山伏でみつけた小さな答え

 同人誌「山と無線」33号より

マイペースで歩けるから。苦しい登り道も人に迷惑をかけずにすむから。自分の行きたいとき、行きたいところにふらりと行けるから。自分で計画を立てる楽しみがあるから。孤独を楽しめるから。感動が多いような気がするから。
 

昔から一人で出かけるのが好きだったと、思い出す。学生時代、仲間と3人で北海道へ2週間程度のバイクツーリングへ出かけた。でも計画段階から自分だけ現地で2人と別れて一人で走る事にしていた。彼ら2人はそんな私に、何故?一人で寂しくないのか?と聞いたが自分には明確な答も無かった。ただそうしたかった。北海道上陸後、数日間ともに走ったあと帯広で僕らは分れた。素敵な10日間の始りだった。そこからの旅は、目の前に広がる大きな北海道の原野のように膨大な感動を与えてくれた、と思い出す。西日に燃えるオホーツク海沿いのまっすぐで寂しい国道を一人走っていると言いようも無い寂寥感に襲われたが、それは同時に頭の中を痺れさすような興奮でもあった。鳥肌の立つよう昂揚感だった。
 

年月は流れ結婚してまもない頃。妻との旅先、京都・四条河原町のふらりと入った本屋の棚で見つけた一冊の本。「ひとりぼっちの山歩き」という題名に惹かれたのは多分そこに10数年も昔に、夕暮のオホーツク海で初めて感じたあの寂しさと興奮があるのではないか、と思えたからかもしれなかった。独り歩きの機微に触れたその本に私は惹きこまれた。山は恐い。一人で歩くなんてとんでもない・・。でももしかしたら自分にも出来るのではないか、やってみるか。心の中に漠然とあった山を歩こうという気持ちへの決断を、この一冊の本がうながしてくれた。新しい世界へのいざないだった。
 

おそるおそるの登山靴。ペースもわからぬ初めての本格的な登山道は苦しみと後悔以外の何者でもなかった。突然の降雪にたじろぎ下山を迷った。しかし何とか着いた山頂の山小屋の硝子窓からはるかに輝く下界を眺めたとき、そこに広がった風景にはただ見入るのみだった。それは自分が今まで知らなかった世界だった。単に苦労して登ったからその光景がすばらしかったというだけではないように思えた。その光景の奥に何故か妻や親、友の顔が浮んだのだった。自分にとって大切な彼らから遠く離れてこんな所にいる。一人で夜露に濡れた山小屋の窓から彼らの住む街を眺める。これが寂しくなくてなんであろう・・。
 

寂しい、そんな中に一人でいる。それがいいようもない喜びだ。これをナルシシズムといえば全くその通りだろう。寂しさを味わう自分を少し離れてみてみる。でもいいさ、何といっても独り歩きは気楽だしその孤独感を楽しむのだから。
 

マイペースながら何度か近郊の山への訪問を重ねていくと少しづつではあるが山歩きの楽しさが自分なりに分かってきたようだった。入山地や下山地に広がるひなびた農村風景は都会育ちの私にも何故か郷愁を思わせるものだった。北海道以来始めた独りでのバイクツーリングで気ままに訪れた地方の名もない谷や原、峠を結ぶ田舎道で感じた同じ郷愁がそこにあった。そして尾根歩きでは植林帯から期せずして闊達なカヤトの原に出れば一瞬足も止るような感動が待っている。小さな山歩きでもそんな心の動きには事欠かない。その心の動きをより増幅させるのがこの素晴らしさを一人で味わっているという気持ちだった。バイクでも、山でも、一人だと色々な事に考えが及ぶし色々な光景が見えるような気がする。が、ある意味では自分の場合たまたま身近に山に詳しい人も居らず、又こんな歳で改めて何処かの山の会に入るのもためらわれた事から、一人歩きをどこかで自分勝手に正当化している、とも言えるかもしれない。
 

こうして見よう見まねで始めた一人歩き。一人であるという気分は毎回の山行のどこかで必ず味わう事が出来る。ただ人の多くいる山よりも人の少ない山で、日帰りよりも泊りの山で、この気分はより強く味わえるようだった。殊に周りにだれもいない山頂でテントを張って独り迎える一夜では様々な思いが去来してなかなか眠りにつけないという事も多かった。
 

