船路橋特集
2001.04.01 撮影&作成
21世紀を向かえた都電の遺産、船路橋
【船路橋】
現在の都営バス(浜95系統)芝浦2丁目バス停付近に、今もなお残るこの橋は、かつて都電黄金時代に、田町側から見て対岸にあった都電の車両工場へ行くための専用軌道として使用されていました。都電廃止後しばらくは都営バスの車両工場として再利用されていましたが、現在はまったく使用されていません。この船路橋には今も都電の線路がそのまま残されており、橋の前後では線路がアスファルトの中に吸い込まれていくかのように埋まっています。一部で専用軌道があったものの、都電は路面電車。その大半が併用軌道で、今では痕跡を見つけることはほぼ不可能です。ただ、船路橋周辺には、線路が埋まっている証拠となるひび割れもはっきりとあり、地中に埋まっている線路跡を探す参考になります。

【再開発】
もう何年も再開発の看板が立っていながら、現状はなにも手が着けられていない状態です。いずれは再開発されてこの貴重な橋もなくなってしまうのかもしれませんが、横浜では貨物船跡が遊歩道として再利用されていて、線路はオブジェとしてそのまま残されています。かつての都電を今に伝える遺産なだけに、今のまま歩行者専用橋して、竪川人道橋のように再利用してほしい限りです。
船路橋を田町側から撮影したものです。奥がかつて都電の工場、後に都営バスの工場があった島です。いまもなお都電の線路が残っていて、かつてここを都電が行き来していたことを彷彿させます。架線柱はありませんが、橋の両側では線路が行き場を失い、道路に吸い込まれていくように埋まっています。都電の廃止跡というと、専用軌道であれば遊歩道として再利用され、かつてそこに線路があった、という面影を忍ことはできます。ただ、この船路橋は当時のままの姿で残っているだけに、とっても貴重な遺産です。
田町側の橋の付け根です。付け根部分から線路は地中へ吸い込まれていくように、アスファルトの下に埋まっていきます。この日は左側に車が止まっていたので、全体像を撮影することはできませんでしたが、埋まっていった線路はどこまで続いているのか、興味を引く場所です。
船路橋から田町方向(バス停方向)へ少し進むと、ひび割れの途中でアスファルトがはがれているところがあり、地中に埋まっている線路が顔を除かせています。
船路橋周辺は道路というよりは、食品工場(だったかな)の敷地になっているようで、通常の道路のように車が行き交っているわけではありません。そのため、このようにアスファルトがはがれていても補強されることなく放置されています。
銀座通りにも線路が埋まっていると思われるひび割れがありますが、アスファルトをはがすと、こんな感じで線路が眠っているんでしょうね、きっと。

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