This is a Japanese translation of "A Turn of Luck" by Anna Kingsford.
以下は "A Turn of Luck" by Anna Kingsford の全訳です。
著: アンナ・キングスフォード
訳: The Creative CAT
「Messieurs, faites votre jeu! . . . Le jeu est fait! . . . Rien ne va plus! . . . Rouge gagne et la couleur! . . . Rouge gagne, la couleur perd! . . . Rouge perd et la couleur! . . . (ムシュー、始まりますよ!……お楽しみはこれから!……賭けるのはここまで!……赤の勝ち、同色も!……赤の勝ち、反対色も!……)」
相も変わらぬ冷静な声でこんな決まり文句がひたすら繰り返されていた。私はモンテカルロの賭博場でテーブルの脇に立ってそれを聞いていた。偶然という名の浮気な女神に貢ぐ者たちがこんな言葉を何時間も何時間も耳にする間、朝焼けに始まったこの美しくも残酷な地上の楽園での一日は魅惑のうちに夕暮れていくのだ。どこよりも青い海に洗われる岸辺、金色の果実に彩られた庭園、ふわふわした棕櫚の葉に飾られて。香りの良い木陰から木陰へとさまよう貴方の耳に絶え間無く飛び込むのは銃声であり、時として、繊細な白い胸をした生き物が、翼を折られ、力なく血を流しながら、崖の下の黒い水へと落ちていくのを見るかもしれない。邪な土地! 冷酷な土地! 心も慈悲もなく、厳しく、非人間的な! だが、かくも美しい!
それはまさに今日の午後のことだった。ルージュ・エ・ノワールのテーブルの一つを挟んだ向かいに一人の若い男が着いていた。プレイヤーたちの顔を見るともなくチラチラと眺めていた時、その男の顔に視線を羽交い締めにされた——ひどく青ざめた、痩せた、熱望する顔。こんな場所のこんな人々の中にあってすら目を惹く熱望だ。二十五歳くらいだったが、病人のように項垂れ、縮み、度々激しく咳き込んでいた。これは肺の半分を結核に冒された患者に見られる凶兆だった。賭け事を楽しんでいる者の雰囲気ではなかった。私は思った。この雰囲気は浪費家のそれでもなければ「
ため息をつき、立ち上がると彼は咳き込んだ。両目を片手で覆い妻の腕をとった——(彼女が妻であることは間違いないと私は感じた。) 二人はゆっくりと部屋を出ていき、姿が見えなくなった。男の顔も——娘のそれも。半時間後、私は賭場の外にある噴水のところに座って、奇妙な夫婦のことで静かに思いを巡らせた。娘はあまりに若い——まだほんの子供みたいなものだし、男はひどく病んで窶れている! 男がプレイしている様子は古くからの
父親は結核で死んだ。姉妹もそうだ。彼自身が同じ病気を受け継いでいて、もう長いことはないだろう。生まれてこのかた、彼を取りたてようとする者は一人としていなかった。寡婦となった母が死んだのは、彼がまだほんの小さな子供の頃だったし、その時ですらひどく健康を損ねていて到底働けるような体ではなかった。彼はベストを尽くしたよ。だが、年がら年中病欠し、就業時間中も頭痛で仕事に手がつかず、あるいは床に転がっているような青二才を雇えるほど
ああ、貧しい青年はバカロレアに合格して医学部の一年生になったよ。成績は実に良かったんだが、病院実習が始まるとね、そこで再度やられてしまったわけだ。底冷えのする日に六時起床、凍てつく早朝の街へと出て、そんな時には雪や霙が厚く積もっていたりもする。来る日も来る日も長時間不健康な病棟で回診に当たり、午後になったら悪臭の充満する解剖室で病理解剖に立会い——といったどれもがカタストロフを齎す元となった。彼は発病して倒れてしまったのだ。指導教官は親切な人物で、天涯孤独の身の上を見兼ねて、彼が寝付いている間じゅう看病に当たった。医師としてまた友人として。何週間かしてジョルジュがまた起きられるようになると、教授は日曜日には
というのも、無論、教授も貧乏だったからだ。週に五フランの個人授業で食い扶持を稼いでいて、ジョルジュが出席しているクラスの講義ではもっと僅かな額しか得ていなかった。だが、ジョルジュにとってはそんなのはどうでも良かったんだな。次の日曜日にはいそいそとルノワール博士の家に足を運び、そこで教授の娘と出会ったのだ——君が見かけた女性だよ。その時ほんの十七歳、今よりもっと可愛かったのは間違いない。今みたいに心配そうな顔も悲しそうな顔もしていなかったんだし、心配だの悲哀だのはあの娘に似合わないからね。そうなると若い学生が恋に落ちないわけがない。自分の仕事で頭が一杯な父親はどんな事態が進行しているか気づいていなかったし、ポリーヌの心は小言を食らっても止められないところまでお熱になっていた。ある晩、若い二人は手に手を取って父親のところに行き、あらいざらい打ち明けた。ルノワール夫人は疾うの昔に鬼籍に入り、二人の息子は医学を学んでいた。