の大岩と異なり、これは完璧な方形に切り出され、凸型の面も凹型の面もなかった。それはまた黒い玄武岩様の物質からできているようで、今や見慣れた花崗岩や砂岩、時折コンクリートからなる破片とは似ても似つかなかったのだ。

突如として私は立ち上がり、振り向き、全速力で野営地まで駈けた。全く以て無意識かつ無分別な逃走であり、自分のテントのそばまで来たときやっと駆け出した理由が判った。その時思いついたのだ。奇妙な黒石は夢に見、読んだことのあるもので、悠久の昔の伝説にある究極の恐怖と結びつけられていた。⁋ それは架空の大いなる種族が恐れをなした太古の玄武岩の石材の一つ —— かの薄気味悪く異様な半物質的存在、地球の底の深淵のうちに腐乱した存在、その風の如き不可視の力に対し落し戸が封鎖され不寝番が置かれたところのものどもが遺した、背が高く窓のない廃墟の一部だったのだ。

私は一晩中目覚めていたが、明け方になって、たかが神話の影にうろたえるとはなんと愚かだったかを理解した。戦慄に陥る代わりに発見者の熱狂を持つべきだったのだ。⁋ 翌日の昼前、私は自分の発見をダイアー、フリーボーン、ボイル、息子に告げ、破格の石材を見つけるべく出発した。しかしながら、我々は失敗に直面することとなった。私には石の正確な在処についてはっきりした考えがなく、後から吹いた風のために流砂の小丘の形がすっかり変わってしまっていた。

第六章

さて私は自分の物語の中で決定的かつ最も困難な部分に立ち至った —— その真実性に完全には自信が持てないだけになおさらだ。時には自分が夢を見ているのでも幻覚を見ているのでもないという不愉快な程に確かな感覚があり; まさにこの感じが —— 自らの経験が齎すであろう驚くべき結論からみて —— この記録の続行を駆り立てるのだ。⁋ 私が語るべきことについては、必ずや息子 —— 熟練した心理学者であり私の症例全体にわたる最も完全かつ共感的な知識の持ち主 —— がまず第一の審判となることであろう。

初めに事件の外見的なあらましを述べさせてもらおう。野営地にいた人々が知っている形で。七月十七日から十八日にかけての夜、それは風の強い日で私は早々引き上げたもののなかなか寝付けなかった。十一時になる少し前に起き出し、例によって北東の地についての異様な感じに苛まれ、いつもの夜の散歩に出かけた; 管理区域を出る時に顔を合わせて挨拶した相手は一人 —— タッパーという名のオーストラリア人鉱夫 —— だけだった。⁋ 雲一つない空に若干満月を過ぎた白月が冴え渡り、太古の砂の上に無限の邪悪を思わせる癩病めいた輝きを浴びせていた。すっかり収まった風はこの五時間近く吹いておらず、それはタッパー他、私が青ざめ謎を潜めた小丘を北東に向け早足で渡って行ったのを見かけた人々が十分に証言してくれている。

午前三時半、突風が巻き起こって野営地の全員を目覚めさせ、三張りのテントを潰した。空に雲はなく、沙漠は癩病めいた月光に尚も輝いていた。一行がテントの様子を確かめに回った際私の不在が発覚したが、これまでの散歩の例があったので、このような状況を危ぶむ者はいなかった。それでも三人の男 —— 全員オーストラリア人 —— は空気の中に何か不吉なものを感じていた。⁋ マッケンジーはフリーボーン教授にこれは先住民の民話から拾い上げられた恐怖だと説明した —— 原住民たちは、晴れた空の下長い間隔を置いて砂を吹き渡る強風についての、奇妙な神話を編み上げていたからだ。そのような風は地下の大きな掘建小屋から吹き —— 徴のある大石が散らばる場所の傍でしか感じられないようなものだと囁かれていた。四時近く、大風は吹き始めと同様に急に止み、新たに見馴れぬ形の砂丘を残していった。

私が野営地によろめき帰ったのはちょうど五時を過ぎ、菌類のような浮腫んだ月が西に沈み行く頃だった。無帽、ぼろぼろの服、引っ掻傷で血まみれの顔面、懐中電灯はなくなっていた。ほとんどの人はベッドに戻っていたが、ダイアー教授はテントの前でパイプを燻らせていた。私が負傷し逆上した態なのを見た彼はボイル博士を呼び、二人で私を簡易ベッドに乗せ落ちつかせてくれた。息子は物音で目を覚ますとすぐ彼らと一緒になり、皆で私が静かに横になり眠るよう試みた。

だが私に眠りは訪れなかった。私の心理学的状態は殊の外異常だったのだ —— これまで患ってきたいかなるものとも違っていた。しばらく経つと、私は話をさせろとせがんだ —— 神経を尖らせ苦心惨憺しながら自分の状況を説明したがった。私は疲れたので砂地の上に横になり転寝していたと説明した。そこで、と私は言った、いつにも増して怖い夢を見て —— 突然の強風に目を覚ました時、過労に陥っていた神経が切れてしまった。私は無我夢中で駆け出し、半ば埋もれた石材の上に何度も倒れ込み、かくしてぼろぼろの惨めな姿になった。長時間眠っていたに違いない —— それ故何時間も不在だったのだ。

目にしたあるいは体験した異様なものについては、私は一切の仄めかしを行わなかった —— その点ではこの上ない自制心を発揮したのだ。だが、私は調査全体に対する気持ちが変わったと言い、発掘作業の北東方向への拡大を、どんなものであれ、なんとか取りやめにして欲しいと懇願した。どうみても大した理由付けにはならなかった —— 石材があまり見つからないとか、迷信深い鉱夫の気分を損ねたくないとか、大学からの資金が不足するかも知れないとか、その他嘘八百や無関係の御託を並べたのだから。当然ながら私の新たな願いについて、誰一人としてわずかな注意すら払ってくれなかった —— 私の健康を懸念していることがありありと判る息子ですら。

翌日になると私は野営地の周りを歩き回るまで回復したが、調査には加わらなかった。作業を停められないと見て取るや、神経に障るという理由で一刻も早く帰郷しようと決意し、息子に私がそっとしておいて欲しいと願っている地域を検分し次第飛行機で —— 千六百キロ南西にある —— パースに連れて行くと約束させた。⁋ 私は思案していた。もし、自分が見かけたものがまだ見えるようなら、嘲笑を浴びようとも具体的な警告を発することにしようと。支持にまわってくれるのはこの地の民話を知っている鉱夫だけだろうが。まさにその午後、私の機嫌を取るべく息子は検分を行い、私の散歩がカバーしたと思われるあらゆる土地の上を飛行した。だが、私が目にしたものは何一つ見える状態では残っていなかった。⁋ 例の異例な玄武岩製石材の場合と同じことが繰り返された —— 流砂が全ての痕跡をぬぐい去っていたのだ。その時は苛烈な恐怖のうちにかの畏怖すべき物体を失ってしまったことを半ば後悔した —— だが、今ではその喪失は恩寵だったということが判っている。体験した全てを幻覚だと信じることができるから —— 殊に、私が心から望んでいるように、あの地獄の深淵が見つかりさえしなければ。

ウィンゲイトは七月二十日に私をパースへと連れて行ってくれたが、調査を放棄して帰宅するのは断った。彼はリヴァプール行蒸気船が出帆する二十五日まで私と滞在した。今、女帝号の船室で、私はこの件全体について長時間気も狂わんばかりに熟考し、少なくとも息子は知っているべきだと判断した。より広くこの件を拡散するか否か、息子に委ねるつもりだ。⁋ いかなる状況に陥ろうと問題が起こらぬよう(*6-1)、ここまで私の背景に関する要約 —— 既に断片的には他の人に知られているように —— を書いてきた。そしてこれから、かの悍ましき夜、私が野営地から出かけていた間に何が起きたように見えたか、可能な限り簡潔に記そうと思う。

苛立ちながら、また北東への不可解かつ畏敬を交えた記憶を揺り動かすような渇望という笞によってある種の捻くれた熱意へと追い込まれながら、邪悪な、ひりつくような月光の下、私は重い足を進めていた。そこここに、忘れられた名状すべからざる悠久の昔から残る原始のキュクロプス式石材が半ば砂に覆われていた。⁋ この悍ましい荒野のもつ計り知れぬ年代と薄気味悪い恐怖がこれまでになく私を圧迫し始め、私は気を狂わす夢のことを、その背後に横たわる戦慄の伝説のことを、現在の原住民と鉱夫が沙漠とその彫刻された石材に抱く恐怖のことを、考えないではいられなくなった。