ある年の夏、南アルプスは北岳から間ノ岳を経て仙塩尾根を辿り仙丈岳を目指そう、という計画を立てた。北岳山荘で幕営、翌日は間ノ岳、三峰岳から仙塩尾根の伊那荒倉岳あたりで幕営、そして三日目に仙丈岳を経て北沢峠に下山する、というものだった。一人の旅・寂しさと昂揚感を存分に満喫できそうな計画、と満足したが、反面、人の少ない仙塩尾根を無事に踏破できるか、という点が自分にとってこの計画の最大のネックだった。大樺沢から八本歯を経て日の傾きかけた頃立った北岳山頂。2度目の山頂ではさすがに日本第二の高峰に恥じぬ素晴らしい山岳展望が待っていた。目前の仙丈岳が優美だ。が、その左手に長く延びる尾根こそが今自分が計画している仙塩尾根だと知ったとき、まず浮かんだのが家族の顔だった。妻と娘の顔が去来したのだった。あれを歩くのか。それも一人で。原生林に囲まれた長大な尾根道。高低差もかなりのもので体力的に大丈夫か。しかも計画ではあの人寂しい尾根の何処かで幕営の予定で、これはとんでもないことになりそうだ。熊でも出ぬか。あの尾根に入ったら出てこれないのではないか・・。家族に会えなくなるのではないか。寂しい。あんな所には行きた くない。未知への畏れ。いや、体調は万全だし、予定通り行かなくっちゃ・・。テントの並ぶ北岳山荘のキャンプ地で一晩考えた。思わず浮んだ家族の顔は遠い世界に足を踏み入れないでくれという無意識の警鐘か。寂しさを満喫できる計画でもなんでもない。寂しくって恐くって、自分にはとても行けそうにない・・。翌朝北岳山荘の公衆電話から家に電話を入れた。眠たそうな妻の声に「今日予定を変えて帰るよ」という言葉を一方的に告げて電話を切った。「情けない」「いやこれで良かったんだよ・・」北岳東面のトラバース道を歩きながら悔しさと安堵感が自分を襲う。目の前に咲く可憐な高山植物すらなんの慰みにもならなかった・・。アクシデントでなく山行計画を変えたのは初めての事だった。
 

おかしいな、自分は一人の気楽さ・気ままさが好きで今まで独りで山を歩いていたのに。自分は実は独りが好きでも何でもなかったのではないだろうか・・。あの気負いは一体何処に行ってしまったのだろう・・。
 

独りで山に出かける、という事が楽しみであると同時にある種の苦痛・重荷に思われるようになったのはこの時以来だった。日帰りは別に構わない。朝誰よりも早く床を抜出しても夜には家族の元へ戻ってこれる。でも泊りはどうだろう・・。行程を通じて常に寂しさとの対面だ。もちろん山頂で運用するアマチュア無線はそんな気分を紛らわしてくれる。が一人テントのフライを閉じシュラフのジッパーを締めれば、グループ登山者で賑う小屋の中湿った布団に横たわれば、今日一日を無事歩いたという満足感とともに寝付くまで頭に浮ぶのは遠い過去の思い出や家族との一瞬の光景だ。何の脈絡も無く忘れていた光景がフラッシュバックするのだ。この思いが寂しくもあり、泊り山行の計画はいくつも立てても実行しない事も多くなってしまった。期待と不安に満ち計画を立ててもいざ実行になると気が重くなってしまうのであった。所詮自分には一人歩きなどとカッコつけても日帰りの山がせいぜいなのか・・。夜が恐いなんて思いっきり笑えてしまう・・。何人かで登れば夜も酒でも飲みながらよもやま話に話を咲かせ満ち足りたものになろう。でも一人で、色々な思いを巡らせながら眠るとは・・。
 

こんな思いのまま続けたいくつもの泊りの山は自分の心の中に大きく踏ん切りをつけ、半ば無理矢理出かけてきたものも多かった。無論一旦家を飛び出し明け方の電車に揺られれば、未明の高速でアクセルを踏めば、とりあえずは家という引力圏から大きく飛び出した自分がいる。大きく膨れたザックに目をやればこれから始まる未知への興奮と不安で期待は高まる。しかし稜線でひとり風に吹かれ夕暮れを迎えたならばああ家族は今何をしているのだろう、そして自分はこんな所で何をしているのだろう・・という想いでせつなくなってしまう。山歩きの持つ見知らぬ土地を旅するという要素により自分の好奇心を満たすという喜びはあるものの、やはりこれは拭えない寂しさでもあった。丹沢や奥秩父、上越国境に南アルプス・・。寂しさと向い合う楽しくもあり気が重い泊り山行がいくつか続いた。
 

