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城下町掛川 | ||
スタート直後。おもしろいものを見つけました。なんとなく江戸時代をおもわせる看板ですが、これは銀行です。城下町だけに、ちょっと意識したのでしょうか。 |
[9時27分] 掛川城蕗の門 | ||
東海道を歩き始めてすぐに、掛川城の蕗の門がありました。もともとは、掛川城二の丸東南隅にあったものを円満寺の山門として、現在の位置に移築したそうです。 |
[9時40分] 十九首塚 | ||
東海道からやや外れた住宅街の中に、十九首塚があります。平安末期、天慶の乱の際に討たれた、平将門ら十九人の首を埋葬し供養したものです。もともと19首塚がありましたが、現在は、写真の首塚が唯一残るのみとなっています。 |
大池橋〜旧道 | ||
寄り道を終え東海道に戻り、歩を進めます。 東海道は一度国道1号線に合流します。とたんに交通量が増え、苦痛を強いられます。しばらくすると大池橋(写真左)を渡ります。渡り終えると交差点になっていますが、ここを左折するのが東海道です。やがて天竜浜名湖鉄道のガードが見えてきます(写真右)。左側には西掛川の駅があるのですが、これがものすごい駅。さすがにローカル線、といったところです。 |
大池一里塚と松並木〜東名高速道路を越え | ||
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雨の心配はないものの、曇ったり晴れたりの繰り返し。そんな空の下を西へ向かって歩くと、やがて「大池一里塚跡」がありました。跡、といっても石碑が建っているわけではなく、静岡県の建てた案内板があるだけでした。一里塚の先には、わずかに松並木が残っています。そういえば、あまり松並木を見かけなくなったような・・・。 いつの間にか、道幅が狭くなり、横を通過する車が間近に感じられるようになりました。しばらくすると、国道1号バイパス、さらに東名高速道路を越え、善光寺橋が見えてきます。この橋を渡ると、右側に木々の茂るこんもりとした丘があります。これは仲道寺で、東海道の真ん中にある寺です。ちょうどいいので、ここで一休みすることにしました。 |
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[10時52分] 仲道寺(善光寺) | ||
仲道寺は、日本橋からの距離と三条大橋からの距離がほぼ等しい、東海道の真ん中に建つ寺です。日本橋からスタートした東海道の旅も、ようやく前半が終わりました。いよいよ後半に入ります。東海道の真ん中、そんな響きを楽しむために、ちょっと滞在してしまいました。しかし、冷静に考えてみると、真ん中ということは、今まで来た距離の分、まだ残っているということ。改めて先はまだ長いことを思い知りました。 |
松並木、旧道分岐 | ||
後半に入ると、東海道は松並木の中を通ります。田園の中に続く一本道。両側には見事な松並木。これぞ東海道!街道風情を楽しめます。松並木を過ぎると再び国道1号線に合流します。同心橋を渡ると、東海道は左へ分岐します。 写真左:東海道松並木 写真右:旧道分岐 |
不思議な建造物、袋井の松並木 | ||
旧道を進むと、なんとも奇妙なものがありました。駕籠の形をした建造物(写真左)で、袋井宿の凧の絵が描かれています。そどうやら倉庫のようです。 奇妙な物体の先、東海道は再び松並木の中を通ります。袋井の松並木(写真右)で、左右にうねっている道筋は、江戸時代の道筋の名残のように思えます。 |
[11時58分] 久津部一里塚跡 | |||
松並木を越え、妙日寺の門前を過ぎると、久津部の一里塚跡があります。片方は小学校の敷地内に、片方は民家横に、一里塚があったことを示す案内板が建っています。 写真左と右:小学校の敷地内 写真中央:民家横 |
道標 | |||
この先の東海道には、写真のように、油山寺へ行く、油山寺道標が、度々ありました。特に、一番右の写真の道標は、かなり古いようです。 |
いよいよ袋井宿 | ||
ひたすらここまで歩いてきただけに、少々疲れてきました。いつくかの道標を横目に歩き続けると、屋根までついた立派な囲いに守られた常夜灯(写真左)がありました。本当に常夜灯があるのだろうか?中を覗いてみると、確かに常夜灯がありました。 市役所前を曲がると、川沿いに袋井宿の案内図と「これより袋井宿」の石柱が建っていました。ようやく袋井宿に着いたようです。 袋井宿は、東海道53次の真ん中の宿場で、日本橋、三条大橋どちらか側から数えても27宿目となります。また、この宿場は、長さが五町十五間(約572メートル)ほどしかなく、東海道中最も短い宿場でもありました。 |
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