不気味なる逢い引きにでも向かっているかのように私はとぼとぼと歩き続け —— ますます当惑するような幻想に、衝動に、擬制記憶に、苛まれていった。息子が空中から見たという、石材群が形作っていたかもしれないいくたりかの輪郭のことを考え、それらのことで、即座にかくも不穏かつ馴染んだ感じがしたのは何故だろうかと不思議に思った。記憶のとば口を何かが手探りしガタガタ言わせている一方、もう一つの知られざる力がその門を閉ざしたままにしようとしていた。

風のない夜、青ざめた砂が凍てついた海波に似て高く低くうねっていた。私は何処へというあてもなく、しかしあたかも運命の導きでもあるかのようにそれらを押し分けて進んだ。夢が現の世に噴き出し、砂に埋もれた巨石の一つ一つが人類以前の石造建築の果てしない部屋や通廊の一部に見え、そこには彫刻が、我が精神が大いなる種族に囚われていた間慣れ親しんだおかげで知りすぎた記号が、存在するように思えたのだ(*6-2)。⁋ 暫しかの博識なる円錐状の恐怖がいそいそと日常業務に当っているような気がし、自分もあんな姿に見えたらどうしようと恐れ、下方に目をやることができなかった。だがその間も私は部屋や通廊と同じ位、砂に覆われた石材をも見ていたのだ; 発光する結晶のランプと同様に邪悪な焼け付くような月を; 窓の彼方のたなびく羊歯と同様に何処までも続く沙漠を。私は同時に目覚め且つ夢見ていた。

どれ程の時間を、距離を —— いや、実際にはどちらの方角にすら —— 歩いた後かは判らないが、これまでに調査したことのない石材の山が日中の風によって露になっていた。一ヶ所にまとまって存在するものとしては見てきた中で最大の石材群であり、法外な太古の幻想を一気に薄れさせてしまう程の鋭い印象を齎した。⁋ そこには再び沙漠と邪悪な月と思考も及ばぬ太古の破片だけが残っていた。私は近寄って立ち止まり、懐中電灯の補助光を崩壊した塊に投げかけた。小丘が風で飛ばされた跡に、一塊の巨石と小片が差し渡し十二メートル、高さ六十センチメートルから二メートル半程の歪な円形をなしていた(*6-3)。

着手してすぐ、これらの石材には未曾有の性質があることが判明した。その数が空前であったのみならず、砂に摩滅してはいたが、痕跡として残った意匠の中に、私を捉え、月光と電灯が混じった光の下でまじまじと調べさせるなにものかがあった。⁋ これまでに発見してきた他の標本と本質的に異なっていたわけではない。もっと微妙な何かだった。その印象は、一つの石だけを見たのでは判らず、視線を幾つかの石の上にほぼ同時に走らせて初めて感じ取れるものだった。⁋ その時、ついに真実の暁光が射した。これらの石材の殆どに見られる曲線状のパターンは密接に連関していた —— 壮大な構想をもつ装飾の一部を成していたのだ。この悠久の時に乱された廃墟の中で私は初めて、石組の塊がまさに本来の位置に —— 確かに崩れ断片化こそしているが、言葉の最も正確な意味に於いて存在しているのを発見したのである。

私は低い箇所を足場にして、苦労して石の山を登った; 指でそこら中の砂を払い、様々な大きさ、形状、様式、及び意匠の関係性を解釈しようと躍起になった。⁋ しばらくすると、古の構造の持つ性格を、またかつて原始の石造建築の広大な表面全体を飾っていた意匠を、なんとなく推測できるようになった。夢で瞥見したあるものとの全面的かつ完全な一致に私は言葉と気力を失った。⁋ これはかつて高さ三メートルのキュクロプス式通廊で、八角形の石板で舗装され、頭上にはがっしりした穹窿があった。先の右側には幾つかの部屋の入り口があったはずで、突き当たりは例の奇妙な斜面の一つとなって更に下へと曲がっていくはずだった。

この考えが頭に浮かぶや否や、私は荒々しく駆け出した。石材自体が与える以上のものがそこにあったからだ。私はどれ程知っていたのだろうか? この階層が地下深くにあったはずだということ、上に出るための斜面が背後にあるべきこと、記念柱スクエアが一階上の左手にあるべきこと、⁋ 二階下に機械室があり、右へのトンネルを抜けると中央文書館にでるべきこと、四階下の最地下に金属で封印された恐怖の落し戸のひとつがあったはずだということを? 夢幻界からのかくなる侵略に当惑した私は、自分がガタガタ震え体中に冷や汗をかいているのに気づいた。

そしてついに私は堪え難くも、微かな、悪意を持った冷気の流れが、石材の山の中央付近から上へとたらたら流れ出しているのを感じたのだ。前回同様、即座に幻覚は薄れ、私は邪悪な月光と薄気味悪い沙漠と地質学的時代を遡る石組が広がる古墳とだけを見ていた。それでも尚、今や私の前には実際の、手に触れ得るあるものが、闇の謎を果てしなく暗示しつつ立ちはだかっていた。空気の流れが示すのはただ一つの事柄だからだ —— 散らかった地表の石材の下に大いなる深淵が潜んでいるという。

最初に考えたのは、不吉な先住民の伝説だった。大いなる地下の掘建小屋が巨石の間に建ち、そこでは恐怖が行われ強風が生まれるのだ。次に考えたのは再帰してきた私自身の夢のことで、ぼんやりした擬制記憶が精神を引っ張っていくのを感じた。いかなる様相の地が下に横たわっているのだろうか? いかなる原始的かつ信じ難い根源を、幾時代を経た神話群及び付きまとう悪夢の源を、今まさに私は暴こうとしているのか? ⁋ 逡巡は一瞬で解けた。好奇心も科学精神も超越したあるものが私を突き動かし、募り行く恐怖を押さえつけたのだ。

私は何かの抗い難い運命に掴まれているかの如く、ほとんど自動的に動いているようだった。電灯をポケットに入れ、自分にあるとは思ってもみなかった力を振り絞って、最初の大きな石片を脇にやり、その後は次々に、沙漠の乾いた空気とは奇妙に対照的な湿気を帯びた空気が強いすきま風となって吹き出すまで石をのけて行った。暗い亀裂が口を開け、ついに —— 自分の力で押しのけられるだけの大きさの石片を全てどかしてしまうと —— 私が入り込めるだけの大きさの開口部が癩病めいた月光に輝いていた。

私は電灯を手に取って開口部に明るい光を投げかけた。下にあるのは混沌たる崩れた石組で、北に向かって約四十五度の角度で落ち込む荒れた傾斜をなしており、明らかに過去に上方からの衝突を受けた結果であった。⁋ その表面と地面の高さまでの間は計り知れない深淵の暗闇で、最上部の縁には大きな穹窿が迫り上げられた跡があった。地球若かりし頃に建設された一つの巨大構造物の床へと、沙漠の砂がそこから直接落ちて行っているようだった —— 悠久の地質学的激動を通していかにこの構造物が耐え忍んできたか、当時も今も、私には思いを巡らす余地すらない。

振り返るに、かくも怪しげなる深淵にいきなり単独で乗り込むなどといったこの上なく愚かしい考えは —— しかも誰にも所在を知られないまま —— それこそ狂気の頂点のようなものだ。多分その通りだったのだろう —— だが彼の夜、かような降下に着手するにあたり、私には何らの躊躇いもなかったのだ。⁋ またしても、道行の初めから誘惑と運命の力が私を導いていたことが歴然としていた。電池を節約するため懐中電灯を点滅させながら、開口部の下にある不吉なキュクロプス式斜路を狂ったように、一散にかけ下り始めた —— 時にはよい手がかり足がかりが目の前にあり、また時には振り返り巨石の山を危なげに手探りしつつよじ登っていった。⁋ 両脇遠くに、彫刻のある崩れた石組の壁が懐中電灯の直射を受けて暗く見えた。だが、目の前は破られることのない真の暗黒のみだった。

私は駆け降りる間時の経つのを忘れていた。当惑させられる暗示と幻覚とであまりにも心が沸き返り、客観的な事物は全て計り知れぬ彼方に飛び退ってしまったようだった。身体感覚は死に絶え、恐怖すらもが亡霊の如く流し目をくれる不動不能の樋嘴に成り果てた。⁋ やっとのことで崩落した石材や砕けた石の破片や砂やあらゆる種類の岩屑が散らばった水平な床に達した。両側には —— 恐らく十メートル離れて(*6-4) —— がっしりした壁が立ち上がり、その上部を辿ると大きな交差穹窿となっていた。彫刻があることだけは判別できたものの、その性格は認知の及ぶ範囲を超えていた。⁋ 最もしっかりと私を捕えたのは頭上の穹窿だった。懐中電灯の光は天井までは届かなかったが、悍ましいアーチの基部ははっきり見えた。数えきれぬ程何度も夢に見た太古の世界とそれらとの間にあまりにも完璧な一致がみられ、私の体が初めて実際に震え戦いたのはこのためである。

