多くの都電が廃止されるなか、唯一生き残った都電荒川線。今では1日6万人を輸送する大動脈となっています。沿線には名所も多く、路線の9割が専用軌道でありながら、残る1割の併用区間は、古き都電のおもむきを今に伝える貴重な区間といえます。このページでは、現役の都電荒川線の雄姿を掲載いたします。

特集
2001年春 桜をバックに走る都電荒川線の姿です。

1962年(昭和37年)に登場した7500形です。荒川線の存続が決定する前としては最後の新形式車両となりました。今までの都電の車両とは異なり、ライト及びテールライトが1灯から2灯となりました。
なお、現在の7500形は昭和58年〜61年にかけて、冷房改造された際に新造された車体となっています。都電の伝統ビューゲルも、冷房改造の際にパンタグラフ化されています。  (荒川車庫付近)
熊野前〜小台間の併用軌道を走る7500形です。都電荒川線は9割が専用軌道となっていますが、飛鳥山近辺(王子〜飛鳥山)と写真の熊野前〜小台間が併用軌道となっています。この区間を見ると、都電は路面電車であることを改めて認識します。やっぱり都電は併用軌道が似合いますね。  (小台付近)
後ろに車を従えて信号待ちをする7500形です。12メートル程の車長の電車も、こうしてみるとバスみたいですね。それにしても、ここの道路は狭く、車線いっぱいに線路が引かれているので、車にはちょっと辛い区間かもしれませんね。でも、これが併用軌道の醍醐味でしょうか。  (小台付近)
1990年、7500形以来28年ぶりに登場した新形式車両、8500形です。今までの都電の車両とは全く異なる車体。冷房装置の標準装備。そして、VVVFインバータ制御。21世紀にふさわしい車両といっていいでしょう。1993年までに計5両が荒川線に登場しています。  (小台付近)
登場は1955年(昭和30年)。都電が全盛期のころ登場しました。登場当時は7000形3次車でしたが、ワンマン化する際に車体を新造し、現在の車体となっています。ワンマン化は1978年(昭和53年)4月11日に完了。また、昭和60年には冷房化が始まり、昭和62年にはビューゲルからパンタグラフへ変更され、現在に至っています。7500形と異なり、登場当時とはまったく姿の変わった車両ですが、大きな1枚窓と横に並んだライトとテールライトは、どこか愛嬌のある顔をしています。  (宮ノ前付近)
都営バスでは広告車(ラッピングバス)が一種のブームを巻き起こしていますが、都電にも広告車が導入されています。都営バスと比べるとちょっと遠慮がちといったところでしょうか。  (宮ノ前付近)
尾久神社前の併用軌道を行く7000形です。神社に都電はよく似合います。神社の前を堂々と通過する都電は、今も東京の主役といった感じです。これからも末永く走ってほしいと願います。   (宮の前付近)
尾久神社の前を行く新鋭8500形。都電荒川線は都電として、今もなお歴史を刻んでいます。8500形はこれからの荒川線の顔として、7000形、7500形とともに、21世紀の荒川線を支えていくことでしょう。  (宮ノ前付近)
王子〜飛鳥山間の明治通りとの併用軌道を行く7500形です。明治通りは交通量が多く、都電は車の中にまみれて走っています。併用区間はわずかで、この先を右折するとすぐに専用軌道となります。  (飛鳥山付近)
荒川車庫前電停で撮影した8500形車両です。荒川線には古き良き時代の車両6000形から最新の技術を使用した8500形まで、4種類の車両が使用されています。


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