* * * *
 

この5月連休に静岡は安倍川上流の山を歩くことにした。山伏から八紘嶺へかけての山域はかねてから興味のあったエリアだった。当初の案では山伏から八紘嶺を経て七面山へ抜け早川町へ下りるというもので八紘嶺近辺で幕営しての1泊2日の予定だった。が、山行が近づくにつれ例の如く気が重くなってきたのだった。八紘嶺での一人の幕営。気が重い。気がすすまない。一人の山頂での一人の幕営など今まで何度もしてきたことなのに・・、最近はいつもこうなのだ。山伏には避難小屋があるではないか・・。そこを利用すれば少なくとも誰かはそこにいて寂しい一夜は避けられるだろう・・。もちろんコースとしても山伏・八紘嶺から長駆七面山というのは自分にはやや意欲的すぎて案ぜられるところもある。が何よりも一人での山の夜にどうも気がすすまない。計画は縮小された。山伏の避難小屋泊りで翌日八紘嶺まで。七面山は又別の機会にしよう。
 

出発の前日になりたまたま無線仲間のJA7TKH・大和さんが山伏を明日予定していると知った。それでは明日午後1時ごろ山頂で会いましょう、という約束が交された。果して誰かに会うという約束のある山への出発は楽しいもので、泊りの山とはいえ「家」の引力圏からあっさり脱する事が出来た。
 

西日影沢から山伏への登りはしばらく豊富な水量の沢にそって進む。ゴウゴウという水音が心地よく耳に届く。今朝未明から登りはじめているはずの大和さんはもう予定通り山頂に居るのだろうか?430MHzの連絡周波数で彼を呼ぶが応答無しだ。途中ワサビ田の中を歩く。澄んで冷たく豊富な水だからこそ出来るワサビ田。沢を外れ山腹にとりつく。蓬峠の直下で再び沢を渡る。豊かな水。安倍奥、いや静岡は水の山だ。
 

尾根に乗り緩急混ぜた登りが続く。すれ違う下山者に山頂で無線をやっている人は居なかった聞いてみると果たして居たという。大和さんだ。早く行かなくては。気がはやるが歩みはさして進まない。約束の1時を過ぎてしまう・・。
 

稜線近くなり足を早めると向こうからアルミ背負子・片手にポール、片手に自動車バッテリーの人物がひょっこりやってきた。よかった、間に合った。大和さんに会うのは初めてだが今まで何度も交信してきた相手だったので親しみがある。山頂の余りの寒さに負けて早めに下山してきたという。またゆっくり何処かで、と再会を約束し別れる。間にあってよかった。わずか5分のアイボール。でも大和さんに会う、というのが大きな楽しみで登ってきたのだから。去っていく大和さんの後ろ姿が消えるまで彼を見送った。フーッとため息が出た。
 

避難小屋は山頂から10分程度下がったカヤトの窪地にあった。穏やかな5月の陽射を浴びるあたり一帯はひとけもなくしーんとしてカヤトが風に軽く揺れている。ゴトリと重い扉を開けると小屋に射し込んだ光に部屋の空気の粒子が驚いたかのように踊った。目を細め中を見まわす。誰も、居ない。南側の窓からの光で小屋の片隅が明るく照らされているだけだ。
 

片隅にザックを置き靴を解きゴザの上に横になってみる。体を回し膝を抱え込んでみる。あーっと大きく声を出してみる。いい小屋だなぁと独り言。物音もしない。見回すと薄汚れたミッキーマウスの玄関マットがよこにポツンと置いてあった。
 

急に寂しくなってしまった。自分の娘達が大好きなミッキーマウス。そのくたびれたマットに二人の娘の顔がだぶってしまったのだ。サンダルをつっかけて外に飛び出す。
 

昔は感じなかったこの思い。妻を持ちそして子を持った。一人で気ままだった自分にも今はともに時を過ごす人が居る。その事実・大切さが事がわかりはじめてから独り歩きが寂しくなってきたのかもしれない。そうなのだ。はるか学生時代、北海道の寂しい国道で感じた寂しさと今の想いには大きな違いがある。あの頃の一人という寂しさは自分自身や将来に対する若者らしい感傷によるものだったかもしれない。が、今は大切な人々と遠くはなれているという事が寂しい。もっと単純でかつ重い寂しさ・・。
 