背後の高所から射す微かな明かりは、遠くに月光に照らされた外界があることを物語っていた。私の中のぼんやりした何かが、ずたずたになりながらも、あれを見失ったら最後、帰るための目印がなくなるぞと訴えていた。⁋ まず左手の壁に向かって進んだ。そこでは彫刻の跡が最も鮮明だった。雑然とした床を横断するのは石の山を下ってきた時と同程度に困難だったが、なんとかやってのけた。⁋ ある箇所では、舗装の様子を見るために、石材をいくたりかどかし破片の山を蹴り崩し(*6-5)、そして全く以て運命的な親近感に震え上がった。撓んだ表面を成す八角形の巨石が、今なお概ね互いに接合していたのだ。

適当な距離まで壁に近寄って、懐中電灯をゆっくりと注意深く動かしつつ、くたびれた彫刻の遺残物全体に光を当てた。かつて流れ落ちた水が砂岩の表面を侵していたようだったが、それでも私には説明できない奇妙な表面装飾があった。⁋ 石組がひどく弛緩しかつ歪んでいる場所もあり、私は、この原始の隠された大殿堂がいかに数多の時代を超え、大地の激しい上下動に耐え、その形態を保ってきたのだろうかと想いを馳せたのである。

しかし、私を何より興奮させたのは彫刻そのものだった。時の浸食にも拘らず、近くからだと比較的容易に跡を辿ることができ; その隅々から受ける完璧かつ濃密な親密さによって私の想像力はほとんど麻痺させられてしまった。⁋ この古びた石造建築の持つ主たる属性が見知ったものだということになっても、それは通常信じうる範疇を超えてはいない。⁋ ある種の諸神話の織りなす印象は力強いものであって、それらはある秘伝の潮流の中に包含されるようになった。健忘症発症中の私はどうにかしてその種の伝説に出くわし、無意識界に生き生きとしたイメージを喚起させられたのである。⁋ だが、一体どうすれば、この奇妙な意匠と二十年間以上も夢に見てきたものとが、一本の直線や一巻きの螺旋に至るまで精密に符合することを説明できるのだろう? いかなる隠微な忘れられた図像学が、一つ一つの繊細な陰影とニュアンスをかくも永続的かつ正確に再現し、夜毎の眠りに現れる幻覚を変わることなく包含し続け得たというのだ?

偶然ではあり得ず、といって若干似ていただけでもない。私が立っていた何千年紀を遡る、幾時代もの間人目に触れなかった通廊は、明確かつ絶対的に、眠りの中でアーカム・クレイン街の自宅同様に知悉している何ものかのオリジナルに他ならなかった。そう、私の夢はこの場所の衰退前の原型を見せていたのだが; その点での同一性は紛うべくもなかった。恐ろしくも私には自分の位置が完璧に判っていたのだ(*6-6)。⁋ いまいるこの構造物を私は知っていた。同じく知っていたのだ、それが夢に出てくる慄然たる古の都市の中のどこにあるのかも。果てしない時代が齎す変化からも蹂躙の手からも逃れたこの構造物の、そしてこの都市の、いかなる地点にでも迷わず訪れることができることを、私は悍ましくも本能的に確信していた。これは一体どういうことなのだろう? どうやって私は知ったのだろう? この原始の石の迷宮に住まっていた存在に関するかの古譚の裏にいかなる畏怖すべき現実が横たわってい得るというのだろうか?

言葉が伝え得るものは、私の心を蝕んだ恐れと当惑のごった煮のほんの一部でしかない。私はこの場所を知っていた。目の前にあるものの何たるかを知り、塔を戴く数限りない階層が塵へと、屑へと、沙漠へと崩壊していなかった頃の頭上の姿も知っていた。慄然として考えた、もうぼやけた月光など見失っても構わない、と。⁋ 私は逃走への希求と、燃え上がる好奇心および運命的な衝動との間で引き裂かれていたのだ。私が夢に見た時代からこのかた、何百万年の時を閲したこの途方もない大都市に何が起きたのか? 都市の地下を走り全ての巨塔を繋いでいた迷路の中で、地殻の身悶えを生き延びて今もなお存在しているのはどれだけだろうか?

私は埋葬された古の不浄な世界全体に行き当たったのか? 書記長(*6-7)の家を、南極に住む星状頭部を持った肉食植物からの囚われの精神である S'gg'ha が壁の空いた場所に何枚かの絵を彫刻した塔を、まだ探し出せるだろうか? ⁋ 外来の精神のためのホールに通じる二階下の通路はいまでも塞がっておらず通行可能だろうか? そのホールはある驚くべき存在 —— 千八百万年後の未来、知られざる冥王星以遠の惑星に居住する半可塑性生物 —— の囚われの精神が粘土で作ったあるものが安置されていた。

目を閉じ頭を押え、これら狂気の夢の断片を意識から追放しようとしたが、無駄な足掻きだった。その時私は初めて、周囲の空気が急に冷え、動き、湿気を帯びたのを感じた。震え上がりつつ、どこか足下の方で永劫の死の暗き淵が連ねた口を開けていると判ったのだ。⁋ 私は戦慄の部屋や通廊や斜路のことを夢から思い出すままに考えていた。中央文書館への道はまだ開いていたりするだろうか? 再び宿命的な衝動が私の頭脳を激しく引きずっていた。私は、かつてケースに詰められ錆びない金属でできた長方形の保管庫に収納されていた畏怖すべき諸記録のことを想起していたのだ。

夢と伝説は言う、そこには、過去も未来も、宇宙の時空連続体の全歴史が —— 太陽系のあらゆる天体あらゆる時代からの囚われの精神が書き記したものだ —— 安置されていた。狂気だ、無論 —— だが、今私は、私自身と同様に気が触れた一つの闇の世界へとよろめき入っているのではないのか? ⁋ 私は鍵のかかった金属製書棚のことを、それら一つ一つを開けるのに必要な奇妙なコツのことを考えた。意識の中に、自分自身のそれが生き生きと浮かび上がってきた。私はどんなに屢々最下層にある地球脊椎動物区画で、様々な回転と押しとを交えた手の込んだその手順をやり通してきたことだろう! 全ての細部が鮮明でなじみ深かった。⁋ もし夢に見てきたような保管庫があるとすれば、私はたちどころにそれを開けることができよう。狂気が私を完全に支配したのはまさにこの時だった。次の瞬間には、私は石の欠片に飛び上がりよじ上り、下方の深みへ向かった。はっきりと憶えのある斜路へと。

第七章

この時点を最後に、私の印象はおよそ信憑性を欠くものとなる —— そう、いまだに私は最後の、絶望的な希望を抱いているのだ、これらの印象全てが譫妄状態が生んだある種の悪魔的な夢ないし幻覚の一部分を形作るものだという。発熱が私の頭脳で猛威を振い、私は全てを薄靄を通したかのように受け取っていた —— 時には専ら断続的に。⁋ 懐中電灯は周囲を取り囲む暗黒に向かって弱々しい光を放ち、悍ましくも見慣れた壁と彫刻を刹那の亡霊のように浮かびあがらせた。その全ては時代の波に洗われ衰退し損なわれていた。ある場所ではとんでもない量の穹窿が崩れ、私はグロテスクな鍾乳石が垂れる緩んだ天井近くまで石の山を這い登らざるを得なかった。⁋ まさに究極の悪夢の頂点そのものであり、擬制記憶による牽引が一層それを悪化させていた。不慣れな点は唯一つ、それはこの途方もない石造建築に対する自分の身体の大きさだった。私はあたかも、これら塔なす壁をたかが人類風情の身体の中から見るなど何か極めて新奇かつ異常なことであるかのように、いつにない自らの矮小さに息詰まる思いだった。私は神経質に何度も何度も自分を見下ろし、己の持つ人間の姿に、何が無し戸惑っていたのだ。

深淵の漆黒の中を前へと私は跳ね、突き進み、蹌踉めいた —— 屢々まろび痣を作り、一度など懐中電灯を粉々にしかけた。なべての石が、曲がり角が、私には既知のものであり、何度も立ち止まっては崩れ塞がった、だが見覚えのあるアーチ型通路に光を投げかけた。⁋ いくつかの部屋はすっかり圧壊され; 他はむき出しのものあり、屑だらけのものありだった。少数の部屋では大量の金属を見かけ —— かなり健全なものも、壊れたものも、粉砕されたものもあった —— 夢に出てきた巨大な台座ないしテーブルだと私には判ったのだ。本当は何だっだのか、考えてみたくもない。

