都電の痕跡2 |
都電の痕跡その2です。都内を網羅していた都電の痕跡を見つけることは非常に困難です。特に併用軌道区間は、道路幅の変更や再開発によって、かつての面影はほとんどありません。専用軌道跡についても、道路に転用されていたり、建物の敷地となってしまっていて、痕跡を追うのは非常に難しい状態です。「ここが専用軌道だったかもしれない・・・」。そんな推測の上で撮影した箇所も含め、第二段として、都内で見つけた痕跡を掲載します。 |
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板橋交通公園の7508号 | |
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板橋交通公園に保存されている、7508号です。7500形は全車青山車庫に配属されていましたが、都電の廃止が始まると、荒川車庫へ移動しました。写真の7508号は昭和43年に荒川車庫へ移動し、荒川線を除く全ての都電廃止後も荒川線で活躍しました。昭和52年には、荒川線のワンマン化に伴い、一時更新の改造が施されました。その際、帯の色は写真の青帯へ変更されています。ちなみに、現在荒川線で活躍している7500形は二次更新後の姿です。 |
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7508号の運転台です。基本的には原型(改造前の状態)とさほど変化はありませんが、ワンマン機器が設置されています。また、3枚窓の真ん中、一番大きな窓は1枚窓に変更されています。なお、改造前の7500形(原型)については、前項「東京たてもの園」の7500形をご覧ください。 その他の画像→画像1/画像2 |
万世橋の架線柱 | |
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秋葉原の電気街の近く、交通博物館の近くの万世橋付近には、今もなお、当時のままの姿で都電の架線柱が立っています。特に再利用されているわけでもなく、ただ、そこに立っているだけの架線柱です。万世橋付近は都電の巣窟で、特に須田町交差点には実に10系統もの都電が集まっていました。この架線柱も当時、多くの都電を支えてきたのでしょう。都電が消えてからもずっと、この架線柱は代わり行く町並みを見てきたにちがいありません。ちなみに、画面右には旧甲武鉄道の万世橋駅跡地があります。駅舎跡地は交通博物館になっていますが、中央線に乗ると、今でも花壇になったホーム後を見ることができます。 その他の画像 |
広尾電車営業所跡 | |
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現在の都営バス天現寺橋(都06・品97・橋86・黒77)、及び広尾病院前(都06)停留所が近くにある天現寺交差点の一角には、昭和44年10月頃まで都電の「広尾電車営業所」がありました。受け持っていた系統は7系統(四谷三丁目ー天現寺橋ー品川駅前)、8系統(中目黒ー桜田門ー築地) 33系統(四谷三丁目ー六本木ー浜松町一丁目)、34系統(渋谷駅前ー古川橋ー金杉橋)でした。現在、営業所跡地には都営アパートが建っていて、当時の面影を忍ぶことはできませんが、アパート横にある公園の一角に、画像(上)の案何板があり、ここが都電の営業所であったことが書かれています。 なお、下の画像は現在建っている都営アパートの全景で、アパートの右側の道の奥が西麻布方向。手前の道が明治通りで左が渋谷方向です。 その他の画像(広尾公園) |
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飛鳥山公園の6080号 | |
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都電荒川線の飛鳥山電停の近くに、桜の名所として知られる飛鳥山公園があります。ここには、晩年を荒川車庫で過ごした6080号が保存されています。残念なことに、保存状態は最悪で、乗降扉は壊れ、所々窓が割れていました(補強されていますが)。 飛鳥山公園の麓には、唯一の都電として今日も活躍する、都電荒川線が走っています。日曜日になると、これまた唯一動く6000形、6152号も時折姿を見せます。そんな場所にありながら、この6080号の姿は、あまりにも哀れすぎます。6080と6152。共に晩年を荒川車庫で過ごしながら、この差はむごすぎるような気もします。もう少し大切に、この貴重な車両を扱ってほしいと思います。 |
他の画像(1/2) |
府中市立交通遊園の6191号 | |
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東京都府中市にある「府中市交通遊園」に、静かに保存されている都電6000形「6191」号です。保存状態は悪く、飛鳥山公園の6080号と同じように、野ざらしにされていて、とても悲惨な状態でした。都電を支えてきた車両なだけに、もっと丁寧に扱ってほしいです。せっかく東京都交通局から譲り受け、静態保存という形をとっても、これでは車両がかわいそうな気がします。 そのたの画像→画像1/画像2/画像3 |
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