多分娘のことは持て余し気味だったのだろう。愛してはいても、あまりに早く女になってしまい、男鰥にはどうしたものか皆目わからなかったのさ。サン=シールは生まれがよく聡明だった。健康状態さえ改善に向かえば、全てがうまくいくだろう。だがそうならなかったら? 彼は若者の青ざめた顔を見て、聴診器が暴き出したものを思い出していた。まあ、こういう初期の病勢なら身体所見が悪くてもしばしば快癒するものだ。安静、新鮮な空気、そして幸福、こういったものがあれば若者は健康体になるかもしれない。そこで彼は二人の婚約についてはとりあえず賛成であるものの、まだ——今の所は——話が固まったと思わぬようにと釘を刺した。彼はジョルジュの病状の経過を観察したかったわけだ。それは早春の頃だった。六月には若者はだいぶ壮健になり、教室も病室もうまくこなせた。無事に
「それは厳しい冬だったな。気まぐれな大寒波が欧州一帯を蹂躙していた。記憶にある限り、かつて雪が降ったことのない場所ですら雪が降った。誰もが吹きすさぶ風の牙から逃れられなかった。友人のS先生がいうには、リヴィエラは最高の場合でも労咳患者に向いているとは限らないのだそうだが、その冬は最悪だった。夫妻はお金を節約するため、海沿いの大きな町は諦めてサンラファエルの安宿に住み、そこである晩、ジョルジュ・サン=シールはひどい震えに襲われるとすぐに宿痾がぶり返した——発熱、咳嗽、衰弱——医師たちのいう瞬く間の
「その時、モンテカルロの賭場のことが頭に浮かんだ。ポリーヌの持参金の残高は八千フランで、そういつまでも使える額ではなかったが、ルージュ・エ・ノワールに投資する元手としては十分だった。運が良ければここから大金を作り出せる。このアイディアは彼を捕らえ、もう頭はこの考えで一杯、寝ても覚めても他のことが考えられなくなった。夜の夢の中では自分の傍の緑の布の上に
「これで好きにできるようになったサン=シールは、時を置かずに仕事に出かけた。まずは少しだけ静々と、あまり大きな賭けに出ずに。で、ルーレットのテーブルに一週間留まった。ルージュ・エ・ノワールは
「親切で心の広いS先生は徐々に彼女から話を引き出した。いま君に話したのがそれだ。ジョルジュもS先生の患者になったんだが、『
「それで、サン=シールには結局ツキが回ってこなかったと、違うかい?」と私。
「ああ。」友人は答えた。「彼と、かわいそうなポリーヌの持参金にとって、状況はひどく悪化しているんじゃないかな。」
こう言うと彼は夕食の座から立ち、私たち二人はぶらぶらと月光に照らされたホテルのテラスに出た。私は言った「あと十分で列車が出る。今夜中にニースに帰るよ。いくら美しくてもモンテカルロは嫌いだし、その影の下に寝る気にもなれない。だが出発前に頼みたいことがあるんだが。君が話してくれたこの物語の続きを教えてくれないか。結末を知りたいんでね——勝利にせよ悲劇にせよ。君がここに残るにせよ去るにせよ、いつでもS先生からの情報は得られるんだよね。何かあったらすぐに手紙をくれ、そうしてくれるなら本当に恩に着るよ。こんなに興味を掻き立てるなんて、君はなんとも話し上手だな。こんなことを頼まれるのも才能ゆえだと思って諦めてくれ!」
彼は声を立てて笑ったが、笑いはため息に転じた。私たちは握手して別れた。
・・・・・・・・・
二ヶ月ばかり経った後、英国に戻った私の許に友人からのこんな手紙が届いた:——
「間違いなく君は今でも、この四月にカジノで君の目を惹きつけた例の若い人たちへの関心を持ち続けているものだと思う。うん、僕はリヨンで友人のS先生と会ってきたところだ。ジョルジュとポリーヌに関して、最も悲しい想像をしてみたまえ。先生が話してくれたのはそんな物語だよ。いまからそれを書こう。聞いたとおりに、記憶が鮮明なうちに。四月から五月にかけて、サン=シールは不運に叩きのめされた。連日カネを擦り、賭けの元手にできる妻の持参金もごくわずかにやせ細ってしまった。一週ごとに彼は元気を失い、衰弱していった。幸運が失せたように彼自身も失せていったのだ。ポリーヌについて言えば、本人は自分のことで何も不平を口にしなかったけれども、S先生には彼女の身が案じられてならなかった。悲嘆、病んだ希望、自分とジョルジュが陥っていくところのゾッとするような生活、これらが一体になって彼女の力を奪ったのだ。これには肺結核も与った。こういった消耗性疾患というものは、一般的な語義からいくと伝染性の死病というわけではないのだが、犠牲者と日常的に接触する人物が弱ろうものなら、極めて有害な影響を与えうるのだよ。そしてポリーヌは日夜この危険に暴露され続けていたのだ。彼女は熱発するようになり、ただならぬ倦怠感を覚えるようになった。にも拘わらず睡眠をとることはほぼ不可能だった。ジョルジュはといえば、賭博に夢中で妻の健康が著しく損なわれていることにほとんど気づかなかった。あるいはもしかすると、試練を間近に控えた妊婦が神経質になっているだけだと思っていたのかもしれない(*1)。五月が終わろうとするその日、ジョルジュがルージュ・エ・ノワールの定席についた時も事態はそんな具合だった。急に気温が上がり、『