下りの斜路を見つけた私は下降を開始したが —— 暫くしてぽっかり口を開けた不規則な亀裂に足止めされた。その幅は狭い所でも一・二メートル(*7-1)を下回りそうもなかった。ここでは石の構造物がすっかり落ちてしまい、その下にある底知れぬインクのように黒い深みを露にしていた。⁋ 壮麗なるこの大建築には更に二階分の地階があることを私は知っており、最下層にある金属で締め付けられた落し戸を思い出して、新たなパニックに身を震わせた。今や衛兵はいないはずだ —— 下方に潜伏していたものは疾うの昔に悍ましい所業をなし終え、緩やかな衰退へと沈んでいったからである。人類の後にくる甲虫種族の時代までには完全に死滅していることになっている。だがそれでも、私は原住民の伝説のことを考え、新たに身震いした。

床が散らかっているせいで助走を付けられないため、口を開けた亀裂を跳び越えるのには恐るべき努力が必要だった —— が、狂気が私を駆り立てていたのだ。跳び越す場所は左手の壁際にした —— 裂け目が最も狭く、対岸の着地点を見ても危険な石屑が十分に少なかったからだ —— そして逆上した一瞬の後には、恙無く対岸に到達していた。⁋ ついに更なる下層への経路を得て、私は蹌踉きつつ、崩落した穹窿に半ば埋もれた奇想天外な金属の残骸だらけの機械室に通じるアーチ型の入口を通り過ぎた。全ての物が、私がそこにあるはずだと知っていた場所にあり、私は自信たっぷりに広大な横断通廊への入り口を塞いでいる山の上へと登っていった。これが、と私には判っていたのだ、都市の地下をくぐり中央文書館に達する道であるはずだと。

その破片だらけの通廊を蹌踉めき、飛び退き、這い進んでいると、無窮の年代が紐解かれていくようだった。時折年古りし壁面に彫刻を見分けることができた —— いくつかは見慣れたもので、そうでないものは私が夢にみる時代以降に加えられたのだろう。これは家々を連絡する地下の幹線であったため、アーチ型通路があるのは、様々な建物の地階を通って行く場合に限られていた。⁋ これらの交差点のいくつかでは、見知った通廊を見下ろし、見知った部屋に入れるくらい遠くまで脇道に入ってみた。夢に見たものからの大掛かりな変更に気づいたのは僅かに二度のみで —— その内の一度は、記憶にあるアーチ型入口を塞いだ輪郭を辿ることができた。

かの巨大な窓のない荒廃した塔の一つへと渋る足を速めた時、私は激しく身震いし、いきなり意気地なしになってしまったかのように感じた。その異質な玄武岩の石組みは、塔の恐るべき起源についての囁きを証拠づけていたのだ。⁋ この原初の地下室は円形で、差し渡したっぷり六十メートル(*7-2)はあり、暗色の石組みには何の彫刻もなかった。ここの床面にあるのは塵と砂だけで、上方および下方に向かう開口部が見えた。階段も斜路もなかった —— 確かに、私の夢が描く所によると、伝説の大いなる種族はこれらの塔に一切タッチしていない。これらを建設したものどもは階段も斜路も必要としなかったのだ。⁋ 夢の中では、下への開口部は密封され神経質に警護されていた。今それは —— 黒い喉口を —— 開けたまま、冷たく湿った空気を送り込んでいた。その下に巣食っているかも知れぬ、永劫の夜に閉ざされた果てしない洞窟については、それがどうなっているか考えることを自分に認めようとは思わない。

その後私は、通廊の中で瓦礫が酷く積み上がっている部分を這い進んで、天井が完全に陥没している箇所に辿り着いた。石屑が山を成し、それをよじ登って、懐中電灯の光では壁も穹窿も照らせない程広大な開けた空間を通り過ぎた。私は思い起こした、これは金属商の家の地下室に違いない、第三のスクエアに面していて、文書館から程遠からぬ所だ。この地下室に何が起きたのかは推測しかねる。

破片と石の山を越えるとその向こうには再び通廊があったが、いくらも進まない内に完全に閉塞した地点に出くわした。ここでは崩れ落ちた穹窿が危険な程沈下した天井に触れんばかりになっていた。いかなる努力を以て通行可能になるまで石材をこじって脇にどけ、またいかなる蛮勇を以てぎっしり詰め込まれた破片を乱したか、私には判らない。なにしろ平衡状態から極僅かに偏倚するだけでのしかかる何トンもの石造建築全体が陥没し、我が身を烏有に帰することになったかもしれないというのに。⁋ 私を駆り立て導いたのは純然たる狂気に他ならなかった —— そう、もし私の地下探検が全て —— 私がかくあれと望むような —— 地獄の妄想ないし夢見の相ではなかったのだとしたら。だが、私はやり遂げた —— あるいはそう夢に見た —— もがき込めるだけの隙間を開けたのだ。石屑の山の上を悶え進む間 —— 点けっぱなしの懐中電灯を深く口に銜えて —— 私は鋸歯状の床から垂れる幻想的な鍾乳石に切り裂かれるのを感じていた。

今や私は目的地たる大いなる文書館の地下構造に迫っていた。滑り這いつつ障壁の反対側を下ると、手にした懐中電灯を間歇的に点灯させながら通廊が延びる残りの部分に沿って進み、ついには低い円形地下室に到達した。ここからは —— 今なお驚嘆すべき保存状態にある —— アーチ型の入口を通って四方八方に通路が延びていた。⁋ 壁には、あるいはその中の懐中電灯の光が届く範囲には、象形文字が密に彫られ、典型的な曲線状の諸記号が刻まれ —— 私が夢に見た時代の後から加えられたものもあった。

私には判った。これこそ、終点として運命づけられた場所だ。そして私は左手にある見馴れたアーチ型入口をくぐった。ここには開けた通路がありそこから上下に延びる斜路によって残存するいかなる階層にでも行けることを、どういうわけか、私はほとんど疑ってもみなかった。この膨大な、大地に守られた大建造物は全太陽系の年代記を収納しており、太陽系そのものが果てるまで持ちこたえられるように、最高度の技巧を駆使して頑健に建設されていたのだ。⁋ 天才的な計算によって均衡を保つ驚異的な大きさの石材群が、信じ難い強度のセメントで結合されており、惑星そのものの核たる岩にも比すべき一塊を形成していた。ここには埋もれた大伽藍が、把握しようとするだけで正気を失う程の莫大な年代を経てさえも、本来の形態を保ったまま建っていた。埃で覆われた広大な床面には、他の大部分の場所に顕著だった散乱物の姿が稀にしか見られなかったのだ。

この地点からの歩行が比較的容易だったことが、私の頭に奇妙に働いた。ここまでの妨害によって半狂乱へと燃え上がった切望は、今や一種の熱病の如きスピードへと成り代わり、私はアーチ型入口の向こうにある天井の低い、悍ましい程見覚えのある通路を文字通り突進した。⁋ 見るもののあまりの親近感には驚かされたどころではなかった。至る所に象形文字のある金属製の書棚の戸がぼんやりと悍ましい姿を見せた; 一部は元の位置にあり、一部はぱかっと蓋を開け、また一部はこの巨大なる石造建築を粉砕するには至らなかった昔日の地殻変動に屈して撓んでいた。⁋ そこここに裂けて大口を開けた空の書棚があり、その下には埃にまみれて盛り上がるものがあって、地震の所為で振り落とされたのだろうと思われた。幾つかの柱の上には書物の大分類と小分類を示す大型の記号があった。

私は一つの開いた保管庫の前で立ち止まった。遍在する砂っぽい埃にまみれて、見馴れた金属ケースが元来の位置にあるのが見えたのだ。近づいて、いささか苦労しながらそのうち薄手のものを一部取り出し、床の上に置いて検査した。題名はここを支配する曲線状象形文字で書いてあったが、文字の配列の中の何かが微妙に例外的だった。⁋ 奇妙な留め金のメカニズムは私にとって自家薬籠中のものであり、今なお錆の浮いていない、正常に動作する蓋を開け、中の本を取り出した。予想通り、本は五十 × 四十センチメートル程の大きさで、厚さが五センチメートル(*7-3); 薄い金属のカバーは上部が開くようになっていた。⁋ その強靭なセルロースのページは、それらが経てきた数限りない時間の周期によっても影響を受けていないようで、私は奇妙に筆で着色された文字によって綴られた文面を詳しく調べた。その文字は通常の曲線状象形文字でも、人類の学者が知るいかなるアルファベットでもなく —— しかし何か思い当たる節があったのだ。⁋ 私は気づいた。それは夢の中で僅かに知っていた小惑星帯出身の囚われの精神が用いていた言語で —— そこでは、小惑星として粉々になる前の原始惑星から多くの太古の生命と伝説が生き延びていた。同時に、この階が地球外惑星を扱う書物の専用保管庫だということも思い出した。

