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35日目
石部宿〜草津宿
2003年2月9日(日)
草津市内のホテルで夜を明かし、電車で石部へ向かいます。今日の行程は、石部宿から草津宿へ。草津宿といえば、東海道筋では二川宿と共に本陣の遺構が残っていることで有名ですが、もう一つ、東海道と中山道の追分でもあります。日本橋で反対方向に進んだ二つの街道が、草津宿で合流するのです。

石部駅前〜伊勢落の集落
9時34分。石部駅に降り立つと、前日は暗くて気づかなかったのですが、駅前に宿場の見附が再現されていました(写真左)。こんなものがあったなんて・・・。本当に気づきませんでした。
さて、東海道に戻ると、早速歩を進めます。石部宿を出ると、採石場が多くなります。その中に、灰山(石部金山と呼ばれた山で、古くは聖武天皇の頃から採掘されていたと言われる)もありました。
灰山を過ぎると、道は左右に分岐しますが、線路沿いに進む左の道が東海道です。
しばらく歩き、高速道路をくぐると、やがて「伊勢落」の集落に着きます。伊勢落の集落では、各家に屋号札がかけられていました。

<写真説明>
左上:石部駅前のレリーフ
右上:分岐点(左が東海道)
左下:高速道路とのクロス地点
右下:伊勢落の集落の屋号札

六地蔵
旧家や神社仏閣の建ち並ぶ街道筋。このあたりは、街道の雰囲気が残る場所でもあります。そんな旧道を進んでいると、やがてT字の交差点となります。もちろん、東海道は直進します。道が左に折れた先には、「六地蔵」の門と地蔵尊の石碑がありました。中に入ってみると、結構境内は広く、地蔵が祀られていました。

六地蔵の先も街道の雰囲気が残る道が続きます。ところどころに神社仏閣や旧家が残り、気分は江戸時代の旅人。交通量も少ないので、景観を楽しみながら歩けます。そんな中、おもしろいものを見つけました。ポストがあることから郵便局なのですが、普通の民家のようにも見えます。

<写真説明>
左上:T字交差点
右上:六地蔵
左下:郵便局
 

旧和中散本舗跡
郵便局の先には、大きくて一際目立つ旧家が建っていました。旧和中散本舗跡の建物です。和中散とは、生薬を粉にしたもののことをいいます。和中散本舗は、薬を売る商家で、間の宿の茶屋本陣にもなっていました。威風堂々としたその建物は、国の重要文化財にも指定されています。この日は、拝観することができませんでしたが、庭園もまた、見事なもののようです。写真右は、庭園への入り口の門です。

稲荷神社
旧道には、ところどころに道標(写真左)が建っています。なんのためなのだろうか・・・。この辺り、一本道で迷うことはないのですが・・・。草津が近いため、中山道と間違わないようにするためでしょうか。おかげで、飽きずに歩ける道でもあります。やがて、左手に稲荷神社がありました。境内には東海道名所記に記されている笠松があったようです。

足利義尚公鈎の陣所
しばらく進むと、またもや道標が。ここの道標は比較的新しいものと思われます。それにしても、あちこちに道標がある意味が、やっぱりわかりません。
さらに先へ進むと、足利義尚公鈎の陣所跡がありました。

目川池〜田楽の里
しばらく直線で進んできた東海道は、目川池を見ながら右に曲がります(写真左)。目川は立場のあったところで、民家の軒先に案内板がありました。中には一里塚跡の案内板もあったようですが、この日は見逃してしまいました。
正面に見える堤防の先は目川池、と思って登ってみると、池ではなく金勝川という川が流れていました。高さからいって、ここも天井川のようです。右折後、交通量の多い道を金勝川に沿って進むと、右へ右へ大きくカーブします。角には、「田楽の里」と書かれた石碑が細々と建っていました。田楽の里?意味がわからないまま、特に案内板もなかったので、先を急ぐことにしました。ここからは、草津川に沿って進みます。途中、久しぶりに新幹線のガードをくぐりました。

<写真説明>
左上:目川池・金勝川の堤防(ここで右折)
右上:田楽の里と書かれた石碑
左下:新幹線のガード
 

草津川に沿って進む東海道。久しぶりに出会った新幹線をくぐると、いよいよ草津市へ。続きはこちら



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