中山道TOP>草津宿〜守山宿
[ 2004年3月27日(土) ]
[ 晴れ ]
中山道に関しては、日本橋から武州方面を歩いていますが、本当に歩きたかったのは、東海道との接点である草津から日本橋を目指す逆ルートでした。東海道を歩いた時のように、日本橋から順当に京都を目指すのもいいが、ここは日本橋側からと京側からそれぞれ歩き始め、挟み撃ちするのがおもしろいのでは?そんな考えから、この日新たに草津宿からスタートをしました。
中山道徒歩5日目は、草津宿から守山宿を経て武佐宿を目指します。

逢坂、蝉丸神社分社(京都〜大津宿)
この日の中山道の旅は、今までとは異なり、京都側から日本橋を目指すことになります。本格的スタートを前に、まずは東海道と中山道が一緒になっている、大津宿周辺の蝉丸神社(分社・上社・下社)を訪ねました。
京阪電車京津線に揺られ、山間部の小さな駅「大谷駅」で下車。改札を出るとそこが東海道であり中山道です。目の前には蝉丸神社の分社があります。
東海道を京都へ向かって歩いていた時、最後の区間として、雨の降る中を歩いたのを思い出しました。

<写真説明>
左上:大谷駅
右上:蝉丸神社分社
左下:蝉丸神社分社本殿
右下:逢坂山の碑

蝉丸神社上社〜逢坂山隧道〜蝉丸神社下社
1年前にラストスパートをしたこの区間を一つ一つ思い出しながら歩きます。分社を見たあとは逢坂を下り、上社を目指します。国道1号線を大津へ向かって歩くと、しばらくして左側に蝉丸神社上社があります。急な階段を上ると本殿があります。

上社を見た後は下社を目指しますが、途中、貴重な鉄道遺構がありました。1年前は京都を目指すことを優先していたため、トンネルの跡のようなものがあると思いながらも、通過してしまいました。この日は、近くまでいってじっくりと見てみました。
このトンネル、旧東海道線のもので、なんでも明治11年に、はじめて日本人だけで掘られたものだそうです。反対側の出口は名神高速道路になっているため、存在していないそうですが、貴重な鉄道遺構として、残されているようです。

トンネル跡を過ぎ、現在の東海道線を越えて左に行くと、蝉丸神社下社があります。

<写真説明>
左上:蝉丸神社上社
右上:旧東海道線逢坂山隧道跡
左中:旧東海道線逢坂山隧道跡
右中:逢坂の説明
左下:蝉丸神社下社
 

草津宿、東海道との追分からスタート
蝉丸神社や、その周辺を散策した後、京阪電車・JR線を乗り継いで草津まで移動しました。ここから中山道のスタートです。草津に着き、早速追分へ向かうと、道標がしっかりと東海道と中山道の分岐であることを示しています。
京都〜草津宿間は、中山道は東海道と同じ道筋となるため、ここが実質的な起点となります。早速トンネルをくぐり、商店街を進みます。
トンネルをくぐった先の右側には、明治時代の東海道と中山道の道標があります。

<写真説明>
左上:東海道と中山道の追分(道標)
右上:本物の中山道です(ここからスタート)
左下:明治時代の道標
 

伊砂砂神社
にぎわう商店街の中を進み、やがて商店街を出ると、中山道は細い道となります。住宅の並ぶ道を先へ進むと、やがて右側に「伊砂砂神社」がありました。境内は広く、演舞代は時折使用されているようで、綺麗に整備されています。
この神社で注目すべき点としては、中山道に沿ってある石垣です。やや古そうに見えるこの石垣、たしかに古く、鎌倉時代のものだそうです。中山道が東山道と呼ばれていた頃からある神社なのかもしれません。

<写真説明>
左上:伊砂砂神社
右上:伊砂砂神社演舞代
左下:伊砂砂神社石垣(左の道が中山道)
 

鉄道を越える
道ややがて鉄道で分断されます(といっても、現在の区画では、道は先まで続いているのですが)。どうやって鉄道を越えよう・・・。地元の人がやたらと行き交う方に行くと、なんと、まるで側溝のような天井の低いトンネルが(写真左)。どうやら、鉄道を越えられそうなので、進んでみると、反対側に出ました。その後、鉄道沿いに道を進むと、2車線の車道となります。なお、右の写真の車が駐車しているあたりが、本来の中山道ルートではないかと思われます。

狭く細い道
2車線の比較的広い道を進むと、急に道幅が狭くなります。いよいよ街道の雰囲気が出てきましたが、交通量が多いので、注意してください。
車をよけながら先へ進むと、次第に神社や寺が増えてきました。宿場は近い、そう思いながら歩いていると、焔魔堂(小野篁作といわれる閻魔像のある閻魔堂)が、交差点の先にありました。

今宿一里塚
道幅のそれほど広くない中山道を進んでいると、右側に堂々とした一里塚がありました。今宿の一里塚です。円錐形の塚の上には、堂々とした木が生えていて、葉が付いていれば木陰をつくることでしょう。

守山宿
いつの間にか入っていた、そんな感じなのが守山宿です。街道の両側に旧家が時折現れるようになると、どうやら守山宿に入ったようです。
守山宿に入ると、店や旧家の軒先など、ところどころに「守山宿」とかかれた看板(?)がありました。特に、旧家に付いている「中仙道守山宿」の看板は、なkなか雰囲気のあるものです。
守山宿を中程まで進むと、小さな橋があり、その先に交差点があります。交差点を右に進むと守山の駅となるので、この日はここで終了しました。

ちなみに、このあたりの地名は「今宿」といい、中山道の宿場があったことを意味しています。

<写真説明>
左上:守山宿の町並み
右上:小さな橋
左下:守山宿を表した看板
 

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