この信じ難い文書を熟読するのを止めた時、懐中電灯が消え始めているのに気づいたため、すぐさま常時携帯していた予備電池を挿入した。明るくなった電灯を武器に、再び私は果てしなく縺れ合う通路と回廊の中を熱病の如く駈け始めた —— 屢々見馴れた書棚に気づき、音響学的状況になんとなく苛々しながら。靴音の響きがこの地下墓窖になんともそぐわないのだ(*7-4)。⁋ 背後にある、数千年紀に亘って足を踏み入れられたことのない埃の上に記された我が靴跡に、私は身震いした。私の夢が真実の一片でも留めているなら、この有史以前の舗道に人類の足が降ろされたことは一度もないはずなのだ。⁋ 気違いじみた疾走の目的地が一体なんなのか、私の意識は仄めかしもしなかった。しかしながら、何らかの邪悪な憑き物の力が、私の朦朧たる意思と埋もれた記憶を引き回していて、そのため私は、自分が無闇矢鱈に駆け回っているのではないと薄々感じていた。

下降する斜路に突き当たった後、道なりに大変な深さにまで進んだ。疾走しながら床を照らしたが、立ち止まって調べたりはしなかった。混乱した脳内で特定のリズムが脈打ち始め、同時に右手の収縮がユニゾンを奏で始めた。私は何かを解錠したかった、それに必要とされる手の込んだ捻りと押しの全てを知っている気がしていた。それはコンビネーション・ロックを備えた現代の金庫に比せるだろう。⁋ 夢であろうとなかろうと、私はかつて知っており、その時も知っていた。一体どんな夢が —— あるいは無意識のうちに吸収した伝説のスクラップが —— かくも細密な、かくも錯綜した、かくも複雑な詳細を教えうるのか、自分で自分を納得させようとは思わない。私は首尾一貫した考えを持てないでいる。なんとなればこの経験全体が —— この知られざる一群の廃墟への衝撃的な親近感が、目前の全てと夢と断片的な神話のみが仄めかしてきたものとの間の悍ましい程完璧な一致性が —— あらゆる理性を超えた恐怖ではないのか? ⁋ おそらくこの時点における私の基本的な信念は —— 今現在、私がより正気でいられる瞬間におけると同じく —— 自分は全く目覚めていなかった、埋没都市全体が熱に魘された幻覚だというものだったのだ。

ついに私は最下層に到達し、斜路を右に下りた。何かかぐろい理由から、私はこれまでよりスピードが落ちるのも構わず、足音を忍ばせようとした。この最後の、深く埋もれた階には横切りたくない程恐ろしい空間があったのだ。⁋ 近づくにつれ、その恐怖の空間に何があるかを思い出した。それは単に、金属製の閂で閉じられ堅固に警備された落し戸の一つだった。今や衛兵はいないはずで、そのため私は類似の落し戸が口を開けている黒い玄武岩の地下室で行ったのと同じく、震え戦きながら抜き足差し足で歩いた。⁋ そこには同様に湿った冷気の流れがあり、私の辿る経路が他の方向に行けばいいのにと願った。何故その特定の経路を取っていたのか、私には判らなかった。

問題の空間に来てみると、落し戸は大きな口を開けていた。前方には再び書棚が現れ、その一つの前の床の上に最近若干のケースが落下し、そこが極薄く埃をかぶっただけの山になっているのに気づいた。まさにその瞬間、新しいパニックの波が私を捕えた。どうしてなのか長いこと判らなかったのだが。⁋ 落下したケースの山は珍しくなかった、永劫の時間の間に、この光のない迷宮は地球の起伏に責められ、ある時間をおいて崩れ落ちる物体が起こす、耳を聾せんばかりの衝突音を谺させてきたのだ。どうして私がそんなに酷いショックを受けたのか、その空間をほとんど渡り終えようとする時に初めて判った。

私を不安にさせたのは、ケースの山ではなく水平な床の上の埃に関する何かだった。懐中電灯の光の中で、埃はあり得べくもない不均一性を示しているようだった —— 乱されてから何ヶ月も経過していないかのように、薄くなって見える場所があったのだ。薄くなっているらしい場所にも十分な埃があったので、確信はもてない; それでも、不均一に見えたように思った場所がどうも規則正しいように思われ、激しく心を乱された。⁋ おかしな場所の一つに懐中電灯を近づけて私が見たものは、なんとも気に食わなかった —— 規則的な感じが極めて大きくなったからだ。複合的な痕跡が並ぶ規則的な複数の線で —— その圧痕は三つ組みになっており、各組のそれぞれが三十センチメートル四方を幾分超える大きさで、八センチメートル程のほぼ円形の斑五個からなっており、一つが残りの四つの前についていた(*7-5)。

これら三十センチメートル四方の圧痕の列らしきものは、あたかも、何者かがどこかに向かい、また戻ってきたかのように、二方向に向かっているように見えた。それらは無論、極めて微かで、幻想ないしは偶然の所産であり得た; だが、それらが辿った経路と思しきものには、一つの暗い、口ごもるような恐怖の要素があったのだ。その一端は遠からぬ昔にどさっと落ちたはずのケースの山で、他端は、想像を超えた深淵へと無防備に口を開く、じめじめした冷風を吐く不穏な落し戸だったからだ。

第八章

私の奇妙な強迫的衝動が深く、全てを圧する程だったことは、恐怖を押さえ込んでしまったことから判る。どんな理性的な動機を持ってきても、かの悍ましい疑惑の足跡を見、這いよる夢記憶を刺激された後では、私を引きずっていくことはできなかった。それでも私の右手は、恐怖に戦くかのように、なんとか錠を見いだしてそれを開けたいと、尚も律動的に収縮していた。それに気づいた時には、私は既に最近落下したケースの山を通り越し、何者も足跡を残していない通路をつま先立ちで走っていた。その行く先は、身の毛のよだつ程に熟知しているらしい場所だったのだ。⁋ 私の精神は、幾つかの疑問を自問自答していたが、その源泉と重要性についての憶測は端緒についただけだった。人間の体で書棚に届くだろうか? 私の人間の手は悠久の時を超えて思い出された解錠操作を全てやり通せるだろうか? 錠前はダメージを受けておらず動作可能だろうか? それで私はどうするのだ —— たった今理解し始めているように —— 発見を期待すると同時に恐れているものを用いて、敢えて何をするつもりなのだ? それは通常の概念を超えた、畏怖すべき、脳をぐちゃぐちゃにするような真実を証明することになるのか、それとも単に私が夢を見ていることを?

次に気づいたのは、自分がつま先立ちで走るのをやめ、立ち止まり、気も狂わんばかりの親近感が漂う象形文字付の書棚を見つめていることだった。それらはほぼ完全な保存状態にあり、近くで口を開けている扉は僅かに三つだった。⁋ これらの書棚を前にした感じは筆舌に尽くし難い —— 昔からの馴染みだという感覚があまりにも絶対的かつ執拗だった。私はある段を見上げていたが、それは天辺近くの全く手が届かない所で、どうやって登るのが一番いいだろうかと考えた。下から四段目の開いた扉が役に立ちそうで、閉じた扉の錠前も手がかり足がかりとして使えるかもしれない。両手を空けておく必要があった他の場所でも行ったように、懐中電灯を歯の間に銜えていこう。なにより、音を立ててはならない。⁋ 目指すものを取り出した後、下に降ろすのは困難だろうが、可動式の留め具を外套のカラーに引っ掛ければナップザックのように運べるだろう。再び錠前が破損していないだろうかと思った。慣れ親しんだ動きを一つ残らず再現できるだろうことに、いささかも疑いを抱かなかった。ただ、ものが軋み音を立てず —— 我が手が適切に動いてくれることを願っていたのだ。

