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2日目
品川宿〜川崎宿
2001年8月25日(土)
晴れ
初回とは違い、この日は朝からいい天気です。ただ、逆に暑くてたまらない、そんな状況でした。2日目は前回の続き、品川宿「問答河岸跡」からスタートです。品川宿の旧東海道は何度か歩いたことがありますが、「東海道」を意識して歩くのは初めてです。
炎天下の中、川崎宿を目指し歩き始めます。

[12時42分] 炎天下の品川宿をスタート。様々な史跡があって楽しいところです。
スタート直後、「土蔵相模跡」「海岸石垣の名残」など、品川宿が海の近くであったことを意味する史跡が立て続けにありました。今は海なんてどこにある?といった感じですが、江戸時代、東海道品川宿は海の側でした。街道筋は変わっていないので、海が遠ざかってしまったわけです。

[12時29分] 日本橋から二里

旧道をしばらく進むと、「無料休憩所」があり、その向かいの「品海公園」の入り口には、「日本橋より二里」の指標が立っていました。一里は約4Kmなので、日本橋より8Km歩いてきたことになります。


[12時55分] 品川宿本陣跡
「品川小学校発祥の地」の碑が建つ「臨海山法善寺」を横目に街道を進むと、やがて「聖蹟公園」と書かれた公園に着きました。ここが品川宿の本陣跡で、建物はないものの奥行きが広いのが特徴です。

[13時03分] 街道松の広場
本陣跡を出発し品川橋を渡ると、「街道松の広場」なる公園がありました。そういえばこの辺、街道沿いに松が植樹されているのが目立ちました。

釜屋跡〜涙橋(立会川)〜鈴ヶ森刑場跡
13時13分、「釜屋跡」の案内板を発見しました。どうやらここが品川宿の脇本陣跡だそうです。
寺や神社を横目に街道を進むと、やがて立会川に架かる「浜川橋」につきます。この橋、別名「涙橋」と呼ばれていて、鈴ヶ森刑場に引かれる罪人が、ここで家族と涙の別れをしたという言い伝えがあります。
浜川橋を渡りさらに進むと、やがて東海道は第一京浜(国道15号)に合流します。この合流地点にひっそりとたたずむのが「鈴ヶ森刑場跡」。狭い敷地の中に題目碑や井戸跡が並んでいます。

三原通りから六郷地区へ
鈴ヶ森刑場跡で東海道は国道15号に合流します。大森海岸駅を過ぎると、国道15号から左に入る道(美原通り)があります(左の写真)。ここが東海道。この旧道はすぐに終わり、再び炎天下の国道歩きになります。神社仏閣はあるものの、拡張された国道15号はたいくつで、とにかく暑い。やがて六郷地区に入ると、歩道がそのまま裏通りになっている分岐がありました(右の写真)。恐らく東海道の名残でしょう。この道を歩くといよいよ六郷の渡しです。

[15時24分] 六郷の渡し碑
多摩川を渡りいよいよ神奈川県へ。渡った先には六郷の渡しに関する碑や案内板が建っていました。夏の日差しはまだ強く、とにかく暑い。でも、川から吹く風はここちよく、ここで小休止をしました。

[15時27分] 川崎宿
15号(第一京浜)の側道を少し市内方向に進み、すぐに国道15号をガードでくぐると、旧道が現れます。旧道をしらばく進むとにぎやかな繁華街になります。人通りも多く、ここがかつての宿場だったことは想像できないほどです。そんな中、「田中本陣」「中の本陣」跡を示す指標が建っていました。

きりがいいので、川崎宿で2日目の行程を終えました。



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