中山道TOP>日本橋〜板橋宿
[ 2003年9月28日(日) ]
[ 晴れ ]
東海道と共に、江戸日本橋から京都を結ぶ中山道。上州・信州・そして木曽路を通るそのルートは、東海道よりも過酷です。しかしながら、東海道のような大河も少なく、川留めのないことから、中山道経由で旅をする人も少なくありませんでした。現在も、ところどころに昔ながらの街道情緒が残り、街道を歩く楽しさを味わえます。そんな中山道を、今回は歩いてみることにしました。過酷なルートなだけに、東海道のような通しで歩くことは難しいかもしれませんが、歩いたところの記録を、本項では紹介します。
まずは、季節が秋に変わろうとしている9月末、日本橋から、江戸4宿の一つ、板橋宿を目指して歩いた都内の中山道からスタートです。

日本橋
東京日本橋。ここから京都へ向かう2つの道が始まります。日本橋から銀座・新橋・ 品川方面が東海道。そして、日本橋から、神田・秋葉原・本郷方面が中山道です。現在も道路の起点となる日本橋から、東海道とはまったく逆方向に中山道は進みます。東海道に背を向けて、いざ、スタートです。

日本橋三越〜時の鐘
日本橋を出てすぐに見えるのが、老舗デパートの三越。そのたたずまいは、モダンで立派なものです。1673年、三井高利が江戸本町一丁目に呉服屋「越後屋」を開業させたのが、三越のはじまりです。以来、三越は老舗デパートとして、日本橋でその歴史を重ねています。
三越を超えると、右側に「時の鐘」なる説明版を見つけました。江戸時代より時を告げる鐘としてあったそうですが、現在は中山道から少し離れたところにある十思公園に移築されています。せっかくなので見に行きました。説明版の立っている脇道をまっすぐすすみ、国道4号線(昭和通り)を越えると、やがで左側に公園があり鐘が立っていました。また、この公園は屋敷跡でもあるようです。
<写真説明>
左上: 三越本店
右上:時の鐘案内板
左下: 時の鐘(十思公園)
右下:十思公園の表門

万世橋〜神田明神
中山道は、やがてJR神田駅・須田町交差点を過ぎ、万世橋に着きます。肉の万世の発祥の地でもある万世橋ですが、JR中央線の煉瓦造りの高架橋は、その昔、万世橋駅があった名残です。万世橋をわたり、交差点を左に、昌平橋交差点を右に、次の交差点を左に向かうのが中山道です。このあたり、少々複雑ですが、国道17号線が中山道ですので、標識通りに行くといいでしょう。やがて、左側には湯島聖堂、右側には神田明神が見えてきます。

本郷三丁目交差点〜本郷追分
神田明神を過ぎると、しばらく道なりに進みます。巣鴨までは国道17号が中山道なので、間違えることはないと思います。本郷三丁目交差点を越えると、左側の歩道に「別れの橋跡」の説明版がありました。江戸を追放された者との別れの場所でもあったようです。やがて、右側には東京大学(東大)の赤門が見え、広大な東大のキャンバスに沿って進みます。東大農学部の前あたりに着くと、道はT字の交差点となります。ここが「本郷追分」で、中山道最初の一里塚跡があります。本郷追分は、京都へ向かう「中山道」と、日光へ向かう「日光御成道(岩槻街道)」との分岐点です。交差点を直進するのが日光御成道、左折するのが中山道です。

<写真説明>
左上:別れの橋跡の説明版
右上:東大赤門
左下:本郷追分
右下:追分一里塚跡

巣鴨地蔵通り
本郷追分から先、中山道は白山・巣鴨を越えていき、巣鴨駅の先で、最初の旧道となります。ここの旧道は、とげぬき地蔵へ通じる地蔵通りで、おばあちゃんの原宿とも言われている区間です。
さて、この通りで有名なのは、なんといっても「とげぬき地蔵尊」のある「高岩寺」でしょう。しかし、国道と旧道の分岐点左側には、江戸六地蔵のひとつ地蔵菩薩坐像が鎮座する真性寺があります。

にぎわう地蔵通りに入ると、左側の店の前に、一里塚跡を示した 案内板が立っていました(恐らく、店で出しているものでしょう)。江戸から2里目の一里塚跡です。

<写真説明>
左上:旧道分岐(地蔵通り入り口)
右上:地蔵菩薩坐像(真性寺)
左下:一里塚跡
右下:高岩寺

巣鴨庚申塚〜和菓子「虎月」
にぎわう地蔵通りを過ぎ、次第に人通りが少なくなると、やがて「庚申塚交差点」につきます。交差点の右角には、巣鴨庚申塚がありました。小さな社が建っています。
庚申塚の交差点を過ぎると、踏切があります。この踏切、都内で唯一残る路面電車、都電荒川線のものです。踏切を挟んで、三ノ輪橋方面と早稲田方面の電停「庚申塚」があります。
都電の踏切を越えると、埼京線の板橋駅へ向かうことになりますが、途中、街道の右手、路地を少し入ったところに、中山道名物「栗最中 一ぷく」とかかれた和菓子屋(虎月)がありました。老舗の和菓子屋のようで、栗最中を買いました。

<写真説明>
左上:巣鴨庚申塚
右上:都電荒川線 庚申塚電停(早稲田方面)
左下:和菓子「虎月
 

板橋宿
埼京線の板橋駅を過ぎると、中山道は一度国道17号線を横切ります。そして、江戸4宿の一つ、板橋宿に入ります。この板橋宿、実は、川越へ向かう川越街道との追分でもあります。
東海道の品川宿と同様、にぎやかな商店街となっています。宿場に入ってすぐ右、駐車場の脇に、ひっそりと庚申塔が立っていました。
<写真説明>
左:宿場入り口、右:庚申塔

本陣跡〜板橋〜縁切り榎
板橋宿は、現在も商店街として、その賑わいを見せています。商店街を中程まで進むと、右側(スーパーライフ手前)に、本陣跡の碑が建っていました。あまり目立たないので、見落とさないように注意が必要です。

本陣跡を越えると、やがて前方に橋が見えてきます。石神井川に架かる「板橋」で、地名の由来となったそうです。

板橋を渡り、さらに先へ進みます。しばらく行くと、右手に小さな祠があり、ケヤキとエノキが植えてあります。 婚礼の行列が、この榎の下を通ると不思議にその後不仲になることから、「縁切り榎」と呼ばれています。

<写真説明>
左上:本陣跡の碑
右上:板橋
左下:縁切り榎
 

志村一里塚
旧道はやがて板橋宿を出て、現在の中山道(国道17号線)に合流します。その後は、特に史跡もなくひたすら進むと、前方にこんもりとした木立が見えてきます。志村一里塚で、17号線を挟んで両側に塚が残っています。都内では、西ヶ原一里塚(日光御成道)と志村一里塚のみ塚が現存しており、貴重な史跡となっています。都営三田線「志村坂上」駅のすぐそばにあるので、交通の便は抜群です。

清水坂上
志村一里塚を過ぎると、交差点の先で中山道は旧道となります。そして、中山道最初の難所と言われた清水坂を下り、戸田橋へと向かいます。戸田橋は荒川に架かる、国道17号線の橋です。もちろん、江戸時代には橋はなく、渡しとなっていました。

日も傾いてきたので、中山道の旅初日は、ここで終了です。次回は蕨宿を経由して浦和宿を目指します。

[ PageTop ]


中山道のトップに戻る