このようなことを考えながらも、私は懐中電灯を銜えて登り始めた。錠前の突出部は大して頼りにならなかったが; 期待した通り開いた書棚に大いに助けられた。登るにあたっては、ぶらぶら揺れる扉と開口部それ自体の縁の両者を用い、大きな軋みを出さないよう気を配った。⁋ 扉の上の縁でバランスをとり精一杯右側に体を曲げてやっと、探していた錠前に手が届いた。登攀のため半ば無感覚になった指は初めなかなか思い通り動かなかったが; じきに解剖学的にうまく合致させられることが判明した。そして指は記憶の中の律動を強く発揮していたのだ。⁋ 知られざる時の深き淵から、込み入った密やかな動きがどうしてか私の脳に届いた。あらゆる細部に至るまで正確に —— というのも五分もかからないでカチッという音がしたからだ。意識的に予想していなかっただけに、その音の親近感はこの上なく私を驚かせた。次の瞬間、金属の扉はほんの微かな摩擦音と共にゆっくりと開いていった。

目眩とともに、露出された灰色っぽいケースの端の列を見渡し、私は何か全く以て不可解な情動の奔出に戦いた。右手を伸ばした所に丁度ケースが一つあり、その曲線的な象形文字は私に単なる戦慄を遥かに超えた、痛恨を含む複雑な悪寒を引き起こした。身を震わせながら、それでもなんとかそれをざらざらした破片の中から取り出し、大きな音を一切たてずに手許に寄せることができた。⁋ これまで手にした他のケースと同様に、五十 × 三十七センチメートルを僅かに超える大きさで、数学的な曲線模様の浅いレリーフがあった。厚さは八センチメートル強だった(*8-1)。⁋ ぞんざいに自分の体と今よじ登っている書棚の表面との間にそれを挟み、留め具を手探りして、ついにフックを外した。カバーを持上げながら、その重量物を背中に回し、フックがカラーにかかるようにした。両手が自由になったので、私は埃っぽい床にぎこちなく這い降り、戦利品を矯めつ眇めつするのに備えた。

ざらざらした埃の上に跪き、ケースをぐるっと回すとそれを自分の前に安置した。両手は震え、切望するのと同じくらい中の本を取り出すのを恐れ —— なにか無理矢理 —— そうするよう強制されているような気がした。自分が発見すべきものが次第に明らかになり、その認識に私の総身はほとんど麻痺してしまった。⁋ もしそれがあり —— そして私が夢を見ているのでなければ —— その暗示するところは人間の精神力が負える範囲を完全に超えているだろう。私を最も苦しませていたのは、今現在周囲が夢だと感じられないことだった。その時の現実感は悍ましいばかりで —— 今思い出してもやはりそうだ。

とうとう私は戦きつつ本をケースから引き出し、魔法にかかったかのように表紙にある見馴れた象形文字に見入った。状態は極上で、題名になっている曲線状の文字を見るうちに催眠状態に引き込まれ、それが読めるような気がする程だった。実際、異常な記憶に対する恐るべきアクセスが一時的に回復した状況においてもそれが読めないとは言い切れないのだ。⁋ その薄い金属の表紙をめくろうとするまでにどれ程時間が掛かったか判らない。ぐずぐずと自分に言い訳をしていた。私は口から懐中電灯を取り出し、電池を節約するため消した。暗闇の中で勇気をかき集め、やっと明かりを付けずに表紙をめくった。最後に、懐中電灯を点け開いたページを照らした —— 予め音を立てないように自らを律した、何を見いだすことになろうと。

一目見て私は崩れ落ちた。歯を食いしばり、しかし、沈黙を守った。襲い来る暗黒のただ中、床にへばりつき額に手を当てた。恐れかつ期待していたものがそこにあった。夢を見ていたのか、さもなければ時間と空間が紛い物になってしまったのだ。⁋ 夢を見ているのに違いない —— だが、万一この物体が現実のものだとするなら、持ち帰って息子に見せ、以て恐怖を検証することにしよう。漆黒の闇の中、私の周りを回っているようなものは見えなかったのに私の頭は酷くぐらついた。恐怖の中の恐怖そのものたる観念および幻影 —— 私の一瞥によって暴かれた眺望が引き起こした —— が殺到し、私の感覚を鈍らせた。

私は埃の上につけられた足跡と思しきもののことを考え、そのうちに自分の呼吸音にも怯えるようになった。もう一度懐中電灯を点けて、蛇に見込まれた犠牲者が破壊者の目と毒牙を見つめるように、そのページを見た。⁋ 闇の中、もつれる指で本を閉じ、ケースにしまい、蓋を閉めて奇妙な留め金を掛けた。これこそ私が外の世界に持ち帰らねばならぬものだ。もしそれが真に存在するのなら —— 深淵全てが真に存在するのなら —— 私がそして世界それ自体が、真に存在するのなら。

いつよろめく足取りで帰還を開始したのかはっきりしない。今気づいてみれば、奇妙なことに —— いかに私の感覚が通常の世界から遊離していたか判ろうものだが —— これら悍ましい地下の数時間のあいだ、一度たりとも時計を見なかったのだ。⁋ ついに懐中電灯を手にし、不吉なケースを腕から下げ、ある種の沈黙のパニックの中、すきま風を送り込んでくる深淵や何かが潜んでいることを仄めかす足跡を、抜き足差し足で通り過ぎようとしている自分に気づいた。果てしない斜路を登るにつれ警戒心を緩めて行ったが、斜路を下降している時にはまだ感じていなかった不安の影を振り払うことはできなかった。

黒い玄武岩の窖をもう一度通過しなければならないのは怖かった。それは都市自体より古く、無防備な深みより冷気を吹き上げているのだ。私は大いなる種族が恐れたもののことを、その下にいまだにうろついているかもしれない —— 弱体化し死滅しつつあるにせよ —— ものどものことを考えた。これら五個の円形からなる足跡と、私の夢がかような足跡について告げたことを —— また、それらと関係する不思議な風と笛のような雑音のことを考えた。そして私は、大風の恐怖と名状し難い地下の廃墟が住まう場所について現代の原住民が語る説話のことを考えた。

壁に彫られた記号から入るべき階が判り、先ほど調べたもう一冊の本を通り過ぎると、ついにアーチ状の入り口が数多く分岐する大きな円形の空間に出た。右側が入ってきた時のアーチだとすぐに見て取れた。今そのアーチをくぐりながら、文書館の外では石組みが荒れているから、ここから先は大変だぞと肝に銘じた。金属ケース入りの新たな桎梏が私にのしかかり、がらくたとかその手のものにつまずくたびに、静寂を守ることがますます困難になっていくのが判った。

やがて天井まで積み上がった石屑の山に辿り着いた。石をひねってやっとのことで通れるだけの隙間を作った所だ。そこを再びすり抜ける時の恐怖と言えば、この上なかった。最初に通った時に、ある程度の物音が立ったからで、今や —— 足跡と思しきものを見た後では —— 何より音が怖かった。加えてケースがあるおかげで、割れ目を通り抜けるのは二重に厄介だったのだ。⁋ だが、私は障害物の登攀にベストを尽くし、割れ目を通してケースを先に出した。次いで懐中電灯を銜え、這い登った —— 前回同様鍾乳石が背中を裂いた。⁋ 再度掴もうとしたとき、ケースが石屑の斜面を若干滑り落ち、ガタガタと耳障りな音を立て、その谺を聞いた私は冷や汗を流した。一旦は突き離してしまったものの、それ以上の騒音を立てずに掴むことができた —— だが、次の瞬間、突然足元で石材が滑り、空前の騒音をまき散らしたのだ。

この騒音が命取りとなった。というのも、間違いであろうとなかろうと、背後の空間から恐ろしいやり方でそれに対する返答が聞こえてきた気がしたからだ。甲高い、笛のような音で、地上には他に似たものがなく、まともな言葉によるいかなる記述をも超えていた —— 本当に似たものがいなかったのなら、こいつによるパニックを除いて第二のものは起こらなかったのだから、なんとも意地の悪い皮肉ではないか(*8-2)。

これまで通り、私の狂躁は絶対的で緩むことがなかった。懐中電灯を手に、ケースを弱々しく掴んで、前へ前へと飛び込んで行った。脳内には、この悪夢の廃墟から逃げたい、頭上はるか高みにある沙漠と月光の覚醒世界に出たいという狂った願望以上の考えはなかった。⁋ 崩落した天井の先にある、暗黒に向かって屹立する石屑の山に達し、何度も打ち身と切り傷をこしらえながら鋸歯状の石や屑でできた急な斜面を這い登ったのはいつだろうか、私には殆ど判らなかった。⁋ そこに大災難が待っていた。盲滅法頂上を越えた際、目の前に突然凹みが出現するとは思わず、完全に足を滑らせてしまい、気がつけば石材の雪崩に巻き込まれていた。大砲を撃ったかのような轟音が暗い洞窟の空気を切り裂き、耳を聾する谺が地響きのように繰り返された。