結局自分は一人歩きが良いといいながらどこかで強く人との接触を望み、人と自分とのつながりを確認したいのだ。自分が独りでバイクツーリングをして、独りで山に行く訳。孤独感を楽しむのではない。自分の存在を自分の周りから出来るだけ隔絶された環境に置くという事によって自分が如何に世界にかかわっているか、単にそれを確認したいだけではなのかもしれない・・・。
 

翌朝の山伏山頂。期待通り至近距離に南アルプスの大展望に胸が踊った。昨夏歩いた悪沢岳から赤石岳の稜線を目で追ってみる。鳥肌の立つ興奮だ。聖岳・上河内岳、いつか登ってみたい。笊ケ岳に相対して大無間山も大きい。山伏に来ようと思ったのは実はこれらの山の展望への期待も大きかった。ややあって追いついてきた単独行者と言葉を交わす。彼は昨夏5泊かけて三伏峠から光岳まで歩いたという。自分が2週間前にやはり南アルプスを見ようと御坂の王岳に登った話をすれば彼も同じ日に南アルプスを見るために御坂は黒岳にいたという。急に親しみを覚える。これから暫く仕事で日本を離れるという彼は憧れの山々にしばしのお別れを告げに来たのだという。皆いろいろな想いで山に来ているのだ。
 

少し先を歩きはじめた彼を目で追いながら私も八紘嶺へ向けて歩きはじめた。針葉樹の疎林と笹原の混じる稜線に乾いて冷たい風が心地よい。のんびり歩く私の視界からやがて彼は消えたが、交わした言葉は少なかったもののいかにも山が好きそうな彼の挙動が頭に残った。
 

そういえばいままで山で幾つかの出会いがあった。初めての山で私を励ましてくれた山小屋の小屋番。天候に恵まれなかった北岳から農鳥岳を歩き終え翌朝大門沢の小屋で晴れ渡ったはるか頭上の稜線をうらめしくともに見上げた夫婦づれ。谷川岳では誰も居ない茂倉岳までの稜線でまるで導いてくれているかのように前後しながら歩いていた長岡からの単独行者。山頂でのアイボールを約束しそれを励みに山に登り無事会えた無線仲間。そして今会ったばかりの、南アルプスにしばしのさよならを告げに来たという物静かな青年・・。どれもが皆殆ど、一度きりのお互い名も告げぬ出会い。そしてどれもが克明な思い出・・。
 

そうだ、やっとわかった。一人でふらりと山歩き。普段はその存在を考えもしない家族の事に思いを馳せ、見知らぬ人といくつか言葉を交し、接触する。自分はきっとそんな事を望んでいるのだ。そして自分と家族・人とのつながりの深さ、大切さを改めて感じたい。無意識に、そう望んでいる。独りで山を歩けば、二人で歩くよりよりそんな機会に恵まれる。一人歩きは内省的な機会を望まずとも充分に与えてくれる。だから山から帰るときの気分は思いきり優しい気持だ。妻にありがとうといいたい。娘に勝手に出かけて悪かったねと伝えたい。親に元気か、と言いたい。友に調子どうだい、と話しかけたい。山を無事歩き終えた後に覚える満足感は、単に山行を無事終えた、というものだけによるものではなかったのだ。
 

山で感じる寂しさ。でもその寂しさは人間が社会の一員として生きているという事実からして避けられぬものではないだろうか? だとすればそれは克服するのではなく、うまく受け入れてやるのがよいのかもしれない。
 

これからいくつ山を歩くのだろう・・。色々なところへ行ってみたい。そうは思っても毎回のこの寂しさが消える訳でもないだろう。でもそれはそれでいいだろう。その寂しさは自分が一人ではないという確かな証なのだから。その寂しさに向き合い楽しんでやる位の気持ちでいれば・・。行く手には壮絶な大谷崩のガレを右手に見ながらの大谷嶺への稜線が続いている。。誰も居ない尾根道を風に吹かれながら独り登ると家族への想い・寂しさが心の中に広がるが、これも自分と人とのつながり故、と感じよう。
 

一冊の本との出会いから歩きはじめてまだ100回にも満たない自分のささやかな山歩き。そして今日、山伏でみつけた小さな答え・・。大谷嶺の山頂に立ってようやく前方に八紘嶺の姿が飛び込んできた。風のある稜線を歩いているというのに不思議な事に心の中にはおだやかでポカポカの春の山の眺めが広がっていた。
 

(終り)


本文は同人誌「山と無線」33号に投稿したものです。

Copyright 7M3LKF,Y.Zushi 1999/7/24