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19日目
日坂宿〜掛川宿
2002年4月28日(日)
晴れ
金谷の石畳・菊川の里・小夜の中山を越えて日坂宿へ到着。再び平坦となった東海道を城下町、掛川目指して進みます。

[12時50分] 本陣跡
12時50分。日坂宿の本陣跡に到着です。今は幼稚園になっていますが、入口には本陣の門を連想させるような立派な門が建っていました。また、少し先には「脇本陣跡」の案内板もありました。この辺りが日坂宿の中心部ですが、今はひっそりとしています。
旧家がところどころに残る日坂宿を進むと、「旅籠萬屋」の古い建物が現存していました。

[13時00分] 旅籠川坂屋と高札場
日坂宿の出口付近には、中を見学できる旅籠川坂屋の建物が現存していました。せっかくなので中を見学すると、奥行きがかなりありました。ただ、バイパスの工事により一部削られてしまったとのことで、当時は今よりもさらに奥行きがあったとのことです。川坂屋の先で東海道は右に曲がり、高札場があります。高札が復元されていて、東海道の雰囲気を出していました。

下木戸跡
高札場の先には下木戸跡があり、日坂宿が終わります。近くには小さな神社もあり、旅人は安全祈願をしたことでしょう。
さて、時間的にもお腹が空いてきた頃。日坂宿に何かあるだろうと期待したものの、残念ながら食するところはありませんでした。残念・・・。

旧道分岐、そして一里塚跡
日坂宿を過ぎると東海道は、一旦国道1号線に合流します。再び左に分岐すると、やがて「伊達方一里塚跡」がありました。一里塚跡には石碑が建てられていて、小さな公園になっています。一里塚を過ぎると、これといった史跡もなく、ひたすら掛川宿を目指すことになります。
この先、東海道は国道1号線と合流、分岐を繰り返しながら、距離を重ねていきます。

やっと昼食、そして旧道へ
東海道が国道1号線から左に分岐するところに、そば屋が・・・。金谷を出てはじめて本格的に食事ができる・・・。コンビニで菓子パンを購入して食べつつ、歩を進めてきた旅人。実は空腹に耐えていた。時計は15時30分を回っていたが、遅い昼食(というよりおやつ?)にしました。食事を終えると、迷うことなく旧道へ。やがて農協の前に史跡があったので写真を一枚。道はさらに続く。

[16時01分] 葛川一里塚跡
日坂宿を過ぎてからというもの、歩くペースは速かった。あっという間に4キロを制覇したらしく、一里塚跡の石碑が建っていました。「葛川一里塚跡」に到着です。立派な石碑が建ち、そこにかつて一里塚があったことを伝えています。

ここに一里塚があるということは、そろそろ掛川宿。掛川城下に栄えた宿場町まであと少し、自然と歩く速度がはやくなります。

七曲がり
いよいよ七曲がり。城下町であった掛川は、敵の進入を防ぐために、七回角を曲がることになります。東海道をしばらく歩くと、「東海道七曲」の案内表示がありました。いよいよここから七曲がりの始まりです。まずは左に(写真右上)。手元にある地図と案内板を頼りに、今は住宅地になっている路地を曲がること4回。やがて枡形のような場所に出ると、案内板がありました。一度車道を左に、すぐの交差点を右に。東海道は何度も角を曲がります。

写真左上:東海道七曲の案内板
写真右上:七曲がり最初の曲がり角
写真左下:枡形のような場所と案内板
写真右下:6度目の曲がり角(東海道は右折)

7回目の曲がり角、そして本日の行程終了
6回目の角を曲がり、最初の交差点を左折します。ここが最後の曲がり角。これで7曲がりをクリアーしました。東海道はやがて商店街となり、町の中心部へ。
掛川宿は、掛川城下に広がる城下町で、宿場町というよりは城下町としての掛川の方がイメージが強いらしく、ほとんど東海道に関する史跡はありませんでした。日も傾き、いつしか周囲は暗くなり始めたので、わかりやすくて切りのいい交差点で本日の行程を終了としました。

最後に、掛川城が近かったので行ってみることにしました。すでに入館時間は過ぎていましたが、そびえる天守閣は掛川のシンボルといった感じです。
 



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