屋外に出ると全てが夢のようだった。頭はぐるぐる回り、どうやっても考えがまとまらない。今日は一日何も口に入れていなかった。なんだか河岸を変えるとツキが去ってしまい、大当たりを逃してしまう気がしたからだ。今、激しい疲れが彼を圧倒した。カジノの前の大きな噴水盤にかがみ、両手で顔を洗い、地中海の冷たい夕風を求めて足を踏み出した。モンテカルロの焼けた岩の上を吹く風は優しく、全身が蘇るようだった。そこで彼は家路を辿った。狭くて高い階段を骨を折って登り、ポリーヌと二人で暮らす小さなアパルトマンに入った。リヴィングルームにしばし足を止め、男らしく彼女に良い知らせを伝えようとワインをコップに一杯注ぎ、ぐいと飲み干した。寝室の鍵を開けた、高鳴る心臓の鼓動のせいで他の音が聞こえなかった、自分が叫ぶ声がもう聞こえなかった:『ポリーヌ——愛しい人!——いま僕たちは金持ちだ——幸運が
『
「彼は彼女を地中海に葬ろうとはしないだろうし——そう——自宅に連れ帰って埋葬するつもりもないだろう。彼の頭にあったのは逃避への願望で、自分が死ぬ日までこの死体を運んで歩かねばならないと言っていた。彼はその夜モンテカルロを発ってローマに向かった。妻子の愛しい遺残物を抱えて。先生は人が良いものだから、彼の絶望を見てとことん哀れに思い、ついて行ったんだよ。『おそらく、』と先生は言っていた。『私が同行しなければ、ジョルジュは生きてローマにたどり着くことができなかっただろう。』 彼らは昼夜を分かたず旅した。若者が一瞬たりとも休もうとしなかったからね。妻の死体をかの永遠の都の斎場で火葬にしようというのが彼の計画で、運良くS先生はその願いを叶えることができたんだ。恋人の死灰を小さな銀の箱に詰め、首から吊るして友人に別れを告げた。彼がどこに行ったのか、先生にきいてみたんだが、『北に』というのが答えだった。『でも私はどんな計画なのか聞かなかった。住所は教えてもらえなかった。
手紙の文章はこう閉じられていた。私としては、ジョルジュ・サン=シール以外にモンテカルロの賭博で金持ちになった人物の話など聞いたことがない。
完
底本は Project Gutenberg の Dreams and Dream Stories By Anna Kingsford の第二部 Dream Stories の第四話 A Turn of Luck です。加えて Anna Kingsford Site (her Life and Works)/Site Anna Kingsford (sua Vida e Obras) を参照し、パラグラフ等はこちらに従いました。この翻訳は独自に行ったもので、先行する訳と類似する部分があっても偶然によるものです。
冒頭のフランス語はカジノで行われる Trente et Quarante ないし Rouge et Noir というカードゲームでディーラーが使う掛け声らしいのですが、はじめ読んだ時はここでいきなり躓き「タイトルが A Turn of Luck だし、赤がどうの勝った負けたがどうのって言ってるから、多分ルーレットか何だろうな」と思う始末。という具合にギャンブルに疎く、日本語では具体的にどういうのかわかりませんので、当初これを訳すつもりはありませんでした。おまけにタイトルは多分ダブルミーニングになっていて訳しづらいし。
ところが、なんかあれよあれよという間にカジノが日本の基幹産業になっちゃいました。そこでこれは良い機会だと話題にあてこんでざっと訳してみました。冒頭部分に限らずフランス語の訳には変な部分があるかもしれません。ご指摘ください。貧乏医学生の描写、医学部に入り科学記事を書いて生活する計画、というのはキングスフォード自身の経験を反映しているのかも。今では医学部は受験戦争の最高峰で、成績が上位2σだか3σだかでないと入れず、入ったら成功が約束されている感じですし、医学部の教授といえば大変な権威なのですから、この話にあるような貧乏先生とはこれまた大いに違います。
この訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPP(というか日米FTA)に伴う著作権保護期間の延長が事実上決定した現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。にしても、どうせクールジャパンなカジノをやるなら久保菜穂子姐や梶芽衣子姐が「よござんすか」と(以下略
固有名詞:Georges Saint-Cyr、Dr. Le Noir
第一部 Dreams の中から、短い詩集 Dream Verses を除いた部分を「夢日記」として訳出してあります(誰か Dream Verses を訳してくれませんか……)。第二部 Dream Stories「夢の物語」には、以下の八編が収められています。いくつか邦訳を試みておりますので。興味をおもちでしたらどうぞ。