この混沌からの脱出のことは記憶にないが、切れ切れになった意識の断片からすると、ガラガラいう騒音のただ中、通廊の中を跳び、つまずき、這い回った —— ケースと懐中電灯をまだ携帯したまま。⁋ そこに、先ほどあれほど恐れた原始の玄武岩の窖に接近した時のような究極の狂気がやってきた。雪崩の残響が収まるにつれ、前にも聞いた気がする戦慄すべき異様な笛の音が繰り返し聞こえた。今回はその点に関する疑いはなく —— 一層悪いことに、それは背後ではなく前方から聞こえてきたのである。

恐らく、私はそのとき大声で叫んだ。地獄めいた古きものどもの玄武岩の地下室を駆け回るぼやけた印象がある。限りない冥界の暗黒へと口を開ける無防備な扉から異様な呪わしい音がひぅひぅ鳴るのを聞きながら。風もあった —— 単なる冷たく湿ったすきま風ではなく、暴力的な、目的を持った疾風が、厭うべき笛音の源である忌まわしの淵から冷酷に噴出してくるのだ。

あらゆる種類の障害物を飛び越えよろめき越えた記憶がある。一瞬毎に旋風と甲高い音が強くなっていき、後下方の空間から殴り掛かろうとでもするのか、私の周りで意図的に絡み合い、巻き上げるようだった。⁋ ところが背後では、風は後押しするのではなく妨害するような異様な効果を見せた; あたかも私の周りに投げられた縄や罠のように。物音を立てることなど構わず、石材が作る大きな障壁をガタガタと乗り越え、私は地表へと延びる構造物の中に戻った。⁋ 機械室へのアーチがちらりと見えたことを思い出した私は叫び声を上げそうになった。二階下で口を開けているはずの冒瀆的な落し戸へと行き着く下向きの斜路を見たからだ。だが、叫びを上げる代わりに自分にぼそぼそと言い聞かせた。これは全部夢で、じきに目が覚めるはずなんだと。多分いまキャンプにいるんだ —— 多分アーカムの家にいるんだ。こういった希望によって正気を維持しながら、私は上の階目指して斜路を登り始めた。

もちろん、再び一・二メートルの裂け目を横断しなければならないことは知っていたが、あまりにも他の恐怖に責め立てられていたせいで、その場に来る直前までよく判っていなかった。下りの時には跳躍は容易だった —— だが、登りでも同様に隔たりを越えられるだろうか? しかも恐怖、疲労、金属ケースの重量、何故か後ろに引っ張る悪魔の風に妨げられながら。これらのことを考えたのは最後の瞬間で、同時に考えたのは深い裂け目の下にある暗黒の深淵に潜むかもしれない、名状し難い存在のことだった。

懐中電灯の光はちらつき、弱まっていったが、割れ目に近づいた時、何かあいまいな記憶からそれと判った。この瞬間には、背後から吹く冷風と吐き気を催す甲高い笛音が、前方に口を開ける恐怖の深淵についての想像を鈍らせてくれるありがたい麻薬のようなものだった。その時、他の突風と笛音が前から加わってきた —— 忌まわしい流れが目前に吹き上がったのだ。想像したことも、想像すべくもない深さを持つ割れ目それ自体から。

今や、そう、純粋な悪夢の精髄が私の上に降り掛かった。正気は去り —— 逃走への動物的な衝動以外の全てを無視して、もがきつつ、まるで深淵など存在しないかのようにひたすら石屑だらけの斜路を駆け上がった。そして裂け目の縁を見た。狂ったように、持てる力の最後の一滴まで振り絞って跳び、即座に、厭うべき音と物質的に纏わりつく究極の暗黒からなる汎魔殿の如き渦動に包囲されたのだ。

思い起こせる範囲では、私の経験はここで終わる。ここから先の印象は全て走馬灯のような幻覚の領域に属する。夢と狂気と記憶とがすっかり混淆してしまい、現実とは何らの関係も持ち得ないような一連の奇想天外な幻覚の断片となっていた。⁋ 私は、計り知れぬ深さを持つ粘液質かつ知覚を伴う暗黒と、地球とその有機生命体について我々が知るいかなるものに対しても異質極まる騒音のバベルの中を悍ましくも落下していった。休眠していた未発達な諸感覚が私の中で目覚め始めているようであり、それを通して窖と虚空を見分けることができた。そこには浮遊する恐怖が住まい、陽の射さぬ立岩や、海や、光に照らされたことのない無窓の玄武岩の塔がひしめく都市へと導くのだ。

原初の惑星の秘密とその有史以前の悠久の時が、視覚や聴覚の助けなしに脳内に閃き渡り、これまで見た最も荒唐無稽な夢さえ暗示しなかったものを開示した。その間じゅう、湿った蒸気の冷たい指が私を摘み、不気味な忌まわしい笛音が悪魔のような叫びをあげ、周囲の暗黒の渦の中で次々に入れ替わっていく騒音のバベルと沈黙とを圧していた。

その後、夢に出てきたキュクロプス式都市の幻影があった —— 遺跡ではなく、夢見たままの姿で。私は再び円錐形の人ならぬ物の体をしており、広々とした通廊と巨大な斜路を上り下りしながら本を運ぶ大いなる種族や囚われの精神たちの群れの一員に戻っていた。⁋ ついで、これらの絵に重なって、一瞬の非視覚的な意識が何度も過った。それらが伴っていたのは絶望的な足掻き、ひぅひぅ鳴り襲いくる風の鉤爪を逃れた身体の捩り、半固体の大気を通り抜ける気の触れた蝙蝠のような飛行、颶風吹き荒れる暗黒をやり過ごすための狂ったような隠れ処への突入、崩落した石造建築を渡る荒々しい蹌踉と匍匐だった。

一瞬、奇妙な半ば視覚のようなものが割り込んできた —— 遥か頭上にぼんやり青い光が広がっているような気がしたのだ。次いで、風に追い立てられる登攀と匍匐の夢があった —— のたうち回りつつ、嘲り笑う月影を目指し、ごた混ぜの石屑の中を進み、足元で崩れた破片は凶暴な旋風の中へと吸い込まれていった。それは邪悪に単調に照りつける狂気の月光だった。一度は客観的な覚醒世界として知っていたものの許に、ついに戻ってきたと私に告げたのは。

私は四つん這いになってオーストラリアの沙漠の砂にしがみついていた。辺り一面、暴風が我々の惑星の表面では聞いたこともない程の大騒動を演じていた。衣服はぼろぼろになり、全身が打撲と擦過傷だらけになった。⁋ 完全な意識は極めて緩徐に回復し、どこで幻覚のような夢が去り真実の記憶が始まったのか、全く判らない。ここには大きな石材の山があり、その下には深淵が、過去からの悍ましい暴露が、最後に悪夢の如き恐怖があったはずだった —— だが、それはどこまで現実だったのだろう? ⁋ 懐中電灯はなくなり、発見したはずの金属ケースも同様だった。そんなケースなど本当にあったのか —— 深淵は —— 石材の山は? 頭を上げて振り返ってみた。見えたのは波打つ不毛の砂地だけだった。

悪魔の風は鎮まりゆき、浮腫んだ菌類のような月が顔を赤らめつつ西に沈んだ。私はふらふらと立ち上がり、野営地を目指し南西へとよろめき始めた。本当は何が私に起きたのだろう? 単に沙漠の中で倒れ、夢の責め苦を受けながら、砂と埋もれた石材の間を何キロメートルも(*8-3)我と我が身をひきずり回していただけなのだろうか。さもなくば、一体どうしたらこの先僅かなりと生きることに耐えられようか? ⁋ この新たな疑惑の下では、私の幻影が神話によって生まれた非現実のものだという信念は、かつての地獄のような疑惑へと再び溶解してしまったからだ。あの深淵が現実なら、大いなる種族も現実だ —— そして宇宙規模の時間の渦動を股に掛けた冒瀆的な接触と強奪もまた、神話でも悪夢でもなく、恐るべき、魂を打ち砕く現実となってしまうのだ。

悍ましい、全き事実として、私はかの暗く不可解な健忘症の日々に、一億五千年前の人類以前の世界に引き戻されていたのだろうか? 私のこの身体は古第三紀の時の深淵からやってきた戦慄すべき異種族の精神を格納する乗り物になっていたのだろうか? ⁋ 私はこれら跛行する恐怖たる囚われの精神と同様に、かの呪われた石造都市の原初の最盛期を知っており、嫌ったらしい捕り手の姿で通い馴れたこれらの通廊をのたうち回っていたのだろうか? 二十年以上も私を悩まし続けたこれらの夢は、厳格な、悍ましい記憶から生起してきたのだろうか? ⁋ 私は到達することの叶わぬ時空の片隅からやってきた精神達と本当に会話し、過去から未来に至る紛れもない宇宙の秘密を学び、かの壮麗な文書館の金属ケースに納めるべく私自身の世界の年鑑を記したのだろうか? そして例の他のものども —— 狂風と魔笛のショッキングな古きものども —— は本当に潜み棲む脅威であり、年ふりひび割れたこの惑星の表面に様々な姿の生物が何千年紀の時の流れに従って永らえていた間、黒き淵の中で緩徐に弱体化しつつ待ち続けていたのだろうか?

