|
|
|
|
||
|
二つの地蔵尊、そして八丁縄手を超えて | |||
9時46分、前回終了地点をスタート。 初夏の暑い日差しの中、国道から分かれた旧道は、またすぐに国道に合流します。その後は道なりに進むことになります。途中、「泣き子地蔵尊」「子育て地蔵尊」そして「八丁縄手」を過ぎ、舞阪宿を目指します。 |
二つ御堂・一里塚跡 | ||
東海道は、舞坂宿手前の旧道に入るまで、しばらく国道となって西へ向かいます。道が大きく右に曲がると、曲がり角の両側に御堂があります。二つ御堂と呼ばれ、北の御堂は阿弥陀如来、南の御堂は薬師如来をまつっています。また、この付近には一里塚跡の碑も建っており、かつてここに一里塚があったことを伝えています。 写真は左が一里塚跡、右が北の御堂で、高札場跡、馬頭観音の案内板も経っていました。 |
領界石・立場本陣跡 | ||
国道をしばらく、そしてひたすら歩くと、電柱脇に立派な石碑が建っていました。よく見ると、浜松藩の領界を示す領界石でした。 領界石を過ぎると、やがて東海道は右へ分岐し旧道に入ります。旧道に入ってしばらくすると、「立場本陣跡」の案内板がありました。どうやら、このあたりは立場だったようです。さわやかな風が吹いてきて、浜名湖が近いことを感じました。 |
一里塚跡・高札跡 | ||
立場本陣跡を過ぎると、すぐに一里塚跡がありました。住宅展示場の前に、案内板が立っています。さらにその先には、高札跡の案内板がありました。 東海道の史跡を横目に、とにかく西を目指して進んでいくと、やがて目の前に見事な松並木が見えてきます。 |
[13時19分] 東海道松並木 | ||
浜松を出てから、史跡を横目に見て歩いてきた東海道。まだ日の高い13時19分、目の前には見事な松並木がありました。舞坂の松並木です。道の両側には松が並び、旅人を舞阪宿まで導いてくれます。 ここちいい風が、松の細い葉をゆらし、なんともさわやかな気分。松を楽しみながら歩こう。そんな気分も車が見事に壊してくれます。松並木の真ん中の道は車道で、車がビュンビュン走ってきます。真ん中が遊歩道で両端が車道だったら、どれほど楽しく松並木の中を歩けたでしょうか。車社会によって歩行者が閉め出されるのはどうかと思います。 松並木の中程には、「舞坂宿」と彫られた石碑が建っていました。舞坂宿が近いことを物語っています。 |
||
舞坂橋跡 | ||
さらに、「舞坂橋跡」なる案内板もありました。説明を読んでみると、江戸時代には橋が架かっていたようです。今はどこに橋があったのか、跡形もありません。 |
国道1号線とクロス、そして舞坂宿へ | |
気持ちのいい松並木が終わると、東海道は国道1号線とクロスします。あいかわらず交通量の多い国道1号線とは対照的に、それほど交通量のない旧道は、舞坂宿となり、やがて浜名湖で道が途絶えます。 写真は多くの車が信号待ちをしている道が国道1号線。手前が松並木、奥が舞坂宿の旧道です。 おなかがすいていたため、交差点の角にある「喜多方ラーメン」で昼食をとりました。喜多方といえば会津。会津から遠く離れた舞坂の地にも、チェーン店とはいえ、喜多方の文字があるとは・・・。 |
[14時34分] いよいよ舞坂宿 | ||
旧道に入るとすぐに、道の両側に復元された石垣があります。これが見附跡の石垣で、ここから舞坂宿となります。 舞坂宿は、浜名湖を控えた宿場で、今は静かなたたずまいを見せます。しかしながら、史跡的に見ると、東海道筋では唯一、脇本陣の遺構を見ることができ、中も見学が可能です。 |
[14時35分] 一里塚跡 | ||
見附を過ぎるとすぐに、道の両側に一里塚跡の碑が建っていました。今でこそ、塚は存在していませんが、両側の石碑の建っているあたりに、江戸時代には一里塚があったのでしょう。 写真右の一里塚跡の碑は、ちょっとした休憩スペースに建っていて、舞坂宿の宿場案内もありました。 |
|
||||
現在の舞坂宿の町並みです。東海道は浜名湖(北雁木)に向かって続いています。正面から暑い太陽が照りつけ、汗を拭きながら進むと、道幅がやや広がり、正面に浜名湖が見えてきました(右の写真)。 |
|
東海道のトップに戻る |