山靴随想


初めて登山靴の靴底(ソール) の張り替えを頼んで、出来上がってきた。上半分はずいぶんとくたびれた容貌だが、反して下半身はピカピカの新品となって我が手に戻ってきた。それを手にして何かとても嬉しくなってしまった。登山道具店からの帰りの電車の中で、袋から取りだして仔細に点検したり、指でなぞったり、挙げ句の果てには鼻を近づけて密かに皮の匂いを嗅いだりしてみた。周りの人は変人と思ったかもしれない。

自分のような低いアクティビティでもそれなりに四季を通じて何年か山登りを続けていると登山靴も何足か増えてくるものだ。この靴はナイロンのハイキングシューズの次に、本格的に山を歩いてみようか、と思い立ってから最初に買った靴だった。自分には最初の皮製の登山靴のこの靴は有名ブランドの靴ではなく某登山用具店のオリジナルの軽登山靴で、昔ながらの形をした靴だ。「皮の登山靴は一生もの。慎重に選ぼう」と入門書に書かれていたことが頭にあって選ぶのにずいぶんと時間がかかった。それに未知の山の世界への不安・緊張などからビクビクしていていかにも玄人っぽい登山道具店の雰囲気に負けてしまい選ぶのに随分と緊張した事を思い出した。

親切なのだがとても近寄りがたい雰囲気のある登山道具店の店員の話しを聞きながら何足か履いてみる。皮製軽登山靴の代名詞ともいえるザンバランのフジヤマが一番良くフィットしたのだが、その横に、目立たぬように置かれていたその店のオリジナル登山靴に目が行った。価格がフジヤマの1/3程度と安かったこともあり「自分程度の山歩きなら安いので充分」と選んだ靴だった。履き心地も良かった。

その靴を雲取山に初めて履いて行ったのだが、皮の登山靴姿の自分がひどく「玄人」っぽく思われてとても恥ずかしく、またくすぐったいように嬉しかった。以来どのくらい山に行ったのだろう・・。泊まりの山や冬の季節はこの靴を必ず履いていたのでまぁそれなりの数の山頂を踏んでいるはずだ。

最初の頃は山行から戻ったらすぐに泥を拭き防水クリームや保革オイルを塗ったりと丁寧にメンテをしていた。が、その冬に初めて雪の箱根の山を歩いたのだが、その時は溶けかけた雪だったせいもあってか靴下までかなり濡れてしまい「革靴は防水性が強い」と思っていたのでガッカリしてしまった。やっぱりケチって値段の安い靴を選んだせいか、などとも考えた。

そんな事もありいつしか関心が薄れ自分の常か扱いがだんだんと粗雑になってしまい、山行後から次の山まで手入れもせずに1ヶ月近くそのまま放置してしまったりするようになってしまった。

今回靴底を張り替えて何か装いを新たにしたややくたびれた靴を見て、山歩きをはじめたばかりの頃の新鮮な気持ちを思い出した。山に対して抱いていた漠然とした畏れとそれに相反する憧れを思い出した。山歩きをはじめるんだ、というまるで清水の舞台から飛び降りるかのように感じていた緊張感を思い出した。今でも山歩きに対する思いはその頃と変わったとは思わないが、歩く事自体がマンネリ化してしまい行けば楽しいものの確かに新鮮な気持ちというのは随分と前に忘れてしまっていたように思う。

登山道具店の主人の話しでは「皮の部分はまだまだ大丈夫だが、ソールを張りつけるガメと靴の間の木の中敷がずいぶんとくたびれておりもう次回は張替えは出来ないだろう」とのこと。ならば丁寧に履いてやるか・・。幸いゴアテックスのナイロントレッキングシューズやもう一足の皮の登山靴もある。出番は前ほど頻繁では無い。

今度この靴を履いて何処に行こうか?懐かしの雲取山か、今年の夏山か?今回はついでに靴紐もカラフルな2色のものに代えてみたのだ。新しい靴底と靴紐の履きなれた登山靴。こいつを履いて登山道に一歩踏み出せば、新鮮な山に対する気持ちと畏れを襟を正すような気持ちで感じさせてくれるのかもしれない。

Copyright : 7M3LKF, Y.Zushi 2001/7/17

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