中山道TOP>吹上駅前〜熊谷宿
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[ 2004年07月18日(土) ] |
[ 晴れ] |
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気温38度。夏まっさかりのこの日、前回吹上駅前で終わっていた中山道を、熊谷宿まで歩きました。とにかく暑い。夏の強い日差しの中、水分を補給しながら熊谷宿を目指しました。 |
吹上駅近くの中山道 | ||
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吹上駅で電車を降り、中山道へ向かいます。気温38度、熊谷は内陸のため、とにかく暑い。歩く前にまずはコンビニへ。飲料水を購入していざスタート(写真左 スタート地点)。夏の強い日差しの中、中山道を歩くこと10分少々。わかりにくい分岐がありました。中山道は県道から左折をしますが、うっかり通り過ぎてしまいました。一度戻り分岐を調べていると、電柱に手書きの案内が・・(写真右)・。親切な人、ありがとう。なんとか中山道に戻れました。 |
吹上神社 | ||
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しばらくすると、赤い鳥居の目立つ吹上神社がありました。この日は夏祭りがあるようで、境内には山車と大小の御神輿が置いてありました。そういえば、東海道を歩いている時にも祭りに出くわしたことがあったっけ・・・(確か、鳴海宿あたりだったと)。季節を感じる一面でした。 |
鉄道に分断された中山道 | ||
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これといった史跡もなく、暑い中をひたすら歩いていると、いつの間にか左側に高崎線が併走していました。やがて、前方に鉄道を越える陸橋が見えてきました。陸橋の下には案内板と「中山道 間の宿」の碑が建っていました。いったいなんだろう・・・。 ここは間の宿のあったところらしく、現在は鉄道で分断されてしまった場所でもあります。陸橋で鉄道を越え反対側へ。中山道が続いています。 |
荒川の土手へ | ||
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暑い・・・。本当に暑い・・・。中山道にはこれといった史跡もなく、ひたすら歩く時間が続きます。時折木陰があると、多少暑さがゆるみます。木とは不思議なもの。木陰は本当に涼しいのです。江戸時代の旅人にとって、一里塚の木陰は格好の休み場所であった理由がわかるようなきがします。 電柱には手書きの案内板があるので、それに沿って進むと、やがて荒川の土手に上ります。 |
荒川の土手〜集落の中へ | ||
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中山道はしばらくの間、荒川の土手を進むことになります。土手というからには川が見えるのだろう、そう思っていたのですが、流れは見えませんでした。かえってそれが暑さをさらに増幅させたような気になります。せめて水が見えれば、少しは涼しいのに・・・。 やがて中山道は、荒川の土手に別れを告げて(写真左)集落の中へと入っていきます(写真右)。 |
間の宿 久下上宿 | ||
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暑くつまらない道が続き、意識がもうろうとしてきました。水分をとりながらひたすら歩いていると、ようやく史跡らしきものがありました。「久下上宿」と書かれた灯籠が。宿とつくくらいなので、この辺りに間の宿があったのでしょうか。鴻巣宿〜熊谷宿間は長く、17キロ以上ありますので、間の宿がいくつかあったのだと思います。 |
再び土手へ | ||
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しばらく何もない道が続きます。いつの間にか、暑いながらもその暑さに体が慣れたようで、適度な水分をとっている限り、それほど疲れはありません。 やがて中山道は一旦荒川方面へ分岐します(写真左)。土手を上ると、今度は荒川の流れが見えました(写真右)。本当は水辺に近づきたかったのですが、少々離れていることもあり、先へ進むことにしました。一旦土手を上った中山道はすぐに土手を下ります。 |
みかりや跡 | ||
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荒川の土手を下りたところに「みかりや跡」と書かれた案内板が立っていました。なんでも、この辺りに中山道を旅する人のための「茶店」があったようです。 宿場間が長いために、間の宿や茶店など、旅人が休憩できる施設がところどころにあったようです。 当時はきっと、荒川を見ながら旅人は休憩したことでしょう。 |
涼、そして一里塚へ | ||
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しばらく歩いていると、左側に涼しそうな光景が飛び込んできました。写真左の景色です。荒川から分岐した流れです。この流れ、荒川の古い流れで、古荒川だそうです。緑の間を清流が流れていて、暑いこの日に少しだけ涼しさをかもしだしていました。 やがて中山道は、何本かの道と交差し、熊谷市の市街地へと入ってきました(写真右)。 |
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交通量はそれほど多くないものの、気温38度。路面温度は40度を超える、暑い夏の一時。旅人はひたすら歩き続けています。市街地となり熊谷宿が近いことを直感しつつも、口から出る言葉は「暑い」。 やがて、久しぶりに史跡が現れました。一里塚跡です。「八丁の一里塚跡」と案内板に書かれていました。そういえば、埼玉県内の中山道には、あまり一里塚跡の案内がないような・・・。なんか久しぶりの一里塚跡でした。 |
熊谷駅付近を通過 | ||
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前方に高架線が見えてきました。上越新幹線です。ということは、熊谷駅が近い。高架橋が近づくと、中山道は秩父鉄道、JR高崎線を踏み切りで越えます。JR高崎線の踏切には「第六中仙道踏切」と書かれていました。今歩いている道が中山道である証拠です。ここで終了してもいいのですが、まだ時間があるので、先へ進むことにしました。 |
国道17号に合流 | ||
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やがて中山道は国道17号線に合流します(写真左)。ここからは道幅も広くなり、歩道の上を歩くことになります。これといって見るものはないので、先に進むと、駅へ向かう道が分岐する交差点につきました。終わるにはちょうどいい場所でしたので、本日の行程はここまでにしました。 とにかく暑い一日でした。次回は涼しくなってからにしよう。そう思いながら中山道を後にして帰路につきました。 |
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