わからない。かの深淵と私が掴んだものとが現実なら、希望はない。そうならば確かに、信じ難く、嘲け笑う、時からの投影が、この人類世界に覆い被さっているのだ。だが有り難いことに、それらを神話から生まれた私の夢の新たな局面以外のものだとする証拠はない。証拠になったであろう金属ケースを私は持ち帰らなかったし、これまでの所、かの地下通廊は発見されていない。⁋ もしも宇宙の法則が親切ならば、それらは決して発見されないだろう。だが、私は息子に私が見たもの、ないしは見たと考えたものを語らねばならぬ。そして私の経験の現実性を測るに当って、また、この文書を他の人たちに公開するに当って、心理学者としての判断を仰がねばならぬ。

夢の拷問に苛まれた何年かの裏面に潜む恐るべき真実の存否は、偏に私がかのキュクロプス式埋没遺跡で見たと思ったあるものの実在性にかかっていると、こう私は述べてきた。この決定的な暴露を記すことは、文字通り、つらいことだったが、それはどんな読者にも判っていただけるに違いない。もちろん、それは —— 一億年もの埃にまみれた隠れ処から私が引っ張り出した —— 金属ケースの中の本に書かれてあったものだ。⁋ この本は、人類がこの惑星に進出してからこのかた誰の目にも手にも触れたことがなかったのである。にもかかわらず、かの慄然たる深淵で懐中電灯を点けた時、私が脆弱な、永劫の時に黄変したセルロースのページの上に見た奇妙に着色された文字は、地球若かりし頃の名もない象形文字ではなかった。それらは、そう、見馴れた我らのアルファベットだった。英単語を綴っていた。私自身の筆跡で。


翻訳について

「時間からの影」の他に「超時間の影」とも訳されています。たしかコリン・ウィルソンの訳にあった「時からの投影」というのも、「と」音の頭韻(←これも頭韻だ)が好みです。「チャールズ・ウォード」を訳しながら、こちらもなんとか訳してみたいと思っていました。

同じ主題を繰り返しながら、最後の一文目がけてじわじわとサスペンスを盛り上げる手法が最高です。そればかりではなく、「ああ自分もイースの円錐生物になって図書館に籠り、永遠に本を読み宇宙と時間の果てのことを知りたい」と思うのは私だけではないでしょう。時代閉塞の昨今、このようなコンテンツを最後まで読まれた方もきっと同じなのではありませんか?

さてこの小説は一文がH.P.L.にしては短く、構文的には比較的読みやすいのですが、特に前半は抽象語を酷使駆使した堅苦しい文です。そのため訳文も限界まで堅苦しくしてあります。ネットの一部では堅い訳ばっかしてるのは、訳者が中二病だからだろうと書かれているようですが、そこまで下手なのではありません(←本当か?)。それが主人公の現実が浸食されるにつれ、具体的な、くどくどしい、逃げ場のない文体になって行く所がなんともいえません。訳文にもそれが現れているなら幸いです。是非このリズム感を原文で味わってください。また、ある程度言葉を足していかないと日本語にしづらいため、意訳の要素が多く、正確な翻訳にはなっていないことを申し添えます。作品の長さに比して訳注が少なくなっている一因がこれです。

この翻訳には更にテクストの問題があります。原本にしたWikisource版Lovecraft Archive版とでパラグラフの分け方がかなり異なり、Wikisource版の方がより細かく分かれています。私の印象では、Wikisourceのパラグラフは細か過ぎる感じがします。また、H.P.Lovecraft : The Shadow out of Time (PS Pulblishing Ltd. 2015, ISBN: 978-1-948637-34-4)のパラグラフもLovecraft Archive版と同じです。そこで、このファイルではLovecraft Archive版にしたがってパラグラフ要素を指定し、Wikisource版でのみパラグラフが分かれている部分には⁋をおきます。イタリック体やダッシュの使用も異なっているので、やはりLovecraft Archive版にしたがって表記し、必要に応じて注記しました。

例によってメートル法に換算しています。今回は研究者が公衆への公開も視野に入れて同じ研究者たる息子に記録を残す、という体裁なので、これまで以上に正当化できるでしょう。大いなる円錐の大きさは頻出するので、各々明記することはやめておきます。高さは十フィート、底部の直径も十フィート、腕の厚さ一フィート、頭の直径二フィートです。アスタウンディング・ストーリーズの表紙がファニーです(Wikimedia Commonsの画像ですが、著作権表示がフェアユースなので、ローカルに持って来ることは避けておきます。新しいウィンドウが開くはずです)。

HTML版独自企画(笑)として、ウクライナの学生さんであるヴィシュンさんが描いた大いなる種族のイラストが Public Domain でしかもいい雰囲気なので挙げます。

これは Wikimedia Commons のファイルを縮小したものです。説明が「Велика_раса_ Йіт」となっていますから、ウクライナでは「大いなる種族イート」と呼んでいるのでしょう。

この翻訳は独自に行ったもので、先行する訳と類似する部分があっても偶然によるものです。またこの訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPPに伴う著作権保護期間の延長が事実上決定した現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。

固有名詞

Professor Wingate Peaslee of Miskatonic University, Nathaniel Wingate Peaslee, Arkham, Jonathan and Hannah (Wingate) Peaslee, Alice Keezar, Robert, Wingate and Hannah, Dr Wilson, Yiang-Li, Bartolomeo Corsi, Nug-Soth, Titus Sempronius Blaesus, Sulla, Khephnes, Nyarlathotep, James Woodville, Nevil Kingston-Brown, Theodotides, Pierre-Louis Montagny, Crom-Ya, Dr. E. M. Boyle of Perth, Buddai, Warburton, Robert B. F. Mackenzie, Professor William Dyer, Ferdinand C. Ashley, Tyler M. Freeborn, Tupper

書物

Comte d'Erlette's Cultes des Goules, Ludvig Prinn's De Vermis Mysteriis, the Unaussprechlichen Kulten of von Junzt, the surviving fragments of the puzzling Book of Eibon, and the dreaded Necronomicon of the mad Arab Abdul Alhazred.Pnakotic Manuscripts, Eltdown Shards

場所

Valusia, Hyperborean worshippers of Tsathoggua, Tcho-Tchos, Tsan-Chan, Lomar, Yhe, Yith, the De Grey River

オリジナル原稿

この作品は長らくオリジナルの原稿が失われていたのですが、1995年になって、60年ぶりに発見されました。そのいきさつはブラウン大学のMysterious Lovecraft ManuscriptThe Shadow Out of Timeに書かれています。


10, Jun., 2015 : First Upload(コンパイルが通った、っていう段階ですが、アップロードしちゃいました)
12, Jun., 2015 : Peephole optimisation ;-)
15, Jun., 2015 : アスタウンディング・ストーリーズの表紙にリンク
18, Jun., 2015 : オリジナル原稿の発見について。各所の手直し
30, Jun., 2015 : ウォーバートンについて。各所の手直し
2, Jul., 2015 : 参考文献追加
8, Jul., 2015 : おぞましい→悍ましい
29, Jul., 2015 : William Stanley Jevonsについて。各所の手直し
26, Aug., 2015 : HTMLタグを今風に。— を全角ダッシュに変更。
9, Sep., 2015 : 一部のタグが大文字だったのを小文字に。
22-23, Sep., 2015 : 注の番号ずれの修正、青空文庫形式ファイル作成に伴う細部の微修正。
28, Sep., 2015 : 手紙部分微調整。
11, Oct., 2015 : 手紙部分微調整。
13, Oct., 2015 : ヴィシュンさんの「大いなる種族像」追加(HTML版のみ)。
17-18, Oct., 2015 : 漢字の統一、一部表現手直し。
6, Nov., 2015 : 脱字修正、一部表現手直し。
16, Nov., 2015 : 脱字修正、一部表現手直し。いつになったら誤字脱字がなくなるのだろう、「討匪行」が頭に浮かぶ……
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