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35日目
石部宿〜草津宿
2003年2月9日(日)
新幹線のガードをくぐり、草津川に沿って進むと、ついに草津市に入りました。本日の目的地、本陣の残る草津宿まであとわずか。はやる気持ちを抑えつつ、一歩一歩進みます。

草津川沿いを進む
草津川沿いに進むと、ついに「草津市」に入りました。ここは滋賀県草津市。江戸からは52宿目。中山道との追分のある宿場までもうすぐです。旧道は草津川に沿っていますが、しばらくすると、国道1号線と交差します。交差点で信号待ち中に左を向くと、トンネルがありました。上を流れるのはもちろん草津川。幹線道路の上を川が流れる、結構有名な場所です。

さて、東海道は国道1号線を横切り、すこし先で左に折れます。坂道を上りきると、右に曲がり、橋で草津川を越えます。天井川である草津川ですが、江戸時代の東海道は、橋で越えていたようです。

<写真説明>
左上:草津市の標識
右上:国道1号線と草津川
左下:左に曲がるのが東海道(直進する道は明治時代以降の東海道のようです)
 

いよいよ草津宿
残念ながら、草津川にも水は流れていませんでした。渡った先の右側に常夜灯が建っています(写真左)。ここが東海道で、草津宿の入り口と思われます。なだらかな下り坂となり、旧家の残る街道を進むと、やがてT字の交差点となります(写真右)。この交差点こそが、東海道と中山道の追分です。右の写真は、江戸側から交差点を見たところです。右折すると中山道、左折すると、東海道&中山道の京都方面となります。

[13時29分] 草津追分
ついに来た!思わず声が出てしまうほどの感激でした。日本橋で全く逆方向に進んだ東海道と中山道が、この追分で、この草津宿で合流したのですから。角には道標と常夜灯が建っています。道標から左、草津川をトンネルで越えているのが中山道。右に曲がっているのが、今来た東海道です。ここから先、大津宿、そして京都三条大橋までは、東海道であり中山道でもあるのです。

高札と脇本陣跡
追分の道標の反対側には、高札がありました。その隣には小さな社もあって、なんとなく街道だな、といった感じになります。

さて、追分を目の前にしてしばらく感慨にふけっていましたが、見所はまだあります。とりあえず、先へ進んでみると、脇本陣跡の案内がありました。

[14時18分] 草津本陣
草津宿のもう一つの目玉。それは草津本陣です。東海道筋では二川宿と共に本陣の遺構が残っています。草津宿の本陣は、東海道筋でも最大規模を誇り、中を拝観することができます。草津宿本陣の中を見ていると、江戸の文化に少し触れたような気がしました。

ちなみに、草津市の売りは、やっぱり本陣と追分。おもわず、陶器製の道標(おみやげ用)を買ってしまいました。

本陣・脇本陣跡
草津宿には、本陣2軒、脇本陣2軒がありました。草津宿本陣の先には、もう一つの本陣と脇本陣跡の案内があります。現在残っている本陣は「田中七左右衛門家」ですが、もう一つは「田中九蔵家」でした。草津宿の規模は、本日2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒というものでした。

街道交流館
さて、本日の目的は草津宿ですが、時間があるのでもう少し先に行ってみました。アーケードの付いた商店街になると、「街道交流館」が左側にありました。中を覗いてみると、街道の資料や旅体験コーナー、宿場模型等があり、なかなか楽しめました。

ここから先は次回の行程とし、この日は「街道交流館」の前で行程を終了しました。中山道と合流した東海道。いよいよ残すところ、大津宿のみとなりました。京都が目の前に見えてくる、そんな宿場です。

明治時代の道標
帰路は、街道交流館から来た道を追分まで戻り、そこから中山道に入り草津駅を目指しました。中山道は草津川のトンネルを越えるとアーケードとなり、大変賑わっていました。アーケードに入ってから少し行くと、右に道が分岐しています。この道を少しはいったところに、覚善寺があります。この寺の門前には、写真のような道標が建っています。これは、明治時代の追分を示したものです。江戸時代、中山道は急坂で草津川を越え、東海道との追分に至りました。明治時代になると、トンネルができ、現在の形になりました。このとき、東海道と中山道との追分を、覚善寺の道と商店街の道が合流する地点にしたといわれています。
商店街側はさすがに中山道。道にある案内板も中山道のものになっていました。次回は大津を目指します。



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