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14日目
吉原宿〜蒲原宿
2002年1月13日(日)
晴れ
遂に富士川を渡った。今まで旅の友としてきた富士山も後方になり、いよいよ蒲原宿。でもその前に、間の宿岩淵が待っていました。そこは、驚きの連続の地。間の宿でありながら、東海道の史跡が沢山ある、まさに歴史を感じさせる場所でした。

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富士川の渡し跡
富士川を渡りきると、東海道は正面の小高い丘へ入っていきます。ただ、江戸時代は富士川に橋はなく、渡し船でした。当時、船着き場は、東岸(富士市側)が現在の橋よりもやや下流にいったところ、西岸(蒲原側)は橋よりも数十メートル上流にありました。富士川を渡りきり、上流方向へしばらく行くと、比較的大きな常夜灯が建っています。ここが西岸の船着き場跡で、今も常夜灯が渡し船であったことを伝え続けています。

[12時21分] 間の宿岩淵の脇本陣
船着き場を後にして、富士川沿いの小高い丘を上ると、宿場でよく見られる桝形がありました。これを越えると道幅が広がり、右側に黒塀の旧家がありました。この辺りは間の宿岩淵で、格式高いこの旧家は、岩淵の脇本陣です。所有者が町へ寄贈したそうで、由緒あるこの脇本陣を一般公開しようと、準備に追われていました。管理されている方のご厚意で中を見ることができました。土間といい座敷といい、とてもなつかしい感じのする建物です。話を聞いたところ、3年かけて修復し、歴史的価値のあるこの建物を残していくそうです。こういう建物は、ずっと残してほしいものです。

それにしても、間の宿でありながら、宿場の脇本陣なみの建物には驚きました。立派なこの建物に、しばし釘付けになってしまいました。

[13時07分] 岩淵一里塚
この枝だっぷりを見よ!俺がここの主だ!そう言わんばかりの見事な枝だっぷり。脇本陣からしばらく進むと、東海道は右へカーブをしています。一里塚はそこにありました。特に枝だっぷりがすごいのは、京側に向かって右側の塚。円形の一里塚が小さく見えるほど成長したこの木は榎で、その堂々とした姿に驚きました。ここまでの行程で、塚の残る一里塚を何回か見てきました。しかし、これほどにまで存在感のある一里塚、というよりも、塚の上にどっしり構える木は見たことがありませんでした。きっと、枝いっぱいに葉が付いたら、もっとすごいでしょう。

ちなみに、左上が江戸側から見た右側の塚。右上が接近して撮影した右側の塚。左下が左側の塚。右下が、京側から撮影した両塚です。

「街道の松」「明治天皇御小休所」、そして蒲原へ
岩淵の一里塚を後に街道をしばらく進むと、前方に東名高速道路の高架が見えてきます。その手前に街道の松(写真左上)なるものがあり、小さな休憩所になっていました。

東名高速道路を越えるとすぐに左折、あとは道なりに進むと、本来の道筋が東海道新幹線により分断されている場所に着きます。左側に迂回路があり、その道で新幹線を越えると、右側に「明治天皇御小休所」の碑が建っていました(写真右上)。ふっと地面を見ると駅伝の折り返し地点の文字が・・・。どうやら、この辺りで行われる駅伝大会の折り返し場のようです。どんな駅伝なんでしょうか。

東海道は坂道となり、やがて再び東名高速道路を越えます(写真左下)。この辺りは切り通しになっているので、江戸時代はちょっとした峠だったのかもしれません。東名高速道路を越えると、蒲原へ向かって一気に下ります。下りきる直前に、広重の「蒲原夜之雪」の絵がありました(写真右下)。

一里塚跡、そして馬頭観音供養の碑
坂を下りきるとT字路となり、ここを右に行きます。しばらくすると「一里塚跡」の石碑がありました。江戸から38番目の一里塚です。また、この辺りから蒲原宿が始まります。
やがて、新日本軽金属の発電用巨大パイプが右側に現れ、その前を小さな橋で越えると「馬頭観音供養の碑」というものがありました。昭和の始めまで、このあたりには馬小屋があったとされています。

[14時13分] 蒲原宿東木戸跡
やがて、街道の右側に、案内板やら常夜灯やらといったものが綺麗に整備された東木戸跡の一角がありました。この辺りには旧家も残されており、旧街道の面影を残しています。

「なまこ壁」と「問屋場跡」
古い民家の中には、なまこ壁を使用した民家も残されています。写真左の「佐野屋」という商家には案内板がありました。また、十字路の手前には、問屋場跡の案内板も建っています。

[14時26分] 蒲原夜之雪の碑
十字路を左に行くと、安藤広重が描いた「蒲原夜之雪」の記念碑がありました。小さなスペースに広重の描いた絵と石碑が建っています。安藤広重は、ここから見た構図で絵を描いたのではないか、と想定されています。しかし、この絵は見ればみるほど不思議で、なによりも「雪」が降っています。温暖なこの地に雪とは・・・。それに、この場に立ってみると、絵と実際の景色が異なります。広重の想像で描いたものではないか、といった説もあります。

[14時29分] 本陣跡
街道の左側に黒塀で囲まれた立派な家が現れます。ここが蒲原宿本陣跡で、現在は普通の民家になっています。現存する建物を見ることはできませんが、門の瓦を見ると、家紋が入っており、格式の高さをうかがえます。

お休み処、高札場跡
本陣跡の向かいには、「お休み処」という休憩所がありました(写真左)。写真や浮世絵、パンフレットが並べられていて、中を見ることもできます。そういえば、品川宿にもおなじような休憩所があったような・・・。
ちなみに、江戸時代は旅籠・和泉屋だったようです。
その先には、高札場跡の案内板が建っています(写真右)。ここに、かつて高札があったことを今に伝えています。

御殿道、そして西木戸跡
しばらくすると「御殿道」と書かれた小さな碑がありました。なんの道なのだろうか・・・。やがて街道は左折し、県道に出ます。合流地点には西木戸跡があり、東木戸跡と同じように案内板などが建てられています。ここで蒲原宿は終わります。
東海道は右折し、由比宿を目指します。



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